あつしとうしろう
- 概要
- 「短刀 銘吉光(名物厚藤四郎)」
- 号の由来
- 1487年(長享元年)9月12日、9代将軍・足利義尚が江州出陣の時に帯びた
- 室町幕府滅亡後、泉州堺の商人所持。本阿弥家が百貫で買い取り一柳直末へ
- 一柳直末から黒田如水へ
- 黒田如水から関白・豊臣秀次へ献上
- 1595年(文禄4)、秀次から岡三十郎へ贈られ、その自刃に使われる
- 1598年(慶長3)、毛利秀元が太閤遺物として拝領
- 1612年(慶長17)11月、毛利秀元は埋忠家に命じて拵えを作らせた
- 1664年(寛文4)、毛利綱元から4代将軍・徳川家綱へ献上
- 寛文(1661~1673年)の初め、500枚の折紙が付いた
- 以後、将軍家に伝来
- いつ頃か不明だが、明治期には田安家の所持
- 1938年(昭和13)、帝室博物館(現東京国立博物館)が購入
- 1955年(昭和30)6月22日 、重要文化財指定
- 1956年(昭和31)6月28日、国宝(新国宝)指定
- 現在も「東京国立博物館」蔵
- 作風
- 調査所感
- 参考サイト
- 参考文献
- 概説書
概要
「短刀 銘吉光(名物厚藤四郎)」
『享保名物帳』所載、鎌倉時代の刀工・粟田口吉光作の短刀。
「あつしとうしろう」だけでなく「あつとうしろう」とも読む。
号の由来は重ねが四分(約1.2センチ)もあって厚いことから。
もと室町将軍家の所有。
1487年(長享元年)9月12日、9代将軍・足利義尚が江州出陣の時に帯びている。
室町幕府滅亡後は、泉州堺の商人所持。本阿弥家が百貫で買い取り一柳直末へ
一柳直末から黒田如水へわたった。
さらに黒田如水から関白・豊臣秀次へ献上。
1595年(文禄4)、秀次から岡三十郎へ贈られ、その場で切腹に使用された。
その後は秀吉が入手したのか、1598年(慶長3)、毛利秀元が太閤遺物として拝領している。
1612年(慶長17)11月、毛利秀元は埋忠家に命じて拵えを作らせている。
1664年(寛文4)、毛利綱元から4代将軍・徳川家綱へ献上。
以後、将軍家に伝来したが、のちに徳川将軍家からその一門である御三卿の一つ・田安徳川家に移ったらしい。
明治期のことを記す刀剣雑誌にはこの頃は田安家の所持と書かれている。
1938年(昭和13)、帝室博物館(現東京国立博物館)が購入。
1955年(昭和30)6月22日 、重要文化財指定。
1956年(昭和31)6月28日、国宝(新国宝)指定。
現在も「東京国立博物館」蔵。
号の由来
『日本刀大百科事典』によると、
重ねが四分(約1.2センチ)もあるので、“厚藤四郎”の異名が付せられた。
『享保名物帳』にも重ねの厚さが言及されている。
『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:第二 細說 (上) 名物牒
ページ数:10 コマ数:8
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:粟田口藤四郎の部
ページ数:7~9 コマ数:18、19
御物(徳川将軍家)
厚藤四郎 在銘長七寸二分 代金五百枚厚さ四分あり昔し室町殿の御物なり、其後泉州堺の町人所持本阿弥光徳百貫に求め一柳伊豆守殿に遣さる又其より黒田如水老へ遣され秀次公へ上る毛利甲斐守殿拝領嫡孫甲斐守殿より家綱公へ上る金千枚下さる寛文の初め光徳代付なり。
1487年(長享元年)9月12日、9代将軍・足利義尚が江州出陣の時に帯びた
『長享元年九月十二日常徳院殿様江州御動座当時在陣衆着到』によると、
9代将軍・足利義尚は長享元年(1487)9月、江州への出陣の時に帯びた。
『群書類従 第拾九輯』
著者:塙保己一 編 発行年:1894年(明治27) 出版者:経済雑誌社
目次:巻第五百十一 長享元年江州御動座在衆着到
ページ数:687、688 コマ数:349、350
御腰物は。厚藤四郎吉光也。
室町幕府滅亡後、泉州堺の商人所持。本阿弥家が百貫で買い取り一柳直末へ
『享保名物帳』によると、
はじめ室町殿こと室町幕府の御物であったが、その後、泉州堺の町人所持となる。
本阿弥光徳が百貫で買い取り、一柳伊豆守殿(一柳直末)へ譲る。
『日本刀大百科事典』によると、
室町幕府滅亡後、堺の豪商が所持していたものを本阿弥光徳の従兄弟にあたる祐徳が百貫で入手して、一柳伊豆守直末へ譲った。
とのことである。祐徳関連の出典は不明。
一柳直末から黒田如水へ
『享保名物帳』によると、一柳直末から黒田如水へわたった。
『日本刀大百科事典』によると、
直末は天正18年(1590)、小田原征伐で戦死した。
その遺物としてであろう、黒田如水(孝高)へ贈った、と推測している。
黒田如水から関白・豊臣秀次へ献上
『享保名物帳』によると、黒田如水から関白秀次に献上した。
1595年(文禄4)、秀次から岡三十郎へ贈られ、その自刃に使われる
『太閤さま軍記のうち』『石田軍記』によると、
豊臣秀次が高野山で自刃のさい、寵臣の岡三十郎(山田三十郎)が拝領して、切腹した。
『戦国史料叢書 第1』(データ送信)
発行年:1965年(昭和40) 出版者:人物往来社
目次:太閤さま軍記のうち
ページ数:158 コマ数:83
一ばんに 山本主殿、御わきざし、国吉をくだされ、生害。
二番 山田三十郎、御わきざし、厚藤四郎くだされ。
三番 不破万作、御わきざし、鎬藤四郎。
右三人、かたじけなくも、関白殿御介錯なされ候なり。
『石田軍記・仙道軍記』
著者:黒川真道 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:国史研究会
目次:石田軍記 巻之一
ページ数:18 コマ数:23
次に岡三十郎を召して、汝も是にて切るべしとて、厚藤四郎の九寸八分ありけるを下さるる。承り候とて、是も十九にて、さも神妙に腹切れば、御手に掛けてぞ討ち給ふ。
1598年(慶長3)、毛利秀元が太閤遺物として拝領
『太閤記』によると、
厚藤四郎は秀吉の遺物として、毛利甲斐守秀元(毛利宰相)が拝領した。
「蕪なし」と呼ばれる花器と共に拝領している。
ここで秀吉の遺物となっているということは、秀次の死後は秀吉が所持したと考えられる。
『太閤記 : 22巻 [11]』
著者:小瀬甫菴道喜 輯録 発行年:1646年(正保3) 出版者:林甚右衛門
目次:秀吉公御遺物於加賀大納言利家卿館被下覚如帳面寫之
コマ数:61
一 蕪なし 并 厚藤四郎脇指 毛利宰相
下記の原田道寛氏が整理したリストを見たほうが我々素人にとっては早いと思われる。
『武道全集 第5巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1935年(昭和10) 出版者:平凡社
目次:豐太閤遺愛の藏刀
ページ数:282 コマ数:153
異説 文禄元年(1592)、秀吉が帰洛途中難破した際に秀元が助けた褒美として拝領(誤り)
『吉田物語』によると、
秀吉が文禄元年(1592)、肥前名護屋より帰洛の途中、柳浦で難破しようとした時、秀元が助けた褒美として、これを与えたとの説がある。
『日本刀大百科事典』では、これは誤りとしている。
『吉田物語 下 (長周叢書 ; 続 [1-3]) 』
著者:杉岡就房 著 発行年:1898年(明治31) 出版者:村田峯次郎
目次:附尾下巻 秀吉公御召船於豊前大裡沖掛生石事
ページ数:30裏 コマ数:120
忝御意にて御拜領被成候此脇差厚藤四郞吉光なり
1612年(慶長17)11月、毛利秀元は埋忠家に命じて拵えを作らせた
『埋忠銘鑑』によると、
慶長17年11月、毛利秀元は埋忠家に拵を作らせた。
『日本刀大百科事典』では慶長19年(1614)になっているが、『埋忠銘鑑』の該当記述に関しては本阿光博氏も「慶長十七年」と判断しているので単純な見間違いだと考えられる。
『埋忠銘鑑 訂再版』
著者:中央刀剣会本部 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
コマ数:43
『埋忠銘鑑』(データ送信)
著者:本阿弥光博 解説 発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣
目次:(ハ)拵製作 コマ数:32
目次:四、本書の掲載諸刀散見 コマ数:43
1664年(寛文4)、毛利綱元から4代将軍・徳川家綱へ献上
『徳川実紀』『寛政重脩諸家譜』によると、
毛利秀元の嫡孫、綱元のとき、4代将軍・徳川家綱の所望により、寛文4年(1664)2月28日献上したところ同3月5日黄金千枚を下賜された。
『徳川実紀 第3編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:厳有院殿御実紀 巻廿八 (寛文四年正月−六月)
ページ数:493 コマ数:250
○廿八日月次なり。松平讚岐守賴重初め就封の暇給ふもの十四人。毛利右京は家傳せし厚藤四郞の差添を獻ず。
目次:厳有院殿御実紀 巻廿八 (寛文四年正月−六月)
ページ数:493 コマ数:250
〇五日御朱印の事奉るべしと命ぜらる。毛利右京家傳の脇差獻ぜしにより。金千枚給ふ。
『寛政重脩諸家譜 第4輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第六百十七 大江氏 毛利 綱元
ページ数:255 コマ数:136
寛文四年三月五日厚藤四郎の脇指をたてまつりしにより、黄金千枚を恵賜せらる。
二万両下賜説(誤り)
『日本刀大百科事典』によると、二万両下賜説は誤りらしい。
ただし『日本刀大百科事典』はこの話の出典を『吉田物語』としているが、他の刀剣雑誌などを調べたところ二万両下賜説の出典は『古老茶話』だと考えられる。
「刀剣史料 (64)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年3月(昭和39) 出版者:南人社
目次:江戸時代刀剣風俗――(五) / 川口陟
ページ数:7 コマ数:5
『日本随筆大成 巻六』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:古老茶話/(1)
ページ数:102 コマ数:60
一 厚藤四郎といふ御重宝有、是は厚壹寸壹分有、長七寸也。太閤秀吉公所持の處に、秀吉肥前名ごや在陣の中、母公の重病に依て帰京の節、はなくり瀬戸にして風波の難儀の節、毛利甲斐守秀元是を助けたる褒美として、秀吉是をあたへたるを彼家の代々所持也。然處厳有公是を所望し給ひ、金子二万両を賜りて、此小刀を得させられ、永く徳川家の宝物と成り、是も御装束下に時々被用也。
寛文(1661~1673年)の初め、500枚の折紙が付いた
『享保名物帳によると、寛文のはじめに500枚の折紙がついた。
以後、将軍家に伝来
『日本刀大百科事典』によると、1869年(明治2)改めの将軍家『御腰物台帳』に厚藤四郎が載っているという。
いつ頃か不明だが、明治期には田安家の所持
のちに、徳川将軍家からその一門である御三卿の一つ・田安徳川家に移ったらしい。
下記の雑誌によると、明治時代の遊就館への展示に田安徳川家から厚藤四郎が出品されていたことがわかる。
また、研師である本阿弥光遜氏の弟子・小野光敬氏も厚藤四郎は将軍家から田安家に伝来と証言している。
「刀剣史料 (29)」(雑誌・データ送信)
発行年:1961年5月(昭和36) 出版者:南人社
目次:草薙屋消息集 / 岸本貫之助
ページ数:20 コマ数:12
「刀剣と歴史 (417)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年1月(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名刀の砥当り / 小野光敬
ページ数:24 コマ数:16
異説 一橋家伝来説
『日本刀大百科事典』によると、
明治以後一ツ橋家に移っていたものを、昭和の初め、東京帝室博物館で買上げ、戦後、国宝に指定された。
一橋家伝来説の出典は『埋忠名鑑(本阿弥光博 解説)』『銘刀押形 : 御物東博』など。
しかし、前述の田安家伝来説に比べると、一橋家伝来説を唱える研究者たちはその下の世代にあたるため、一橋家伝来説はおそらく誤りだろうと考えられる。
『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編 発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三 国宝 短刀 銘吉光 名物厚藤四郎
コマ数:28、29
『埋忠銘鑑』(データ送信)
著者:本阿弥光博 解説 発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣
目次:(ハ)拵製作 コマ数:32
目次:四、本書の掲載諸刀散見 コマ数:43
1938年(昭和13)、帝室博物館(現東京国立博物館)が購入
経緯はともかく、昭和13年には帝室博物館で購入されたことがわかる。
『東京帝室博物館復興開館陳列目録 第6』
著者:東京帝室博物館 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:東京帝室博物館
ページ数:109 コマ数:58
「Museum (262)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1973年1月(昭和48) 出版者:東京国立博物館
目次:帝室博物館時代の陳列品収集(歴史関係) / 尾崎元春
ページ数:17 コマ数:10
はじめは三井家に納められる予定だった?
小野光敬氏によると、田安徳川家から出た時に本阿弥光遜氏が三井家に納めようとしたところ、関白秀次が高野山で切腹した時、岡三十郎(山田三十郎)が腹を切った縁起の悪い刀なのでイヤだと断られたという。
その後、帝室博物館で買い上げになったという。
「刀剣と歴史 (417)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名刀の砥当り / 小野光敬
ページ数:24 コマ数:16
1955年(昭和30)6月22日 、重要文化財指定
昭和30年(1955)6月22日、重要文化財指定。
東京国立博物館蔵。
「短刀 銘吉光(名物厚藤四郎)」
『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:国
ページ数:97 コマ数:59
1956年(昭和31)6月28日、国宝(新国宝)指定
昭和31年(1956)6月28日、国宝(新国宝)指定。
東京国立博物館保管。
「短刀 銘吉光(名物厚藤四郎)」
『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:国
ページ数:3 コマ数:11
現在も「東京国立博物館」蔵
「国指定文化財等データベース」によると
所有者は「独立行政法人国立文化財機構 」
保管施設は「東京国立博物館」。
作風
刃長七寸二分(約21.8センチ)。
元幅六分五厘(約1.9センチ)。
小振りながら、重ねが四分(約1.2センチ)もあるので、“厚藤四郎”の異名が付せられた。
平造り。
地鉄は小板目。
刃文は直刃に乱れまじり。
ただし裏には焼き落しがある。
「吉光」と二字銘。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:あつとうしろう【厚藤四郎】
ページ数:1巻P42
調査所感
・調査所感2周目
一度全振り(110振り当時)の研究史を出してからまとめ方が決まっていなくて適当だった最初期の「あ行」の刀の研究史を出しなおしています。
全振り一周した後で改めてみると、厚くんの来歴マジぱねぇな。
明治辺りから田安家一橋家でちょっと混乱しているとはいえ、室町から戦国、江戸時代の頭にかけてこんなにはっきり色々な記録残ってるのかなり珍しくない?
・室町時代からすでに「厚藤四郎」
足利将軍家の御物時代からすでにこの名であることも判明しています。
・田安家伝来か、一橋家か
厚くんに関してはすでにがっつり調べている先輩審神者がいて、そちらで一橋家伝来説と田安家伝来説の検証をやっていますね。
私が気になったところとしては、厚くんの一橋家伝来説についてネット上で出典として挙げられるのは酔剣先生の『日本刀大百科事典』が多いのですが、他の本でも言われていて、その中でも本阿弥光博氏が『埋忠銘鑑』に解説をつけて載せているバージョンの本でこの話をよく聞かされたように書いていることです。
もともと厚藤四郎の田安家から帝室博物館への売却に本阿弥光遜氏が関わっていた。
本阿弥光博氏は、その息子。
父親が関わった話でも息子がすでに違うことを言っているというわけで……多分、酔剣先生が単独で出した説というより当時の刀剣研究界の認識が厚藤四郎は一橋家伝来という感じだったんでしょうね。
本阿弥光博氏の生年調べたら酔剣先生より一歳年上。
つまり同年代なので、直接話をしたり聞いたりするのは光遜先生本人より光博先生の方が多かったと思いますし。
『国宝と史跡』だと寒山先生もこの認識のようです。
明治~昭和辺りの伝来情報は逆に研究者たちの認識がごっちゃになっている例がわりとあちこちに見受けられます。
参考サイト
「国指定文化財等データベース」
「東京国立博物館」
参考文献
『太閤記 : 22巻 [11]』
著者:小瀬甫菴道喜 輯録 発行年:1646年(正保3) 出版者:林甚右衛門
目次:秀吉公御遺物於加賀大納言利家卿館被下覚如帳面寫之
コマ数:61
『群書類従 第拾九輯』
著者:塙保己一 編 発行年:1894年(明治27) 出版者:経済雑誌社
目次:巻第五百十一 長享元年江州御動座在衆着到
ページ数:687、688 コマ数:349、350
『吉田物語 下 (長周叢書 ; 続 [1-3]) 』
著者:杉岡就房 著 発行年:1898年(明治31) 出版者:村田峯次郎
目次:附尾下巻 秀吉公御召船於豊前大裡沖掛生石事
ページ数:30裏 コマ数:120
『徳川実紀 第3編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:厳有院殿御実紀 巻廿八 (寛文四年正月−六月)
ページ数:493 コマ数:250
『刀剣談』
著者:高瀬真卿(高瀬羽皐、羽皐隠史) 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第四門 武将の愛刀 鎬藤四郎と厚藤四郎
ページ数:53 コマ数:51
『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:一 京物(上)
ページ数:5 コマ数:12
『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912(大正1) 出版者:崇山房
目次:毛利秀元の吉光
ページ数:251~259 コマ数:137~141
『石田軍記・仙道軍記』
著者:黒川真道 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:国史研究会
目次:石田軍記 巻之一
ページ数:18 コマ数:23
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:粟田口藤四郎の部
ページ数:7~9 コマ数:18、19
『寛政重脩諸家譜 第4輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第六百十七 大江氏 毛利 綱元
ページ数:255 コマ数:136
『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:第二 細說 (上) 名物牒
ページ数:10 コマ数:8
『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第四、武将の愛刀 鎬藤四郎と厚藤四郎
ページ数:162、163 コマ数:93
『日本随筆大成 巻六』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:古老茶話/(1)
ページ数:102 コマ数:60
『埋忠銘鑑 訂再版』
著者:中央刀剣会本部 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
コマ数:43
『秋霜雑纂 前編』
著者:秋霜松平頼平 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
目次:圖書十五條 三百三十九 光悦押形
ページ数:204 コマ数:128
『近世刀剣年表』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1935年(昭和10) 出版者:南人社
目次:二 元和年間 ページ数:19 コマ数:16
目次:名物刀一覧表 ページ数:540 コマ数:277
『武道全集 第5巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1935年(昭和10) 出版者:平凡社
目次:豐太閤遺愛の藏刀
ページ数:282 コマ数:153
『東京帝室博物館復興開館陳列目録 第6』
著者:東京帝室博物館 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:東京帝室博物館
ページ数:109 コマ数:58
『国宝と史跡』(データ送信)
著者:関忠夫 等編 発行年:1953年(昭和28) 出版者:誠文堂新光社
目次:名刀探訪 佐藤貫一
ページ数:16 コマ数:14
『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編 発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三 国宝 短刀 銘吉光 名物厚藤四郎
コマ数:28、29
「刀剣史料 (29)」(雑誌・データ送信)
発行年:1961年5月(昭和36) 出版者:南人社
目次:草薙屋消息集 / 岸本貫之助
ページ数:20 コマ数:12
「刀剣と歴史 (417)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年1月(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名刀の砥当り / 小野光敬
ページ数:24 コマ数:16
「刀剣史料 (64)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年3月(昭和39) 出版者:南人社
目次:江戸時代刀剣風俗――(五) / 川口陟
ページ数:7 コマ数:5
『戦国史料叢書 第1』(データ送信)
発行年:1965年(昭和40) 出版者:人物往来社
目次:太閤さま軍記のうち
ページ数:158 コマ数:83
『国宝 第5 (鎌倉時代 下) [本編]』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:図版
コマ数:170、171
『国宝 第5 (鎌倉時代 下) 解説』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品
ページ数:76、77 コマ数:92、93
「刀剣と歴史 (430)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年(昭和41)3月 出版者: 日本刀剣保存会
目次:名物帳に記された山城の名刀(二) / 辻本直男
ページ数:5~9 コマ数:9~11
『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:国 ページ数:3 コマ数:11
目次:国 ページ数:97 コマ数:59
『埋忠銘鑑』(データ送信)
著者:本阿弥光博 解説 発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣
目次:(ハ)拵製作 コマ数:32
目次:四、本書の掲載諸刀散見 コマ数:43
目次:埋忠銘鑑 全 コマ数:97
『国宝 : 原色版 第9 (鎌倉 第3)』(データ送信)
著者:毎日新聞社「国宝」委員会事務局 編 発行年:1969(昭和44) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品 コマ数:29
目次:解説 ページ数:131 コマ数:135
『原色日本の美術 21』(データ送信)
著者:尾崎元春、佐藤寒山 発行年:1970年(昭和45) 出版者:小学館
目次:刀剣 ページ数:92 コマ数:98
目次:図版解説Ⅲ ページ数:106 コマ数:112
目次:一、日本刀概説 ページ数:229 コマ数:235
「Museum (262)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1973年1月(昭和48) 出版者:東京国立博物館
目次:帝室博物館時代の陳列品収集(歴史関係) / 尾崎元春
ページ数:17 コマ数:10
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:あつとうしろう【厚藤四郎】
ページ数:1巻P42
『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 1 武将と日本刀 豊臣秀吉執心の愛刀 国宝 短刀 銘 吉光(名物 厚藤四郎)
ページ数:43、44
概説書
『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23年) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 豊臣秀吉と一期一振
ページ数:168~171
『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:厚藤四郎
ページ数:11
『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 山城国粟田口 吉光 厚藤四郎
ページ数:92、93
『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第7章 短刀 厚藤四郎
ページ数:164
『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:粟田口吉光作の刀 厚藤四郎
ページ数:92、93
『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:戦国大名が所有した刀 厚藤四郎
ページ数:148、149
『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:厚藤四郎
ページ数:73