我々はやはり、基本的に歴史を改変してしまう側なんだな。
国広の修行手紙三通目の冒頭は、本歌を食い殺す正史を受け入れないための欺瞞だろう。
すなわち、歴史の否定。
そして長義くんの修行手紙三通目の三行も、本来は十分に特別なことである写しの誕生を、特別なことだとは思わないようにしたい、心情的な欺瞞。
うーん、色々考えた結果、極修行手紙の中身の予測は全然外れたんですが、刀剣男士としての変化の方向性は最初の予想と大体同じ方向に落ち着いたと思うんですよ、すなわち。
・逸話や号は本質的にはそれほど執着していない
(原作だけでなくメディアミックス側の補完が大きい情報だがほぼ確定)
・国広と存在を食い合う歴史が話の中核
(今回の考察の最終結論、手紙でほとんど言及しないけど実は全面的に国広の手紙と表裏になっている)
・国広から距離を取る、本歌であることから離れてくる
(これは今回の手紙や帰還台詞からも確実に読み取れる情報。予想と違ったのは、何故そういう心境に至ったかのヒントらしき情報がまったく出なかったところ、国広に実際どう接するかの情報もなし、内番手合せに変化があるらしいことは聞いたが未確認)
・自分が山姥切であることは認め、むしろ強調してくる
(予想としては当たっていたが、「主のための山姥切」という言葉の印象がなんか予想したものとは違うんですけどぉ……推しが怖いんですけどぉ……)
・己に寄せられた人の歴史や想いを背負ってくる
(刀剣男士として在り続ける、歴史を守り続けるという意味ではそうなんだが、これもなんか予想したイメージと違って、実際にはかなり虚無的な感情を持っている。
「どこに行っても正当な評価を得ることができる気がしない」)
あとは最近というか直前の考察の結論でしたが、物語上で「機械」化(木々に対する幾つもの戒め)の答になるんじゃないかというのはそのままだったと思います。
ただこれは印象から私が推察してるだけで、同じような感覚の人でないと証明したと言えるのか? と疑問ですね。
しかしまあ私的にこの結果からすると、一番最近で一番物語全体の一部で在る要素、「機械」化が話の主軸であって、長義くん個人の想い、考え方なんかは全部隠されて結果だけ見せつけられている、という結論です。あああああ。
考察としては自分の予想は何を見落としてこの結果(不可)になったかと考えると、原因はやはり「主」では。
メタファー「主」の意味の追求。
この辺が足りなくて、こういう方向の変化を予想できなかった気がします。
対大侵寇、そして対百鬼夜行。
「主」というメタファーであるプレイヤー我々がRPを担当する「審神者」という存在は刀剣男士の変化にどう関わるのか。
ここを見落とすと、精度の高い考察はできないようです。
今回はこれを反省文としたいのですが、じゃあメタファー「主」ってどこから読み取ればいいのかと言われると難しい問題過ぎる……。
今回の極修行で長義くんの国広に対する想いがある程度明かされると思ったのですが、実際には余計隠されて終わったな。と言うか、
国広も長義くんもさぁ……君ら、お互いに対する想いを隠すために主! って言ってくるのマジやめてくれる???(愚痴)
メタファー「主」は一体なんなんだ。むしろ我々審神者が一体なんなんだ……。
考察の結論としては、本歌と写しは今までの考察通り、本音を隠しているだけでお互いに対する執着や愛情自体がないとか失われたとかは思わないのですが、
ただ隠されている。仕組みはある程度判明したけど、それでも感情面に対する具体的な言及がなく、その想いはひたすら隠されている。
国広自身に対してどう思っているのかも。実際に逸話と号を持つのは国広であることに対してどう思っているのかも。
祈りも願いも祝福も。
嫉妬も憎悪も絶望も。
あまりにも丁寧に隠されすぎていて、本当はそこに何があるのかわからない。
下手な推察は厄介な妄想を生むことにしかならない。
やっぱりだめだ、時間を置いて冷静になればなるほどお手上げだよ。
私の能力ではまったく歯が立たないほど絶望的な情報量しか明かしてくれなくて不満だらけなんだけど、しかし出されたこの極修行という成果、山姥切長義の変化という物語自体は、それでも最高に美しい。もともとの魅力を、何一つ損なってはいない。相変わらず完璧だ。
これは作品を追っていく上では結構しんどいなと。
女性ファンが一番好きなのって結局こういう心情の考察だからね……。
彼の求める「正当な評価」は、文脈的には主に対してなまくらになったら折ってほしいという願いと繋がっている。
私が一番知りたかったもの、長義くんが本丸に降り立った当初、山姥切の名を巡る国広との関係に何をどう思っていたかに関しては完璧に隠されて推察の欠片もできない。
判明したのはむしろ、物語的な統合と分離の事情、存在を食い合う正史の関係におけるシステマティックな呪いのメカニズムの一端。審神者がその部分的な代替として機能するというただそれだけ。
厄介な状況だなー。やっぱ関連刀の追加に期待するしか。
手紙の三通目一行目、今現在だと別に間違いじゃないけれどとうらぶの世界観だと違和感しかないんだよね。単純に兄弟に怒られるぞ、君。
刀工・長義のもう一振りの傑作、第二次世界大戦で焼失した六股長義。
彼が蘇れば話は変わる。
長義くん自身は本心を言わないタイプだけど、他の刀が黙っていてくれるとは限らないからね。小竜くんに対する道誉みたいに。
同じ長義の傑作の一振り、六股長義。
北条氏と延々やりあって、小田原合戦後に長尾顕長が預けられた佐竹家の八文字長義。
この辺りの兄弟たちの追加に期待しようか。
追記:改めて審神者とは
私はやっぱりどこかで、長義・国広の物語の食い合いはあの二振りだけの話だと思ってたんだよな。
でも今回の長義くんの帰還台詞は……
俺こそが長義が打った傑作。君が歴史を守ろうとする限り、俺は山姥切を名乗り、実力を以て敵を斬る。俺の主の刀として。さあ、伝説を作りにゆこうか。
ま、巻き込まれた――!! 物語同士の食い合いに私もばっちり巻き込まれてる――!?(ガビーン)
あくまで傍観者のつもりだったのに、これじゃ完全に当事者だ! 油断すれば、歴史を守らず自分の本能に叛けば、その瞬間に食い殺されるのは私もじゃん!!
むしろ、今まで鈍い自分が気づかなかっただけで、
「審神者」「主」という存在は、最初から当事者だったんだな。
食い食われ、愛し愛され、斬り斬られる、物語同士の連綿たる分離と統合の円環の。
「審神者」は神の声を聞くもの。では神である刀は?
「物(鬼)」は物語を語るだけでなく、「監査官」は審神者を見ている。
一文字則宗が正月の監査官を名乗るなら、西洋ではハロウィンとも呼ばれる10月の末に現れた山姥切長義は、神無月の監査官ではないのか。
神のいない月、朧月との会話から、もしかしたらあちらもこちらを見ているかもしれない月。
……なんかおっそろしい世界に足を踏み入れてしまいました……。えーん。
刀剣男士たちが主、主って懐いているのは我々の感覚的なもので言う愛情ではないんだな。メタファー「愛」ではあるけれど、その実質は相手の物語と連結し融合しいずれ自分に取り込むための、物語同士の凄絶な食い合いだ……。
長義くんに対する私の「怖い」は実は初めてじゃないんですよね。
Twitterの方でさらっと書いた気がするけど、ごっちん登場時に回想141でなんか底知れなさがあって直感的に怖いなーとは思ったんだよね。その後の考察の過程で忘れてたけど。
多分長義くんのキャラ自体は、登場時も、回想141も、今回の極修行もちゃんと一貫してる。
自分に自信があり、他に臆する事がない。
何故私は回想141で直感的に「怖いな」って感じたんだろう……。
思い返すと多分、まだ説明前とはいえごっちんの元主である直江兼続と言う存在を、あっさり否定してしまったところじゃないかな。
その後すぐに自分も一言多かったって謝りはしたけど、これは多分……。
後家兼光は元主を大切に想っている。けれど、山姥切長義はそうではない。
普通言わないよねそれ、みたいなことが咄嗟に口を衝いて出てしまうのは、長義くんにとってそれらは本当にどうでもいいことだからだろう。
国広に対しての「偽物」も、後家兼光に対しての「難儀」も、
自分を「折れ」、そして遠回しに歴史を守らなければ、「主」である我々も殺すと宣告できる刀が、その程度の文言を口にすることを、そもそも怖がるはずがなかった。
何事にも臆することなく、進みすぎてしまう。
ただ、派生の一つであるキャラソン、「離れ灯籠、道すがら」の歌詞から考えると、臆さないというか、もともと臆することのできない、前進しか残されていない背水の陣状態なだけの気もする……。
離れ灯篭の歌詞は一回見直さなきゃいけない気がするんだが(渦とかも対百鬼夜行考えると気になる)、いかんせんキャラソンの歌詞って引用できないからさぁ(遠い目)。
それはともかく、今の主に遠回しに役目を果たさなかったら……的な物言いをできる男士が他者の主を否定することができるのはある意味当然だよね、と。
そしてそれこそが人間性の排除、機械化、すなわち心が化け物になる……山姥の呪いなんでしょうねと……。
我々が歴史を守る限り、山姥切……「山姥切長義」の名を成立させ続ける限り、長義くんもそういう山姥切長義でいてくれる。
けれどもしもこの先、歴史を守ることができなかった場合は。
結末の予告は、すでにされている。審神者、我々本丸の主という存在は最初から当事者。
己の刀相手であっても物語を食い合う、この盤面から降りることは、もはやできない。