実休光忠

じっきゅうみつただ

概要

『享保名物帳』焼失之部にある織田信長の愛刀、実休光忠

『享保名物帳』焼失之部にある備前長船の光忠の太刀。
刃長、二尺三寸。押形によると銘は「光忠」の二字。

もと江州三雲氏所持、「三雲光忠」と呼ばれていた。
三好実休の佩刀となり、永禄5年(1562)の久米田の戦いで実休が討死したときの刀だとも言われる。

のちに織田信長の収集した二十五腰の光忠の一振りとなり、木津屋の目利で実休光忠と判明してからは信長の愛刀となった。

本能寺の変で焼身になったがその後豊臣秀吉が焼き直したと伝えられる。
しかしその後が不明であるため、大阪落城の際に焼失したのだろうと考えられている。

十八か所の切込みがある。

もと江州三雲氏所持、「三雲光忠」と呼ばれていた

江州三雲氏が所持していたことから、「三雲光忠」と呼ばれていたらしい。

『山鹿語類』によると、信長の差していた刀は「三雲光忠」といい、もと江州三雲氏の所持したものだという。
その後、三好実休の手に渡った。

実休が差していた頃は「三雲光忠」と呼ばれていたようである。

『山鹿語類 第3 巻第24−32 士談第3−11 (国書刊行会刊行書) 』
著者:山鹿素行 発行年:1910年(明治43) 出版者:国書刊行会
目次:巻第二十四 士談三 ページ数:12 コマ数:9
目次:巻第三十二 士談十一 ページ数:528 コマ数:267

信長は三雲光忠と云刀をさし玉ふ、これは江州三雲と云もののさせる刀にて、其後三好実休が手に渡り、実休泉州の久米田にて打死の時までさせる刀也、たいまいゆゆしく並びなき切物なれば、則信長自から岐阜のきりの馬場にてためしてさし玉へり、信長ほどの武将手づからこころみて指玉へば、

三好実休の佩刀

三好長慶の弟、三好実休の佩刀。

『常山紀談』によれば、1562年(永禄5)の久米田の戦いにおいて、根來衆の助力を得た畠山高政の反撃により戦死したときの刀でもある。

また『山鹿語類』では、この刀(実休佩用時は三雲光忠)で自害したとも言われている。

『常山紀談 (有朋堂文庫) 』
著者:湯浅元禎 輯, 永井一孝 校 発行年:1926年(大正15) 出版者:有朋堂
目次:卷之三 三好実休戦死の事 附光忠の刀の事
ページ数:82~86 コマ数:59~61

織田信長の収集した二十五腰の光忠と、木津屋の目利

『常山紀談』によると、織田信長は堺にて第一の好事家、木津屋という商家に25振りの光忠を全て見せてこの中に「実休光忠」があるかと問いかけた。

木津屋は一振り選んでこれだと言った。
信長が何故わかったのかと問いかけると、木津屋は切先の少し欠けているのは実休討死の時に根来左京を斬ろうとして脛当てに当たって欠けたからだという。

『常山紀談 (有朋堂文庫) 』
著者:湯浅元禎 輯, 永井一孝 校 発行年:1926年(大正15) 出版者:有朋堂
目次:卷之三 三好実休戦死の事 附光忠の刀の事
ページ数:82~86 コマ数:59~61

1580年(天正8)2月20日、『天王寺屋会記』の記録

天正八年(1580)二月二十二日、天王寺屋こと津田宗及が京都の信長をたずねて来た時、信長は実休光忠や薬研藤四郎などを宗及に見せた。
(『天王寺屋会記(津田宗及茶湯日記)』)

『津田宗及茶湯日記 : 評註 他会篇 下』
著者:松山米太郎 評註 発行年:1937年(昭和12) 出版者:津田宗及茶湯日記刊行後援会
ページ数:316 コマ数:98

1582年(天正10)6月2日、本能寺の変で焼身になり、秀吉が焼き直しさせる

天正10年(1582)年6月、信長が本能寺で敗死した際、実休光忠も殉じたと考えられている。
それを豊臣秀吉が入手し、焼き直させた。

豊臣家の御腰物帳では七之箱に入っていたという。

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:名物「燒失之部」 実休光忠
ページ数:272、273 コマ数:151

御物 実休光忠
長二尺三寸 無代

三好実休所持、表裏樋、切込十八有り、本能寺にて焼る秀吉公焼直し仰付られ御指なさる。

『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:御太刀 御腰物 御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳 コマ数:124

『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:豊臣秀吉のコレクション
ページ数:156 コマ数:85

現在は不明

大阪落城により豊臣氏が滅びた際に焼失したと考えられている。

『大日本刀剣史 中巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:織田の名器と信長の愛刀實休光忠
ページ数:447~453 コマ数:233~236

調査所感

とうらぶの実休は対大侵寇後の追加になるんでこれを書いてる時点でまだ『日本刀大百科事典』を見に行ってません! 不安!

とはいえ実装されてる刀剣男士全員『日本刀大百科事典』に載ってるわけじゃないし、載ってなくて本当に情報もどこにもねえ! みたいな刀に比べると実休光忠は燭台切と並んでめちゃくちゃ有名な光忠なんでデジコレの資料だけでいけるんじゃね? と考えてまとめてみました。

いけるんじゃね?

え、すごいな実休光忠。出典がほとんど江戸時代以前の資料だからデジコレでも著作権切れでインターネット公開されてて誰でも見られるような資料がいっぱーい!

デジコレにない情報だと概説書やWikipediaにある

江州三雲氏が「三雲定持」であるという個人の特定とか
三好実休以後の来歴が「畠山高政に分捕られて織田信長に献上」とか

この辺ですかね。

この辺は資料があったら昭和以前の刀剣書でも載ってるだろうし、個人の特定は年代から、畠山高政の分捕りは状況的にそれが一番自然だろうみたいな考察ではないかと思います。

新発見史料あればもっと騒がれてそうなので、現存しないということもあって資料自体は江戸期以前のものだけ、あとは考察と解釈で来歴を構築しているパターンの研究史でしょうか……それでもほぼ資料ないような刀より格段に情報が埋まるとは。

とりあえず今回はこれまでにして、何か付け加えるようなことがあったら付け加える形にします。

参考文献

「考古界 3(5)」(雑誌・データ送信)
発行年:1903年10月(明治36) 出版者:考古学会
目次:日本刀
ページ数:280 コマ数:34

『翁草 : 校訂 3』
著者:神沢貞幹 編, 池辺義象 校 発行年:1905~1906年(明治38~39) 出版者:五車楼書店
目次:巻三十一 諸録抜萃 実休光忠の刀の事
ページ数:123 コマ数:67

『古事類苑 産業部 第1冊』
発行年:1908年(明治41) 出版者:神宮司庁
目次:產業部十二 鍛工 硎師併入
ページ数:637、638 コマ数:335、336

『山鹿語類 第3 巻第24−32 士談第3−11 (国書刊行会刊行書) 』
著者:山鹿素行 発行年:1910年(明治43) 出版者:国書刊行会
目次:巻第二十四 士談三 ページ数:12 コマ数:9
目次:巻第三十二 士談十一 ページ数:528 コマ数:267

『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912年(大正1) 出版者:崇山房
目次:信長の光忠 ページ数:11~16 コマ数:17~20

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:口絵 ページ数:8 コマ数:12
目次:名物「燒失之部」 実休光忠
ページ数:272、273 コマ数:151

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:345 コマ数:192

『常山紀談 (有朋堂文庫) 』
著者:湯浅元禎 輯, 永井一孝 校 発行年:1926年(大正15) 出版者:有朋堂
目次:卷之三 三好実休戦死の事 附光忠の刀の事
ページ数:82~86 コマ数:59~61

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(下) 同右〔燒失の部〕
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『継平押形 : 附・本阿弥光徳同光温押形集』
著者:羽沢文庫 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:羽沢文庫
コマ数:115

「刀剣と歴史 (218)」(雑誌・データ送信)
発行年:1929年2月(昭和4) 出版者:
目次:焼直し物 / 靖堂
ページ数:7 コマ数:4

『秋霜雑纂 前編』
著者:秋霜松平頼平 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
目次:文苑百二十五條 (三百十六) 目利者 木津屋某 ページ数:180 コマ数:116

『日本刀講座 第8巻 (歴史及説話・実用及鑑賞)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:(歷史及說話三)英雄と日本刀 織田信長の刀剣好
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『刀剣実証鑑定法』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1934年(昭和9) 出版者:太陽堂書店
目次:燒直し物 福島靖堂
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『日本刀研究便覧』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:古刀第二期の鍛冶と刀
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『津田宗及茶湯日記 : 評註 他会篇 下』
著者:松山米太郎 評註 発行年:1937年(昭和12) 出版者:津田宗及茶湯日記刊行後援会
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『大日本刀剣史 中巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:織田の名器と信長の愛刀實休光忠
ページ数:447~453 コマ数:233~236

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部
ページ数:641 コマ数:195

『阿波今昔物語』
著者:橋本亀一 編 発行年:1942年(昭和17) 出版者:橋本亀一
ページ数:41~45 コマ数:35~37

『日本刀と無敵魂』
著者:武富邦茂 発行年:1943年(昭和18) 出版者:彰文館
目次:實休光忠
ページ数:171、172 コマ数:100、101

『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:御太刀 御腰物 御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳 コマ数:124

『茶道古典全集 第7巻』(データ送信) 未チェック
著者:千宗室 等編 発行年:1959年(昭和34) 出版者:淡交新社
目次:天王寺屋會記 宗及茶湯日記 他會記 四 自天正七年至天正十一年他會記
ページ数:315 コマ数:170

「刀剣史料 (52)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年4月(昭和38) 出版者:南人社
目次:武将武人の愛刀熱――(四) / 向井敏彦
ページ数:8~16 コマ数:7~11

『日本刀全集 第1巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:武将と刀剣 沼田鎌次
ページ数:199 コマ数:103

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:織田信長と長船光忠その他
ページ数:87~90 コマ数:48~50

「刀剣と歴史 (424)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年3月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名物帳に記された備前の名刀 / 辻本直男
ページ数:12 コマ数:11

『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:豊臣秀吉のコレクション
ページ数:156 コマ数:85

「刀剣と歴史 (438)」(雑誌・データ送信)
発行年:1967年7月(昭和42) 出版者:日本刀剣保存会
目次:本阿弥光心押形集について / 福永酔剣
ページ数:15 コマ数:12

『日本刀物語 続』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1969年(昭和44) 出版者:雄山閣
目次:豊臣秀吉のコレクション
ページ数:156 コマ数:90

「刀剣と歴史 (480)」(雑誌・データ送信)
発行年:1974年7月(昭和49) 出版者:日本刀剣保存会
目次:刀剣雑話(五) / 細谷通寛
ページ数:42 コマ数:26

「刀剣と歴史 (491)」(雑誌・データ送信)
発行年:1976年5月(昭和51) 出版者:日本刀剣保存会
目次:古剣書の話(6) / 福永酔剣
ページ数:53 コマ数:31

「刀剣と歴史 (494)」(雑誌・データ送信)
発行年:1976年11月(昭和51) 出版者:日本刀剣保存会
目次:古剣書の話(8) / 福永酔剣
ページ数:28 コマ数:19

「刀剣と歴史 (520)」(雑誌・データ送信)
発行年:1981年3月(昭和56) 出版者:日本刀剣保存会
目次:再刃物について / 三嶋青山
ページ数:37 コマ数:23

「刀剣と歴史 (538)」(雑誌・データ送信)
発行年:1984年3月(昭和59) 出版者:日本刀剣保存会
目次:享保焼身のこと / 村山汎悠
ページ数:37 コマ数:23

概説書

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 備前国長船 光忠
ページ数:82

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