おてぎね
概要
「槍 銘義助作」
下総国結城城主・結城晴朝所持、島田義助作の大身槍「御手杵」。
作者は室町時代の刀工で、駿河国(静岡)の島田に住した義助と言われる。
その鞘が手杵形をしていたところから「御手杵」の名がつけられた。
下総国結城の城主・結城晴朝所持。
その後、上州前橋藩主・松平家伝来。
参勤交代の時の伝説が色々あるが、槍持勘助の話に関しては講談が出典だとも言われる。
前橋藩主の松平家ではこの槍に少しでも錆ができると継ぎ研ぎをし、その度ごとに砥師には、十人扶持の加増をしていたという。
1945年(昭和20)5月25日の空襲により、松平家の蔵の中で焼失。
御手杵をとても大切にしていた松平家は焼直しを望んだが、当時高名な研師複数人が見ても手の施しようがない状態で断念するしかなかったようである。
号の由来と伝説
『日本刀大百科事典』によると、
その鞘が手杵形をしていたところから御手杵の名がつけられた。
結城晴朝がある戦場であげた敵の首級十数個を、この槍に通し、担いで帰る途中、中央の一個が落ちたのをそのまま担いだ姿が手杵のように見えたので、その後、手杵形の鞘を付けた、という伝説がある。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おてぎねのやり【お手杵の槍】
ページ数:1巻P228、229
下総国結城城主・結城晴朝所持
『日本刀大百科事典』によると、下総国結城城主・結城晴朝(1534~1614年)所持。
上州前橋藩主・松平家伝来
結城晴朝は徳川家康の次男・結城秀康を養子とした。
秀康の嫡男は結城ではなく松平を称したため、結城晴朝は秀康の五男・直基に結城家を継承させた。
御手杵はこの直基が継いだ結城松平家(前橋松平家)に伝わっていた。
参勤交代に関する伝説、鞘を払えば雨、中身を見れば盲目
『日本名宝展覧会目録並解説』によると、
往時は一度その鞘を払えばたちまち雨、中身を見れば盲目となるなどと言われていた。
参勤交代のみぎり、前橋より江戸までこの名物の表道具を振り切るものはなかった。
鎗持勘助が後人のために柄を三尺ほど切り詰め、自らは責任を取って切腹したらしい。
『日本名宝展覧会目録並解説』(Googleブックス)
発行年:1939年(昭和4) 出版者:読売新聞社
目次:御手杵の鎗
ページ数:64
槍持勘助の話は「講談」とも言われている。
『日本刀の近代的研究』(データ送信)
著者:小泉久雄 発行年:1933年(昭和8) 出版者:小泉久雄
目次:東海道
ページ数:107 コマ数:101
上州前橋藩主・松平家自慢の槍と継ぎ研ぎの話
晴朝の子孫である上州前橋藩主・松平家では、御手杵は自慢の槍だった。
同家ではこの槍に少しでも錆がくると、継ぎ研ぎをした。
その度ごとに砥師には、十人扶持の加増をしていた。
この情報の出典は『日本刀大百科事典』で酔剣先生の脚注では「刀園 宮形武次 昭和6~15」となっている。
この雑誌は国立国会図書館デジタルコレクションでも現在読む手段がない。
ただ同じエピソードは下記の本にも出てくる。
『銹 : 鉄のさび』(データ送信)
著者:山本洋一 発行年:1944年(昭和19) 3版 出版者:高山書院
目次:(九)鐵銹についての傳說
ページ数:339、340 コマ数:178、179
1929年(昭和4)、日本名宝展覧会出品
1929年(昭和4)、日本名宝展覧会出品。
松平直之伯爵蔵。
『日本名宝展覧会目録並解説』(Googleブックス)
発行年:1939年(昭和4) 出版者:読売新聞社
目次:御手杵の鎗
ページ数:64
1943年(昭和18)、陸軍軍刀展覧会に出品
下記の雑誌によると、昭和18年に陸軍軍刀展覧会に出品していた模様。
「日本刀及日本趣味 9(特輯號)(1)」(雑誌・データ送信)
発行年:1944年1月(昭和19) 出版者:中外新論社
目次:陸軍軍刀展覧会出品目録
コマ数:35
槍 銘義助作 長四尺六寸
東京 伯爵松平直富殿
名物御手杵ノ槍 傳 結城晴朝所持 江戸時代巷説槍持勘助ニテ有名ナリ
1945年(昭和20)5月25日の空襲により、松平家の蔵の中で焼失
『日本刀大百科事典』だと関東大震災で焼失と書かれているが、おそらく『日本刀講座』の空襲により焼失の方が正しいと思われる。
『日本刀講座 第2巻 新版』によると、
昭和20年5月25日の空襲で、淀橋柏木の松平家の蔵の中で焼失したという。
屋敷では本阿弥光博氏の疎開先に届けてきて、なんとか焼直して保存したいと言っていたそうだが、焼けただれの程度は目を覆うばかりで、いかんともなし難い惨状であったという。
『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:駿河国
ページ数:249、250 コマ数:181、182
作風
槍の穂は長さ四尺六寸(約139.4センチ)、正三角形、三面に太い樋をかく。
地鉄は小杢目に柾交じり。
刃文は直刃に小乱れ・砂流しまじる。
鞘は長さ五尺(約151.2センチ)余、直径約一尺五寸(約45.5センチ)。
黒熊の毛を植えてあった。
この形から「御手杵」の名がついたと言われる。
槍は柄を加えると、一丈一尺(約333.3センチ)、という長大なもの。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おてぎねのやり【お手杵の槍】
ページ数:1巻P228、229
調査所感
・情報の出所の多くは本阿弥光遜氏か?
『日本刀大百科事典』に記事自体はあるものの出典が全然書かれていないので多分酔剣先生も資料で読んだ話じゃなく研究者仲間に聞いた話、当時の斯界の常識がメインのようですね。
唯一の書誌は出典は「刀園」となっていましたが簡単には読めなさそうなので引きやすい別の情報源を載せときました。
研究史に関して情報が増えると理解も変わるということで一度他の刀剣全部調べてから今2周目の調査に入っているんですが、色々な刀の調査の過程で福永酔剣先生と本阿弥光遜氏はかなり仲が良いというか、酔剣先生の持ってる情報の一部が本阿弥光遜氏の著書と一致することがわかりました。
御手杵に関してもこの感じだと、ほとんど本阿弥光遜氏が刀剣研究界隈での情報の発信元じゃないでしょうかね。
研師として御手杵の手入れをしたことがある本阿弥光遜氏は、『日本刀講座』にも御手杵を抱えて映っている写真が収録されているくらいですからかなり推してたんでしょう。
そしてその『日本刀講座』の新版が発行される頃には御手杵は空襲で焼失してしまったと、本阿弥光遜氏の息子の本阿弥光博氏が解説を書いています。
・現代ではレプリカや復元刀が製作されているらしい
御手杵そのものは空襲で焼失したものの現在復元刀がいっぱい作られているようです。
と言うか御手杵関連の情報はガチ勢がかなり調べているようなのでそっちを見た方がいいと思います。
◎ 前橋東照宮蔵の復元品
結城家35代・松平大和守家の17代当主・松平直泰氏が2018年に私費で復元・奉納した。
参考:前橋東照宮、前橋市の観光サイト
◎ 結城美術館蔵のレプリカ
2002年(平成14)に有志や研究者らによって復元された。
最初は「牛毛皮の鞘」を制作したが、のちに島田市御手杵槍顕彰会より「熊毛皮の鞘」を寄贈されたので今はそちらが展示されている。「牛毛皮の鞘」は島田市の製作者のもとへ返却された。
参考:結城市のサイト 観光情報「結城美術館」のページ
◎ 比企総合研究センター復元、箭弓稲荷神社奉納のレプリカ
比企総合研究センター所長によって復元された。
参考:比企総合研究センターのサイト
・結城家のことをちろっと考えると
Wikipediaでもどこででも書いてあることですが、結城晴朝はひたすら結城家の家名を守ろうとしたんですが、徳川家康の次男の結城秀康が継いだところまではいいとして、その嫡男があっさり結城の名を捨ててしまったと言われるんですよね。
それでもなんとかしようとした結果が秀康5男の直基による継承です。
家の名自体はその後やっぱり松平に変わったとはいえ、その現代の御当主が前橋東照宮のHPでさらりと「結城家35代・松平家17代当主」ですって名乗られてるのを見ると、結城晴朝の想いが報われているような気がします……。
参考文献
『趣味講座 : ラヂオ講演 第4卷』(データ送信)
著者:日本放送協会関東支部 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:日本放送協会関東支部
目次:刀剣の話 本阿弥光遜
ページ数:235 コマ数:123
『日本名宝展覧会目録並解説』(Googleブックス)
発行年:1930年(昭和5) 出版者:読売新聞社
目次:御手杵の鎗
ページ数:64
『日本刀講座 第1巻 (日本刀剣概論)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:第三 鑓の種類 ページ数:118 コマ数:216
目次:第四 鑓鍛冶及其の作品 ページ数:164 コマ数:239
『日本刀講座 第6巻 (刀剣鑑定・古刀)』(データ送信)
発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:口絵 コマ数:10
目次:駿河国 ページ数:27、28 コマ数:23、24
「維新 2(3)」(データ送信)
発行年:1935年(昭和10)3月 出版者:維新社
目次:古名刀を語る/本阿弥光遜
ページ数:240、241 コマ数:128
『刀談片々』(データ送信)
著者:本阿弥光遜 発行年:1936年(昭和11) 出版者:何光社
目次:古名刀を語る
ページ数:273、274 コマ数:145、146
『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部 駿河国 島田系
ページ数:418 コマ数:84
『刀剣鑑定秘話 2版』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:金竜堂
目次:古名刀を語る
ページ数:273、274 コマ数:142、143
『日本刀講座 第1巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:新版日本刀講座<概説編>目次 ページ数:100 コマ数:70
目次:槍の種類 6 大身槍 ページ数:190 コマ数:171
目次:槍・薙刀 槍の種類 8 持ち槍 ページ数:211 コマ数:181
『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:駿河国
ページ数:249、250 コマ数:181、182
『島田市史 上巻』(データ送信)
著者:島田市史編纂委員会 編 発行年:1978年(昭和53) 出版者:島田市
目次:第三節 豊臣秀吉と徳川家康
ページ数:574 コマ数:294
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おてぎねのやり【お手杵の槍】
ページ数:1巻P228、229
概説書
『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第一章 天下五剣・天下三槍 御手杵 松平大和守
ページ数:42~44
『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:天下三名槍 御手杵
ページ数:18、19
『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:天下三名槍 御手杵
ページ数:18、19
『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第三章 南北朝・室町時代≫ 駿河国島田 義助
ページ数:314
『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第8章 神代の剣・槍・薙刀 御手杵
ページ数:190、191
『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:天下・神代・伝説の刀 御手杵
ページ数:58、59
『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:天下の名槍 御手杵
ページ数:212、213
『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:御手杵
ページ数:46