亀甲貞宗

きっこうさだむね

  1. 概要
    1. 「刀 無銘貞宗(名物亀甲貞宗)」「太刀 無銘(名物亀甲貞宗)」
    2. もと雲州松江の藩祖・松平出羽守直政所持、のち奥州窪田の領主・土方家に
    3. 土方家以後の伝来、本阿弥家または赤沢某から南部家へ
      1. 本阿弥家から南部家へ売った
      2. 赤沢某から南部行信へ
    4. 南部家から尾張徳川家へ譲られる
    5. 1698年(元禄11)3月18日、尾張徳川家から5代将軍・徳川綱吉に献上される
    6. 以後、徳川将軍家伝来、親から子へ祝いの際に贈られてきた歴史
      1. 宝永元年(1704)12月5日、5代将軍・綱吉は新たに養子にきまった家宣に譲った
      2. 享保9年(1724)12月朔日、8代将軍吉宗は長子に家重という名を与えた時、亀甲貞宗を譲った
      3. 元文5年(1740)12月15日、9代将軍家重は長子に家治という名を与えた時譲った
      4. 宝暦12年(1762)11月朔日、10代将軍家治は長子竹千代、のちの家基(早世)の誕生七夜の祝いとして、亀甲貞宗を与えた
    7. 1933年(昭和8)7月25日、重要美術品認定
    8. 1936年(昭和11)5月6日、国宝(旧国宝)指定
    9. 将軍家を出て個人蔵へ
      1.  所有者変更の記録
    10. 1965年(昭和40)5月29日、国宝(新国宝)指定
    11. 現在は「東京国立博物館」蔵
    12. 作風
    13. 出雲神社との関係?
    14. 異説 最上義光や明智光秀の蔵刀?
  2. 調査所感
    1. 最上義光所持説と明智光秀所持説の検討
      1. 『享保名物帳』の誤読ではないか?
      2. 『享保名物帳』はどれだけの人が読んでいるか
      3. 誤説の上に誤説を形成する、亀甲貞宗と笹切の同一視
  3. 参考サイト
  4. 参考文献
  5. 概説書

概要

「刀 無銘貞宗(名物亀甲貞宗)」「太刀 無銘(名物亀甲貞宗)」

『享保名物帳』所載、鎌倉時代末期の刀工・相州貞宗作。

茎は大磨り上げ、無銘。
佩き表の中心先に、花亀甲の彫物がある。
亀甲貞宗の異名はこれから採ったものとされるが、花亀甲紋自体の由来は不明。

『享保名物帳』によると、
もと雲州松江の藩祖・松平出羽守直政所持、のち奥州窪田の領主・土方家にあった。

『享保名物帳』によると土方家から本阿弥家(光甫もしくは光秀)が求めて南部家へ売ったとあるが、『登曽双紙』では南部家の臣・赤沢某が商人から買ったものを南部行信に見せたところ、南部行信が買い上げたとなっている。

どちらによせ南部家へ伝わった後、尾張徳川家から亀甲貞宗を譲るよう頼まれた南部家は速やかにこの刀を尾張徳川家へ送ったという。

『徳川実紀』などによると、1698年(元禄11)3月18日、尾張徳川家から5代将軍・徳川綱吉に献上され、以後徳川将軍家の伝来。

1933年(昭和8)7月25日、重要美術品認定。
1936年(昭和11)5月6日、国宝(旧国宝)指定。

戦後は徳川将軍家を出て、個人蔵となり、中島喜代一氏や渡辺三郎氏などの手を渡る。

1965年(昭和40)5月29日、国宝(新国宝)指定。

1991年頃、渡辺誠一郎氏により「東京国立博物館」へ寄贈される。

現在も「東京国立博物館」蔵。

もと雲州松江の藩祖・松平出羽守直政所持、のち奥州窪田の領主・土方家に

『享保名物帳』によると、
もと雲州松江の藩祖・松平出羽守直政(1601~1666)所持。
のち奥州窪田の領主・土方家にあった。

『日本刀大百科事典』では、
土方家が貞享元年(1684)、伊賀守雄隆のとき継嗣をめぐるお家騒動で断絶となったので亀甲貞宗も売りに出されたのだろうとみている。

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会 編
目次:(中) 同右
ページ数:43 コマ数:24

御物
亀甲貞宗 長さ貳尺三寸四分金貳百枚代付 磨上無銘亀甲の紋一つ中心先にあり拝観長賀

中心裏に亀甲有元松平出羽守殿所持其以後土方殿に有光秀求南部殿へ売る又其後尾張殿御求元禄十一寅三月十八日綱吉公御成之節宗瑞正宗と一所に上る

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:貞宗、行光、新藤吾の部
ページ数:138、139 コマ数:84

御物(前将軍家)
亀甲貞宗 長貳尺三寸四分 金貳百枚代付

忠表に亀甲あり元と松平出羽守殿所持、其以後土方殿に有り光甫求め南部殿へ売る、又其後ち尾張殿御求め元禄十一年寅三月十八日綱吉公御成の砌、宗瑞正宗と一所に上る。

土方家以後の伝来、本阿弥家または赤沢某から南部家へ

土方家から南部家へ渡った経緯は「本阿弥家」と「赤沢某」の2説ある。
本阿弥家か赤沢某か、本阿弥家は光甫か光秀かの細かい違いはあるが、赤沢某が本阿弥家について鑑定を学んでいたという事情から、どちらにせよ本阿弥家の周辺を経由して土方家から南部家へ渡ったという大筋は変わらないようである。

本阿弥家から南部家へ売った

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』によると「土方殿に有り光甫求め南部殿へ売る」。
『刀剣名物牒』によると「土方殿に有光秀求南部殿へ売る」。

本阿弥光甫か本阿弥光秀かどちらにしろこの文面だと「土方家」にあった亀甲貞宗を「本阿弥家」が求めて「南部家」へ売ったようである。

赤沢某から南部行信へ

『登曽双紙』では赤沢某が商人から買ったことになっている。

赤沢某(南部家の臣)は和歌を好み目利きもしていたことから本阿弥家にも出入りしていた。
ある年、商人が貞宗の刀を持ってきたので150両で買った。
赤沢がこの刀を南部行信に見せたところ、大いに喜びこの刀を買い取って赤沢には褒美を与えた。

『日本刀大百科事典』によると、
赤沢某はかねて本阿弥家について鑑定を学んでいたというから、本阿弥家を通して買ったのであろう。
とのことである。

この話の出典は『登曽双紙』とされる。

刀剣関係の書籍だと『登曽双紙』表記が多いが同じ内容と思われる『登曽草紙(登礎草紙)』が『岩手史叢 第2巻』に収録されている。

『岩手史叢 第2巻』(データ送信)
著者:岩手県立図書館 編 発行年:1973年(昭和48) 出版者:岩手県文化財愛護協会
目次:登礎草紙巻之三
ページ数:249、250 コマ数:143、144

南部家から尾張徳川家へ譲られる

『登曽双紙』によると、

ある時尾張徳川家からこの刀を譲ってほしいという申し出があった。
もともとこの刀は尾張徳川家の旧蔵であったが仔細あって人に与えたものである。

献上の刀は200枚以上の折紙が必要なのでこの刀を献上したいということだったので、南部家は速やかに承諾して亀甲貞宗を尾張徳川家へ譲った。

尾張徳川家からはその返礼として道誉一文字の太刀、綾小路行光の短刀が贈られた。

1698年(元禄11)3月18日、尾張徳川家から5代将軍・徳川綱吉に献上される

『徳川実紀』『鸚鵡籠中記』などによると、
尾張徳川家では1698年(元禄11)3月18日に5代将軍・徳川綱吉お成りの時に亀甲貞宗と宗端正宗の短刀を献上している。

『徳川実紀 第4編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻卅七 (元禄十一年正月−六月)
ページ数:591 コマ数:302

『名古屋叢書 続編 第10巻 (鸚鵡籠中記 第2)』(データ送信)
著者:名古屋市教育委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:名古屋市教育委員会
目次:鸚鵡籠中記 弐之巻 巻之八 元禄十一戊寅歳
ページ数:87 コマ数:50

以後、徳川将軍家伝来、親から子へ祝いの際に贈られてきた歴史

1704年 5代将軍綱吉から養子の家宣へ。
1724年 8代将軍吉宗から長子の家重へ。
(1740年 9代将軍家重から長子の家治へ。)
1762年 10代将軍家治から竹千代(のちの家基、早世)へ。

宝永元年(1704)12月5日、5代将軍・綱吉は新たに養子にきまった家宣に譲った

(「綱豊」=「徳川家宣」)

『徳川実紀 第4編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻五十 (宝永元年七月−十二月)
ページ数:820 コマ数:417

綱豊卿に御手づから御伝家の御宝亀甲貞宗の御刀。来国光の御差添まいらせ給ふ。

享保9年(1724)12月朔日、8代将軍吉宗は長子に家重という名を与えた時、亀甲貞宗を譲った

『徳川実紀 第5編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻十九 (享保九年七月−十二月)
ページ数:814 コマ数:413

〇十二月朔日月次なり。けふ 若君へ御名進らせられ 家重公と称し奉る。よりて御座所にて御対面あり。御みづから亀甲貞宗の御刀に巻物そへて進らせられ御饗応あり。

元文5年(1740)12月15日、9代将軍家重は長子に家治という名を与えた時譲った

『日本刀大百科事典』で元文5年に家重が長子に家治という名を与えたときに亀甲貞宗を譲ったと説明されているが、『徳川実紀』の12月15日の記述そのものには亀甲貞宗の名は見えない。
(次の項目で家治が同じように長子に与えていることは確定なのでこの刀が与えられたと考えても違和感はないが)

『徳川実紀 第6編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻五十二 (元文五年七月−十二月)
ページ数:59 コマ数:34

〇十五日 竹千代君に御名進らせられ。 家治公と称し奉る。よて 大納言殿よりは家守の御刀をまいらせられ。

宝暦12年(1762)11月朔日、10代将軍家治は長子竹千代、のちの家基(早世)の誕生七夜の祝いとして、亀甲貞宗を与えた

『徳川実紀 第7編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻六 (宝暦十二年七月−十二月)
ページ数:97 コマ数:54

若君に亀甲貞宗の御刀。

1933年(昭和8)7月25日、重要美術品認定

昭和8年(1933)7月25日、重要美術品認定。
徳川家達公爵名義。

「太刀 無銘(名物亀甲貞宗)」

『官報 1933年07月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百七十四号 昭和八年七月二十五日
ページ数:656 コマ数:5

1936年(昭和11)5月6日、国宝(旧国宝)指定

昭和11年(1936)5月6日、国宝(旧国宝)指定。
徳川家達公爵名義。

「太刀 無銘(名物亀甲貞宗)」

『官報 1936年05月06日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1936年(昭和11) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百二十七号 昭和十一年五月六日
ページ数:173 コマ数:3

将軍家を出て個人蔵へ

徳川家を出た後、中島喜代一氏などの手を渡って渡辺三郎氏の所蔵となる。

中島喜代一氏や渡辺三郎氏の話はこの辺りで読める。

『日本刀全集 第9巻』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:徳間書店
目次:愛刀家談義 中島喜代一 コマ数:134
目次:愛刀家談義 渡辺三郎 コマ数:135

 所有者変更の記録

下記の官報で
「刀無銘(傳貞宗)」(昭和十一年文部省告示第二百二十六号)の所有者が昭和20年4月27日(1945)に徳川家正公爵から中島喜代一氏に変更されている。
(1947年の官報だが変更自体は1945年、変更申請からその受理までの間に終戦を迎えているようである)

号は書いていないがこれが所有者や告示の年から見て「亀甲貞宗」のことだと考えられる。

『官報 1947年04月17日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1947年(昭和22) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第五十四号 昭和二十二年四月十七日
ページ数:171 コマ数:16

下記の官報で「刀無銘伝貞宗」の所有者が昭和24年12月13日(1949)に中島タマ氏から高橋一江氏に変更されている。
(1950年の官報だが変更自体は1949年)

『官報 1950年03月31日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1950年(昭和25) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第十六号 昭和二十五年三月三十一日
ページ数:393 コマ数:5

上で亀甲貞宗の旧国宝指定の出典を「昭和十一年文部省告示第二百二十七」号と紹介したが、旧国宝の指定は重要美術品認定の資格消失とセットなので、二百二十六号が新たに認定された国宝、二百二十七号が国宝指定と共に重要美術品の資格消失となった品一覧という書き方の都合により、告示の扱い的には亀甲貞宗の旧国宝指定は「昭和十一年文部省告示第二百二十六号」が正しいのだと考えられる。

また、これらの動きは同じく徳川将軍家伝来の国宝である「三日月宗近」とほぼ同じだと考えられる。

1950年に同じ住所だが別の高橋氏が中島氏から複数の国宝の所有者変更を行っているので、中島氏所有の国宝を高橋氏が家族と一緒に複数まとめて入手したようである。

この次の渡辺氏所有も「三日月宗近」と「亀甲貞宗」は同じだが、新国宝指定の時期は異なっている。

下記の本が「三日月宗近」と「亀甲貞宗」がこの時期両方とも渡辺誠一郎氏の所有する国宝であることがわかりやすい。

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(雑誌・データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:18 コマ数:19

1965年(昭和40)5月29日、国宝(新国宝)指定

昭和40年(1965)5月29日、国宝(新国宝)指定。

「刀 無銘貞宗(名物亀甲貞宗)」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(雑誌・データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:18 コマ数:19

現在は「東京国立博物館」蔵

「国指定文化財等データベース」によると、

現在の所有者は「独立行政法人国立文化財機構 」
保管施設は「東京国立博物館 」

「東京国立博物館」のサイトによると、寄贈者は渡辺誠一郎氏(渡辺三郎氏の子息)。

下記の雑誌によれば寄贈時期は1991年頃。

「古美術 (104)」(雑誌・データ送信)
著者:三彩社 [編] 発行年:1992年11月(平成4) 出版者:
目次:特集記事 東京国立博物館120年のあゆみ・年表
ページ数:40 コマ数:22

作風

刃長二尺三寸四分(約70.9センチ)、表裏に二筋樋をかく。
地鉄は板目肌、地沸えよくつくが、心金の出た所がある。
刃文は彎れ風の乱れ刃まじり、砂流し・金筋はしる。
鋩子は乱れこんで小丸。
茎は大磨り上げ、無銘。
佩き表の茎先に、花亀甲紋の彫物がある。

異名はこれから採ったもの。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:きっこうさだむね【亀甲貞宗】
ページ数:2巻P94

出雲神社との関係?

『日本刀大百科事典』では出雲神社の神紋が亀甲紋であることから、この刀の紋も直接的ではなくとも出雲神社と何らかの関係がありそうだと福永酔剣氏が推測している。

異説 最上義光や明智光秀の蔵刀?

『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』によると、「徳川家以前には、最上義光、明智光秀の蔵刀であった事がある」とされている。

しかし、その説には根拠となる出典が載せられておらず、上で一通り確認したように亀甲貞宗に関する史料で最上義光や明智光秀との関連を示すものはない。

『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:古刀の部 三八 刀 無銘伝貞宗(国宝・名物亀甲貞宗) 東京 公爵徳川家正
コマ数:92、93

調査所感

亀甲くんの情報……情報量が、多い!!

この辺りを調べている途中で国立国会図書館デジタルコレクションがパワーアップしまして、これまで検索に引っかからなかった文面がじゃんじゃん検索に引っかかるようになったために一気に情報量が増えた刀の一振りです。

・号の由来は花亀甲の彫物から

『日本刀大百科事典』などによると、号の由来は花亀甲の彫物からとされている。

ただし、号の由来は明確だが、号の由来となっている花亀甲紋が何に由来して彫られたのかは不明とされていることが多い。

酔剣先生が出雲大社の関係がどうのと推測を出しているのは、この花亀甲紋自体がどこから来たのかを号の由来にも関わることだから考えているってことですね。

最上義光所持説と明智光秀所持説の検討

亀甲くんに関しては比較的初期にひいこら言いながら調べて全振り終わってから2周目の調査に入ったんですが、1周目で見つけられなかった最上義光所持説と明智光秀所持説の紙の資料見つけました。

この2説、ネット上では見かけるけど紙の資料見たことないなと思ってたんですが、デジコレで読める『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』に載ってました。おい俺、1周目見落とし。

まぁそう書いてあるだけで肝心の根拠となる史料名なんもないんですが……。

更に言うと、1936年(昭和11)の『国宝刀剣図譜』あたりの刀剣書だと「最上家の重宝であったと伝え享保名物帳にも所載あり」って感じで、1966年(昭和41)『日本刀講座 第2巻 新版』になると「『名物帳』によればかつて最上家の重宝であり」となっていきます。

……『名物帳』にそんなこと書いてなくなーい?(上記来歴を見ながら)

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会 編
目次:(中) 同右
ページ数:43 コマ数:24

御物
亀甲貞宗 長さ貳尺三寸四分金貳百枚代付 磨上無銘亀甲の紋一つ中心先にあり拝観長賀

中心裏に亀甲有元松平出羽守殿所持其以後土方殿に有光秀求南部殿へ売る又其後尾張殿御求元禄十一寅三月十八日綱吉公御成之節宗瑞正宗と一所に上る

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:貞宗、行光、新藤吾の部
ページ数:138、139 コマ数:84

御物(前将軍家)
亀甲貞宗 長貳尺三寸四分 金貳百枚代付

忠表に亀甲あり元と松平出羽守殿所持、其以後土方殿に有り光甫求め南部殿へ売る、又其後ち尾張殿御求め元禄十一年寅三月十八日綱吉公御成の砌、宗瑞正宗と一所に上る。

『享保名物帳』の誤読ではないか?

つまりここから考えられる可能性は2つ。

1.『享保名物帳』には異本が多いので最上義光所持と書かれた本が実際にどこかにある
2.『享保名物帳』にそう書いてあったという誤読や思い込みよる誤説

このどちらかで、さらに言えば2だと思います。

高瀬羽皐氏の『詳註刀剣名物帳』も中央刀剣会の『刀剣名物牒』も異本の情報はわりと書いてある本ですが亀甲貞宗の項目はどちらもそういう注記はありません。
持っている家がまったく違うくらい大きな差があれば『名物帳』の記述を研究している研究者が必ずツッコミを入れると思います。

そして亀甲貞宗は同じ将軍家伝来の刀として三日月宗近とよくセットになっていますが、その三日月も昭和前期辺りの刀剣書で当然のように足利将軍家とかかわりがあるかのように言われているけど実際にはそんな資料がない、という刀であることを考えると、亀甲貞宗が最上家に関わりがあるという話はこの時期につき物の誤伝ではないかと思います。

『享保名物帳』による亀甲貞宗の最初の主として判明しているのは「松平出羽守殿」。

……「出羽」という地名だけ伝わって「最上義光」と結びつけられたのでは?

そうなると明智光秀とかかわりがあるんじゃなく「本阿弥光秀」が「明智光秀」に間違われたのでは?

『詳註刀剣名物帳』では「光甫」になってる部分、中央刀剣会の『刀剣名物牒』だと「光秀」になっています。つまりこの部分は「本阿弥」家の人を指すはずですが、そういう予備知識がないと光秀と聞いたら明智光秀を思い浮かべてしまう、ということではないかと。

(『登曽双紙』の赤沢某も本阿弥家と縁があったので、ここは光甫か光秀のどちらかの「本阿弥家」とした方が来歴としての矛盾も少なくなる)

『享保名物帳』はどれだけの人が読んでいるか

我々はデジコレのおかげで『詳註刀剣名物帳』読み放題ですが、当時の刀剣研究者はどれくらい『名物帳』を実際に読んでいたのか? という問題があります。

『名物帳』の話題は刀剣の研究書でかなりとりあげられることが多いので研究者はみんな読んでいるんだろうくらいに考えていたんですが、最近もしかして違うかもしれないと思い始めました。

『名物帳』と名のつく資料は研究者でも実物を目にしている人は案外少ないのではないだろうか。

と言うのも、『刀剣刀装鑑定辞典』の名物関係の記述がかなり今村長賀氏や高瀬羽皐氏の言を引っ張ってきているので、史料そのものじゃなくこちらをかなり参考にしている可能性がある、と。

当時の研究者たちで、実際に『名物帳』の文面を確認できた人はどれくらいいたのか。

『名物帳』の文面を直接確認したならしないような間違いも、伝聞だけで知識を得ると容易に起こりうるという問題があります。

『享保名物帳』と呼ばれる本がこの時期(大正から昭和前半ぐらいにかけて)に読むことがそれほど容易ではなく、人から人へ口伝えで情報が伝わっていったなら、出羽と聞いて「最上義光」、光秀と聞いて「明智光秀」を連想してしまうことはあるのではないかと思います。

誤説の上に誤説を形成する、亀甲貞宗と笹切の同一視

以上によりまず亀甲貞宗の最上義光所持説自体が間違いだと思われるんですが、それを前提にした更に近年の誤説と思われるものが亀甲貞宗と「笹切」の同一視です。

亀甲貞宗の別名が笹切だという説は要するに、最上家伝来の「笹切」が「貞宗」だという話(『義光記』『奥羽英慶軍記』)などがあるので、亀甲貞宗がもと最上義光所持ならこの軍記類で「笹切」と呼ばれている貞宗の太刀と同じ物なんだと判断しているようです。

これ、最近の雑誌記事で私もそれ自体は読んでいないんですが、審神者の間で亀甲くんの別名が笹切みたいに広まっちゃってるみたいなんですよね……。

この手の話は、それこそ三日月が昔の刀剣書でもと足利将軍家所持になっていることを前提に永禄の変で義輝が云々と土台の調査をしっかりせずにどんどん憶測で派手な伝説、有名武将との関連を求めて話が発展していっちゃったのと同じことだと思われます。要するに付会かと。

そしてある程度調べてわかりましたが、この手の付会は名刀にはとかく付き物といっていいぐらいよくある話なので、こういう話が存在することも調べたら出典ないじゃねーか! ってなるのも、まあ正直刀剣界にはよくある話なんだと思われます。

参考サイト

「国指定文化財等データベース」

参考文献

『刀剣講話 2』
著者:別役成義, 今村長賀 述 発行年:1898-1903年(明治31-36)
目次:第三 同国物にして作の相違
コマ数:89

『徳川実紀 第4編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:卷卅七(元祿十一年正月―六月) ページ数:591 コマ数:302
目次:巻五十 (宝永元年七月−十二月) ページ数:820 コマ数:417

『徳川実紀 第5編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻十九 (享保九年七月−十二月)
ページ数:814 コマ数:413

『徳川実紀 第7編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻六 (宝暦十二年七月−十二月)
ページ数:97 コマ数:54

『史籍集覧 第16冊 改定』
著者:近藤瓶城 編 発行年:1906年(明治39) 出版者:近藤出版部
目次:第二百五十七 本阿彌次郞左衛門家傳
ページ数:491 コマ数:251

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:五 相州物(中) ページ数:47 コマ数:31
目次:二十 同国物にして作の違ふ所を弁す(五) ページ数:173 コマ数:96

『戸田茂睡全集 (国書刊行会本) 』
発行年:1915年(大正4) 出版者:国書刊行会
目次:御當代記
ページ数:155 コマ数:87

『光悦 天』
著者:光悦会 編 発行年:1916年(大正5) 出版者:芸艸堂
目次:チ 翁の曾孫光傅
ページ数:306 コマ数:218

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:貞宗、行光、新藤吾の部
ページ数:138、139 コマ数:84

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:357 コマ数:198(もしくは199)

『趣味の日本史  第5巻』
著者:新保磐次 発行年:1924~1926年(大正13~15) 出版者:金港堂書籍
目次:第百十三代 東山天皇 綱吉執政の二=元祿時代
ページ数:203 コマ数:110

『刀剣雑話』
著者: 室津鯨太郎(川口陟) 発行年:1925年(大正14) 出版者:南人社
目次:六 本阿彌家の人々 三 嫡家系
ページ数:98  コマ数:73

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会 編
目次:(中) 同右
ページ数:43 コマ数:24

『継平押形 : 附・本阿弥光徳同光温押形集』
著者:羽沢文庫 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:羽沢文庫
目次:亀甲貞宗
ページ数:48 コマ数:56

『刀剣之新研究』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1929年(昭和4) 出版者:太陽堂書店
目次:二 東海道十五ケ國
ページ数:351 コマ数:198

『秋霜雑纂 前編』
著者:秋霜松平頼平 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
目次:圖書十五條 (三百六十) 目利者 赤澤某
ページ数:222、223 コマ数:137

『官報 1933年07月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百七十四号 昭和八年七月二十五日
ページ数:656 コマ数:5

『大日本刀剣新考 訂』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:第三章 古刀略志(第二) 東海道
ページ数:454 コマ数:534

『日本刀通観』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1935年(昭和10) 出版者:岡本偉業館
目次:第一編 第一章 日本刀史の十斷面 コマ数:60

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:キツカウサダムネ【亀甲貞宗】
ページ数:128 コマ数:75

『国宝略説 昭和11年度』
著者:文部省宗教局 編 発行年:1936年(昭和11)出版者:文部省宗教局
目次:刀剣 刀 無銘伝貞宗 一口
ページ数:69、70 コマ数:46、47

『官報 1936年05月06日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1936年(昭和11) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百二十七号 昭和十一年五月六日
ページ数:173 コマ数:3

『文部省認定重要美術品目録』
著者:章華社編輯部 編 発行年:1937年(昭和12) 出版者:章華社
目次:刀劍之部 コマ数:116

『日本美術年鑑 昭和12年版』(データ送信)
著者:美術研究所 編 発行年:1937年(昭和12) 出版者:美術研究所
目次:同重要美術品認定 附同解除 コマ数:105

『国宝刀剣図譜 古刀の部 大和,相模,越中,但馬,伯耆』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:岩波書店
目次:国宝刀剣図譜 古刀の部 大和
コマ数:85、87

『東京帝室博物館復興開館陳列案内』
著者:帝室博物館 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:東京帝室博物館
目次:四、陳列總目錄
ページ数:173 コマ数:90

『東京帝室博物館復興開館陳列目録 第6』
著者:東京帝室博物館 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:東京帝室博物館
ページ数:132 コマ数:70

『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:古刀の部 三八 刀 無銘伝貞宗(国宝・名物亀甲貞宗) 東京 公爵徳川家正
コマ数:92、93

『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:名物牒記載の名物
ページ数:67 コマ数:44

『大日本刀剣商工名鑑』
著者:金関阿久利 編 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀剣新聞社
目次:昭和八年七月二十五日附官報
ページ数:35 コマ数:21

『日本刀襍記』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1943年(昭和18) 出版者:照文閣
目次:雜書渉獵 亀甲貞宗百五十両
ページ数:266、267 コマ数:136

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録 刀 無銘(傳貞宗)(名物亀甲貞宗)
ページ数:38 コマ数:36

『日本刀各時代の様相 (美術懇話会叢書 ; 第3) 』(データ送信)
著者:三矢宮松 発行年:1943年(昭和18) 出版者:清閑舎
目次:五 吉野時代
ページ数:39 コマ数:31

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:解説
コマ数:181

『日本古刀史』(データ送信)
著者:本間順治 発行年:1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三、鎌倉時代 貞宗
ページ数:58、59 コマ数:65

「刀剣史料 (27)」(雑誌・データ送信)
発行年:1961年3月(昭和36) 出版者:南人社
目次:幕末刀剣風俗――(八) / 大臥山人
ページ数:17 コマ数:10

『正宗とその一門』(データ送信)
著者:本間順治、佐藤貫一編 発行年:1961年(昭和36) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:29 重文 刀 無銘 貞宗(亀甲貞宗) 1口 渡辺誠一郎氏蔵
ページ数:58、59 コマ数:104、105

『福井県郷土叢書 第7集 (国事叢記 上)』(データ送信)
著者:福井県立図書館, 福井県郷土誌懇談会 共編 発行年:1961年(昭和36) 出版者:福井県郷土誌懇談会
目次:国事叢記上細目次 第七
ページ数:678 コマ数:355

『名古屋叢書 第4巻 (記録編 第1)』(データ送信)
著者:名古屋市教育委員会 編 発行年:1962年(昭和37) 出版者:名古屋市教育委員会
目次:金府紀較抄
ページ数:126 コマ数:78

『近江今昔』(データ送信)
著者:中神天弓 発行年:1964年(昭和39) 出版者:滋賀郷土史刊行会
目次:36、碁譜を見てもピンと来んが
ページ数:209 コマ数:111

『Museum (172)』(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1965年7月(昭和40) 出版者:東京国立博物館
目次:名物亀甲貞宗 佐藤貫一
ページ数:19~21 コマ数:11、12

『名古屋叢書 続編 第10巻 (鸚鵡籠中記 第2)』(データ送信)
著者:名古屋市教育委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:名古屋市教育委員会
目次:鸚鵡籠中記 弐之巻 巻之八 元禄十一戊寅歳
ページ数:87 コマ数:50

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) [本編]』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:図版
コマ数:230、231

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) 解説』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品
ページ数:83 コマ数:99

『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣出版
目次:新版日本刀講座<古刀鑑定編(上)> 目次
ページ数:58、59 コマ数:43

『日本刀全集 第3巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀(畿内・東海道・東山道・西海道)小泉富太郎
コマ数:42

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(雑誌・データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:18 コマ数:19

『日本刀全集 第9巻』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:徳間書店
目次:愛刀家談義 中島喜代一 ページ数:261 コマ数:134
目次:愛刀家談義 渡辺三郎 ページ数:263 コマ数:135

『国宝 : 原色版 第9 (鎌倉 第3)』(データ送信)
著者:毎日新聞社「国宝」委員会事務局 編 発行年:1969(昭和44) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品 コマ数:59
目次:解説 ページ数:141 コマ数:145

『日本刀講座 第10巻 新版』(データ送信)
発行年:1970年(昭和45) 出版者:雄山閣出版
目次:新版日本刀講座<研究総括編> 目次 図―97
コマ数:61

「刀剣と歴史 (459)」(雑誌・データ送信)
発行年:1971年1月(昭和46) 出版者:日本刀剣保存会
目次:口絵 亀甲貞宗の刀
コマ数:3

「刀剣と歴史 (462)」(雑誌:データ送信)
発行年:1971年7月(昭和46) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名物の相州物(下) / 辻本直男
ページ数:19、20 コマ数:14、15

『岩手史叢 第2巻』(データ送信)
著者:岩手県立図書館 編 発行年:1973年(昭和48) 出版者:岩手県文化財愛護協会
目次:内史畧 前十二 ページ数:75 コマ数:56
目次:登礎草紙巻之三 ページ数:249、250 コマ数:143、144

『神奈川県史 通史編 1 (原始・古代・中世)』(データ送信)
著者:神奈川県県民部県史編集室 編 発行年:1981年(昭和56) 出版者:神奈川県
目次:第四節 金工の文化
ページ数:714 コマ数:382

『岩手史叢 第7巻 (見聞随筆 下)』(データ送信)
著者:岩手県立図書館 編 発行年:1983年(昭和58) 出版者:岩手県文化財愛護協会
目次:見聞随筆 巻之十一 主な事項のみ頭注す(常憲院贈大相国公実記)
ページ数:163 コマ数:102

「刀剣と歴史 (557)」(雑誌・データ送信)
発行年:1987年5月(昭和62) 出版者:日本刀剣保存会
目次:雑書渉猟 / 村山汎悠
ページ数:39、40 コマ数:24、25

「古美術 (104)」(雑誌・データ送信)
著者:三彩社 [編] 発行年:1992年11月(平成4) 出版者:
目次:特集記事 東京国立博物館120年のあゆみ・年表
ページ数:40 コマ数:22

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:きっこうさだむね【亀甲貞宗】
ページ数:2巻P94

概説書

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:亀甲貞宗
ページ数:15

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 相模国鎌倉 貞宗 亀甲貞宗
ページ数:203