White World SS

前世から予約済み

 その日、天界では珍し……くないとは言い切れないが、珍しい……というわけでもなさそうな光景が、長閑……と言えなくもない様子で広がっていた。
 通りがかる者たちの内心に歯切れの悪い感想を抱かせるその光景とは、創造の魔術師にへばりつく破壊神の姿だ。
 そう、へばりつく、あるいはもう少し綺麗な言葉を選ぶならば抱きつくという表現になるだろう。木陰に座って本を読む体勢の辰砂の背中から腹に腕を回すようにして、破壊神がぎゅっと思い切り抱きついているのである。
「えーと、つまりこれはどういう状況?」
 たまたまその場を通りがかってしまった不幸な魔術師……この形容を用いられるのは往々にして銀月ことザッハールなのであるが、今回もお約束通りにその役目は彼のものだった。辰砂の弟子の中では魔力が弱い方である彼は魔術の修練のために広い場所を探していたのだが、そこで出くわしたのが何とも言い難いこの光景である。
「見てわからない?」
 ふー、と長い溜息と共に読むことを諦めた本を脇に置いて、辰砂は簡潔に訴えた。
「助けて」
「あー、了解っす」
 師の求めに応じてザッハールはなんとか辰砂から破壊神を引きはがそうと、その背後に周り同じように背中から抱きついて腕に力を込めた。
「破壊神様、うちのお師様が嫌がってるんで離れてくださーい」
「いーやーだー!」
 ザッハールに胴を引っ張られた破壊神が抵抗し、辰砂に抱きつく腕に力を込める。ぐえっと潰れた蛙の声を上げる辰砂に構わず、その背に連なった二人はますます手足に力を込めた。
「ちょ、待っ、出る出る、なんか内臓的なものが出るってこれは」
 べしべしと破壊神の腕を叩いて辰砂がギブアップを表明するも、すでにお互い勝負に移行している破壊神もザッハールも気づかない。
「えーと、どういう状況だこれは」
 そこにさらに通りがかった面々の訝しげな声がかけられる。ラウルフィカ、シェイ、ルゥの三人が、抱き合って団子状になる三人を奇妙なものを見る目で眺めていた。
「大きなカブでも引き抜く気ですか?」
「んなわけないだろ! とりあえず助けて!」
 見てわかってよと叫ぶ辰砂の声が結構切実だったこともあり、仕方ないなとこれ見よがしに息を吐いたラウルフィカが行動に出た。
 辰砂に抱きつく破壊神を引きはがそうと奮闘するザッハールをまず止めようと、その頭上に背後から容赦なく踵を落とす。無防備な脳天を直撃されて悶絶する青年は放置して、いまだ辰砂に抱きついたままの破壊神に離れるよう促した。
 しかし破壊神は応じない。
「いやだ。そもそも我は今日は最初からこの場所が定位置だった。いきなりやってきて邪魔をしようとしたのは銀月の方だ」
「なんだ。悪いのはザッハールだったのか。では跪いて全力で謝罪した後、猛省しておくように」
「あれー?! 何この理不尽な扱い!」
 いつものことをいつものように嘆くザッハールは無視して、ラウルフィカは破壊神に目を向ける。ぎゅっと等身大ぬいぐるみでも抱くように思い切りへばりついたその姿に処置なしと嘆息し、抱きつかれている辰砂の方へと視線を移した。
「と、いうことでこれ以上は我々には無理だ。諦めて人間椅子だとでも思ってそのまま抱かれてろ」
「まさかの結論?!」
「座られるのではなく座る方なんだからいいじゃないか」
「全然良くないよ! ラウルフィカはたまに背徳神の使徒も吃驚なぎりぎりの発言をするよね!」
 なんとか自力で破壊神を引きはがそうと抵抗をやめない辰砂は、清楚な顔をしてろくでもない経験が豊富すぎる元国王に突っ込んだ。
 傍ではルゥとシェイの二人が何故かにこにこと不自然なまでに穏やかな笑みを向けている。
「破壊神様は、よっぽど辰砂様のことがお好きなんですね」
「ああ。間違いない」
「ふ、二人とも……これそんなほのぼのとした場面?」
 ラウルフィカに踵落としで撃沈されたザッハールが足元から問いかけるも、ルゥもシェイもまったく聞く耳持たない。
 辰砂の頼みを聞いて彼を助けようと思う者がいなくなり、再び好きに抱きつけるようになった破壊神がその背に頬を寄せながらうっとりと口を開く。
「はぁ……なんで我は前世からこうしてちゃんと辰砂を捕まえておかなかったのか……もしもあの時から今の我のような性格だったなら、何があっても逃げられないようきちんと首輪と鎖で繋いでおくのに」
 諦めてラウルフィカの言うとおり人間椅子扱いで容赦してやるかと本を開きかけた辰砂が、その言葉に思わず全身に鳥肌を立てる。
 引っ付く二人が面白いからと何故かその周辺で寛ぎはじめた一同も固まった。
「破壊神様は、よっぽど辰砂様のことがお好きなんですね……」
「ああ……間違いない……」
「二人とも現実から目を逸らすな。あの台詞はそんなほのぼのとした言葉で誤魔化せる範囲を超えているぞ」
 先程と一言一句違わない台詞をしみじみと別のニュアンスで繰り返すルゥたちにラウルフィカでさえ思わず突っ込みを入れた。
「も、もう限界! 貞操……っていうか人権とか身体的拘束とか思想の自由とかもはや何もかもすべてにおいて危機を感じる!」
「あー! 逃げるな辰砂!」
 逃げるわボケ! と叫びながら辰砂が本気で魔術を使い姿を消す。神である破壊神は持てる魔力こそ大きいがこういった小技は人類最強の魔術師に敵わぬようで、辰砂が本気になって隠れれば姿を見つけることはできない。
「逃げられた……」
 どう考えても悪いのはそちらだろうに破壊神がしょんぼりとしている姿はなまじ外見が妖精じみて可憐なだけに庇護欲を誘い、ルゥやシェイはなんとか慰めの言葉をかけたくなってしまう。しかし彼らが適当な文句を捻りだすよりも早く、一人平然とした顔のラウルフィカがとんでもないことを言いだした。
「意識のあるうちに害意を見せるからだ。やるなら道具は事前に準備して意識のない間にこっそり仕込め」
 それは犯罪ですと誰かが叫ぶよりも早く、青い瞳が逃げ損ねた銀髪の魔術師を捕らえる。
「ちなみにそこのザッハールは、魔法薬の専門家だ。これに関しては紅焔より白蝋よりも上らしい」
「ほう……」
 きらりと瞳を輝かせる破壊神に、ザッハールが彼にしては珍しい怯えた表情で後退さった。
「いや、やりませんからね?! 師を貶めるために睡眠薬だの痺れ薬だの盛る手伝いなんて!」
「ふーん。そうか。やはり睡眠薬かと思ったが、抵抗させないだけなら痺れ薬という手もあるんだな」
「ああ! 駄目だ俺もなんか別の意味で危険を感じてきた!」
 遅ればせながら逃げ出そうとしたザッハールを、破壊神が含むもののある笑顔で追いかけはじめた。師程魔術の技巧が洗練されていないザッハールでは、破壊神から逃げ切るのも一苦労だろう。
「やれやれ。これでようやく静かになったな」
 あとには置き去りにされた本とラウルフィカの容赦ない感想、苦笑いを浮かべるルゥとシェイだけが残された。

 ◆◆◆◆◆

 まったく、本当に首輪の一つもつけておくべきだった、と破壊神は今更後悔する。
 常闇の牢獄を破り暴走を始めた背徳神を止めるため、破壊神は命を懸けることとなった。しかし神として覚醒したばかりのあの頃の未熟な自分では秩序神と辰砂の力の一部まで取り込んだ兄神を抑えきることはできず、結局事の始末は辰砂がつけた形となる。
 だが、後始末はいまだ終わっていないのだ。人界の脅威にはなるが世界を滅ぼすには至らぬほど、そして人間の世界で見出された真の勇者にならば倒せる程度の魔王となるまで、背徳の神はその強大なる力を分散されて世界に鏤められた。
 それを成した辰砂自身も、背徳神の力と諸共に魂を自ら引き裂いて地上へと降り注いだ。背徳神に直接手を出せないなら彼に縁深い己が魂を媒体にして呪いをかけるという無茶を辰砂がこなしたことによって、この世界は傍目にはそう見えずとも確かに一度は救われたのだ。
 人界では辰砂の悪名は更に高く響き渡り、大陸のあちこちで魔王が幅を利かせている。辰砂の弟子三人やシェイやルゥと言った天上の住人たちは、無数の欠片となって地上に降り注いだ辰砂の魂を再び集めるのだと奔走していた。
 ああ、本当に。
 首輪をつけて、鎖に繋いで、檻にでも閉じ込めておけば良かったのだ。
 そうすればまさか自分がいない間に辰砂が背徳神を己が身を挺して止めるなどという役目をさせずに済んだものを。
 いくら後悔しても足りないが所詮はもう過ぎた話だ。それよりも自分も彼の弟子たちと同じように、この地上から遍く辰砂の魂の欠片を集めに行くべきだろう。
「再会したら……その時こそ、首輪をつけてやるぞ、辰砂」
 何度生まれ変わろうがあれは自分のものなのだと。破壊神はいつ会えるとも、二度と会えるとも定かではない相手を、今度こそ手放す気はないと決意して囁くのだった。