千代金丸

ちよがねまる

概要

金装宝剣拵 (号 千代金丸)

琉球王国の王族・尚家伝来の三振りの宝剣の一つ。

鞘は金板で覆われ、琉球で製作されたと思われる柄頭は、菊文と「大世」の2文字が彫られている。
片手打ちの柄など、日本刀の形式とは異なる独特な造りである。

これらの情報は「那覇市歴史博物館」のWEBサイトに写真や特徴が掲載されている。

北山王攀安知の所持した宝刀(『中山世鑑』)

1416年(応永23・皇紀2076)、尚巴志に滅ぼされた北山王攀安知(はんあんち)の所持していた重代相伝の宝刀。

北山王攀安知は常日頃から城守護のイベと崇めていた盤石を前にして「今はイベも神も諸共に冥途の旅に赴かん」と言うと、腹を掻き切り、返す太刀にて盤石のイベを切り破るとその剣を重間河へと投げ入れた。

『琉球国中山世鑑』
著者:羽地朝秀 編[他] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:国吉弘文堂
目次:琉球國中山世鑑卷三
ページ数:53、54 コマ数:31、32

『球陽 : 訳註 巻之2』(データ送信)
著者:池宮城秀栄, 屋良朝陳 著 発行年:1943、1944(昭和18、19) 出版者:琉球王代文献頒布会
目次:尚思紹王
ページ数:11 コマ数:9

攀安知の腹を斬らなかったので、別の刀で切った説

北山王攀安知は常日頃から神として拝んでいた石を叱り、千代金丸でその石を切りつけ、自害しようとした。
しかし神剣は主に傷を作るに忍びなかったため少しも斬れなかった。
北山王はその剣を志慶間渓(重間河)へ棄て、別の刀で自害した。

『遺老説伝 : 球陽外巻』(データ送信)
著者:鄭秉哲 編, 島袋盛敏 訳 発行年:1935年(昭和10) 出版者:学芸社
目次:卷之二
ページ数:73 コマ数50

『琉球史料叢書 第3』(データ送信)
(『琉球国旧記』収録)
著者:伊波普猷, 東恩納寛惇, 横山重 編纂 発行年:1942年(昭和17) 出版者:名取書店
目次:卷之五 古城・關梁 山北城
ページ数:96、97 コマ数:68

伊平屋島の住人から中山王へ

北山王攀安知によって重間河へ捨てられて100年後、千代金丸は親泊村の東水漲渓へ至った。
水の中で光っていたところを伊平屋島の住人に拾われ中山王へ献上される。

『中山伝信録』(データ送信)
著者:徐葆光 著, 原田禹雄 訳注 発行年:1982年(昭和57) 出版者:言叢社
目次:中山伝信録巻第四
ページ数:225 コマ数:124

1890年(明治23)、小松宮殿下が琉球を巡視した際にご覧になる

『日本名宝物語 第1輯』にはこの頃の千代金丸が方々で絶賛されていたことが詳しい。

明治23年、小松宮殿下が琉球を巡視した際に尚家へお立ち寄りになり千代金丸をご覧になられた。
刀を手にして『美事なる一振りだ』とお褒めになり、ご帰還後も刀剣の話が出るたび千代金丸の話をされていた。

1909年(明治42)、今村長賀氏、関保之助氏による鑑定

同じく『日本名宝物語 第1輯』に、明治42年、今村長賀氏・関保之助氏による鑑定があったことが記されている。
この年はさらに当時の先代尚侯爵夫妻立ち合いのもとお手入れが行われている。

1929年(昭和4)、日本名宝展覧会出品

尚裕侯爵所持。

(のちに「琉球国王尚家関係資料」を那覇市に寄贈した尚裕氏と同じ人物だと思われる)

『日本名宝物語 第1輯』
著者:読売新聞社 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:誠文堂
目次:千代金丸刀 侯爵 尚裕氏藏
ページ数:62~67 コマ数:53~55

古い刀剣書の源為朝の「重金丸」

「千代金丸」は「重金丸」「手金丸」などとの名で呼ばれることもあるが、そのうち「重金丸」という名は、古い刀剣書などでは「源為朝の佩刀」として載っていることがあるようだ。

ただこの説に触れている原田道寛氏の書き方だとその頃の「千代金丸」の所在を知らないようである。
当時の刀剣研究界が琉球の「千代金丸」と「重金丸の伝承」に対してどういう認識をしていたのかちょっと不思議である。
他の刀剣の研究史を見てもおわかりだろうが、かつての刀剣研究の世界は一部が知っている情報を他の研究者がまったく知らなかったりすることも普通にあったので、原田道寛氏は『日本名宝物語 第1輯』の話を知らなかったと思われる。

『大日本刀剣史.上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:琉球王の重金丸
ページ数:554~560 コマ数:289、292
(『大日本刀剣史』はデジコレに2冊あるのでご注意)

『江戸期琉球物資料集覧 第1巻 (影印版(冊子・折本)史料篇 [1]) (宝玲叢刊 ; 第4集) 』(データ送信)
発行年:1981年(昭和56) 出版者:本邦書籍
目次:琉球年代記 大田南畝著 天保三年
ページ数:368~370 コマ数:192、193

『故実叢書 安斉随筆(伊勢貞丈)』
著者:今泉定介 編 発行年:1899~1906(明治32~39) 出版者:吉川弘文館
目次:卅二の巻 重金丸
ページ数:993、994 コマ数:40、41

『おもろそうし』の「てがねまる」は千代金丸か、治金丸か

「千代金丸」の別名は「重金丸」「手金丸」などであり、「てがねまる」と読みます。

琉球の歌集『おもろそうし』にこの「てがねまる」が登場します。

「てがねまる」と言うのだから「千代金丸」のことかと思いきや、この「てがねまる」は歌の中で別名「つくしじゃら」とも呼ばれていて、「筑紫刀」という字を当てるならこれは筑紫(九州方面)から来た「治金丸」ではないか? という説があります。

『おもろそうし』原文はひらがななので、研究者たちは「てがねまる」の異名が「つくしじゃら」という部分から解読を試みているようです。

『おもろ新釈』(データ送信)
著者:仲原善忠 発行年:1957年(昭和32) 出版者:琉球文教図書
目次:4 本文
ページ数:362、363 コマ数:193

南島風土記に鑑定文が載っている

『南島風土記:沖縄・奄美大島地名辞典』(データ送信)
著者:東恩納寛惇 発行年:1950年(昭和25) 出版者:沖縄文化協会ほか
目次:今歸仁村 志慶真川
ページ数:389、390 コマ数:214、215

琉球三宝剣の国宝指定について

千代金丸たちの国宝指定は、刀剣単体ではなく歴史資料などの文書類も含む「琉球国王尚家関係資料」としての指定である。

尚家の文書・記録類は尚裕氏により平成六年(1996)から八(1998)年にかけて那覇市に寄贈されたことにより、調査が可能になりその重要性があらためて明らかになったことが、「文化遺産データベース」の「琉球国王尚家関係資料」のWEBページで確認できる。

「琉球国王尚家関係資料」自体の国宝指定年月日は2006年6月9日となっている。

調査所感

・主の腹を斬ったか斬っていないか

千代ちゃん主の腹を切った説と切らなかった説があるんだけどどっちなのこれ。

「那覇市歴史博物館」の解説などを見ても沖縄の歴史書である『球陽』などでは千代金丸で北山王攀安知が腹を斬ったとされていますが、最近の本とかでは千代金丸は主の腹を斬らなかったので別の刀を使った説が有名。

これに関しては「重金丸」に関する原田道寛先生の『琉球雑話』に関する考察を踏まえると話が変化したことが考えられますね(ところで原田先生は『琉球雑話』と言ってるけど『琉球年代記』でいいんだろうか)。

元の話は北山王が腹を掻き切ってから返す刀で石を斬った(受剣石の逸話)という話だったはずが、原田先生によると『琉球雑話』がこの刀で首を切ってから太刀とともに川に投げ入れたになっていて、それは無理だろ、という尤もなツッコミとともにだからこの『琉球雑話』の記述は怪しいよね、と分析しています。

確かに腹を斬ってからその勢いで石も斬りつけるのはともかく、首を落として刀と一緒に投げ入れたになってたらそりゃ無理だろ! としか言いようがない。いや他の人に投げ入れてもらった可能性はあるけど。

ところでこの時原田先生が「一書」として引用している別の文献の名前がわからない。

『球陽』本文だと普通にそのまま腹を斬ったと読める(と思う)。
『遺老説伝 : 球陽外巻』だと斬れなかったので別の刀を使ったとある。
『琉球国旧記』だとこちらも斬っていないとなっている。

『遺老説伝 : 球陽外巻』の文章に近いのは『琉球国旧記』の記述(漢文)かなと思います。

・『おもろそうし』に歌われたか歌われていないか

琉球の歌集『おもろそうし』に歌われたのは千代金丸か治金丸か。
ネット上でもたまに言及している人がいるのでこの問題もうちょい資料あるかもしれませんが、今回は上記のまとめくらいで。

参考サイト

「那覇市歴史博物館」

参考文献

『故実叢書 安斉随筆(伊勢貞丈)』
著者:今泉定介 編 発行年:1899~1906(明治32~39) 出版者:吉川弘文館
目次:卅二の巻 重金丸
ページ数:993、994 コマ数:40、41

『琉球の研究 中』
著者:加藤三吾 発行年:1906年(明治39) 出版者:加藤三吾
目次:第三章 琉球の名所旧蹟 四、 田舎の旅路
ページ数:53 コマ数:33、34

『沖縄女性史』
著者:伊波普猷 発行年:1919年(大正8) 出版者:小沢書店
目次:沖繩の婦人性
ページ数:182~184 コマ数:107、108

『日本名宝物語 第1輯』
著者:読売新聞社 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:誠文堂
目次:千代金丸刀 侯爵 尚裕氏藏
ページ数:62~67 コマ数:53~55

『平易に書いた沖縄の歴史 : 附・遺老説伝 上巻』
著者:池宮城積宝 発行年:1931年(昭和6) 出版者:新星堂
目次:尚思紹王・三山統一
ページ数:44、45 コマ数:28

『沖縄歴史 : 伝説補遺』
著者:島袋源一郎 発行年:1932年(昭和7) 出版者:沖縄書籍
目次:第六章 尚思紹王統
ページ数:114~116 コマ数:72、73

『琉球国中山世鑑』
著者:羽地朝秀 編[他] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:国吉弘文堂
目次:琉球國中山世鑑卷三
ページ数:53、54 コマ数:31、32

『遺老説伝 : 球陽外巻』(データ送信)
著者:鄭秉哲 編, 島袋盛敏 訳 発行年:1935年(昭和10) 出版者:学芸社
目次:卷之二
ページ数:73 コマ数50

『武道全集 第5巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1935年(昭和10) 出版者:平凡社
目次:琉球の重金丸
ページ数:106~111 コマ数:65

『大日本刀剣史.上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:琉球王の重金丸
ページ数:554~560 コマ数:289、292
(『大日本刀剣史』はデジコレに2冊あるのでご注意)

『琉球百話』
著者:島袋源一郎 著 発行年:1941年(昭和16) 出版者:沖縄書籍
目次:三六、 寶刀物語
ページ数:99~101 コマ数:67、68

『琉球史料叢書 第3』(データ送信)
(『琉球国旧記』収録)
著者:伊波普猷, 東恩納寛惇, 横山重 編纂 発行年:1942年(昭和17) 出版者:名取書店
目次:卷之五 古城・關梁 山北城
ページ数:96、97 コマ数:68

『球陽 : 訳註 巻之2』(データ送信)
著者:池宮城秀栄, 屋良朝陳 著 発行年:1943、1944(昭和18、19) 出版者:琉球王代文献頒布会
目次:尚思紹王
ページ数:11 コマ数:9

『琉球夜話上古の世 (琉球王代文献集 ; 普及編) 』
著者:屋良朝陳 訳 発行年:1944年(昭和19) 出版者:琉球王代文献頒布会
目次:千代金丸
ページ数:46~51 コマ数:27~29

『南島風土記:沖縄・奄美大島地名辞典』(データ送信)
著者:東恩納寛惇 発行年:1950年(昭和25) 出版者:沖縄文化協会ほか
目次:今歸仁村 志慶真川
ページ数:389、390 コマ数:214、215

『おもろ新釈』(データ送信)
著者:仲原善忠 発行年:1957年(昭和32) 出版者:琉球文教図書
目次:4 本文
ページ数:362、363 コマ数:193

『江戸期琉球物資料集覧 第1巻 (影印版(冊子・折本)史料篇 [1]) (宝玲叢刊 ; 第4集) 』(データ送信)
発行年:1981年(昭和56) 出版者:本邦書籍
目次:琉球年代記 大田南畝著 天保三年
ページ数:368~370 コマ数:192、193

『中山伝信録』(データ送信)
著者:徐葆光 著, 原田禹雄 訳注 発行年:1982年(昭和57) 出版者:言叢社
目次:中山伝信録巻第四
ページ数:225 コマ数:124

『沖縄の城跡』(データ送信)
著者:新城徳祐 発行年:1982年(昭和52) 出版者:新城徳祐
目次:北山城にまつわる伝説 二、宝剣千代金丸と受剣石
ページ数:66~70 コマ数:38~40

『わが南島風土記:史跡よりみた沖縄の歴史』(データ送信)
著者:川口誠 発行年:1982年(昭和57) 出版者:真人社
目次:六、今帰仁城址 北山の興亡
ページ数:66、67 コマ数:45

『使琉球記 : 口語全訳注』(データ送信)
著者:李鼎元 著, 原田禹雄 訳注 発行年:1985年(昭和60) 出版者: 言叢社
目次:波上
ページ数:393、394 コマ数:201、202

概説書

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:千代金丸 ページ数:100

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:琉球刀の世界 千代金丸 ページ数:10

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の逸話 千代金丸 ページ数:232

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:名刀の物語 千代金丸 ページ数:236

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