小烏丸

こがらすまる

概要

「小烏丸」という刀剣は、同名異物が多数

小烏丸という号で呼ばれる「現存する刀剣」も、小烏丸という号で呼ばれている「刀剣の伝承」も複数存在する。

そのため、どの小烏丸の何の話をしているのか、どの刀剣とどの伝承が一致するかの整理が難しい。

単に「小烏丸」という刀の話をする時は「平家の重宝」である小烏丸を中心とすることが多いので、ここでは「平家の重宝・小烏丸」の伝承と研究を中心に考える。

平家重宝の太刀・小烏丸の号の由来について

小烏丸の号の由来は3説ある。

号の由来1.カラス持参説

桓武天皇が南殿に出御されていたとき、烏が一羽飛んできた。
笏をもって招くと下りて来た。
私は伊勢大神宮から剣のお使いとして参りました、と言って、翼の下から一振りの太刀を落としたので、天皇はそれを“小烏”と命名された。

『日本刀大百科事典』によればこの説の出典は以下の古剣書の記述である。

『長享目利書』『能阿弥本』『長享銘盡』『上古秘談抄』『鍛冶銘集』『宇都宮銘盡』

古剣書のほとんどは翻刻されていないが、国立国会図書館デジタルコレクションだと『長享銘盡』の写本を読むことができる。

『長享銘尽』
写本
コマ数:10

軍記物では八尺(約242.4センチ)の霊烏から出たから、小烏と命名したと説明している。

『源平盛衰記』『長門本平家物語』『前太平記』

『源平盛衰記 下 (友朋堂文庫) 』
著者:石川核 校 発行年:1911~1912年(明治44~45) 出版者:有朋堂
目次:第四十巻 唐皮小烏抜丸事 ページ数:512~516
コマ数:264~266

『百万塔 第5巻』
著者:中根淑 校 発行年:1892年(明治25) 出版者:金港堂
目次:長門本平家物語巻第一
ページ数:23 コマ数:78

『前太平記 2版』
発行年:1886年(明治19) 出版者:野村銀次郎
目次:貞盛唐皮小烏を賜り東国下向の事
ページ数:62~64 コマ数:33~36

号の由来2.兜の飾物説

平貞盛が天慶2年(939)平将門討伐に向かうとき朝廷より拝領した。
将門は兵法をもって八人に分身した。

貞盛が拝領の太刀をもって、兜の天辺に小さな烏の像をつけている一人を斬ったところ、将門も斬られた。
小さな烏を切ったので、小烏と命名したという。

(『文明十六年銘盡』『鍛冶銘字考』『弘治銘盡』)

古剣書を直接読むのは難しいが、昭和の刀剣書辺りにはよく記載されている。

号の由来3.小韓鋤説

幕末の国学者が唱えたもの。

『日本書紀』によると、韓鋤(からさび)とは韓国から渡った剣のことである。 『日本書紀』では鋤をサヒと訓ませてあるから、それがシに転じて小韓鋤がコカラシになり、さらにシがスに訛ってコカラスになったとも、鋤を普通にスキとよんで、小韓スキとだったのが小韓スと縮まったのかであろう、という。
(『類聚名物考』『万袋』)

なお、古代の鋤の先は剣に似ているので、スキは剣の意味になるともいう。
(『日本書紀通証』『釈日本紀』)

『日本刀大百科事典』ではこの説を一応紹介しつつも、結論として“以上の説は学者による文字の遊戯のようである”としている。
この国学者の説に関しては大正から昭和初期辺りの刀剣書の方が詳しく触れている。

平家重宝の太刀・小烏丸の作者について

大和の天国説

小烏丸の作者は、通説では大和の天国とされている。出典は以下の古剣書らしい。

『長享目利書』『能阿弥本』『正和銘鑑(観智院本)』『長享銘盡』『日本国中鍛冶銘文集』『鍛冶銘集』『宇都宮銘盡』

『長享銘尽』
写本
コマ数:10

『銘尽 : 観智院本 [2]』
発行年:昭和14(1939年) 出版者:帝国図書館
コマ数:37
(全号まとめから[2]に跳んで37コマ目)

他の作者説

しかし一部の古剣書などでは、他の作者も挙げられているという。

奥州の諷誦説
(『文明十六年銘盡』『日本国中鍛冶銘文集』『永徳銘盡』『弘治銘盡』)

伯州大原真守説
(『能阿弥本』『平治物語』)

備前宗吉説
(『日本国中鍛冶銘文集』)

平家重宝の太刀・小烏丸の刀身の説明について

小烏丸の刀身の説明として、『日本刀大百科事典』によると古剣書の記述はいくつかの種類があるという。

刃長について

刃長については、二尺六寸五分(約80.3センチ)

『長享目利書』『能阿弥本』『正和銘鑑(観智院本)』『長享銘盡』『日本国中鍛冶銘文集』『鍛冶銘集』『宇都宮銘盡』

剣形について

剣形について、薙刀の中心を切ったようで、中心は短い。

『長享目利書』『正和銘鑑(観智院本)』『日本国中鍛冶銘文集』『鍛冶銘集』

銘について

「大宝二年八月廿五日 天国」(『長享目利書』)

「大宝三年 天国」(『長享銘盡』『鍛冶銘集』『宇都宮銘盡』)

「大同二年 天国」(『日本国中鍛冶銘文集』)

『日本刀大百科事典』では“これは大宝二年の誤写に違いない”と判断している。

平家重宝の太刀・小烏丸の伝来について

平忠盛以後の伝来については2説ある。

小烏丸の伝来について整理すると、軍記物の説は同じ平家の重宝である「抜丸」との混同が見られ信憑性が薄く、古剣書の説を採用すると、そもそも小烏丸は鎌倉末期の時点で焼失してしまったとも考えられるという話である。

伝来1.軍記物の説

午睡していた忠盛を大蛇が呑もうとしたとき、小烏丸がひとりでに抜けて、蛇に向かった。
蛇はそれを恐れて逃げ去ったので、異名を“抜丸”と改めた。
その後、忠盛から五男・頼盛へ、さらに平重盛へ渡った。
重盛はこれを佩いて、平治の乱で悪源太義平とわたり合った。
平家滅亡のときは維盛が相伝していたが、肥後守貞能のもとに預けてあったという。

(『源平盛衰記』『平治物語』)

『源平盛衰記 下 (友朋堂文庫) 』
著者:石川核 校 発行年:1911~1912年(明治44~45) 出版者:有朋堂
目次:第四十巻 維盛出家事 ページ数:512 コマ数:264
目次:第四十巻 唐皮小烏抜丸事 ページ数:512~516 コマ数:264~266
目次:第四十巻 中将入道入水事 ページ数:531 コマ数:273

『保元物語平治物語 (新訳国文叢書 ; 第2編) 』
著者:須田正雄 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:文洋社書店
目次:十五 待賢門の軍、信頼落つ
ページ数:84 コマ数:51

伝来2.古剣書の説

鎌倉幕府の侍所別当・和田義盛の家に伝来していた。
義盛が建暦元年(1211)、北条氏を討とうとして兵をあげたとき、足利義氏は北条氏に味方し、義盛を敗死させたので、小烏丸は義氏の手に移ったという。

(『古刀銘盡大全』『能阿弥本』)

『古刀銘尽大全 上 増訂 (日本故有美術鑑定便覧 ; 第4集) 』
著者:大館海城 編 発行年:1901(明治34) 出版者:赤志忠雅堂
コマ数:7、62

これに関して、『日本刀大百科事典』でいくつか検討を加えている。

・義氏五代の孫は足利尊氏であるから、足利将軍に伝わったはずであるが、これについての記述は見出せない。
・『鍛冶銘字考』によれば、小烏丸は鎌倉の法華堂に納めてあった。
・法華堂は延慶三年(1310)11月、火災にあい祭神である源頼朝の影像まで焼失している。まして小烏丸など持ち出す暇はなかったはずである。
・すると、小烏丸は鎌倉末期すでに地球上から姿を消していたことになる。

伊勢家伝来の小烏丸について

軍記物には信頼性の高い記述がなく、古剣書の記述を取ると導き出される結論はすでにこの世に現存していないかもしれない刀剣となる、平家重宝の太刀・小烏丸。

しかし、現在でもこの平家の重宝の小烏丸だと説明される刀剣が複数現存している。

一つは、伊勢家伝来の小烏丸。
もう一つは、国分寺蔵の小烏丸。
もう一つ詳細不明の小烏丸があるが現存かどうか不明。

現在御物となっている小烏丸は、この「伊勢家伝来の小烏丸」である。
この「伊勢家伝来の小烏丸」について、酔剣先生の見解を軽くまとめたいと思う。
全部書くと長くなるのであくまで軽くに留めたい。

詳しく知りたい場合は『日本刀大百科事典』をはじめ『名刀と名将』など福永酔剣先生の著書を直接読んでいただきたい。

小烏丸の来歴に関する、伝来先である伊勢家の説

江戸中期の故実家で、小烏丸の所持者だった伊勢貞丈によれば、平貞盛から小烏丸と唐皮の鎧が伊勢家に伝来していた。
唐皮は応仁の乱で焼亡したが、小烏丸は災を免れた。
今の太刀拵えはそのころ新調したものという。

『韓詩外伝』『伊勢家小烏丸太刀之図』『宝剣宝鎧記』

この伊勢家の説は、江戸期から疑う者は疑っていたが、大正や昭和初期頃の刀剣書ではまだ伊勢家をその刀の伝来先として信用する方向で、伊勢家の小烏丸を正真とする見方も多かった。

しかしこれに対し、『日本刀大百科事典』では容赦なく不審な点を指摘し、伊勢家伝来の小烏丸は偽銘であると結論付けている。

その内容を簡単にまとめる。

・伊勢家そのものの系図への不審

伊勢家が平貞盛の子孫ということは後世の偽称だから、貞盛から小烏丸が伝来している訳もない。

・外装の不審

伊勢家伝来の小烏丸の外装は、応仁(1467)ごろの修復というが、当時流行りの御物拵え・御物造りになっている。本物の先祖伝来ならそのまま修復するはずで流行品にするのはおかしい。
応仁(1467)ごろの伊勢貞親は人物が良くなく、御物造りの太刀を作り、それを小烏丸と詐称したことも、十分考えられる。
柄糸の巻き止めに関して、例えば足利家の鬼丸国綱は刃方と棟方と二か所で真結びにする、という原始的な巻き止めになっているが、小烏丸では、巻き止めの糸の切れ端を見えないようにする、という後世のやり方になっている。

・押形と現存物の銘の違いに関する不審

江戸初期の『本阿弥光悦押形』に「伊勢家天国之真形也」と書き入れがあって、それは現存の伊勢家伝来・小烏丸と同一物である。
しかし本阿弥光悦の押形では茎に「大宝□年□月日 天国」と銘があるのに、現存のものにはそれがない。
おそらく「大宝弐年八月廿五日 天国」とあったのを、光悦が押形をとったあと、伊勢家で消したと考えられる。

消した理由は、大宝令に関係すると考えられる。
刀剣に銘を刻むように規定されたのが大宝2年(702)10月なので、天国が大宝2年8月の銘文を刻める訳がない。
このことに伊勢家で気づいたので、伊勢家で銘を消させたと推測される。

・茎の朽ち具合に関する不審

古剣書の記述を元に細工する過程で、茎をわざと朽ちさせたと見られる。
貞丈の子・貞春は、応仁(1467)以後、錆を生じたことがない、と自慢したという話が『耳袋』に残っているが、同じ鉄で作ってあるのに、上が錆びずに茎だけひどく錆びるというのはおかしい。茎だけ人為的に腐らせたと見るべきである。

・水心子正秀の言

小烏丸を実見した水心子正秀は刀工としての立場から、「出来はおろしがねを数遍鍛へたるものと見えたり」と批評している(『刀剣弁疑』)

しかしその製法は古くても鎌倉末期以降のものであり、当然天国の時代にはそんな製法はない。

以上、『日本刀大百科事典』における概要をまとめた。

伊勢家伝来の小烏丸は平家の重宝として江戸時代には定着していたが、その出来がとても天国の頃の刀剣には見えないと不審を感じている者もいた。

将軍の上覧に供したこともある刀であり、明治には平家の子孫で愛刀家だった対馬藩主・宗重正伯爵が買い取り、外装をすっかり修復し、研ぎも本阿弥平十郎に新たにやらせたのち、明治15年3月、明治天皇に献上したという。

そして現在も帝室御物となっている。

刀工・水心子正秀の見解

天国の作で、鞘書きに平宗盛佩之とあり、朱雀天皇より拝領と言われている。
伊勢家は時の将軍より拝領したもので、刃長二尺五分(約62.1センチ)ある(『鍛錬秘函』)

刀工・水心子正秀は、その著書でこのように伊勢家の小烏丸に触れているらしい。
刃長まで記録してあることから、伝聞ではなく実見したものと考えられる。
その上で、出来が天国より後世の鍛法で鍛えられたものであるように見えると言っている。

『水心子正秀全集 (刀剣叢書 ; 第1編) 』
著者:川口陟 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:南人社
目次:刀劍辨疑 三卷
ページ数:62 コマ数:40
ページ数:79 コマ数:48

製法に関する『刀劍辨疑』の記述は上記で確認できるが『鍛錬秘函』の記述が確認できなかったのでそのうちまた探そうと思う。

飛騨江馬家の説

飛騨国吉城郡高原、現在の岐阜県吉城郡神岡町殿の豪族・江間氏の初祖は、平清盛の弟・経盛の子孫という。

経盛が壇の浦で討死したとき、その愛妾に二歳の遺児がいた。
その愛妾はのち北条時政の妾となったので、遺児は時政の長子・江馬小四郎義時に預けられた。
やがて元服して江馬小四郎輝経と名乗ったが、讒言にあって飛騨国に流された。
そのとき小烏丸を持ってきた(『北越軍談』)。

それから十数代後の輝盛は、天正10年(1582)、徳川家康の臣・金森長近に攻められ殺された。
長近が小烏丸を押収してきて、家康に献上したが、平家の重宝は源氏の家康には不要として返された。

それで高山氏の名刹・国分寺へ寄進した。
ところが、いつの間にか同寺を出て、越中に流れていた。
慶長7年(1602)、飛騨の人が買い戻して国分寺に再び寄付した。
その後、文化(1804)ごろか、住僧が江戸へ売りに行った。
手付金を渡しただけで仲介者が行方をくらましたので、小烏丸は行方不明になった。

それを数年後、伊勢貞丈が古道具で発見し買い取った。それが伊勢家の小烏丸であるという。

(『幽討余録』)

この説は、国分寺蔵と伊勢家蔵の二つの小烏丸を混同している。

『日本刀大百科事典』によると、“あまりにも小説めいていて信をおきがたい”という。

『幽討余録』は様々な本に内容が引用されているものの『幽討余録』そのものを収録した本は国立国会図書館デジタルコレクションではまだ読めないようなので、内容を引用して説明している刀剣書を読むほうが早いと思われる。

『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:平家の一門 飛騨の江馬小烏
ページ数:500~506 コマ数:262~265

国分寺の説

伊勢家伝来の御物の小烏丸とは別に、国分寺にも小烏丸と呼ばれる刀剣が伝来している。

国分寺では“小鴉”と書いているが、「江馬家の小烏丸」と同一物。

平維盛は寿永3年(1184)屋島をのがれて紀州にわたるとき、弟の資盛に小烏丸を託した。
資盛は維盛の嫡子・六代に送ってやった。
六代は出家して三位禅師とよばれたが、源氏の許しは得られず、捕えられて鎌倉に送られることになった。
途中で駿河の岡部権頭忠実に斬らせるらしい、と分かったので、六代は小烏丸を斎藤六入道阿請に与えた。
斎藤六入道阿請はそれを江馬輝経に渡した。

それから江馬家重代となっていたが、十数代後の江馬輝盛が三木白綱入道に滅ぼされたとき、輝盛の妻は小烏丸を円城寺の僧・春丁に預けていた。
やがて越中の栂尾兵衛祐邦に贈った。

天正10年(1582)、川上小七郎忠尋は祐邦を殺して小烏丸を奪い、天正15年(1587)金森可重に贈った。

可重は慶長7年(1602)、本多正信を介して徳川家康に献上した。
徳川家では国分寺大僧都・玄海の代に、それを国分寺に奉納したという。

この説の出典は『剣小鴉由来』とされている。
そのものずばりの本は見つけられなかったが孫引きでよいのなら下記の本・雑誌で内容を読める。

「桜華国 (3)」(雑誌・データ送信)
発行年:1897年6月(明治30) 出版者:研学会
目次:山水餘音
ページ数:58 コマ数:34

『飛騨と江馬氏 : 高原史蹟』
著者:柴田忠太郎 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:江馬史蹟保存会
目次:小烏丸の記
ページ数:109、110 コマ数:69、70

この国分寺説に対し、酔剣先生は『日本刀大百科事典』でこのようにまとめている。

・持ち主が次々に滅びていったのに、以前のことはこんなに詳しく分かるはずがない。内容に信をおきがたい。
・国分寺蔵の小烏丸のほうが、伊勢家蔵のそれより古いことだけは確かである。
・国分寺蔵の小烏丸は重要文化財指定、刃長二尺五寸(約75.8センチ)で、古剣書に言う小烏丸の長さとは異なる。
・豊後行平とも見えるが、国分寺の伝来では表裏に太い棒樋があるためか、築後三池の典太光世になっているという。

遠州江馬家の説

遠江国榛原郡細江郷、静岡県榛原町細江の旧家・江馬家は、飛騨江馬家の分家とも、江馬輝盛が敗北したとき、ここに逃げて来て土着したともいう。

輝盛は天正10年(1582)に討ち死にしているので、ここまで逃げてこられるはずはない。
この江馬家にも小烏丸と称する太刀があったという(『大日本刀剣史』)

これに対して酔剣先生は“詳細は不明で、かつ信憑性は薄い”と判断している。

『日本刀大百科事典』で出典として挙げられているのは『大日本刀剣史』だが、『英雄と佩刀』をはじめとした高瀬羽皐氏の著書にも記載があったので紹介しておく。

『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912(大正1) 出版者:崇山房
目次:小烏丸の同名二振
ページ数:259~264 コマ数:141~144

『刀剣一夕話』
著者:羽皐隠史 発行年:1915年(大正4) 出版者:嵩山房
目次:一 小鳥丸のこと及び異聞 ページ数:13~15 コマ数:13、14
目次:一 小鳥丸の太刀 ページ数:84~91 コマ数:49~52

『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:平家の一門 飛騨の江馬小烏
ページ数:500~506 コマ数:262~265

成田山の説

安政(1854)のころ成田山新勝寺に、江戸麻布坂下町(港区)の柏屋重次郎が寄付した小烏丸があったという。
しかし、詳細は不明である。

『日本刀大百科事典』では『成田名所図会』に収録されている『成田参詣記』を出典としているが、現在だと国立国会図書館デジタルコレクションで明治18年の本がインターネット公開されているためこちらも挙げておく(該当部分の内容は同じ)。

『成田山霊験実記』
著者:谷俊三 編 発行年:1885年(明治18) 出版者:万字屋
ページ数:2 コマ数:7

『成田名所図会 : 成田参詣記』(データ送信)
著者:中路定俊 発行年:1973年(昭和48) 出版者:有峰書店
目次:巻之五 成田山 成田山縁起
ページ数:367 コマ数:208

小烏丸と歌舞伎の話

『日本刀大百科事典』によると、歌舞伎にも小烏丸の登場するものがある。
以下は一例。この他にももっとある。

『岩戸の景清』(河竹黙阿弥の『難有御江戸景清』)

景清が平家の重宝・小烏丸の短刀をもって、江の島の岩屋に潜んでいることになっている。

『黙阿弥脚本集 第2巻』
著者:河竹黙阿弥 著, 河竹糸女 補, 河竹繁俊 編 発行年:1920~1923年(大正9~12) 出版者:春陽堂
目次:難有御江戸景清(岩戸の景清)
ページ数:275 コマ数:151

『田舎源氏』(桜田治助の『源氏模様娘雛形』)

源氏の重宝として足利家の宝蔵にあったのを、東雲が盗み出す趣向になっている。

『名作歌舞伎全集 第19巻 (舞踊劇集)』(データ送信)
発行年:1970年(昭和45) 出版者:東京創元新社
目次:田舎源氏(田舎源氏露東雲)・(装置図 佐原包吉)
ページ数:299 コマ数:165

『文覚』(桜田治助作『大商蛭子島』)

源氏の重宝で、中心に「大権現」と彫りつけてあったことになっている。

『歌舞伎脚本傑作集 第10巻』
著者:坪内逍遥, 渥美清太郎 編 発行年:1922年(大正11) 出版者:春陽堂
目次:『大商蛭子島』
ページ数:196 コマ数:125

調査所感

まとめておいて何だが、小烏丸に関してはまず酔剣先生の本を直接読んだ方が理解しやすいと思われる。

小烏丸に関しては最近の概説本が伊勢家伝来の小烏丸を平家の重宝そのもののように説明しているのだが、実態は違うらしい。

伊勢家伝来の小烏丸に関してはすでに多くの人が見解を述べていて、伊勢家伝来という由緒正しいものなのだから正真、としている本も多いが、江戸時代に水心子正秀が製法について突っ込んでいたりするように、天国の作には見えないという意見はずっとあったようだ。

これに関しては明治から昭和初期辺りの研究書などでも著者によって意見は分かれている。

その上、そもそも「平家の重宝・小烏丸として伝来した刀」は伊勢家のものだけでなく、江馬家を経由する二振りまで存在する。

同じ平家の重宝・小烏丸と呼ばれる刀が三振り存在する時点でどれが本物なの? 議論は避けられない存在ではあるが、一方でまさにこの小烏丸それぞれについて触れている研究者たちは伝承上の名刀と伝えられる刀が複数存在するのはよくあること、みたいな論調なのが面白い。

というように研究史を整理したところで肝心の刀剣乱舞の小烏丸パパ上はどういう刀剣男士であるかを考えよう。

単純に中核は「平家の重宝・小烏丸」の物語だと考えられる。

文献上で刀工・天国の作で平家の重宝として伝えられる小烏丸の存在と物語が先にあり、その刀自体は現存するとは考えにくい。

しかしその平家の重宝として存在していた小烏丸の物語が、新たに伊勢家伝来の小烏丸や国分寺蔵の小烏丸の物語を生み出したと思われる。

「平家の重宝・小烏丸」という物語はかつては平家の人々と共に語られ、時代がくだるとこれがその小烏丸だよ、と伊勢家や江馬家、国分寺などの歴史と共に語られてきた。
本物の平家の重宝はもちろん一振りであろうが、平家の小烏丸として語られる刀の物語は数多く、そのどれも小烏丸に寄せられた想いには間違いなく、それだけの歴史を持っていると言える。

今回はすでに他の刀の説明でも国立国会図書館デジタルコレクションがアップデートで大幅に機能がアップしたよーとさんざん言ってきたのだが、その凄さを最も感じるのがこの小烏丸の検索結果です。

パパ上、デジコレで「小烏丸」って打ち込んだ検索結果1000件超えてる。

他の刀はだいたい数十件から多くても3桁なのに4桁。文字通り桁が違う……!

歴史の重み、物語の積み重ねを検索結果という力で物理的に感じさせてくれる刀である。

例えもとの刀が現存せずとも、物語は何百年と語り続けられていく。その枝葉となる別の伝説を増やしながら……。

正直私のまとめだけ読んでもあまり実感できないと思うので、ここは小烏丸について詳しく書かれた時代ごとの本を何冊か読み比べて研究の進捗を実際に確かめるのをお勧めする。

『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912(大正1) 出版者:崇山房
目次:小烏丸の同名二振 コマ数:141~144

『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:平家重代の名劍小烏丸 コマ数:256~261
目次:平家の一門 飛騨の江馬小烏 コマ数:262~265

『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:平家の小烏丸 コマ数:11~25

大正期の高瀬羽皐氏、昭和初期の原田道寛氏、昭和後期の福永酔剣氏辺りの研究書を読み比べることで、平家の重宝・小烏丸という刀が時代時代でどんな風に語り伝えられていったのか掴みやすくなると思われる。

この三人の著書はそれぞれ出典を明記して解説しているので時代間隔や信憑性について考えやすい。

逆にあまりお勧めしないのは概説本の記述を鵜呑みにすることで、長い歴史を持つ刀の複雑な研究史をまとめ方で失敗している可能性があるので要注意。

こんなところです。

参考文献

『本朝鍛冶考 18巻 [1]』
著者:鎌田魚妙 撰 発行年:1851(嘉永4) 出版者:近江屋平助
ページ数:11 コマ数:41

『本朝鍛冶考 18巻 [3]』
著者:鎌田魚妙 撰 発行年:1851(嘉永4) 出版者:近江屋平助
目次:名剣作者記
ページ数:30 コマ数:73

『集古十種 : 兵器・刀劔. 兵器 刀劔 一』
著者:[松平定信] [編] 発行年:1900年代(不明) 出版者:不明
目次:伊勢貞丈家蔵小烏丸太刀圖
コマ数:44、45

『集古十種 : 兵器・刀劔. 兵器 刀劔 三』
著者:[松平定信] [編] 発行年:1900年代(不明) 出版者:不明
目次:飛驒國髙山國分寺蔵小烏丸太刀圖
コマ数:16、17

『成田山霊験実記』
著者:谷俊三 編 発行年:1885年(明治18) 出版者:万字屋
ページ数:2 コマ数:7

『前太平記 2版』
発行年:1886年(明治19) 出版者:野村銀次郎
目次:貞盛唐皮小烏を賜り東国下向の事
ページ数:62~64 コマ数:33~36

『百万塔 第5巻』
著者:中根淑 校 発行年:1892年(明治25) 出版者:金港堂
目次:長門本平家物語巻第一
ページ数:23 コマ数:78

「桜華国 (3)」(雑誌・データ送信)
発行年:1897年6月(明治30) 出版者:研学会
目次:山水餘音
ページ数:58 コマ数:34

『古刀銘尽大全 上 増訂 (日本故有美術鑑定便覧 ; 第4集) 』
著者:大館海城 編 発行年:1901(明治34) 出版者:赤志忠雅堂
コマ数:7、62

『源平盛衰記 下 (友朋堂文庫) 』
著者:石川核 校 発行年:1911~1912年(明治44~45) 出版者:有朋堂
目次:第四十巻 維盛出家事 ページ数:512 コマ数:264
目次:第四十巻 唐皮小烏抜丸事 ページ数:512~516 コマ数:264~266
目次:第四十巻 中将入道入水事 ページ数:531 コマ数:273

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:三十 刀剣の模造 ページ数:245 コマ数:132
目次:三十二 太刀、刀の鐔(上) ページ数:261 コマ数:140

『刀剣談』
著者:羽皐隠史 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第二門 御物 小烏丸
ページ数:20~22 コマ数:35、36

『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912(大正1) 出版者:崇山房
目次:小烏丸の同名二振
ページ数:259~264 コマ数:141~144

『飛騨遺乗合府 (飛騨叢書 ; 第3編) 』(データ送信)
著者:桐山力所 発行年:1914年(大正3) 出版者:住伊書院
目次:飛騨治亂記
ページ数:240 コマ数:135

『保元物語平治物語 (新訳国文叢書 ; 第2編) 』
著者:須田正雄 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:文洋社書店
目次:十五 待賢門の軍、信頼落つ
ページ数:84 コマ数:51

『刀剣一夕話』
著者:羽皐隠史 発行年:1915年(大正4) 出版者:嵩山房
目次:一 小鳥丸のこと及び異聞 ページ数:13~15 コマ数:13、14
目次:一 小鳥丸の太刀 ページ数:84~91 コマ数:49~52

『江戸叢書 : 12巻 巻の四』
著者:江戸叢書刊行会 編 発行年:1916年(大正5) 出版者:江戸叢書刊行会
目次:遊歷雜記 二編目 卷の中 参拾四 伊勢家傳來小烏丸の名劔の考
ページ数:206 コマ数:119

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:325、326 コマ数:182、183(または183、184)

『羽皐刀剣録』(データ送信)
著者:高瀬魁介 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:嵩山房
目次:小鳥丸
ページ数:20~26 コマ数:20~22

『水心子正秀全集 (刀剣叢書 ; 第1編) 』
著者:川口陟 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:南人社
目次:刀劍辨疑 三卷
ページ数:62 コマ数:40
ページ数:79 コマ数:48

『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第二 御物 小烏丸
ページ数:22、23 コマ数:23

『継平押形 : 附・本阿弥光徳同光温押形集』
著者:羽沢文庫 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:羽沢文庫
ページ数:117 コマ数:125

『秋霜雑纂 前編』
著者:秋霜松平頼平 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
目次:解説七十五條 (百五十) 剣の巻解題 ページ数:87~89 コマ数:69、70
目次:名器五十六條 (二百七十九) 小烏丸の太刀 ページ数:157、158 コマ数:104、105

『日本刀剣の研究 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:日本刀の發達に對する考祭 中央刀劍會 審査員 本阿彌光遜 ページ数:47 コマ数:33
目次:文獻に表はれた名劍名刀譚 源秋水編 ページ数:108 コマ数:64
目次:日本刀工略傳 藤原次郞 ページ数:177 コマ数:98
目次:本邦太刀の外裝について 佐藤正一 ページ数:295 コマ数:157
目次:我國の歷史は日本刀にきけ 福島靖堂 ページ数:320 コマ数:170

『飛騨と江馬氏 : 高原史蹟』
著者:柴田忠太郎 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:江馬史蹟保存会
目次:小烏丸の記
ページ数:109、110 コマ数:69、70

『日本刀講座 第11巻 (雑)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:第九章 作風と作刀吟味
ページ数:31 コマ数:23

『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:平家重代の名劍小烏丸 ページ数:488~499 コマ数:256~261
目次:平家の一門 飛騨の江馬小烏 ページ数:500~506 コマ数:262~265

『銘尽 : 観智院本 [2]』(データ送信)
発行年:昭和14(1939年) 出版者:帝国図書館
コマ数:37
(全号まとめから[2]に跳んで37コマ目)

『日本刀と無敵魂』
著者:武富邦茂 発行年:1943年(昭和18) 出版者:彰文館
目次:小烏丸
ページ数:166 コマ数:98

『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編  発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:四〇 御物太刀 無銘伝天国 名物小烏丸
ページ数:50、51 コマ数:60、61

「刀剣史料 (41)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年(昭和35)5月 出版者:南人社
目次:刀剣鑑定歌伝(6) 中島久胤
ページ数:12 コマ数:8

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:平家の重宝小烏丸
ページ数:9~11 コマ数:9、10

『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:平家の小烏丸
ページ数:9~37 コマ数:11~25

『日本刀全集 第2巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:上古刀 古刀 石井昌国
ページ数:52、53 コマ数:30

『国宝日本刀特別展目録 : 刀剣博物館開館記念』
発行年:1968年(昭和43) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:御物 太刀 無銘 伝天国(名物小烏丸) 宮内庁蔵
コマ数:8、9

『日本刀物語 続』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1969年(昭和44) 出版者:雄山閣
目次:平家の小烏丸
ページ数:9~37 コマ数:16~30

『日本刀講座 第1巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:日本刀の歴史 図版 ページ数:18、19 コマ数:29
目次:大刀類 ページ数:48、49 コマ数:100
目次:第二章 日本刀の時代色と盛衰(付 新刀古刀の名称) ページ数:77 コマ数:114

『原色日本の美術 21』(データ送信)
著者:尾崎元春、佐藤寒山 発行年:1970年(昭和45) 出版者:小学館
目次:刀剣 ページ数:82 コマ数:87
目次:図版解説Ⅲ ページ数:103 コマ数:109
目次:一、日本刀概説 ページ数:220~222 コマ数:226~228

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:1 小烏丸
ページ数:111

『成田名所図会 : 成田参詣記』(データ送信)
著者:中路定俊 発行年:1973年(昭和48) 出版者:有峰書店
目次:巻之五 成田山 成田山縁起
ページ数:367 コマ数:208

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:こがらすまる【小烏丸】
ページ数:2巻P229~234

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第二章 中世武士 小烏丸 皇室御物
ページ数:50

『名刀伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2004年(平成16) 出版者:新紀元社
目次:第一章 小烏の名刀――時次郎――
ページ数:23

『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年 出版者:光文社
目次:源平の名刀 小烏丸 ページ数:74~78

『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23) 出版者:笠倉出版社
目次:第四章 名匠伝 天国
ページ数:194~197

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第一章 平安時代≫ 大和国宇陀 天国 小烏丸
ページ数:25

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第3章 太刀 小烏丸
ページ数:83

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:三条宗近作の刀 小烏丸
ページ数:080、081

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:神仏・霊力にまつわる名刀 小烏丸
ページ数:102、103