特命調査考――構造編――

背負う物語のずれ込み要素から考える特命調査の進捗展開

いつも通り今までの考察と関係あります。
今回はどの記事を押さえとくべきかと言われると難しい。
これまでの話から漠然と原作ゲームの構造を派生作品の構成から読み取った情報のフィードバックで穴埋めしていきたい話。

1.ずれこむ逸話と転生後

禺伝まだ見てないのに適当言うけど(はよ見ろや)、あの話確か男士と持ってる逸話が違う云々言われてなかったっけ?

ここ最近ミュージカル側の理屈をフィードバックした思考実験で「静かの海のパライソ」の理屈が山姥切の研究史とかの理解に最適だなって結論したんだけど、これも同じではないかと思う。

パライソは元々天草四郎だった少年が予期せず殺されてしまった結果、代役である刀剣男士が立てた歴史の末、もとは弟を守り抜いて死んだ名もなき少年の死体が最終的に天草四郎扱いされる話。となるとこの世界の次は、普通に考えると天草四郎と名もなき少年の立場が逆転すると思われる。

その時点で天草四郎も、そして名もなき少年も本物と偽物という二つに分裂してしまうわけで。
しかしじゃあその偽物は本当に価値がないのかというと、むしろそのターンは元名もなき少年が本物の天草四郎としての義務を全部こなしているわけだから、一見偽物に見える来世の代役は本質的には偽物ではない。

これの何が重要かというと、刀剣男士の側から結果を捉えた場合「歴史を守った結果、人物の立場を逆転させ、両者の物語が入り混じった状態で円環を重ねる」という構図になるのではないか。

パライソその後を考えたら、次はどう考えてもこの「本人と背負う物語のずれ込み」が起きるとしか思えない。

この「背負う物語のずれ込み」について考えた結果、禺伝ってもしかしてそうなんじゃね? と。
あの話、綺伝の次だから放棄された世界でガラシャ様を斬った結果、転生後ガラシャ様は物語世界に出陣する歌仙なのでは? と。

一見異様な状況に見えて、実は正しく慶長熊本を攻略した当然の結果なのでは?

歴史を守るとはどういうことで、我々は出陣先で何をしてどういう結果になるのか。

プレイヤー目線ではずっと隠されているように見えるこの件、実際には輪廻という仏教世界観のナチュラル円環の中で誰がどう転生しているかを考えると、ひそかにしっかり理屈として説明されているのでは?

これを一番身近な問題として捉えやすいのが山姥切の研究史だと言う先日の考察なわけですが。

元の天草四郎もとい国広が一時期焼失扱いになったからこそ、本歌の長義が山姥切だという説が現れる。

失われたものを埋めるための行為で二者の立場は逆転するが、完全に元の歴史と切り離されたわけではなく、

元の物語の影響を受けてお互いの要素が入り混じったまま物語として一時の役目を終えては、再度状況を変えて繰り返す。
過程だけ抜き出すと本来Aのはずの物語をBが一部背負っている状況は不自然に見えても、その前の状況から確認していけば当然の結果でしかなく、正しい答に向かって進んでいると思われる。

刀剣男士の戦いが円環を繰り返す理由がこれじゃないだろうか。

歴史を守った(敵を斬った)結果、次の歴史で要素が入り混じる。
それもまた正しくないから敵を斬る(歴史を守る)。

この繰り返しで、いつか一番最初の構図になるまでぐるぐる回り続ける。

……ついでにこの理屈、原作の特命調査の聚楽第から文久土佐への流れと同じじゃないの?

北条氏政が逃げるのは、派生の敵である人間がただ「生きたい」と言っているのと同じ意味で。
最初は生存優先。それが叶わなかった結果、転生先は「本物」と「偽物」が逆転した世界。
それがつまり文久土佐の龍馬。

舞台とミュージカルが顕著だけど、物語が描く表層ではなく根幹の理屈の方を追って行って、手持ちの刀剣の研究史の実態と合わせたら大体何が起きているのかわかるのかもしれない。

2.派生と原作ゲームのタイミング合わせ

話の区切りに関してまとめた後にふっと思い出したけど、原作ゲームで対大侵寇やってるあたりに舞台が「綺伝」でミュージカルが「江水散花雪」だったんだよね……。

で、ミュージカルに関してはこの次の「江おんすていじ」から脚本交替。
ここはやっぱり話の一つの区切りでいいんじゃないかなと。
朧が「綺伝」で退場したの妥当だったのか。

ところでそれを考えると次の舞台・ミュージカルの転機は対大侵寇相当の話で、これは早ければ今年中だと思われますが(大体一年に2作品と考えると)。

原作ゲームも今まさにターニングポイント入った感じで、特命調査の復刻も間隔的に多分10月がラストだし……。

え、その後やっぱなんかあるんだろうか?

回収されていない伏線として、こんちゃんが今年は鬼が出なかったとか言ってたのがあるので今年中になんかある気はするよね。

う~~~ん。

実装順のうだうだ推測何度目か。

今年すでに三振り実装。残りはおそらく7月10月年末の連隊戦辺りで三振り。

火車切を南泉対応とみていくと今年の残りは豊前→祢々さん→白山と表裏。

で、問題はその次が南海先生と肥前くん……つまり、その辺りから「文久土佐」のターンなのでは。

ここに対応する一番早い実装可能性って年始の鍛刀?
10周年記念鍛刀……あるとしたら誰になると思う?

ネームバリュー的には色々考えられるしクダ屋さんとかも待ち望んでいる人多そうだけど。
……ところで今年はこんちゃんが鬼が出ないとか謎のフラグを立てたようですが。

特命別順復刻に意味があるのかどうか、の意味がこれじゃないかと思うんだよ。
鬼絡みで年末になんかあって、それを超えて10周年周辺でなんかあるんじゃないの?

なんかって何さ。俺が知るか(ヤケ)。

派生の方の情報フィードバックすると特命はやっぱ大侵寇と繋がってる一つの物語だし。

正直後発審神者としてはプレイ前の実装キャラの順番とか普段は意識しないけど、今年原作ゲームのターニングポイントと派生作品二つの対大侵寇相当話が重なりそうってこと、それ以前の派生の構造も原作の動きと連動してるっぽいのを考えるとやっぱり気になってきます。

……すでに自分でも自分が書いた考察の詳細忘れて来たんですが、極と実装順が対応してるなら長義くんの極周辺で童子切来るんじゃないの?(メタファー鬼斬説)って一度結論したような。

今年の火車切辺りから実装順対応重視で見た感じ、実装順的には長義くんの裏は大慶だから外したかと思ったんだけど……。

極の方が来ないことと、今年舞台とミュージカルの転換点をやるだろう時期と復刻特命の終了時期(今年終盤)が多分重なるんじゃないの? って考えると鬼フラグのこともあるしやはり年末何かあると思われる。

その年末超えた先が10周年で、多分話の重要度の高い刀が実装されるだろうというストレートな予想がまず一つ。

そして、祢々さんはともかく豊前は長義とは全然別属性のキャラだと思ってたら、ミュージカルや富田追加で増えた回想によると、明確に「化け物」のメタファーなのよね。

つまり、長義くん周りもともと似たようなテーマの刀で固まってない?

不明部分も多いけど豊前のメタファーが「化け物」ってのは情報としてでかい。

そうなってくるとメタファーの予想は点より線で見るべき気がしてきた。

長義くん単体というより、長義くんを含む「化け物斬り・化け物」関連メタファーがどういう構造とシナリオを描いているかという線で見るべきかと。
つまりその部分のメタファーの配置こそが「聚楽第」という物語の本質。

そしてその場合、長義周辺、言い換えれば聚楽第周辺実装キャラの次のタームは当然、「文久土佐」周辺実装キャラからになるわけで、その南海先生と10周年が下手すればぶつかる可能性があるわけで……。

もしも10周年記念鍛刀が童子切だとしたら、その実装と物語のターム的に「聚楽第」から「文久土佐」のタームが移るタイミング及び、長義くんの極やはり重なるのではないか? と思います。

あるいは国広の物語から、むっちゃんの物語へ。

いや正直長義くんの極は早ければ早いほど嬉しいので本音としては来月にでもすぐ来てほしいところですが。

しかし9周年配信を見た感じ、9周年がまだ来る前から10周年の予定を発表しちゃうのがとうらぶ運営だという真理を理解したので、こちらの心理なぞ知りはしないと年末合わせでそこまで極を引っ張られるのが普通にありそうで。

こうして何度もうだうだ言っていますが、やっぱりちょっと今年の動き見終わってから色々本気で考え始めたい。

長義くん極がどのタイミングで来るかが鍵だと思います。

来月辺りなら大慶合わせ(実装順踏襲重視)、
10、11月とか年末なら展開合わせ(特命復刻終了)、

その間だとまた別の視点からの整理が必要で、次に豊前辺りが続くか他の要素(縁刀実装とか)合わせとかも気になる。

ここ半年ぐらいで追加された回想の内容は派生と明確に連動してきてると思うんだけど(とくに影関連)、極修行手紙はその刀自身の来歴とキャラ性を勘案した上でギミックとの相関性を整理する必要があるから考察の難易度が高い。

考察の中核にしやすいのはやっぱ長義くんなので、長義くんの極来てからが話の本番だよなぁと。

思えば第2節の開幕は「天下は夢か」の稲葉から。

江と天下の話はつい最近も富田追加でやっていたけど、この「天下」のメタファーとして、稲葉の裏として最後の天下五剣来てもおかしくないのかとは思います。

とすると今は第2節の4分の2(前半の後半)の途中辺り?  もう後半に入ったと思ったけど、10周年から後半戦開始かなぁ?

原作ゲームが今どこら辺かの判断にまたちょっと修正を入れなければならない気がしますが、とりあえず派生が案外きちんとどれもこれも対応していることはどんどん明確になってきましたので、今年の動き次第でここの構造にやはり決着がつけられそうです。

3.「北」と逃げるものたち

派生(おもに花丸)の構成をフィードバックした構造整理の結果から、特命調査はおそらく前半3つと後半2つ+大侵寇の組み合わせで区切るのが第一節の解釈としては正しいと考えられます。

第一節後半前半

1.聚楽第
2.文久土佐
3.天保江戸

第一節後半後半

1.慶長熊本
2.慶応甲府
3.大侵寇

後半前半と後半後半のややこしさはともかく、注目すべきは同じ数字を振った話の内容が似通っていることです。

聚楽第と慶長熊本。
文久土佐と慶応甲府。

一番わかりやすいのが真ん中の「文久土佐」と「慶応甲府」の比較で、これは言葉遊び関係の考察(偽物考)で触れた通り、「偽物」は言葉遊び的に分解すると「人の為の物」、紛い物は「糸から分かたれし物」と、それぞれの敵の性質がはっきりしていることです。

次に考えたいのが「聚楽第」と「慶長熊本」です。

これは今になってよく考えると、どちらも「逃亡幇助」の話だなと思います。

「慶長熊本」に関しては、地蔵くんが放棄された世界の核であるガラシャ様を明らかに逃がそうとしている話です。

そして「聚楽第」は現時点で5つの特命調査の中で最も情報が少なく考察難易度が高いのですが、割と最初から敵が「遡行軍死守部隊」「遡行軍時間稼ぎ大隊」「ゾーリンゲン友邦団」であり、冒頭で存在を示された「北条氏政」らしき敵に実際には会えなかったことから、「ゾーリンゲンが氏政を逃がした」話だと言われていました。

今までドイツの刃物メーカーであるゾーリンゲンにばかり着目してしまいましたが、派生作品から吸い上げたメタファーの重要性としては、「友邦団」つまり「友」であることを重視したほうがわかりやすそうです。

ミュージカルの三日月は、歴史の敗者として死すべき人物をちょこちょこ表舞台で死んだことにしたまま逃がす歴史改竄行動を取っていて、その時に自分を「友」と名乗っています。

とうらぶにおける「友」のメタファーの最も重要な性質がおそらくこれなのだと思います。

生かすための「逃亡幇助」。

「聚楽第」のあらすじはやはり先人の考察通り、友(ゾーリンゲン友邦団)が「北条氏政」(放棄された世界の核)を逃がしたと見ていいと思われます。

その理由に我々はドイツと後北条氏が組むなんて一体どんな意図が……!? と政治的要因ばかりを想定してきましたが、ミュージカルが強調する「友」のメタファーを重視するなら、理由は「ただ生きていて欲しかったから」のようです。

死んでほしくないから、ただ生きていてほしいから、放棄された世界はどこにもいけない行き止まりなのだと知りながら、必死で逃げ惑う。助けるために。ただ友として。

このようにメタファーから整理すれば、「聚楽第」と「慶長熊本」の骨格は相手を生かすために逃がすものの話としてまったく同じと言えます。

違うのは、相手の立場や関係性を明確にしていないことです。

細川家と明智家に縁深い地蔵行平は、細川ガラシャを救うために行動していることが明らかです。

聚楽第の方は敵の正体や目的が判然としませんが、今までのパターンからすると素直に派生のメタファーの扱いに沿った方が良さそうです。

ここで派生側の特筆すべき描写を挙げると、舞台版「慶長熊本」である「綺伝」と同じタイミングで公開されたミュージカルの「江水散花雪」の南泉関連があります。

「逃げるにゃ 逃げて逃げて逃げまくるにゃ」
「澱んでも濁ってもないどっか綺麗なところに」

時の政府が放棄を決定して今まさに閉じられようとする江戸で、南泉はその世界で親しくなった井伊直弼を最後まで助けようとして苦悩します。

井伊直弼は正気を失って刀剣男士たちに襲い来る「もの」と成り果てますが、その井伊直弼に小竜や肥前が刀を向けようとしたら止めるくらいに、南泉は井伊直弼を救おうとします。

いや、小竜くんと南泉の配置逆じゃね???(江水最大のツッコミどころ)

小竜景光
……井伊家に縁のある刀、実際にはその兄の刀のようだが、井伊直弼の刀と言われることもある。

南泉一文字
……安政の大獄で隠居謹慎を命じられた第14・17代尾張徳川家当主の息子(第16代当主)の差料、つまり井伊直弼は本来の史実では元主の父親の敵。

南泉と井伊直弼は本来敵同士という関係性です。
小竜くんにとっては井伊直弼は元主といって差し支えありません。
ついでに山姥切国広も事実誤認の方の逸話をとると井伊家関連の刀になります。

ここもやはりこれまでの派生考察でさんざん見てきた通り、敵対する側と守る側が本来の立場と逆になっています。

また、「江水散花雪」では南泉は偽名として「猫丸」と呼ばれていますが、それは南泉と同じように「猫斬り」の名を持つ「別の刀」の名前です。

名前と背負う物語のずれ込みがやはりここでも起こっています。

こうして見ると、「綺伝」「江水散花雪」という同じタイミングの話でどちらも放棄された世界の核を刀剣男士が逃がそうとしている話をやっていると言えます。

ミュージカルでは「友」はもともと歴史で悲しい役目を背負わされたと三日月が認識する人物たちの逃亡を幇助する時の名乗りでした。

メタファーで見ていくと、「友」こと「ゾーリンゲン友邦団」が「北条氏政」を逃がす「聚楽第」と、地蔵行平が細川ガラシャを逃がす「慶長熊本」はやはり同じ話のような気がします。

愛・友愛故に放棄された世界の核となっている人物を逃がそうとするその存在の姿や意義がまだ我々に理解できなかった話が「聚楽第」で、それが見えたのが「慶長熊本」だったというだけのことではないでしょうかね。

そして「友」について考える時重要になるのが「天保江戸」で登場した水心子をはじめとする江戸三作の関係性です。

元は水心子と清麿の二振りだけだった江戸三作も原作ゲームで大慶が追加されたことで「友」のメタファーの解釈が進みました。

同じように「友」を名乗りながら、清麿と大慶は別の選択をする。

相手を生かすものは「水心子」という「理想」か、それとも「正秀」という「素顔」か。

ひとつのものの二面性の話であるというのは以前の考察でやったのでとばしますが、結局「友」のメタファーに関しては江戸三作の関係性を想定して重ねるのが基本かもしれません。

「聚楽第」は正直状況を繋ぎ合わせるパーツが足りなくて、そもそも「北条氏政」が「聚楽第」にいる理由がまずわかりません。

1.秀吉と和解して一緒に住んでるよ説
2.秀吉をぶっ殺して聚楽第を奪ったよ説

原作ゲームオンリー考察だと個人的には2の方が可能性高いんじゃないか? と思っていたんですが、派生特にミュージカルの「友」絡みのメタファーを考慮すると1かなと。

ちなみに今のところこれに関して、花丸の場合はすでに1で確定しています。
雪の巻で「北条氏政」が聚楽第にいたことに関して本当は秀吉と敵対していたはずなのに……という振りで話しているので、花丸は上の理由1で確定です。

ただ、花丸に関しては特命調査の内容まで描かれた文久土佐が明確に舞台の維伝と全然違ったことから、この設定が全派生に共通すると断定するのは早計だと考えます。

むしろとうらぶの話作りから考えると固定で共通する最重要要素は「メタファーのみ」と捉え、同じお題でも適宜中身を話とタイミングによって調整している節がありますので、ここの判断は慎重にしたいと思います。

場合によっては、第一節では氏政と秀吉の融和路線だけど、その後同じメタファーで全然別の話をやる可能性すらあります。

今はとりあえず「友」のメタファーを重視してミュージカルの情報を取り入れて一度考えますが、そうすると「聚楽第」のストーリーはもしかしたらそれこそ「江水散花雪」のようなものかもしれません。

北条氏がこの時期(天正頃)までにドイツと関わっている可能性、北条氏政が豊臣秀吉と会っているかどうかの2点は原作ゲーム考察の方で簡単に結論を出していますが、おそらくどちらも「ない」が正しいと思います。

しかし、史実では顔を合わせることのなかった井伊直弼と吉田松陰の出会いと、それ故に放棄された世界への変節を描いたのが「江水散花雪」であり、具体的にそういう前提や構造の派生作品が提示された以上、原作ゲームの「聚楽第」もそういう話でもおかしくないと思います。

つまり「聚楽第」の逃亡した「北条氏政」はあの世界で本来史実ではおそらく会ったことのない豊臣秀吉と出会い、どこからか現れたゾーリンゲンとも友好を築いたからこそ、ゾーリンゲンに守られて逃がされた存在という可能性があると。

放棄された世界の住人の、ただ生きたいという願いの話は派生作品だと散々されています。

そして原作慶長熊本の地蔵くんや「江水散花雪」の南泉のように、彼らを逃がそうとする側も、本当にただ生かしたいだけなのだと。

こういう点から考えると、放棄された世界の核を逃がそうとする存在の名前が地蔵や南泉のように見えているか、ゾーリンゲンのように見えずにメタファーだけが存在するかの違いで、「聚楽第」と「慶長熊本」の話の内容は同じですね。

ついでに「聚楽第」関連でもう一つ注目したいのは、「北」の字の意味です。

サーチエンジンが何故か「北げる」はなんと読むのでしょう? とか漢字クイズを仕掛けてくるので知ったのですが、「北げる(にげる)」で、「北」には「逃げる」の意味があるそうです。

「敗北」と言う言葉に「北」という字がつくのは、だからなのだと。

メタファー「北」の意味は「逃げる」。

となると、「聚楽第」の「北条氏政」が逃げたのも言葉遊び・メタファー通りの動きと考えられます。

ミュージカルだと「結びの響き、始まりの音」で榎本武揚が北へ北へと歌っているのもこれでは?

「結びの響き、始まりの音」は舞台で言えば「慈伝」と同じタイミングで、結局どちらも同じく「聚楽第」をやらずに「聚楽第」の物語の本質を描いた話なのではないでしょうか。

舞台は特命調査の本題、長義と国広の関係を主軸に。
ミュージカルはメタファーの本質、北の逃亡や名を得るために命を捨てる、それが大切な出会いだという真理を。

まとめると、特命調査の内容そのものやメタファー、派生的に同じタイミングで「逃げる」ことの重要性に着目すべき、みたいな感じです。

メタファー「北(逃げる)」は覚えておいた方がいいと思われます。

4.裏側の話

聚楽第復刻タイミングで実装されそうな男士とありそうな回想の関係について考えてようと思ったのですが。

……もしかして国広周りで一番回想が増えそうなタイミングって長義くんの極だろうからあいつ普通に関連刀実装とばされる側じゃね?

という、クソつまらない結果になりました。誰か根拠と共にもっと面白い予想出して……。

長義刀も国広刀も面白い刀いっぱいあるんじゃが……。

……でも長義くんはそれこそごっちんと回想したし、国広は古参キャラだから長義くん以外にも山伏ソハヤ南泉とあるから回想56、57を合わせて一つと数えても4だし増えなくてもおかしくないんだよな本当に……。

むしろ蜂須賀なんて特命調査一切関係なしに石田くんと回想あって今回なかったよ。その代わり水心子くんはここ半年で孫六と大慶と回想したよ。肥前君と南海先生もそれぞれ孫六と大慶とあったよ。

始まりの五振りの方はあまり最近の流れと回想の追加は直接的には関係ない。

御前水心子肥前長義地蔵南海清麿……政府刀の方はあと一振り古今さん関連来れば回想追加コンプリート。

……やっぱ国広とばして慶長熊本で細川関連刀追加で古今さんの回想じゃね?

もういっそ細川忠興に関係ある徳美の刀とか来ませんかね?(願望)

それはさておき。

残り二つの特命調査、「聚楽第」が先なら時期的に7月で縁刀鍛刀ではなく連隊戦の方に来る可能性があります。

ただ、連隊戦の刀が笹貫がフラグ立ててる「凝り固まった」奴なら笹貫・治金丸の回想118のように琉球関連で回想が増える可能性があって。

そうすると、琉球三宝はもともと「影」にまつわる回想が連続している上に、「影」に関しては特に舞台の敵として「山姥切国広の影」が存在することを考えると、次が「聚楽第」なら、舞台の敵が「影」であることがもともとふたつの山姥切・琉球三宝の話題であったという構図が強まります。

一方、「慶長熊本」は「慶長熊本」で「鬼と蛇」が「綺伝」でかなり強調されていたうえに、最近は小烏丸の修行手紙や大慶と地蔵くんの会話でも出ていた言葉なので、この辺りに関わってきます。

どちらが来るかは読めない。今のところ私の手持ちには決め手となりそうな情報がないですね。

「影」について富田江が、「鬼と蛇」については大慶が話題に出しているので本当にどちらが来てもおかしくない。

上で整理した通り、「聚楽第」も「慶長熊本」も「逃亡幇助」の物語だなというテーマの共通性は感じますが。

こんちゃんの鬼フラグを考えると、テーマ的には「逃亡幇助」「逃亡幇助」と2回続いてからその締めとして「鬼の話」が来る構造か。ううむ……。

別の可能性として、そもそも鬼の話が年末じゃなく真夏の7月に特命調査じゃなくいきなり鬼退治やろうぜ! とかになる可能性も考えてみます?

ううううん。いやどうだろうなこれ。派生の展開との連動的にはやっぱ年末乗り越えて10周年で盛り上げる方向じゃないかなー。

「天保江戸」にまつわるキャラである大慶が長義くんの裏側。

この構図はそれだけじゃなく、「天保江戸」のテーマと「聚楽第」のテーマ自体も表裏になっているような気がします。

あれも表裏これも表裏で結局どれが表裏なんだよ!? って感じになってきましたが、どれもこれも見方によっては表裏だよ! としかいいようがない状況に。
清麿も大慶も共に水心子くんの「友」であるために、ある意味水心子と正反対の裏だし、同じことは長義を巡る国広とごっちんにも言える。
どちらも対。故にどちらも逆。そのつながりはどちらの方が強いとも言い難い。

何か一つを起点にして考えようにも、それと対になる「逆」の性質は二つ以上ある。

「悲しみ」の反対は「怒り」。
「悲しみ」の反対は「慶び」。

舞台が国広中心・影や鬼要素の強い話であり、ミュージカルが「友」を名乗る三日月中心で江と水心子という水にまつわる男士の要素が強いということ自体が、このテーマの表裏感を感じさせる……。

「天保江戸」は自分たちのためにも歴史を守るべきだと進む蜂須賀たちの話。
一方「聚楽第」がはっきりとは見せなかった裏側は、その真逆、相手のためなら己を犠牲にして歴史を変えるという物語だったのか?

それとも「天保江戸」も「聚楽第」も話の中心となる刀剣男士と敵の動きはやはり同じなのか。

「聚楽第」は敵の全貌が見えない。
そして、「山姥切」の二振りに関してもいまいち全貌が見えにくい刀剣男士という意味で敵と味方は同じなのか?

氏政様が聚楽第に住んでいるという状況が示すものは、長義・国広の逸話の混在状況の比喩そのものか?

もともと「天保江戸」は倒すべき敵が水野忠邦で報酬の政府刀が水心子に清麿という全部「水」状態なのが引っかかっていましたが……。

花丸の雪の巻などを見ると、敵と味方はそっくりそのまま同じことをしているような気がします。「生まれる前に殺す」と。

花丸は安定が長義くんを拒絶ということである意味最悪の同士討ちを一見そうとは見えぬコミカルさで描いていますが、この表裏がどこのベクトルで働いているのかは気にかかるところ。

仮説

1.敵と味方は完全に同じ行動を取っている(花丸「雪の巻」がそう見える)
2.敵と味方は完全に逆の行動を取っている(ミュージカルはどちらかと言えばこれ?)
3.敵と味方は別々のタイミングで同じ行動を取る(舞台がそう見える)

花丸の敵はあの本丸の男士の行動そのものに見える。
だから突き詰めてしまえば、私はいつも「花丸本丸は完全に時間遡行軍にしか見えない」という意見になる。

ミュージカルは敵と味方が全然違う行動を取っているように見える。
この性質、みんな何かが欠けているという「結びの響き、始まりの音」の巴ちゃんの感想と繋がるのかどうか。

また、舞台に関しては「天伝」で諸説に逃げるという弥助の願いを国広が退けた時点でいやお前も極修行で同じことやってんじゃん! となったのでこちらは完全に時間差で同じことをするものたちの話だろうなと。

肝心の原作ゲームがどうなのかを出したい。

一番シンプルな構造は前に並べた「ABBAAB BAABBA」の無限の踏襲円環だと思うんですよね。

A聚楽第   B慶応甲府
B文久土佐  A文久土佐
B天保江戸  A天保江戸
A慶長熊本  B
A慶応甲府  B
B大侵寇   A

「聚楽第」と「慶長熊本」はどちらが先かまだ不明だけど同質のものが連続するBBに入ると考えられます。

これで見ると、一見2回目3回目という順番が変わっていないように見える「文久土佐」や「天保江戸」も含めて全部の特命調査がきっちり最初の特命調査とAB二種の属性が逆転してるんですね……。今気づいたわ。

長義くんと大慶が表裏の関係で、舞台は長義(国広)寄り、ミュージカルは水心子も江も重要だと考えると、「天保江戸」復刻のタイミングで富田江と大慶直胤の二振りが実装されたことはやっぱり関連付けて考えるべきだと思います。

つまり富田と大慶の組み合わせが「天保江戸」の裏側、二振りの登場する回想全部関わる可能性がある。

そうなってくると「文久土佐」と「慶応甲府」はどうなるって話なんですが、その辺りまで遡ると孫六と火車切の間でどっちの特命調査とも関係ない時期に来たごっちんをどう判断する? っていう話が。

ごっちんはそれこそ姫鶴との回想140で人に倣い人に習う模倣要素に触れていますから、実際に「紛い物」の話である「慶応甲府」と「偽物」の話である「文久土佐」の間の存在である感じはすごくする。

それに、この間の話だと小烏丸と大典太さんの極にも触れないといけない。

難しいのは火車切かなーと。張番の概念や暗闇に云々がわからない。

特命調査と完全同時なのは孫六辺りからの話になりますが、それ以前もフラグだよ状態だと更にその前の情報が必要になりますが京極・実休辺りも結構難しい。

今からそこの難しいメタファーに頭を悩ませるぐらいなら、やっぱ次の特命調査来てからでいいかねこれ。

この文章をまとめているうちに、気づけば明後日くらいにはもう来月の予定が出るころになってしまいました。
来月は極が来るのか? 来ないのか? 特命調査は次7月で予想しているけれど実際のところはどうなるのか?

今までの考察が1回1回長すぎたんでこれからはこのぐらいのボリュームでのんびりやろうかなと。
(この記事はほとんどTwitterで先に書いたネタをまとめたものです)
と、いうわけで次は来月の予定表見てからの話ですね。