さみだれごう
- 概要
- 「刀 無銘(伝義弘)」、『享保名物帳』所載、越中郷義弘極めの刀
- 黒田長政が買い求め、死去後、遺物として2代将軍・秀忠へ献上
- 1629年(寛永6)、2代将軍・秀忠から加賀の前田光高へ贈られる
- 1633年(寛永10)12月、3代将軍・家光の養女・阿智姫が光高へ入輿した際に光高の父・前田利常より家光へ献上
- 1639年(寛永16)、3代将軍・家光の息女・千代姫が尾張徳川家の光友に嫁いだ際、将軍・家光より贈られる
- 1667年(寛文7)、尾張徳川家の光友から息子の綱誠へ
- 1699年(元禄12)、徳川綱誠の死後、遺物として5代将軍・綱吉に献上
- 1939年(昭和14)5月27日、旧国宝指定、現在重要文化財
- 1944年(昭和19)3月、徳川家正公爵より徳川美術館へ寄贈
- 現在も徳川美術館蔵
- 銹防止のために油まみれに
- 作風
- 曲亭馬琴の小説『八犬伝』の「村雨丸」のモデル説
- 調査所感
- 参考サイト
- 参考文献
- 概説書
概要
「刀 無銘(伝義弘)」、『享保名物帳』所載、越中郷義弘極めの刀
大磨り上げ無銘。
「五月雨江」表記だけでなく、「五月雨郷」と書かれている史料や研究書が多い。
五月雨のころ本阿弥家で郷義弘作と極めたので、五月雨郷という刀号がつけられた。
はじめ本阿弥光琢が取り出してきて、越中宇多物の宇津という鑑定になっていた。
それを本阿弥光瑳が研ぎ直し、刃肉が多くついていたのを取った。
それを本阿弥光室が郷義弘に極めなおしたという。
黒田長政が買い求め、その死去後に遺物として2代将軍・秀忠へ献上された。
2代将軍秀忠から前田光高へ贈られ、3代将軍家光の養女が光高に入輿する際に光高の父・利常が家光に献上。
家光の息女が尾張徳川家の2代光友に嫁いだ時、家光より五月雨江と後藤藤四郎を贈った。
光友は息子の3代綱誠の結婚の際に、五月雨江を綱誠に譲る。
綱誠の死後は、5代将軍・綱吉に献上。
以後は将軍家に伝来していたが、昭和になって徳川家正公爵から徳川美術館に寄贈された。
現在も徳川美術館蔵。重要文化財。
黒田長政が買い求め、死去後、遺物として2代将軍・秀忠へ献上
本阿弥家が極めた五月雨江を、黒田長政が買い求めた。
長政が1623年(元和9)3月20日死去すると、その遺物として二代将軍秀忠へ献上された。
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:松倉郷義弘の部
ページ数:80、81 コマ数:55
1629年(寛永6)、2代将軍・秀忠から加賀の前田光高へ贈られる
寛永6年(1629)4月23日、加賀の前田光高が、三代将軍家光の前で元服した際、前将軍・徳川秀忠から五月雨江を拝領した。
『寛政重脩諸家譜 第6輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第千百三十一 菅原氏 前田(光高)
ページ数:896 コマ数:457
『国史大系 第10巻』
(『徳川実紀』収録)
著者:経済雑誌社 編 発行年:1902年(明治35) 出版者:経済雑誌社
目次:第二編 徳川実紀 大猷院殿御実紀
ページ数:157 コマ数:85
1633年(寛永10)12月、3代将軍・家光の養女・阿智姫が光高へ入輿した際に光高の父・前田利常より家光へ献上
寛永10年(1633)12月、将軍家光の養女・阿智姫(大姫・清泰院)が前田光高へ入輿した。
光高の父・前田利常より行平の太刀、八幡正宗の脇差とともに五月雨江を将軍へ献上した。
将軍家からは太郎作正宗と信濃藤四郎を拝賜した。
『寛政重脩諸家譜 第6輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第千百三十一 菅原氏 前田(利常)
ページ数:896 コマ数:457
前田家の記録(『寛政重脩諸家譜』)では、寛永17年(1640)3月28日、家光が前田家の別荘を訪れた時、光高が献上したことになっているが、『日本刀大百科事典』によればこれは誤りらしい。
1639年(寛永16)、3代将軍・家光の息女・千代姫が尾張徳川家の光友に嫁いだ際、将軍・家光より贈られる
尾張徳川家の記録によると、尾張徳川家2代・光友が寛永16年(1639)9月、将軍家光の息女・千代姫と結婚した際、婿引き出として将軍家光より、「五月雨江」の刀と「後藤藤四郎」の短刀を拝領したらしい。
そのころ五月雨江は五千貫の代付けだったが、享保(1716)のころは、二百五十枚になっている。
『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:五三 刀 無銘 郷 名物五月雨郷
ページ数:76、77 コマ数:92、93
尾張徳川家の記録の具体的な資料名がわからないのですが、記録の内容自体は『黎明会名刀図録』に書かれていますので正直五月雨江に関してはこの一冊を紹介しておけば十分な気もします。
1667年(寛文7)、尾張徳川家の光友から息子の綱誠へ
尾張徳川家の光友の子・綱誠が広幡中納言忠幸の息女と結婚したのを祝して、光友は五月雨江を綱誠に譲った
『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:五三 刀 無銘 郷 名物五月雨郷
ページ数:76、77 コマ数:92、93
1699年(元禄12)、徳川綱誠の死後、遺物として5代将軍・綱吉に献上
綱誠が死去すると遺物として、元禄12年(1699)7月25日、将軍綱吉に献上した。
それ以来将軍家に伝来していた。
『国史大系 第12巻』
(『徳川実紀』収録)
著者:経済雑誌社 編 発行年:1903年(明治36) 出版者:経済雑誌社
目次:第四編 徳川実紀 常憲院殿御実紀
ページ数:641 コマ数:326
1939年(昭和14)5月27日、旧国宝指定、現在重要文化財
徳川家達公爵名義。
『官報 1939年05月27日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1939年(昭和14) 出版者:日本マイクロ写真
目次:1939年05月27日 文部省告示第三百三十七号 刀剣之部
ページ数:926 コマ数:8
1944年(昭和19)3月、徳川家正公爵より徳川美術館へ寄贈
1944年(昭和19)に、徳川家正公爵より徳川美術館へ寄贈。
謝礼として5万円が贈られた(『日本刀大百科事典』)。
現在も徳川美術館蔵
「徳川美術館」 WEBサイト
「文化遺産オンライン」
「国指定文化財等データベース」
銹防止のために油まみれに
江戸城の大広間において、御刀お手入れのさい、五月雨郷だけは毎回刀に霧が掛かったように曇っていた。
列座の老中たちは、五月雨江とはよく名づけたものだ、と感心していた。
しかし、これは実は本阿弥光甫が銹防止のため、鞘の中にまで油を引いておいたためだった。
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:松倉郷義弘の部
ページ数:80、81 コマ数:55
作風
『名物帳』では刃長二尺三寸四分(約70.9センチ)というが、鞘書きに二尺三寸七分(約71.8センチ)とあるのが正しい。
鎬高く先反りつく。地鉄は小板目肌に地沸え厚くつく。
刃文は浅い五の目乱れで足よく入るが、先に行くに従い寂しくなる。
鋩子は掃き掛ける。
茎は大磨り上げ無銘。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:さみだれごう【五月雨郷】
ページ数:2巻P334
曲亭馬琴の小説『八犬伝』の「村雨丸」のモデル説
庄司春村氏と言う方が高瀬羽皐氏に『八犬伝』の村雨丸はこの五月雨江を思って創られたという話をしていたらしい。
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:松倉郷義弘の部
ページ数:80、81 コマ数:55
調査所感
昔(『名物帳』の頃から)から「五月雨江」と呼ばれているけれど文化財指定名称に号が載っていないので探すのが若干大変な刀。
五月雨江は本阿弥極めで「江(郷義弘)」とされる刀なので、研究史的には本阿弥家に見つけ出された時代以降の記録だけです。
主な出典は本阿弥家の『名物帳』関連ですが、『享保名物帳』とか酔剣先生がよく出典として挙げている『名物扣』そのものを見るのは難しいので、いつもお世話になっている『詳註刀剣名物帳』でこの辺りの情報は大体カバーされています。
その後の話は主に将軍家と加賀の前田家、尾張徳川家としっかりした家を渡っているのでこちらの記録からです。
五月雨の名の由来は『名物帳』関連だと五月雨の頃に極めたからとされていますが、研究者は他の説も色々出しているようです。というか最近の概説書で色々言われている感じ?
いつでも霧がかっているように見えるから説は実際『名物帳』にそういうエピソードがあるからともかく、五月雨の季節に「打たれた」などというものはそんな史料ないとしか言いようがないです。
油の話や村雨丸のモデル話などちょこちょこ面白いネタのある刀のようです。
刀剣男士の五月雨くんに関しては考察の方でちょっと触れたような気がしますが、代表的な元主である5代将軍・徳川綱吉の評価が最近の研究で見直されてきているようなので、そっちの物語が主軸にあると思われます。
5代将軍と言えば生類憐みの令によって悪名高い、と私が学生の頃は習いましたが、今回調べるに当たって軽くネット検索してみると、綱吉の政治が迷走していったのは晩年になってからの話であり、若い頃の功績、特に元禄文化が花開く安定した治世を行った名君だったことは忘れてはならない、という見方になっているようです。
五月雨くんが心を傾ける俳人・松尾芭蕉が生まれたのもこの綱吉の名君としての治世あっての話であり、松尾芭蕉を検索すると綱吉の築いた元禄時代の文化が情報としてはセットでくっついてきます。
と、いうわけで五月雨くんのキャラは、松尾芭蕉のような優れた俳人が生まれる素地を作った人物こそ自分の元主・5代将軍徳川綱吉であることに気づくことがゴールの旅だと思われます。
ついでにどうでもいい話をしておきますと、私の調査はもともと長義くん関連を調べることでそれ以外すべてがついでなのですが、今回『黎明会名刀図録』の五月雨くんのページを読んでここの文章はめちゃくちゃ酔剣先生の監修っぽいなと思ったことをメモしておきます。
酔剣先生は『黎明会名刀図録』の監修として協力しているけれどメインで文章を書いている著者というわけではありません。長義くんの項目は酔剣先生っぽい書き方じゃないなと思いましたが、五月雨くんの項目はがっつり酔剣先生っぽい書き方だなと思いました。
酔剣先生個人が出している本でも後藤くんで一項目書いていたりするので、徳美の刀だと後藤・五月雨の婿引き出コンビが酔剣先生の興味の対象なんですかね?
参考サイト
「徳川美術館」 WEBサイト
「文化遺産オンライン」
「国指定文化財等データベース」
参考文献
『刀剣講話 2』
著者:別役成義, 今村長賀 述 発行年:1898-1903年(明治31-36)
目次:第三 同国物にして作の相違
コマ数:122
『刀剣講話 4』
著者:別役成義, 今村長賀 述 発行年:1898-1903年(明治31-36)
目次:第三 北陸物
コマ数:26、35
『国史大系 第10巻』
(『徳川実紀』収録)
著者:経済雑誌社 編 発行年:1902年(明治35) 出版者:経済雑誌社
目次:第二編 徳川実紀 大猷院殿御実紀
ページ数:157 コマ数:85
『国史大系 第12巻』
(『徳川実紀』収録)
著者:経済雑誌社 編 発行年:1903年(明治36) 出版者:経済雑誌社
目次:第四編 徳川実紀 常憲院殿御実紀
ページ数:641 コマ数:326
『越中史料 巻2』
発行年:1909年(明治42) 出版者:富山県
目次:後西院天皇
ページ数:412 コマ数:241
『剣話録.上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:五 相州物(中) ページ数:42 コマ数:31
目次:二十四 同国物にして作の違ふ所を弁す(九) ページ数:195 コマ数:107
『剣話録.下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:三 北陸物 ページ数:15 コマ数:13
『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912年(大正1) 出版者:崇山房
目次:武田家重代の郷
ページ数:67 コマ数:45
『継平押形 : 附・本阿弥光徳同光温押形集』
著者:羽沢文庫 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:羽沢文庫
ページ数:93 コマ数:101
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:松倉郷義弘の部
ページ数:80、81 コマ数:55
『寛政重脩諸家譜 第6輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第千百三十一 菅原氏 前田(光高)
ページ数:896 コマ数:457
目次:巻第千百三十一 菅原氏 前田(利常)
ページ数:896 コマ数:457
『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造 越中
ページ数:360 コマ数:200(201)
『日本刀講座 第6巻 (刀剣鑑定・古刀)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:越中國
ページ数:46 コマ数:90
『大日本刀剣新考 訂』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:第三章 古刀略志(第二) 東海道
ページ数:454 コマ数:534
『遊就館年報 昭和14年度』
発行年:1939年(昭和14) 出版者:遊就館
目次:四 臨時出品/8
ページ数:9 コマ数:16
「美術・工芸 (19)」(雑誌・データ送信)
著者:美術・工芸編輯部 [編] 発行年:1943年10月(昭和18) 出版者:美術・工芸編輯部
目次:日本刀の美と切れ味 / 成瀨關次
ページ数:97 コマ数:48
『金沢城物語 (郷土シリーズ ; 第3期 第3) 』(データ送信)
著者:森栄松 発行年:1959年(昭和34) 出版者:石川県図書館協会
目次:一二、薪の丸の宝蔵
ページ数:120 コマ数:69
『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:五三 刀 無銘 郷 名物五月雨郷
ページ数:76、77 コマ数:92、93
『正宗とその一門』(データ送信)
著者:本間順治、佐藤貫一編 発行年:1961年(昭和36) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:72 重文 刀 無銘 伝 江(五月雨江) 1口 黎明会蔵
ページ数:144、145 コマ数:190、191
『名古屋叢書 第4巻 (記録編 第1)』(データ送信)
著者:名古屋市教育委員会 編 発行年:1962年(昭和37) 出版者:名古屋市教育委員会
目次:編年大略
ページ数:235 コマ数:132
『日本刀価格総鑑 : 古刀新刀』(データ送信)
著者:刀剣春秋社 編 発行年:1963年(昭和38) 出版者:徳間書店
目次:名物
ページ数:344 コマ数:184
「刀剣と歴史 (414)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年7月(昭和38) 出版者:日本刀剣保存会
目次:関から名古屋へ / すいけん
ページ数:25 コマ数:18
目次:本部だより
ページ数:48 コマ数:30
「刀剣と歴史 (419)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年5月(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:黎明会名宝鑑賞会記 / 吉川皎園
ページ数:51 コマ数:32
『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:嫁入り道具の名物
ページ数:100~106 コマ数:58~61
『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣出版
目次:越中国 概説 この国の一般作風概説
ページ数:372 コマ数:243
『日本刀新価格総鑑』(データ送信)
著者:刀剣春秋新聞社 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:名物
ページ数:344 コマ数:184
『光山押形 乾』(データ送信)
著者:本阿弥光山 著 発行年:1967年(昭和42) 出版者:雄山閣出版
目次:光意系
ページ数:3 コマ数:12
『日本史の原像』(データ送信)
著者:能坂利雄 発行年:1971年(昭和46) 出版者:新人物往来社
目次:郷義弘と佐伯則重
ページ数:147 コマ数:77
「刀剣と歴史 (490)」(雑誌・データ送信)
発行年:1976年3月(昭和51) 出版者:日本刀剣保存会
目次:青木郷の由来 / 寅川孝
ページ数:13 コマ数:11
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:さみだれごう【五月雨郷】
ページ数:2巻P334
「刀剣と歴史 (626)」(雑誌・データ送信)
発行年:1998年11月(平成10) 出版者:日本刀剣保存会
目次:〔日本刀剣保存会〕阪神支部夏期研究会 / 吉田正
ページ数:23 コマ数:16
『日本刀を嗜む』(紙本)
著者:刀剣春秋編集部監修 発行年:2016年(平成28) 出版社:ナツメ社
目次:名刀図譜5 五月雨江
ページ数:30、31
概説書
『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:五月雨江 ページ数:17
『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:大名家が所有した名刀たち 五月雨江 ページ数:33
『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第三章 南北朝・室町時代≫ 越中国松倉 義弘 五月雨江 ページ数:256
『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第5章 打刀 五月雨江 ページ数:133
『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:大名・将軍が所持した刀 五月雨江 ページ数:166、167
『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:名刀の逸話 五月雨江 ページ数:232、233