信濃藤四郎

しなのとうしろう

概要

「短刀 銘吉光 名物信濃藤四郎」

『享保名物帳』所載、粟田口吉光の短刀。
「吉光」と二字銘。

吉光の作中ではやや大振りと言われる。

号の由来は永井信濃守の所持によるためだという。

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:古刀の部
コマ数:167

永井尚政所持、のち徳川将軍家へ献上

もと老中・永井信濃守尚政所持。
のち、徳川将軍家へ献上。

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:粟田口藤四郎の部 信濃藤四郎
ページ数:9、10 コマ数:19、20

1633年(寛永10)12月25日、3代将軍・徳川家光から加賀藩の前田光高へ

寛永10年(1633)12月、将軍家光の養女・阿智姫(大姫・清泰院)が前田光高へ入輿した。
光高の父・前田利常より行平の太刀、八幡正宗の脇差とともに五月雨江を将軍へ献上した。
12月25日、御礼言上のため登城したところ、将軍より太郎作正宗と信濃藤四郎を拝賜した。

『寛政重脩諸家譜 第6輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第千百三十一 菅原氏 前田 光高
ページ数:897 コマ数:457

『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:卷廿三(寬永十年七月―十二月)
ページ数:三百十 コマ数:163

『加賀藩史料 第2編』
発行年:1929~1942年(昭和4~17) 出版者:石黒文吉
目次:十二月五日。徳川家光の養女大姫前田光高に入輿す。 天寛日記 十二月五日
ページ数:812 コマ数:360

『徳川実紀』では「吉光の御脇差」表記だが、他の資料と合わせると『日本刀大百科事典』の記述通り、12月5日に大姫入輿だったので、御礼を言いに12月25日に登城した時に太郎作正宗と信濃藤四郎を拝領したと考えてよいのではないか。

前田家から酒井忠勝へ

前田家はその前年(1635)8月、城下の薬種商・喜多村屋から、千両の借金をした記録が残っているほど財政的には苦しかった。
それで寛永13年(1636)9月、この短刀を、羽州鶴岡藩主・酒井忠勝に内々で売却した。
しかし、そのことは将軍家を憚って、『享保名物帳』にも記載されていないという。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:しなのとうしろう【信濃藤四郎】
ページ数:3巻P27

出典が『図説刀剣名物帳』だがまだ国立国会図書館デジタルコレクションでも見れない。
「文化遺産オンライン」でも酒井忠勝の代に酒井家に移り、同家に伝来したとある。

以後、酒井家に伝来

本阿弥家の五百枚の折紙付きだという。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:しなのとうしろう【信濃藤四郎】
ページ数:3巻P27

1935年(昭和10)4月30日に国宝(旧国宝)に指定

この時は酒井忠良伯爵所有。
現在は重要文化財。

『官報 1938年05月10日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1938年(昭和13) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第百七十二号 昭和十年四月三十日
ページ数:866 コマ数:5

1986年(昭和61)8月、盗難に遭うが、現在は無事に買い戻され「致道博物館」蔵

「致道博物館」のWEBサイト

作風

刃長八寸二分(約24.9センチ)
平造り、表裏に護摩箸を彫る。
地鉄は小杢目肌、地斑映りが広く出る。

刃文は広直刃、足入り。鋩子は火炎風。
中心はうぶ、目釘孔二個。
鑢目は磨ったとみえ滑か。
「吉光」と二字銘。

福永酔剣先生の『日本刀物語』に押形所載。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:しなのとうしろう【信濃藤四郎】
ページ数:3巻P27

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:嫁入り道具の名物
ページ数:103、104 コマ数:59、60

同名の大太刀、仁科家の「信濃藤四郎」

仁科家の大太刀。
織田信長が天正10年(1582)2月、甲州征伐のとき、信州高遠城主・仁科盛信(武田勝頼の弟)が帯びていた。
刃長三尺七寸(約1.12メートル)。
3月1日これを揮って織田方を悩ましたが、翌日自尽した。

『日本刀大百科事典』出典である『寛正三年内宮神宝送官符』は探し出せなかったのですが、仁科家の「信濃藤四郎」の話自体は有名らしく国立国会図書館デジタルコレクションに参考文献がいくつもあります。

刃長に関しては「三尺七寸」という記述と「二尺七寸」の記述で分かれています。

『蕗原拾葉 第11輯』
著者:長野県上伊那郡教育会 編 発行年:1935~1940年(昭和10~15) 出版者:鮎沢印刷所
目次:一、 高記遠集成
ページ数:27 コマ数:22

『国史叢書』
著者:国史研究会 編 発行年:1916年(大正5) 出版者:国史研究会
目次:高遠の城落城附仁科薩摩守晴淸生害の事
ページ数:242 コマ数:133

調査所感

信濃藤四郎は享保名物なので刀剣のことをちょっと調べた人なら知らない人はいないくらい有名な刀ですが、前田家から酒井家への伝来に関する当時の史料・資料が意外と本に載っていないようです……。

少なくとも2023年現在の国立国会図書館デジタルコレクションで読める本の中にはない。

ただ、信濃くんに関しては上の『日本刀大百科事典』の伝来を特に疑う理由もないというか、そもそも

・信濃藤四郎の来歴

永井信濃守尚政→将軍家→前田家

それ以後は

3代酒井忠勝(1594~1647年)の時代に酒井家伝来
1935年(昭和10)4月30日に国宝(旧国宝)に指定 この時は酒井忠良伯爵蔵
現在「致道博物館」蔵
(酒井家から土地建物及び文化財等を寄付された財団法人以文会などを前身とする、財団法人致道博物館)

1600年代からざっと400年ぐらいずっと酒井家!

なお現在の日本美術刀剣保存協会会長は旧庄内藩主酒井家18代当主・酒井忠久氏です。

盤石な来歴過ぎる……。
(それでも盗難被害に遭うんだから日本刀の保存って本当に大変なんですね……)

というわけで今のところ、「信濃藤四郎」の伝来に関しては「致道博物館」の館長・酒井忠順氏のブログが一番詳しいと思われます。
史料(昭和26年の附札)の写真もブログに載せたうえで解説してくださっています。

それによれば、酒井忠勝は本阿弥三郎兵衛を通じて「松平肥前守」より譲り受けた、というものらしいです。

Wikipediaなどで「徳川秀忠より肥前佐賀藩主の鍋島忠直に贈られ、本阿弥三郎兵衛を介して忠勝が購入」という説が紹介されていますが、これはどうやらその資料が差す「将軍」と「松平肥前守」は誰か? という問題のようです。

酒井忠順氏のブログでは以前は「松平肥前守」を「鍋島忠直」と考えていたけれど前田利常も「松平肥前守」だったことがあると説明されていて、本阿弥三郎兵衛を通じて酒井忠勝が購入した相手である「松平肥前守」は最終的に「前田光利」が有力になったようです。

江戸幕府2代将軍・秀忠の息子が3代将軍・家光、加賀藩2代藩主・前田利常の息子が3代藩主・前田光高。

歴史関係調べていると親子の業績は結構ごっちゃにされやすいようですね。
父と子で行動を共にしている例もよくありますし、大姫入輿の御礼も利常・光高親子で行ってますから。

「将軍」と「松平肥前守」は誰かという解釈の違いで一見別のことを伝えているように見えるけれど、実際は同じ資料の記述を基にしているのではないでしょうか、これ。

Wikipediaの出典元である『特別展京のかたな : 匠のわざと雅のこころ』は読んだことないんですけど、情報を整理するとどうもそういうことになりそうです。

鍋島家伝来説の出典もあくまで「酒井家の記録」によると、という話ですので。
鍋島家が信濃藤四郎を所持していた史料があるという話ではなく、酒井家の記録の解釈の問題です。

「信濃藤四郎」に関する史料自体はきちんと400年来の所蔵元である酒井家によって保管されていた、と。

一周回って最初の『日本刀大百科事典』の酔剣先生の説、前田家から酒井家へ売却、に話が戻ってきました。

「致道ブログ」では附札以外の史料(本阿弥家の文書)も紹介されているので、直接見に行かれた方がいいと思います。

ついでに審神者界先行研究の話をしておくと、すでにTwitterでこの話をがっつり調べてる方もいるみたいです。

参考サイト

「致道博物館」「致道ブログ」
「文化遺産オンライン」

参考文献

『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:卷廿三(寬永十年七月―十二月)
ページ数:三百十 コマ数:163

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:一 京物(上)
ページ数:5 コマ数:12

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:粟田口藤四郎の部 信濃藤四郎
ページ数:9、10 コマ数:19、20

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:337 コマ数:188

『加賀藩史料 第2編』
発行年:1929~1942年(昭和4~17) 出版者:石黒文吉
目次:十二月五日。徳川家光の養女大姫前田光高に入輿す。 天寛日記 十二月五日
ページ数:812 コマ数:360

『金沢古蹟志 第2編』
著者:森田平次 著, 日置謙 校 発行年:1933年(昭和8) 出版者:金沢文化協会
コマ数:47

『国宝略説 昭和9年度』
著者:文部省宗教局 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:文部省宗教局
目次:刀剣
ページ数:174 コマ数:100

『名刀図譜』
著者:本間順治 発行年:1935年(昭和10) 出版者:大塚工芸社
目次:一四 短刀 銘 吉光 名物信濃藤四郞 コマ数:35
目次:名刀図譜 解説 ページ数:4 コマ数:128

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:古刀の部
コマ数:167

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:嫁入り道具の名物
ページ数:103、104 コマ数:59、60

『山形県の文化財 : 絵画・書跡・典籍・工芸』(データ送信
発行年:1964年(昭和39) 出版者:本間美術館
コマ数:25

「刀剣と歴史 (430)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年(昭和41)3月 出版者: 日本刀剣保存会
目次:名物帳に記された山城の名刀(二) / 辻本直男
ページ数:5~9 コマ数:9~11

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
ページ数:151 コマ数:87

『新聞で見る鶴岡 : 大正元年~昭和30年 (鶴岡市史資料篇 荘内史料集 ; 21) 』(データ送信)
著者:鶴岡市史編纂会 編 発行年:1984年(昭和59) 出版者:鶴岡市
目次:昭和十年(一九三五)
ページ数:281 コマ数:333

「刀剣と歴史 (567)」(雑誌・データ送信)
発行年:1989年(平成1)1月 出版者:日本刀剣保存会
目次:羽州庄内談 / 村山汎悠
ページ数:51 コマ数:30

『短刀図鑑 増補改訂版』(紙本)
著者:鈴木嘉定/光芸出版編集部 発行年:2017年(平成29) 出版者:光芸出版
(『短刀』1969年(昭和44)の増補改訂版)
目次:短刀図鑑 鎌倉時代 銘 吉光(名物信濃藤四郎)
ページ数:30、31

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:しなのとうしろう【信濃藤四郎】
ページ数:3巻P27

概説書

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の物語を読む 信濃藤四郎
ページ数:43

『刀剣目録』
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 山城国粟田口 吉光 信濃藤四郎
ページ数:105

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:信濃藤四郎
ページ数:79

Index