White World 01

5.告白

 ある日破壊神が言った。僕が魔導書を読んでいる時だった。
「辰砂」
「んー?」
「我は辰砂が好きだ」
「はいはい、僕も僕も」
 僕は破壊神の告白を、いつも通り木陰で魔導書を読みながら話半分に聞いていた。適当な相槌を打ちながら頭を撫でてやるが、視線は相変わらず魔導書の上にある。
「我は本当にお前が好きなのだ」
 しばらくそうしていると、破壊神が拗ねるように肩口に頭をすり寄せてきた。仕方ないな、と僕は本を閉じ、ちゃんと彼の方を向いてやる。
「僕もちゃんとお前が好きだって」
 見た目こそ僕と同じ年頃の少年の姿でありながら、まるで子どものような破壊神。この神様は何故だか僕に懐いている。僕も彼のことは嫌いじゃない。神様相手にこんなことを言ったり思うのは不敬だろうか。けれどこれが偽らざる僕の本音なのだから仕方ない。
 この村に来てから、何もかもが愛しく思えていた。
 もちろん気の合わない人はいるし、ままならぬ想いもある。僕は相変わらずディソスが好きなのに漁師と付き合っていて、その一方でこうして訪ねてくる破壊神を可愛がっている。

 ◆◆◆◆◆

 日々は穏やかに過ぎていくように思えたが、そうはいかなかった。最近は破壊神の他にも神が村にやってきて、事あるごとに村人と衝突しているというのだ。
 その神の名は、ナージュスト=ナーファ。二柱で一神の、規律の神だ。法を作り与える兄神ナージュストと、それを順守させる妹神、秩序神ナーファ。
 村にやってくるのはこの妹神の方だった。秩序神は言わずもがな、背徳と快楽の神であるグラスヴェリアとは反目する存在である。
 そして今、秩序神の憎しみは、グラスヴェリアそのものではなく、彼の守護する民に向けられているのだという。
「なぁ、破壊神」
「なんだ?」
 僕は自分を見返してくる青い瞳に、喉元までせりあがる言葉を呑み込んだ。
 今日も森で魔導書を読んでいた僕のもとに、破壊神がやってきた。三日に一度は顔を出すディソスもアディスも今日はこの場所を訪れず、完全に二人きりだ。
「いや……なんでもないよ。ああ、そうそう。そういえば、破壊神は、秩序神ってどんな神様か知ってる?」
「姉神のことは、我も良く知らぬ。秩序の女神は高貴で誇り高く、神々の中でも魔物殺しを行い手を血に染める下賤な末子とは話もしたくないそうだ」
「……君にしては皮肉な言い方だね」
「姉神の言ったそのままだ。命を下す以外で、我とは話すこともないと」
 僕は言葉を失った。
 破壊神が何故そんな平然とした顔をしていられるのかがわからない。
 別に彼はいつも変わらない。僕のどんな言葉を受けても表情をほとんど変えないように、姉神の酷い言葉もその顔で聞いたのだろう。
 いつもと変わらないその表情に、僕は今度こそ本当に何も言えなくなる。
 もしも秩序神がこの村に攻め入ろうとしたら、破壊神に僕らの味方をしてくれるように頼むつもりだった。
 彼の口ぶりでは破壊神は邪神である兄神グラスヴェリアとは親しく、姉神秩序神ナーファとは不仲だ。否、不仲というと少し違うかもしれない。破壊神には誰かを嫌ったり憎んだりするという感情自体がない。
 そんな破壊神は、彼自身に対する秩序神の嫌味さえも平然と聞いて受け止めたのだ。自分のことですら怒れない彼に、他人のために姉を憎み戦えなど、誰が頼むことができるだろう。
「辰砂は、何か我に願うことがあるのではないか?」
「え?」
 しかしさすがに神というべきか、僕が自分の中の醜い誘惑と必死で戦っているのも知らず、彼はそんな風に聞いてくる。
「うん、頼もうと思ってたけど……でも、もう、いいんだ」
 こちらの頬にそっと伸ばされた彼の指をとり、告げた。
「僕がそれを君に頼んだら、僕は卑怯者だ。そうなりたくはないから、どんな困難でも僕は自分の力で乗り越えてみせるよ」
 天界最強の闘神、破壊神。
 その力をただの人間が請い、いいように使うなど赦されるはずもない。
 僕は確かに倒れていた彼を助けたことがある。でもそんなのは当たり前のことだ。僕以外のこの村の人たちが彼を見つけても、きっと同じようにしたことだろう。あの日、夜の海辺でディソスが僕を助けてくれたように。
 だから僕は神には頼らない。そう決意した。
 ――それが悲劇を生むことになるとも知らずに。

 ◆◆◆◆◆

 その時がやってきた時、僕はすべてを後悔した。
 背徳を好む邪神の存在は他の神々から疎まれ、邪神を崇める民も粛清の対象となった。
 神々が邪神の一族を粛清するのに、界律師である僕の存在は邪魔だったのだろう。僕が村を空け、戻ってきた時には全てが終わった後だった。
 白い星砂が血の赤に染まっていた。生々しい虐殺の痕とその結果の硬質な死。
 見知った顔の死体が点々と並び、生き残った知り合いがそれに縋るように泣いている。絵空事のように現実感のない惨劇の中、僕は決して見つけたくはなかった二つを見つけてしまう。
「なんで……なんでこんな……」
 ディソスとアディスの姉弟はお互いを庇いあうように強く相手を抱きしめながら息絶えていた。
 動かない冷たい身体、閉じられて二度と開かない瞳。二度と自分の名を呼ぶことのない躯を抱えて僕はこの世界の全てを憎む。
 愛しい人がかつて呼んだ自分の名前。その甘い声の記憶に重ねて涙が零れた。
 ――そう。辰砂っていうと、空と大地と海、全ての意味が揃うんだ。
 ――空と大地と海を廻る、この世界を象徴するような名前。お前は星、お前は砂、お前は海、お前はこの世界。
 ――この世界の多くの人間が、この世界を愛しているんだよ。多くの者に愛されているものの名前なんだよ。俺も世界を愛してる。そして、辰砂、お前のことも愛してるよ。
「ディソス、でも僕は……」
 この世界を、愛してなんかいない。
 君がいない世界を、愛することはできない。
「……ッ、アアアアアアアアアア!!」
 君は空、君は大地、君は海。君は僕にとっての世界。
 僕が愛した世界とは、ディソス、君が存在していた世界。君の属する民が存在していた世界。彼らは邪神の民だからこそ僕の存在を受け入れてくれたのだ。その彼らを滅ぼそうとする神など認められない。決して認めはしない。
 そんな神しか存在しない世界なら、いらない。
 神々が人を否定するのであれば、人も神々の存在を否定しよう――。

 ◆◆◆◆◆

「本当に行かないのか? 辰砂」
 漁師の少年が僕を引き留める。
 否、もう漁師ではないな。秩序神の粛清という名の殺戮から僅かに生き残った人々は、グラスヴェリア信仰を放棄してこの村を捨てることにしたのだという。海沿いの村を離れれば、彼はもう漁師ではなくなるだろう。
 心に根付いた信仰心はなくならないだろうが、彼らは秩序神の報復を恐れて、もう大っぴらに背徳神を崇めることはできなくなった。
「行かない。それにもしどこかへ行くとしても、君とは行けない」
 この村にただ一人残ったのは、グラスヴェリア信者とも言えない、村で一番信仰心の薄かったこの僕だけ。
「この村を出たら、同性愛や男色を公然と認めている土地なんか他にないだろ? だからどうせ僕は、君とは行けないよ。一緒にいたら、縋りたくなってしまうから――だから、さよなら」
「……辰砂」
 さようなら。僕の初めての恋人。君のことも愛していた。愛していた。けれど。
 村を捨てる民を、グラスヴェリアは咎めなかった。彼はむしろ、自分の愛する民を、彼の最愛の巫覡である姉弟を守れなかったことを酷く悔い、自分を責めていた。
 その心は僕と同じだった。だから僕はようやく、心から背徳神のしもべとなることを決意し、ディソスの仇をとることにした。
 創造の女神に訴えた秩序神の非道は、しかし母神の手で裁くことは叶わなかった。
 そして僕は創造の女神の力を手にし、巫覡を殺されて嘆く背徳神の耳元で甘く囁く。
「殺しましょう。あなたの民を傷つけた愚かな全ての神々を。さぁ、僕に神々の弱点を教えて」
 創造の力を使い、神々の軍にも負けぬ作り物の人形の軍隊を天界に差し向けた。神々はもちろん応戦し、泥沼の戦争が始まる。

 ――永遠の魔術師よ。汝はこの世界で最も忌むべき者であり、最も栄誉に彩られることになろう。

 そして僕は、神々への反逆者と烙印を押され、“創造の魔術師”と呼ばれるようになった。