おおちどりじゅうもんじやり
概要
調査挫折
真田幸村の槍が「大千鳥十文字槍」と示す根拠として提示できそうな文献資料は未確認。
一つも発見できなかった。
すなわち私個人としては「大千鳥十文字槍」という「名称」の「物語はない」。という調査結果。
もう素直にギブアップしてあとはガチ勢にお任せしよう……。
「真田庵宝物資料館」の「槍の穂先」
九度山の「真田庵宝物資料館」に所蔵されている「槍の穂先」を、「大千鳥十文字槍」として紹介するサイトやWEB記事はいくつか存在する。
しかし、ネット上で見られる写真を見ても、その槍の形は別に大千鳥十文字槍というか、千鳥十文字槍ではないようだ。
実際に「真田庵宝物資料館」に見に行ったわけではないので断言はできないが、少なくとも検索して出てくる写真は枝の下に突起がない。
審神者の先行研究を検索 困惑する先輩審神者たち
ネット検索すると副産物として、当然審神者の研究も引っかかる。
しかしそうしてすでに真田の槍について調べていた先輩審神者たちの調査結果も「大千鳥十文字槍」という名称が書かれた文献史料どころか資料すら見つからない。というものだった。
先輩審神者たちは大千鳥というより真田幸村が「十文字槍」を使っていた資料や江戸時代の幸村を主人公とした「講談」(『難波戦記』)辺りをしっかり調べたうえで「大千鳥という名前に関しては近年の創作では?」という意見を挙げている。
正直私も「大千鳥」に関しては近年の創作または俗説、誤伝ではないかと思う。
真田幸村の槍に関しては、「大千鳥十文字槍」と紹介しながら別の形の槍を紹介しているWEB記事はかなり多い。
近年の創作物の映像物・立体物でも同じように前項の九度山の「真田庵宝物資料館」と同じ形の槍を幸村に持たせているものが多く見受けられる。
その場合は単に十文字槍と説明されている場合が多いようだ。
一方、「大千鳥十文字槍」を名言してその通り大千鳥十文字槍を示している立体物代表は「模造刀」の販売ページくらいで、真田幸村の大千鳥十文字槍だと説明している。
だが、何を参考に製作しているのかはわからない。
商品説明に「伝承通り」とか書いてあるけど一体どこの伝承を参照したんだ教えてくれ模造刀販売サイト……!
真田幸村の十文字槍
真田幸村が「十文字槍」を使っていたという記録自体はちょこちょこ散見される。
一つは「大坂夏の陣図屏風」。
検索すればどのあたりに真田幸村がいるのか拡大・解説したサイトが出てくるのでそちらで確認してもらいたいが、視覚的にこれは一応「十文字槍」を持っている絵だなということがわかるのではないかと思う。いや鎌の片側隠れちゃってる気もしないでもないが、一応。この白い線が刀なら幸村が持ってるこれは十文字槍ではある。多分。(胡乱)
「大坂夏の陣図屏風」の成立は、その描写が生々しいことから陣後間もなくの製作だとされているらしい。
つまりこの絵に真田幸村が十文字槍を持った姿で描かれているということは、幸村の武器が十文字槍だという話自体は当時から言われていたのだと思われる。
十文字槍は普通の刀に比べればぱっと見で特徴がわかりやすい。
ただし、そうした視覚的な情報からではもちろん、刀工などの明確な分析は得られない。
おそらく同時代の人間の視点では、幸村は単に十文字槍を使っていたとの認識だったのではないだろうか。
更に、真田幸村の槍が「十文字槍」であったという文献の一つは、「本多家記録」だという。
『大日本史料 第12編之19』
著者:東京大学史料編纂所 編 発行年:1917年(大正6) 出版者:東京大学
目次:其六本田忠政竝二其組
ページ数:182 コマ数:113
眞田幸村十文字の鎗を以、大御所抜目掛け戦はんと心懸たり、大御所とても不叶と思召、植松の方へ引退き給ふ、眞田も是より行方知とになりたりとなん、
(一応読んでみたんですが変体仮名らしき字の解読に自信がありません。ご自分で原文もご覧ください)
1615年、大坂夏の陣の真田幸村の様子について説明されているのだが、そもそも真田「幸村」の名前の初出がこれより後の『難波戦記』だと言われているので、この資料の制作時期自体はそれより後になる。
ただ1917年にまとめられた資料で「十文字槍」と明記されているということは、それ以後の研究にしろ創作にしろ、この時期の資料は影響を与えている可能性がある。
ついでに後で調べる人のために、私がこの情報に至った経路にも触れておく。
情報源の一つは審神者の先行研究。図書館のレファレンスサービスを使って調べてもらったらしいので精度は高いと考えられる。
ただし当然この研究は刀剣男士の大千鳥登場後の調査なので2021年より後の情報になる。
もっと早くこの情報に至るための参考文献は刀剣関係の概説書である。
『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第8章 神代の剣・槍・薙刀ほか 真田幸村の十文字槍
ページ数:200
この本に上記の「本多家記録」の説明も出てくるのだが、表記が「本田家記録」になっている。普通に「本多家記録」が正しいのではないだろうか。
百歩譲ってまぁ誤字の一つや二つ些細なことと流すとしても、この『物語で読む日本の刀剣150』は結構突っ込みどころの多い本で、他の刀剣のページではかなり間違ったことも書いてあったりする。
つまりこの本のライターの調査能力が特別高いとは思えないため、何か参照した書籍があるはずである。
参考文献一覧を付記した本なので総当たりすればおそらくそちらは判明する。
この本の発行年からしても、2015年辺りまでは真田幸村に関しては「十文字槍」という情報しかないようだ。
幸村関係の文献を漁って作ったというフィギュアなどを見ても持っている槍は大千鳥ではない十文字槍、「真田庵宝物資料館」の「槍の穂先」辺りを参照にして作っているものと思われる。
真田幸村の朱槍
児童文学だがこの小説だと真田幸村は「朱塗の長槍」を使っていたとある。
大正時代にはすでに朱槍だという話はあったらしい。
『日本英雄物語』
著者:児玉花外 発行年:1913年(大正3) 出版者:中央書院
目次:稲妻の勇将真田幸村
ページ数:182 コマ数:99
真田幸村(信繁)と軍記や講談
真田幸村はそもそも「幸村」というこの名の出典が軍記物『難波戦記』(1672年)とされている。
真田信繁という人物は、その存在自体が江戸時代に「真田幸村」の名を使用した軍記や講談を通じて広まった。
しかしその物語の中における真田幸村像が、史実の真田信繁と一致するかどうかは定かではないと言える。
刀剣研究の方だと、真田幸村の刀として「泛塵」や「村正」、「正宗」などに関するエピソードは見かけるが、槍についての話は見かけない。
余談だが、上記で紹介した『大日本史料. 第12編之19』には「本多家記録」のほかにも真田幸村に関する史料の抜出がまとめられている。幸村自身のエピソードを確認したければこれが参考になるかもしれない。
調査所感
上の調査の流れを一言でまとめると最初の結論に返って、つまりちゃんとした文献に「大千鳥十文字槍」の名前が出てくることはない。なんだこれ。
真田幸村が十文字槍を使っていたという記録自体は史実と言っていいかどうかはともかく、「大坂夏の陣図屏風」に見られるようにかなり古く、おそらく当時からあったのだと思われる。
しかしその「十文字槍」が「大千鳥」であった記録がない。
それどころか現代、今現在真田幸村関連のページを見ても、十文字槍の画像はイラスト、ゲーム、模造刀、ドラマの一場面紹介等でかなり色々な種類が混在している。
と、いうことはつまり、真田幸村の槍が大千鳥十文字槍であったという話はここ最近真田幸村が話題になったためにどこかの誰かが創作・装飾・あるいは誤伝を生んでしまったものが広まったと言えるのではないだろうか。
情報はどこかに存在していたとしても、それが人口に膾炙するためには切っ掛けとなるものが必要である。
その切っ掛け、出典がわからん。
\(^o^)/
気になるのはやはり模造刀販売サイトの商品紹介の文言、「伝承通り」。
いったい何の伝承を基にしたのか、そもそもその伝承通りの部分が大千鳥という特徴にかかっているのかもわからない(文脈からすると微妙だった)。
ネット検索時点でもうちょっと年代を絞れないかと思って電子書籍ストアで幸村関係の本の表紙や概要をざっと眺めてみた。
真田幸村はどうやらちびっこに大人気らしく、児童書がかなり出ている。
そのやたらとイケメンな幸村の持っている槍が、2015年辺りまでに発行されている本だと普通の十文字槍なのだが、2018年以降からなんとなく左右に突き出た枝の部分の下に突起らしきものが描かれている感じの絵になっているような……。
ただこれ千鳥十文字槍か? と言われると微妙なんだが……。
この点を踏まえると、2015~2018年くらいまでに発行された真田幸村関係の本辺りが出典ではないかと思われる……。
上でさんざん「大千鳥十文字槍」の物語がないと言ったのを確認したところで、刀剣乱舞内の大千鳥十文字槍のキャラクター造形に戻ると、101『同類異形』という回想が巴形薙刀・静型薙刀との間にある。つまり。
“巴形薙刀「槍よ、お前も物語を持たぬようだな」”
おそらく「大千鳥十文字槍」は「物語がない」という調査結果で正しいのだと考えられる。
真田幸村の槍は「十文字槍」である。
ここまでは正しく、「大坂夏の陣図屏風」が描かれた当時から伝えられている。
しかし「大千鳥十文字槍」という「名前」には歴史と言えるほどの物語はない。
刀剣男士の大千鳥十文字槍はむしろ真田幸村の「十文字槍」に関する逸話の集合体に、近年生まれた「大千鳥十文字槍」の名を冠した存在なのだろうと考えられる。
千鳥十文字槍ならば刀剣の研究書にも記述があるが、「大」がつくことで真田幸村の十文字槍という特定の一振り対象の逸話として集約していると思われる。
大千鳥十文字槍が物語を持たないと巴形薙刀に言われているのは、真田幸村の槍が「大千鳥十文字槍」という名称を記す史料、保証する資料が何もないからだと思われる。
現存する槍の穂先が千鳥十文字槍ではなく、「大千鳥十文字槍」という名称が存在したことを保証する資料もないのであれば、それは物語自体が存在しないと言える。
さらに大千鳥十文字槍自身は薙刀二振りと違ってそうした自身の存在の在り方に自覚がないようだということは、他の男士の考察をする上でも重要な要件のような気がする。
大千鳥十文字槍は「語り種」という言葉を使うが、普通は「語り草」だろう。
つまり物語がない彼は、まだ草ではなく種の状態。
彼が物語として生い茂るのは、まさにこれからという存在なのだと考えられる。
参考にできるかもしれない文献
『大日本史料 第12編之19』
著者:東京大学史料編纂所 編 発行年:1917年(大正6) 出版者:東京大学
目次:其六本田忠政竝二其組
ページ数:182 コマ数:113
(上で紹介済。十文字槍に関する記述のみ、大千鳥十文字槍ではない)
また、軍記『難波戦記』や『真田三代記』などの物語も国立国会図書館デジタルコレクションで読める。
しかし大千鳥十文字槍の記述はない。と、思う(全部読んでないですすいません。戦闘シーンの記述だと単純に「槍」としか書かれていないような気がする)。
参考にできるかもしれない概説書
『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第8章 神代の剣・槍・薙刀ほか 真田幸村の十文字槍
ページ数:200
(上で紹介済。十文字槍に関する記述のみ、大千鳥十文字槍ではない)
物語としての判定は「ない」であっても、ネット上には大千鳥十文字槍という呼称が広がりつつあること、とうらぶで堂々とこの名を出してきたことを考えると、やはり普通の書籍の中にその名前で書かれたものが最低でも一冊はあると考えられる。
現時点では結局「大千鳥十文字槍」という特定の呼称にたどり着けなかったので調査は継続したいが、今後も見つかるかどうかはわからない……。