なんせんいちもんじ
- 概要
- 「刀 無銘一文字(名物南泉一文字)」
- 号の由来は猫を斬った故事
- もと足利将軍家の蔵刀
- 豊臣秀吉が入手
- 1611年(慶長16)3月28日、二条城の会見にて豊臣秀頼から徳川家康へ贈られる
- 徳川家康から尾州の徳川義直へ
- 徳川義直から2代将軍・徳川秀忠へ、さらに秀忠からまた義直へ贈られる
- 切れ味が良すぎて地面まで切れ通り折れたと勘違いされた逸話
- 尾州徳川家において2代光友、3代綱誠、16代義宜の差料
- 尾州徳川家の9代宗睦により、『南泉一文字記』が製作される
- 1746年(延享3)、竹屋久右衛門により研がれる
- 1893年(明治26)3月以降、尾張徳川家の世襲財産として登録?
- 1898年(明治31)10月、大正天皇陛下がご覧になる
- 1937年(昭和12年)、皇太后陛下がご覧になる
- 1941年(昭和16)9月24日、重要美術品認定
- 1954年(昭和29)3月20日、重要文化財指定
- 現在も「徳川美術館」蔵
- 作風
- 拵え
- 作者についての推測
- 調査所感
- 参考サイト
- 参考文献
- 概説書
概要
「刀 無銘一文字(名物南泉一文字)」
『享保名物帳』所載、備前一文字(福岡一文字)作の刀。
作者は不明だが、辻本直男氏は、もし作者を求めるとすれば吉房あたりであろうと推測している。
『享保名物帳』などによれば猫を斬ったという逸話を持ち、禅の公案書『碧巌録』に収録された「南泉斬猫」の故事からその号がついたという。
『黎明会名刀図録』に引用分が載っている『南泉一文字記』によると、もと足利将軍家の蔵刀。
豊臣家の御腰物帳によると豊臣秀吉が入手し、大阪城の「一之箱」に入れてあった。
『享保名物帳』『徳川実紀』『豊臣家御腰物帳』などによると、豊臣秀頼が慶長16年(1611)3月28日、京都の二条城において徳川家康と会見の際、「南泉一文字」と「太閤左文字」を徳川家康に贈った。
その後は『享保名物帳』によると、徳川家康からその9男で尾張徳川家の藩祖・義直へ、義直から兄である2代将軍・秀忠へ、秀忠からまた義直へと贈られた。
以後、尾張徳川家伝来。
『昔咄』によると、義直が平岩弥五助に試させたところ、あまりに切れすぎ、地面まで切れ通ったので、弥五助は刀が折れたと早合点、「折れました」、と叫んだほどだった。この一件で南泉一文字の名声はますます高くなった。
尾張徳川家の2代光友、3代綱誠は南泉一文字を差料にしていた。
3代綱誠は、部屋住の頃に譲ってもらったともある。
また、『黎明会名刀図録』によると16代義宣も差料にした。
このように尾張徳川家の中でも特に重要な刀として伝来し、さらに尾張徳川家は1935年(昭和10)に「徳川美術館」を開設したため、実質的に江戸時代からずっと同じ家に所蔵されていると言える。
1941年(昭和16)9月24日、重要美術品認定。
1954年(昭和29)3月20日、重要文化財指定。
現在も「徳川美術館」蔵。
号の由来は猫を斬った故事
研ぎに出してあったとき、壁に立てかけてあるのに、猫が飛びかかり、真二つになったので、「南泉」という異名がつけられた。
唐代の禅僧・南泉普願が経三寺にいた時のこと、東西両堂の小僧たちが、猫の子を取りあっていた。
南泉和尚がその猫の子をつまみあげ、この意味が解らねば切るぞ、と言ったが、誰も解し得なかったので、南泉和尚は猫の子を切ってしまった。
この『碧巌録』(禅の公案書)の故事に因んで、南泉と名付けたものである。
『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:六一 刀 無銘 一 名物南泉一文字
ページ数:86、87 コマ数:102、103
『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(中) 同右
ページ数:47 コマ数:26
昔此刀にて猫を切たる事有に依て名付経山寺に南泉と云僧有一日東面両堂猫兒をあらそう南泉猫兒をひつさけ立て両堂の僧に向て此心さとりたらは切んとなり僧等無答南泉猫兒を切て二つにせられたり碧巌傳燈録に記す秀頼公の御物なり慶長十六三月二十八日二條之御城へ渡御の節家康公へ上り尾張殿へ御傳秀忠公へ上る又拝領
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:廣光、志津兼氏、一文字の部 南泉一文字
ページ数:154、155 コマ数:88
南泉一文字 摺上長貳尺貳寸三分 無代
昔此刀にて猫を切たる事あり、経山寺南泉の事に依て名けたる由、秀頼公の御物なり、慶安十六年三月廿八日二條城へ渡御の節秀忠公へ上る又拝領。
もと足利将軍家の蔵刀
『黎明会名刀図録』に引用分が載っている『南泉一文字記』によると、もと足利将軍家の蔵刀。
(ただし「南泉一文字記」自体が尾張徳川家9代・徳川宗睦の時代に制作されたもの)
『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:六一 刀 無銘 一 名物南泉一文字
ページ数:86、87 コマ数:102、103
豊臣秀吉が入手
豊臣秀吉が入手し、大阪城の「一之箱」に入れてあった。
本阿弥光徳は押形を採り、「ないせん」と注記しているが、それは誤り。
(下記の本の113ページにその辺りの解説がある)
『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:一〇五 ないせん一文字 ページ数:51 コマ数:65
目次:御太刀御腰物御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳 コマ数:115
1611年(慶長16)3月28日、二条城の会見にて豊臣秀頼から徳川家康へ贈られる
『享保名物帳』『徳川実紀』『豊臣家御腰物帳』などによると、豊臣秀頼が慶長16年(1611)3月28日、京都の二条城において徳川家康と会見の際、「南泉一文字」と「太閤左文字」を徳川家康に贈った。
『徳川実紀 第1編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:台徳院殿御実紀 巻十五 (慶長十六年正月−五月)
ページ数:526 コマ数:270
其御盃返し進らせらるるとて。一文字の刀。(南泉。)左文字の脇差を捧げらる。
『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:一〇五 ないせん一文字 ページ数:51 コマ数:65
目次:御太刀御腰物御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳 コマ数:115
徳川家康から尾州の徳川義直へ
『享保名物帳』によると、家康はこれを9男、尾張徳川家の藩祖でもある徳川義直へ与えた。
徳川義直から2代将軍・徳川秀忠へ、さらに秀忠からまた義直へ贈られる
『享保名物帳』によると、徳川義直はのちに兄である2代将軍・秀忠に献上したが、秀忠はまた義直へ贈った。
切れ味が良すぎて地面まで切れ通り折れたと勘違いされた逸話
『昔咄』によると、
義直が平岩弥五助に試させたところ、あまりに切れすぎ、地面まで切れ通ったので、弥五助は刀が折れたと早合点、「折れました」、と叫んだほどだった。
この一件で南泉一文字の名声はますます高くなった。
(『昔咄』は尾張藩四代藩主徳川吉通の側近の臣・近松茂矩が江戸初期から中期にかけての尾張藩主および藩士の逸話・言行を主として集録した随筆)
『昔咄 : 抄録 慶勝公履歴附録 (日本偉人言行資料) 』
著者:近松彦之進 編, 長谷川敬 編 発行年:1915年(大正4) 出版者:国史研究会
目次:第四巻 前編
ページ数:104、105 コマ数:60
『名古屋叢書 第24巻 (雑纂編 第1)』(データ送信)
著者:名古屋市教育委員会 編 発行年:1963年(昭和38) 出版者:名古屋市教育委員会
目次:昔咄 第四巻 前編
ページ数:193、194 コマ数:119、120
尾州徳川家において2代光友、3代綱誠、16代義宜の差料
『昔咄』によると尾張徳川家の2代光友、3代綱誠は南泉一文字を差料にしていた。
3代綱誠は、部屋住の頃に譲ってもらったともある。
また、『黎明会名刀図録』によると16代義宜も差料にした。
これらのことから、『黎明会名刀図録』では南泉一文字を尾張家では一番人気のあった刀だとしている。
尾州徳川家の9代宗睦により、『南泉一文字記』が製作される
『黎明会名刀図録』によると、9代宗睦は家臣の松平君山、久野彦八郎らに命じて、『南泉一文字記』を書かせた。
1746年(延享3)、竹屋久右衛門により研がれる
『日本刀大百科事典』によると延享3年(1746)には、城下の砥師・竹屋久右衛門が研いでいる。
その後は継ぎ研ぎだけで、今日に至っている。
この話の出典は竹屋尋佐の『銘鏡』となっているが、2023年現在国立国会図書館デジタルコレクションで読む手段はなさそうである。
1893年(明治26)3月以降、尾張徳川家の世襲財産として登録?
官報に名前が載っているのを発見したが具体的にどういう扱いかよくわからないので誰か明治の法律に詳しい方調べてみてほしい。
『官報 1893年03月07日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1893年(明治26) 出版者:日本マイクロ写真
ページ数:108 コマ数:17
華族従四位侯爵徳川義禮所有左ノ物品ヲ以テ世襲財産附属物ト為シ度旨願出タルニ附該物品ニ對シ故障アルモノハ本年四月十三日マデニ當局ヘ申出ツヘシ 但物質形状等承知セントスルモノハ當局世襲財産課へ申出ツヘシ 明治二十六年三月七日
徳川義礼侯爵は尾張徳川家第18代当主。尾張徳川家の世襲財産としてこの頃何か登録があったらしい。
上の文面からすると正式な認定はこの年の4月以降のようだ。
1898年(明治31)10月、大正天皇陛下がご覧になる
明治31年10月に大正天皇陛下へ徳川義礼侯爵よりご覧に供した。
『大正天皇愛知県聖蹟誌 巻1』
著者:愛知県 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:愛知県
目次:第三章 京都行啓(明治三十一年十月)
ページ数:36 コマ数:30
1937年(昭和12年)、皇太后陛下がご覧になる
この頃皇太后陛下と呼ばれている方なので大正天皇の皇后、貞明皇后だと考えられる。
皇太后陛下が徳川美術館を視察された際に尾張徳川家19代当主・徳川義親侯爵が美術品の説明を行っている。
『皇太后陛下関西地方行啓愛知県記録』(データ送信)
著者:愛知県 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:愛知県
目次:御駐輿第五日
ページ数:329 コマ数:249
1941年(昭和16)9月24日、重要美術品認定
昭和16年(1941)9月24日、重要美術品認定。
財団法人尾張徳川黎明会名義。
『官報 1941年09月24日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1941年(昭和16) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第七百九十二号 昭和十六年九月二十四日
ページ数:675 コマ数:4
1954年(昭和29)3月20日、重要文化財指定
昭和29年(1954)、財団法人黎明会(旧称尾張徳川黎明会)名義で重要文化財に指定される。
『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』(データ送信)
発行年:1958年(昭和33) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:242 コマ数:130
現在も「徳川美術館」蔵
尾州徳川家は1935年(昭和10)に尾張徳川黎明会として「徳川美術館」を開館。
南泉一文字は尾州徳川家に伝来してから以後現代まで同じ家が所有し続けていることになる。
『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:六一 刀 無銘 一 名物南泉一文字
ページ数:86、87 コマ数:102、103
「徳川美術館」のWEBページでも確認できる。
作風
刃長二尺三分(約61.5センチ)、反り六分(約1.8センチ)。
地鉄は小板目つみ、地映り鮮やか。
刃文は大丁子乱れ、足・葉入り華やか。
鋩子は乱れこんで焼き詰め風となる。
茎は大磨り上げ無銘。
目釘孔三個。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:なんせんいちもんじ【南泉一文字】
ページ数:4巻P98
拵え
1.金襴包刀拵
「虫尽図赤銅鐔」
「蕨土筆図笄・小柄」
「銀小刀 銘 壽命」
2.梨地地刻小サ刀拵
「葵紋散秋草図赤銅鐔」
「桐紋五双笄」
「桐紋三双小柄」
「小刀 銘 相模守藤原政常」
3.蠟色金霰小サ刀拵
「波に露図赤銅鐔」
この拵えでは上の「梨地地刻小サ刀拵」と同じ「桐紋五双笄」「桐紋三双小柄」「小刀 銘 相模守藤原政常」を使っている。
南泉は尾張徳川家で三人の藩主が差料にしたため拵えが三つも残っている。
南泉一文字の拵えの記述は色々な本に断片的な記述が載っている。
『徳川美術館所蔵 刀剣・刀装具』(紙本)
著者:徳川美術館 編 発行年:2018年(平成30) 出版者:徳川美術館
目次:34 重要文化財 刀 無銘一文字 名物南泉一文字 ページ数:39
目次:121 金襴包刀拵(34 刀 名物南泉一文字) ページ数:124
目次:134 梨地地刻小サ刀拵(34 刀 名物南泉一文字) ページ数:136
目次:135 蠟色金霰小サ刀拵(34 刀 名物南泉一文字) ページ数:137
鞘書には「名物 南泉一文字御脇指 無名 長弐尺三分半」とある。
「刀剣と歴史 (424)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年3月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名物帳に記された備前の名刀 / 辻本直男
ページ数:4、5 コマ数:7
作者についての推測
作者は不明だが辻本直男氏は、もし作者を求めるとすれば吉房あたりであろう。と推測している。
「刀剣と歴史 (424)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年3月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名物帳に記された備前の名刀 / 辻本直男
ページ数:4、5 コマ数:7
備前助宗説。
「好古 3(5)(25)」(雑誌・データ送信)
発行年:1940年5月(昭和15)
目次:古名物の刀槍(四) / 漆山又四郞
ページ数:54 コマ数:29
調査所感
・拵えを複数持つ刀として有名
南泉の拵えが三つあるって話、他の刀剣ではあまり聞かないなとは思っていたんですが、実際に珍しいようです。
「刀剣と歴史 (435)」(雑誌・データ送信)
発行年:1967年1月(昭和42) 出版者:日本刀剣保存会
目次:大名の刀装 / 吉川皎園
ページ数:25、26 コマ数:17、18
・尾張徳川家の名刀は情報がすでにしっかり出ている
『昔咄』という尾張徳川家藩主の側近が書いた随筆にエピソードが載っていて、これはデジコレだとネット公開分もあるのですぐに読めます。
徳川美術館こと徳美の刀は所蔵元が刀剣の所蔵元としてはトップクラスにしっかりしたところです。
徳美は自分たちを持ち上げたりしないので他の美術館との差がわかりにくいかもしれませんが、『黎明会名刀図録』の前書・序文で研究者の先生方がいかに凄いかを説明しているので、そういうものを読んでいくうちに徳美めちゃくちゃ凄いなこれ……ってわかるようになります。
・と、いうわけで南泉一文字の情報は多い
もともと少なくもなかったのにデジコレがパワーアップしたり蔵書が追加されたりで物凄い量の資料が引っかかってきましたのでぜひご自分でお読みください。
・南泉関連でとうらぶプレイヤー側が書いちゃってる誤情報について
二次創作などで山姥切長義(本作長義以下、五十八字略)と大小の本差と脇差の関係としているものがありますが、そんな資料はありません。
この件はすでに他の審神者が検討していますが、資料の誤読から行き過ぎた想像のようです。
独自要素を加えた創作自体は別に良いと思いますが、それが史実のように広まってしまうのはどうよという一般的なレベルの問題があるのと、もう一つ。
とうらぶに関しては、きちんと刀の背景を調べたうえでとうらぶという物語の持つテーマから刀剣男士の言動を構築しているようです。
刀剣男士としての山姥切長義と南泉一文字の関係を考察する時に、スタートが実際に存在する誤伝ですらなくプレイヤーの思い込み誤情報だと、決してあの関係の本質を掴むことはできないと思います。
物語を真剣に楽しみたいと思うなら尚更、正しい知識を得るところから始めたほうがいいと思います。
二次創作をあくまで二次創作として楽しむ心と、キャラの本質を掴むために資料を調べる心構えは別々に持った方がいいと思います。
参考サイト
「徳川美術館」
「国指定文化財等データベース」
参考文献
『諸家名剣集』
(東京国立博物館デジタルライブラリー)
時代:享保4年(1719) 写本
コマ数:34
『官報 1893年03月07日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1893年(明治26) 出版者:日本マイクロ写真
ページ数:108 コマ数:17
『徳川実紀 第1編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:台徳院殿御実紀 巻十五 (慶長十六年正月−五月)
ページ数:526 コマ数:270
『剣話録 下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:七 備前物 ページ数:46 コマ数:29
目次:九 福岡一文字其他 ページ数:61~63 コマ数:36、37
『昔咄 : 抄録 慶勝公履歴附録 (日本偉人言行資料) 』
著者:近松彦之進 編, 長谷川敬 編 発行年:1915年(大正4) 出版者:国史研究会
目次:第四巻 前編
ページ数:104、105 コマ数:60
『日本刀』(データ送信)
著者:本阿弥光遜 発行年:1914年(大正3) 出版者:日本刀研究会
目次:第七章 刀匠の掟と其特徴
ページ数:364 コマ数:215
『刀剣一夕話』
著者:羽皐隠史 発行年:1915年(大正4) 出版者:嵩山房
目次:一 名物の刀剣
ページ数:193 コマ数:103
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:廣光、志津兼氏、一文字の部 南泉一文字
ページ数:154、155 コマ数:88
『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:342 コマ数:191
(デジコレに2冊あるのでコマ数よりページ数を参照したほうがいいです)
『近世日本国民史 〔第12〕 家康時代 中巻 大阪役 改版』
著者:徳富猪一郎 発行年:1925年(大正14 改版) 出版者:民友社
目次:福島、加藤、浅野等の秀頼身辺警固
ページ数:78 コマ数:62
『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(中) 同右
ページ数:47 コマ数:26
「刀剣と歴史 (212)」(雑誌・データ送信)
発行年:1928年8月(昭和3) 出版者:日本刀剣保存会
目次:目利の手引「福岡一文字」 / 近藤鶴堂
ページ数:19 コマ数:15
『諸伝通解名刀鑑別法』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1930年(昭和5) 出版者:太陽堂書店
目次:一 最も眼に觸れ易き刀(備前傳)
ページ数:108 コマ数:67
『大正天皇愛知県聖蹟誌 巻1』
著者:愛知県 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:愛知県
目次:第三章 京都行啓(明治三十一年十月)
ページ数:36 コマ数:30
『秋霜雑纂 前編』
著者:秋霜松平頼平 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
目次:図書十五條 三百五十 大阪御物押形
ページ数:214 コマ数:133
『岳南史 第4巻』
著者:鈴木覚馬 編 発行年:1933年(昭和8) 出版者:岳南史刊行会
目次:二 事蹟
ページ数:599 コマ数:317
『日本刀剣の研究 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:我國の歷史は日本刀にきけ 福島靖堂
ページ数:322 コマ数:171
『日本刀講座 第6巻 (刀剣鑑定・古刀)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:(刀劍鑑定)播磨・美作・備前 備前國
ページ数:18 コマ数:452
『皇太后陛下関西地方行啓愛知県記録』(データ送信)
著者:愛知県 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:愛知県
目次:御駐輿第五日
ページ数:329 コマ数:249
「好古 3(5)(25)」(雑誌・データ送信)
発行年:1940年5月(昭和15)
目次:古名物の刀槍(四) / 漆山又四郞
ページ数:54 コマ数:29
『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 著 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:太閤所持の名刀七十三腰並に解說 ページ数:53 コマ数:37
目次:二條城贈答の太刀と名刀鍋通し吉光 ページ数:302、303 コマ数:162
『官報 1941年09月24日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1941年(昭和16) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第七百九十二号 昭和十六年九月二十四日
ページ数:675 コマ数:4
『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:一〇五 ないせん一文字 ページ数:51 コマ数:65
目次:御太刀御腰物御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳 コマ数:115
『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:圖譜目次 コマ数:95
目次:古刀の部 コマ数:194、195
「博物館研究 28(6)」(雑誌・データ送信)
発行年:1955年6月(昭和30) 出版者:日本博物館協会
目次:四・五月の舘園行事一覧 催しもの
ページ数:25 コマ数:14
『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』(データ送信)
発行年:1958年(昭和33) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:242 コマ数:130
『黎明会名刀図録』(データ送信)
著者:近藤周平、吉川賢太郎 共編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:日本刀剣保存会本部
目次:六一 刀 無銘 一 名物南泉一文字
ページ数:86、87 コマ数:102、103
「刀剣と歴史 (50)(408)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年7月(昭和37) 出版者:日本刀剣保存会
目次:黎明会名宝鑑賞記 / 吉川皎園
ページ数:31 コマ数:18
「刀剣史料 (45)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年9月(昭和37) 出版者:南人社
目次:刀剣古文書学(八) / 福永酔剣
ページ数:14 コマ数:9
『名古屋叢書 第24巻 (雑纂編 第1)』(データ送信)
著者:名古屋市教育委員会 編 発行年:1963年(昭和38) 出版者:名古屋市教育委員会
目次:昔咄 第四巻 前編
ページ数:193、194 コマ数:119、120
「刀剣と歴史 (414)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年7月(昭和38) 出版者:日本刀剣保存会
目次:関から名古屋へ / すいけん
ページ数:25 コマ数:18
「刀剣と歴史 (423)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年1月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:備前刀の作風 / 吉川賢太郎
ページ数:9 コマ数:9
「刀剣と歴史 (424)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年3月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名物帳に記された備前の名刀 / 辻本直男
ページ数:4、5 コマ数:7
「刀剣と歴史 (426)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年7月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:黎明会名宝鑑賞会記
ページ数:56 コマ数:33
「刀剣と歴史 (432)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年7月(昭和41) 出版者:日本刀剣保存会
目次:黎明会名宝鑑賞記 / 恩田繁
ページ数:49 コマ数:29
『日本刀全集 第1巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:武将と刀剣 沼田鎌次
ページ数:208 コマ数:108
『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:加藤清正の槍と刀
ページ数:217~219 コマ数:115、116
(二条城の秀頼と家康の会見の話ついでに南泉の話題も出てくる)
『名古屋の文化財』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:名古屋市教育委員会
目次:目録
ページ数:8 コマ数:203
「刀剣と歴史 (435)」(雑誌・データ送信)
発行年:1967年1月(昭和42) 出版者:日本刀剣保存会
目次:大名の刀装 / 吉川皎園
ページ数:25、26 コマ数:17、18
「刀剣と歴史 (438)」(雑誌・データ送信)
発行年:1967年7月(昭和42) 出版者:日本刀剣保存会
目次:徳川黎明会鑑賞紀行 / 恩田繁
ページ数:59 コマ数:34
『名古屋市史 学芸編』(データ送信)
著者:名古屋市 編 発行年:1968年(昭和43復刻版) 出版者:中部経済新聞社
目次:第三款 刀工と名作
ページ数:420、421 コマ数:290
『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(雑誌・データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:31 コマ数:167
『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:福岡一文字 概説および系図
ページ数:171 コマ数:158
「大日光 (31)」(雑誌・データ送信)
発行年:1968年10月(昭和43) 出版者:日光東照宮
目次:徳川家康公展
ページ数:5 コマ数:5
『日本刀物語 続』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1969年(昭和44) 出版者:雄山閣
目次:加藤清正の槍と刀
ページ数:217~219 コマ数:120、121
「刀剣と歴史 (486)」(雑誌・データ送信)
発行年:1975年7月(昭和50) 出版者:日本刀剣保存会
目次:古剣書の話(四) / 福永酔剣
ページ数:43 コマ数:26
「大日光 (50)」(雑誌・データ送信)
発行年:1979年3月(昭和54) 出版者:日光東照宮
目次:名物帳から見た家康公の愛刀/辻本直男
ページ数:25 コマ数:15
「刀剣と歴史 (513)」(雑誌・データ送信)
発行年:1980年1月(昭和55) 出版者:日本刀剣保存会
目次:刃文は刀の顔 / 篠春村
ページ数:41 コマ数:25
「刀剣と歴史 (537)」(雑誌・データ送信)
発行年:1984年1月(昭和59) 出版者:日本刀剣保存会
目次:尾張の刀と装剣具 尾州金工を総覧する / 若山泡沫
ページ数:83 コマ数:46
「博物館研究 = Museum studies 26(4)(275)」(雑誌・データ送信)
著者:日本博物館協会 編 発行年:1991年4月 出版者:日本博物館協会
目次:特別展 = Special Exhibition
ページ数:31 コマ数:17
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:なんせんいちもんじ【南泉一文字】
ページ数:4巻P98
『徳川美術館所蔵 刀剣・刀装具』(紙本)
著者:徳川美術館 編 発行年:2018年(平成30) 出版者:徳川美術館
目次:34 重要文化財 刀 無銘一文字 名物南泉一文字 ページ数:39
目次:121 金襴包刀拵(34 刀 名物南泉一文字) ページ数:124
目次:134 梨地地刻小サ刀拵(34 刀 名物南泉一文字) ページ数:136
目次:135 蠟色金霰小サ刀拵(34 刀 名物南泉一文字) ページ数:137
概説書
『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 備前国福岡 一文字 南泉一文字
ページ数:77