ソハヤノツルキ

そはやのつるぎ

目次

概要

銘文、表記、呼び方等

「革柄蠟色鞘刀 無銘(伝三池光世作)裏ニ「妙純傳持ソハヤノツルキ」表ニ「ウツスナリ」ト刻ス 附蒔絵刀箱」

 

略歴

静岡県の「久能山東照宮」蔵、徳川家康の遺品。

無銘だが平安時代の筑後国の刀工・三池光世の作と伝えられる。

(ただし三池光世が平安時代・承保頃の刀工であるという古剣書の説は時代が早すぎ、現存する三池光世の作品は鎌倉中期から応永頃のものがほとんどであるとも言う。
参考:『日本刀の歴史 古刀編』)

佩き表に「妙純伝持 ソハヤノツルキ」
裏に「ウツスナリ」と切りつける。

1616年(元和2)4月16日、徳川家康がその死の前日、罪人の試し切りをさせ、われ亡きあとは久能山に納めよ、と命じた刀。
臨終の日には、西国の者どもは不安だから、切先を西に向けておけと刀を置き換えさせたと言われる。

1638年(寛永15)の島原の乱のとき、榊原清久の夢に家康が出てきたという逸話がある。

1858年(安政5)3月、本阿弥長根が研ぎ、内田吉十郎が白鞘を作り直したという。

1910年(明治43)11月19日、明治天皇の天覧に供した。

1911年(明治44)、国宝(旧国宝)指定。

現在も重要文化財として現在も「久能山東照宮」蔵。

銘文から何かの「写し物」と考えられ、この太刀の製作年代と銘文については昔から様々な説が出されているが現在でもその意味は判明していない。

観智院本の安綱の下に「田村将軍そは矢の剣作上手也」とあるため、「そは矢の剣」は坂上田村麻呂の剣であり、それを模造した「ソハヤノツルキ」を「妙純」が所持したとも考えられる。
しかし、肝心の「そは矢の剣」が何かということが全く不明であり、この銘文だけで「ソハヤノツルキ」の銘文の意味、写し物であるかどうかを断定することまではできない。

「ソハヤノツルキ」が「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」の写しであると断定して解説している概説書などもあるが、研究者が書いている本ではむしろ「定説はない」とされているようである。

「ソハヤノツルキ」に関しては三池伝多光世作と考えた場合は承保時代の作刀と言われるが、銘文の意味が不明であるため、別の可能性も出てきてしまう。

福永酔剣氏はこの刀が三池光世を本歌とした和泉守兼定(二代目の之定)作の写し物説なども唱えている。

「ソハヤノツルキ」に関しては、作者、作刀年代、銘文の意味、写し物であるかどうかなど、とにかく断定しがたい要素が多い。

 

御宿家の伝来、大坂夏の陣(1615)後、徳川家康に献上

『明良洪範』によると、

もと駿州駿東郡大岡庄御宿(静岡県裾野市御宿)発祥の旧族・御宿家の伝来。

御宿越前守政友が豊臣方として、大坂夏の陣に討死したあと、その猶子・源左衛門貞友は、おそらく豊臣方へついた罪を許してもらうためであろう、伝来のソハヤの剣を、徳川家康に献上した。

御宿家の先祖が源頼朝より拝領、という説が『和漢珍書考』にあるらしいが該当の記述を今回は発見できなかった。
『日本刀大百科事典』ではどちらにしろ源頼朝より拝領というのは後世の付会だと判断している。

『明良洪範 : 25巻 続篇15巻』
著者:真田増誉 発行年:1912年(明治45) 出版者:国書刊行会
目次:明良洪範続篇 巻之十五 仁木周防守の生立附御宿家略伝
ページ数:554 コマ数:291

以來御宿と云ふ也家稱として世々に傳へて子孫に至りて名とす御宿越前守と號す此家に傳來せし名劍ありそばえの劍とも又御池とも稱す此名刀後年子細有て神君へ獻奉る甚だ御賞翫有けり元和二年御他界の日御宿の御腰の物にて生胴をためし其儘血をも拭はずして御枕元に差置れ神靈を之に止められ永く國家を守らせ玉はんとの御事也しとぞ此事世にあまねく知事成ども御宿の名刀の出所并に永く神前に止めらるゝ趣意を知人少し

 

武田家の臣・桂山十郎旧蔵という説もある

『日本刀大百科事典』によれば『止戈類纂』に武田家の臣・桂山十郎旧蔵という説があるらしい。

桂山は葛山と書くのが正しい。
葛山十郎というのは、武田信玄の子で、信貞といい、葛山元氏の養子になった人である。
そして、御宿政友の父信友が、信玄の又従兄弟というので、十郎の軍代になっていた。

そんな関係から、酔剣先生は葛山家のソハヤの剣が、御宿家に移ったことも考えられないことではない、としている。

さらに、『駿河名勝遺蹟』に織田信雄が小牧の戦のとき、出兵してくれたお礼に家康に贈った、という説もあるが、これは誤伝だと考えられている。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:そはやのつるぎ【ソハヤの剣】
ページ数:3巻P164、165

『駿河名勝遺蹟 : 一名・名所しるべ 上巻』(データ送信)
著者:上木浩一郎 編 発行年:1894年(明治27) 出版者:坂本書房
目次:(四一) 久能山東照宮御什宝
ページ数:41 コマ数:37

 

1616年(元和2)4月16日、家康の死の前日の試し切り

『徳川実紀』によると、

徳川家康は死の前日、彦坂光正に命じて、この刀で罪人を試し斬りさせた。
心地よく切れ、土壇まで切り込んだ、と報告すると、たいへん満足し、自分で二振り三振りして、今までの枕刀と取り換えさせた。

そして、榊原清久(照久)に向かい、われ亡きあとは久能山に納めよ、と命じた。
さらに臨終の日には、西国の者どもは不安だから、切先を西に向けておけ、と刀を置き換えさせた。

『徳川実紀 第壹編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:東照宮御實紀附錄
ページ数:279 コマ数:148

四月十六日納戸番都築久大夫景忠をめし。常に御秘愛ありし。三池の御刀をとり出さしめ。町奉行彦坂九兵衛光正に授けられ。死刑に定まりしものあらば此刀にて試みよ。もしさるものなくば。試るに及ばずと命ぜらる。光正久大夫と共に刑場にゆき。やがてかへりきて。仰のごとく罪人をためしつるに。心地よく土壇まで切込しと申上れば。枕刀にかへ置とのたまひ。二振三振打ふり給ひ。剣威もて子孫の末までも鎮護せんと宣ひ。榊原内記清久に。のちに久能山に収むべしと仰付らる。

『明良洪範 : 25巻 続篇15巻』
著者:真田増誉 発行年:1912年(明治45) 出版者:国書刊行会
目次:巻之五 ご臨終のこと
ページ数:54、55 コマ数:41

『日本刀大百科事典』によると、『明良洪範』や神田白竜子の『雑話筆記』に血のついたまま久能山の神殿に納めた、という説があるが、それは誤説であり、ご神体とする説も後の島原の乱の話を考えれば誤りであるという。

神田白竜子の『雑話筆記』は国立国会図書館のデジタルコレクションにあるが、写本そのもので私には字が読めなかったので読める方は頑張って記述を探してみてほしい。

 

1638年(寛永15)の島原の乱のとき、榊原清久の夢に家康が出てきたという逸話

『甲子夜話』『東照宮御奇瑞記』によると、

家康死後、久能山の宝庫に納めておいたところ、島原の乱のとき、榊原清久は夢のなかで家康に、なぜ宝庫にいれておく、早く内陣に入れろ、と叱られたので、夜中にさっそく内陣へ移した。

『日本随筆大成 第3期 第8巻』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:甲子夜話 下巻 巻五十四 駿番雑記上 一三池御腰物之事
ページ数:80、81 コマ数:45

一御腰物其以前御宝蔵に納置候處島原一揆之時節榊原大内記夢とも現ともなく御前へ被為召何とかく御腰物を御蔵に置候哉早々 御内陣え入候様にと御呵被遊候御聲夢覚候耳底に残候様に覚候故内記其儘垢離仕夜中之事に候得其御宝蔵に御座候御腰物を御内陣え奉納候由、

『なおりその記 中巻 (東海文庫 ; 第2,3) 』
著者:加藤靱負 [著] 発行年:1928年(昭和3) 出版者:静岡郷土研究会
目次:久能山御神寳之記(久能山御神宝並御道具目録) ページ数:15 コマ数:18
目次:東照宮御奇瑞記 ページ数:32、33 コマ数:27

一、御腰物、右は御宝に有之候處、嶋原一揆の時節、榊原大内記夢とも現ともなく御呼被遊候て、御腰物を何とて御蔵に差置候哉、早々御内陣へ入候様にと、御在世にもなき御立腹の御気色にて御呵被遊候に付、夜中の事に候得共、内記濱へ下り鹽垢離を取(正行云、此国の俗、死穢ある時、父母の服百日を過れば濱をりとて、濱にゆき鹽をあびて秡除す、其後穢るゝ事なしとて神社へ詣る也、されど今茲國府に住る者はさる事もなき也、今もいなかうどは皆かくする由、古へぶりの猶殘れるならん)御腰物を御内陣に奉納候事

 

1858年(安政5)3月、本阿弥長根が研ぎ、内田吉十郎が白鞘を作り直した

その後、刀身は砥師の木屋が毎年拭いを奉仕していたが、錆が少し出たので、安政5年(1858)3月、本阿弥長根(本阿弥喜三二)が研ぎ、内田吉十郎が白鞘を作り直した。

打刀拵がついている。

ハバキは金銀無垢の二重、切羽も金無垢の小刻み、
鐔は赤銅無地の円鐔、縁は赤銅無地、頭は角の掛け巻き、
目貫は赤銅、水鳥の銀色絵、
柄は黒塗りの鮫着せ、藍革の篠巻き、

鞘は黒蝋色塗り、両櫃付き、金具はすべて金無垢、
笄は赤銅七々子地に、金の剣巻き竜の高彫り、裏は金哺み、
小柄は赤銅七々子地、金の這い竜の高彫り、裏は金哺み、
小ガタナは宣長七郎作。

下緒は紫組系。
内袋は白羽二重、外袋は紫地に亀甲紋の錦で、精好の裏付き。
紐は真紅の組糸。
蒔絵の刀箱に入る。

『日本刀大百科事典』では『刀の研究』を出典としているが、現在なら下記の資料が国立国会図書館デジタルコレクションですぐに見れる。
というか、「ソハヤノツルキ」の拵の話は有名らしく結構いろいろな資料で見かける。

大体のことは書いてあるが毎年の拭いを担当していたのが「木屋」だということは書いてない。

『久能山東照宮宝物解題』
著者:宇都野正武 編 発行年:1915年(大正4) 出版者:画報社
目次:刀劔之部
ページ数:12、13 コマ数:28

 

1910年(明治43)11月19日、明治天皇の天覧に供する

明治43年11月19日、明治天皇の天覧に供した。

『久能山東照宮宝物解題』
著者:宇都野正武 編 発行年:1915年(大正4) 出版者:画報社
目次:刀劔之部
ページ数:9~13 コマ数:26~28

 

1911年(明治44)、国宝(旧国宝)指定

明治44年(1911)4月17日、国宝(旧国宝)に指定された。
久能山東照宮名義。

「革柄蠟色鞘刀 無銘(伝三池光世作)裏ニ「妙純傳持ソハヤノツルキ」表ニ「ウツスナリ」ト刻ス 附蒔絵刀箱 一個」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:静岡県
ページ数:393 コマ数:208

 

現在

現在も重要文化財として「久能山東照宮」蔵。

参考:
「文化遺産データベース」
「国指定文化財等データベース」

 

作風

刃長二尺二寸三分(約67.6センチ)、反り八分五厘(約2.5センチ)。
本造り、表裏に棒樋に添え樋。地鉄は板目肌やや流れ。
刃文は直刃、二重刃まじる。鋩子小丸。

茎は佩き表に「妙純伝持 ソハヤノツルキ」
裏に「ウツスナリ」と切りつける。

以下は『日本刀大百科事典』の記述の中でも特に注目したい、福永酔剣氏によるソハヤの剣が写し物であるという鑑定上の理由である。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:そはやのつるぎ【ソハヤの剣】
ページ数:3巻P164、165

中心は雉股中心になっているが、雉股の始まりが目釘孔より下にあることは、これが磨り上げ中心であることを物語るものである。ところが、刃文の焼き出しを見ると、明らかに刃区の刃角から始まっている。これは磨り上げでないことの明らかな証拠である。したがって、この刀は銘にもあるとおり、写し物つまりソハヤの剣の模造刀であることは、疑う余地がない。そして、ソハヤの剣の原品は、本刀の出来からみて、三池光世の作と推定してよろしい。

「ソハヤノツルキ」が「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」の写しであると断定して解説している概説書などもあるが、研究者が書いている本ではむしろ「定説はない」とされているようである。

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:古刀の部 コマ数:140
目次:解説 コマ数:212、213

 

ソハヤの剣は写し物であるか?

1.「妙純」とは誰か?

『日本刀大百科事典』によると、

この刀を従来のように光世の作とすれば、光世が模造したことになるが、光世のような古い時代に模造があったとは考えにくい。

それに銘の書体がそんな古いものではない。せいぜい室町期のものである。

「妙純」を武田信玄より数代前の先祖の法名、とする説もあるが、『武田系図』をみても、信玄の先祖にそんな法名の人はいない。

これは美濃の守護・土岐家の執権・斎藤越前守利国の法名であろう、とされている。

利国は明応5年(1496)12月7日、江州に出兵して敗死しているが、『仁岫語録』によれば法名には養父の利藤も妙椿、子の利親も妙親と、いずれも「妙」の字を用いている。
利国はまた持是院公性ともいい、上洛したとき今出川家から、備前国包平の太刀を拝領したことが、『往昔抄』に見えている。

『藤河の記』によれば、利国の館に行ってみると、部屋には武具が整然と並べてあって、いつでも出陣できるようになっていた。

それほど武具に意を用いた人であるから、ソハヤの剣を模造させたことも、当然考えられる、というのが福永酔剣先生の説である。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:そはやのつるぎ【ソハヤの剣】
ページ数:3巻P164、165

 

2.模造したのは誰か?

『日本刀大百科事典』によれば、模造したのは、時代からも住地からも、そして『刀剣鑑定歌伝』『三好下野入道口伝』『長谷川忠右衛門目利書』などで“似せ物”の名人といわれたことからも、初期の和泉守兼定(うかんむりに之)が考えられるという。

古剣書にいう似せ物は、贋せ物ではなくて、写し物つまり模造のことである。
「妙純伝持」の四字が不相応に大きいのは、妙純が下書きして与えたとおりに、切ったからであろうとしている。

『三好下野入道口伝』『長谷川忠右衛門目利書』などの古剣書は国立国会図書館デジタルコレクションにもない。
『刀剣鑑定歌伝』はいくつか収録されている本がある。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:そはやのつるぎ【ソハヤの剣】
ページ数:3巻P164、165

「刀剣 (戊申第8集)」(雑誌・データ送信)
発行年:1908年8月(明治41) 出版者:花月庵
目次:刀劍鑑定歌傳附錄 / 中島久胤
ページ数:125 コマ数:6

 

様々な説の紹介やその否定

「ソハエの剣」の写し説とその撤回

福永酔剣氏は『日本刀大百科事典』で手本にした原品は、熱田神宮の八剣神社にあるソハエの剣が真実であるならば、それと考えてよかろうと言っている。

しかし5年後に発行の『日本刀おもしろ話』ではそれを撤回して全く関係がないとしている。

『続群書類従』(データ送信)
著者:塙保己一 編 発行年:1903年(明治36) 出版者:経済雑誌社
目次:卷第六十八
ページ数:370 コマ数:191

鬼討取剣ノソハエ剣名。

 

『日本刀大百科事典』で「ソハエの剣」に関する出典は『熱田宮秘釈見聞』とだけあるので、『日本刀おもしろ話』を書くまでの間に「ソハエの剣」を実際に見にでもいったのだろうか?

 

坂上田村麻呂の「楚葉矢の剣」の写し説の否定

奈良県高市郡高取町子島にあった子島寺の旧什物に、坂上田村麻呂所持と伝えられた「楚葉矢の剣」がある。

この刀は『日本刀大百科事典』で存在を紹介されているが、「ソハヤノツルキ」との関わりは『日本刀おもしろ話』において否定されている。

 

「ソハヤの剣」ではなく「ソワカの剣」説

「ソハヤ」ではなく「ソワカ」ではないかという説を『日本刀おもしろ話』で紹介している。

 

拵だけ模造した説

佐藤寒山氏は「ソハヤノツルキ」は「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」の刀身ではなく「拵を模造したのではないか」という説を挙げている。

『日本名刀物語』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:2019年(令和1) 発行社:河出書房新社
(中身は1962年(昭和37)白凰社より刊行のもの)
目次:天下五剣
ページ数:110、111

 

・結局意味不明

「ソハヤ」に関しては「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」のものに関してもここで説明している「久能山の家康佩刀ソハヤノツルキ」のものに関しても結局どういう意味なのか確定できるような史料はない。

多くの研究者が多くの推測を挙げながらも、最終的な結論は「意味不明」となっている。

 

坂上宝剣の写し説(誤伝と考えられる)に関して

「刀剣乱舞」における「ソハヤノツルキ」は「坂上宝剣の写し」とされている。

とりあえずこの説に関しては下記の「概説書」がぎりぎりそんな説を出していると言えなくもないので紹介しておくが、結論から言ってしまえばこの説自体は「誤伝」と考えられる。

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 ソハヤノツルギ
ページ数:71

この書籍自体、家康のソハヤノツルギは「坂上宝剣」の写しと考えられているとしながらも、田村麻呂の「楚葉矢の剣」が「坂上宝剣」であったかどうかには疑問が残るとしている。

この本がおそらく発想元としているだろう別の概説書があるが、そちらでは「坂上宝剣」と本来別物であることが確定している別の刀剣が同一視されているが、逆に「ソハヤノツルキ」がその写しであるという言い方はされていない。

つまり「ソハヤノツルキの坂上宝剣写し説」とは、研究者が一定の根拠をもって出した説ではなく、刀剣の専門家ではない人物が書いた概説書を読んでまたそこから憶測で書かれた概説書による複数の根拠薄弱な説のつなぎ合わせであると考えられる。

以下、この件に関する詳細は調査所感の項目に引き続く。

 

調査所感 むしろ今回はここが本題

ソハヤノツルキの「坂上宝剣」写し説についてもっと考える

「ソハヤノツルキ」に関しては国立国会図書館のデジタルコレクションが全文検索可能になった恩恵が大きい。
おかげで「ソハヤノツルキ」について記載のある本をさほど労せずして集められるようになったため、どんな刀なのか上のように概要を掴みやすくなってきた。

「ソハヤノツルキ」について詳しく知りたい方は今こそデジコレでの調べ時です。

 

1.上の概要からまとめられる「久能山の家康佩刀ソハヤノツルキ」はどんな刀か

一番簡単な理解として、刀剣書籍でも専門性が低くなるほど挙げられがちな説として

「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」の写し

と、いう話が「久能山の家康佩刀ソハヤノツルキ」の銘文及び写し物説に言及する時にはメインで語られているように思われる。

ただし「久能山の家康佩刀ソハヤノツルキ」に関して語るとき、研究者たちがあまりこの説を採用せずに他の説(憶測)を提示しあうので、研究書と概説書の内容の落差が初心者にとっての理解を非常に困難にしている。

そもそも私のように刀剣の知識も歴史の知識もまったくない審神者には「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」を含む「坂上田村麻呂の刀」の全貌が理解しづらいという問題がある。

 

2.「ソハヤノツルキ」の本歌と言われることもある「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」はどんな刀か

主に浄瑠璃の『田村三代記』に登場する「そはやのつるぎ(そはや丸)」を想定されていることが多いのではないか。

『田村三代記』
発行年:1893年(明治26) 出版者:金松堂
ページ数:54 コマ数:24

『古浄瑠璃の新研究 補遺篇』
著者:若月保治 発行年:1940年(昭和15) 出版者:新月社
目次:四 仙臺淨瑠璃槪說
ページ数:636 コマ数:471

「そはやのつるぎ(そはや丸)」は浄瑠璃や御伽草子による創作物かもしれない。

しかし、坂上田村麻呂には鬼退治(鈴鹿御前)の伝承が存在し、この鈴鹿御前関連の剣として、「そはやのつるぎ(そはや丸)」の物語は清水寺所蔵の「騒速」という大刀に仮託されている。

そしてこの「騒速」という大刀は、三振り(三口)まとめての奉納になる。

刀剣の研究書でも「観智院本(銘尽)」に坂上田村麻呂の「ソハヤノ剣」に関する記述があるので、一言で「そはやのつるぎ」と書いてあるだけだとその人がどういう刀剣を想定しているのかよくわからないという難解さがある。

『銘尽 : 観智院本 [2]』
発行年:1939年(昭和14) 出版者:帝国図書館
ページ数:79 コマ数:43

『集古十種 : 兵器・刀劔. 兵器 刀劔 三』
著者:[松平定信] [編] 発行年:1900年代(不明) 出版者:不明
目次:播磨國清水寺蔵田村丸劍太刀圖 三
コマ数:22、23

『観音生活を語る』(データ送信)
著者:清水谷善照 発行年:1938年(昭和13) 出版者:磯部甲陽堂
目次:信仰の旅
ページ数:324、325 コマ数:179

『西国三十三所巡拝通誌 下巻』(データ送信)
著者:梅原忠治郎 著 発行年:1938年(昭和13) 出版者:梅原書店
目次:御嶽山清水寺
ページ数:21 コマ数:18

『観音全集 第6巻』(データ送信)
発行年:1940年(昭和15) 出版者:有光社
目次:札所緣起傳說
ページ数:97 コマ数:58

『摂陽群談 上』(データ送信)
著者:岡田徯志 著 発行年:1969年(昭和44) 出版者:歴史図書社
目次:播磨鑑跋 井村菊水翁 加東郡
ページ数:305 コマ数:178

 

3.結局「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」って何なのさ? いっぱい説が出てる!

「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」に関して話題に挙げた時、何を基準にして語るかによって実在非実在を含む話の焦点が全てぶれることになる。

『田村三代記』の「そはや丸」は架空の剣である。

一方、『銘尽(観智院本)』の「そはやのつるぎ」は現存しないので詳細不明だが伯耆の安綱作で上手とまで言われていることを無視するわけにはいかない。

また、概要の方で挙げたように子島寺の旧什物にも坂上田村麻呂所持と伝えられた「楚葉矢の剣」がある。ただし「楚葉矢の剣」は形が特徴的であり日本刀と少し違っている。

「そはや」の音に関しては様々な漢字が当てられているが、昔の日本語は音に対して適当な漢字を当てることがあるのでこの音は当てにならない。
というか、当てにできるほど表記が一定しておらず無数の候補がある。また、書き写し間違いの可能性などもある。

そういう様々な観点から、多くの研究者が古来より「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」の「そはや」とは何なのかという考察を出している。

とりあえず代表的なものだけでも列挙する。

・「ソハヤ」ではなく「ソワカ(薩婆訶)」の剣説(小此木忠七郎説?)

『日本刀講座 第10巻 新版』で本間薫山先生が回想しているが、「ソハヤノ剣」という言葉が観智院本にも永徳本にもあって、田村麻呂将軍が持っていた、作者は伯耆の安綱だと言われている。やはり「ソワカ」ではなく素直に「ソハヤノ剣」と読むべきではないだろうかと検討している。
この説は他の本でも語られている。内田疎天氏も著書で触れていたので他の人も検討している可能性がある。

・「ソハヤ」は「スハヤ(素速または素早)」の転で、速断力のある刀と言う美称説

『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:久能山の神劍ソハヤの劍
ページ数:423~433 コマ数:222~227

「大日光 (61)」(雑誌・データ送信)
発行年:1989年4月(平成1) 出版者:日光東照宮
目次:家康公の辞世と刀剣 / 辻本直男
ページ数:20~22 コマ数:13、14

・「ソハヤ」は「征矢」で、征夷大将軍の節刀説

石井昌国氏が“「ソハヤ」は「征矢」でしょうか、征夷大将軍の節刀だとおもうのですが”“征夷大将軍のしるしの太刀でしょう。それで田村麻呂将軍と結びつけられて、観智院本にも記されたものとおもいます。平安初期の著名な節刀の固有名詞でしょう。”という説を唱えている。

『日本刀講座 第10巻 新版』(データ送信)
発行年:1970年(昭和45) 出版者:雄山閣出版
目次:山陰・山陽・西海道
ページ数:214、215 コマ数:229

・最終結論「不明」でいいのではないか

『日本刀講座 第10巻 新版』(データ送信)
発行年:1970年(昭和45) 出版者:雄山閣出版
目次:山陰・山陽・西海道
ページ数:214、215 コマ数:229

この本の対談でも本間薫山先生による結論は“非常に難問題ですから慎重に検討したいとおもいます。諸君とともに今後に続く研究課題にしましょう。”となっている。

 

4.「坂上宝剣」とはそもそもどんな刀か

「坂上宝剣」とは、坂上田村麻呂佩刀のうちの一振り。

坂上田村麻呂が亡くなったときに嵯峨天皇が遺品の佩刀の中から一振り選んで納めたので、その後は皇室の宝物となった。

『公衡公記』別記「昭訓門院御産愚記」によれば「上上上 不得他家是以為誓謹思」「坂家宝剣守君是以為名」と金象嵌の銘が刻まれていたという。

『公衡公記』自体はまだデジコレで読めないようだが銘文だけは孫引きで確認できる。

この銘文からすると「坂上宝剣」というより「坂家宝剣」が正しい号かもしれないが、「坂上宝剣」と記載されている文章が取り扱われることも多く、だいたい「坂上宝剣」で通っているようである。

「坂上宝剣」は皇室に相伝されたためそちらに記録があり、『富家語』『古事談』『古今著聞集』『増鏡』などでその存在を確認できるが、現存はしていない。

『富家語』以外はこれもデジコレで読める。

「考古学と自然科学 = Archaeology and natural science : 日本文化財科学会誌 (31/32)」(雑誌・データ送信)
発行年:1996年(平成8) 出版者:日本文化財科学会
目次:文字の書かれた大刀―象嵌銘文大刀 / 西山要一
ページ数:92 コマ数:49

『平安時代と胆沢城 (水沢風土記 ; 第2巻) 』(データ送信)
著者:水沢市教育委員会 編 発行年:1983年(昭和58) 出版者:水沢市教育委員会
目次:第三章 坂上田村麻呂将軍と胆沢城 奈良大学助教授 水野正好
ページ数:112、113 コマ数:59

『国史大系 第15巻』
著者:経済雑誌社 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:経済雑誌社
目次:古事談 第一 王道后宮 ページ数:6 コマ数:11
目次:古今著聞集 巻第二十 魚虫禽獣第丗 ページ数:586 コマ数:302

『増鏡 : 新釈』
著者: 高木武 発行年:1919年(大正8) 出版者:修文館
目次:第十 あすか川
ページ数:433 コマ数:224

 

5.まだあるよ! 坂上田村麻呂の刀!

上では「そはやのつるぎ(そはや丸)」とその伝説を仮託された「騒速」、そして「坂上宝剣」に触れたが、坂上田村麻呂所用として他にも有名なものに鞍馬寺蔵の「黒漆剣」という大刀がある。

他の坂上田村麻呂佩刀と違って特別な逸話などはないようだが、明治時代に国宝指定(現在は重要文化財)になっているためこの剣も愛刀家や坂上田村麻呂関係の研究者には存在自体はよく知られているようである。
(デジコレで検索結果が大量に出てくる)

『国宝刀剣図譜 古刀の部 備中,筑前,豊後,肥後,薩摩,國不明 新刀の部』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:岩波書店
目次:國不明
コマ数:89

『国宝(宝物類)目録』
著者:文部省宗教局保存課 編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:内閣印刷局
目次:京都府
ページ数:282 コマ数:148

『日本刀全集 第2巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:上古刀 古刀 石井昌国
ページ数:148 コマ数:78

 

6.坂上田村麻呂関係の刀剣を合体させた概説書の存在

上で挙げただけでも、「坂上田村麻呂の佩刀」と伝えられるものはかなり数が多い。

1.『田村三代記』の「そはやのつるぎ(そはや丸)」、またはその伝説を仮託された清水寺の「騒速」の大刀(現在は重要文化財)

2.銘文まで記録されて実在が確かだが現存はしない坂上宝剣(坂家宝剣)

3.鞍馬寺の黒漆剣(現在は重要文化財)

有名なのはこの辺りで、他にも概要で挙げた子島寺「楚葉矢の剣」などがある。

更に、固有名詞ではないが、出征する将軍に対して天皇から任命の証として授けられる「節刀(標剣、標の太刀)」があり、坂上田村麻呂は蝦夷討伐の際に桓武天皇から授けられた話が有名らしい。

ただし、「節刀(標剣、標の太刀)」は任務が終了したら天皇に返還するものである。

そして、これら「坂上田村麻呂の刀」のいくつかを同一視した概説書が存在する。

『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年(平成17) 出版者:光文社
目次:坂上宝剣
ページ数:105~108

このときに田村麻呂が佩用したのが、後に坂上宝剣と崇め奉られることになる一振りの直刀だった。最初は標剣(「そはやのつるぎ」とも)と呼ばれていた無銘の刀身は、刃長こそ不詳だが、細身ながら重ねはふつうの直刀より分厚く、平安時代初期の作といわれる。

(中略)

都に帰参した田村麻呂が弘仁二年(八一一)に没した後、遺愛刀の標剣は天皇家の御剣に加えられ、歴代の帝や皇子の側近くに置かれた。敦実親王のもとでは雷が鳴り響くとひとりでに鞘走る霊威を発揮し、醍醐天皇(在位八七九~九三〇)は御所内のみならず行幸の際にも佩用したという。
征夷大将軍の権威を高めた名将の遺愛刀は坂上宝剣と呼ばれるに至り、京都・鞍馬寺に所蔵されて、現在は重要文化財指定を受けている。

 

時代小説家の牧秀彦氏は何冊か刀剣に関する概説書を出しているが、この本で何故か上記引用内のように、坂上田村麻呂佩刀のうち、異なる複数の刀の特徴をつなぎ合わせて一振りの刀であるかのように説明している。

そして、この説自体に根拠となるような出典は出していない。
牧秀彦氏の使用した参考文献も、私は全て読んだわけではないが少なくともそのうちの刀剣関係の書籍にこのような説を出している本はないと思われる。

・「坂上宝剣」は無銘ではない、金象嵌の銘文がある
・「標剣(節刀)」を「そはやのつるぎ」と呼んでいる史料はない
・鞍馬寺に所蔵されているのは「黒漆剣」であって「坂上宝剣」ではない(黒漆剣には金象嵌がない)
・「標剣(節刀)」は任務後返還するものなので、「そはやのつるぎ(そはや丸)」の伝説が仮託された清水寺の「騒速」の大刀や、坂上田村麻呂死後に佩刀の一振りから選ばれた「坂上宝剣」、鞍馬寺の「黒漆剣」とは別の刀である

上記引用の内容には素人目で見てもこれだけの問題があるが、逆に言えばこの説を無批判に受け入れた場合、

「坂上宝剣」、「標剣(節刀)」、「そはやのつるぎ(そはや丸、騒速)」、「黒漆剣」

この四種の刀を同一視することになる。

ちなみに上で書いたが清水寺の「騒速」が「そはやのつるぎ」であるという話はそもそもが仮託であるうえに、この大刀は三振りセットで納められたものであるので四種の刀だが四振りではない。

仮に「そはやのつるぎ」の「騒速」への仮託という問題を抜きにしても、どちらにしろ「標剣(節刀)」と考える限りは天皇に返還しているはずで、鞍馬寺の「黒漆剣」と同一ではない。

そもそも「坂上宝剣」は無銘でもないし「標剣(節刀)」でもない。

これらの点から言って、牧秀彦氏のこの説は誤りであると考えられる。

参考:Wikipedia 黒漆剣
特に節刀関係の検討はWikipedia内の「黒漆剣」の記事ですでに詳しく行われています。
そちらに関してもお読みいただくことを推奨します。

 

7.更にそこから「そはやのつるぎ」の写しと言われる「ソハヤノツルキ」が「坂上宝剣」の写し説につながる

牧秀彦氏の説はあくまで「坂上宝剣」に関係するものだが、おそらくそれを通じて「久能山の家康佩刀ソハヤノツルキ」が「坂上宝剣の写し」であると展開した概説書が存在する。

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 ソハヤノツルギ
ページ数:71

一応この本が私の知る限り、「ソハヤノツルキ」を「坂上宝剣」の写しだと明記している唯一の本である。

ただし、解説を全て読めば、この本でも田村麻呂の「楚葉矢の剣」が「坂上宝剣」であったかどうかには疑問が残るとしている。

さらに同じ編集人名義の別の概説書、逸話重視の『刀剣物語』や『刀剣説話』では、最初から「楚葉矢の剣」の写しとされていて、そもそも「坂上宝剣」の写しとは言われていない。

しかし正直こちらの二冊も「楚葉矢の剣」といえば田村麻呂の佩刀であり、田村麻呂の死後彼の宝剣は「坂上宝剣」となって天皇家の守護刀になったと説明しているので、読みようによっては牧秀彦氏の説と同じことを言っているようにも見える。
そしてこれらの本は参考文献を一切載せていない。

刀剣関係は書籍になっていない「説」もかなりあるというのはネット記事などで書かれていることであるが、とりあえず「ソハヤノツルキ」が「坂上宝剣」の写しであるという説は検索機能がこれだけ発展した昨今でも昭和の研究書などに記述を見つけられないことから、この辺りが発祥と見ていいと思われる。

この件に関しては書名としては出せても、わかるのは編集人の名前くらいで、具体的に誰か一人が提唱した説とは言いがたいだろう。

 

8.つまり、「ソハヤノツルキ」が「坂上宝剣」の写しであるという説は

一言で言ってしまえば誤説・誤伝としか言いようがないが、一人の研究者が提唱したものというわけではなく研究者ではない概説書の作者複数による憶測の憶測が融合したという性質の話だと考えられる。

今回改めて「ソハヤノツルキ」に関して調べていて私も考えたのだが、上で挙げた「ソハヤ」という言葉に関する仮説のうちの一つに、征夷大将軍の刀、すなわち「節刀」だとする説がある。

石井昌国氏が、「ソハヤ」は「征矢」であり「征夷大将軍の節刀」ではないかという説を『日本刀講座 第10巻 新版』で挙げている。

『日本刀講座 第10巻 新版』(データ送信)
発行年:1970年(昭和45) 出版者:雄山閣出版
目次:山陰・山陽・西海道
ページ数:214、215 コマ数:229

石井 「ソハヤ」は「征矢」でしょうか、征夷大将軍の節刀だとおもうのですが。宮中で征矢(征箭)を授けたのですが、後になりますと、節刀と征矢と両方授けました。
渡辺 征討の標の意味でしょう。
石井 征夷大将軍のしるしの太刀でしょう。それで田村麻呂将軍と結びつけられて、観智院本にも記されたものとおもいます。平安初期の著名な節刀の固有名詞でしょう。家康も慶長八年に征夷大将軍に補任されていますので、因縁をかつぎ、また、たまたまそういう銘文のある刀ですのでとくに大切にしたのだとおもいますが。
本間 「ソハヤノツルキウツスナリ」とありますから、写しものの意味ですかね?
渡辺 あの刀のできるころには、さらに古い伝承の太刀があったのではないでしょうか。

もしかしたら牧秀彦氏が『名刀 その由来と伝説』で「標剣(節刀)」と他の坂上田村麻呂ゆかりの刀を同一視する説を出した根幹はこの辺りではないかと邪推する。

はい、いつもの邪推ですよー。ここからは話半分に聞いてねー。

刀剣に関する書籍を出すような先生は基本的に一冊や二冊研究書を読んだ程度の知識量じゃ足りない。牧秀彦氏は刀剣関係の書籍を複数出版しているし、当然、巻末に載せた参考文献リスト以上に刀剣関係の本は読んでいると考えられる。

本を一冊書くということはとても大変な作業です。今の我々のようにネットを検索すればなんでも出てくるというわけにはいきません。そもそも今我々がネットで様々な情報に触れられるのも、結局はその情報を入力してくれる方がどこかに存在するからこそです。

と、いうわけで出典として特別に参考文献リストには載せなくとも刀剣に関する知識の土台を作り上げるのにこれら刀剣関係全般に関する研究書を読むなり、こうした本を読んだ愛刀家の話を聞くなりして、この説を耳にして考えを固めてしまったのではないかと邪推します。

上の引用部を見てもなんとなくわかっていただけると思いますが、上の対談は「ソハヤノツルキ」に関する話なのだが、その中で坂上田村麻呂の「そはやのつるぎ」の「そはや」という言葉に関する推測を展開し、だからこそ坂上田村麻呂と結びついて『銘尽(観智院本)』に記載されたという資料形成過程についての考察につなぎ、そこから「ソハヤノツルキ」は写し物なのかということを思考し……と複数の話題が絡んでいます。

この中からまず「久能山の家康佩刀ソハヤノツルキ」の話と「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」の話を分け、確度の高い憶測と確度の低い憶測を整理し、その内容が混ざらないように他者に説明するのは相当な文章力や気配りが必要です。普通に出典見ろと言った方が早いわ。

話し手全員がきちんと出典を引用でもしない限り、伝達途中で内容に混乱が生じるのは当然起こりえることである。

逆に考えれば、やはり「久能山の家康佩刀ソハヤノツルキ」はその名(というか銘文)から「坂上田村麻呂のそはやのつるぎ」(この場合は「銘尽(観智院本)」の記述)と関連付けて語られる刀だということが判明しました。

そして坂上田村麻呂の刀と呼ばれるものは複数あり、その刀同士も解釈次第でやはり伝承や情報が混在してしまう。

「ソハヤノツルキ」とその本歌といわれる「そはやのつるぎ」と、「そはやのつるぎ」と縁が深い他の坂上田村麻呂佩刀は、昔からそういう関係にあったという話だと考えられます。

 

とうらぶの「ソハヤノツルキ」と「坂上宝剣」について考える

9.坂上田村麻呂の刀の伝説とソハヤ

正直問題を一番ややこしくしてるのは研究書でも概説書でもなくそれらに関する説明を一切なしにただ「ソハヤノツルキは坂上宝剣の写し」とかいうマイナー説を全面に押し出してきたとうらぶじゃねえかな。とうらぶだろ(疲労)。

こうして出典重視の調査記事なんか書いてると常々思いますが、正史に関して誤解を誘発しそうな曖昧な説を話に出すだけ出してその出典・根拠を出さないとうらぶのスタイルは創作として凄く上手いけど同時にすげーズルいと思うわ。

それはさておき上で見てもらったとおりソハヤが坂上宝剣の写しという説はメインではありませんが、ぎりぎり書籍で存在すると言えなくもないラインです。

最近の概説書にしか存在しない説のため、もともと刀剣関係に強い審神者でも「ソハヤの設定間違ってるんじゃないか?」と言っているのを見かけます。

また、ソハヤの本歌に関して「半分伝説みたいな存在」という言い方をしている人もいるので、これはどちらかと言うと『田村三代記』の「そはやのつるぎ(そはや丸)」を想定した言い方だと思われます。

結局、そのどちらも知らなければソハヤの歴史には辿りつけないのだと思います。
史実も創作も、どちらも我々にとっての過去で、すでに誰かが語った歴史です。

「刀剣乱舞」の「ソハヤノツルキ」というキャラクターに関しては

1.「ソハヤノツルキ」自身の研究史を知る
2.「ソハヤノツルキ」の本歌と呼ばれることの多い「そはやのつるぎ」の研究史を知る
3.「刀剣乱舞」における本歌「坂上宝剣」の研究史を知る
4.概説書の誤伝だろう「そはやのつるぎ」=「坂上宝剣」説を知る
5.概説書の誤伝だろう「ソハヤノツルキの本歌は坂上宝剣」説を見つける

と、最低限これくらいの工程をこなさないと歴史の実態がつかみにくい刀剣男士となっております。

 

10.鵺と呼ばれる淆ざりもの

そもそもとうらぶはなんでわざわざ誤伝、「ソハヤノツルキの本歌は坂上宝剣」説を採ったの? という話ですが、これに関しては原作ゲームだけのプレイヤーには「?」ですが、メディアミックスも含めて考察すると「鵺」の一言で説明つくと思います。

舞台の「悲伝」に登場した「鵺(時鳥)」こと「鵺と呼ばれる(戯曲本上の表記)」は複数の刀を内包した存在ですので、あれと同じポジションの刀を用意したかっただけでしょう。

もともとこうして刀の研究史を複数振り調べていけばわかることですが、刀剣の歴史というのは完成された一つの物語があるようなものではなく、複数史料と資料の断片的な記述を総合したものだと言えます。

つまり、研究史から言えば「刀剣男士は全員が“集合体”である」と言えます。

単一の逸話で完成する刀というものはおそらく存在しないからです。
どんな物語も語られるうちにある程度本体を離れて変容しながら、しかし対象が同一である以上その刀の逸話として無限に増殖や変転を繰り返します。

とうらぶのソハヤに関して「設定が間違っているのではないか」「ソハヤの本歌は半分伝説的な存在」と言うような言い方は刀剣男士の中核を特定の説を基軸、つまりたった一つの正解としてそれ以外の情報はないという仮定に基づく考察でしょうが、おそらくそこから違うのだと思います。

刀の歴史は単一資料では完成しない。必ず複数の記述のつなぎ合わせである。

その時に確度の高い研究者の提唱する説と、確度の低い概説書の憶測、誤伝を分けることはもちろんできますし、研究史の正しい認識のためには当然その作業が必要です。

しかし、おそらく「刀剣乱舞」はそこを区別しない存在として「刀剣男士」を作り上げています。

そして、その区別は「必要ない」のではなく、おそらくシナリオのスタート時点では刀剣男士が認識していない、あるいは問題視していないというだけの話であり、プレイヤー側である我々はそこまで理解する必要があると考えられます。

刀剣男士を作り上げる物語は一つの正解ではなく、無数の曖昧な伝承の集合です。

「ソハヤノツルキ」の本歌として、いずれ「坂上宝剣」が実装されると思われます。

ソハヤの設定が間違っているのではないか? という意見はいずれやってくるかもしれない本歌は「そはやのつるぎ(そはや丸)」の方ではないかと推測と同ラインになると思いますが、おそらくそうではなく「坂上宝剣」という、舞台で言えば「鵺(時鳥)」状態の男士が実装されると思います。そのためにソハヤに「坂上宝剣」の名を出させたのでしょう。

ここ数年とうらぶの考察をしていて思いましたが、刀剣の研究史を調べるのが大変というか、むしろそれらの知識を全部土台とした「刀剣乱舞」の考察が一番大変なんだよな~~! というのが本音です。

運営も割とミスするじゃんという指摘はごもっともですが、「ソハヤノツルキ」と「坂上宝剣」の関係に関してはミスではなく確実に意図的に組んでると思います。

何故そんなことをするのかと言えば、ある意味この記事が全てを示していると思います。

「ソハヤノツルキ」が何故「そはやのつるぎ」ではなく「坂上宝剣」の写しであるのかを調べることによって、坂上田村麻呂の佩刀と言われるそれぞれの刀の特徴、それらの話がどんな資料でどんな人にどんな時代どう扱われているかを知るために、私たちは「ソハヤノツルキ」と坂上田村麻呂の刀に関してただ概説書の1、2ページを読むだけよりはずっと深く調べることができたと思います。

これが要するに、我々が「歴史を知る」ということなのだと。

誰かが語った物語はどんな形であれ、我々をその刀の歴史へ、より一段と深く導く。

だからどんな物語だって、それが過去に「語られた」ということにおいて大切な歴史。
これが全てだと思います。

では今回はこの辺で。

あ、もし本当に「坂上宝剣」が実装されたらここの記事の大半をそっちの項目に使いまわします。

 

参考サイト

「文化遺産データベース」
「国指定文化財等データベース」

 

参考文献

『好古叢誌 3編 第7-8巻』(データ送信)
著者:前田健次郎 編 発行年:1892~1898(明治25~31) 出版者:好古社
目次:漫録
ページ数:26、27 コマ数:28、29

『駿河名勝遺蹟 : 一名・名所しるべ 上巻』(データ送信)
著者:上木浩一郎 編 発行年:1894年(明治27) 出版者:坂本書房
目次:(四一) 久能山東照宮御什宝
ページ数:41 コマ数:37

『徳川実紀 第壹編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:東照宮御實紀附錄
ページ数:279 コマ数:148

「刀剣 (戊申第8集)」(雑誌・データ送信)
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目次:刀劍鑑定歌傳附錄 / 中島久胤
ページ数:125 コマ数:6

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第三門 堂上家及社寺 久能山東照宮 ページ数:34~36 コマ数:42、43
目次:第四門 家康公の愛刀 ページ数:57 コマ数:53

『明良洪範 : 25巻 続篇15巻』
著者:真田増誉 発行年:1912年(明治45) 出版者:国書刊行会
目次:巻之五 ご臨終のこと ページ数:54、55 コマ数:41
目次:明良洪範続篇 巻之十五 仁木周防守の生立附御宿家略伝 ページ数:554 コマ数:291

『駿国雑志 4冊』
著者:阿部正信 編 発行年:1909~1912年(明42~45)出版者:吉見書店
目次:巻之廿九上 延喜式器財 風土記器財(上)
ページ数:344 コマ数:178

『剣話録 下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:三十 九州物の古刀
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『久能山東照宮宝物解題』
著者:宇都野正武 編 発行年:1915年(大正4) 出版者:画報社
目次:刀劔之部
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『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第四、武将の愛刀 家康秘蔵の三池
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『なおりその記 中巻 (東海文庫 ; 第2,3) 』
著者:加藤靱負 [著] 発行年:1928年(昭和3) 出版者:静岡郷土研究会
目次:久能山御神寳之記(久能山御神宝並御道具目録) ページ数:15 コマ数:18
目次:東照宮御奇瑞記 ページ数:32、33 コマ数:27

『日本随筆大成 第3期 第8巻』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:甲子夜話 下巻 巻五十四 駿番雑記上 一三池御腰物之事
ページ数:80、81 コマ数:45

『岳南史 第4巻』
著者:鈴木覚馬 編 発行年:1933年(昭和8) 出版者:岳南史刊行会
目次:二 事蹟
ページ数:1181~1183 コマ数:608、609

『大日本刀剣新考』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本三郎
目次:第八章 古刀略志(第七) 西海道
ページ数:661 コマ数:741

『日本刀物語』
著者:前田稔靖 発行年:1935年(昭和10) 出版者:九大日本刀研究会
目次:二八 名工三池典太
ページ数:232、233 コマ数:126

『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:久能山の神劍ソハヤの劍
ページ数:423~433 コマ数:222~227

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:古刀の部 コマ数:140
目次:解説 コマ数:212、213

『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』
発行年:1958年(昭和33) 出版者:文化財保護委員会
目次:長野県
ページ数:306 コマ数:161

『日本名刀物語』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:2019年(令和1) 発行社:河出書房新社
(中身は1962年(昭和37)白凰社より刊行のもの)
目次:天下五剣
ページ数:110、111

「刀剣史料 (56)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年7月(昭和38) 出版者:南人社
目次:武将武人の愛刀熱――(七) / 向井敏彦
ページ数:12、13 コマ数:8

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:徳川家康とその愛刀
ページ数:232~247 コマ数:121~128

『日本刀全集 第3巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀(畿内・東海道・東山道・西海道)小泉富太郎
ページ数:162、163 コマ数:85

『落穂集 (江戸史料叢書) 』(データ送信)
著者:大道寺友山 著, 萩原竜夫, 水江漣子 校注 発行年:1967年(昭和42) 出版者:人物往来社
目次:巻之四 三池伝太郎御腰物の事
ページ数:108~112 コマ数:58~60

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:静岡県
ページ数:393 コマ数:208

『日本刀講座 第10巻 新版』(データ送信)
発行年:1970年(昭和45) 出版者:雄山閣出版
目次:山陰・山陽・西海道
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『原色日本の美術 21』(データ送信)
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目次:一、日本刀概説
ページ数:225 コマ数:231

『ふるさと百話 第1巻』(データ送信)
発行年:1971年(昭和46) 出版者:静岡新聞社
目次:刀と武将
ページ数:146~148 コマ数:79、80

「大日光 (54)」(雑誌・データ送信)
発行年:1981年10月(昭和56) 出版者:日光東照宮
目次:社家御番所日記からみた東照宮の刀剣(1)/辻本直男
ページ数:28 コマ数:17

「大日光 (61)」(雑誌・データ送信)
発行年:1989年4月(平成1) 出版者:日光東照宮
目次:家康公の辞世と刀剣 / 辻本直男
ページ数:20~22 コマ数:13、14

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:そはやのつるぎ【ソハヤの剣】
ページ数:3巻P164、165

『日本刀おもしろ話』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1998年(平成10年) 出版者:雄山閣
目次:妖怪変化編 徳川家康のソハヤの剣
ページ数:10~18

『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 1 武将と日本刀 徳川家康愛用の刀剣 ソハヤの剣
ページ数:49

 

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第三章 戦国武将 三池光世 徳川家康
ページ数:140~142

『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年(平成17) 出版者:光文社
目次:徳川将軍家の名刀 三池光世
ページ数:160~163

『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 徳川家康とソハヤノツルキ
ページ数:174~179

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:ソハヤノツルギ
ページ数:8

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 ソハヤノツルギ
ページ数:71

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かみゆ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第3章 太刀 ソハヤノツルギ
ページ数:82

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:天下・神代・伝説の刀 ソハヤノツルギ
ページ数:68、69

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:神代の刀剣 ソハヤノツルキ
ページ数:58、59