秋田藤四郎

あきたとうしろう

概要

「短刀 銘吉光(名物秋田藤四郎)」「短刀 銘 吉光(名物秋田吉光)」

鎌倉時代の刀工・粟田口吉光作の短刀。

もと秋田実季所持と言われ、「秋田藤四郎」と呼ばれる。

豊前小倉藩主・小笠原家伝来。

1937年(昭和12)2月16日、重要美術品認定。

その後、小笠原家を出て個人蔵になる。

1959年(昭和34)6月27日、重要文化財指定。

現在は「京都国立博物館」蔵。

秋田実季所持

秋田城介(秋田実季、安東実季とも呼ばれる)所持であったため「秋田藤四郎」と呼ばれる。

参考:「e国宝」「文化遺産オンライン」「京都国立博物館」のサイト

1697年(元禄10)の折紙付き

元禄10年(1697)極月(12月)3日に代1500貫の折紙がついている。

「京都国立博物館館蔵品データベース」からこの折紙を見ることができる。

豊前小倉藩主小笠原家伝来

1937年には豊前小倉藩主小笠原家の小笠原忠春伯爵名義で重要美術品認定されている。

1937年(昭和12)2月16日、重要美術品認定

昭和12年(1937)2月16日、重要美術品認定。
小笠原忠春伯爵名義。

「短刀 銘 吉光(名物秋田吉光)」

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録
ページ数:8 コマ数:21

『官報 1937年02月16日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1937年(昭和12) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第五十号 昭和十二年二月十六日
ページ数:411 コマ数:4

小笠原家を出て、個人蔵に

1959年(昭和34)には永藤一氏名義で重要文化財指定されている。
その頃までには、小笠原家を出て個人蔵になった模様。

1959年(昭和34)6月27日、重要文化財指定

昭和34年(1959)6月27日、重要文化財指定。
永藤一氏名義。

「短刀 銘 吉光(名物秋田藤四郎)」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:大阪府
ページ数:678 コマ数:351

現在は「京都国立博物館」蔵

現在は「京都国立博物館」蔵。
「京都国立博物館」のサイトでは永氏からの寄贈となっており、永藤一氏の名を冠した過去の展示会のページもある。

保管施設は「京都国立博物館」。
所有者名は「独立行政法人国立文化財機構」。

参考:「国指定文化財等データベース」「京都国立博物館」のサイト

作風

吉光の作品のうち最も小ぶりで繊細。

彫物は差表にカーンの梵字と利剣、差裏に二筋樋を掻く。
「吉光」と二字銘。

参考:「e国宝」「文化遺産オンライン」「京都国立博物館」のサイト

調査所感

1.秋田という地の民話の話

秋田くんの情報、デジコレで読めるような古い研究書に全然ねぇ――!!(叫)

永藤一氏のコレクションの一振りとしてそれなりに情報はありそうなのだが私が調べた範囲の研究書にまったく載ってなくて泣く。まだ見ぬ資料に載っている可能性に賭けよう。

(これ書いた後、デジコレの全文検索がパワーアップしてちょっとずつまだ見てない書籍が引っかかってくるようになったんですが、重要美術品・重要文化財の目録に名前が載っているものはあっても、やはり刀本体の情報について載っている本は少ないです。デジコレで国立国会図書館限定になっている雑誌などにちらっと情報載っているようなんですが……)

ネット上だと「寒山押形」(お値段21万円……)に押形が載っていることを知ることができたが、そこまでである。

仕方がないので、タヌキについて検討する。

2015年の審神者のツイートで秋田くんがお姫様の風呂を覗いたエロ狸もとい化け狸を斬った逸話があるという話なのだが、出典がまったく見つからない。

この話はさらにその後、秋田実季(安東氏)に詳しい別の審神者? が検討を加えてくれているが、話のネタ元(秋田県の民話)は知っているがその刀が「秋田藤四郎」だとは聞いたことがないという結論である。

Togetterのログで出てくるので、まずはそちらを読んでほしい。
この話を検討した先輩審神者が挙げてくれたネタ元の民話がどれもデジコレのしかもネット公開範囲で誰でも読めるようなので、そちらのコマ数を挙げておく。

『南部叢書. 第9冊』
著者:太田孝太郎 等校 発行年:(昭和2~6)出版者:南部叢書刊行会
目次:吾妻むかし物語 第八 秋田忠次郎妖物を斬る事 コマ数:21 重代の刀

『秋田叢書. 別集 第2 (菅江真澄集 第2)』
発行年:1930年(昭和5)出版者:秋田叢書刊行会
目次:贄能辭賀樂美/409-462(にえのしがらみ) コマ数:247(天註の小さい文字部分)

『史籍集覧. 第8冊』
著者:近藤瓶城 編 発行年:1906年(明治39) 出版者:近藤出版部
目次:奥羽永慶軍記 秋田実泰討妖怪事 巻十四 コマ数:165、166

どれも秋田県の文学作品をまとめた叢書類なので、整理すると

・「吾妻むかし物語」(元禄時代の民話) 重代の刀で猫又を斬る
・「にえのしがらみ」(菅江真澄の紀行文) 短刀でムジナもしくは猫又を斬る
・『奥羽永慶軍記』(軍記) 一尺八寸の来国俊の刀で狸を斬る

細部が微妙に違う上に、どれも秋田藤四郎の名は出ない。

ちなみに「にえのしがらみ」はこのタイトルだけだと中身を想像できないのだが、要は江戸時代の旅行家・菅江真澄(1754~1829)の紀行文なので、近くを立ち寄ったついでにこの話、つまり内容的には「吾妻むかし物語」のことを語っている。元禄時代は1688~1704年辺り。

デジコレで菅江真澄、秋田実季で検索をすると菅江真澄が秋田実季に興味を持っていたらしいことがわかる。

『奥羽永慶軍記』は1698年に成立したもの。

年代をざっくり見てみると、「吾妻むかし物語」と『奥羽永慶軍記』は1700年前後で時代が近く、菅江真澄の「にえのしがらみ」は大体100年ぐらい後の1800年前後の話になるだろう。

以下、個人的な考察になるが、この状況、琉球の妖刀話みたいに民話を原典としていて、その民話研究や最近は秋田安東氏の研究も進んだらしいことがネットでちょいちょい検索するとわかるので、古くからそういう話があるというよりはそうしたどこかの分野の研究の発展を受けて最近、そういう説を唱えた人がいるという話ではないだろうか。

琉球の妖刀との最大の違いは、「秋田藤四郎はいつからこの名前で呼ばれているか?」ということだと思う。

原典の「吾妻むかし物語」について調べてくれた先輩審神者は刀剣の研究史には詳しくないということなのでこの点に言及していなかったが、秋田くんの名前がついたのが最近であれば、昔の民話の記述にはその名では書かれていないと思われる。
所有者由来の号はその所有者のもとを離れた後世でつけられる場合が多いようなので、秋田家にいる頃の秋田くんはおそらくその名で呼ばれていないと思う。話の焦点は「重代の刀」「短刀」とだけ書かれているそれが現在秋田藤四郎と呼ばれている刀と同一のものか否か。

ただ、原典の民話にその名が書かれていない刀があとからこれだと判明することは大変珍しいと思う。その珍しい発見があったならネットに記事を上げる人の一人や二人くらいいておかしくないのではないか?
そう考えると、この情報は新史料の発見のようなはっきりとしたものよりは、秋田実季の刀だからこの秋田家に関する民話との関連性に着目した、最近の研究者の一説の可能性がある。

そしてその人が参考したものが最近は電子書籍などにもなっている菅江真澄の「にえのしがらみ」だとしたら、重代の刀は短刀に、猫又はむじなつまり狸になったのではないだろうか。

「吾妻むかし物語」から「にえのしがらみ」までの100年。民話としての細部の情報が正確に伝わっているかどうかは微妙なところである。
検討を加えてくれている審神者は秋田氏、安東氏の方の歴史に詳しいらしく、この時期の情報は近世にはかなり失われていることに言及している。

こうなると、秋田くんが狸を斬ったかどうかに関して創作などで使う場合は必ず「出典となる情報」、元のツイッターで発信された情報に触れた方がいいと思われる。
もしくは、その人が挙げていない原典に関する情報を自力で探し出すか。

まぁもしかしたら私の調査能力がカスで原典を見つけられなかっただけでもっと探せば研究者が根拠を出している最近の論文なり研究書なりが引っかかる可能性もあるし。

元ツイートの内容に関して、検討を加えた方の審神者が「聞きかじり」の間違いを指摘している辺り、もともとこの情報を発信した人本人が直接研究書を読んだわけではなさそうである。

とうらぶファンは実物の名刀を見るためにあちこちに出かけている人も多いので、そこで誰かが最新の研究を教えてくれたというパターンなどもありうる。もしかしたら、この情報が将来的に何かで発表される可能性もあるかもしれない。

とはいえ、2022年現時点では史料なし、根拠なしの話で出典となる書籍や論文名などがわからないなら、迂闊に広めることは推奨できない、と結論しておきたい。出すときはネタ元はツイッター、くらいは付け加えた方がいいと思われる。

(2024年、他の刀を一通り調べて回った調査2周目の感想としても大体同じ意見。
他の刀を調べて回った結果わかったのは、むしろこういう原典にその刀だとはっきり書いていない物語と現存する刀を関連づける動きは刀剣の世界にはよくあるということ。
今までそんなこと言われてなかったのに多分誤伝と思われる逸話が途中でどっかから生えてる刀は結構ある。
原典に書いていないものをこの家が持っていた名刀だからくらいの理由で結びつけるのはあまり推奨できない。名家は大体名刀と呼ばれる刀を複数持っているが、そもそも号を持っている刀はごく一部であり、史実の記録もかなり曖昧)

2.秋田実季の話

ついでにこの調査の途中で拾った秋田実季の印象話。

最近の刀剣の概説本では蟄居時代の晩年に等身大の木像を作らせた話ばかりが取り上げられて可哀想な人扱いをされている……らしいのですが、これに関して秋田実季に詳しい歴史ファンは結構冷淡な意見のようですね。

とうらぶしか知らない人間はそれしか秋田実季の話知らないようだけどこの人蟄居で当然になるようなことやったからね! というものでした。

調べると結構色々なエピソードが出てくる人物だ。息子と憎み合ったりとか。
逆に息子の方と相性悪くて実季に支援されてた寺とかは父親を擁護していたり。

秋田くんに関しては、本当に理解するためにはまず彼の主・秋田城介実季をじっくり調べるところから始めるべきかもしれません。

一応蟄居時代に自分そっくりの人形を作らせ友達のようにふるまったという話の出典だけ置いときます。

『明良洪範 : 25巻 続篇15巻』
著者:真田増誉 発行年:1912年(明治45) 出版者:国書刊行会
目次:巻之十二(秋田洞蚓の木像) コマ数:93

3.秋田安東氏の話、「長髄彦」の末裔

引っかかったのは別の刀を調べていたときなんですが、神々が語る歴史の物語であるとうらぶ的には重要な要素と思われるもの。

秋田安東氏は、日本神話の登場人物「長髄彦」の末裔を自称しているそうです。

ネットで「秋田安東氏 長髄彦」辺りの単語の組み合わせで検索すればすぐ出てくると思いますが、秋田氏の家系図で安日彦や長髄彦の子孫だとされているようです。
秋田実季が江戸初期に編纂した家系図でもそう説明されているらしい。
根拠というほどのものもないのでWikipediaでも「自称」扱いされていましたけど。

しかし、とうらぶはもともと「物語」を重視し史実としての根拠をあまり必要とせず創作出典の話もガンガン取り入れている作品であることを考えると、秋田安東氏が長髄彦の子孫を名乗っていたということは重要かなと。

秋田実季について軽く調べても刀帳説明の「貴い方」があまりピンと来なかったんですけど、その貴いは本人の業績の話ではなく神武天皇に逆らって饒速日命に討伐された神話の登場人物の血を引いている話の方だと言うのなら……。

ちなみに饒速日命は石切丸のいる石切剣箭神社の祭神です。
その石切剣箭神社が長髄彦に関係あるらしいってところから辿ってまさかの秋田氏。

刀剣どころかこれ日本神話から調べないとダメなやつでは……?
秋田くん、君、刀そのものの情報少ないどころか『古事記』『日本書紀』レベルで遡ってくださいね! ってことなの……?

参考サイト

「e国宝」
「文化遺産オンライン」
「京都国立博物館」(「京都国立博物館館蔵品データベース」)

京都国立博物館のサイトで「秋田藤四郎」を検索すると過去記事、関連記事などを読むことができる。

参考文献

『官報 1937年02月16日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1937年(昭和12) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第五十号 昭和十二年二月十六日
ページ数:411 コマ数:4

『日本刀及日本趣味 2(3)』(雑誌・データ送信)
発行年:1937年3月(昭和12) 出版者:中外新論社
目次:重美認定の刀劍と希望 / 駿臺閑人
ページ数:19 コマ数:16

『重要美術品等認定物件目録 第2輯』
著者:文部省宗教局 編 発行年:1936~1938年(昭和11~13) 出版者:文部省宗教局
目次:昭和十二年二月十六日認定ノ分 繪・彫・文・典・書・刀・工・考古(二二八點)
ページ数:48 コマ数:35

『日本美術年鑑 昭和13年版』
著者:美術研究所 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:美術研究所
目次:本欄
ページ数:187 コマ数:96

『日本新刀人名辞典』(データ送信)
著者:富田正二 発行年:1942年(昭和17) 出版者:立命館出版部
目次:日本新刀人名辞典
ページ数:65 コマ数:164

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録
ページ数:8 コマ数:21

『日本刀全集 第3巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀(畿内・東海道・東山道・西海道)小泉富太郎
コマ数:18

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:大阪府
ページ数:678 コマ数:351

概説本

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 山城国粟田口 吉光 秋田藤四郎
ページ数:100

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第7章 短刀 秋田藤四郎
ページ数:166

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:粟田口吉光作の刀 秋田藤四郎
ページ数:96、97

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:戦国大名が所有した刀 秋田藤四郎
ページ数:150、151

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:秋田藤四郎
ページ数:72