White World 02

第2章 満ちる闇、欠ける光―Wax and Wane―

8.満ちては欠ける

 ――それは答のない問いだ。
「辰砂、お前は、運命ってなんだと思う? お前にとっての“運命”って何?」
「僕は……」
 否、答はある。誰にとっても、自分自身にとっての答は。だがそれは他人にそのまま適用できるようなものではないのだ。
 昏い牢獄。常闇と呼ばれるその場所に、自らを繋ぐことを選んだ神の問いに、人間最強の界律師は言い淀む。
 運命とは。
 運命とは、一体何か。
 人が生まれて死ぬまでの道筋のことか。あらかじめ定まっている未来のことか。ただ一つの選択のために他の全ての選択肢を斬り捨てるしかない不条理か。
 どちらにしろそれは初めから決められていて、人の手で変えることはできないものの代名詞。かつて人の手で殺された神よりも更に大いなる事象。それが運命。
 宿命とも、天命とも違う。その「時」が訪れるまで意識することもできず、けれどその「時」には間違いなくただ一つの道しか選べないという、限られた枠組み。それを、運命と言うのであれば。
「僕は……僕にとっての運命は……」
 答はまだ出ない。
 辰砂はまたしても、背徳神に別れを告げて牢獄を後にする。

 ◆◆◆◆◆

 破壊神が帰ってきた。
 帰ってきたとは言っても、それはもともとの彼を知る者たちの考える破壊神とは大きく異なる。そして破壊神自身も、自らが「帰った」とは思っていない。
 かつて創造の魔術師が神々に反旗を翻し、後の世に伝説として語り継がれる大戦を引き起こした。その際に創造の魔術師こと辰砂を討ち取ったのが、天界最強の闘神・破壊神。
 辰砂の反逆により人類が神を必要としなくなったと判断した神々は、その後地上を去り天上で暮らし始めた。
 神々が地上を離れて天界にいる間、大戦の最大の功労者である破壊神はそれでも地上にいた。
 先の大戦の折、辰砂によって主神であり万物の母なる創造の女神は名を奪われ眠りについた。しかしそのために世界の均衡は崩れ、地上は混乱した。
 崩れた均衡を再び元に戻すために、創造の女神に力の強さで匹敵する最強の闘神は、彼女とは別の方法で眠りにつくことを選んだのだ。
 もともとは辰砂という人間を愛し、人を愛した神。それが、避けられぬ理由により敵対することとなってしまった。愛する人間を自らの手にかけた最強の神は、それ故人間の心を知ることを望んだ。すなわち、人間として生まれ変わりたいと。
 だから破壊神は地上に残り、その血を人間の中に潜ませ、世界が均衡を取り戻すその日まで眠り続けることにした。いつか再び神としての人格が蘇り、「生まれ変わる」日がやってくる。その日まで眠り続ける。
 そして彼はようやく目覚めた。神の血を継ぐ古王国の王子として生まれ、自らの宿命を辿る旅路を終えた彼はようやく自らがかつて神々の末子として生まれた天界最強の闘神であることを思いだし――。

「何が神の使命だ崇高なる義務だ。貴様ら不甲斐なき神々は地上の自然が荒れ狂う際も人類が苦しんでいた時も、天上で無意味にふんぞり返っていただけだろうが。貴様らに比べれば土を肥やすミミズだって大いなる価値ある存在だわ。偉ぶるならせめて少しは人々に神威を見せてからにしろ。もっとも、地上に在った時の我は無宗教者だがな」

 天上にやってきた破壊神は、人間として生きてきた時間の影響ですっかりやさぐれていた。

 ◆◆◆◆◆

 かつて、創造の女神が辰砂の手により封印された日より、永い永い時間が過ぎた。
 神々に人間のような一秒単位の時間の概念はないので、正確なことは言えない。わからないのではなく言えないのだ。神々の実感を人間の理解できる時間に換算することは不可能であり、別にそんな細かい時間知ったところで問題なかろう、というのがその事実に一番近い人間たちの感想なのだからまさしくどうにもならない。
 ただ、人にはもちろん神にとっても長いと言われる時間が過ぎたことは確かである。長いと言っても翌日の約束が三日経って果たされない時の長さなのか、子どもが大人になるぐらいの時間を振り返ってしみじみとするような時の長さなのかは定かではないが、まぁ神々の長いと感じる程度の時間ではあるらしい。
 そしてそんな長い時間が経ったので……破壊神の性格が変わったことについて他の神々は愕然としたらしい。
 破壊神の性格については時の経過よりも「一度人間として生まれ変わった」ことの影響の方が大きいと思われ、一部の人間嫌いの神々としてはそれを懸念する声もある。
 だが問題の破壊神自身としては、自分がそれほど「変わった」という思いはないという。
「別に表現形態が変わっただけで、そもそも我が神であった頃と人間として生まれ変わった後に感じているもの自体に変化はない」
 と、人として生まれ変わり毒舌が達者になった破壊神は言う。
「それでも我が昔と変わったように見えるのであれば――それは世界が変わったからだ」
 昔は狭い世界、少ない人々しか知らなかった破壊神。
 神々の末子たる彼の役目は少なく、来る日も来る日も地上で瘴気から生まれる魔物を殺し続ける日々。
 珍しくも怪我をした彼を助けたのが辰砂。それが全ての始まりだった。破壊神がその頃知っていた世界というのは、辰砂を中心とした世界だ。背徳神の村は他の神々が考えているほど、邪悪なものではない。
 世界中を巡り迫害され続けた異相の魔術師辰砂をも受け入れた小さな海辺の村。あの村は優しかった。あの村には安らぎがあった。だから破壊神も安らいだ。
 でも、あの村はもうないのだ。
 他でもない神の手で壊されてしまった。そしてあの村を壊した秩序神に従った破壊神も、その惨劇を生み出すのに一役買ったのだ。
 性格ぐらい変わるだろう、と破壊神は言う。だがそれを、感情と言うものの表現を知らなかった、神であった頃の自分は表出することができなかっただけなのだと。
「まぁ別に、関係ないんじゃん? お前がお前であるならさ」
 と、軽く言ったのはこちらは何度生まれ変わっても性格が変わらないそれはそれでおかしな人間の魔術師・辰砂。
 実力的には界律師だが、神に逆らった悪の界律師である辰砂は創造の魔術師と呼ばれる。界律師の称号は人間世界においては正しき魔術師の称号とされているからだ。
 辰砂は変わらない。だが世間の評価は変わる。やはり世界は少しずつ変わったのだろう。
 そして人でありながら変わらない魔術師と、神でありながら性格が変わったとされる破壊神はこの時代でようやく再会した。
 前世で殺した者と殺された者。裏切った者と裏切られた者。――だが、どちらがどちらを裏切ったのやら。
 神々に反逆した辰砂か、辰砂に懐いていたくせに、神々の代表として辰砂を殺した破壊神か。
 どちらでもいいことだ。かつて敵対し、今でも仲間とは言い難い。争い合った記憶はある。だがそれも終わったこと。
 皮肉なことに、だからこそ今生でいち早く破壊神の生まれ変わりに気づいたのは他の誰でもない辰砂であった。神々は普段天上に住まい滅多に地上に降りて来ないという事情もあるが、今回もやはり破壊神を見つけたのは辰砂。
「変わったのか? 破壊神」
「変わらん。我は変わらぬ。変わったのは――」
 変わったのはこの世界だ。神々は地上を去り、人は神を忘れ去った。信仰はなくなりはしないが、神との距離は開いた。
 だが、辰砂は変わらない。破壊神も。

 ◆◆◆◆◆

「生まれ変わるってのはどんな気分なんだ?」
 神であることをやめて人として生まれ変わり、今また再び神としての自覚を取戻し天上界へと戻った破壊神。
 その破壊神に対して興味津々で近寄ってきたのは、生まれ変わった末子神の激変に慄く神々ではなく、その眷属や信仰者といった一部の元人間、そして辰砂の弟子である人間たちだった。
 辰砂の弟子である銀月の魔術師ザッハール、紅焔の魔術師シファ、白蝋の魔術師アリオス。
 月の女神セーファの眷属となった元ベラルーダ国王ラウルフィカ。
 タルティアン王国で大地の神を奉じていた巫覡ルゥと、タルティアンの聖騎士から神獣へと生まれ変わったティーグ。
 かつて血砂の覇王と異名をとった魔王ラウズフィール、彼の恋人であった姫の生まれ変わりである月の民の少年、シェイ。
 天上は神々の世界ではあるが、眷属や信仰者、あるいはやむに已まれぬ事情と言う形で、こうして人間たちも存在している。もっとも辰砂の弟子たちに関しては地上にも家があるので勝手に師の下に押しかけてきていると言った方が正しいかもしれないが。
 ところで、ザッハールたち辰砂の弟子と、ラウルフィカは破壊神とそれなりに親交がある。正確には親交があるのはラウルフィカだけで、ザッハールとは因縁に近い間柄だ。前世で破壊神が殺した辰砂の弟子であるザッハールたちと、その破壊神の生まれ変わりなのだからある意味当然だろう。
 とはいえ、現在月神の眷属となったラウルフィカも友人と言う割に、人として一度死ぬ羽目になったのは破壊神との関わりが原因だ。
 奇妙な縁と因縁が絡み合い、最終的に「かつて色々あった顔見知り」というような間柄に落ち着いたのが、現在の破壊神とここにいる人々の関係だ。
 そしてここにいるのは、かつて殺しかけたり殺されかけたり、また実際に殺されたり殺したりしたくらいで怯むような可愛げのある人間たちと神ではない。
「生まれ変わると言っても、我は我だ」
 先程から特に好奇心旺盛な辰砂の弟子たち魔術師連中に質問攻めされている破壊神がうんざりと言う。
「別段大きく変わったことはない」
「いや、大違いだろ……」
 人間たちの押しの強さに引き気味の風の神のツッコミにも構わず、破壊神は鬱陶しげに言う。
「違いはない。見え方は変わらない。感じ方も変わらない。ただ、少しばかり語彙が増えただけだ」
「主に悪口が?」
「そうだな。そのおかげで貴様のような下等な妖術師ともこうして言葉を交わせるようになったのだ。感謝しろ、銀月」
「わーい、殿下が相変わらず容赦ないよー」
 破壊神が破壊神として前世を自覚し覚醒する前、その行動に思い切り首を突っ込んでかき回す役目だったザッハールへの扱いは冷たい。
 破壊神の言動は彼の昔と今を知る者にとっては違和感があるかもしれない。確かに破壊神の表層は変わったように見える。だがしかし、自分は変わらないと口にする破壊神の言葉も彼にとっては嘘ではない。
 何故なら破壊神にこのような態度をとらせる原因たる愉快な人間たちというのは、彼が人として生まれ変わる以前には存在しなかったからだ。たとえば破壊神も知っている背徳神の村の人々などが今の破壊神を見るようなことがあれば、昔と少しも変わらないと評するかもしれない。
 ルゥやティーグ、シェイや元魔王であるラウズフィールなども別にいい。だがこのザッハールは一見して飄々とした性格の気のいい兄ちゃんなのだが、その実、過去に自国の王を裏切り無体を強いた過去があるような人物だ。そんな男相手に素直に話をしろというのが無理なのかもしれない。
「人間になる前の破壊神様も、こんな感じだったんですか?」
 ルゥが近くにいた風神に尋ねる。面倒見のいい風神は新人ならぬ新神である大地の神とその巫覡を気にかけてくれているため、ルゥとも親しい。
「うーん。昔はもうちょっと可愛げがあるというか、素直で大人しかった気がするんだが。世間知らずで時折ものすごく素っ頓狂なことを大真面目に言うんだが」
「それは今もだ」
 ザッハールと同じく破壊神覚醒前のあれやこれやで付き合いのあるシファが頷く。
 生まれた子に神託を受けさせる慣習のある古王国で呪われた託宣を受け、いざという時行動を起こせないよう無能になるよう育てられた王子様は世間知らずの上に他の人間には考えもつかないようなことを大真面目にしでかす。
「あー、あと辰砂に懐いてたな。大真面目に辰砂が好きだとか言ってた」
「それも今もだ」
 ザッハールが笑いながら肯定する。辰砂を辰砂であると知らぬ時から、破壊神は彼に惹かれていた。今天界にやってきたのだって、結局は神の義理だとか義務だとかいうよりもまず辰砂の傍にいたいがためだろう。
 だがやはり古馴染みの神々が指摘する通り、以前とは少しばかり変わった部分も存在する。
「……っ! 貴様らっ!」
「ぎゃー! ちょっとやめっ」
 辰砂のことは確かに好きだ。口に出してそう言ったこともある。だがそれを人に笑いながら指摘されて平然としていられるほど大人にはなりきれない神。それが現在の破壊神。
 周囲がさっさと避難した次の瞬間、余計な口をきいたザッハールを中心に爆発音が響いた。