抜丸

ぬけまる

概要

平家重宝とされた太刀、「抜丸」

平家重宝とされた太刀。

作者については伯耆の大原真守説が最も多いが、古剣書には異説が多数存在する。

「抜丸」に関する伝説は古剣書、軍記類に様々な形で存在するの歴史として一本化はなかなか難しいが試しに『源平盛衰記』の記述を軸に試みるとだいたいこんな感じになると思われる。

古剣書類によると平忠盛が伊勢で入手したもので、初め「木枯」と呼んでいたらしい。

『源平盛衰記』によると、もとは伊勢国鈴鹿山の麓のある貧民の所持。

その貧民は、大神宮に貧窮を訴え続けていた。
猟をして妻子を養え、と夢告があったので猟師になった。
三子塚という所で、一振りの太刀を買って以来、獲物を逃がすことがなくなった。
ある夜、その太刀を木の根元に立てかけて眠り、翌朝、目が覚めてみると、その木がすっかり枯れていた。
それで「木枯」という異名をつけた。

その話を当時、伊勢守だった平忠盛が聞きつけ様々なものと引き換えに召し上げたという。

のちに「抜丸」と改名された。

同じく『源平盛衰記』によると改名の理由となった逸話がある。

忠盛が都に帰り、六波羅の池殿の山庄にて昼寝をしていた。
この「木枯」の太刀を枕に立てて置いておいた。
その時、大蛇が池より出でて口を張り泳ぎ近づき忠盛を呑みこもうとした。
「木枯」は鞘からさっと抜けて、転び倒れる音に忠盛が起き直って見ると、抜けた剣が蛇に向かっている。
蛇は剣を怖れて水底に沈んだ。

それによって「木枯」の名を改め「抜丸」と呼ばれるようになった。

その後、『源平盛衰記』『平治物語』『長門本平家物語』『参考平治物語』などによると、

忠盛は長男の清盛に小烏丸、五男の頼盛に抜丸を与えた。
清盛は両刀とも長男の自分に譲られるもの、と考えていたので、以後、頼盛と不仲になったという。

『看聞御記』によると、その後さらに足利将軍家の重宝になっていたが、永享4年(1432)5月7日、御会所の塗籠の内においてあったのが、紛失していることが分かった。

京都中の土倉、つまり質屋を捜索したところ、9日に発見された。
しかし、責任者はそのため流罪になった。

「抜丸」のその後の消息は不明。

作者については、伯耆の大原真守説が最も多いが、異説が多数ある

古剣書類は国立国会図書館デジタルコレクションでも読めないものが多いのでこの情報の出典はまとめて『日本刀大百科事典』とさせていただく。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:ぬけまる【抜丸】
ページ数:4巻P136

伯耆の大原真守説

(『古刀銘盡大全』『正和銘盡(観智院本)』『能阿弥本』『文明十六年銘盡』『本朝鍛冶考』『日本国中鍛冶銘文集』『鍛冶銘集』『宇都宮銘盡』『万金産業袋』『本阿弥光和伝書』『相州秋広廿五ヶ国押形増補本』『参考平治物語』)

『銘尽 : 観智院本』(データ送信)
発行年:1939年(昭和14) 出版者:帝国図書館
ページ数:68 コマ数:92
ページ数:81 コマ数:98

真守 平家抜丸作

『古刀銘尽大全 上 増訂 (日本故有美術鑑定便覧 ; 第4集) 』
著者:大館海城 編 発行年:1901(明治34) 出版者:赤志忠雅堂
ページ数:113 コマ数:62

抜丸 大原真守 平忠盛太刀

『古刀銘尽大全 巻之4-6』(データ送信)
著者:菅原弘邦 著, 富田正二 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:立命館出版部
目次:古代名物之剣
ページ数:16 コマ数:18

抜丸 大原真守
平氏忠盛太刀ト云
嵯峨天皇第十四勝宮皇子太刀ト云

『本朝鍛冶考 18巻 [3]』
著者:鎌田魚妙 撰 発行年:1851(嘉永4) 出版者:近江屋平助
ページ数:13 コマ数:5
目次:名剣作者記 ページ数:30 コマ数:73

真守 木枯或抜丸
嵯峨天皇御宇弘仁天長伯耆国安綱子大原住平家刑部卿忠盛
抜丸初号木枯或抜丸ハ奥州ノ冶ユ文寿作トモ云

『参考保元物語・参考平治物語 (国書刊行会本) 』
著者:今井弘済, 内藤貞顕 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:国書刊行会
目次:参考平治物語巻第二
ページ数:229 コマ数:123

当腹ノ愛子ニ依テ、頼盛是ヲ相伝シ給フ故ニ、清盛ト不快也ケルトソ聞ヘシ、伯耆国大原真守カ作ト云々、

伯州武保説

(『長享銘盡』『長谷川忠右衛門刀工系図』『文明十六年銘盡』『日本国鍛冶惣約』)

『長享銘尽』
写本
コマ数:29、30
(29コマから30コマにかけて大原真守説の説明だが、30コマの左ページ「武保」のコマにさりげなく“武保 横三郎大夫平家池ノ大納言及抜丸此作”と書いてあるように読める)

古備前助包説

(『古刀銘盡大全』『正和銘盡(観智院本)』『新刊秘伝抄』)
『日本刀大百科事典』では、古備前助包説は「抜き打ち丸」との混同であろう、としている。

『古刀銘尽大全 上 増訂 (日本故有美術鑑定便覧 ; 第4集) 』
著者:大館海城 編 発行年:1901(明治34) 出版者:赤志忠雅堂
ページ数:113 コマ数:62

抜丸 甲州黒俊太郎太刀
宇治川ニテ敵ヲ抜打ちニ切リタル太刀

『古刀銘尽大全 巻之4-6』(データ送信)
著者:菅原弘邦 著, 富田正二 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:立命館出版部
目次:古代名物之剣
ページ数:17 コマ数:18

そのほかの説

伯州安綱説(『永徳銘盡』)
伯州日乗説(『弘治銘盡』)
奧州文寿説(『本朝鍛冶考』)

『長享目利書』によると、抽丸とも書き、作はやはり大原真守とされているらしい。

『弘治銘盡』による日乗作の抜丸は、刃長二尺七寸(約81.8センチ)、銘は佩き表、目釘孔の上に、棟に寄って打ってあったという。

平忠盛が伊勢で入手したもので、初め「木枯」と呼んでいた

『長享銘盡』『古刀銘盡大全』『長享目利書』『文明十六年銘盡』『本朝鍛冶考』『日本国中鍛冶銘文集』『鍛冶銘集』『宇都宮銘盡』によると、

「抜丸」は平忠盛が伊勢で入手したもので、初め「木枯」と呼んでいたという。

『長享銘尽』
写本
コマ数:29、30

『古刀銘尽大全』の該当箇所は見つけられなかった。無念。
(というかすでに上記で紹介した2冊の内容が違うので写本の版が違うと載っていない可能性もある。国立公文書館のアーカイブでも一冊(全6巻)読めるんですがそっちも内容微妙に違う)

「木枯」の伝説

平家重宝の太刀の名。

伊勢国鈴鹿山の麓のある貧民が、大神宮にその貧窮を訴え続けていた。
ある夜、猟をして妻子を養え、と夢告があった。それで猟師になった。

ある時、三子塚という所で、一振りの太刀を買って以来、獲物を逃がすことがなくなった。
ある夜、その太刀を木の根元に立てかけて眠った。
翌朝、目が覚めてみると、その木がすっかり枯れていた。
それで「木枯」という異名をつけた。

その話を当時、伊勢守だった平忠盛が聞きつけ、『長享銘盡』『長享目利書』『日本国中鍛冶銘文集』などの古剣書によれば種々の珍宝と取り換えたといい、『源平盛衰記』によれば栗真庄の年貢三千石を与えて召し上げたともいう。

のち「抜丸」と改名して秘蔵した。

『如手引抄(十一冊本)』『竹屋直正伝書』『新刊秘伝抄』『上古秘談抄』などによると、

「木枯」は伯州大原真守の作で、刃長は二尺六寸(約78.8センチ)ほど、反り高く踏ん張りのある剣形で、表面に刀樋をかく。刃文は小乱れだったという。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:こがらし【木枯】
ページ数:2巻P229

『源平盛衰記』による「抜丸」の号の由来

『源平盛衰記』によると、

忠盛が都に帰り、六波羅の池殿の山庄にて昼寝をしていた。
この「木枯」の太刀を枕に立てて置いておいた。
その時、大蛇が池より出でて口を張り泳ぎ近づき忠盛を呑みこもうとした。
「木枯」は鞘からさっと抜けて、転び倒れる音に忠盛が起き直って見ると、抜けた剣が蛇に向かっている。
蛇は剣を怖れて水底に沈んだ。

それによって「木枯」の名を改め「抜丸」と呼ばれるようになった。

忠盛は長男の清盛に小烏丸、五男の頼盛に抜丸を与えた

『源平盛衰記』『平治物語』『長門本平家物語』『参考平治物語』などによると、

忠盛は長男の清盛に小烏丸、五男の頼盛にこの「抜丸」を与えた。
清盛は両刀とも長男の自分に譲られるもの、と考えていたので、以後、頼盛と不仲になったという。

しかし、『本阿弥光和伝書』によると、清盛の子、重盛の太刀になったともいう。

『源平盛衰記 下 (友朋堂文庫) 』
著者:石川核 校 発行年:1911-1912年(明治44-45) 出版者:有朋堂
目次:第四十巻 唐皮小烏抜丸事
ページ数:512~516 コマ数:264~266

『保元物語平治物語 (新訳国文叢書 ; 第2編) 』
著者:須田正雄 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:文洋社書店
目次:十五 待賢門の軍、信頼落つ
ページ数:87 コマ数:52

茲に鎌田が下人、八町の次郎といふ早走りの勇士が、頼盛の兜に熊手を引きかけると、頼盛は其柄を截って逃れた。其太刀は抜け丸といふ名刀であつた。

『百万塔 第5巻』
(『長門本平家物語』収録)
著者:中根淑 校 発行年:1892年(明治25) 出版者:金港堂
目次:長門本平家物語巻第一
ページ数:23 コマ数:78

抜丸も此家に伝るへかりしを当服さいあひなる故に頼盛の家につたはる是によりて兄弟の中不快とかや

『参考保元物語・参考平治物語 (国書刊行会本) 』
著者:今井弘済, 内藤貞顕 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:国書刊行会
目次:参考平治物語巻第二
ページ数:229 コマ数:123

此太刀を抜丸ト云故ハ、故刑部卿忠盛、池殿に昼寝シテオハシケルニ、池ヨリ大蛇アカリテ、忠盛ヲ呑ントス、此太刀枕ノ上ニ立タリケルカ、自ラスルリト抜テ蛇ニ懸リケレハ」、蛇恐テ池ニ沈ム、太刀モ鞘に返リシカハ、蛇又出テ呑ントス、太刀又抜テ大蛇ヲ追テ、池ノ汀ニ立テケリ、
(中略)
当腹ノ愛子ニ依テ、頼盛是ヲ相伝シ給フ故ニ、清盛ト不快也ケルトソ聞ヘシ、伯耆国大原真守カ作ト云々、

その後、足利将軍家の重宝になっていたが、永享4年(1432)5月7日に紛失事件が起き、9日に発見

『看聞御記』によると、その後、足利将軍家の重宝になっていたが、永享4年(1432)5月7日、御会所の塗籠の内においてあったのが、紛失していることが分かった。

京都中の土倉、つまり質屋を捜索したところ、9日に発見された。

しかし、責任者はそのため流罪になった。

『看聞御記 訂正再版』(データ送信)
著者:續群書類從完成會 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:國書出版
目次:看聞日記 永享四壬子年 五月九日
ページ数:33 コマ数:342

その後の消息は不明

『日本刀大百科事典』によると、抜丸のその後の消息は不明である。

小烏丸との混同

『如手引抄(十一冊本)』によると「木枯丸」ともいうらしい。
『長享目利書』には、小烏丸と同物との異説もあるようだ。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:こがらし【木枯】 ページ数:2巻P229
目次:ぬけまる【抜丸】 ページ数:4巻P136

調査所感

・平家重宝という伝承の太刀

抜丸くん話としてはそれほど複雑ではないんですが、まとめ方はちょっと難しいなと。

『日本刀大百科事典』でのまとめ方を見る感じ、どうも『源平盛衰記』にある「木枯」の由来と「抜丸」の由来は他の本にはあまり載っていない『源平盛衰記』側が盛った伝説っぽいです。

なのでこれを基準に考えるか、これを外して考えるかで印象ちょっと変わりますね。

『日本刀大百科事典』は「抜丸」の項目からはこれを外して「木枯」の項目で補足する書き方ですが、もっと昔の『刀剣刀装鑑定辞典』は逆で『源平盛衰記』を中心にまとめた記述ですね。わーお。

軍記物の記述は史実を考える上では信憑性が高くない、あまり話としてはあてにならない。

しかしその頃の歴史を現代にいたるまでの人々がどのように認識していたかを考える上では重要で、軍記物によって人口に膾炙した物語こそある意味何百年もの間人々に受容された歴史そのものとも言える。

史実として調べる際には古剣書類などで「抜丸」として語られる刀に『源平盛衰記』に載っている逸話を統合するかどうかは微妙なラインですが、これまでの検討の歴史を見るに統合して『源平盛衰記』を軸に考えた話の方が解釈のスタートラインに来ている気はします。

・とうらぶ的にはどんどん盛っていくだろう

史実の調査としては軍記物に関してはそういう注意が必要ですが、まあとうらぶは伝説は全部盛っていくぜスタイルでしょうからここでは統合しやすいように注記的に階層を下げて付記していくまとめ方にしました。ノードって便利ですね。

逆にこれじゃわかりづらい! 一度全部ばらばらにしないと頭に入らない! って人はぜひそういうまとめを作ってほしい。

・小烏丸との混同問題

「木枯」の読みは「こがらし」のようですが『源平盛衰記』の逸話的には木を枯らしたので「木枯(こがらす)」とも言える。

なんとか丸系の名前は最後の丸が省略されたりそもそも最初はついていなかったりするので小烏丸も文献には「小烏(こがらす)」で載っていることが多い。

となると両者を混同している場合もあれば、この二つはきっと同じものだ! とあえて同一視していくスタイルなどもあります。

そういう話をしている研究書もあります。

・源氏の重宝と似たようなパターン

平家の重宝・小烏丸と抜丸はそうして混同問題が考えられるわけですが、源氏の重宝・髭切と膝丸にも似たような問題があります。一つの軍記で髭切の物として語られた逸話が別の軍記で膝丸の話になってたり。

このようなこともあり、軍記物出典の話というのは史実としては重視できないんですが、それが人々に語られているという受容史としては重視されます。

・出典は比較的探しやすい

古剣書類はいつものパターンで見れないものが多いんですが、多少はデジコレでも読めますし、デジコレだと軍記類が大体読めるのでこの手の刀の中では比較的調べやすい方です。
登録しなくても読めるネット公開分も多いのでぜひご自分で検索かけてみてください。

参考文献

『本朝鍛冶考 18巻 [3]』
著者:鎌田魚妙 撰 発行年:1851(嘉永4) 出版者:近江屋平助
ページ数:13 コマ数:5
目次:名剣作者記 ページ数:30 コマ数:73

『百万塔 第5巻』
(『長門本平家物語』収録)
著者:中根淑 校 発行年:1892年(明治25) 出版者:金港堂
目次:長門本平家物語巻第一
ページ数:23 コマ数:78

『古刀銘尽大全 上 増訂 (日本故有美術鑑定便覧 ; 第4集) 』
著者:大館海城 編 発行年:1901(明治34) 出版者:赤志忠雅堂
ページ数:113 コマ数:62

『源平盛衰記 下 (友朋堂文庫) 』
著者:石川核 校 発行年:1911-1912年(明治44-45) 出版者:有朋堂
目次:第四十巻 唐皮小烏抜丸事
ページ数:512~516 コマ数:264~266

『刀剣談』
著者:羽皐隠史 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第二門 御物 小烏丸 コマ数:35、36

『保元物語平治物語 (新訳国文叢書 ; 第2編) 』
著者:須田正雄 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:文洋社書店
目次:十五 待賢門の軍、信頼落つ
ページ数:87 コマ数:52

『参考保元物語・参考平治物語 (国書刊行会本) 』
著者:今井弘済, 内藤貞顕 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:国書刊行会
目次:参考平治物語巻第二
ページ数:229 コマ数:123

『日本刀剣の研究. 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:文献に表はれた名剣名刀譚 源秋水編 コマ数:63

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ヌケマル【抜丸】(木枯)
ページ数:367、368 コマ数:194、195

『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:木枯、一名拔丸
ページ数:548~553 コマ数:286~288

『銘尽 : 観智院本』
発行年:1939年(昭和14) 出版者:帝国図書館
ページ数:81 コマ数:98

『古刀銘尽大全 巻之4-6』(データ送信)
著者:菅原弘邦 著, 富田正二 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:立命館出版部
目次:古代名物之剣
ページ数:16 コマ数:18

「刀剣史料.(41)」(雑誌・データ送信)
(『刀剣鑑定歌伝』収録)
発行年:1962年(昭和35)5月 出版者:南人社
目次:刀剣鑑定歌伝(6) 中島久胤 コマ数:8

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:こがらし【木枯】 ページ数:2巻P229
目次:ぬけまる【抜丸】 ページ数:4巻P136

概説書

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第3章 太刀 抜丸
ページ数:91