村雲江

むらくもごう

概要

「刀 無銘伝義弘(名物村雲江)」

『享保名物帳』の原本にはなく、後世に追記したもの。南北朝時代の刀工・越中の郷義弘極めの刀。
「村雲江」とも「村雲郷」とも書く。

『享保名物帳』によると、本阿弥光徳が江州から取り出してきて、豊臣秀吉に見せたところ、村雲のような刃文だ、と言ったので、それが刀号となった。

しかし、村雲江に関する江戸時代の来歴は判然としない。

『詳註刀剣名物帳』によると、村雲江は加賀の前田家に伝来していて、前田家から将軍へ献上した。

将軍綱吉はこれを寵臣・柳沢吉保に与えた、という説がある。

『日本刀大百科事典』によればそのことは柳沢家の記録にはなく、『詳註刀剣名物帳』をはじめとする明治時代の刀剣書によれば、柳沢家は明治4年7月、廃藩になると10月には早くも刀剣の処分を始め、十本一束にし、一束の売値を二両二分で、十二、三束売りに出したという。

この頃から個人蔵として幾人もの愛刀家の手を渡っている。

1934年(昭和9)12月20日、重要美術品認定。
1952年(昭和27)3月29日、重要文化財指定。

「国指定文化財等データベース」によれば、現在も個人蔵である。

号の由来は村雲のような刃文

『享保名物帳』『詳註刀剣名物帳』によると、

本阿弥光徳が江州から取り出してきて、豊臣秀吉に見せたところ、村雲のような刃文だ、と言ったので、それが刀号となった。

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(上) 名物牒 村雲郷
ページ数:62 コマ数:34

松平美濃守殿
村雲郷 磨上長さ貳尺貳寸貳分代金三百枚

江州より秀吉公へ上る光徳御呼寄にて爲御見被成候節秀吉公是は村雲之様なる焼刃と被仰則光徳村雲郷と名付候表裏帽子焼不分一枚帽子なる歟

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:松倉郷義弘の部 村雲郷
ページ数:87、88 コマ数:58、59

松平美濃守殿(大和郡山柳澤伯)
村雲郷 長貳尺貳寸貳分 無代

近江の国より出る光徳豊太閤へ御覧に入る村雲の様なる刃なりと仰られ其儘異名となる。

此刀徳川家へ入りたる由来分らず加州前田家にあり同家より五代将軍へ献し将軍より柳澤甲斐守(即ちのち松平美濃守の事)へ賜はると云。
明治の初め廃刀令の出たる後柳澤家より払物となり浅井一文字、備前国宗等と共に一束何円と云値にて売却す、この郷溝口家の某之を求め本阿弥の許へ持参せしに村雲郷なりと聞き其後鑑定する人々に見するに其目利一定せず半信半疑の鑑定のみ多かりし故遂に之を伊藤禎二君に売却す現に伊藤家に在り、紛れもなき村雲郷の刀なりされどこれも優れたる出来にはあらす。
この村雲郷の刀を掲げざる名物帳あり今別本に拠て之を加ふ。

加賀の前田家から将軍家へ献上

『詳註刀剣名物帳』によると、

村雲江は加賀の前田家に伝来していて、前田家から将軍へ献上した。

『日本刀大百科事典』では、

もしそれが事実ならば、元禄15年(1702)4月26日、綱吉が前田邸に臨んだとき、藩主・綱紀は備前長光の太刀、会津新籐五とともに、「郷義弘の刀」を献上している。

それが村雲江だったのであろう、としている。

『寛政重脩諸家譜 第6輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第千百三十一 菅原氏 前田 綱紀
ページ数:899 コマ数:458

5代将軍・徳川綱吉はこれを寵臣・柳沢吉保に与えた、という説がある

『詳註刀剣名物帳』によると、

将軍綱吉はこれを寵臣・柳沢吉保に与えた、という説がある。

『日本刀大百科事典』では他に「刀剣と歴史」も出典の一つに挙げている。

柳沢家と村雲江

『日本刀大百科事典』によると、

柳沢家に将軍綱吉より村雲江を拝領した、という記録も、同家の『御腰物台帳」に、村雲江の名も出て来ないし、それに相当する郷義弘の刀もない。

同家では明治4年7月、廃藩になると10月には早くも刀剣の処分を始めた。

一説によると、十本一束にし、一束の売値を二両二分で、十二、三束売りに出したという。

しかし、同家の『御腰物台帳』を見ても、そういう事実はないが、一説では、それを越後新発田の旧藩士・窪田平兵衛が手に入れ、そのうちの一本を本阿弥家に鑑定に出した。

本阿弥家では平十郎・成善・長識らが審査したが、誰も、これが郷義弘、とは気づかなかった。
本阿弥家の『留帳』を調べてみて、初めて“村雲江”と分かった、という。

この「一説」の部分で『日本刀大百科事典』が出典としているのは「刀剣と歴史」と『詳註刀剣名物帳』。
『詳註刀剣名物帳』にない情報は「刀剣と歴史」の方だと考えられるが、古い巻号なので国立国会図書館デジタルコレクションにもない。

明治から柳沢家を出て個人蔵となる

『日本刀大百科事典』によると、

窪田は明治20年頃、大審院評定官・伊藤悌治に250円で売った。
伊藤悌治の遺族が処分したあと、高木復・内田良平・瀬戸保太郎らの愛蔵となった。

出典は上の項目と同じく「刀剣と歴史」、『詳註刀剣名物帳』、それに『日本刀講座』に収録されている「名士と刀剣」の記事である。

伊藤悌治所有のことは『大日本刀剣史』に、高木復・内田良平・瀬戸保太郎らの所有となったことは『日本刀講座 第2巻 新版』にも載っている。

『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:図版
ページ数:84、85 コマ数:56

『日本刀講座 第9巻』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:名士と刀劍 高木復先生
ページ数:14 コマ数:167

『大日本刀剣史 下巻』
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:名物牒記載の名物 ページ数:67 コマ数:44
目次:享保の名物牒 ページ数:541 コマ数:281

1934年(昭和9)12月20日、重要美術品認定

昭和9年(1934)12月20日、重要美術品認定。
瀬戸保太郎氏名義。

「刀 無銘(伝名物村雲江)」

『官報 1934年12月20日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1934年(昭和9) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第三百五号 昭和9年十二月二十日
ページ数:587 コマ数:4

重要美術品認定から重要文化財指定までの所有者

『日本刀大百科事典』によると重要文化財指定は中島喜代一氏となっているが、実際には島田和昌氏名義となっていた。

瀬戸保太郎氏の後に中島喜代一氏が入手し、戦後に重要文化財指定される頃にはすでに所有者が代わっていたと考えられる。

1952年(昭和27)3月29日、重要文化財指定

昭和27年(1952)3月29日、重要文化財指定。
重要文化財指定は島田和昌氏名義だと考えられる。

「刀 無銘伝義弘(名物村雲江)」

『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』時点で島田和昌氏の旧蔵から田口儀之助氏名義になっている。

『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』(データ送信)
発行年:1958年(昭和33) 出版者:文化財保護委員会
目次:大阪府
ページ数:523 コマ数:270

その後も個人蔵

1960年代はじめは田口儀之助氏蔵。
1970年代には田口輝雄氏蔵に代わっている。

その後の詳細はわからないが、「国指定文化財等データベース」によれば現在も個人蔵。

『正宗とその一門』(データ送信)
著者:本間順治、佐藤貫一編 発行年:1961年(昭和36) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:75 重文 刀 無銘 伝 江(村雲江) 1口 田口儀之助氏蔵
ページ数:150、151 コマ数:196、197

『難波大阪 美術と芸能』(データ送信)
著者:講談社出版研究所 編 発行年:1975年(昭和50) 出版者:講談社
目次:文化財一覧
ページ数:378 コマ数:193

作風

刃長は二尺二寸二分(約67.3センチ)
二尺二寸三分(約67.6センチ)
二尺二寸五分一厘(約68.2センチ)と区々。

行の棟。表裏棒樋をかき流す。
地鉄は柾目肌詰まり、地沸えつく。
刃文は彎れがかった直刃で、足・葉・砂流し・地景入る。
ただし、豊臣秀吉がいうような、村雲という風情はない。

鋩子は一枚風。
茎は大磨り上げ無銘。目釘孔四個。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:むらくもごう【村雲江】
ページ数:5巻P163、164

調査所感

・江戸時代までの来歴が判然としない

村雲江に関しては刀剣書に結構載っている割にはっきりと江戸時代の来歴がわからないことが書いてあります。

刀剣書の主なニュースソースが『詳註刀剣名物帳』やその頃の「刀剣と歴史」だけというのは古刀に関してはほとんど信用度の高い情報がないと言えます。
その辺りが出典ということは、明治の愛刀家兼ジャーナリスト・高瀬羽皐氏辺りが取材で集めた情報が主っぽいですよね……。

当時の柳沢家に取材した内容だとは思いますが、その後の柳沢家の刀剣の扱いを見てもどこまで信じていいのかはよくわからないですね……。

明治当時は村雲江が柳沢家に在ったということになりますが、そもそも村雲江として認識されていたわけではなく、窪田平兵衛さんとやらが鑑定家に持ち込んで本阿弥家の留帳を調べたことでようやくこの刀は「村雲江」だとわかったということですから。

とはいえ、まぁ、名物であるはずの刀が明治とかその辺りに手放された段階で情報が抜け落ちたと見られる事例は他にもありましたしね。

・廃刀令の影響

下記の雑誌だと村雲江ほどの刀が二束三文で売り払われたのも廃刀令の影響と見られています。

柳沢家は村雲江だけでなく同じく名物の浅井一文字も手放しています。
廃刀令が出た段階で刀剣を処分しようという考えが強かったのだとは思われますが、それがどういう心情から来ているのかはちょっと私のような素人にはコメントしづらいですね。

「刀剣と歴史 (49)(407)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年5月(昭和37) 出版者:日本刀剣保存会
目次:廃刀令と其前後 / 永田礼次郎
ページ数:26 コマ数:18

・刀自体はとても話題になっている

刀剣書の評価で言うと刀自体はかなり評価されていると思います。
安値で売り払われたというのは柳沢家の方の事情であって、刀としては賞賛されている記事もちょこちょこありますね。

ここまで調べてきた中にも、来歴がよくわかんないことになっていても現代での名刀としての価値は高いものがいくつもありましたし、村雲江もそのタイプのようです。

・伊藤博文も手に入れた?(伊藤禎二の間違いか?)

村雲郷で検索すると伊藤博文の佩刀が村雲郷とかいう愉快な記述に行き当たりました。
この記事の他にそういう話をしている本がないのと、この記事の信用度に関しては……という話もすでに他の刀の記事でやっていますので、これは間違いだと思います。

「刀剣と歴史 (431)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年(昭和41)5月 出版者:日本刀剣保存会
目次:幕末志士と佩刀 / 長野桜岳
ページ数:41 コマ数:25

参考サイト

「文化遺産データベース」
「国指定文化財等データベース」

参考文献

『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912年(大正1) 出版者:崇山房
目次:太閤の左文字 ページ数:36 コマ数:30
目次:諸家の宗近 ページ数:53 コマ数:38
(他の刀の項目で村雲郷の話がちょっとだけ出てくる)

『刀剣一夕話』
著者:羽皐隠史 発行年:1915年(大正4) 出版者:嵩山房
目次:一 名物の刀剣
ページ数:194 コマ数:104

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:松倉郷義弘の部 村雲郷
ページ数:87、88 コマ数:58、59

「刀剣と歴史 (123)」(雑誌・データ送信)
発行年:1920年12月(大正12) 出版者:日本刀剣保存会
目次:雜録
ページ数:35 コマ数:18

『刀剣雑話』
著者:室津鯨太郎(川口陟) 発行年:1925年(大正14) 出版者:南人社
目次:五 再び嫡家系
ページ数:110 コマ数:79

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(上) 名物牒 村雲郷
ページ数:62 コマ数:34

『官報 1934年12月20日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1934年(昭和9) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第三百五号 昭和9年十二月二十日
ページ数:587 コマ数:4

『名刀図譜』
著者:本間順治 発行年:1935年(昭和10) 出版者:大塚工芸社
目次:四三 刀 大摺上無銘 名物村雲江 コマ数:58
目次:名刀図譜 解説 コマ数:136

『兵庫県統計書 昭和10年 上巻』
著者:兵庫県総務部調査課 編 発行年:1936年(昭和11) 出版者:兵庫県総務部調査課
目次:5 社寺及敎會 3.重要美術品
ページ数:41 コマ数:416

『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:古刀の部
コマ数:323

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部
ページ数:555 コマ数:152

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録
ページ数:45 コマ数:39

「史迹と美術 23(4)(232)」(雑誌・データ送信)
発行年:1953年6月(昭和28) 出版者:史迹美術同攷会
目次:重要文化財目録(中)
ページ数:159 コマ数:22

『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』(データ送信)
発行年:1958年(昭和33) 出版者:文化財保護委員会
目次:大阪府
ページ数:523 コマ数:270

『正宗とその一門』(データ送信)
著者:本間順治、佐藤貫一編 発行年:1961年(昭和36) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:75 重文 刀 無銘 伝 江(村雲江) 1口 田口儀之助氏蔵
ページ数:150、151 コマ数:196、197

「刀剣と歴史 (49)(407)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年5月(昭和37) 出版者:日本刀剣保存会
目次:廃刀令と其前後 / 永田礼次郎
ページ数:26 コマ数:18

「刀剣史料 (52)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年4月(昭和38) 出版者:南人社
目次:武将武人の愛刀熱――(四) / 向井敏彦
ページ数:12 コマ数:9

「刀剣と歴史 (424)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年3月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:顧問幹事の集い / すいけん
ページ数:56 コマ数:33

『刀華会講話 : 名刀のみどころ極めどころ 第2-3集』(データ送信)
著者:本間順治 講述, 刀剣春秋新聞社編集局 編 発行年:1965年(昭和40) 出版者:刀華会
目次:2 義弘
ページ数:23 コマ数:17

『図説日本文化史大系 第7 改訂新版』(データ送信)
著者: [図説日本文化史大系]編集事務局 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:小学館
目次:遺品目録 北陸道
ページ数:423 コマ数:215

『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:図版
ページ数:84、85 コマ数:56

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(雑誌・データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:大阪府
ページ数:656 コマ数:340

『日本刀講座 第10巻 新版』(データ送信)
発行年:1970年(昭和45) 出版者:雄山閣出版
目次:北陸・東海・山陽道
ページ数:95~97 コマ数:169、170

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:むらくもごう【村雲江】
ページ数:5巻P163、164