蜂須賀虎徹

はちすかこてつ

概要1 蜂須賀虎徹について

「銘 長曽祢興里入道虎徹(金象嵌)寛文五年乙巳霜月十一日 弐ツ胴截断 山野加右衛門永久(花押)」

江戸時代の刀工、長曽祢興里入道虎徹作。

1665年(寛文5)11月11日、山野加右衛門永久が弐ツ胴を斬ったと金象眼の截断銘が入っている。

『昭和刀剣名物帳』によると、阿波藩主・蜂須賀家伝来。

その後、蜂須賀家を出て個人蔵に。

1971年(昭和46)2月16日、昭和名物の審査。昭和名物となる。

昭和名物の選定基準は刀工の傑作となるものを指定したとのことなので、蜂須賀虎徹は虎徹の傑作の一振りとして選ばれたとみていいと思われる。

また、蜂須賀虎徹に関してはこれ以前にこの号で呼ばれているのが確認できないことから、「昭和名物」の認定時に「蜂須賀虎徹」と命名されたとみられる。

1665年(寛文5)11月11日、山野加右衛門永久が弐ツ胴を斬る

金象嵌で

寛文五年乙巳霜月十一日 弐ツ胴截断 山野加右衛門永久(花押)

の截断銘が入れられている。

阿波藩主・蜂須賀家伝来

『昭和刀剣名物帳』によると、阿波藩主・蜂須賀家伝来。

蜂須賀家を出て、個人蔵に

1971年の「昭和名物」指定時にはすでに個人蔵。

蜂須賀虎徹に関してはこの号で呼ばれる前に「虎徹大鑑」の増補版に情報があるとも聞くが、増補版に関しては国立国会図書館デジタルコレクションにもないので未確認。

それ以前の情報がないことも合わせて、昭和時代まで蜂須賀家所有であったと考えられる。

1971年(昭和46)2月16日、昭和名物の審査

昭和46年(1971)2月16日、昭和名物の審査。

蜂須賀虎徹 刀 銘「長曽祢興里入道虎徹(金象嵌)寛文五年乙巳霜月十一日 弐ツ胴截断 山野加右衛門永久(花押)」

蜂須賀家伝来につき“蜂須賀虎徹”と命名されたという。

『昭和刀剣名物帳』(データ送信)
著者:村上孝介 発行年:1979年(昭和54) 出版者:雄山閣出版
目次:昭和刀剣名物帳 図録編
コマ数:19

「昭和名物」について

江戸時代の『享保名物帳』にならい、現代の名物をまとめたもの。

『昭和刀剣名物帳』の序文、福永酔剣氏による「『昭和名物帳』の出版まで」に経緯や詳細が説明されている。

『享保名物帳』はことごとく天下の名刀であるが、『昭和名物帳』では選定の基準を変えることにしたという。
『享保名物帳』式の選定はすでに文部省が“国宝”の名において施行しているので、『昭和名物帳』では、趣をかえて各刀工の作品中、傑作と思われるものを指定することになった、という。

また、「昭和名物」に指定された刀には、審査会から村上孝介氏、辻本直男氏、福永酔剣氏が刀号をつける作業を行っている。

蜂須賀虎徹に関してはそれまでこの号で呼ばれていた情報が確認できないこと、解説文にはっきりと「命名された」とあることからこの時に蜂須賀の号がついたと考えられる。

作風

刃長二尺二寸八分(約69.1センチ)。
反り三分(約0.9センチ)。
庵棟。
表裏に丸止めの棒樋をかく。
地鉄は板目肌、柾心あり肌立つ。
刃文は彎れ心あって、互の目足入り砂流し気味となる。
鋩子は小丸に掃きかけ心があり、わずかに返る。
茎はうぶ、鑢目は勝手下がり。

『昭和刀剣名物帳』(データ送信)
著者:村上孝介 発行年:1979年(昭和54) 出版者:雄山閣出版
目次:昭和刀剣名物帳 図録編
コマ数:19

調査所感1(2024年に追記有)

マジで情報がないの一言に尽きる刀。うちの初期刀がこんなにも詳細不明。

『昭和刀剣名物帳』がデジコレに追加されればその情報を私だけでなくいろいろな人が追加してくれると思いますが、この本自体そう簡単に手に入らないみたいなので(割と大き目な図書館にもない)、読んだことのある人は限られていると思います。

審神者で蜂須賀の情報をいっぱい出している人はよっぽどのフリークといいますか、かなり手間暇をかけているという話になります。

(2023年時点だと国立国会図書館に直接赴くか複写依頼などを出すなどかなり手間のかかる方法で調べることになるので)

蜂須賀に関してはすでに熱心に調べている人がいますので、細かいことを知りたい方はそっちを見たほうがいいかもしれません。

ここは主にとうらぶプレイヤー向けの情報まとめ、しかもうちの推しの事を知るついでに残り全部の刀剣も簡単に調べるかというスタンスの人のためのページなので、簡単な調査結果から判明していることと、そこで考えられることをとりあえずざっくりいきましょう。

・蜂須賀はマジでぶっちぎりで一番情報がない

多分この9年間でとうらぶに実装されている100振り以上の刀の中で一番マイナーだと思われる。

中核をどの辺と考えるかにもよりますが、仮にデジコレの検索結果を基準とするならば、蜂須賀は今年というかつい最近なんか国立国会図書館限定の論文が1本追加されるまでは、マジで検索結果0件でした。
号で載っていないために一見検索に引っかからない刀剣でも銘文など別の形で情報が載っているのに比べると、蜂須賀は本当に情報自体がないです。

この件に関して審神者のつぶやきで面白かったものは、刀剣の研究者が書いた本か何かで蜂須賀虎徹? 蜂須賀正恒の間違いじゃなくて? と言われて憤慨していたものですかね。

それ多分、実際に蜂須賀虎徹がそれだけマイナーなんだと思います。

蜂須賀正恒の方は確かに有名です。私のような門外漢の素人が適当に他の刀調べてても処々で話題に出ているのを知れるくらいにはがっつり情報があります。

蜂須賀虎徹に関しては、むしろとうらぶ制作側はなんでそんな刀知ってるんだという話じゃないですかね。
(とうらぶ制作側の熱意はおそらく外野が思うよりマニアック)

とはいえ蜂須賀虎徹は別のゲームでも登場しているので、まったく知られていないというわけでもなさそうですけどね。

・発見が遅く、評価は確か

「昭和名物」に選ばれたという話ですから、蜂須賀の名刀としての評価は確かだと考えられます。

何せ審査員の一人はここでもよく紹介する酔剣先生だぞ? 鑑定に手心なんて加えると思う? っていうことで。

蜂須賀に関してすでにネットで出ている情報だと、『虎徹大鑑』には載っておらず、増補改訂版の方に載っているということなので、書籍での登場は昭和49年が初出。

愛刀家の世界で存在が知られただろう昭和名物の選定が昭和46年。

この頃初登場ということで、これ以前のどこかで蜂須賀家が手放したということになりますが、その辺りを示すような資料は見たことなし。

ただ、今まで調べた感じだと大名家所有でも江戸以前にまったく情報がなかった刀の情報が愛刀家に出回るのは大名家が手放して割とすぐって感じなので、蜂須賀虎徹が出てきたのも昭和40年前後な気はしますね。

愛刀家はやっぱり大名家伝来の刀を手に入れることに意欲があって、手に入れたら何らかの形で情報共有しているみたいですから、まったく噂にもならずに何十年も沈黙、はこの頃はそうそうないような気がしますね。個人蔵になってから何十年も情報がない、はここ最近の話で、昭和年代はちょこちょこ本に所有者の情報が載っていると。

ところでここまである程度の調査にお付き合いした方なら何となく察せられるかもしれませんが、昭和40年代に発見って、名刀の発見次期としてはかなり遅いですね。

号がこの頃についたっぽいと思われる刀なら割といっぱいありますが、そもそもこの時期まで存在を知られていないのは、少なくともとうらぶに実装されている100振り以上の中では他にいないと思います。一見書籍に名が出ていないように見える刀でも研究者の口ぶりだと割と以前から知られていたような書き方をされていますし。

古刀でも新刀でも新々刀でも、国宝・重文であろうとなかろうと、とうらぶ実装刀だと大体明治期頃には発見、遅くても大正辺りまでには話題になっている刀がほとんどです。
蜂須賀と比較しやすいのは同じ虎徹の「浦島虎徹」、虎徹研究の大家でそれこそ浦島を紹介した杉原祥造氏が発見した国広の「山姥切国広」辺りですが、この二振りでも大正頃に発見され、昭和頭にかけて斯界に紹介されています。

発見自体が昭和の、しかも後半ってとうらぶだと今のところ蜂須賀だけじゃないか?

以前考察の方で書いたんですが、刀剣の研究書は結構昔のものが現在でもそのまま新装版として発売されるぐらいには情報の更新がなくて古い情報が今も出回る世界みたいなんですよ。
書誌は2、3年前だけど中身は半世紀以上前の本の復刻新装版な! ってのが当たり前にある。

その半世紀以前の研究書に記載のない蜂須賀の存在は、その分、他の刀に比べると有名になりづらい状況だと思います。愛刀家はそれこそ『昭和刀剣名物帳』で知っている可能性はありますが、とうらぶが開始する前の一般人が読める概説書などではまず載っていないでしょうね(だから今も情報がないと言う)。

刀の情報を得る手段に国宝・重要文化財としての情報と現在の所蔵元である美術館・博物館等の情報を探すこともありますが。

蜂須賀は重文指定もなく所蔵も最後の情報で個人蔵と言うことは、今も同じだと考えられますので、その辺りからも全く情報が出てきません。

総合的に考えると、「発見が遅い」「評価は確か」「情報は少ない」としか言いようがないです。

・追記 2024年4月に『昭和刀剣名物帳』がデジコレに追加!

それまでさんっざん蜂須賀の情報ねえ――!! ってやってた記録を残すために上の調査所感は残しましたが、2024年に『昭和刀剣名物帳』がデジコレのデータ送信に追加されたので、これでようやく誰でも蜂須賀の情報がはっきりと確認できるようになりました。やったね!

110振り以上調べた中で特殊な事情もなくこんなに記述が埋まらない刀もないよと言っていた蜂須賀もこれでようやく他の刀並みには項目を埋められることとなりました。

・ここまでやっておいて何ですが

とうらぶ的に蜂須賀というより長曽祢さんの研究史を見直さなければならない契機がありまして。

孫六兼元が刀工名軸の集合体でありながら新選組の記憶を持ち合わせているので、他の刀工名顕現の刀も刀工の集合体である可能性を鑑みて出し直しというか刀工情報の追加をしようと考えたのですが。

……えーと、「長曽祢虎徹」に関する情報をまとめるの? どこに? 長曽祢さんの項目に??

という情報分配に虎徹兄弟の場合は割と本気で頭抱えて悩んでしまったので、とりあえず長曽祢虎徹こと興里の情報は蜂須賀・長曽祢の両方に載せたほうがいいかなもう……と。

他の男士はその男士のページに刀工情報も追加でほぼ違和感なかったんですが、虎徹だけは蜂須賀・浦島を完全スルーして長曽祢さんだけに虎徹の情報追加ってなんかおかしくね??? と。

というわけでこのページは「蜂須賀虎徹」の単独研究史と「刀工・虎徹」の簡単な研究史で二部構成のページになります。

参考文献1

『昭和刀剣名物帳』(データ送信)
著者:村上孝介 発行年:1979年(昭和54) 出版者:雄山閣出版
目次:昭和刀剣名物帳 図録編
コマ数:19

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:写真 ページ数:一巻P

概説書

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第四章 安土桃山・江戸時代≫ 武蔵国江戸 虎徹 蜂須賀虎徹
ページ数:325

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第5章 打刀 蜂須賀虎徹
ページ数:118、119

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:長曽祢興里作の刀 蜂須賀虎徹
ページ数:132、133

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:戦国大名が所有した刀 蜂須賀虎徹
ページ数:182、183

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:蜂須賀虎徹
ページ数:64

概要2 刀工・興里について

長曽祢興里入道虎徹について

長曽祢興里入道虎徹と称する江戸新刀の代表工。

主に『日本刀大百科事典』の記述を参考とし、出典については直接確認できてないものが多いのでその辺に関してはご了承ください。

1596年(慶長1)~1605(慶長10)頃出生

近江国長曽根村、現在の彦根市長曽根の出身。

『日本刀大百科事典』では「刀剣と歴史」を出典として慶長元年(1596)2月18日出生としている。

しかし、虎徹の生年は確定する史料がないため様々な説が挙がっている。

『虎徹大鑑』では1605年(慶長10)頃を生誕としている。

通称について

『日本刀大百科事典』によると、通称は

『砂鉄と日本刀』では三之丞。
『観世音寺資財帳』では才市。

(『砂鉄と日本刀』は国立国会図書館デジタルコレクションにあるが該当箇所が検索には引っかからなかった。『観世音寺資財帳』は史料そのものが翻刻されていなさそう)

福井への移住

『新刃銘盡』『川尻町史』『続名将言行録』などによると

関ケ原合戦の戦火を避けて、父に抱かれ越前福井に移ったという。

『日本刀大百科事典』では
井伊家が彦根に入城すると、長曽根の住民を強制的に立ち退かせた。それで福井へ逃げ出したのであろう。
と推測している。

福井では羽下町一〇六番地にいたらしく、今でも“虎徹屋敷”と呼ばれている。

(これらの出典は一部読めないものもあるが、『続名将言行録』など国立国会図書館デジタルコレクションで本自体は引っかかってきても内容の検索で該当記述を見つけられなかった。なんでや)

入道して初めは「古鉄」、のちに「虎徹」と称した。

入道して、初めは古鉄、のちには虎徹と称した。

『日本刀大百科事典』によると、『刀剣発微』で一心斎と号したともいうが、それを刀銘に切ったものはないという。

鍛刀の師は上総介兼重か

興里の師匠は諸説があったが、昭和からの虎徹研究の軸となっている『長曽祢虎徹の研究』『虎徹大鑑』などでは上総介兼重説を推し、『名刀虎徹』などもその見解が中心である。

長曽祢興里入道虎徹の前半生は、甲冑師

前半生は甲冑師だったが、自ら刀銘に「至半百居住武州之江戸」と切っているとおり、五十歳くらいで江戸に出、刀工に転向した。

『日本刀大百科事典』によると、『名甲図鑑続編』を出典として、

その時期は甲冑の銘に、「乙未明暦元年八月日 長曽祢興里、於武州江戸作之」とあるから、
明暦元年(1655)以前でなければならぬ。

と、している。

長曽祢興里の江戸出府に関しては「致半百」の解釈が難しく、どの研究書でも常に検討されているポイントである。

越前から江戸へ、そして江戸の人気刀工へ

その作刀は非凡な切れ味と、見事な彫刻とによって、たちまち江戸の人気をさらった。

『長曽祢虎徹の研究』によると、
万治3年頃より寛文2年頃まで常陸国額田藩に抱えられ大塚吹上の屋敷で五十人扶持をくだされたとあるらしい。

この説はすでに『名刀虎徹』で検討されていて、額田藩の独立時期を考えると虎徹が仕えたことは考えづらいが、弟子の興正であれば全否定はできないかもしれないとのことである。

『日本刀大百科事典』ではほかにも

幕臣・稲葉正休から召し抱えられたこともある。
なお郷里彦根に帰省して鍛刀したこともある。
今なお“虎徹淬刃吹”と石標のたった古井戸が残っている。

と紹介している。

江戸での住所は

『慶長以来 新刀問答』によると、
初め本所割下水、のち上野池の端湯島にいたという。

『国花万葉記』に「小鉄 神田」とあるので神田説もあったが、これは『名刀虎徹』によれば弟子の興正ではないかとのことである。

晩年は上野の「御花畑」付近にいた

晩年は上野の“御花畑”付近にいたと見え、刀銘に「住東叡山忍岡辺」と切ったものがある。

『乕徹大鑒(虎徹大鑑)』によると1671年(寛文11)頃、67歳頃と考えられている。

『乕徹大鑒』(データ送信)
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:長曾禰虎徹年表
ページ数:51 コマ数:81

….◇ 1681年(延宝6)年頃没

『虎徹大鑑』によると、延宝6年頃没。

『長曽祢虎徹の研究』の時点で福井妙歓寺の過去帳から延宝6年6月24日とされている。

『虎徹大鑑』でも興里の作刀に見る年紀が延宝5年2月を最後としていることから、ほぼその頃だと同意されている。

彫刻の名人

興里は彫刻の名人で、剣巻き竜が主であるが、浦島太郎・大黒天・蓬莱山・風雷神などもある。

浦島太郎の彫物がある刀は「浦島虎徹」。
風雷神の彫物がある刀は「風雷神虎徹」として知られている。

最上大業物

『懐宝剣尺』によると切れ味は“最上大業物”と格付けされている。

「三ッ胴截断」と山野加右衛門の試し銘の入った刀もかなりある。

『袖中鑑刀必携』
著者:近藤芳雄 編, 高瀬真卿 (羽皐) 閲 発行年:1912年(明治45) 出版者:羽沢文庫
目次:山田浅右衛門の切味目録
ページ数:10 コマ数:12

特徴と作風

『日本刀大百科事典』によると、

興里の刀の特徴は、まず当時、無反りの刀が流行したので、反りの浅いものが多いこと。
したがって姿は良くないものが多い。

つぎは地鉄の杢目肌が詰まって強いこと。
これは切れ味の優秀な所以でもある。

刃文は五の目乱れや彎れ刃を好んで焼くが、いずれも足が入り、鋭さを感じさせる。
鋩子は小丸、上品に返る。
茎の鑢目は初め筋違い、のち勝手下がりとなる。

銘は「興」を初め略体(奥の米部分を×にしたような字)に切るので、これを“略興”とよぶ。「虎」も初めは最後の画を、上に蛇行させて跳ね上げるので、“跳ね虎”という。これに対して「乕」という略体に書いたものを、“角虎”とよんでいる。

興里の銘は直線的であるため、偽銘が切りやすいとみえ、巧妙な偽銘が多い。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おきさと【おきさと】
ページ数:1巻P212、213

「虎徹を見たら、偽物と思え」

『長曽祢虎徹の研究』によると、

「虎徹を見たら偽物と思へ」とさえ言われている。

『長曽禰虎徹の研究 下』(データ送信)
著者:杉原祥造 著, 内田疎天 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:杉原日本刀学研究所
目次:第二章 偽作と其鑑別の一新法
ページ数:183 コマ数:78

著名作

稲葉正休の虎徹

1684年(貞享1)、稲葉正休が殿中で堀田大老を刺した刀は、興里の作だった。

『日本刀大百科事典』ではこのエピソードは福永酔剣氏自身の著書『日本刀名工伝』を紹介しているが、この時稲葉正休が虎徹の刀を使ったという話は『徳川太平志』などに載っているようである。
『名刀虎徹』によれば出典は『武備目睫』だそうだが、小笠原信夫氏としてはこの話に信憑性はないという。

『日本刀名工伝』は図書館の書庫にあったり最近また新版が発行されている。

『通俗日本全史 第12巻 徳川太平志(後藤宙外)』
著者:早稲田大学編輯部 編 発行年:1912~1913(明治45~大正2) 出版者:早稲田大学出版部
目次:稲葉正休、堀田正俊を刺す
ページ数:274 コマ数:162

近藤勇の虎徹

『日本刀大百科事典』では「興里」の項目では一言で簡単にまとめている。

世間周知の近藤勇の虎徹については、偽物説・二代虎徹興正説・無銘説などあって、興里の正真でなかったことは確かである。

また、『日本刀大百科事典』には「近藤勇の刀」という項目もありそちらにも記載がある。

近藤勇の長曽祢虎徹に関しては長曽祢虎徹研究、新選組研究、または源清磨関係など様々な分野で言及されている。

犬養木堂の風雷神虎徹

『名刀虎徹』によると、
犬養木堂こと犬養毅元総理が所蔵したのは風雷神の彫物がある「風雷神虎徹」だそうである。

5.15事件で犬養毅が暗殺された後、子息の手で重要美術品認定された。
終戦後に一度行方を失ったが、その後アメリカで発見され再び日本に戻ったという。

勝海舟の海舟虎徹

『名刀虎徹』によると、
勝海舟が所有していた「海舟虎徹」がある。
鞘書に勝海舟の所有であったことが書かれていたらしいが、その鞘は現在は新しいものに作り直されているともいう。

大久保一翁の虎徹

『名刀虎徹』によると、
大久保一翁こと大久保忠寛も虎徹を所有していたとされる。

『長曽祢虎徹の研究』所載の
「住東叡山忍岡辺長曽祢興里作 寛文拾弐年八月吉祥日」銘の刀だったが関東大震災で焼失したという。

井伊直弼の脇差

『名刀虎徹』によると、
安政の大獄で有名な井伊直弼の登城用の大小は一竿子忠綱の大刀と虎徹の脇差・小さ刀だったという。

大老職にあるほどの大名が登城用の大小を新刀で揃えるのは珍しいとされる。

他にもまだいろいろある

山岡鉄舟や木戸孝允が所有した虎徹、石燈籠を切ったという逸話のある石燈篭など様々な名作がある。

調査所感2

『日本刀大百科事典』の記述を参考に超簡単にまとめるとこんなところだろうか。

ここはまだ入り口の入り口で、このぐらい頭に入れてから虎徹研究の本を開くとようやく内容が頭に入ってくるようになります、ぐらいのあれです。

専門的な虎徹研究を見るにしても大体は杉原祥造先生の『長曽祢虎徹の研究』、佐藤寒山先生の『虎徹大鑑』を通って近年の小笠原信夫先生の『長曽祢虎徹新考』『名刀虎徹』あたりに進む感じのようです。

とうらぶプレイヤー的に困ったところは蜂須賀と石田くんの回想131辺りを見るに多分このくらいのまとめだと足りなくてやっぱり『長曽祢虎徹の研究』『虎徹大鑑』辺りの内容はがっつり頭に入っているぐらいの理解が必要な気がします。

つまり通説で大体どのようなことを言われているかざっと理解した上でその通説を近年の研究者がどのように検討しているかまで理解する必要があるわけですね。

無茶言うな(本音)。

福永酔剣先生の『日本刀大百科事典』は一通りの項目を出典を出しながら簡便にまとめてくれるものなので、それを横に置きながらその通説の一つ一つを『長曽祢虎徹の研究』『虎徹大鑑』がどのように検討しているか読んだあとで、小笠原信夫先生の研究に進むといいと思います。

虎徹研究そのものとしては酔剣先生よりもっと専門的にやっている研究書の方がいいと思うんですが、まずとっかかりとしてこれ以上ないくらいに簡単にまとめてくれているのが『日本刀大百科事典』なので、まずはここから。

『長曽祢虎徹新考』はデジコレだとまだ国立国会図書館限定で、大きな図書館なら置いてあるかな、くらいの扱いですが、文春新書の『名刀虎徹』は普通の図書館にも置いてあるだろうしなんなら電子書籍でも読めるのでこちらがオススメです。

参考文献2

『通俗日本全史 第12巻 徳川太平志(後藤宙外)』
著者:早稲田大学編輯部 編 発行年:1912~1913(明治45~大正2) 出版者:早稲田大学出版部
目次:稲葉正休、堀田正俊を刺す
ページ数:274 コマ数:162

『袖中鑑刀必携』
著者:近藤芳雄 編, 高瀬真卿 (羽皐) 閲 発行年:1912年(明治45) 出版者:羽沢文庫
目次:山田浅右衛門の切味目録
ページ数:10 コマ数:12

『長曽禰虎徹の研究 下』(データ送信)
著者:杉原祥造 著, 内田疎天 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:杉原日本刀学研究所
目次:第二章 偽作と其鑑別の一新法
ページ数:183 コマ数:78

『乕徹大鑒』(データ送信)
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:長曾禰虎徹年表
ページ数:51 コマ数:81

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おきさと【おきさと】
ページ数:1巻P212、213

『名刀虎徹』(電子書籍版)
著者:小笠原信夫 発行年:2013年 出版者:文芸春秋(文春ウェブ文庫)