大典太光世

おおでんたみつよ

概要

「太刀 銘光世作(名物大典太) 附 革包太刀拵」

『享保名物帳』所載の太刀。平安時代の筑後の刀工・三池典太光世の作。
「大典太」の表記は資料によって「大伝太」、「大伝多」など表記が分かれる。
「大典太光世」は「三日月宗近」「鬼丸国綱」「童子切安綱」「数珠丸恒次」と同じく天下五剣の一つ。

号の由来は前田家の光世作の刀のうち長かった方だからという説と、「大」は優れたものへの敬称だという2説が出ている。

『享保名物帳』などによると、足利尊氏よりの伝来。
「大典太光世」は「二つ銘則宗」「鬼丸国綱」とともに、足利家三宝剣の一つだった。

15代将軍・足利義昭の時に豊臣秀吉に献上した。

秀吉所持時代には、伏見城での夜伽(肝試し)の談話などがある。

前田利家の時代に、前田利家の四女・豪姫の病気を治すため豊臣秀吉から拝借と返却を繰り返した。
三度目でついにもう返さなくて良いとなり、秀吉から前田利家が拝領した。

以後、前田家伝来。

前田家の名宝の中でも第一のものとして扱われていたらしく、前田家子女の守刀として扱われたこと、この刀を拭うとき本阿弥家は潔斎していたことなどの記録がある。

切れ味に関しても山田浅右衛門吉睦による試し切りの記録がある。

大典太光世の霊威により金沢城の宝蔵は鳥が止まらないので「鳥止まらずの庫」と呼ばれていたとも言われる。

1956年(昭和31)6月28日、重要文化財指定。
1957年(昭和32)2月19日、国宝(新国宝)指定。

この国宝指定の際でさえ、前田家側は国宝などとんでもないということで、審査側は重要文化財指定の際に短時間拝見したあとは翌年、写真だけで審議したという伝説がある。

現在も「前田育徳会」蔵。

号の由来

『日本刀大百科事典』によると、

加州前田家に、筑後国三池住伝太光世の作が、太刀二振りまたは太刀と刀と二振りがあって、そのうち長かった方を“大伝多”と呼んだ。

『刀剣談』では「寸が延びて居るから大傳多と唱へた」という。

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第四門 武将の愛刀 足利家の重代
ページ数:43、44 コマ数:46、47

大典太の「大」

この「大」に関しては他の研究者は別の意見を挙げている。

『大日本刀剣史』や『武将と名刀』では大典太の「大」は優れたものへの敬称だと見ている。

『大日本刀剣史 中卷』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:前田家の名宝と烏とまらずの庫
ページ数:498~501 コマ数:259、260

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:前田利家と大典太光世
ページ数:144~151 コマ数:77~80

足利尊氏伝来、足利義昭の時に豊臣秀吉に献上

『享保名物帳』『嘉良喜隨筆』『遠碧軒記』『享保通鑑』によると、

この大典太光世は足利尊氏よりの伝来で、“二つ銘則宗”“鬼丸国綱”とともに、足利家三宝剣の一つだったが、15代足利義昭の時に豊臣秀吉に献上した。

献上の時期については、『日本刀大百科事典』ではおそらく天正16年(1588)で、秀吉から一万石を与えられた返礼の献上だろうと推測されている。

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会 編
目次:(中) 同右 大傳多三池
ページ数:60、61 コマ数:33

『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:青江、恒次、左文字、三原、安綱の部
ページ数:203、204 コマ数:116、117

大傳多三池 長貳尺一寸七分 無代(在銘)

京都将軍家の御重代、尊氏公より十三代義輝公へ伝り、総て御秘蔵御重代の御太刀三振りの内なり、義昭公より秀吉公へ進せらる、一振は二つ銘、一振は鬼丸也、浮田中納言秀家卿御内室邪気の御煩あり、依之秀吉公より利家公御太刀を拝借し、枕元に差置ければ早速御快気に付、則ち返上成されけるに再発に付又た御借り、御快気の上暫く差置れ、弥御快きに付返上又々発す三度目に利家卿御拝領なり、其外前後に不思議しばしばあり右御病人は利家卿の御息女なり、利家卿の御代歟光甫に御申付鬼丸の如く楠造りに御拵出来。

『日本随筆大成 巻十一』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:嘉良喜隨筆
ページ数:247、248 コマ数:131、132

太傳太是ハ名乗ハ光世ト云。

『日本随筆大成 巻五』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:遠碧軒記分類抄目錄 上之三
ページ数:445 コマ数:230

又大傳太と申すは、傳太三池の光世が作、これは古肥前守殿に被下今にあり、

『未刊随筆百種 第17』(データ送信)
著者:三田村鳶魚 校[他] 発行年:1928年(昭和3) 出版者:米山堂
目次:享保通鑑
ページ数:63 コマ数:41

室町殿御重代三ッ銘大鶫多、同時に従義昭公秀吉公へ御渡なり、

伏見城での夜伽の談話

『日本刀大百科事典』によると、『大伝太太刀小鍛冶薙刀記』を出典としてこのような逸話が紹介されている。

秀吉が伏見城に移ると、毎晩秀吉の話し相手として、加藤清正や黒田長政らが詰めていた。
彼らが千畳敷きの廊下を深夜通ると、何者かが刀の小尻をつかんで引くので通れない。
無理せずそのまま引き返すと、別に異状はなかった。

その話を前田利家にしたところ、臆しているからだと一笑に付されたため、それでは前田殿も行ってみろということになった。
加藤清正が、行った証拠に軍扇を廊下に置いてくるよう差し出した。

その時、秀吉が「この太刀を指していけ」と大典太光世を貸してくれた。
前田利家は大典太光世を差して千畳敷きに行ったが、何も出なかった、という。

『金沢古蹟志 第2編』(データ送信)
著者:森田平次 著[他] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:金沢文化協会
目次:薪ノ丸宝蔵 〇傅太・小鍛冶霊剣来歴
ページ数:17~23 コマ数:48~51

前田家の重宝になるまでの経緯が3説

資料によって細かく内容が違う。
『日本刀大百科事典』の検討では、3の「前田利家の四女・豪姫の病気を治すため、豊臣秀吉から拝借と返却を繰り返してついに前田家の刀になった」が正しいという。

1.前田利家の息女・加賀殿の病気を治すために借りたがその効もなく姫は亡くなった

前田利家の息女・加賀殿は、阿野権大納言実顕の内室だった。
腫れの病にかかった時、それを治すため枕刀として、阿野家に貸した。
しかし、その効もなく亡くなったので、死後、前田家へ返還した。

『日本随筆大成 巻五』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:遠碧軒記分類抄目錄 下之三
ページ数:490、491 コマ数:253

ただし『日本刀大百科事典』『日本刀おもしろ話』等ではこの説を以下のように否定している。

「加賀殿」と言うのは、初め秀吉の側室で、のち「万里小路大納言充房」に嫁した人である。
したがって「阿野」ではなく「万里小路」の誤りになる。
加賀殿の死去は慶長10年(1605)10月13日であるから、この話は秀吉の死後ということになる。
しかし慶長5年(1600)8月調べの『豊臣家御腰物帳』には、大典太光世はすでに記載を欠くから、それ以前に豊臣家を出ていたはずである。

2.前田利常の妻で2代将軍・徳川秀忠の妹の珠姫の病気を治すため、拝借と返却を繰り返してついに前田家の刀になった

大典太光世は秀吉から徳川家康を経て、2代将軍・秀忠に伝わっていた。

秀忠の娘・珠姫は前田利常の妻であるが、「異病の煩ひ」または「邪気の煩ひ」に罹った。
(『享保名物帳』の享保8年本で「異病の煩ひ」、安永2年本で「邪気の煩ひ」とされる。)

それを払うため、将軍・秀忠から大典太光世を拝借して枕許においたところ、たちまち平癒した。
さっそく将軍家に返したところ、再発したので、また拝借した。
快復したので返却したところ、またまた再発した。

三度目は拝借に行ったところ、もう返さなくてもよろしい、と拝領仰せつけられた、という。

ただし、『日本刀おもしろ話』では、この説を以下のように否定している。

秀忠時代のことと考えると時代が下がりすぎる(遅すぎる)。

3.前田利家の四女・豪姫の病気を治すため拝借と返却を繰り返してついに前田家の刀になった

病気になったのは前田利家の四女で、秀吉の養女として宇喜田秀家に輿入れした豪姫。
拝領したのは秀吉から、という説がある。

拝借と返却を繰り返した末にもう返さなくてもいいと前田家に大典太光世が贈られる部分は同じ。

『日本刀大百科事典』によると、2と3の説が『享保名物帳』のうち享保8年本に併記してあるが、前田家の記録『御太刀并千貫以上之御刀脇刺』では、3の説になっている。

この3説を正説とすべきであるという。

本阿弥光山による異説

『日本刀大百科事典』では、『大伝太太刀小鍛冶薙刀記』を出典とした異説を紹介している。

本阿弥光山は、病気封じに秀吉から利家が借りたのは大典太光世ではなく、同じく前田家で至宝とされている三条小鍛治宗近の薙刀だった、と主張しているらしい。

加賀藩の記録に見える大典太光世

前田家子女の守刀として扱われたこと。
この刀を拭うとき本阿弥家は潔斎していたことなどが書いてある。

『加賀藩史料 第5編』
発行年:1932年(昭和7) 出版者:石黒文吉
目次:五月十九日。前田綱紀、三池傳太作の刀を子久丸の守刀と為さしむ。
ページ数:21、22 コマ数:14、15

『加越能叢書 後編 可観小説. 前,後編』(データ送信)
発行年:1936年(昭和11) 出版者:金沢文化協会
目次:傅太の太刀と小鍛冶の長刀
ページ数:701 コマ数:152

1669年(寛文9)、前田家で本阿弥光甫に命じて、大典太光世に鬼丸拵をつけた

『日本刀大百科事典』によると、

前田家では寛文9年(1669)、本阿弥光甫に命じて、大典太光世に鬼丸拵えをつけた。
ハバキの裏にある桐の紋を前田家の梅鉢の紋に替え、目貫も梅鉢の紋にした。

1746年(延享3)、『大伝太太刀小鍛治薙刀記』の作成経緯

『日本刀大百科事典』によると、

前田家では延享3年(1746)の暮れ、藩主・宗辰(加賀藩6代藩主・加賀前田家7代)が早世し弟の重煕(加賀藩7代藩主・加賀前田家8代)が襲封すると、さっそく大典太光世と小鍛治の薙刀を、金沢から江戸に取り寄せた。

重煕はすぐさま見たがったが、前藩主・宗辰が前年の暮れ亡くなったばかりで、服喪中だった。
「服喪中にはご覧できない習わし」と西尾隼人が遮ったので、さらばその由来を書いて出せ、と命じた。

それが『大伝太太刀小鍛治薙刀記』と題する由緒書きらしい。

1792年(寛政4)、山田浅右衛門吉睦による試し切り

『日本刀大百科事典』によると、『首斬り浅右衛門刀剣押形』と山田浅右衛門の『公私扣』を出典としている。

寛政4年(1792)8月19日、江戸千住の小塚原で、山田浅右衛門吉睦が死囚を使い試し切りをした。

一回目は一ノ銅、二回目は車先(臍の辺)を試し、共に土壇に五寸(約15センチ)ほど切り込んだ。
三回目は骨の多い雁金(腋の下)を試したが、同じく土壇まで切り込んだ。
四回目には三つ胴を試した。上と中の死体は、摺り付け(鳩尾)を両断し、下の死体は、一ノ胴のすこし上を切り裂いて、背骨で止まる、という凄い切れ味を示した。

(『首斬り浅右衛門刀剣押形』という本の著者は『日本刀大百科事典』の著者・福永酔剣氏。
こうした史料を所持していたことから、山田浅右衛門に関する記録は福永酔剣氏が詳しい)

1812年(文化9)、本阿弥長根が前田家の蔵刀の手入れをした

文化9年(1812)、本阿弥重郎左衛門(本阿弥長根)が江戸藩邸においてある名刀の手入れをしたときの記録にも、大典太光世が載っているので、重煕の時以来、江戸藩邸に保管されることになったと考えられるらしい。

『国事雑抄 上』
著者:森田柹園 [著], 日置謙 訂 発行年:1932年(昭和7) 出版者:石川県図書館協会
目次:卷五
ページ数:195 コマ数:111

さらに『日本刀大百科事典』によると、

安政3年(1856)、本阿弥喜三次に研がせた。
刀箱は外箱が春慶塗り、内箱が白木で、ふだんは白鞘に入れ、白絹で包んであった。

鳥止まらずの庫

金沢城の薪丸にある宝蔵に、大典太光世が保管されていたので、鳥も恐れて屋根にとまらない。
それで“鳥止まらずの庫”といったという俗説がある。

以下の本で金沢城薪の丸宝蔵が烏止まらずの庫と呼ばれていたこと、大典太光世と小鍛治の薙刀が霊剣と言われていたことはわかり。
しかし、鳥が止まらなかったことが大典太光世の霊威のせいかどうかまでは微妙にわからない。

『稿本金沢市史  市街編 第4』
著者:金沢市 編 発行年:1920年(大正9年) 出版者:金沢市
目次:第四節 城地の内外 宝蔵
ページ数:961 コマ数:67

其中にも大傳太の太刀、小鍛治の長刀は天下の霊剣なり、旧藩中は幕府へ参観の都度、太刀と長刀とを常々守護の為道中携えへらるる旧例にで、其霊剣の納る唐櫃をば、俗に天神長持と称し、道中甚鄭重に扱ひ、路上に置くを禁じ、実に前田家に於て二種の神器とも云べし、此霊剣を納めある宝蔵をば、俗に鳥とまらずの土蔵と呼べり、鳥類常に居止らず、といひ傳へり

『金沢古蹟志 第2編』(データ送信)
著者:森田平次 著[他] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:金沢文化協会
目次:薪ノ丸宝蔵 〇傅太・小鍛冶霊剣来歴
ページ数:17~23 コマ数:48~51

『日本刀大百科事典』では上述のお手入れの記録が江戸藩邸であったことから、その庫は金沢ではなく江戸とすべきである、という。

大典太と小鍛冶薙刀の霊威のために烏がとまらないとしているのは、下記の刀剣書のような昭和初期の本らしい。

『大日本刀剣史 中卷』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:前田家の名宝と烏とまらずの庫
ページ数:498~501 コマ数:259、260

鳥(とり)か烏(からす)か

『稿本金沢市史  市街編 第4』では鳥(とり)だが、『大日本刀剣史』では「烏(からす)」になっている。

1956年(昭和31)6月28日、重要文化財指定

昭和31年(1956)6月28日、重要文化財指定。
財団法人前田育徳会(旧称 前田家育徳財団)名義。

「太刀 銘光世作(名物大典太) 附 革包太刀拵」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:257 コマ数:140

1957年(昭和32)2月19日、国宝(新国宝)指定

昭和32年(1957年)2月19日、国宝(新国宝)指定。
財団法人前田育徳会名義。

「太刀 銘光世作(名物大典太) 附 革包太刀拵」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:18 コマ数:19

国宝指定のエピソード

『武将と名刀』によると、
大典太光世は前田家の重宝として非常に大切にされていたために、国宝指定などとんでもないという扱いであったらしい。

昭和31年の重要文化財指定の際、他の刀剣類は何週間か、あるいは何日か前には拝借して東博の蔵に置いて準備するところ、大典太光世だけは前田家が審議会の当日に持参して審査が終わったらすぐ持ち帰るという対応であった。

その翌年昭和32年に、国宝に指定したいが前田家が拝借を許さないので重文指定の際にあらかじめそのつもりで審議してほしいと各委員にお願いしていたらしい。
実際に国宝指定する際は実物が借りられないので写真だけの審議となったという。

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:11 大典太光世
ページ数:127

現在

「国指定文化財等データベース」によると、現在の所有者・保管施設は「公益財団法人前田育徳会」。

「前田育徳会」は加賀藩主前田家伝来の古書籍、古美術品、刀剣などの文化遺産を保存管理する公益法人。

大典太光世は実質的に現代までずっと前田家に所有されていることになる。

「前田育徳会」は収蔵品を展示する施設を持っていないため、その収蔵品の一部を寄託している「石川県立美術館」で展示されれば見ることができる。

2024年(令和6)は3~5月に石川県立美術館の展覧会に「大典太光世」「富田郷(富田江)」「前田藤四郎」の三振りが出品されている。

作風

刃長二尺一寸七分(約65.8センチ)、反り二分六厘(約2.6センチ)。
丸棟。身幅広くハバキ元で一寸二分五厘(約3.4センチ)、表裏に、ハバキ元で四分五厘(約1.4センチ)もある幅広い樋をかき通し、佩き表だけには腰樋をそえる。

地鉄は大板目肌、流れる。
刃文は彎れ気味の直刃、小足やほつれを交える。
鋩子小丸。
茎はうぶ、目釘孔二個。

「光世作」と三字銘。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:おおでんた【大伝多】
ページ数:1巻P196~198

外装 革包太刀拵

『武将と名刀』によると、

「鬼丸拵」と呼ばれる黒塗の皮包の太刀拵が付属している。

調査所感

何せ有名な名刀なので、近代以降の刀剣書にはあれにもこれにも載っていてここでの参考文献もごく一例でしかありません。全部の資料調べたいって方は頑張ってください。

随筆系はデジコレのデータ送信で読めるものを紹介していますが、近所に大きめの図書館があるなら本そのものが置いてある可能性もあります。
随筆系って随筆大成って形ですでに大部分を収録したものが発行されてるんだね。今回知ってめちゃくちゃ勉強になるって思った……。

あとやっぱりガチ勢が結構深く研究しているようなのでそちらを見てみる方が良いかと。

参考サイト

「文化遺産データベース」
「国指定文化財等データベース」
「公益財団法人前田育徳会」
「石川県立美術館」

参考文献

『諸家名剣集』(東京国立博物館デジタルライブラリー)
時代:享保4年(1719) 写本
コマ数:42

『前田家名物並御指料御刀脇指』(東京国立博物館デジタルライブラリー)
時代:江戸末 写本
コマ数:23、68

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第四門 武将の愛刀 足利家の重代
ページ数:43、44 コマ数:46、47

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:八 九州物(上)
ページ数:72 コマ数:46

『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:青江、恒次、左文字、三原、安綱の部
ページ数:203、204 コマ数:116、117

『稿本金沢市史  市街編 第4』
著者:金沢市 編 発行年:1920年(大正9年) 出版者:金沢市
目次:第四節 城地の内外 宝蔵
ページ数:961 コマ数:67

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:341、336、329 コマ数:185、189、191(もしくは184、188、190)

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会 編
目次:(中) 同右 大傳多三池
ページ数:60、61 コマ数:33

『刀剣談』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著[他] 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第四、武将の愛刀 足利重代の大伝多
ページ数:123 コマ数:73

『日本随筆大成 巻五』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:遠碧軒記分類抄目錄 上之三 ページ数:445 コマ数:230
目次:遠碧軒記分類抄目錄 下之三 ページ数:490、491 コマ数:253

『日本随筆大成 巻十一』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:嘉良喜隨筆
ページ数:247、248 コマ数:131、132

『未刊随筆百種 第17』(データ送信)
著者:三田村鳶魚 校[他] 発行年:1928年(昭和3) 出版者:米山堂
目次:享保通鑑
ページ数:63 コマ数:41

『加賀藩史料 第5編』
発行年:1932年(昭和7) 出版者:石黒文吉
目次:五月十九日。前田綱紀、三池傳太作の刀を子久丸の守刀と為さしむ。
ページ数:21、22 コマ数:14、15

『国事雑抄 上』
著者:森田柹園 [著], 日置謙 訂 発行年:1932年(昭和7) 出版者:石川県図書館協会
目次:卷五
ページ数:195 コマ数:111

『金沢古蹟志 第2編』(データ送信)
著者:森田平次 著[他] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:金沢文化協会
目次:薪ノ丸宝蔵 〇傅太・小鍛冶霊剣来歴
ページ数:17~23 コマ数:48~51

『日本刀物語』
著者:前田稔靖 発行年:1935年(昭和10) 出版者:九大日本刀研究会
目次:二八 名工三池典太
ページ数:233 コマ数:126

『加越能叢書 後編 可観小説. 前,後編』(データ送信)
発行年:1936年(昭和11) 出版者:金沢文化協会
目次:傅太の太刀と小鍛冶の長刀
ページ数:701 コマ数:152

『大日本刀剣史 中卷』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:前田家の名宝と烏とまらずの庫
ページ数:498~501 コマ数:259、260

『日本名刀物語』(紙本)
(中身は1962年白凰社より刊行のもの)
著者:佐藤寒山 発行年:2019年(令和1) 発行社:河出書房新社
目次:天下五剣
ページ数:102~114

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:前田利家と大典太光世
ページ数:144~151 コマ数:77~80

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都 ページ数:257 コマ数:140
目次:東京都 ページ数:18 コマ数:19

『原色日本の美術 21』(データ送信)
著者:尾崎元春、佐藤寒山 発行年:1970年(昭和45) 出版者:小学館
目次:刀剣 ページ数:85 コマ数:91
目次:図版解説Ⅲ ページ数:104 コマ数:110
目次:一、日本刀概説 ページ数:225 コマ数:231

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:11 大典太光世
ページ数:127

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:おおでんた【大伝多】
ページ数:1巻P196~198

『日本刀おもしろ話』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1998年(平成10) 出版者:雄山閣
目次:妖怪変化編 化物も怖れた大伝多光世
ページ数:18~26

『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅰ 歴史の中の名刀 2 天下の名刀  大典太光世 ページ数:17、18

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第一章 天下五剣・天下三槍 大典太光世 前田利家
ページ数:26

『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年(平成17) 出版者:光文社
目次:足利将軍家の名刀 大典太光世
ページ数:96

『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23年) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 前田家と大典太光世
ページ数:142~145

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:天下五剣 大典太
ページ数:16

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 大典太光世
ページ数:68

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第一章 平安時代≫ 筑後国三池 光世 大典太光世
ページ数:45

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第2章 天下五剣 大典太光世
ページ数:46~49

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:天下・神代・伝説の刀 大典太光世
ページ数:50、51

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:神仏・霊力にまつわる名刀 大典太光世
ページ数:98、99