風の青き放浪者 03

14. 誰も知らない歌

 これでよかったのだ。
 ゾイは自分にそう言い聞かせる。
 一人きりとなった旅路。数歩進んでは後ろを振り返るというようなことがない、身軽な道行き。これまで通りの生活。
 何かが足りないと思うほうが間違いなのだ。
 冒険者と組んでいた時だって一緒にいたのは一年足らず。今回に至っては一週間も共にいなかったのだ。それなのに今、まさか同行者が一人もいないことに違和感を覚えるなんていうのは間違いだ。
 カタフィギオ遺跡から一番近い街に着いたゾイは、その足で組織へと手紙を出した。アディスを殺す依頼を拒否し、できれば処刑人【ディミオス】から人を送るのも止めてほしいといった内容だ。ゾイが組織を抜ける時も復帰するときも平然とそれを許可した統領が、今回はどう出るのかはわからない。二度目ともなればさすがに粛清を受けるかもしれないが、それ以上に気になるのはアディスのことだ。
 いくら竜王だというあの子どもエフィと、魔女であるルルディがついているとはいえ、できれば大陸最強の暗殺集団と呼ばれる組織に彼らを狙わせたくはない。
 自分がこんなにも彼らを気にかけているのを、ゾイは不思議に思う。それほどまでに人肌に飢えていたとでもいうのだろうか。冒険者の相棒を失ってから、何人だって殺してきたくせに。
 かえりたい、と嘆いたアディスの声が、ゾイの中の何かを疼かせる。だがその何かに、ゾイ自身まだ答えを出せていなかった。力を合わせて遺跡を突破した時の心地良さは残っているが、それだけではお互いの不利益を承知で共にいようなどと決意はできない。
 今はまだ、隣を歩く体温や少年と子どもが益体もない会話を交わす声などがないことに違和感を覚える日が続くかもしれないが、それもすぐに消えるだろう。
 街に戻った一日目は、宿に戻って早々に休んだ。組織に手紙を出すだけで力尽きたとも言える。
 処刑人が自分を粛清するつもりならすぐにも仕掛けてくるだろうと思ったが、その次の日も特に何事も起らなかった。ゾイは安堵して、朝も昼も無視されて空腹を訴える腹を宥めるために街へと出た。
 むっと熱した空気をかき分けながら、酒場の扉をくぐる。フード付きのマントで顔が隠れていることと、彼の持つ雰囲気のために酔っ払いからのちょっかいなどはない。
 遺跡探索がその後どうなったのかなど情報収集も兼ねて酒場に入った彼の耳に、近くの席の男たちの会話が届く。
「そういえば、昨日ここで歌ってた吟遊詩人、今日は来ないのか?」
「お前知らないのか? あの青い髪の兄ちゃんなら、王宮の奴らに捕まったってさ」
「王宮? 一体何をやったってんだ?」
「なんでも、宝物庫に忍び込んだんだとか」
「忍び込むったって、あの詩人は子連れだったろう。弟にも見えない白っぽい髪の子どもと、それからいつの間にか赤い髪の女の子まで連れてたな。それで王宮に泥棒か。一体何を考えてるんだ?」
「さあな。俺が知るもんか」
 男たちの会話を盗み聞きながら、ゾイは酒の杯を片手に卓の上に突っ伏していた。
 あいつらだ。今の話はどう考えてもあいつらだ。青に赤に白、正確には虹色と、三人揃ってなお目立つ吟遊詩人の一行が、同じ街に他にもいるとは思えない。
「ああもう! 一体何をしてるんだよあいつらは!」
 ゾイの盛大な悪態は、酒場の喧騒に紛れて幸いにも聞きとがめられることはなかった。

 ◆◆◆◆◆

「エフィ、次の羽根だけど、一体どこにあるのかは見当がつく?」
 カタフィギオ遺跡を後にしたアディスたちは、とりあえず麓の街で吟遊詩人として稼ぎながら、次の目的地を決めることにした。
 街の定食屋で、アディスの演奏にルルディとエフィの歌声を合わせる形で何曲か披露して報酬をもらう。途中の休憩で自分たちも食事を摂りながら、アディスはエフィに尋ねる。
 彼らの当面の目的は、クラヴィス王に封印されたエフィの羽根を探すこと。
 英雄王が何故かつて共に戦った仲間であるエフィの力を封印したのかは、アディスにもルルディにも、当のエフィ自身にもわからない。過去の王の遺志を探る手段がない以上、エフィ側に立つアディスたちとしては彼の望み通りその力を取り戻すことにした。
「わかんない」
「ありゃ」
 カタフィギオ遺跡のことはもとから英雄王の墓所としてエフィは知っていた。だが、他の羽根に関してはまったく情報がない。ルルディが魔術で取り出したことを見ても、目に見えるようなわかりやすい形で遺されているとは限らない。
「そのことなんですが、エフィ様。体の一部をちょっとくれません?」
 ルルディの突然の頼みごとに、本人よりも先にアディスが水を噴出した。
「ルルディ?! 一体何言ってるの?!」
「うん、いいよ」
「エフィ?! 君も何快諾してるの?!」
 体の一部と聞いて驚愕するアディスをよそに、エフィは自らの髪の毛をぷちぷちと一、二本ちぎりとってルルディに手渡した。
「あ、体の一部ってそういうことか……」
「そうだよ、アディス。今更何驚いているの?」
「そうですよアディス様。アディス様の竪琴だって、エフィ様の爪と鬣でできているんですのよ」
 そういえば地下でそんなことを聞いたのだったか。あの時はそれ以上に衝撃的な事実を明かされたので、細かいことは覚えていなかった。
 ルルディはエフィの髪に何か魔術をかけると、それを自分の分の水の入った杯に浮かべた。針のような細い虹色の髪がくるりと回転して、ある方向を指差す。
「おお!」
「エフィ様の体の一部に魔術をかけて、即席の羅針盤を作りました。一番近く大きいエフィ様本人には反応せず、その次のものから判別するようになっています。力を感じ取る強さは距離にも関係していますから、これなら最も近く強い力を持つ羽根から回収していくことができますよ」
「べんりー」
 エフィが喜んで、グラスの水をぱちゃぱちゃと揺らす。それでも針はゆらゆらと揺らめく水面の上で、また元通りの位置を指し示す。
「ところでこれ、どこを指しているんだろう」
「この方向と距離からすると……」
 アディスには見たまま水面で髪の針が指している方向しかわからないが、この羅針盤の製作者であるルルディにはもっと細かいところまで理解できるらしい。
「これは……イェフィラ王宮?」
「へ?」
 ルルディの情報を信じると、この近くで最も強い力を持つエフィの羽根は、イェフィラ王国の王宮に存在するらしい。
「確かに、このイェフィラはもともとエクレシアと同じく氷の国の領土でしたが……」
「王宮かぁ……」
 アディスは唇に指をあてて考え込んだ。
「どうする? 忍び込んじゃう?」

 ◆◆◆◆◆

 そしてもちろん、事はそんなに上手くはいかない。
 槍を構えた怖いお兄さんたちに取り囲まれて、アディスはへらりと笑った。ルルディは平然としているが、エフィはお兄さんたちに負けず劣らず怖い顔をしている。ヤバい。血を見る予感がする。
 自国で王宮の警備の厳重さは熟知していたつもりだったが、どうやら調子に乗りすぎてしまったらしい。ルルディもエフィも個々の能力は高いのだが、潜入行動に向いているわけではないようだ。
 宝物庫に忍び込もうとしたアディスたち三人を警備の兵士たちが取り囲む中、救いの手は意外なところからもたらされた。
「お迎えに上がりました。後宮で女王陛下がお待ちです」
 年若い女官が、兵士たちを下がらせてアディスたち三人を迎えた。少し回り道をするような形で王宮の奥へと通される。
 奥――すなわち後宮だ。
「女王陛下は美と芸術を愛する方、あなた様が以前にもお立ち寄りになった際に評判だった吟遊詩人と聞いて、招待されたのです」
「以前?」
 日付を聞いて、アディスはそれがカタフィギオ遺跡に入る前の数日間の話だと思い当たった。
 しかし、何故以前に街を訪れた吟遊詩人と宝物庫に忍び込んだ盗人が結びついたのだろう。
「詩人殿、お名前は?」
「アディスと申します」
「そうですか……アディス様。この向こうが、陛下のおわす後宮です」
 兵士が立つ扉の前で女官が名乗ると、中から女の声が入室の許可を出した。
「お前が例の吟遊詩人か」
 イェフィラの女王サギニは美しかった。
 アディスの周囲の美形というとクレオにニネミア、旅に出てからはエフィやゾイなどにも出会ったが、彼らは皆どちらかと言えば清廉で高潔な印象を抱かせる毅然とした美形だ。
 しかしサギニ女王は傾国の美女と呼ばれるに相応しく、いかにも男の劣情を誘いそうな肉感的な美女なのだ。〝女〟を武器にする人種とも言える。豊満な肢体には下着にすら見えない薄布だけを纏い、豪奢な美貌を更に飾りたてる化粧をしっかりと施している。
 宝物庫への侵入を咎めることもなく、女王は何故かアディスに竪琴を奏でながら歌うように命じる。
「お望みの曲などはございますか?」
「そうだな……では英雄王の伝承を。それから恋歌を一つ」
 言われて、アディスは喉を慣らすために恋歌を先にした。
 途中までは悲恋だが、最後に引き裂かれた恋人同士が再び幸せになるというあまり人に知られていない歌だ。女王は興味深そうな様子で目を閉じてそれに耳を傾けていた。
 そして演奏は一度終わり、続けて英雄王の叙事詩へと移る。
 アディスの長い指が竪琴を爪弾き、たった一つの楽器から生み出されているとは信じられないほど多彩で荘厳な音を奏で始める。その音の中に彼の声という最高の楽器が加わることで、音楽はより深いものとなる。
 強く弱く、激しく、時には優しく。
 光の中を、闇の中を、一歩一歩歩いて行った英雄王の足跡を辿るようにアディスは歌う。
 曲の終わりが近づいた時、とうとう耐え切れないと言った様子で部屋の隅から泣き声があがった。
「クラヴィス様! 陛下! ……ああああ!」
 驚きながらもなんとか最後の一音を弾き終えたアディスは、女王への会釈も忘れて泣き声をあげた人物の方を見た。
 彼らをこの後宮まで案内した女官が床に伏せて顔を覆い、泣きじゃくっている。侍女服の姿が薄れ揺らぎ、きらきらとした鱗のような服を纏う少女の姿になった。
「その反応を見るに、どうやら本物のようだな。レピ」
「ええ、ええ。サギニ。この人よ。間違いなく陛下と同じ血を引く者、クラヴィス様と同じ〝声〟だわ」
「レピ? まさかこの国の聖獣?」
「そうだ。そしてかつて英雄王クラヴィスの使い魔の一人でもあった。お前たちの侵入を察知したのもこやつじゃ」
 女王が呼んだ少女の名がエフィの話の中に出てきたものと同じであることに気づいたアディスに、肯定の言葉を返したのもやはり女王だった。
「アディスといったか。エクレシアにそなたのような王子がいるとは、わらわはついぞ聞いたことがない気がするのだが」
「……知らない人間の方が圧倒的に多いのです」
「何やら複雑な事情がありそうだな。最近スタヴロスがいろいろと動いているらしいことと関係があるのか?」
「え?」
 妖美すら漂う笑みを見せて、サギニは華やかな色を塗られて長い爪で手紙を指し示す。
「少し、長い話をしないか? 我らが英雄王の血の片割れよ」