蜻蛉切

とんぼきり

概要

「槍 銘藤原正真作(名物蜻蛉切)」、「槍 名物蜻蛉切」

徳川家康の臣・本田平八郎忠勝の槍。

銘は「藤原正真作」と切る。
三河国、田原住の「正真」で、いわゆる“三河文珠”の代表工。

しかし、「正真」という刀工は村正派、金房派と複数存在する。
文献に言う「田原正真」がどの刀工であるかがはっきりしない。

刀剣本の記述の変化を追うと、比較的昔(明治から昭和初期辺りまで)は三河文殊正真は大和国の金房派の正真と同一視された上で、蜻蛉切の作者は「三河文殊正真」や「金房派の藤原正真」だという説明が多かったように思う。

戦後の昭和後半辺りから蜻蛉切の作者が伊勢国の村正派の正真だとする説が本に載り始めたように見える。

「蜻蛉切」の名は『改正三河後風土記』『名将言行録』『常山紀談』などに載っていることが確認できる。
そのため、講談などで本多忠勝の活躍と共に非常に有名となったらしい。

本多家に伝来していたが、昭和の戦後になって同家を出た。
現在は県指定文化財で、個人蔵だが佐野美術館寄託。

号の由来は、飛んできた蜻蛉が刃にあたって真っ二つに切れたところから

『名将言行録』や『参河志』によると、
蜻蛉が飛んできて、槍の刃に当たったところ、真二つに切れたところからの命名。

『名将言行録 後編 上巻』
著者:岡谷繁実 発行年:1909年(明治42)4版 出版者:文成社
目次:卷之五十四 本多 忠勝
ページ数:470、471 コマ数:241

忠勝の鎗は、身長く柄太く二丈許りなるに、靑貝を摺りたるなり。蜻蛉の飛來て忽ちに切れたれば蜻蛉切と名付けしなり。忠勝年老て後、或日桑名の町屋河原に出て馬に乗りながら此鎗の石突執て振りけるに、帰りて柄三尺計り切て捨てたり、人怪みければ、兵杖は己が力を計りて用ふべきものなりと言はれけり。

『参河志』
著者:渡辺政香 輯録 発行年:1921年(大正10) 出版者:愛知県幡豆郡教育会
目次:参河志第二十二巻岡崎城
ページ数:977 コマ数:501

誰かは人々下知して引せ玉へと云ふ忠勝ことし二十五歲黑糸の鎧に鹿角うつたるかぶとを着蜻蛉切と云ふ鎗を弓手にわきにかひこふて
鎗のみ長きに柄ふとく二丈ばかりなるに靑貝をすつたり蜻蛉の飛び來て忽にふれて切れたればかくと名付けし也忠勝とし老てのち或日桑名の城下町屋河原に出て馬に乗りながら此の鎗の石突とつてふりけるに帰りて柄三尺ばかり切て捨てたり人あやしみければ、言状はをのがちからをはかりて用ゆべきものなりといひしなり

ちなみに『日本刀大百科事典』ではこんな説もだしているが出典は当時の「刀剣と歴史」のようである。

徳川家康が、忠勝の槍は日本を切り従えたから、“日本切り”、と名付けるがよかろう、と言ったが、忠勝は謙遜して、日本の形は蜻蛉に似ているから、“蜻蛉切り”といい換えたという説がある。
しかし、忠勝が日本を切り従えた事実はないから、これは後世の創作でなければならない、としている。

1572年(元亀3)10月、遠州一言坂の戦で退却するときこの槍を掲げた

『改正三河後風土記』によると、

本多忠勝は元亀3年(1572)10月、遠州一言坂の戦で退却するとき、この槍を掲げ見事に殿軍を指揮した。
攻めて来た武田方から、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と賞賛されたという。

『改正三河後風土記 上』
著者:成島司直 撰 発行年:1886年(明治19) 出版者:金松堂
目次:第十三 遠州一言坂軍の事
ページ数:511 コマ数:287

待合せて戦ふべし然りといへども両軍かく間近く取結びし上ハ此人数を引揚て帰ん事三左衛門になるまじく候誰か候人々下知して引揚給へと申ければ其時本多平八郎忠勝廿五歳なりしが黒糸の鎧に鹿角打たる兜を着蜻蛉切といふ鎗を馬手にかいこみひかへたりしが進出でそれがし引揚げ見申べしとて従士大兼彦八郎に下知し足軽を差添て見付の町に遣はし戸板、畳、莚等の焼草を路に積せ合圖次第に火を放つべしと約束して身い蜻蛉切の鎗を提て只一騎二反はかりへだてたる敵味方の間へ乗入士卒を指揮し馳廻り味方を引揚げるたる其武者ぶりの勇々しきを武田勢も感称し諸軍皆眼を付猶予しける間に

1575年(天正3)5月、長篠合戦の際に内藤昌豊が徳川家康の本陣めがけ突進してきたとき防戦した

『改正三河後風土記』によると、
天正3年(1575)5月、三州長篠合戦のとき、武田方の内藤昌豊が徳川家康の本陣めがけ、突進してきたときも、本多忠勝はこの槍をもって防戦した。

『改正三河後風土記 上』
著者:成島司直 撰 発行年:1886年(明治19) 出版者:金松堂
目次:第十五 三州長篠大合戦の事
ページ数:608、609 コマ数:336

内藤修理昌豊今は討死の時至れりと勝頼押付を見せて引返すを見て残兵百余人すぐつて半途より引返し徳川家御本陣を目に掛けて討てかかるは御大将と直の勝負を決せんとする心と察し本多平八郎忠勝蜻蛉切の鎗をふるつてかけへだてて戦へば

1582年(天正10)6月、本能寺の変により徳川家康が泉州堺から逃げ帰る時も本多忠勝は蜻蛉切をもって先導の役を果たした

『改正三河後風土記』や『名将言行録』『常山紀談』によると、

天正10年(1582)6月、本能寺の変にあい、徳川家康が泉州堺から逃げ帰るときも、忠勝はこの槍をもって先導の役を果たした。

『改正三河後風土記 上』
著者:成島司直 撰 発行年:1886年(明治19) 出版者:金松堂
目次:第十八 神君伊賀越御帰洛の事
ページ数:759、760 コマ数:411、412

野伏共大勢蜂起し梅雪主従共に壹人も不残うたれたり長谷川はやがて和州城上郡十市玄蕃允遠光(越智氏)が元へ使をたてて案内を乞ふこの時は忠勝は御先に立蜻蛉切の鎗をふりたて土民に道しるべせしめ四郎次郎は金を多く土民に授けて案内させ夜に入て河内国尊園寺村の辺を経て山城の普賢寺の南相楽郡山田村に着せらす此処を

『名将言行録 後編 上巻』
著者:岡谷繁実 発行年:1909年(明治42)4版 出版者:文成社
目次:卷之五十四 本多 忠勝
ページ数:458、459 コマ数:235

『常山紀談 (有朋堂文庫) 』
著者:湯浅元禎 輯, 永井一孝 校 発行年:1926年(大正15) 出版者:有朋堂
目次:卷之五 東照宮和泉国堺より御帰国の事
ページ数:173~175 コマ数:104、105

1584年(天正12)4月、長久手の戦いのとき、豊臣秀吉もこの槍と忠勝の武者ぶりを褒める

『真書太閤記』によると、天正12年(1584)4月、長久手の戦のとき、豊臣秀吉も忠勝がこの槍を提げての武者ぶりを賛嘆した。

『真書太閤記 : 重修』
著者:著者不明 発行年:1889年(明治22) 出版者:文事堂
目次:巻之九 加藤虎之助清正本多平八郎忠勝を知る事 幷秀吉公両雄を論じ給ふ事
ページ数:94 コマ数:460

本多平八郎忠勝は黒川威し大荒目の鎧に鹿角の兜を猪首に着なし三尺二寸の太刀に一尺八寸の脇差を十文字に差鹿毛の馬の太く逞しく丈八寸に餘れるに黒鞍置浅黄の押掛淺黄段々の手綱ハ田原正具の鍛たる餘の種先一尺三寸柄長九尺六寸なるを握添てぞ乘たりなり秀吉公は馬廻りの武士共を見廻し給ひ三州武士に本多平八郞嗚呼能武士かな武辺は彼に劣らぬ程の者幾許も有べし又勝りたるも有べし心の底の謀策敏くして彼体に剛強成者多く得がたかるべし

1600年(慶長5)9月、関ケ原の戦いにおいて

慶長5年(1600)9月、関ヶ原合戦のとき、徳川家康は島津勢に攻めたてられ、切腹しようとした。

『美濃雑事記』に、忠勝はこれを止めさせておいて、島津軍に馳せ向かい、敵将・川上左京の馬の脚を、この槍で払った。落馬した左京を、忠勝の家来・梶金平が討ち取った。

という説があるが、それは虚談だという。

左京は天正14年(1586)7月6日、つまり14年前に戦死しているからである。

『美濃明細記 美濃雑事記』
著者:伊東実臣 著, 間宮宗好 著 発行年:1932年(昭和7) 出版者:一信社出版部
目次:茂々久岐根附錄
ページ数:545、546 コマ数:289、290

東照宮七度の御難の内にて御座候、本田中務大輔忠勝(平八郎事なり)駆来り御切腹を留め申候、川上左京へ討て懸り申候、本多家蜻蛉切と申候鎗にて薙立申候に付、川上左京召連候兵子野郞も中務大輔の鎗先にて被突殺候而崩れ申候、川上左京人数も被追散中務は左京が馬の足をなぎ申候に付、馬上にたまらず左京も馬より真逆様に落ち申候、中務大輔家来梶金平左京を討取り申候、

事実は逆に忠勝が、島津勢の鉄砲にあたり、落馬した。
危うく首をかかれるところだったが、梶金平が自分の馬に乗せて逃がしたので、生命は助かった。

1601年(慶長6)、勢州桑名城主になった本多忠勝、蜻蛉切の柄を切り詰める

『名将言行録』や新井白石の『藩翰譜』によると、

忠勝は翌年(1601)、勢州桑名城主になった。
城下の町屋河原に出て、馬上でこの槍の石突を握って、振り回していた。
帰ってから柄を三尺(約90.9センチ)ほど、切り詰めさせた。

不審がる家臣に、道具はおのれの力に応じたものでなければならぬ、と言ったという。

『藩翰譜 第1−4上』
著者:新井白石 著, 大槻如電 校 発行年:1894~1896年(明治27~29) 出版者:吉川半七
目次:藩翰譜 第四上
コマ数:57

槍の身長きに、柄ふとく、二丈計なるに、靑貝をすつたり、蜻蛉の飛來て忽ちに触れて切れたれば、かくぞ名付けしなる、忠勝年老て後、或日桑名の城下、町屋河原に出て、馬に乗りながら、此鎗の石突をとりて振りけるに、帰りて柄三尺斗切て捨たり、人怪みければ、兵仗は、おのが力をはかりて用いるべきものなりといひしなり、

戦後、本多家を出る

本槍は戦後、本多家を出て、矢部利雄氏蔵。

下記の雑誌に矢部利雄氏御本人が蜻蛉切を入手した経緯を書かれている。
それによると、矢部利雄氏は戦後、宮内省御剣掛をつとめた武富海軍少将の紹介で入手したという。

矢部氏はまた、蜻蛉切を無二の宝として大切にしていると述べている。

「大日光 (49)」(雑誌・データ送信)
発行年:1978年8月(昭和53) 出版者:日光東照宮
目次:東照宮の御守 矢部利雄
ページ数:68 コマ数:39

1955年(昭和30)2月25日、「県指定文化財」(静岡)

矢部利雄氏の名義。

『郷土の文化財 第5 (静岡・愛知・岐阜)』(データ送信)
発行年:1964年(昭和39) 出版者: 宝文館出版
目次:静岡県の文化財 松下正爾 まえがき
ページ数:29、30 コマ数:22、23

『静岡年鑑 1962年版』(データ送信)
著者:郷土をよくする会 編 発行年:1962年(昭和37) 出版者:郷土をよくする会
目次:現勢編
ページ数:102 コマ数:55

現在

現在は個人蔵だが「佐野美術館」寄託。

「静岡県」のWEBサイト「しずおか文化財ナビ」によると平成25年7月12日から公益財団法人佐野美術館へ寄託となっている。
「佐野美術館」のWEBサイトで展覧会のお知らせなどを見ると所蔵は「矢部コレクション」になっている。

2023年も何度か展示されているらしく、「佐野美術館」のサイトには「刀剣乱舞」とのコラボ企画のお知らせなども載っている。

作風

柄は長さ二丈(約606センチ)ほどで『名将言行録』には「太くて青貝入りだった」、『真書太閤記』には長さ九尺六寸(約290.9センチ)とある。

現存するものは長さ一丈三寸(約312.1センチ)ほどで、鉄の口金・鐔・石突きが付いている。

穂の長さは『真書太閤記』では一尺三寸(約39.4センチ)とも、一尺四寸五分(約43.9センチ)ともいうが、正確には一尺四寸四分五厘(約43.8センチ)、幅は広いところ一寸二分五厘(約3.8センチ)もある大振りの笹穂型。

表は鎬造りで、鎬の両側に二筋樋をかく。
裏は平造りで、もとに蓮華・梵字一つを彫り、その上に幅広の樋をかく。
その中に三鈷剣と梵字三つを浮き彫りにする。

地鉄は板目肌、柾目流れ地沸えつく。
刃文は沸え出来の五の目乱れ、砂流しかかる。
茎は長さ一尺八寸三分五厘(約55.6センチ)。
目釘孔二個。

銘は「藤原正真作」と切る。

三河国、田原住の「正真」で、いわゆる“三河文珠”の代表工。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:とんぼぎり【蜻蛉切り】
ページ数:4巻P48、49

『槍薙刀及鐔之新研究』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1934年(昭和9) 出版者:太陽堂書店
目次:二三、 諸國鍛冶及武將との關係 本多忠勝の鎗
ページ数:241~244 コマ数:140~142
目次:二三、 諸國鍛冶及武將との關係 三河国
ページ数:275 コマ数:157

ただし「蜻蛉切」の作者の「正真」に関しては、

三河文殊正真
大和国の金房正真
伊勢国の千子正真

など複数の説がある。
『剣話録』などではこの「三河文殊正真」を「金房一派」としているので、「金房正真」こそ「三河文殊正真」だという説になる。

『日本刀講座』の新版では三つの説を挙げつつ伊勢千子派の正真の作とするのが妥当と思われるという話である。

『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:伊勢国
ページ数:238 コマ数:176

拵えなど

『岡崎市史 第2巻』
著者:柴田顕正 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:岡崎市
目次:第二節 本多中務大輔忠勝 第五項 遺事雜事
ページ数:329 コマ数:210

一、蜻蛉剪槍は長一尺四寸二分、笹身三角、參州田原ノ住人藤原正眞作也、銘ニハ藤原正眞ト有之、穂一ハイニ樋アリ、倶利加羅釗(イ龍)、上下ニ梵字五ツ彫物アリ、鞘ハ身形ノ黒塗也、柄ハシホゼノ打柄長サ一丈三尺、白銀具眞鍮色繪菊桐ノ紋アリ。

『武学拾枠』によれば忠勝は槍には鞘をつけず、油紙で巻いていたという説も『日本刀大百科事典』で紹介されている。

『武学拾枠』は『日本刀講座 第1巻 新版』で引用されている。

『日本刀講座 第1巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:7 槍の拵および拵による種類 ページ数:197 コマ数:174

本多家の蜻蛉切写し

本多家には、蜻蛉切りを模造した槍があった。
別役成義氏の話では、本多家が慶長寛永頃の刀工・勢州桑名住勝吉に造らせたとみられる。

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:六 相州物(下)
ページ数:60、61 コマ数:40

もう一振りの蜻蛉切

本多家にはもう一振り「蜻蛉切」と号する槍があったらしい。
しかも作者も同じ正真であるが、銘は「藤原正真作」ではなく「三藤原正真作」とあるので完全に別物だという。

長さや彫刻などはほとんど同じだが、格好は直槍であり、大笹穂の槍とは違う。
酔剣先生は本多家が田原の刀工である正真に二本一緒に造らせた可能性を考えている。

「刀剣と歴史 (476)」(雑誌・データ送信)
発行年:1973年11月(昭和48) 出版者:日本刀剣保存会
目次:三河大会メモ / 福永酔剣
ページ数:49 コマ数:29

調査所感

・関ケ原の戦いに関する追記

関ケ原の戦いにおける虚談関係、正史の忠勝が鉄砲に撃たれて逆に死にかけたよ! あたりの資料はこの辺です。
あくまで忠勝の話であって蜻蛉切に関する記述が出てきた訳ではないので、参考文献ではなくここで別に紹介しておきます。

『寛政重脩諸家譜 第4輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第六百八十一 藤原氏(兼通流) 本多 忠勝
ページ数:632 コマ数:325

『戦国人名辞典』(データ送信)
著者:高柳光寿, 松平年一 著 発行年:1962年(昭和37) 出版者:吉川弘文館
目次:本多忠勝
ページ数:220、221 コマ数:117

・本多家が造らせた蜻蛉切写し

『剣話録』に本多家は蜻蛉切の写しを造らせたよとあったのでこの写しの話も調べたかったのですがほぼ資料がない?

・戯曲にも登場する

デジコレの検索で

『日本戯曲全集 第三十九卷』
著者:渥美清太郎 編, 校訂 発行年:1932年(昭和7) 出版者:春陽堂

という戯曲本が引っかかってきました。

本多家ならぬ「譽田(ほんだ)家の重宝蜻蛉切りの槍」になってますが、明らかに蜻蛉さんがモデルじゃないっすか(笑)

とうらぶのシナリオ考察には文芸から能や歌舞伎まで創作の知識も必要かもしれないので一応メモっておきます。

・主に江戸時代に作られた文献類で大人気

蜻蛉さんの逸話の出典は『名将言行録』だったり『常山紀談』だったり、本多忠勝の活躍する場面のあちこちに一緒に登場するので、本多忠勝と言えば蜻蛉切なんでしょうね。

今回は『改正三河後風土記』の全文検索で拾えなかった部分の発掘に全力過ぎて正直体力切れしたので、正直まだ読めていない資料の中にもっと記述がある気がします……。
もうあとは蜻蛉さんガチ勢にお任せします。

参考サイト

「静岡県」のWEBサイト
「しずおか文化財ナビ」

「佐野美術館」

参考文献

『改正三河後風土記 上』
著者:成島司直 撰 発行年:1886年(明治19) 出版者:金松堂
目次:第十三 遠州一言坂軍の事 ページ数:511 コマ数:287
目次:第十五 三州長篠大合戦の事 ページ数:608、609 コマ数:336
目次:第十八 神君伊賀越御帰洛の事 ページ数:759、760 コマ数:411、412

『真書太閤記 : 重修』
著者:著者不明 発行年:1889年(明治22) 出版者:文事堂
目次:巻之九 加藤虎之助清正本多平八郎忠勝を知る事 幷秀吉公両雄を論じ給ふ事
ページ数:94 コマ数:460

『藩翰譜 第1−4上』
著者:新井白石 著, 大槻如電 校 発行年:1894~1896年(明治27~29) 出版者:吉川半七
目次:藩翰譜 第四上
コマ数:57

『古刀銘尽大全 下 増訂 (日本故有美術鑑定便覧 ; 第4集) 』
著者:大館海城 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:赤志忠雅堂
ページ数:164 コマ数:18

『名将言行録 後編 上巻』
著者:岡谷繁実 発行年:1909年(明治42)4版 出版者:文成社
目次:卷之五十四 本多 忠勝
ページ数:458、459 コマ数:235
ページ数:470、471 コマ数:241

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:六 相州物(下) ページ数:60、61 コマ数:40
目次:十八 同国物にして作の違ふ所を弁す(三) ページ数:159 コマ数:89

『剣話録 下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:一 大和物
ページ数:5 コマ数:8

『真書太閤記 4』
著者:国民文庫刊行会 編 発行年:1913年(大正2) 出版者:国民文庫刊行会
目次:九編卷之二十八
ページ数:523 コマ数:323

『参河志』
著者:渡辺政香 輯録 発行年:1921年(大正10) 出版者:愛知県幡豆郡教育会
目次:参河志第十六巻額田郡(下) ページ数:655 コマ数:340
目次:参河志第二十二巻岡崎城 ページ数:977 コマ数:501
目次:参河志第三十二巻鍛冶部 ページ数:1370 コマ数:698

『常山紀談 (有朋堂文庫) 』
著者:湯浅元禎 輯, 永井一孝 校 発行年:1926年(大正15) 出版者:有朋堂
目次:卷之五 東照宮和泉国堺より御帰国の事
ページ数:173~175 コマ数:104、105

『美濃明細記 美濃雑事記』
著者:伊東実臣 著, 間宮宗好 著 発行年:1932年(昭和7) 出版者:一信社出版部
目次:茂々久岐根附錄
ページ数:545、546 コマ数:289、290

『槍薙刀及鐔之新研究』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1934年(昭和9) 出版者:太陽堂書店
目次:二三、 諸國鍛冶及武將との關係 本多忠勝の鎗
ページ数:241~244 コマ数:140~142
目次:二三、 諸國鍛冶及武將との關係 三河国
ページ数:275 コマ数:157

『静岡県の文化財』(データ送信)
発行年:1957年(昭和32) 出版者: 静岡県教育委員会
目次:工芸品(五五件)
ページ数:36 コマ数:23

『静岡年鑑 1962年版』(データ送信)
著者:郷土をよくする会 編 発行年:1962年(昭和37) 出版者:郷土をよくする会
目次:現勢編
ページ数:102 コマ数:55

『郷土の文化財 第5 (静岡・愛知・岐阜)』(データ送信)
発行年:1964年(昭和39) 出版者: 宝文館出版
目次:静岡県の文化財 松下正爾 まえがき
ページ数:29、30 コマ数:22、23

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:本多忠勝と桑名江・蜻蛉切など
ページ数:272~277 コマ数:141~143

『日本刀講座 第1巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:新版日本刀講座<概説編>目次 ページ数:92 コマ数:66
目次:7 槍の拵および拵による種類 ページ数:197 コマ数:174
目次:槍・薙刀 槍の種類 8 持ち槍 ページ数:222 コマ数:187

『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:伊勢国
ページ数:238 コマ数:176

『田原町史 上巻』(データ送信)
著者:田原町文化財調査会 編 発行年:1971年(昭和46) 出版者:田原町教育委員会
目次:第三節 刀匠文珠四郎正真
ページ数:621~625 コマ数:340~342

「刀剣と歴史 (476)」(雑誌・データ送信)
発行年:1973年11月(昭和48) 出版者:日本刀剣保存会
目次:三河大会メモ / 福永酔剣
ページ数:49 コマ数:29

「大日光 (49)」(雑誌・データ送信)
発行年:1978年8月(昭和53) 出版者:日光東照宮
目次:東照宮の御守 矢部利雄
ページ数:68 コマ数:39

「刀剣と歴史 (580)」(雑誌・データ送信)
発行年:1991年3月(平成3) 出版者:日本刀剣保存会
目次:鑑刀随感(23) / 片岡銀作
ページ数:15 コマ数:12

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:とんぼぎり【蜻蛉切り】
ページ数:4巻P48、49

『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 1 武将と日本刀 本多忠勝と蜻蛉切
ページ数:58、59

『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:大和国(奈良県) 金房一派 概説
ページ数:135~137

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第一章 天下五剣・天下三槍 蜻蛉切 本多平八郎忠勝
ページ数:39~41

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:天下三名槍 蜻蛉切
ページ数:18、19

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 蜻蛉切
ページ数:70

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第三章 南北朝・室町時代≫ 伊勢国桑名 正真 蜻蛉切
ページ数:313

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第8章 神代の剣・槍・薙刀 蜻蛉切
ページ数:188、189

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:天下・神代・伝説の刀 蜻蛉切
ページ数:54、55

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:天下の名槍 蜻蛉切
ページ数:208、209

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:蜻蛉切
ページ数:47

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