White World SS

「White World」外伝小話

魔術師の杖

 ――魔術とは、自らの裡から外に向けて開く力だという。
 この世に現象として火を起こし、水を沸き立て、風を渦巻き、地を揺らす業は、しかし自らの魂の内側から世界の真理と呼ばれるものに触れてそこから力を引き出すものなのだ。
 人の魂は集合的無意識に繋がっている。そこにこの世の全てがあるという全知全能たる魂の書に。だから誰しも己の魂の奥底を更に辿れば、叡智を手にすることができるはずなのだ。
 高度な魔術師には、もはや杖も詠唱も魔法陣も何もいらない。己の魂を通して界律と呼ばれるものに働きかけるだけで魔術を扱うことができる。
 ――のだが。
「なぁ、アリオス」
「何、ザッハール」
「なんで辰砂もシファも、いまだに杖持ってんのかなぁ」
 麗らかな日差しの差し込む天界。ザッハールは旧友の一人に素朴な疑問をぶつけてみた。
「杖? ……ああそう言えば。持ってるねぇ二人とも」
 下界から持ち込んだ本に目を通していたアリオスもまた気づいたように小首をかしげる。
「普通に精神集中のための焦点じゃないの?」
「俺らにとってはそうだけど、あの二人は第七感の魔術師だぞ。今更杖なんかいるか?」
「……いらないね。だからこその第七感なわけなんだし」
 魔術とは魂で行使する力。界律から力を引き出すためには自らの魂の奥底に潜る必要があり、そのためにはもちろん尋常でない程の集中力を要する。現世に意識の一部を残したまま別の一部を深層意識に繋げるのだから。
 普通魔術の素養を持つ者が術を行う際には、まず徹底的にこの精神集中を行わせる。そして魔術を現世に表出させるには強固な物理法則を魂で捻じ曲げるための強固な意志も必要となる。
 魔術とは信じることなのだ。魂をかけて信じた事柄だけが魔術として発動する。
 その「集中」と「意志」の両方を強化しかつ効率的に魔術を行うための様々な「手順」が、現在魔術を行使するのに必要とされている数々の儀式、道具、詠唱の数々である。これらの手順を踏むことで人々は自然と意識を集中し、これらの手順を踏めば魔術を行えると信じる。だからこそ人々は杖を持ち、呪文を唱え、魔法陣を描く。
 しかしそれらが主に必要となるのは第六感までしか持たない魔術師までであり、第七感を持つと言われる最上位の魔術師に関してはこの限りではない。
 霊魂を目視することができるという第六感は霊感と呼ばれる。その更に先、界律をも感じ取ることのできる第七感は通称を神感と言う。魔術的叡智の存在する第八感に近接した第七感を持っているのだから、彼らには集中も信じるもなくすでにその世界が目に見えているのだ。だから面倒な杖も呪文も手順も本来必要ない。
 のだが。
「確かにシファもずっと杖を持ってるし辰砂もいつもじゃないけどわりと当たり前に杖使ってるね。かといってあの二人が魔術的知識に敬意を表して様式を堅持しているかと言われるとそれも違うよね」
「違うよな。二人とも杖は持ってるけど詠唱は滅多に使わないし。辰砂は杖で魔法陣展開とかするけど、あれ杖を使うことに意味があるわけでもないんだろ?」
「ないよねー。単に趣味だと思う。シファもいつも杖持ってるけど持ってるだけって感じだしなぁ。うーん。言われてみればどうしてなんだろう」
「……もういっそ聞きに行くか?」

 ◆◆◆◆◆

「え? 常に杖を持つ理由?」
 シファがきょとんとした顔で大きな瞳を瞬く。元々ザッハールやアリオスより年下のシファだが、界律師になったのも早く十四歳で肉体年齢が止まっているためにそんな仕草でさえ酷く可愛らしい。
「そんなもん武器代わりに決まってんじゃん。ねぇ、お師様」
「「武器?」」
 年長の男二人は顔を見合わせた。第七感の魔術師シファに続いて伝説的存在とまで言わしめる創造の魔術師も、あっさりとその言を肯定する。
「そだね。僕らどうしても体格とか腕力で一般人にすら負けがちだからね。手元に何かないといきなり斬りかかられた時とか困る。まさか素手で受け止めるわけにもいかないし」
「あとは魔術を使うまでではないけど相手にとにかく一撃加えたい時とか」
「そうそう。とりあえずこれで殴るよね」
「そう言えば俺はよくお師様に杖で殴られてますけど……」
 ぽかぽかとやけに可愛らしい音を立ててザッハールが殴られている姿を確かにアリオスたちもよく目撃している。辰砂も見た目は十四、五歳の少年だ。その上ザッハールは砂漠民らしく背が高いので手が届かないらしい。
「殴る時はこっちの面を使う!」
「折れない素材で作るのは気を遣いますよね」
 世間一般の、より強い魔力を持つ杖によって少しでも魔術の効果を上げたいと願う魔術師一同が血涙を流しそうな話だ。
「本気で打撃武器扱いかよ!」
「そう言えばシファはともかく辰砂は薬作る時もあれでよく蠍や百足をぶち殺して鍋にぶち……いや止めようこの話」
 シファも辰砂も杖を持つ見た目は可愛いが、持つ理由はまったく可愛くない。
「魔術師って……なんだ?」
今度杖の強度を上げる素材を探しに行くときゃっきゃしている少年二人を横目に、男たちは遠い眼差しを空に投げたのだった。