特命調査考――言葉遊び編――
そろそろもう前置きは「以前の考察から続いてるよ☆」「原作中心に派生もごった煮!」ぐらいの雑な感じでいいですか? いいですね。
では行きます。全体の言葉遊びを一挙に把握する前に、まず特命調査と言葉遊びの関係性に対する一考です。
1.クソの話、またしても
ま た ク ソ の 話 し て る。
ごっちんによる「虎アレルギー」の実装でアレルギーの性質を結構細かく判断する必要性を感じたのでクソの話を見直さなきゃいけなくなったんだよ!
アレルギーは特徴として
・同じものを摂取し続けると起こる
・自分の免疫、体の防御反応が自分自身を攻撃してしまう
・そのため同じものをそれ以上摂取できない
みたいな性質の理解が必要じゃないですか。
それを考えたらクソに関する理解ももうちょっと人体の仕組みと密接した認識に直す必要があるなと。
クソ――つまり排泄、排泄物とは、
食事によって摂取したものを胃で消化、腸で吸収した後に、残ったものとそれを体外に出す行為。
じゃないですか。
これを考えると回想57の長義くんにしろ、舞台・天伝の徳川家康にしろ、「クソ」の話題は「相手を食らう意欲」と、食らったあとに「消化・吸収できなかった部分」を示していると考えられます。
同様に、排泄行為として共通する「尿」の話題も体内に吸収できなかった水分の話なので似たようなものと考えられます。
以前の考察で斬ることも酒を呑むことも統合を意味する行為だろうと結論したのですが、厳密に分けるなら酒は水分なので「尿」の話題はこちらかもしれません。
つまり、五月雨くん実装の時に犬のおしっこなんて汚い! と大不評だったらしい芭蕉の俳句は原作ゲームのシナリオ的にかなりのヒントだったと思われます。
あえて「食らう」と「飲む」という摂食行為とその排出をあえて二種にわけた意味を考えるなら、食らう(斬る)は敵対的吸収行為、酒を呑む行為は和合的同化という方向性の違いかな、と今は想像しておきます。
2.続くクソの話、長義と天伝の家康
そしてその「クソ」の話題が共通する両者、長義くんと天伝の家康公。
ここ最近の流れを見ていてもとうらぶは原作・派生を問わずメタファー、つまりそれぞれのキャラが使っている言葉は「同じ意味でとる」「同じように扱う」のが正しい解釈のための一歩と感じます。
なので原作から派生までいつもの長義くんと、天伝でいやなんかちょっと「徳川家康」のイメージと違わない? という扱いだった家康公は同じように考えたほうがいいように思います。
舞台は一作ごとに感想出そうと思ったら考察の量多すぎて全然追い付いてないんですが、ここでちょっと天伝の役回りに着目。
豊臣秀頼、徳川家康、一期一振辺りの関係性について考えたいと思います。
秀頼に関しては最初から比較的わかりやすいです。父の偉大さに悩み、自分が父の実の子ではないかもしれないことに悩み、だからこそ己の力で戦うことで自分が何者であるのかを知りたいと言う。
この状況、つまり親の偉大さに押しつぶされそうになっているという状況が舞台の主人公、特に今の第2部とも言える辺りの主役である国広と、その対である長義にもある意味当てはまる内容です。
そこから、秀頼の対比として存在する一期と家康にも着目します。
舞台では一期は最初偽名を使っていて藤吉郎という仮名を秀頼から与えられているのですが、その時の会話です。
一期は弟たちがいるから自分は兄であると言う。
秀頼は誰かの兄ではないお前自身は何者だと問う。
一期には記憶がない。
秀頼は、そんな一期に対し、お前は弟たちに救われているのだなと言う。
一期が自分を「兄」だと認識しているのというのは、相手との関係性から己を作り上げているということになります。
これは一期一振の「号」に関する説明から納得することができます。
一期一振とは、短刀の名手である粟田口吉光が生涯で唯一作った「太刀」だからこその号。
(※そう言われているが実際には短刀以外の吉光もあるらしい)
つまり弟(短刀・脇差)たちがいるからこそ、「一期一振」は「一期一振」という名であると。
己の存在を関係性から来る名称により認識している。
この考え、私が長義推しなのでここに辿り着く人も長義推しが多いと思うのですがそんな我々はよく見ましたね。
「本歌」は、「写し」が存在するからこそ「本歌」と呼ばれる。
名刀と呼ばれるには自分一振りあればいい。
けれどどんな名刀であっても、「写し」が打たれなければ「本歌」にはなれない。
己を己という個ではなく、関係という縁から理解している。
その一期と秀頼を、最後に太閤左文字の言葉により「同じ蒼空」として結ぶのが天伝のストーリーです。
そして、
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて」
花は秀頼、鬼は真田。
天伝では「秀頼を守る者」として、真田信繁と一期一振の二者が存在します。
真田信繁に関してはこれまでも結構やりましたが、大野治長との会話の中で「お前は父を超えたいのだな」と言われています。
天下人の父を偉大過ぎる存在として見ている秀頼と、報われずに死んだ父を憐れな存在と思う信繁では方向性が違いますが、それでも二人とも父親との関係を動機として戦での勝利や諸説への逃亡という歴史改変の願望を持ちます。
更に秀頼を食らう存在として、正史で伝えられる人物像よりやたらと好戦的な家康が存在します。
この家康を最後に説得するのは加州清光の役目でした。
家康は別に死を望んでいるわけではないと言うものの、その行動はわざわざ戦いをしたがり死にたがっているようにも見える。
そんな家康に加州が掛けた言葉が「生きるってのはそれだけで立派な戦だ」というものでした。
で、家康と長義くんを「クソ」の要素で繋ぐことを考えると、加州の台詞はかなり重要になってきますね……。
日日の葉よ散るらむ。らむは推量の助動詞。
――どうして、日日の葉は散ってしまうのだろうか。
慈伝の考察からこっちさんざん、国広の願いは長義くんに生きていてほしい、ただここ(本丸)にいてほしいということだと考察しているわけですが、それに対する長義くんの態度を改めて整理したいと思います。
慈伝の長義くんは……
傍目から見ると、自分から死にたがっているようにしか見えない。
慈伝は今でもまともな考察がほとんどないような気がします。
長義くん周りに関してはリアルのあれこれで長義くんがちょっとでも受け入れられないと拒絶反応を示す人が多いので、ここのシーンをきちんと読み取ることを最初から放棄されている感じがしますが、ここは物凄い重要な場面だと思います
慈伝の国広との一対一で、長義くんはかなり一方的にボコボコにされます。フルボッコですね。
ただ、なんでそんなフルボッコ状態なのかというのには、レベル差以外に理由があります。
長義が国広を挑発しているんですよ。
国広はむしろ戦いを終わらせたがっている。でも長義がいつまで経っても負けを認めずに戦いを望むので、ついに国広がすわトドメを刺す気かといわんばかりに表情を変えたギリギリの場面で、南泉が二振りの間に割って入ります。
喧嘩を売ってるのも負けを認めないのもボロボロになっても相手を挑発するのも全部長義側です。
ただ、このシーンの意味は、慈伝より後の話を見ないとわからないと思います。
どうして長義は国広を挑発し続けるのか。まるで自分から斬られたがっているみたいに。
みたいというか……斬られたいんでしょうね。
綺伝のガラシャ様が愛する夫の忠興に斬られたがっていたように。
残念なことに長義くんの内面は今でもそんなにはっきりしたことはわかりませんが、あの世界の「物」の原則として統合への欲求と動きがあるらしいということは他の話からも明らかです。
それが天伝の家康の姿勢とそれを説得する清光の言葉に繋がってくる。
生きるってのはそれだけで立派な戦だ。
一方でこの戦いの裏側では正史に影響を与えず諸説に逃げるという方法でただ生き延びたいという真田信繁や信長を諸説に逃がしたいという弥助の希望を国広たちが折っているという……。
それはひとまず置いておいて、家康と加州の会話の着地点を考えると、やはり「クソ」という言葉を使う天伝の家康と長義くんの基本姿勢の相似は意識したほうがいいと思います。
さらに、家康の思考が長義くんと似通うものなら、それを「説得」するのが加州であることにも注目したいと思います。
加州と長義という組み合わせで考えると、花丸の雪の巻が浮かびますね。
あれでも加州が長義を説得している。
ここで考えたいのはつまり、「クソ」という言葉を使う長義と家康の共通姿勢。
そしてその両者を説得しているのがどちらも加州という構図の相似です。
舞台と花丸のメタファーが近接するのは偶然やライターの趣味レベルの話ではなく、根幹的な構造の都合、確実にそうなる要素なのではないか?
今回は原作ゲームでちょうど「火車切(広光)」が実装された2024年1月の考察ですが、さらにその後、特命調査・文久土佐の復刻が来ることがすでに予告されています。
さらに同じ時期にミュージカル側で「陸奥一蓮」のあらすじが発表されています。
舞台に関しては次は慶応甲府ですが、その後の予想は以前の考察のものを使います。
今回はこの時期の情報が一挙に同じものを指している可能性が格段に高いタイミングとなりましたので、「言葉の共通」「構図の相似」に関し、今までよりも更に踏み込んでいきたいと思います。
3.比喩(メタファー)の近接、構造の相似
さて、前回の考察で私は次の特命調査はこれまでと逆の順で慶長熊本、次に実装される刀は童子切だと思うという予想を出してまーた見事に外したわけなんですが(笑)。
もともとノーマークというより前回の時点ですでにここがよくわからないなと思っていた文久土佐関連(実装刀剣予想も他の三つは出したのにぶんとさだけスルーしました)が来たおかげで、一気に考察が進みました。
今回は孫六兼元鍛刀と慶応甲府の時のような形での男士追加はなし。
しかし、新合戦場、高難易度ステージとして「異去」実装に加えて張番こと「火車切」が追加。
そして次に復刻する特命調査が「文久土佐」。
これ……多分、メタファー的には繋がってる。
孫六兼元実装と同時の慶応甲府と、異去及び火車切実装からの文久土佐復刻は同じ意味だと思います。
と、いうことを今回は特命調査の「言葉遊び」から見ていきたいと思います。
これまで特命調査に関しては敵部隊名を整理し、史実からの考察を入れてはみましたがあまりはかばかしい成果を得られたとは言い難いです。強いていうなら天江戸のもう一人の講武所の敵は男谷信友だろう、くらいか。
派生作品を見た一番の収穫は「言葉遊び」の重要性です。
どうもとうらぶのシナリオを考えるのに、史実や時系列より遥かに重要そうなのが「言葉遊び」要素、すなわち「名前」です。
「名前」がそんなに大事なら、全てを「名前」から考えなければいけない。
つまり、――特命調査も「言葉遊び」がその実施順に関係しているのではないか?
と、いうわけで今回は特命調査考・言葉遊び編となります。
2024年1月時点のとうらぶ関係の動向なんですが、まず1月1日にミュージカルの次回作のタイトルとあらすじが公開されました。
「陸奥一蓮」で、坂上田村麻呂が登場する、阿弖流為と母禮の話。
これまでの舞台の考察で鬼が鬼がと言っていて、次の実装刀剣も鬼斬り(童子切)だと予想していた身としてはまだほとんど見ていないミュージカル側でもこのタイミングで鬼斬りの逸話に縁深い坂上田村麻呂の話をやると聞いたので驚きました。この年の正月は正直それどころじゃなくなってたんですけど。
さらに、そのタイトルに「陸奥」という語が入っているのが引っかかりました。
派生のタイトルに使われるということは、「陸奥」という言葉自体に意味があるのではないか?
つまり「陸奥守吉行」という、名前そのものの重要性。
むっちゃんのメタファーとしてのポイントは「龍馬の刀」という「属性」なのか「陸奥守吉行」という「名前」なのかで悩んでいた身として、この情報は地味に大きかったです。
しかもその要素が鬼斬りの逸話と近接するということは、鬼女切りこと山姥切国広の特命調査の次が陸奥守吉行の特命調査であることに意味がある可能性が高いです。
「鬼」要素と「陸奥」要素の近接。
さらにその後1月の残りの予定表が発表されて、2月に豆まきイベント・鬼退治をやらずに文久土佐が復刻することが判明しました。
ますます「陸奥守吉行」と鬼要素が近接します。
そして1月14日の9周年を迎える前日、1月13日に特別番組の配信がありました。
ここで九大発表の一つとして異去実装と、張番の情報が発表されます。
張番こと火車切に関しては数日前からシルエットが出されていたのでどうも猫を連れているっぽいという情報から「猫丸」「火車切広光」「鍋島江」などの刀剣が予想されました。
13日の時点でビジュアルが解禁されたのでこの日にはほぼ確実に「火車切広光」と推測されていましたが、確定したのは実装された16日です。
名前としては「火車切」で「広光」をつけない表記。
ただし、刀は広光で、同派である大倶利伽羅にも刀派・広光表記が増えることになりました。
この辺りが2024年1月前半リアルタイムで見ていたとうらぶの動きです。
ミュージカルの情報と文久土佐復刻から「鬼」要素と「陸奥」要素の近接はわかりました。
次に考えなくてはならないことは「火車切」と「文久土佐」の関連です。
4.特命調査考・言葉遊び編 「年号」について
歌劇新作のタイトルが「陸奥一蓮」と発表され、1月の予定表の続きから次の特命調査復刻は文久土佐が来ると判明した時点で、これまでより更に「名前」による「言葉遊び」要素をもっと追及するべきでは? となりました。
人物や刀剣男士をそのシナリオに配置する意図が「名前」によるものなら、イベント名や出陣先の地名もまた全て同じ条件ではないのか?
と、いうわけで特命調査の「名前」による言葉遊びから法則性を導き出します。
手がかりは今回の「陸奥守吉行」の特命調査「文久土佐」復刻。
これで何が重要かと言ったら……「土」、ではないかと思う。
陸奥守の「陸」も漢字から言ってしまえば「土、大地」ですしね。
2文字以上の単語本来の意味のみで考えるのではなく、シンプルに漢字1文字レベルにまで分解した言葉遊びが必要に思います。
5つの特命調査で聚楽第以外の4つは「年号」+「地名」の組み合わせですが、年号部分の方が解釈は簡単そうに見えます。
なお見えるだけで決してそうとは限らない可能性。
まず最初に年号の方から見ていきましょう。
「文久」の「文」は意味を調べたら「かざる」でした。「久」は永遠や悠久の単語が示すようにもちろん「長い時間」。
つまり文久は「永き時を飾る」。
「天保」はそのまま「天を保つ」。「天」の解釈がむしろ難しいですが。空なのか理なのかもっと別の何かか。
「慶長」は「慶び」を「長く」。
「長」は割と意味が多くて、漢字の成り立ちから言えば「長髪の老人」「長髪」らしいんですけど「長い」は時間にも距離にもかかるので解釈がかなり難しいですねここ……。
「慶応」は「慶び」に「応える」。
「応」の部首、「まだれ」は「建物」を意味し、その中に「心」がある字です。
そしてそれだけではなく、旧字の「應」は「建物」「人」「鳥」「心」の組み合わせですのでここまで見たメタファー的には大分意味深です。
隹は舞台的に「鵺」、刀剣男士と考えると建物「本丸」に審神者「人」と刀剣男士「隹」の「心」があるってことにならんかこれ……。
大分不穏な気もしてきましたが、全体的に時間や喜び、それを願い応える心のような意味が重なっていると思います。
特命調査のこの年号部分……これ自体が一つのシナリオなのではないか?
「文久」が「永き時飾る(願う)」だとすると、とりあえず舞台を基準に前回の考察で出した刀剣男士の願いと一致する構造ではないかと思います。
ずっと一緒にいたい。
刀剣男士の根本的な願いはただそれだけではないかと思います。
一緒にいたい相手は刀によって元主だったり本歌だったりと様々なようですが、そういう大切な相手とできるだけ長く一緒にいたい、ただ生きていてほしいと願う想いが、最初の物語ではないかと思います。
派生だと舞台がこの辺り顕著で、特に維伝以降は誰かが誰かを守りたい想いと、ただ単に生きていたいという敵側の切々とした想いを名前の問題、自己とは何かという問題に絡めそこにまつわる愛憎と共に描いています。
生きたいという願い。
生きていてほしいという祈り。
彼らは最初から歴史を変えたかったのかというとそうではない。
生きていたかったから歴史を変えたくて。
生きてほしかったから歴史を変えることになってしまう。
変えること自体が目的である行為と、それが手段である思考は分けるべきだと思われます。
そしてこの願いを原作ゲームで「名前」に持つ刀剣男士は、物語の最初のターニングポイントで登場します。
「千代金丸」
千代(永い年月)の「金」。
そして千代金丸の次の男士から、物語は次のステージに入る――特命調査・聚楽第が始まり、「山姥切長義」が実装されます。
山姥とは山の鬼女なり。
山姥切は言ってしまえば「鬼女切り」ということになります。
陰陽思想で考えるならば男は「陽」、女は「陰」。
鬼女はつまり鬼の裏側、「陰」の面ということになります。
「千代」という永遠を願う鋼の物語のすぐ次の物語の名は「鬼女(鬼の裏側)を斬る」ものです。
……この辺りを考えると、原作ゲームの第一節後半突入(特命調査開始)と、以前の舞台の考察と予想で出した舞台の第2部(原作だと第一節後半相当)、そして後でやりますが花丸の映画3本もまた、同じテーマを描いているように思います。
5つの特命調査は始まりの五振りの物語として同じ段階の物語を描いているかのようにプレイヤーには思われましたが、史実方面から考察するとどう考えてもここは他の特命調査と比べて変じゃないか? というポイントがだいたいどの特命調査にも登場することは確かでした。
一番顕著なのはそもそも城名だけがイベント名であり、他と名前の法則が違う「聚楽第」。
監査官が北条氏政に言及するのに、我々は彼に会えていない。
さらに文久土佐は敵部隊名の「幻影」要素。
天保江戸は他と違って主役の蜂須賀の元主にまったく触れられず、江戸城にも行っていない。
しかし、江戸城に関する言及だけはしていて、城の存在がイベントと無関係ではないことを示唆しています。
慶長熊本は史実ではそれぞれ別々に活動していただろうキリシタン大名たちが熊本に集合するかなり長規模かつ大規模なシナリオの異質性。
そして、政府刀である地蔵行平の裏切り。
慶応甲府は特にどれと言うと難しいですが、タワーディフェンスによる拠点を据えた陣取り要素だとか敵に見つかってはいけない道中だとか倒さなければいけない敵が最終ボスに二人いるだとかやはりこれまでと違う面があります。
細かく見ればもっとあるなと思いますがとりあえずこの辺で。
これらの違いは、派生で見るともっと顕著で、特に舞台は放棄された世界の敵の状態に毎回言及することから、5つの特命調査は段階的な進捗を示すシナリオだと考えられます。
舞台の放棄された世界の敵は綺伝で獅子王から「鵺みたい」と評されています。
しかし、舞台ではすでに「鵺と呼ばれる」という敵が登場していて、それは「人間」ではなく「刀剣男士」のはずです。
同じ言葉は、同じ意味を表す。
「鵺みたい」な放棄された世界の住人と、「鵺と呼ばれる」足利義輝の刀の集合体は同じ存在である。
人間もあの世界では集合体なのだ。
史実で文献の記述が分かれ、自分の死に方すらわからないという綺伝の有馬晴信の発言がそれを裏付けている。
つまり舞台の維伝以降(個人的に便宜上「第2部」と呼んでいる)のシナリオは、それ以前に登場した「鵺」の説明をずっとしていると言える。
そして「鵺」の形成過程と状態変化は「段階的」なものであることが示唆されている。
維伝では頭の中が朧げだという吉田東洋、岡田以蔵と武市半平太の死を知った後、気が付いたらあの世界にいたという坂本龍馬が登場する。
綺伝では本名と洗礼名という二つ名を使い分けるキリシタン大名たちがただ必死で生きようとしていることを訴え、世界の核であるらしい細川ガラシャも自分がそういう存在であることに自覚的である。
本丸の刀剣男士側から言えば、そもそも悲伝で「鵺」の発生に関わった三日月が无伝でまたしても「鬼」らしき存在を生み出したと言える描写が入った。
さらに、修行中で本丸不在の山姥切国広の分身らしい「朧なる山姥切国広」「山姥切国広の影」という存在が登場するので、まだ曖昧な部分を含む三日月と違って、山姥切国広は少なくとも分裂したことが確定。
敵も味方も状態変化し、特に刀剣男士側が三日月の例から言って最低でも2体以上、己の敵となる己の分身を生み出していると言えます。
原作ゲームの特命調査、そしてその後の対大侵寇を加えた6つのエピソードはやはりこの順番に物事が段階的に進化していくシナリオの骨格だと考えられます。
対大侵寇の敵は「混」。
そして聚楽第は「楽しみ」を「集める」「第(やしき)」。
「第」の字は調べると「竹」と「弟」からなり物事の順序を表すそうです。
聚楽第が「混」を示すのではないか。
「混」という状態は対大侵寇の敵もそうですが、本丸側のスタートの状態も当てはまると思います。
「山姥切」と言えば国広しか知らず、与えられた物語を何も考えずに受け入れるだけで、そこに史実と創作という絶対的な差異があるとは考えていなかった状態から我々の本丸は始まります。
そこから物語に二つの属性があることを明らかにするのが、山姥切の「偽物」問題に切り込んできた山姥切長義の登場。
つまり、特命調査・聚楽第を迎えた時点で一つのターニングポイントを迎えています。
文久土佐では刀の本能の話をしながら、最後に元主の生を望む話をし、
(史実の正しさを願う)
天保江戸では誰かを想うなら今まで自分が正しいと信じてきた道を進むべきだという話をし、
(天の理(史実の正しさ)を保つ)
慶長熊本ではそれができずについに裏切った刀の姿を描き、
(慶び(作り話)の存続を願う)
慶応甲府で、これまで信じた史実とは真逆の属性、「作り話」の大切さを説く、
(慶び(作り話)に応える)
年号による特命調査の言葉遊びは、その順序自体が一つのシナリオになっていると考えられます。
そしてすべての特命調査が終わった段階で迎えた対大侵寇防人作戦の敵・混の状態は「七星剣」という同じ名前の複数の刀を繋いだもののようであり、つまり我々が極修行を経てある意味捨て去った思考状態と一致しているように思われます。
山姥切伝承について深く考えずに一つだと思っていた。
それが本当は二つあることを知った。
一つだと思っていたものが、二つに分離した状態になった。ここが一つの転機。
ここから本来は特命調査前と後の刀剣男士実装順を主軸としたシナリオ考察を入れらればよいんですが、私の方でそこまでやるにはまだまだ頭の整理が追い付いていないので、今回はここで一度ストップして再び特命調査の名前の考察に戻ります。
5.特命調査考・言葉遊び編 「地名」について
年号部分の意味は大体つかめてきたとはいえ、地名部分はどうか。
文久土佐の「土」と陸奥守吉行の「陸」は本当に同じ土属性で考えていいのかなどまだまだ課題はあります。
そこを見るために、特命調査全部の名前から言葉遊び要素で属性を導き出しましょう。
単純に漢字だけ見れば、土佐には「土」がありますが、江戸は「川の扉」なので「水」があります。
熊は実は下の部分の部首が「火」を表し、「能」(できる)と「火」から成り立つ字だそうです。
聚楽第と甲府はよくわかりません!(バァアアアアン)
ちょっと待て。
……いや、うん、それでいいのかお前と言われそうですがこの方向だと本当によくわからない。
土佐に土があるから土を含む五属性があるもので五行かなと思ったんですが、この段階だとよくわからなかった。
強いて言うなら……聚楽第は「黄金の城」です。
豊臣秀吉は聚楽第を金の瓦で飾った金ぴかの城だったそうです。
だとしたら聚楽第は「金(ごん)」?
すると甲府は消去法で「木」?
ちなみに漢字の意味からすると聚楽第は上で言った通り「楽しみ」を「聚(集)める」「第(屋敷・順序)」で、
甲府は甲(兜)の府(蔵)だそうです。
府って蔵なのか。京都府や大阪府につく通り政庁的な意味もあるんですが、真っ先に出てくるのはどうやら「蔵」という意味のようです。仏教的重要性。
ただやっぱりこれだけだと意味がわからない。
とりあえず仮に組んで整理して考えよう。
聚楽第「金」
文久土佐「土」
天保江戸「水」
慶長熊本「火」
慶応甲府「木」
この順番が何かになれば……なれば……なんにもならねーなこれ!
なんにもならなかった! よし! 解散!! はい終わり終わり!
っておいおいおい、それでいいのかお前。
う~~~~~ん、一応もともと解釈不明瞭だった聚楽第と慶応甲府を入れ替えて「木土水火金」にすれば一応相克っぽくはなるんですけどねぇ。
兜は金属製だろうからこの際、慶応甲府は「金」でもいいような気がしますが、聚楽第はそれでいいのかと。
聚楽第が集める楽しみとは何なのか。
枝葉つまり植物を集める……? ちょっとピンと来ませんし、他の四つに比べると言葉遊びから少し離れすぎてる気もする。
よし、発想を転換しよう。
年号編が「久(永き時間)を文(飾)る」だったように二文字で一つの意味を成していたんだから、地名もその理屈で考えないとダメだろう。
つまり「土佐」の意味は「土を佐(助)ける」。
「佐」は補佐や王佐など、助ける、補助するの意味合いがありますね。
土を助けるもの……土を生成する、「火」?
じゃあ江戸は……水の扉、水に通じるもので水を生み出す「金」?
熊本は燃えることができる本(もと)、すなわち「木」?
甲府は金属である兜を内側に納める蔵……つまり「土」。
ならば聚楽第は「金を集めた」城ではなく、「金が集めた」もの……「水」。
聚楽第「水」
文久土佐「火」
天保江戸「金」
慶長熊本「木」
慶応甲府「土」
水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、そして土も水に勝つ。
五行相剋の関係。
時代が進むごとに負けているということはその逆の順番、五行相侮……?
逆相剋。
……これで、いいのではないか?
では、今回慶応甲府から始まり次に文久土佐が来る組み合わせだとどうなるか?
慶応甲府「土」
文久土佐「火」
慶長熊本「木」
聚楽第「水」
天保江戸「金」
土の次が火なら、火が土を生み、木が火を生み、水が木を生み、金が水を生み、土が金を生む、五行相生の関係。
ただしこれも順番的にはその逆。
今後の特命調査の復刻が「慶長熊本」「聚楽第」「天保江戸」ならこの順になります。
今後の展開が気になるところですね。
……というか、試しに上の何にもならない組み合わせから聚楽第と慶応甲府の金と土を入れ替えたバージョンを試しに考えたらこっちも順番同じじゃねーか!(オイ)
なんか最後ぐだぐだになりましたが、一応本命は文久土佐を文字通りの土ではなく土を生成する「火」で考えるバージョンを本命としておきたいと思います。
特命調査の復刻順の予想は残り 慶長熊本→聚楽第→天保江戸
現在、特命調査の復刻順の予想はTwitterの方では「慶応甲府→文久土佐→天保江戸→慶長熊本→聚楽第」と時系列順に遡るのではないかという考察が出ていましたが……
時系列を第一義とする考えは私は割と否定的ですね。
これまでの考察から時系列の細かい調整よりも言葉遊び要素が重要ではないか? と考えているので。
ここで特命調査の復刻順が言葉遊び順になるか、時系列順になるかでどちらの要素をどのように処理していくかまた調節する必要がわかるので次の特命調査が楽しみです。
なおどちらの予想も外して聚楽第が来る可能性。
とりあえず今のところは、今この瞬間に原作ゲームと派生の各作品でメタファーが随分近接したという結果からの考察を重視していきたいと思います。
6.花丸は侮れない
あのアニメ本当なんなんだ……のほほん平和な日常ものの振りしてマジ侮れないじゃねーか……。
9周年の特別配信番組でいったん完結と言われていましたが、その扱いの軽さから言って今はプロジェクトが動いていないぐらいの状況で、続きをやる気があればまたそのうち復活するんじゃないですかね?
今このタイミングで花丸が重要になる理由は、これまでも舞台とメタファーの配置が近接していた花丸が、すでに「火車切」登場を予告していた可能性があるからです。
長義登場の「雪の巻」ですが、冒頭の豆まきシーンで長谷部と長義が本丸の財政について話し合っています。
長谷部「…何故 こんなに赤字なんだ?」
長義「正月を盛大に祝ったから かな」(花丸「雪の巻」)
赤字のことを別名「火の車」という。
言葉遊び的にはこれは……「火車」だな。
そして「雪の巻」の後半は特命調査「文久土佐」の話。
「火車」と「文久土佐」という要素が最初から近接している。
他にもそれらしきものを探してみると、舞台の方は慈伝の感想を書いている時点で私はむっちゃんの配置の意味がわからないと呟いていた気がします。
慈伝は軽い気持ちで見始めたせいで台詞全文メモってはいないしそろそろ場面場面の記憶がおぼろげになってきましたが、陸奥守吉行、ソハヤノツルキ、大典太光世の三振りで話しているシーンがあったような。
あそこが他の場面に比べるとどういう意図で差しはさまされたのかわからなかった。
ここで原作ゲームの方に「火車切」が登場し、しかも次に「文久土佐」が復刻すると言うことで一気に要素の並びが原作と派生で一致しているのではないか? と思われるようになりました。
聚楽第の次の文久土佐。
火車切の次の文久土佐。
維伝では舞台の演出ギミックとして、階段状になった舞台をあちこち動かしていました。
さらに堀川くんの台詞で
堀川「まただ 気持ち悪い やっぱりこの町は何かがおかしい まるで町が生きているみたいだ」
(維伝)
というものがあります。
「文久土佐」はなんらかの理由で「火車」と関連がある。
と、考えていいと思います。
7.鬼と宝物、秘宝の里の物吉貞宗、坂上田村麻呂の坂上宝剣
原作ゲームから派生までこの分だとどのシナリオもすべて入れ子式二部構成の繰り返しと連続だと考えられます。
・原作ゲーム
特命調査以前(第一節前半)
特命調査以後(第一節後半)
対大侵寇後・本丸大型アップデート(第二節前半)
対大侵寇後・異去実装(第二節後半)
・舞台
虚伝から悲伝(第一節前半)
維伝から対大侵寇相当話まで(第一節後半)
・花丸
「花丸」及び「続・花丸」(第一節前半)
映画花丸(第一節後半)
と、原作と足並みを揃えたペースで考えたほうがいいかなと思いました。
原作ゲームと派生のペース配分に違いがあるのかどうか微妙なところでしたが、文久土佐関連でここまでメタファーの配置が一致するなら、基本的には同じと見ていいと思います。
長義くん登場、特命調査開始からおそらく第一節の後半に入ったということになるでしょう。
更に言うなら、第一節と第二節は同じ構造か? の問いも基本のメタファー配置は同じ可能性が高まってきたと思います。
鍵は「猫(火車)」。
水だの鳥だのに比べると猫にまつわる刀はそう多くないと思います。だよね?(自信なし)
その割と珍しい猫絡みの名前を持つ刀が第一節前半終了直前の「南泉一文字」、第二節後半開始直後の「火車切(広光)」と、繰り返し構造の中で似たようなタイミングで来るなら全章同じ構成と見たほうが自然かなと思います。
今回、シルエットが発表された時点で審神者たちはそれぞれ「猫丸」「火車切広光」「鍋島江」と、猫や猫に類する妖怪話にまつわる刀を挙げていました。
逆に言えば猫絡みの刀は多分これくらいです。
刀派だけわかっている時のように無尽蔵に候補が出る感じではありませんね。
実装タイミングは完全一致ではないため南泉が第一節の「前半」なのに対し火車切は第二節の「後半」に入ったかどうかというタイミングですが、そもそも特命調査を基準にするのが我々から見たわかりやすさであって、本命は実装男士のメタファー配置のような気もします。
そして、火車切の登場は同時に新たな戦場、新たな世界、「異去」の実装をも意味します。
異去自体の意味の考察は後にして、ここで「宝物」という新たな要素が登場したことに着目したいと思います。
私は前々から「宝」のメタファーを知りたいと思っていたんですが、今年は正月からミュージカルの方で坂上田村麻呂が登場するという発表がありました。
坂上田村麻呂、その刀である「坂上宝剣」。
刀剣の真実としてはともかく、とうらぶ上ではこの「坂上宝剣」こそが「ソハヤノツルキ」の本歌という設定です。
坂上田村麻呂自体は鬼退治伝説とよく結びついているそうです。
正直征夷大将軍と蝦夷征伐ぐらいしか知らなかったので坂上田村麻呂と鬼退治伝説の関連なんて初めて知りましたが、そのようです。
そしてその坂上田村麻呂の鬼退治伝説の創作に登場する刀こそが「そはやのつるぎ」であって、ソハヤノツルキウツスナリの本歌かもしれないと目されるのは基本的には「坂上宝剣」ではなく「そはやのつるぎ」です。
ただこの辺は真面目に考え出すと「そはやのつるぎ(その伝説を仮託される刀剣は実は一振りではなく三振りセット)」とかクソややこしいことになるので今はちょっと置いて、伝説とメタファーだけ考えます。
坂上田村麻呂は「鬼退治」で有名な人物、その佩剣こそ「坂上宝剣」。
つまり、「鬼」・「鬼斬り」要素と「宝」要素は近接します。
ここちょっとまず「鬼」と「鬼斬り」を一緒くたにするのか分けるのかも課題なんですよね。
「猫」と「猫斬り」を一緒にするか別にするかが課題のように。
とりあえず今は近接要素のピックアップのために一緒に考えます。
「鬼」と「宝」。この組み合わせは今回の「異去」実装にも関わってきました。
戦うモノたちよ お前たちに名を与えよう
戦鬼
お前たちの乾いた肌では、
いとも容易く剥がれ落ちるだろう。何度も、何度も――
けれども繰り返し、繰り返し、
草木で布を染め抜くように重ねよ。(2024年1月16日、「異去」突入時キャプション)
ポエマーが誰かという毎度の問題はともかく、内容的に普通に敵側の事情ではないでしょうかね、これは。
「異去」の強力な敵に与えられた名は「戦鬼」。
そして「異去」で拾える「宝物」。
「鬼」と「宝」はここでもセット扱いです。
そして「宝」のメタファーを考えるにあたってついにこの問題に触れてもいいですかね。
「物」は民俗学的には悪い霊魂とか精霊とかそのぐらいの意味ですが、それを指して「鬼」ということもあります。
とうらぶの「物」の使い方はやはり「鬼」を指しているような感じがします。
そうすると、名前に「物」のある刀剣もまた「鬼」でしょう。つまり、
「物吉貞宗」
物吉くん、もしかして実は誰にもそうとは気づかれないまま、一番最初に登場した「鬼」のメタファーなのでは?
物吉くんに関しては以前、原作ゲームの要素を片っ端から考察していった合戦場と恒常イベントの考察の中でも特別な立ち位置だったんですよね。
「秘宝の里」の最初の報酬、物吉貞宗。
やはり、「宝」と「鬼」はセットです。
イベントと合戦場の考察もまた今度言葉遊び視点で一度全体的にやり直さなければならないようですね……。
秘宝の里の秘宝とはそもそも何か、何故楽器を、あるいは花を集めるのか。
「楽器」と「歌」はメタファー的に同じなのか。それともこれも違うのか。
「楽」の「器」と「花」が同じものを指すとなると納得が行きやすいのは「与楽(慈)」の物語で「本歌」が顕現する舞台のシナリオなのですが……。
それも置いといて、更に物吉くん絡みで「宝」要素のあるイベントについて考えます。
江戸城潜入調査。「宝物庫」の「宝箱」の鍵を集めるイベントです。
わりと最近、物吉くんを入れると鍵の入手量がアップする特効がつきました。
それを差し引いても「宝物庫」……やはり「宝」と「物(鬼)」は近接するというか、「宝物」という言葉自体が「宝」と「物(鬼)」が結びついたワードなのではないかと思います。
宝の鬼か、鬼の宝か。あるいはどちらも同じではないのか。
宝と鬼に着目していましたが、そろそろ「庫(蔵)」も重要じゃないですか?
慶応甲府の「府」の意味も「蔵」ですし。
蔵と言えば刀剣男士で思い出すのは大典太さん。
さらにここまでの考察で触れた物語で言えば、『伊勢物語』の「芥川」またの名を「鬼一口」という物語において、男が盗んできた女を中に入れたのが「蔵」。
ここまでの考察的に「芥川」の女は煩悩即菩提、鬼にとっての「宝」ではないのか。
そしてその「宝」はまた男自身であり、鬼自身の煩悩でもある。だから宝の鬼とも言える。
「宝」「鬼(物)」「蔵」
この辺りの要素が、もともとかなり近接していることがわかりました。
そして更にこの「宝」と「鬼」の物語の隣には文久土佐、「火」と「火車」が存在します。
花丸の「赤字」こと「火の車(火車・猫)」と「文久土佐(おそらく火)」の組み合わせ。
ミュージカルの「坂上田村麻呂(鬼斬り)」話のタイトルが「陸奥一蓮」、とうらぶ的には坂上田村麻呂佩刀は「坂上宝剣」。
これらは無視できないと思います。
もともと舞台の考察の方で敵の性質が三日月の「鵺(夜の鳥)」、国広の「朧(月の龍)」と変化していることから、舞台の次のその位置の敵は「星の鬼」が登場するのではないかとこれまで予想してきました。
そして原作ゲームの方は対大侵寇防人作戦の勝利により「星」こと「七星剣」が顕現して第二節が始まり、今また復刻特命調査により第二節が後半戦に入ったと思われるタイミングで「異去」という新たな世界が実装され、そこでは「宝物」の断片を拾うことができます。
宝物それぞれの名前も言葉遊びだと思いますがいい加減頭が追い付かないので今度にして。
「宝」「物(鬼)」「庫(蔵)」「文久土佐」「猫(火車)」
今のところ、この辺りのメタファーが原作ゲームの第二節のシナリオのターニングポイントで近接し、派生を振り返るともともと第一節の同時期から存在したのではないか? という可能性に注目したいと思います。
8.火車と山姥、妖怪たちの物語
特命調査の名前による言葉遊びは、文久土佐をそのまま「土」と見る方面と土を生成する「火」と見る方面の二通り触れたわけですが。
文久土佐に「火車」が絡んでくるとなると、「火」と解釈する方面の方が重要な気もします。
いやでも火が土を生むとなると異去と火車切実装で火が来たからこそ次のぶんとさは土……? あかん、わかんなくなってきた。
この辺りは全体の刀剣男士実装のバランスを見ないといけない気がするんですが、やはり私がプレイ歴2年半くらいのまだまだ新米審神者なのでどうしてもすべての情報が一度には頭に入らないんですよね……。
南泉の前が静ちゃんだってことを今回初めて知ったんだぜ。
つまり今回、後家兼光を第一節の南泉くらいの位置だとみて次に鬼斬り(童子切)が来ると思ったんですが、静形も後家も女性絡みの名前と見るなら、その次に猫(火車)絡みの男士である南泉・火車切が実装されている順番なので、次は千代金丸ポジションで永遠・悠久・金のどれかに触れる男士が来てその次に山姥切(鬼女切り)の類似である鬼斬りが実装されるのでは?
千代金丸と近似要素か……。
千代は永い時を意味しますが、千という数そのものに意味があるなら9周年とかけて「九」の字が含まれる刀もなきにしもあらず。
その場合、「九字兼定」か「九鬼正宗」辺りかねえ。
以前の予想だと特命調査に合わせた実装で細川家絡みの面の薙刀が来るんじゃないか? と出しましたし、今回特命調査をメタファー順に整理したら慶長熊本(面の薙刀)、聚楽第(童子切)、天保江戸(大慶直胤)の順番でキレイに納まるなとは思ったんですが、千代ちゃん寄りに予測を修正するなら慶長熊本関連はむしろ歌仙と同じ刀工作の「九字兼定」の方かもしれん……。
九字はただの9文字じゃなく臨兵闘者皆陣列在前のことですから意味深ですし。兵の字が入ると天伝を思い出すな。
むっちゃんに今回メタファーの関連だけで来歴的には関連のある刀剣が来ていないので、聚楽第側は童子切もありえる。
9周年なので九字兼定に続いて九鬼正宗だよ! かもしれませんが。
ほ、堀川派の刀……あるいは長義の刀は……?
鬼斬りの次は豊前江・稲葉江ポジションで「水」や「豊穣」「稲」に関わる刀なのでやはり天保江戸のタイミングで江戸三作最後の一人・大慶直胤の刀が来るのではないかと思います。
その後は祢々切丸・白山の山コンビはともかく笹貫・抜丸の組み合わせがちょっと難しいので保留。
ただ花丸の「雪の巻」の漫画版を開くたびに冒頭の豆まきで対になる関係性の男士たちの会話からすでにメタファーの塊じゃないこれ??? ねえちょっと! ってなってる。
メタファー……やはりメタファーか……でもそのメタファーは何なのか。
今回「火車切」くんが来て思ったのですが。
第一節にて後半戦、特命調査の開幕を告げる政府刀は「山姥切長義」。
第二節にて後半戦、「異去」実装と共に登場した張番は「火車切」。
「山姥」と「火車」で「あやかし」要素が続いたなと思いました。
大典太さんと鬼丸さんの会話で「妖物切りの陰気」「妖物切りの陽気」「妖物切りの酒気」というシリーズがあるので、妖系はやはり何かしっかりと設定されている可能性が高そうなんですが、特命調査もしくは始まりの五振りはそれぞれ五つの妖怪と関連付けられている可能性もあるのかなあと。
それが今のタイミングで「文久土佐」と「火車」の話題が近接している理由なのかもしれないと思いました。
詳しくは火車切の研究史のページを見てもらった方がいいんですが、「火車」を「魍魎」と同一視する説があります。
「魑魅魍魎」の「魍魎」と書いて「魍魎(かしゃ)」と読ませる考えです。
この時の「魍魎(かしゃ)」は山水木石の精霊の方です。気が凝って人の死体を食う妖怪になると。
一般に「火車」と言えば仏教でいう罪人を運ぶ燃え盛る車、もしくは葬式に現れて死体を盗む猫の妖怪ですが、「魍魎(かしゃ)」とする場合は猫ではなく山水木石の霊となる。
「魍魎」という言葉を通じて山姥と火車の性質が似たようなものと考えられることになります。
そして舞台の維伝では、すでに敵のことを「魑魅魍魎」と考える思考を南海先生が展開しています。
さらにさらに、火車切くんを入手してボイスを聞いたところ、「地獄」への言及が多いのですよね。
火車切という名前や仏教的な彫物から仏教思想を口にするのは何もおかしくありませんが、舞台だと維伝の次の特命調査が綺伝で、その時に地蔵くんがガラシャ様と共になら地獄へでも行くと言っていたことを考えるとやはり「地獄」は無視できません。
山姥と火車。そして「地獄」の物語。
……うん、だいぶ、話が妖怪寄りになってきたな??
舞台だと「鵺」「朧」を通して敵の性質を明かす構成だと思いましたが、原作ゲームもこの場合敵の性質を「山姥」や「火車」から考えるのでは?
七星剣から始まる星の物語である第二節で、実装された「異去」の敵は「戦鬼」。
「星」と「鬼」は舞台関連でさんざん考えた組み合わせですが、その正体は「火車」……死体を盗む猫の妖怪なのかもしれません。
……これ、気になるのはやはり舞台の方の展開予想なんですよね。
悲伝で黒甲冑たちが鵺を攫っていったように、敵が敵をさらっていく場面がありますが、この攫われる敵はまた「鵺」のように三日月の半身でもあります。
火車は死体を奪う猫の妖怪。死者の肝やら脳やらを食う魍魎とも考えられる。
しかし猫は後家兼光・五虎退の回想142で「現実」のメタファーだということをやったばかり。
つまり死体を奪う妖怪の正体は、「憧れ」ではなく「現実」。
ただし「現実」そのものではなく、その「現実」が歪んだ妖怪ではないですかね……。
……山姥切長義の逸話が何故否定されるのかと言えば、それは史実としての根拠があるわけではなく「憶測」だから。
山姥切長義という存在そのものが「憶測(憧れ)」、それを奪うものこそが史実でなくば許さないという「現実」。
だから舞台で登場するだろう敵、星の鬼の正体は……国広に逃げを許さない「現実」か。ううーん。
他の三つの特命調査や初期刀5に絡む妖怪探し出せるかなーと一応考えましたが無理でした。
水は河童(すでに祢々切丸が実装されている)で、金は……金玉(金霊)? いやでも名前だけじゃなく性質が大事な気がするんだけどノーヒントで日本中の妖怪を調べるのはきつい……。土は土蜘蛛?
古代のまつろわぬ民を鬼や土蜘蛛と呼んで迫害した歴史と絡めるとああああ話が複雑すぎて追い付かない。
ただ土属性の敵が土蜘蛛だとするとすでに土蜘蛛を切った刀、蜘蛛切りこと膝丸がいますよね。
山姥は鬼女。そして源氏兄弟が切った宇治の橋姫も女性の鬼ですからある意味最初から鬼切は鬼女切り。
髭切(鬼女切り)に始まって、膝丸(土蜘蛛切り)に終わる物語、と考えると土蜘蛛重要っぽい気はするけどやはりヒントが少なすぎて先走りそうな気もする。
敵の脇差が足の多い虫のような外見ですから「蜘蛛」と「蜘蛛切り」はもともと気になってはいたんですが……。
今は一応、敵や放棄された世界、異去などの性質を妖怪というテーマで開示していくシナリオの可能性だけ抑えておくことにしたいと思います。
9.凝り固まった世界
異去の考察より先にこっちをTwitterの方で出してたんで収納します。
放棄された世界の次は凝り固まった世界かなあと思う今日この頃。
凝り固まった世界って何よって感じですが、放棄が思考放棄の放棄ならその対極は意固地とかそういう方面かなって。
具体的には笹貫が回想118で「凝り固まったのが身近に居て」って言及してるのでその関連かなーと。
回想其の118 『風浪』
笹貫「はは、……こうも簡単に背後を取られるとは思わなかった」
治金丸「…………」
笹貫「それで、オレを斬りに?」
治金丸「いいや。オレは影だ。影が勝手に決めることはない」
笹貫「そっか。ひとまず安心した。この身体というものでやってみたいこともあるからさ、そう簡単には手放したくなくて」
治金丸「ああ、それは主のものだ。オレたちはこれを使い、力を合わせてやらねばならないことがある」
笹貫「お、歴史を守るって~あれだな?」
治金丸「そうだ。どんなに苦しい歴史であろうとも。お前がどこの刀であろうとも」
笹貫「……背負うねぇ」
治金丸「お前に言われることじゃない」
笹貫「あー……わるかった。いや、どうにも凝り固まったのが身近に居て……つい」
治金丸「お前が主のもとで同じ目的のために力を尽くす限り、影はただ影のまま」
笹貫「…………。……背負うことで得た形とも言えるのか。この身体、一筋縄ではいかないってことだな」
凝り固まったのが身近に居て……ということはごっちんや道誉くんみたいに名前が出ている感じではありませんが、これもイマジナリー男士だと思うんです。
笹貫の言う「凝り固まったの」もまた条件を満たせば顕現するんでしょう。
と、言うわけですでに実装されている男士の中から凝り固まったのに近い思想をまず探したいと思います。
まぁ、長義くんなんですが。
回想其の141 『無頼の桜梅』
長義「備前の刀が来たと思えば、なるほど、兼光の刀か」
兼光「キミは……、長義(ながよし)の。さすが、華やかで……うん、強き良き刀だ」
長義「長船の主流派であるあなたに、そのように面と向かって言われてしまうとね」
兼光「急にごめんね。備前長船の中で同じく相州伝の流行りを取り込んだ刀に声を掛けられたから、ついはしゃいでしまった。おつうにも、一言多いってよく言われるけど」
長義「いや、こちらの言い方も悪かったね」
兼光「そんなことないよ。兼光が相伝備前の始まりのように扱われることも、刀工の系譜も、それに正宗十哲の括りだって、後世の人による憶測や分類の結果でしかない、とも言える」
兼光「ただ、ボクが今感じたことは、それそのまま本当だなって」
長義「刀工として後に出てきた長義(ながよし)も、相州伝に美を見出した先達にそのように言われたら喜ぶだろう」
兼光「よかった。ボクは後家兼光。どうぞよろしく」
長義「山姥切長義だ。そうか、上杉……いや、直江兼続の刀か。それはまた難儀だな」
兼光「……え?」
長義「すまない。俺も一言多かったようだ」
回想141でごっちんが憶測を肯定していた。
その会話相手が長義くんだということは、長義くんの思想は対極、憶測を認めない派に近いのだと考えられる。
今の長義くんはそこまでとは思わないけど、正史許容のラインが厳しいのは事実なので、その憶測絶許が行き過ぎちゃったら凝り固まった思想だよな、と。
特命調査 聚楽第 其の2 『調査開始』
監査官「その中心部にて北条氏政なる存在が確認された。が、これが正史でない以上、当人であるかどうかは瑣末なこと」
山姥切長義は登場当初から、正史以外は絶対に認めないという気持ちが強い男士だと推察される。
ところで、長義と国広の完全なる対照関係から、私は長義極の結論は国広極の逆になると以前から予想しています。
すると単純な結果予想としては、憶測たる自分の逸話の肯定になるだろう、という結論になりました。
これがどういう意味を持つか不明だったんだけど、長義くんのスタンスのスタートが憶測を許容しない派だとしたら、許容できるようになるのは普通に成長路線かなと。
国広たち、対大侵寇前の極実装キャラの予想はおそらく思考放棄方向に見える。
国広「写しがどうとか、考えるのはもうやめた」
(修行帰還)
これが放棄された世界関連かと。
ただし本丸の刀剣男士たちは国広が長義に会って再び考え始めたように、本当にすべて思考放棄してしまったというわけではない。
思考放棄の対極は何かといえば、簡単に言って「考えすぎ」ではないでしょうか。
それも自分の楽しみのために考えるのではなく、ああしなければいけないこうでなければならない、絶対にここはこうでないいと正しくない、そういう思い詰めた方向です。
長義くんたちこれからの極が「凝り固まった」思想との戦いだとすると、そこを超えたら笹貫のいう「凝り固まった奴」らを顕現できるようになるのでは?
歴史の正しい認識には思考放棄は論外、かといって史実以外は絶対認めねえ! とか頑迷になっても意味がない。
歴史の研究なんて断片的な情報しかない史料をかなり憶測で繋いでる部分もあるし、当事者以外の憶測も周辺環境とか受容史として重要。
とうらぶそのものが認識の形成に必要な思考の成長を、段階的に獲得することが連動している世界だと思われる。
そういうわけで第三節後半あたりで実施されるかもしれない特命調査の後継イベントの出陣先は性質的に「凝り固まった世界」ではないかと考えます。
……ってまだ第二節の途中なのに第三節の話かよ!?(気が早い)
今の進捗だと二節は特命調査の別順復刻(今回の予想だと逆相生)で終わるんじゃねえかなって……。
ちょうど「異去」も実装されたことだしとうらぶの進捗でそうほいほい新イベントやら新ステージやらが実装される感じもないので、第二節は「異去」、第三節で「凝り固まった世界(誰か格好いい名前考えてくれ)」ではないかと予想します。
10.過ぎ去りし世界
順番が逆のような気もしますが改めて「異去」の話です。
特命調査が第一節前半の極キャラと連動していると考えるなら「異去」の開始は第一節後半から第二節前半までの極キャラの思考と連動している? と考えたいところですが、どうなんでしょうね。
今の時点だとその間の男士の手紙を読み込んでいないのでそんなにピンと来ていないです。
というか極修行手紙も誰もかれもが国広みたいに意見の変化がわかりやすいとは限らないしな……。
「異去」という名前から考えたいと思います。
「異なる」「去る(去った)」。そんな世界。
この名前のイメージだけで言うとですね……私には、知識を得て正史の認識が変わり、放棄された世界とは別の意味で捨ててしまった世界のように感じます。
「山姥切は本歌の長義で、国広はその写しだからこそ号も写したものだと信じていた。
でも違った。それは事実誤認で、正しい歴史はおそらく写しが山姥切の逸話を持っていて、それによって本歌が「山姥切」と呼ばれることになったというものだった。」
こういう理解になったときに、我々にとってかつて信じていた「山姥切は本歌の長義で国広は写しだから号も写した」という歴史はどういうものになるか?
今まで信じていた歴史が正史と「異なった」時、我々はその歴史を、理解した上で、これは正史ではないのだと「去って」しまうのではないだろうか?
放棄された世界は思考の放棄だと思う。
正しいことを考えることを放棄して、けれどそれでも愛して抱え続けてしまう執着の矛先。
だとすれば「異去」は、きちんと考え、理解し、納得したその上で静かに去る、今までと結論が逆転してしまった世界になるのではないか。
……山姥切の逸話で考えるのであれば、
かつて自分は紛れもなく、山姥切長義の写しだからその号を写した山姥切国広なのだと信じていて、写しとして比べられる苦しみも、本歌が存在する喜びも、だからこそこの世に二つとない自分だけの本当の物語だと信じていた国広の想いは、どこへ行ってしまうのか?
戦うモノたちよ お前たちに名を与えよう
戦鬼
お前たちの乾いた肌では、
いとも容易く剥がれ落ちるだろう。何度も、何度も――
けれども繰り返し、繰り返し、
草木で布を染め抜くように重ねよ。(2024年1月16日、「異去」突入時キャプション)
……思うんですが、
現実には名前がついていない歴史的価値のあるものなんてたくさんあるわけですが、とうらぶの世界に関しては
名前があるものは「史実」
名前のないものは「創作」
という分類をしている気がします。
それが世界の原則なのか刀剣男士側の固定観念なのかは微妙なラインですが。
だからこそ認識が変わってこれは「史実ではない」とされれば、「名前を奪われる」のではないか?
それがある意味相手の存在を食らうことであり、国広が極修行であれほど動揺していた訳はそのまま進んで長義の逸話を完全に否定してしまえば、山姥切長義は永久に刀剣男士として「は」顕現できなくなる……という状況でのぎりぎりの選択だったのでは?
戦うモノは存在する。
しかし、それに名前はない。
敵が名前(物語)のない刀だというのは、対大侵寇防人作戦の三日月の台詞からも察せられます。
大侵寇其の43 『孤舟』
三日月「俺の名は三日月宗近。お前たちに物語を与えてやろう」
実際には物語のない刀の定義と言うのは割と難しいというか、号があろうとなかろうと物語はあるんですよ。物語があろうとなかろうと刀の価値には関係ないんですよ。
ただ、とうらぶはこれ「名前」=「物語」であり、名前を否定すれば物語を、物語を否定すれば名前を否定することになる図式ではないか。
しかし、名前(物語)を否定すればどうなるか、という説明は今まで特にない。
その答の一つが「異去」なのでは?
「異なり」「去った」世界に存在する「戦うモノ」こと「戦鬼」。
山姥切国広が極修行で自己認識を変化させたのだとすれば、それまでの認識は正史ではなかったとして否定しなければならないことになる。
ではその「かつて信じていた歴史」を語った世界はどこであり、かつて信じていた歴史からつくられた自分とは何なのか。
「山姥切長義の写しだからその号を写した山姥切国広」
という存在は修行から本丸に帰還する国広から分離して、名前のないモノに与えられた「戦鬼」なる仮名のモノとなってあの世界にいるのではないか……?
(というか舞台の鬼ってこれじゃないの?)
異去は改変された歴史とはまた違う。けれど正史ではなく、その反転した世界である。
許容できる範囲を逸脱して、正史と考えることはできなくなった世界。
だからこそあそこにいる敵は強力なのではないか。
今までそれを正史と信じて何度も出陣してその物語を重ね続けた自分たち自身なのだから。
お前たちの乾いた肌では、
いとも容易く剥がれ落ちるだろう。
正史は三日月の極修行手紙などで「大河」に例えられています。
「戦鬼」が正史からある意味で切り離された存在ならば、「乾いた肌」は大河の水を得られないということだと思われます。
そして異なり去った世界で見つかるものは今の刀剣男士を手入れ・維持するための資源ではなく「宝物」。
かつて信じていた、けれど去ることを決めた物語の中に忘れ去られた、大事な大事な宝の断片……。
その宝物を装備し、長く使い続けることで今度はそれに刀剣男士の名をつけることができる、というのが宝物のシステム。
う~~~~ん。
今のところ、「異去」という名前から考えられる「認識」の世界はこんな感じかなと。
これだと異去実装の引き金は三日月たち第二節の極の結果というよりは、第一節の極の結果の反転のような気もします。
特命調査が順番変えて復刻してるくらいですし、入れ子式の二分構成を延々と繰り返す構成のとうらぶ的には第一節と第二節もある意味セットで、第三節からまた大きく雰囲気が変わるんでしょうかね……?
火車切の繰り返す「地獄」とはなんなのだろうね。
異なり去った世界は、果たして「地獄」なのだろうか。
それが地獄だとしたら、どう足掻いても極で己の半身を捨てるしかなかった男士たちは最初から地獄の住民なのではないか。
火車は罪人を地獄へ運ぶ燃える車。
あるいは死体を奪い食らう猫の化け物。
誰が罪人で、誰が死体なのか。
これ以上考えるにはもうちょっと情報が欲しいかな……。
今回、鬼斬り刀の実装を予想していたところに思いがけず猫関連刀が来たことで、回想55「猫斬りと山姥切」の重要性がぐんと増したんですよね。
南泉と長義の組み合わせは所蔵元が一緒というだけじゃなく、あの組み合わせ自体がメタファー的に重要なんだな。
そしてもしかすると所蔵元あるいは伝来先が一緒という要素はこっちが思っている以上に重要なのかもしれない。
鬼斬り(山姥切国広)の対である鬼斬り(山姥切長義)の今すぐそばにいるのは猫という「現実」を斬った猫斬り(南泉一文字)の方であると。
国広の決して手に入れられない物語を、最初から南泉一文字は持っている。
というか回想は一見刀剣ごとにばらばらに見えて実はあれ全部続けて読むことで一つのシナリオになる話ではないのかと。
ついでに今回、猫絡み刀ということでシルエットが出た時点では北野天満宮の「猫丸」、つまり鬼切である髭切の相方が来るのではないかと短期的な予想をしたのですが実際に実装されたのが火車切だったので、このタイミングで実装されるのは鬼の相方じゃなく蛇の相方なんだなと。
舞台の構造が第一節前半で「鵺」を出して、第一節後半にあたるだろう「蛇」の物語である今、その「鵺」の説明をしている構造。
そしてそこから予測すると第二節は「鬼」の物語をやりながら「蛇」の説明をする構造でしょうから、原作のシナリオ構成と舞台のシナリオ構成はますます近づいたように思われます。
今回ちょっと一挙に情報増えすぎて書ききれなかった部分がありますが、特命調査と言葉遊びを中心にした考察ということでこの辺にしておきます。
――文久土佐は「火」の物語。
原作ゲームではここで「刀の本能」の話をしている。
歴史を守るという刀の本能。
時間遡行軍は、その本能が「燃えて」しまったからこそ歴史を改変しようとするのではないか?
舞台の第一作目は「燃ゆる本能寺」。
本能が燃えて、歴史を守るという想いを抱けなくなるところから物語は始まり、慈伝を経て突入した第二部一作目とも言える維伝で再び文久土佐、「刀の本能」と「火」の話を繰り返す。
物語はすべて「火」から始まる。
刀の本能、歴史を守る想いすら燃やしてしまう「炎」から……。
かも、しれない。