極再考を出したので改めて考える回想141

極再考を出したので改めて考える回想141

1.回想141再考

他の描写の解釈との整合性チェック兼ねて回想141の考察n回目。

修行手紙の言動からすると、回想141の「難儀」はやっぱり「直江兼続の刀である(から一言多い)」そのものだろうなと。ごっちんの来歴の前提、元主に関して全否定した形。

最近はまぁ「朧」だの「友」だので明らかにメディアミックス側との連動性が確認できますので、そろそろ本格的にメディアミックスの情報を参考にできる代わりに、そちらとの整合性も考えねばならない。

回想141は要は、ミュージカルの花影で鬼丸さんと話した時と同じ感じだろうと思います。

「鬼か 鬼なんて伝説上の生き物だろう」
「ならばおれは何を斬ったんだろうな」
「すまない 今のは忘れてくれ」

ここの部分、長義くん側はまず、鬼の存在自体を否定することで鬼斬りの逸話を否定。
しかし次の鬼丸さんの台詞で、それが鬼丸さんに対して失礼であったことを自覚して謝罪という流れ。

謝罪までの流れが早いので、多分長義くん自身も自分の言ったことが相手の信条によっては失礼にあたることは自覚している。
ただ、長義くん自身はそうじゃないんでしょう。回想141もおそらく同じこと。
修行手紙からすると、まず長義くん自身がそこに価値を置かないからこそこういうムーヴになる。

長義くんにとっての山姥切の逸話というものは、主が真剣に歴史を守るために長義に望むなら背負っても構わないが、長義自身は本当は望んではいない。程度のものでしょうね。修行手紙からすると。

回想141からすると、逸話だけじゃなく来歴や元の主などの影響も内心歓迎はしていない感があります。

花影での鬼丸さんの心情も、極後の今なら明らかに。
鬼を斬ったとは言われるがそれは夢の中でのこと、本当に鬼を斬ったと言えるのか。だからこそ返答が「ならばおれは何を斬ったんだろうな」になるわけで。

今考えるとやっぱり花影の男士の心情の描き方はきっちり原作ゲームの設定と連動してる。

鬼丸さんは自分が斬ったものは何なのかと自分も疑問を覚えていたからこそ、ああいう返答に。
ごっちんは自分が直江の刀であること愛しているタイプなので、元主の影響を疎ましく思うという考え自体があまりなくて「え?」になった。
長義くん側はその反応見て自分とは意見が違うと知ったからの謝罪。

鬼丸さんはまだともかく、ごっちんは多分長義くんと正反対なんだよね。

回想141からごっちんは憶測・物語の肯定者、極修行見る限り長義くんは逆、憶測よりも刀としての本質重視。

そう考えると長義くんの態度から見える思想に近いのは、猫の呪いを否定したい南泉だろうな。
ってことは、南泉の修行手紙を参考にした方がいいかもしれない。

与えられた逸話は望んだものではなく、疎ましく思うけれど、望まれていることを自覚したから受け入れる覚悟をする。結論に至る過程で必要なのは、

自分が存在したから真っ二つの猫が生まれた
自分が存在したから呪いが生まれた

ということ。

……これはやはり、南泉にとっての猫は長義にとっての国広では?

切れ味鋭い一文字はそこに在っただけで猫を真っ二つにして、長義の傑作はそこに在っただけで心を寄せられ写しが生まれた。
自分がいたから相手もそういう結果として生まれた、それはもう自分の一部だと認めるしかないと。

あ、そう言えば慈伝で国広が歓迎会の席で俯いちゃってる時の完全に猫の呪いに負けてる南泉と最後の手合わせに割って入った時のあれ(要見直し)。

ちょっとここはもうちょい考える必要性ありそうですが、長義くんの基本姿勢に関してはこれまでの情報で大体わかってきたなと。

花影の鬼丸さんにあれで、回想141のごっちんにあれで、刃に関わらない表層の物語は逸話も史実も同様に否定する。

じゃあ国広への「偽物くん」も、事実誤認の逸話を背負っていることの方か。

花影の長谷部との手合せから考えると、慈伝の手合わせは否定させて奮起させたいからあえてやってる。

国広に対する長義の心情がわかりやすいのは花丸(ただし漫画か小説版を参照)なんですよね。みんなに認められているのにいつも俯いていることが気に入らない。

長義くんが物語否定派の本質主義だとするとこの心情の意味がよくわかる。

何故そんな他者に押し付けられた表面的な逸話なんかに惑わされているんだと。
お前には実力があるんだから、「俺が本物だ!」と、叫べばいいのにと。

原作ゲームの「特命調査 聚楽第」。部隊に国広を入れると見られる回想で、戦う国広の姿というか、国広の活躍を見て苛立っているような描写があります。
Wikiで文章読んだだけだとピンと来てない部分もあったんですが、直接イベントをやったらやっぱりあれは監査官やってた長義くんが国広の活躍を見て何かに苛立つ描写だよなと。

でもじゃあ国広に嫉妬や憎悪を向けているかといえばそんな感じでもない。というか、それならさすがにその視線を向けられた国広の方が気づくのではないか? と思います。

これまでの情報を総合すると、やはりあれは国広がそれだけの実力を持っていることを知っていて、それなのに事実誤認の逸話を否定しないのが気に入らないって感じですかね。

極める前と後でだいぶ変わるんですが、本丸に配属されて直接話をするまでは国広側の細かい心情はわからなかったようですから、極めて自信を持った国広が長義くんにとっては微妙に予想外の角度から号と逸話の重要性を否定するのは予測できていなかったと。

でも正直回想57の極国広の主張は長義くん自身が言いたいこととも重なっている。だからこそうまい話し運びにならなくてあんな感じなのでは? とこれはまぁ以前から言っているのでいいとして。

原作ゲームからメディアミックスまで性格の一貫性は多分きちんと描写されているんだなと思います。どの本丸にもそれぞれの物語が当然あるけれど、根本は同じ山姥切長義。

長義くんの性格は憶測(考察)のうちでは描写の整合性とれてきたんだよな。でもやっぱはっきりした回答が欲しい。

 

2.難儀な彼ら

「難儀」は花影で小竜くんから長義くんへも使ってるんですよね。
そして小竜くんは道誉との回想164でダウトを指摘されてる。

他に「難儀」が使われているのは鳴狐と小狐丸の回想13。

男士の使う「難儀」という言葉は、やはり逸話や来歴などの性質に振り回されている状態を憐れむ言葉だと思うんですよね。

小竜くんは自分もその性質がある(定かな話かどうかも判らない元主・楠公への同情に振り回され、本心を口にしない)から長義くんの状態も理解して花影で「難儀」を口にした。

回想141の長義くんは一瞬ごっちんを自分の同類かと考えたんだろうけど、反応で違うと気づいたっていうのがあのオチかなと。

 

3.狐の性質

上で「難儀」が使われている場面を並べて気づいたんですが、もしかして長義くんと小竜くんの性質、「狐」そのままか?

回想13ではまあ我々にとってお馴染みの鳴狐の代わりに喋るお伴ちゃんの姿があるわけですが、「それ」こそが「狐」なのではないか?

回想其の13 『狐の話』

鳴狐 「……じーっ。」
小狐丸「 な、何じゃ何じゃ」
鳴狐 「おお! 小狐丸様、申し訳ありません、鳴狐があなた様に興味を持ってしまいまして」
小狐丸 「なるほど、同じ狐の眷属、仲良くしようぞ。……ところで、狐を使わずに普通に喋る事はできないのか?」
鳴狐 「いえいえ! わたくしはただの代理で、決して鳴狐が喋っているわけでは!」
小狐丸 「難儀なやつじゃのう……」

お伴が代理で喋る鳴狐の性質を見て、小狐丸が「難儀」と評する。

多分同じ狐属性でもこの二振りはまた別のテーマなんでしょうね。

そして今回は鳴狐の方に注目しましょう。
鳴狐の修行手紙も、キツネに関する説明ばっかりでなんじゃこりゃ? と思いつつ読んでいたんですが、もしかしてそこで説明してくれた狐の性質めっちゃ重要なんじゃ……。

お伴ちゃんは別に鳴狐の逸話で斬った化け狐というわけではなく、刀として過ごしていた鳴狐のもとにどこからともなくやってきていずれ出番が来ることを告げた謎の存在なんですよね。

そして修行手紙の一通目では、鳴狐に代わって手紙まで書こうとして「お節介」と言われている。

花影で小竜くんが長義くんに「難儀だなあ」と言った時、長義くんに「あなたこそお節介が過ぎると言われたことは?」と言い返されている。

これと一致しますね……。

「難儀」なものはまた、「お節介」でもある。

これが「狐」の性質だとしたら、小竜くんと長義くん両方当てはまるな。
この結論、以前も回想141や「難儀」について考察した時にも通った答ですよね。長義くんは難儀でもあり、お節介でもあるんだろうって。

そして長義くんはまだ決定的な描写が原作ゲームでありませんが、小竜くんは道誉との回想164「対極の好敵手」でダウト(嘘)を指摘されている。

喋っているのは自身というよりどこからかやってきた代理の狐で、その内容はある意味本心ではない、つまり「嘘」である。

鳴狐と「嘘」に関しては、大慶との回想149で出てきます。

お伴に関して「尾曳狐」だと嘘をついている。
館林城を守った尾曳狐に関しては以前調べてもあまりピンときませんでしたが、これ今度もうちょっと調べる必要がありそうですね……。

今はここで鳴狐がしれっと嘘をついて大慶を驚かせたことを思い出しましょう。

やっぱり「狐」と「嘘」はセットのようです。
そして「狐」の性質を持つ男士もそうなのか?
本音を言わない長義くんと、嘘をつく小竜くんと。

なかなか気になる方向に話が発展してきたと思います。
以前は小烏丸や大典太さんの話から「鳥」の性質について考えましたが、そのうち狐周りもまとめた方がいいでしょうね。

今回は発端が長義くんと回想141、つまりごっちんの話でもあるので、そちらをまとめます。

長義くんと小竜くんは確かに二振りとも難儀でお節介、本心を言わない嘘つきで、これが「狐」属性なのかもしれませんが、じゃあごっちんこと後家兼光は?

「難儀」自体は背負った逸話に何らかの形で振り回されることを指すと思うんですよね。それは長義、小竜、鳴狐、ごっちん、みんなに正直当てはまります。

長義くんと小竜くんの共通点は、自分が難儀で嘘つきなのを自覚しているところじゃないかなと思うわけです。

小竜くん自身は誰かに難儀とは言われていませんが、花影で長義くんに「難儀」と口にしたのは、小竜くん自身がそういう性質を持っているからだと思います。

長義くんが難儀なのは言うまでもないとして、じゃあごっちんは?

ごっちんは「難儀」ではあるようですが、じゃあ二振りと同じ「狐」属性かというとこれは違うような気がします。

ごっちんはおそらく「虎」。

ごっちんと長義くんの回想141の次が、ごっちんとごこちゃん、五虎退の回想142「あこがれとげんじつ」であることと関連していると思います。

後家兼光は、虎。そんでもって虎アレルギー。

この辺はごっちんが憶測と言う名の愛の肯定者であることと絡めて以前考察したものと関係すると思います。

狐の難儀さがお節介だけど本心を出せない嘘つきであると言うのなら、あこがれの虎は摂取できる容量が決まっていて、その量を超えたら体の防御反応に襲われるアレルギー体質。

なんとなくこれまで原作というよりメディアミックスで活躍した動物メタファーの重要性に手が届いてきた気がしますが、ちょっと今日は思考の限界なのでこの辺で終わりにしておきます。

この辺のことを考えながら鳴狐のキャラクター設定とか公式Twitterの説明読むと結構興味深いこと書いてあるんですけどね……。

狐に関してはやはり今まさに二年連続8月の対百鬼夜行でこんちゃんの話が進んでいたり、舞台でふくのすけが国広の修行と同道していたことなんかも合わせて考えなければならない。

ついでに小竜くんがなんでそんなに狐に関係ありそうなのかということも、対百鬼夜行の「ヤマタ(八岐大蛇)」がつまり蛇・竜であり鬼と狐と表裏の関係にあることとか考えないと。

話が複雑になりそうなんでまたの機会に記事を改めてやった方がいいですね。

ちょっとしばらく考察休んで別のことをやる予定なのでだいぶ先の話にはなりますが。