夢語感想

 舞台の新作ゆめがたりかたなのうたげを見たので感想でも簡単に。
 この時期はちょうど舞台の配信50%OFFセールをやっていたので夢語視聴時点で綺伝までは見終えています。
 あと一作(禺伝)だけ見れば追いつける。

・冒頭の構図
 自分がどこにいるのかわからない国広、同じく長義、そこにやってくる博多、前田、一期
(慈伝でも冒頭に登場した五虎退南泉の役割は最後まで重要だったことを考えるとこの入り方は重要だと思われる)

・機関車
 鶴丸を止めようとした国広が吹っ飛ぶ
 
 仏教系構造の作品を調べていると機関車とか列車が出てくる作品が結構あるのでこれ重要ワードかもしれないと思いつつ何故重要なのかがネタ元を見つけられていないのでわからないといういつものパターン。
 ただそれを差し引いても、進み続ける列車を国広が止めようとして止められず吹っ飛ばされるという点は注目したい。
 鶴丸がいろいろやらかすのはいつものことだけど鶴さん本当に「白い鳥」というメタファーとしての役割が重要すぎる。

・夢くじ

・誰も見ていないのに色っぽい仕草をする

 見ていないところに問題がある、見ないふりをしている間に問題が育っているということではないかと。
 この後のCMネタでダメ出しされまくって疲れの様子を見せる国広と合わせて考えるとまぁそういうことかと。
 仏教的には「色」は物質的存在、視覚の対象を指すってよ。

・名前鬼
たっちされる寸前に他の刀の名を呼べば鬼が交替
(メタファーとして考えると怖すぎるんだが)

・国広と三日月の中身が入れ替わる(!?)

「山姥切長義、他人事だと思って勝手なことを言うな」
「おや俺の知っている山姥切国広であればこれくらいのことで動じるはずがないのだが」
「くっ」
「はっはっはっは俺が山姥切長義に責められている なんとも不思議な光景だな」

 このやりとりについて下のほうでちょっと考察してます。

・夢くじはどちらのものか

・CMネタ3つ

 1つ目 兄弟である堀川・山伏にダメだしされまくりながら筋肉栄養剤のCMをする山姥切国広
 CMという「他者のために演じる」行為が国広は不得手なこととそれでも必死に応えようとして疲労しているさまが見て取れる。
 最後に兄弟三振りで食べているものが糸状であるスパゲティ。縁を食らうというメタファーではないか。

 2つ目 爪紅

 爪紅はマニキュアのことだが、「鳳仙花(ホウセンカ)」の別名でもある。
 鳳仙花は種子が熟すと皮が破れて種子が飛散する特徴があることと、属名のラテン語の意味が「忍耐しない」というものであるのが気にかかる。
 直前の国広のCMがまさしく忍耐だっただけに。

 3つ目 甘酒と水面の月

 酒は意味するものが多すぎて調べてもうまくいかないのだが特に気になったものをいくつか。

 『古事記』や『日本書紀』に登場する酒
 八岐大蛇退治(八塩折之酒(やしおりのさけ)というらしい)で有名なように、酒で酔わせて神や強者を殺すエピソードはどこの神話にもある。

 ここだと甘酒なので『日本書紀』に出てくるという「天甜酒」のほうかもしれない。
 木花咲耶姫が天甜酒と飯を造り新嘗祭を行ったとか。
 悲伝で足利義輝が木花咲耶姫のことを口にしていたことを考えてもこれはちょっと気にしておいたほうがいい気がする。
 そして演出のほうも月と水面である……。

・外道
(仏教的な意味だと仏教の教えに反することを支持する人のことを指す)

・めっちゃいい時間遡行軍を斬ってしまったのか
(というか今回の長谷部関連全般重要な気がする)

・二人三脚
(転ぶ五虎退と助けなかったことをからかわれる一期薬研)

 Wikipediaによると二人三脚は日本初の運動会(1874年に海軍兵学校で行われた)の競闘遊戯において「蛺蝶趁花(ちょうちょうのはなおい)」という名称で実施されたらしい。
 というかこの競闘遊戯の競技名他にもいろいろ気になりすぎるんだが。
 「暁鴉乱飛(あけのからす)」は障害物競走で「蜻蛉飜風(とんぼのかざがえり)」は棒高跳びらしい。これ今度もうちょい調べたほうがいい?

・ひげ踊りのみかんの串キャッチ

 「非時香果(ときじくのかくのこのみ)」という常世の国に生える不老長寿の実が出てくるらしい。

 『古事記』では垂仁天皇が多遅摩毛理に時じくの香の木の実(ときじくのかくのこのみ)を求めさせた。
 『日本書紀』の垂仁紀では、垂仁天皇が田道間守を常世国に遣わして「非時香菓」を求めさせたが、その間に天皇は崩御した。
 
 橘、つまり蜜柑のことらしい。
 ネットだと結構詳しく解説してくれるサイトさんもあるのでミカンと串刺しで検索したらそこが引っかかってきました。

 「非時」は、「時を定めず」「時間を超越する」という意味で永遠や不老不死を象徴する。
 「香果」は文字通り香り良い実。

 そして田道間守を遣わした「垂仁天皇」の子どもが「景行天皇」や「倭姫命」で……つまりこの話からヤマトタケルのエピソードにつながっていくということか。
 あああああ。
 

・長谷部による落語 「時そば」

 蕎麦の屋台で起こる滑稽話。「刻そば」「時蕎麦」という表記が用いられることもあるらしい。
 蕎麦の勘定をめぐるごまかしを目撃した男が自分も真似して同じことをしようとする話らしい。

 このごまかしをわざわざ「真似」つまり「模倣」するというところが非常に意味深……。

・再びくじで三日月と国広の入れ替わりが戻った瞬間仕掛けてくる遡行軍
(これに一番最初に気づくのが長義)

・夢に閉じこもる審神者
(天岩戸のようだという小烏丸の指摘)

・歌と踊りで引っ張り出す

 天岩戸のようだと言われているので記紀神話通りに歌と踊りで天照たる審神者を引っ張り出すのは重要なんでしょうが、最近仏教関連を調べている身としてはどうも仏教方面にも歌はめちゃくちゃ重要な要素がある気がします。

 しかし仏教における歌の重要性に関しては以前から調べているがめぼしい成果なし。
 仏教の理屈をモデルにしていると考えられる複数の作品で重視されている要素にあるものの何をモデルにしているかがわからない……(溜息)。

 ただ「重要」であることだけはほぼ確実なので記紀神話なぞり以外にも仏教方面で核心的な意味があると考えられる。

・歴史上の人物たちの中の人の出演 おはぎと歌

 おはぎは魂や神の依り代として語られる餅を甘い豆(魔目)でつつんだもの。
 慈伝の青いおはぎネタに続いて2回目なのでやはりおはぎのメタファーは重要だと考える。
 餅だけならば維伝のおまけ映像で中の人が餅を食べてわちゃわちゃしてるシーンがあったけどあれも重要性は同じだと思われる。

・遡行軍とハグする長谷部

 戯曲本などを読むと舞台の抱擁場面は明確に指示しているのでこのシーンは重要だと思われる。

・予告の入電で御前

 次回は新選組メンバーで慶応甲府相当の内容。

 ……って慶応甲府やるの!?
 ってことはその次以降で対大侵寇やれるってこと!?

 慈伝考察の時点で本丸襲撃が再度あるのは予想しましたけどああああそうか慶応甲府まで話進んだらタイミング的にもう対大侵寇に入れるんだな。
 うわぁああああ!

 そこで話に区切りつけるってことなのか。
 ってことはやっぱり派生は全部原作と連動させて対大侵寇相当の内容(強化プログラムを派生でやるとは考えにくいのであくまで「相当」の何かと表現したい)までやったら「第一節」終了になりそうですね。あああああ。

 以前に予想した感じから言って話の規模的には確かに対大侵寇クラスでもおかしくないのか。
 タイトルはじゃあ今までみたいなしっとり系じゃなく対大侵寇意識したものになるのかなぁ。
 今回の伯仲デュエットが黄色いスポットの中で輪郭が溶け合う構図だったので黄昏黄葉回収した感あるし。

 ◇ 夢語刀宴會の気になった部分整理

「山姥切長義 他人事だと思って勝手なことを言うな」
「おーや俺の知っている山姥切国広であれば これくらいのことで動じるはずがないのだが」
「くっ」
「はっはっはっは 俺が山姥切長義に責められている なんとも不思議な光景だな」

 やっぱここだよね一番のポイントは。

 国広の台詞は他の男士スルーで長義くんだけわざわざ名指ししてるからまぁ甘えただよね。
「他人事みたいに言ってないでもっと心配してよ!」っていう。

 まぁ国広は慈伝からこういう感じではあるな。口では反発しているように見えて発言内容整理するとびっくりするほど本歌に依存してる。
 大事なのはこの後の長義の返しと三日月の反応。そして名前鬼のルール決めで

「外側の名前で呼ぶのが良いではないでしょうか」
「そのほうがわかりやすくて助かる」

 となったこと。つまり、肉体交換状態に関して長義以外は全員「外見」重視の発言をしているという話と関連していると考えられる。

 人間の感覚だと呼称は中身に合わせると思うんだけど刀剣男士は「外見」。
(※演じる人が名前鬼大変すぎるというメタ事情は置いておく)

 この考えはある意味悲伝の三日月が自分が前世と違う陣営に転生したことを自覚しながら結局現在の名前と立場を選んだことと同じ価値観だと思われる。
 中身より外見重視。
 その中で長義だけが「中身重視」。

「俺の知っている山姥切国広であればこれくらいのことで動じるはずがない」

 要はどんな姿であろうと何が起きようとまずお前がお前自身であれ、どんな時でも自己を貫けというなかなか手厳しいド正論。
 国広自身も取り乱してる自分を自覚しているから言葉に詰まる。

 長義にとってはどんな姿をしていようと国広は国広。
 でも外見だけを見たらほとんど接点のない長義に三日月が叱られているというすごい絵面。

 ……ここ見る限り慈伝で俎上に上がった日日の葉「相手と同じものになりたい」、同一化願望ってやっぱり国広のものなんだな。
 慈伝では両方キレてたから境目がちょっと曖昧だったんだけど、今回国広は取り乱してるけど長義が冷静なんで個々の意見を分析しやすくなった。

 己を証明するものは己自身である。それができない者を認めることはできない。
 長義くんは慈伝綺伝からの今回夢語でしっかりキャラ一貫したと思う。

 言われて振り返ってみれば長義くんがいつも国広に示せと求めるものは剣の腕じゃなくて心の方の強さじゃないか。
 あれほど山姥切長義らしくないと言われた花丸でさえそうだ。

 単に剣の腕だけだったら国広はすぐに証明できる。できないのはいつも心のほうの問題だなこれ。

 しかし国広側の話を追うとここで長義くんに「己を貫け」要請される一方、CMネタで堀川山伏から「他人のために演じる」ことを求められてうまく応えられない姿を繰り返しているので……出てくるのが糸、縁を象徴するスパゲッティということもあってめっちゃ不穏。本歌と兄弟、二種類の身内から真逆のことを求められてる。

 これで次回は国広の姿が変わる極修行か……。