静形薙刀から見る刀剣男士存在分析
実在しない静御前の薙刀、巴御前の薙刀
『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:静御前と巴御前の薙刀
ページ数:53~64 コマ数:34~40
研究史調査の途中で静形薙刀・巴形薙刀を調べていたのですが、逸話なき薙刀の集合体である静形と巴形と、その名称のもととなった「静御前の薙刀」、「巴御前の薙刀」について調べたら、むしろ他の一振りの逸話をもとにした刀剣男士より刀剣男士がどういう存在なのかわかりやすいのでは? と思いました。
というわけでいっちょ静ちゃん巴ちゃんについて考えてみましょう。
まず、そもそも静御前の薙刀、巴御前の薙刀というものは「存在しない」です。
一番上で紹介した酔剣先生の本を読むとわかりやすいのですが、そもそも静御前や巴御前の存在に触れた軍記物などで、この二人が薙刀を使っていた記述が存在しないそうです。
静御前はもともと白拍子であり戦うことが役目ではないので当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、女武者として知られる巴御前の方も、弓などを使うシーンはあっても薙刀を使ったという記述がない。
静御前、巴御前辺りになるとまずこの女性たちの実在自体が確かなのか疑われることもあります。
Wikipediaなんかでざっくりと調べると、巴御前が女武将というのも創作の脚色ではないか? と言われているようですね。
鎌倉とかその頃の時代の話は軍記を頼りにしているものが結構ある一方、軍記はエピソード盛るから信頼性は怪しいよ! という文言がセットでくっついているのがデフォルトといった感じです。
静形薙刀、巴形薙刀という名称は、静御前の使った薙刀、巴御前の使った薙刀と同型のものをそう呼ぶと説明されることがある。
しかし、実際にはまず「静御前の使った薙刀」「巴御前の使った薙刀」は存在しない(使用したという資料自体がない)。
この内容自体は薙刀に詳しい人は知っているみたいなんですが(とうらぶWikiとかにさらっと書いてある)、「静御前の薙刀と巴御前の薙刀は実在しない」ことにめちゃくちゃ着目して刀剣男士の存在性を考察しているものは、とりあえず私は見たことはないです。後発プレイヤーなんで話題に乗り遅れただけの可能性ももちろん常にあるが。
しかしこの「実在しない」という性質は存在分析においては重要項目なので、まずこれをトップにたかだかと掲げて考察したいと思います。
刀剣の知識も歴史の知識も何の知識もねえよ! な自分は巴ちゃんが名の由来を辿ることも云々修行手紙で言っていたのでてっきり巴御前の薙刀は実在しているのかと思ってました。してなかった。
考えてみれば当たり前だよな。
静御前と巴御前の薙刀が実在してたらわざわざ静形と巴形じゃなく、静御前の薙刀と巴御前の薙刀を顕現すればいい。
別に今の巴ちゃんと静ちゃんに不満があるとかそういう意味ではありませんよ。
そうではなく、名称として「静御前の薙刀」「巴御前の薙刀」ではなく「静形薙刀」と「巴形薙刀」と呼ばれる形状中心の集合体の二振りが現れたのは何故か。
集合体であるという自意識が今の二振りの性格を作り上げているので、今となってはそこも欠かせないあの二振りの一部ですが、そこをあえて差し引いて考えるならば、「静御前の薙刀」「巴御前の薙刀」はもし二人の女性が薙刀を使った記述がこの世に存在するならば顕現されていた可能性があるのではないだろうか。
その場合、今の巴静とは性格が変わることになりますが、自己認識による多少の性格の相違はむしろ各種派生作品で同一名の男士の性格が全然違うことを考えれば、結論的には大多数の許容範囲内に収める造形……
つまり、逸話なき集合体でなくても限りなく今の性格に近い二振りでありながら「静御前の薙刀」「巴御前の薙刀」として実装することはできただろうと思います。
今だから二振りの性格ががらっと変わるのが許容できないのであって、二振りを知る前だったら問題はない。つまり運営側の視点からすれば当然その選択肢もあるのです。
長義くんの名前の件に関しても思いますが、その子の大事な一部要素だから消えてほしくないと願う当たり前の感情面の問題と、名前という要素、逸話なき集合体という一要素をマイナスするだけで対象として同一性を絶対に保てないか、という存在分析の哲学は分けて思考するべきだと思います。
我々としてはもうすでに登場した子をこういうキャラ造形だからと受け入れているのであまりに突拍子もない変化をしたら戸惑うことはあるでしょうが、存在としてはその思考の変化に至った理由がわかれば納得できることの方が多いと思います。逆に納得できなかったらもはや対象の同一性をその一要素でしか認識していないことになります。
まぁ思考実験のセオリーについては置いといて。
何故「静御前の薙刀」ではなく「静形薙刀」、「巴御前の薙刀」ではなく「巴形薙刀」が実装されたのか?
そもそも、「静御前の薙刀」「巴御前の薙刀」と言われるもの自体が存在しないからだ。
存在しないなら何故そんなものが静形と巴形の名前の元になっているの? と言うとこれまたいつもの能・謡曲の存在だろうと思われます。
巴御前に関してはそのまま「巴(能)」で薙刀使いになっています。
静御前に関してはちょっと話が複雑で、上で「静御前の薙刀」はないと言っておきながら矛盾するようですが、一応「静御前の薙刀として伝えられている薙刀」は存在します。
あと創作の方面だと静御前が登場する能の演目、「船弁慶」は静御前役のシテが前段で白拍子としての静、後段で薙刀を使う平知盛を両方演じたりするそうですがその辺までくるとちょっと関係あるかどうかわかりませんね。
静御前の薙刀に関しては重要なのは「静御前の薙刀として伝えられている薙刀」の方だと考えられます。
「静の薙刀」はなんと呼ばれるか
「静御前の薙刀」として特に有名なものは、「将軍家に伝わったが家光が折った」ものと、「前田家の重宝」の二振りだと思います。
これも大体酔剣先生の本で説明されています。
将軍家のものは家光がうっかり折っちゃってどの山城守かはともかく山城さんが茎継ぎをしたらしいです。
前田家のものは、静御前の薙刀として伝えられ、病を癒す霊験あらたかな薙刀として非常に大切にされていたようです。
前田家3代目の利常はこの薙刀を静御前の薙刀と信じていて、将軍家と前田家とどっちの薙刀が本物なの? と人々の噂になったときに静御前ならば名刀の薙刀を複数持っていてもおかしくないと言い放ったそうです。
ただしこれらの薙刀は、刀剣の研究者の視点からは、
静御前が薙刀使いであった記述がないなら、静御前の薙刀は存在しない。
これら「静(シズ)の薙刀」として伝わっているものは志津三郎兼氏作の薙刀、
つまり「志津(シヅ)の薙刀」ではないか?
と考えられているようです。
静御前が薙刀を使ったということ自体が史実として確認できない以上、物言わぬ物の伝来の方が間違っている可能性があります。
ここまで調べてきた刀の研究史の中にも、伝来先はこう伝えているが客観的な証拠からその事実が間違っていた、という内容は結構ありました。
特に刀の伝来や作者である刀工の情報は、所有者でさえ知ることが出来ないことは多いです。
戦国武将だの幕末志士だのの歴史関係の書籍を読むと、日本人は結構文書での表記・漢字表記などに拘らないことがわかります。
音が合っていれば字が違っていても構わないというのは百年位前の割と最近までもあったことですし、恒久不変に語弊を生まない書き方を意識するよりも、当時の人にだけ通じればいいと考えていたのかもしれません。
まぁでも正直現代の我々が書く文章もそんなもんだよね……。
研究者側は当然それを知っているので、音が似ているので誤伝ではないか? という推測をします。
静御前の薙刀として現代まで伝えられているものであっても、現代の研究者が静御前の薙刀だ、と考えているわけではないという話になります。
とはいえ前田家の「静の薙刀」さんはめっちゃ大事にされてるなら普通に顕現できるんじゃないの? という視点で考えてみたいと思います。
その場合……肝心の「名前」はどうなるんでしょう?
「シズ(ヅ)の薙刀」と音にした場合、答える方の自己認識は「静」か「志津」か。
「静御前の薙刀」という存在は、名前をどう呼ぶかと考えた場合ここで引っかかると思います。
名前という物語、刀という存在
とりあえず2023時点で「実装されていない」「静御前の薙刀」についてその存在を分析してみると
1.静御前の薙刀(静御前が薙刀を使用した記録)は存在しない
2.静御前の薙刀(と所有者が伝来してきた刀)は存在する
3.静御前の薙刀(と呼ばれた刀)は、存在するともしないとも言えない
(前田家や将軍家の刀は「静の薙刀」か、それとも「志津の薙刀」か)
ということになります。
この「静御前の薙刀」に対して、すでに実装されている「静形薙刀」を比較すると
1.静形薙刀(反り浅く、先幅の広くならない薙刀)は存在する
2.静形薙刀(西郷家伝来のものなど)は存在する
3.静形薙刀と呼ばれる刀は存在する(形状の定義だけなので割と明確)
こうして比べてみると「静御前の薙刀」よりも「静形薙刀」の方が存在としては安定しているのではないだろうか?
「静形」という名称は確かに「静御前が使った薙刀と同じ形のもの」という意味を説明されることが多いのだが、話の中核は反り浅く、先幅の広くならない薙刀という形状に関するものであって、その形であれば静形薙刀と呼ばれる。
(たまに定義が違ったり巴形と逆になっていることもあるらしいが、基本はこんな感じ。反りの浅い、少ないもの)
刀剣の名称や号は結構時代で呼ばれ方が変わるので、形か型かみたいな漢字の違いは些細な問題です。
静形薙刀は逸話なき薙刀の集合体とは言うものの、今までの他の刀の研究史調査の結果と比べても、この内容なら他の刀と存在の条件は大して変わらないような気がします。
刀剣男士は逸話が曖昧な刀ばっかりという言われ方をたまに耳にするんですが、その捉え方はちょっと違うと思います。
もともと刀剣の逸話、現代まで伝来された資料の正確性などは疑わしいものが多数あり、結局どの刀も逸話は曖昧と言うしかない。
さらにいくつかの刀は実存する刀そのものの正確な来歴より、謡曲や講談、軍記などの創作物の影響で創作としての物語を基準とした名称で刀剣男士として顕現しているものがあります。
わかりやすいところでは、この刀は「竹俣兼光」と同一物だろうと推測されている「小豆長光」。
ほぼ同じエピソードが二つの名称で語られているので『享保名物帳』にも載っている「竹俣兼光」の方が存在が確かなような気がしますが、『甲越軍記』など軍記物で呼ばれる「小豆長光」の名で顕現しています。
他にも、太郎太刀や次郎太刀は元主の真柄父子が軍記や講談での活躍を描かれ、その内容を実在の刀である熱田神宮の刀に付会している形の刀剣男士ではないかと思われます。
この「付会」という認識の仕方が一つのポイントだと思います。
付会できる、こじつけて考えることができるということは、現存はともかく史実の中での「実存」が何らかの形で明らかである、ということなので。
その「実存」、かつて実際に存在したことの証明自体は様々ですが
1.資料にて存在が確かで、現存もする(古くから価値や逸話が明確な刀、現在の国宝・重文)
2.資料にて存在が確かだが、現存しない(古くから価値が明確だが焼失したりした刀、焼失名物や戦後に失われた刀)
3.資料の信頼性が低いが、現存する(逸話は曖昧だが現在の価値が明確な刀、重文になるものもある)
4.資料の信頼性が低く現存もしないが、実存はした(新選組や幕末志士の佩刀で現存しないもの)
大体この辺りの存在になると思います
1は国宝・重文が多い……っていうか、歴史がある程度明確で現在でも名刀として価値がはっきりしている刀だから国宝や重文になるので、そういう刀です。
長義くんもここだと思います。山姥切の号の問題は要素の一つで、刀そのものの価値(折紙)や来歴(北条氏から長尾顕長に下賜)の明確な部分が多いので。
重文でなくても昭和名物の新刀、蜂須賀や浦島くんもここじゃないでしょうか。
2は焼失名物の薬研や、戦後の刀剣接収騒動で失われたとされる蛍丸みたいな刀。
現存しないが高名さが過去の資料から明確です。
3は逸話の情報が見落とされたものの堀川国広の最高傑作であることが明確な山姥切国広みたいな刀。
国広に関しては銘文で長尾顕長所持が明確なので厳密には1と3の要素を持っていると思います。
4は新選組や幕末志士の佩刀のような、そもそも刀工が判明してなかったり贋作疑惑があったりで性質も名前も確証はないが、持ち主と一緒に時代を駆け抜けたという一点突破で実存要素が輝く沖田組や堀川くんです。
むっちゃんは現存するので3になるでしょうが、兼さんは複数あるうちの現存する和泉守兼定は当時土方さんが持っていたものではないのではないか? と言われていることを考えると3と4にまたがるかもしれない。
今剣・岩融も4だと考えられます。
この二振りは号どころか刀種も合っていないかもしれないかもしれませんが、実在が疑われる弁慶もモデルとなった人物自体は存在すると考えられているので、義経の刀、義経に協力した僧兵の刀、に創作上の名前が乗っている存在と考えられます。
集合体は複数の刀の要素をまとめる分いくつかの項目にまたがる場合が多いと思います。
静形薙刀と巴形薙刀も1~4にまたがって存在すると思われます。
実存刀に関しては集合体という要素が絡む以上、実存と言っても大体これぐらいは性質分けできて面倒……もとい複雑ながらもみな最低限の条件
「実際に歴史に存在した(ただし名称をはじめとする情報の正確性は保証しない)」
は一応満たしていると考えられます。
その名称や逸話の性質はあくまで絶対的史実ではなく、実存した刀に創作を付会したものが圧倒的に多い。
実際に歴史に存在してかつ名称や特徴が正しいことまで条件に含めると、顕現できない刀が今より圧倒的に増えます。
そこまで条件を厳しくすると長義くんより前にまず国広も顕現できません。名称が同じでも号を生み出した逸話の認識が正確じゃありませんから。
新選組の刀は軒並みアウト、源氏や平氏の刀も現存物がそれそのものではないと言われているのでアウト、一見普通に顕現しているような刀でも中身が大幅に変わる刀も増えます。
逆に号と逸話の関係を完全に一逸話一刀剣男士でカウントすると逸話の内容が違っても号は同じ山姥切国広は顕現できると思いますが、むしろ山姥を斬った逸話と斬っていない逸話両方で二振りに増えると思います。
こっちの考え方だと同じ名前の別の刀剣男士が無限に増える可能性ありますねこれ……。
内容同じっぽいのに使い手や刀工が別の逸話とか無数にありますよ……。鬼丸さんの刀工とか7説くらい、骨喰という号の由来とか8説くらいあった気がする。いやごめん嘘だ、『日本刀大百科事典』見たら鬼丸さん同名異物11説くらいあるわ。どうしろってんだ。
つまり刀剣男士の本体である刀における実存(現存を問わない)の条件はもともとこれだけ緩く、幅広く、しかしある意味で実存していなければ顕現できないという意味では厳密なものであると考えられます。
(と言っても資料の信頼性を追求するとどこまでも曖昧と言えば曖昧なんだが……)
実存と非実存の境を分けるのは、名称ではなくあくまで史実に存在した資料があるかどうか(資料の信頼性自体は低い場合がある)ではないか。
能や歌舞伎、講談などのようにエンターテイメントとしての創作にしか登場しないか、一応歴史的資料として扱われるものに登場するかどうか、なのではないでしょうか。
能(謡曲)などの中にしか薙刀を使った記述のない「巴御前の薙刀」よりは、逸話も号もない「巴形薙刀」の方が存在が確かなのかもしれない。
「静御前の薙刀」と伝えられるが実は「志津の薙刀」かもしれない「静の薙刀」よりは、「静形薙刀」の方がその呼称に反応しやすいのかもしれない。
これまで調べた刀の中にも名称はともかく存在自体が完全創作出典という刀はいなかったので多分そうだと思ってましたが、「静御前の薙刀」と「静形薙刀」の違いを考えると刀剣男士の存在はこのようなものではないか? と考えることが出来ます。
静御前の薙刀として伝えられ、前田利常もそう信じていた薙刀が今もそのように語られていたなら前田家の「静の薙刀」が顕現されたかもしれないが、研究者がこれを否定する。あれは「志津の薙刀」だと。
実存し、所有者に大切にされ、静御前の薙刀と信じられてきた。
それでも静御前の薙刀より「静形薙刀」が先に実装されたわけは、これに関しては名前の問題なのかもしれないと思わせるのが「静(シズ)の薙刀」と「志津(シヅ)の薙刀」という問題。
ズとヅは文字で見ると別の字だが、音そのものに違いはない。
現在の我々は文字で音を判別するが、昔はむしろ、音が合っていれば別の字をあてても構わない風潮があった。
刀剣男士にとっての「名前」とは何なのか。
長義と国広に関する「号」「名前」の問題について悩む山姥切界隈の死活問題ですが、静形薙刀と静御前の薙刀の関係性から考えると、やはり「その名で呼ばれて実存する刀」が存在すること、「名前」と「実存」の二つの条件を満たすことは重要だと考えられます。
長義の号が事実誤認という認識から「名前」そのものの独立性による顕現を主張する意見もありますが、「静御前の薙刀」に関して考えれば逆に、「物語にしか存在しない刀」は現時点では基本的に「顕現できない」と見る方が自然な捉え方ではないだろうか。
長義に関しては実在かつ現存の「本作長義(以下58字略)」に「山姥切長義」の名が結びついている存在として捉えるのが一振りの刀の研究史の理解としては最も正確なものであると考えられるでしょうし、他の刀も現存ではなく「実存」を条件にした場合、この条件で顕現していると思われる刀はそれこそ幾振りもいます。
「実存すること」
「名前があること」(正式な号でなくともかまわない)
この二つの条件だけです。
ちなみにここ最近派生の仏教要素から仏教(東洋哲学)の視点で考察している立場から考えると、名前が存在を定義するかみたいな問題は中観派の「空」の思想あたりで議論されている内容だと思います。
そこでは名前はそんな絶対的なものではない、でも人間は名前を通してじゃないと認識できない、言葉はそんな絶対的なものじゃない、でも人間は言葉によって説明を求めるし理解するじゃないか、という一種のジレンマ的な話がされます。
「実存」と「名称」の要件を満たしながらもその「名称」部分に確実性がなく「実体」の認識についての議論が必要となる。
この哲学的存在そのものが刀剣男士なのではないでしょうか。
つまり、刀剣男士はジレンマが存在する方がスタンダードでデフォルトだと思われます。
ある意味さんざん仮説を立ててきたことの繰り返しではありますが、刀剣男士の存在はむしろ全振りが「集合体(縁起によって成り立つ存在)」として考える方が自然であり、逸話や名称を特定資料の記載だけに基づく単一条件からの顕現と考えることは無理ではないかと思います。
刀剣男士の存在分析に関しては、原作ゲームオンリーで刀剣の研究史を基準に解釈していくと割と早い段階で「そもそも全振りが集合体である」という結論に行きつくと思います。
この解答は仏教(東洋哲学)の思想そのままです。
そしてその哲学的思想による解答は、そもそも歴史の一般的な理解と同一です。
どちらも突き詰めれば「正しく物事を認識する」ための手順と思想に帰結するからです。
もっと言ってしまうと、そもそもこうした仏教(東洋哲学)の存在がどうのこうのの議論の対象って我々人間自身も含まれます。
刀剣男士も人間も認識という哲学においてその存在の確かさに差はないと言えます。
刀剣男士は不確かな資料の上にしか存在しないから曖昧な存在なのではなく、その認識の在り方を突き詰めていくと究極的に刀剣男士の存在は認識の問題において我々人間と同じ、と考えられます。
人間である我々よりも認識の中にしか存在しない刀剣男士は曖昧な存在、ではなく、刀剣男士をいかにして我々は認識しているかという問題を突き詰めてたどり着く先が、そもそも「我々人間はみな縁起によって成り立つ存在である」という哲学です。
さて、そろそろ今回の結論をまとめると、
名称は実存性に優先しないが、実存に続いて名称が重要である。
(「静御前の薙刀」ではなく「静形薙刀」が先に実装された理由がそれではないか?)
と言ったところです。
前田家の「静の薙刀」は刀剣男士として顕現できるのか?
もしかしたらこの先「静形薙刀」が本丸で物語を育てていくことで、逆に「静御前の薙刀」に関する静御前が薙刀を使用した史実の記述は存在しないが前田家でそう信じられてきてしかし制作者は静御前の時代より後の志津三郎兼氏ではないかと思われる薙刀が、名称の認識の複雑さの問題を突破して顕現される可能性もあるかもしれない。
あるいは、静形薙刀側が、実在しない「静御前の薙刀」の代わりに、「静御前の薙刀」として伝えられる刀の物語を自分に統合していくのかもしれない。
ちょっと気になるところです。