後藤藤四郎

ごとうとうしろう

概要

「短刀 銘 吉光(名物後藤藤四郎)」

『享保名物帳』所載、鎌倉時代の刀工・粟田口吉光の短刀。

『享保名物帳』によると、江戸幕府の金座・後藤庄三郎光次旧蔵。

時期は明らかではないが、後藤家から幕府の老中・土井利勝の許に移った。

1629年(寛永6)8月28日、幕府の老中・土井利勝が将軍・家光に献上。

1639年(寛永16)9月28日、尾張徳川家の光友に将軍家の息女・千代姫が輿入れした際の挨拶に行ったとき、後藤藤四郎と五月雨江の刀を将軍から拝領した。

『鸚鵡籠中記』によると、1703年ごろ(元禄末)、幕府に献上するよう尾張徳川家に内示があったが、家老・成瀬正勝の嫡子・正幸によって守られたというエピソードがある。

以後も尾張徳川家伝来。

1941年(昭和16)9月24日、重要美術品認定。
1954年(昭和29)3月20日、国宝(新国宝)指定

現在も「徳川美術館」蔵。

尾張徳川家は1935年(昭和10)に「徳川美術館」を開設したため、実質的に江戸時代からずっと同じ家に所蔵されていると言える。

江戸幕府の金座・後藤庄三郎光次旧蔵

『享保名物帳』によると、江戸幕府の金座・後藤庄三郎光次旧蔵。

『日本刀大百科事典』によると、『名物扣』には後藤庄右衛門旧蔵という異論もあるらしい。

『享保名物帳』によると、
元和(1615)の初めごろか、本阿弥家に代付けにきたとき、当主の光室は、表の切先の刃が焼き崩れている、といって、代付けを低くしようとしたが、父の光徳が賑やかでいいと褒めたので、金三百枚に決まったという。

しかし、『日本刀大百科事典』によると、『名物扣』『享保名物帳(享保八年本)』では七千貫という異説もあるらしい。

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(上) 名物牒
ページ数:11 コマ数:8

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:粟田口藤四郎の部 後藤藤四郎
ページ数:12、13 コマ数:21

尾張殿(徳川侯爵家)
後藤藤四郎 在銘長九寸一分半 代金三百枚(異本七千貫)

昔後藤庄三郎所持光室極めなり光徳も出座なり表鋒先の刃悪き迚光室の代付安し光徳以の外ほめて右の代になり光甫も其座に居慥に覚たりと申すなり然るに御城御帳に五千貫とあり寛永五辰九月二日土井大炊殿殿宅へ家光公渡御の刻上る千姫君様入與の節拝領なり。

1629年(寛永6)8月28日、幕府の老中・土井利勝が将軍・家光に献上

後藤家から幕府の老中・土井利勝の許に移った時期は明らかでない。

寛永6年(1629)8月28日、3代将軍・徳川家光が土井邸に臨んだ時、金森正宗などを拝領したお返しに、この後藤藤四郎と備前長光の太刀・筑前左文字の刀などを献上した。

『享保名物帳』では寛永5年(1628)9月2日の出来事になっているが、『寛政重修諸家譜』や『徳川実紀』からすると寛永6年8月28日のことである。

ただし『寛政重修諸家譜』や『徳川実紀』の表記では後藤藤四郎とは書かれずに「吉光の脇差」になっている。

『日本刀大百科事典』は、『名物扣』を出典として、
その時のお成りは、利勝が寛永3年(1626)9月、将軍から拝領した油屋肩衝の茶入れの披露のため、という名目だったという、としている。

『寛政重脩諸家譜 第2輯』
発行年:1922年(大正11) 出版者:国民図書
目次:巻第二百九十七 清和源氏(頼光流) 土井 利勝
ページ数:608 コマ数:314

六年八月二十八日 大猷院殿利勝が邸にならせ給ひ、金森正宗の御脇指をよび御袷五十領白銀五百枚をたまひ、利勝もまた左文字の刀、吉光の脇指、長光の太刀をよび繙珍百端印子金二十丸を献ず。

『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:大猷院殿御実紀 巻十四 (寛永六年七月−十二月)
ページ数:164 コマ数:90

○廿八日土井大炊頭利勝が邸に臨駕したまふ。利勝に金森正宗の御脇差。銀五百枚。袷五十給ふ。利勝より長光の太刀。左文字の刀。吉光の脇差。繻珍百端。印子金廿丸献ず。

1639年(寛永16)9月28日、尾張徳川家の光友に将軍家の息女・千代姫が輿入れの際に拝領

尾張徳川家の世子・徳川光義(のちの光友)に、将軍家光の息女・千代姫が入輿し、寛永16年(1639)9月28日、家光へ挨拶にいったとき、後藤藤四郎と五月雨郷の刀を将軍から拝領した。

『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:九 短刀 吉光 名物後藤藤四郎
ページ数:18、19 コマ数:34、35

『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:大猷院殿御実紀 巻四十一 (寛永十六年七月−九月)
ページ数:545 コマ数:282

御盃つかはされ光友朝臣へ五月雨郷の御刀。吉光の御脇差を引出物し給ひ。

1703年ごろ(元禄末)、幕府に献上するよう尾張徳川家に内示があったが、家老・成瀬正勝の嫡子・正幸によって守られる

『鸚鵡籠中記』によると、

尾州家の附家老・成瀬正勝の嫡子・正幸が、江戸勤めをしていた元禄の末(1703年頃)、幕府の老中から、木曽の御料林を幕府に献上し、かつ藩主江戸出府の手土産に後藤藤四郎を将軍に献上するよう、内示があった。

事の重大さに驚いた正幸は、後藤藤四郎は千代姫様の思召しも測りがたいし、献上を強いられるなら藩主も出府しないだろう、と断った。

それを聞いた父・正勝は、わしもこれで安心して冥土へいける、と喜んだという。

『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:九 短刀 吉光 名物後藤藤四郎
ページ数:18、19 コマ数:34、35

『摘録 鸚鵡籠中記(上) 元禄武士の日記』(紙本)
著者:朝日重章 著、塚本学 編注 発行年:1995年(平成7) 出版者:岩波書店(岩波文庫)
目次:元禄十六(一七〇三)年 九月 二十日
ページ数:328、329

去るころ、因州江戸を発する前に、大樹の御老中より因州を呼び申さるるは、当時尾候御幼少、ことに御在江戸にて材木多く入るべからざる間、木曽山御指し上げ成され然るべきか。また千代姫君様へ進ぜられし吉光の御脇指、これまた御指し上げ然るべきか。但しこれは内証なり。御直に御所望これあり。その時の御挨拶のためにあらかじめこれを述ぶと云々。因州対しいう、両条命を承る。木曽山の事四代これを伝え来たる。あながち材木にはかかわらざれども、ただ今に至り指し上げ候儀如何。吉光の短刀は、霊仙院殿の思し召しはかりがたしと云々。しかし上意とこれあらば、尾候も辞退あるまじ。されどもかくの如き上は参府は得いたされまじと云々。上着して隼人正にこの趣を告ぐ。隼人正大いに悦びていう、汝が答え実に執権の事なり。最早我泉下に帰るとも恨みなしとて大いにこれを褒むと云々。虚実未詳。

1893年(明治26)3月以降、尾張徳川家の世襲財産として登録?

官報に名前が載っているのを発見したが具体的にどういう扱いかよくわからないので誰か明治の法律に詳しい方調べてみてほしい。

『官報 1893年03月07日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1893年(明治26) 出版者:日本マイクロ写真
ページ数:108 コマ数:17

華族従四位侯爵徳川義禮所有左ノ物品ヲ以テ世襲財産附属物ト為シ度旨願出タルニ附該物品ニ對シ故障アルモノハ本年四月十三日マデニ當局ヘ申出ツヘシ 但物質形状等承知セントスルモノハ當局世襲財産課へ申出ツヘシ 明治二十六年三月七日

徳川義礼侯爵は尾張徳川家第18代当主。尾張徳川家の世襲財産としてこの頃何か登録があったらしい。
上の文面からすると正式な認定はこの年の4月以降のようだ。

1941年(昭和16)9月24日、重要美術品認定

昭和16年(1941)9月24日、重要美術品認定。
財団法人尾張徳川黎明会名義。

「短刀 銘 吉光(名物後藤藤四郎)」

『官報 1941年09月24日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1941年(昭和16) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第七百九十二号 昭和十六年九月二十四日
ページ数:675 コマ数:4

1954年(昭和29)3月20日、国宝(新国宝)指定

昭和29年(1954)3月20日、国宝(新国宝)指定。
財団法人尾張徳川黎明会名義。

「短刀 銘 吉光(名物後藤藤四郎)」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:23 コマ数:21

現在も「徳川美術館」蔵

尾州徳川家は1935年(昭和10)に尾張徳川黎明会として「徳川美術館」を開館。
後藤藤四郎は尾州徳川家に伝来してから以後現代まで同じ家が所有し続けていることになる。

『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:九 短刀 吉光 名物後藤藤四郎
ページ数:18、19 コマ数:34、35

「徳川美術館」のWEBページでも確認できる。

作風

刃長九寸一分五厘(約27.7センチ)
重ね二分五厘(約0.8センチ)、平造り。

小板目つみ地沸えのついた地鉄に、直刃調の浅い五の目乱れをやく。
鋩子は表裏とも小丸だが、表は沸え崩れる。

茎は目釘孔四個。
「吉光」と二字銘。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:ごとうとうしろう【後藤藤四郎】
ページ数:2巻P272、273

調査所感

デジコレがパワーアップしたのでいっぱい検索引っかかるかなーと思ったらまさかの同名っていうか後藤藤四郎さんがいっぱいいて笑った。

国宝だから情報はやはりあるはずなんですが紛れ込む他の後藤藤四郎さんを乗り越えてまとめなければいけないと言う。

わかりやすくまとめたものが見たいなら最初から『黎明会名刀図録』を読んだ方が早そうですね。

『日本刀大百科事典』の出典をざっと見た感じ、本阿弥家が書いた『享保名物帳』やその『名物扣』の記述が本によってちょっとずつ違う感じっぽいですね。
一口に『名物帳』と言ってもバージョンがいっぱいあるのです。
代付けの文章とか検索に引っかかってくるのでこの辺は研究者もチェックしながら検討しているようです。

上で挙げた出典を直接読んでもらえばわかりますが、後藤藤四郎とはほとんど呼ばれず資料だと「吉光の脇指」「吉光の短刀」とかそういう表現が多いですね。

後藤くんに関してはそもそも逸話の大部分の千代姫様の時代が1600年代の半ばから終わり、つまり『享保名物帳』(1719年とかその辺り)の少し前なんで、その頃の資料に書いてなくても享保時代には確実に「後藤藤四郎」と呼ばれています。

そもそも号の由来である後藤さんのエピソード出典が江戸初期の元和頃だというのでそのあとから後藤藤四郎の名で呼ばれ始めたと。

これまで他の刀剣を調べた感じからしてももともと内輪で呼んでいた刀の名が定着して資料に見られるようになるのに大体50~100年って感じなので『享保名物帳』が作られる前の約100年、江戸の初期から元禄辺りまでがちょうど後藤くんの物語ど真ん中って感じですね。私の個人的な分析なので書き方と印象の整理は何なら自分でやってください。

将軍家にもってかれそうになった逸話が書かれている『鸚鵡籠中記』は元禄の頃、尾張徳川家の家臣だった朝日文左衛門重章の日記で、『名古屋叢書』続編の第9巻~第12巻に収録されているそうです。

デジコレだと国立国会図書館限定で読めないなーと思っていたんですが『名古屋叢書』は多分大きな図書館だと普通に置いてある本ですねこれ。

叢書を借りるのは大変そうなので岩波文庫から出ている『摘録 鸚鵡篭中記 元禄武士の日記』にあわよくば収録されていないかとまずこちらを探すことにしました。

上巻の終わりごろに出ていました。文庫本ですし注釈付きですのでこれが読みやすいと思います。

その注釈によると、尾張では幕府が尾張藩から木曽山を取り上げようとしたのを巧みに拒絶した伝承が他にもあるそうです。

後藤くんの物語と尾張藩の歴史が深く結びついたエピソードというわけですね。へー。

参考文献

『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:大猷院殿御実紀 巻十四 (寛永六年七月−十二月) ページ数:164 コマ数:90
目次:大猷院殿御実紀 巻四十一 (寛永十六年七月−九月) ページ数:545 コマ数:282

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:一 京物(上)
ページ数:5 コマ数:12

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:粟田口藤四郎の部 後藤藤四郎
ページ数:12、13 コマ数:21

『寛政重脩諸家譜 第2輯』
発行年:1922年(大正11) 出版者:国民図書
目次:巻第二百九十七 清和源氏(頼光流) 土井 利勝
ページ数:608 コマ数:314

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造 山城 粟田口
ページ数:337 コマ数:188(または189)

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(上) 名物牒
ページ数:11 コマ数:8

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ゴトウトウシラウ【後藤藤四郎】
ページ数:187 コマ数:104

『官報 1941年09月24日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1941年(昭和16) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第七百九十二号 昭和十六年九月二十四日
ページ数:675 コマ数:4

『重要美術品等認定物件目録』
発行年:1943年(昭和18) 出版者:文部省教化局総務課
目次:東京府
ページ数:261 コマ数:136

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年 出版者:春陽堂
目次:目録 短刀 銘吉光(名物後藤藤四郎)
ページ数:9 コマ数:21

『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』(データ送信)
発行年:1958年(昭和33) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:27 コマ数:20

『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:九 短刀 吉光 名物後藤藤四郎
ページ数:18、19 コマ数:34、35

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:婿引き出の後藤藤四郎
ページ数:93~99 コマ数:54~57

「刀剣と歴史 (430)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年(昭和41)3月 出版者:日本刀剣保存会
目次:名物帳に記された山城の名刀(二) / 辻本直男
ページ数:5~9 コマ数:9~11

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) 解説』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品
ページ数:76 コマ数:92

『日本刀新価格総鑑』(データ送信)
著者:刀剣春秋新聞社 編 発行年:1966年(昭和41年) 出版者:徳間書店
目次:(3)短刀 後藤藤四郎吉光(国宝)(名物)
コマ数:5

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) [本編]』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:図版
コマ数:168、169

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:23 コマ数:21

『国宝 : 原色版 第9 (鎌倉 第3)』(データ送信)
著者:毎日新聞社「国宝」委員会事務局 編 発行年:1969(昭和44) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品 コマ数:28
目次:解説 コマ数:135

『原色日本の美術 21』(データ送信)
著者:尾崎元春、佐藤寒山 発行年:1970年(昭和45) 出版者:小学館
目次:一、日本刀概説
ページ数:223 コマ数:229

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:ごとうとうしろう【後藤藤四郎】
ページ数:2巻P272、273

『摘録 鸚鵡籠中記(上) 元禄武士の日記』(紙本)
著者:朝日重章 著、塚本学 編注 発行年:1995年(平成7) 出版者:岩波書店(岩波文庫)
目次:元禄十六(一七〇三)年 九月 二十日
ページ数:328、329

『徳川美術館所蔵 刀剣・刀装具』(紙本)
著者:徳川美術館 編 発行年:2018年(平成30) 出版者:徳川美術館
目次:9 国宝 短刀 銘吉光 名物後藤藤四郎
ページ数:14

概説書

『刀剣目録』
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 山城国粟田口 吉光 後藤藤四郎
ページ数:103

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:後藤藤四郎
ページ数:77