おにまるくにつな
- 概要
- 「太刀 銘国綱 名物鬼丸国綱」
- 鬼丸の号の由来
- 北条時頼(1227~1263年)所持
- 1333年(元弘3)4月、名越高家が山崎の久我畷の戦いにおいて佩用
- 1335年(建武2)頃、北条時行の佩刀
- 1336年(建武3)~1338年(延元3)頃、新田義貞の佩刀
- 足利三宝剣から秀吉へ伝来
- 火災の御まじない、豊臣秀吉から本阿弥家に預けられる
- 1615年(慶長20)の大坂夏の陣後、本阿弥光徳が徳川家康に処置を尋ねるも引き続き本阿弥家預かりに
- 1626年(寛永3)頃の本阿弥家と徳川秀忠と鬼丸国綱
- 1718年(享保3)、8代将軍徳川吉宗への上覧
- 1867年(慶応3)、「鬼丸の太刀」から「鬼丸の御剣」へ呼称が変わる
- 1881年(明治14)、御物として宮内庁への帰還
- 作風
- 「鬼丸」には同名異物が多い
- 調査所感
- 参考文献
- 概説書
概要
「太刀 銘国綱 名物鬼丸国綱」
『享保名物帳』所載、鎌倉時代の刀工・粟田口国綱作の太刀。
『太平記』に北条時政が夢の中に出てくる小鬼に苦しめられた時、老翁に変じて夢の中に現れたという逸話を持つ。
北条時政が老翁の求め通り清浄な人の手で刀の錆を拭うと、立てかけてあった刀が倒れて火鉢に鋳出してあった鬼の頭を切った。
すると北条時政の病は癒え、鬼が夢に出てくることもなくなった。
その太刀を「鬼丸」と名づけ、北条高時の代まで守り刀として身を離さなかった。
ただしこの話は、『太平記』の通り北条時政の頃とすると時代が合わないので、『享保名物帳』などでは鬼丸国綱は「北条時頼」の太刀となっている。
さらに『太平記』によれば、1333年(元弘3)4月、名越高家が山崎の久我畷の戦いにおいて佩用したとなっているが、これが北条家と同じ刀かどうかははっきりしない。
北条高時が自害するとき、鬼丸国綱だけは次男・時行に持たせ、信州へ逃がしている。
そのため1335年(建武2)頃は、北条時行の佩刀であった。
中先代の乱が失敗した時行が鬼丸を捨てて、人々に自害したと哀れに思われた後。
1336年(建武3)~1338年(延元3)頃は、新田義貞の佩刀となっている。
湊川の戦いにも鬼丸、鬼切の二振りを佩いて行って活躍したが、越前足羽の藤島の戦いで新田義貞は戦死した。
その際に北条方の足利高経(斯波高経)がこの鬼丸、鬼切の二振りを分捕った。
足利尊氏は高経に二振りを差し出すよう命じたが、高経は自分のものにした。
このことを知った足利尊氏は激怒して高経への恩賞を行わず、それによって高経もまた憤った。
この鬼丸の太刀こそが、足利高経が足利尊氏に叛く原因の一つになったという。
以上の『太平記』による来歴は、『太平記』があくまでも軍記であることを考えるとあまり信用はおけない。
『太平記』自体の中にも矛盾があったり、諸本によっては抜け落ちている記述もあるという。
その後、鬼丸国綱は足利家からやがて豊臣秀吉に渡った。
『安斉随筆』によると、鬼丸国綱が豊臣秀吉から本阿弥家に預けられたのは、「火災の御まじない」であったという。
1615年(慶長20)の大坂夏の陣後、本阿弥光徳が徳川家康に処置を尋ねるも引き続き本阿弥家預かりになる。
1626年(寛永3)頃、後水尾天皇の皇后は、2代将軍・秀忠の娘だった。
寛永3年(1626)11月13日、高仁親王が誕生した。
喜んだ3代将軍・家光は、本阿弥家に命じて寛永3年(1626)12月4日に鬼丸を献上させた。
ところが不幸にも、その親王が寛永5年(1628)6月11日夭折したので、鬼丸はまた本阿弥家に返された。
1718年(享保3)、8代将軍徳川吉宗への上覧。
1867年(慶応3)、徳川慶喜が大政を奉還すると、朝廷では本阿弥家に対し、鬼丸は朝廷の御物になったから、従来の“鬼丸の太刀”を“鬼丸の御剣”と呼ぶよう通達してきたという。
1881年(明治14)、御物として宮内庁への帰還。
現在も御物である。
鬼丸の号の由来
『太平記』によると、
北条時政の枕辺に夜な夜な、一尺(約30.3センチ)ばかりの鬼が現れ、時政は苦しめられたが加持も祈祷も効かず、ついに病になった。
ある夜の夢で、刀が老翁に変じて現れ告げた。
「われは常に汝を守護する。しかし、汚れた人の手が触れたため、錆びてしまい、鞘から抜けられない。妖怪を退けたければ、清浄な人の手で我が身の錆を拭うべし」
時政はその通りにして、太刀をぬいたまま柱に立てかけておいたところ、突如太刀が倒れて、火鉢に鋳出してあった鬼の頭を断ち切った。
時政の病気もたちどころに癒え、鬼も夢に出ることはなくなった。
それでその太刀を鬼丸と名付け、北条高時の代まで守刀として身を離さなかった。
『太平記詳解 自25の巻至32の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:直冬上洛の事付鬼丸鬼切の事
ページ数:27、28 コマ数:143、144
抑此の鬼丸と申す太刀は、北条四郎時政天下を執りて四海を鎮めし後、長一尺計なる小鬼、夜々時政が跡枕に来りて、夢共なく幻共なく侵さんとする事度々なり、修験の行者加持すれとも不立去、剰さへ是故に時政病を受けて身心苦む事隙なし、或夜の夢に此の太刀獨の老翁に変して告げて云く、我常に汝を守護する故に、彼の妖怪の者を退けんとすれば、汚れたる人の手を以て、劔を探りたりしに依りて、金精身より出て、抜かんとすれ共不叶、早く彼の妖怪の者を退けんとならば、清浄ならん人をして、我身の金精を拭ふべしと委しく教へて、老翁は又元の太刀に成りぬとぞ見えたりける、時政夙に起きて、老翁の夢に示しつる如く、或侍に水を浴せて、此の太刀の金精を拭はせ、未だ鞘にはささで臥したる傍の柱にぞ立掛けたりける、冬の事ならば暖気を内に籠めんよて、火鉢を近く取寄せたるに、居ゑたる台を見れば、銀を以て長一尺計なる小鬼を鋳て、眼には水晶を入れ、歯には金をぞ沈めたる、時政是れを見るに、此の間夜な夜な夢に来りて、我を悩しつる鬼形の者は、さも是れに似たりつる者と、面影ある心地して守居たる處に、抜きて立てたりつる太刀、俄に倒れ懸りて、此の火鉢の台なる小鬼の頭を、かけず切りてぞ落したる、誠に此の鬼や化して人を悩しけん、時政忽ちに心地直つて、其後よりは鬼形の者、夢にも曾て見えざりけり、さてこそ此の太刀を鬼丸と名付けて、
火鉢の鬼を斬った逸話は「北条時政」ではなく「北条時頼」
『日本刀大百科事典』では鬼丸国綱の逸話は北条時頼の頃だと検討を加えている。
『享保名物帳』では鬼丸と命名した由来は『太平記』そのままだが、北条「時政」は北条「時頼」に改められている。
『刀剣鑑定歌伝』では北条泰時所持になっているが、時代が上がりすぎる(早すぎる)。
『正和銘鑑(観智院本)』では北条時宗所持というが、それでは時代が下がりすぎる(遅すぎる)。
『日本刀大百科事典』によると、そのため古剣書『能阿弥本』『永徳銘盡』『宇都宮銘盡』はすべて北条「時頼」のこととなっているらしい。
北条時頼(1227~1263年)所持
『享保名物帳』によると、北条時頼所持。
『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:宗近、国永、国俊、國次、長谷部、信国、了戒、当麻、包永の部
ページ数:118~121 コマ数:74~76
鬼丸国綱 在銘長貳尺五寸八分 無代
室町殿御重代の二つ銘、大傳多と同時に義昭公より秀吉公へ御渡し、然る處仔細有けるにや光徳へ御預けなり、大坂御陣の後ち光室右の旨家康公秀忠様へ奉伺候處、其儘家に永く指置候様に上意に付、京都屋敷に指置候處百八代後水尾院様御宇、皇子御誕生の時所司代より鬼丸太刀差上可然と指図有之、皇子程なく崩去なり御誕生の時御祝儀の躍りあり、本阿弥よりも躍り上る小歌不吉なり、又た鬼丸も仔細ありてこそ秀吉公家康公本阿弥へ指置しを、此度禁裡へ奉りしも不吉なり迚京童申也。
北条四郎時頼天下を執て四海鎮りし、後一尺ばかりの小鬼夜な夜な時頼の枕に来り夢ともなく幻ともなく侵さんとする事度々なり、
1333年(元弘3)4月、名越高家が山崎の久我畷の戦いにおいて佩用
『太平記』には名越高家が「鬼丸」を佩用していた記述がある。
元弘3年(1333)4月、名越高家は山崎の久我畷の戦いにおいて、鬼丸をもって奮戦し、ついに討死したという。
『太平記詳解 自9の巻至16の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:山崎攻の事付久我畷合戦の事
ページ数:7 コマ数:10
当家累代の重宝に、鬼丸と云ひける、金作の円鞘の太刀に、
「北条家の鬼丸」と「名越高家の鬼丸」は同一物か?
『日本刀大百科事典』では『太平記』描写にされる二つの鬼丸を同一のものと考え、鬼丸はいつごろか北条の一族である名越家に移ったようであるとしている。
しかし、ネット(Wikipedia内の北条時行の項目の注釈)だと同名異物の可能性を考慮してか、北条一門の武将名越高家も同名の刀を佩用している、という表現に留めている。
軍記物である『太平記』の記述だけだと、両者を本当に同一の刀として扱っていいのかどうか断定できない。
1335年(建武2)頃、北条時行の佩刀
『太平記』によると、
北条高時が自害するとき、鬼丸国綱だけは次男・時行に持たせ、信州へ逃がしている。
(『太平記』内で次男の「亀寿」と説明されているのは「北条時行」の幼名)
足利尊氏に鎌倉を奪還されたため諏訪頼重ら重臣たち40人は大御堂(勝長寿院)で顔の皮を剥いで自害した。
その中に鬼丸国綱があったため、人々は皆、時行も自害したものと考え、哀れに思った。
『太平記詳解 自25の巻至32の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:直冬上洛の事付鬼丸鬼切の事
ページ数:28 コマ数:144
自害したりし中に、此の太刀有りければ、定めて相模次郎時行も此の中に腹切りてぞ有らんと、人皆哀に思合へり、其の時此の太刀を取りて、新田殿に奉る、義貞不斜悦びて、是れぞ聞ゆる平氏の家に傳へたる、鬼丸と云ふ重宝なりと秘蔵して持たれける剣なり、
北条時行から新田義貞へ渡ったという来歴の検討
『日本刀大百科事典』では、『太平記』における鬼丸国綱の来歴をこのように整理している。
建武2年(1335)、中先代の乱が失敗した時、時行が自害したと擬装するため、鬼丸が棄ててあった。
それを拾って新田義貞に差し出した、というが、時行を壊滅させたのは足利尊氏である。
義貞が関係していなかったから、義貞に差し出した、というのは不合理である。
時行の兄・邦時ならば、義貞の武将・船田義昌に捕らえられているから、邦時から義貞の手に渡った、とするのが合理的である。
また、Wikipediaの「北条時行」の項目を参考にしていますが、『太平記』はこの手の本のお約束として「諸本」と言われるぐらいバージョンが色々ありまして、時行の手に渡ったという話がない本もあるそうです。
1336年(建武3)~1338年(延元3)頃、新田義貞の佩刀
中先代の乱が失敗した時行が鬼丸を捨てて、人々に自害したと哀れに思われた後。
『太平記』によると、
この刀を献上された新田義貞は大いに喜んだ。
湊川の戦いにも鬼丸、鬼切の二振りを佩いて行って活躍したが、越前足羽の藤島の戦いで新田義貞は戦死した。
その際に北条方の足利高経(斯波高経)がこの鬼丸、鬼切の二振りを分捕った。
足利尊氏は高経に二振りを差し出すよう命じたが、高経は長崎の道場に預けておいたがその道場が焼けたときに太刀二振りも焼けたと、同じ長さの太刀を焼いて提出する工作までして自分のものにした。
このことを知った足利尊氏は激怒して高経への恩賞を行わず、それによって高経もまた憤った。
この鬼丸の太刀こそが、足利高経が足利尊氏に叛く原因の一つになったという。
『太平記詳解 自9の巻至16の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:新田殿湊河合戦の事
ページ数:41 コマ数:183
十方より遠矢に射ける矢、雨や電の降るよりも猶繁し、義貞は薄金と云ふ甲に、鬼切鬼丸とて、多田滿仲より傳はりたる、源氏重代の太刀を、二振帶かれたりけるを、左右の手に抜持ちて、
『太平記詳解 自25の巻至32の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:直冬上洛の事付鬼丸鬼切の事
ページ数:26 コマ数:143
源平累代の重寶に、鬼丸鬼切と云ふ二振の太刀を取給ひたりしを、將軍使者を以て、是れは末々の源氏なんぞ可持物に非ず、急ぎ是を被渡候へ、当家の重宝として、嫡流相伝すべしと度々被仰けると、高経堅く惜みて、此の二振の太刀をは、長崎の道場に預置きて候ひしを、彼の道場炎上の時、焼けて候不とて、同し寸の太刀を二振取替て、焼損してぞ出されける、
新田義貞から斯波高経へ渡ったという来歴の検討
『大日本刀剣史』が検討を加えている。
『太平記』の中で新田義貞は鬼丸、鬼切(髭切)の二振りを手に入れたとあるが、同時にそのうちの鬼切を日吉の大宮権現に奉納している。
しかし『太平記』では同時に義貞戦死のシーンで鬼丸、鬼切の二刀を振るっているとある。
一度奉納した刀を再び手にすることは考えにくいので、『太平記』のこの記述は信用しがたい。
足利三宝剣から秀吉へ伝来
鬼丸国綱は足利家からやがて豊臣秀吉に渡った。
この伝来経緯には織田信長を介するものと介さないものの2説あるが、『日本刀大百科事典』では足利家から豊臣秀吉に直接渡った説が正しいとしている。
信長が死ぬ二年前、津田宗及は信長の蔵刀を拝見しているが、その中に足利家の三宝刀は見当たらない、というのが根拠だそうである。
足利家→織田信長→豊臣秀吉説(誤りとされる)の出典は『安斎随筆』『本阿弥守人口上之覚』
『故実叢書 安斉随筆(伊勢貞丈)』
著者:今泉定介 編 発行年:1899~1906年(明32~39) 出版者:吉川弘文館
目次:廿四の巻 鬼丸太刀の事
ページ数:807、808 コマ数:39、40
『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:鬼切と鬼丸
ページ数:462~476 コマ数:243~250
鬼丸国綱に関する『本阿弥守人口上之覚』に関しては、原田道寛先生が『大日本刀剣史』に収録していてくれたのでそちらで該当部分を読める(孫引き)。
足利家→豊臣秀吉説の出典は『享保名物帳』『嘉良喜随筆』『遠碧軒記』『享保通鑑』
『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:宗近、国永、国俊、國次、長谷部、信国、了戒、当麻、包永の部
ページ数:118~121 コマ数:74
『日本随筆大成 巻十一』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:嘉良喜隨筆
ページ数:247、248 コマ数:131、132
『日本随筆大成 巻五』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:遠碧軒記分類抄目錄 上之三 ページ数:445 コマ数:230
目次:遠碧軒記分類抄目錄 下之三 ページ数:490、491 コマ数:253
『未刊随筆百種 第17』(データ送信)
著者:三田村鳶魚 校[他] 発行年:1928年(昭和3) 出版者:米山堂
目次:享保通鑑
ページ数:63 コマ数:41
火災の御まじない、豊臣秀吉から本阿弥家に預けられる
『安斉随筆』によると、
鬼丸国綱が本阿弥家に預けられたのは、「火災の御まじない」だと言われている。
『故実叢書 安斉随筆(伊勢貞丈)』
著者:今泉定介 編 発行年:1899~1906年(明32~39) 出版者:吉川弘文館
目次:廿四の巻 鬼丸太刀の事
ページ数:807、808 コマ数:39、40
太閤秀吉へ相傳り候處火災の御まじないをもつて本阿弥三郎兵衛の高祖父光徳へ御預被為置候
この周辺事情に関して『日本刀大百科事典』ではこのように推測している。
足利義昭は天正16年(1588)、豊臣秀吉から捨て扶持一万石を与えられ、さらに秀吉の斡旋で准三宮の待遇を与えられた。おそらくその謝礼も必要だったし、またそのとき出家しているから、幕府再興の野心を棄てたことを表明するために、三宝刀を譲る必要があったのであろう。
しかし秀吉は、もう足利家の宝刀など眼中になかったのか、あるいは衰亡した家の刀は縁起が悪いと思ったのか、鬼丸は本阿弥光徳にお預け、二つ銘は愛宕山へ寄進、大伝多は前田利家へ贈っている。
光徳に預けたのは火災のまじないというから、聚楽第からみて光徳の家が火伏せの方角に当たっていたのであろう。
篠造り則宗を、火伏せの神として有名な愛宕神社へ奉納した事実からも、そう推測される。
1615年(慶長20)の大坂夏の陣後、本阿弥光徳が徳川家康に処置を尋ねるも引き続き本阿弥家預かりに
『安斉随筆』によると、
大坂夏の陣の勝利によって、徳川家康が天下の権を握ると、本阿弥光徳はさっそく鬼丸の処置を願い出た。
今まで通り、本阿弥家に預けおく、との上意だった。
1626年(寛永3)頃の本阿弥家と徳川秀忠と鬼丸国綱
百八代後水尾天皇の皇后は、2代将軍・秀忠の娘だった。
寛永3年(1626)11月13日、高仁親王が誕生した。
喜んだ3代将軍・家光は、本阿弥家に命じて寛永3年(1626)12月4日に鬼丸を献上させた。
ところが不幸にも、その親王が寛永5年(1628)6月11日夭折したので、鬼丸はまた本阿弥家に返された。
世人は、秀吉からの預かり物を献上した非や、誕生祝に本阿弥家から出した踊りの唄に、不吉の文句があったから、親王さまは亡くなったと非難した。
『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻八 (寛永三年九月八日−十二月)
ページ数:104 コマ数:59
〇四日 大御所よりこたび降誕し給ひし 皇子へ。宝刀鬼切丸を進らせらる。(日野記。)
『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:宗近、国永、国俊、國次、長谷部、信国、了戒、当麻、包永の部
ページ数:118~121 コマ数:74~76
鬼丸国綱 在銘長貳尺五寸八分 無代
室町殿御重代の二つ銘、大傳多と同時に義昭公より秀吉公へ御渡し、然る處仔細有けるにや光徳へ御預けなり、大坂御陣の後ち光室右の旨家康公秀忠様へ奉伺候處、其儘家に永く指置候様に上意に付、京都屋敷に指置候處百八代後水尾院様御宇、皇子御誕生の時所司代より鬼丸太刀差上可然と指図有之、皇子程なく崩去なり御誕生の時御祝儀の躍りあり、本阿弥よりも躍り上る小歌不吉なり、又た鬼丸も仔細ありてこそ秀吉公家康公本阿弥へ指置しを、此度禁裡へ奉りしも不吉なり迚京童申也。
1718年(享保3)、8代将軍徳川吉宗への上覧
八代将軍吉宗の時代になると、享保3年(1718)9月4日、大久保佐渡守から鬼丸を持参するよう、本阿弥三郎兵衛に申し渡された。
御朱印、伝馬二疋・人足8人を与えられ、15日江戸出発。翌月18日帰着。21日幕府へ提出。
将軍の上覧が終わると、27日鬼丸は下げ渡され、閏10月11日本阿弥三郎兵衛に、銀20枚の褒美があった。京都へは本阿弥四郎三郎が返しに行った。
『日本刀大百科事典』だと大体上の内容だが、この部分、享保3年9月の本阿弥三郎兵衛の動きは、『徳川実紀』ではなく『安斉随筆』のものを採用しているようなのでこちらの出典を載せておく。
『徳川実紀』の9月の記述で鬼丸が登場するのは21日ではなく23日だった。
9月23日の間違いなのか、提出は21日という記述がどこかにあって、実際の上覧は23日ということだったのかどうかわからない。
本阿弥が京にいたらしむとあるなら23日が正しいか? 27日に下げ渡されたという記述の出典も不明。
閏10月11日に銀20枚の褒美が与えられたことは『徳川実紀』の閏10月11日の記述による。
四郎三郎さんのことはよくわからない。
『故実叢書 安斉随筆(伊勢貞丈)』
著者:今泉定介 編 発行年:1899~1906年(明32~39) 出版者:吉川弘文館
目次:廿四の巻 鬼丸太刀の事
ページ数:807、808 コマ数:39、40
『徳川実紀 第5編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:卷七(享保三年七月―十二月) ページ数:586 コマ数:299
この日本阿彌三郞兵衞をして京にいたらしむ。これは其家に 東照宮よりあづけたまはる粟田口國綱の御刀と鬼丸の御太刀御覽あらんとて。こなたにもち參るべきためとぞ聞えし。(日記。享保通鑑。)
目次:卷七(享保三年七月―十二月) ページ数:592 コマ数:302
また本阿彌三郞兵衞に銀二十枚をたまふ。これは京の家に藏る鬼丸國網の太刀をもたらし歸り御覽にそなへしによてなり。
『近世風俗見聞集 第1 (国書刊行会本) 』
著者:国書刊行会 編 発行年:1912年(明治45) 出版者:国書刊行会
目次:月堂見聞集巻之十
ページ数:478 コマ数:242
今度将軍家鬼切丸之御太刀御上覧可被成由にて、本阿弥某義京都へ御暇被下、此御太刀の事代々本阿弥預り奉り、京都の宅に収、御代替りの時節は、一度づつ上覧に備る例也、依て当年も如斯
1867年(慶応3)、「鬼丸の太刀」から「鬼丸の御剣」へ呼称が変わる
慶応3年(1867)10月、徳川慶喜が大政を奉還すると、朝廷では本阿弥家に対し、鬼丸は朝廷の御物になったから、従来の“鬼丸の太刀”を“鬼丸の御剣”と呼ぶよう通達してきたという。
『日本刀大百科事典』ではこの話の出典を『本阿弥七郎右衛門届書』としている。
更に翌明治元年、鬼丸の保管について、中参与に伺い出たところ、従来通りとの返事だった(『本阿弥守人口上之覚』)という。
『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:鬼切と鬼丸
ページ数:475 コマ数:249
1881年(明治14)、御物として宮内庁への帰還
『日本刀大百科事典』によると、明治14年、本阿弥家から宮内省に返還した。
廃刀令によって家職を失った当時の本阿弥本家の当主・悌三郎が、実家の柏原姓に復し、跡はわずか六歳の道太郎に継がせた。
つまり実質的に本阿弥家に、鬼丸の管理能力がなくなったからだと説明されている。
現在も御物。
『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編 発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:九 御物 太刀 銘国綱 名物鬼丸国綱
ページ数:12、13 コマ数:22、23
作風
刃長二尺五寸八分五厘(約78.3センチ)
地鉄は板目肌立ち、地沸えつく。
刃文は腰刃をやき、先は丁子乱れ。
鋩子は佩き表、乱れ込んで尖り、裏は地蔵風になる。
茎はうぶ、目釘孔一つ。
「国綱」と二字銘。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おにまる【鬼丸】
ページ数:1巻P231~233
押形の違い
『日本刀大百科事典』によると、鬼丸国綱の押形は『天正刀譜』『光徳刀絵図』『光山押形』などに出ているが、『光悦押形』所載のものだけが以上と異なり、刃文は大丁子乱れ、中心は雉子股、目釘孔二つとなっているという。
『日本刀物語 続』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1969年(昭和44) 出版者:雄山閣
目次:北条時頼の鬼丸 ページ数:58~83 コマ数:41~53
目次:鬼丸の外装 ページ数:65 コマ数:44
目次:本阿弥光徳押形の鬼丸国綱の図 ページ数:73 コマ数:48
目次:本阿弥光悦押形の鬼丸国綱の図 ページ数:81 コマ数:52
外装について 「鬼丸造り」
「鬼丸拵」と称せられる、室町初期を下らない黒漆塗革包太刀拵が附属している。
『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編 発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:九 御物 太刀 銘国綱 名物鬼丸国綱
ページ数:12、13 コマ数:22、23
鬼丸の外装は、秀吉が細川幽斎に命じて修復させたもので、昔は楠造りといっていたが、現在は鬼丸造りとよんでいる。
細川幽斎の修復の話は、すでに紹介した『遠碧軒記』でも“鬼丸のこしらへを細川幽斎これをうつし”とあって間接的に鬼丸の拵え関係に細川幽斎が関わったことがわかる。
「鬼丸」には同名異物が多い
鬼丸と呼ばれる刀には同名異物が多いと言われている。
1.上記の「鬼丸国綱」
2.国縄説
国綱の銘の綱の字が略体になっているのを、「縄」と誤読したもの。
(『長谷川忠右衛門刀工系図』『正和銘鑑(観智院本)』)
3.真国説
『太平記』では奥州宮城郡の府の真国が三年間、精進潔斎して造った、となっている。後世の古剣書にもこれを踏襲したもの(『如手引抄(十一冊本)』)がある。
4.貞国説
藤六左近貞国を作者とする説(『正和銘鑑(観智院本)』)があるが、真国の誤写とみるべきである。
5.助綱説
粟田口藤左近助綱を北条時宗が鎌倉に召しくだして、鬼丸を打たせた(『正和銘鑑(観智院本)』)ともいうが、助綱は国綱、時宗は時頼の誤りである。
6.実次説
奥州宮城郡の実次が打った、とする説。
(『長谷川忠右衛門刀工系図』『本朝鍛冶考』)
7.安縄説
伯耆の大原安縄が作ったとの説(『長谷川忠右衛門刀工系図』)があるが、安縄は安綱の誤読で、しかも“童子切り”と混同したもののようである。
8.行平説
渡辺綱が鬼の腕を斬ったのは、大和行平の作、鬼丸という。(『長享目利書』『相州秋広廿五ヶ国押形増補本』)
これは“鬼切り”との混同である。
9.大平家蔵説
8代将軍吉宗が本阿弥家に鬼丸の提出を求めたとき、大平家伝来の鬼切丸が、本当の鬼丸だ、という説があった(『享保通鑑』)。
大平家は二百石百人扶持の旗本だったが、出自は不明である。鬼丸のありそうな家でもないのに、そんな評判が立ったのは不審である。
10.異国鍜治説
多田満仲が打たせた二刀のうちで、初め鬚切りと呼んでいたが、渡辺綱が鬼の腕を切り落としたので、鬼丸と改名したという(『剣巻』)。
これは源氏の重宝「髭切」のこととなる。
11.粟田口国綱作の打刀説
刃長二尺二寸九分(約69.4センチ)、刃文は大乱れで焼き出し、上に行くに従い小彎れ調になる。鋩子は小丸尖りで、わずかに返る。中心はうぶ、目釘孔は一つ、ただし三個が集まってできたもの、銘は差し表に、「国綱」と粟田口国綱の銘振りで切る。
(『古今銘盡大全』『長谷川忠右衛門刀絵図』)
ただし。打刀銘であるから、天下五剣の鬼丸国綱とは別物である。
調査所感
調べることの多さに定評のある天下五剣。
ガチで調べたい人以外は寒山先生や酔剣先生の著書を出典にすればいいんじゃないかな……。
調べることは多いが『太平記』や『安斉随筆』のようにデジコレでネット公開されているものも多いので割と楽に読める出典も多い。その代わり検証が細かすぎて死ぬ。
最後の同名異物問題、雑に流してしまったが鬼丸さんは名前も逸話もややこしいというか鬼切(髭切)だったり童子切だったりと割と混同されている。
刀工も結構資料によって違うらしく酔剣先生がこれは~~でといちいち整理してくれている。
しかしそれでも本によって複数の説が混じり合っている。史実ってムズカシイ。
ここでは基本的に「鬼丸国綱」の話として整理しているものも原文だと「鬼丸」までしか書いていなかったりするので話の内容は語り口によってどうとでも言おうと思えば言えてしまう。
実際、『太平記』に出てくる刀の記述は「鬼丸」のみであって刀工は国綱ではない。
しかし史実としてはこの鬼丸は国綱作、つまり「鬼丸国綱」のことであろうとされる。
ややこしいね!(だから出典の方読んでくれ)
ついでに面倒なことを言うと、上記の調査項目は主に『日本刀大百科事典』を参考にして書いたのだが、同じ酔剣先生の本で鬼丸さんについて書かれているものを確認するとそっちはそっちでまた細かい情報や印象が変わってくる。
もうあとは丁寧に調べたい人に任せた(丸投げ)。
つまり、現在御物として扱われるほどの名刀、天下五剣とされる刀であってすら、その逸話、来歴、伝説というものを史実という観点で見ると非常にあやふやなものである。
現存する刀を鑑定で非常な名刀だと判断できても、逸話や来歴をはっきりさせることは一筋縄ではいかないどころか、確かな史実を追跡することはほぼ不可能なのである。
しかし『太平記』がどれだけ読まれ研究され、更にその記述を含む「鬼丸国綱」に関する話が刀剣関係を直接扱った人々の記録だけでなく「随筆」のような形でも幾度となく収録されていることを思えば、「鬼丸国綱の物語」がどれほど強力なものかもわかると思う。
参考文献
『諸家名剣集』
(東京国立博物館デジタルライブラリー)
時代:享保4年(1719) 写本
コマ数:29
『集古十種 : 兵器・刀劔. 兵器 刀劔 一』
著者:[松平定信] [編] 発行年:1900年代(不明) 出版者:不明
目次:鬼丸太刀圖
コマ数:34、35
『集古十種 : 兵器・刀劔. 兵器 刀劔 三』
著者:[松平定信] [編] 発行年:1900年代(不明) 出版者:不明
目次:鬼丸太刀金具圖
コマ数:52~55
『故実叢書 安斉随筆(伊勢貞丈)』
著者:今泉定介 編 発行年:1899~1906年(明32~39) 出版者:吉川弘文館
目次:廿四の巻 鬼丸太刀の事
ページ数:807、808 コマ数:39、40
『太平記詳解 自9の巻至16の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:山崎攻の事付久我畷合戦の事 ページ数:7 コマ数:10
目次:新田殿湊河合戦の事 ページ数:41 コマ数:183
『太平記詳解 自25の巻至32の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:直冬上洛の事付鬼丸鬼切の事 ページ数:26 コマ数:143
目次:直冬上洛の事付鬼丸鬼切の事 ページ数:27、28 コマ数:143、144
『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻八 (寛永三年九月八日−十二月)
ページ数:104 コマ数:59
『徳川実紀 第5編』
著者:経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:卷七(享保三年七月―十二月) ページ数:586 コマ数:299
目次:卷七(享保三年七月―十二月) ページ数:592 コマ数:302
『翁草 : 校訂 4』
著者:神沢貞幹 編[他] 発行年:1905~1906年(明38~39) 出版者:五車楼書店
目次:鬼丸の太刀の事
ページ数:94、95 コマ数:53
『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第二門 御物 鬼丸国綱 ページ数:23、24 コマ数:36、37
目次:第四門 武将の愛刀 足利家の重代 ページ数:43、44 コマ数:46、47
『近世風俗見聞集 第1 (国書刊行会本) 』
著者:国書刊行会 編 発行年:1912年(明治45) 出版者:国書刊行会
目次:月堂見聞集巻之十
ページ数:478 コマ数:242
『剣話録.上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:四 相州物(上) ページ数:32、33 コマ数:26
目次:十九 同上国物にして作の違ふ所を弁ず(四) ページ数:160、161 コマ数:90
目次:三十九 刀剣は作者の流派により各得失あり(一) ページ数:306 コマ数:163
『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:宗近、国永、国俊、國次、長谷部、信国、了戒、当麻、包永の部
ページ数:118~121 コマ数:74~76
『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:336、337 コマ数:189(もしくは188)
『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第二 御物 鬼丸国綱 ページ数:24~26 コマ数:24、25
目次:第四 武将の愛刀 足利家の鬼丸 ページ数:119、120 コマ数:71、72
『日本随筆大成 巻五』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:遠碧軒記分類抄目錄 上之三 ページ数:445 コマ数:230
目次:遠碧軒記分類抄目錄 下之三 ページ数:490、491 コマ数:253
『日本随筆大成 巻十一』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:嘉良喜隨筆
ページ数:247、248 コマ数:131、132
『未刊随筆百種 第17』(データ送信)
著者:三田村鳶魚 校[他] 発行年:1928年(昭和3) 出版者:米山堂
目次:享保通鑑
ページ数:63 コマ数:41
『継平押形 : 附・本阿弥光徳同光温押形集』
著者:羽沢文庫 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:羽沢文庫
ページ数:113 コマ数:121
「刀剣と歴史 (221)」(雑誌・データ送信)
発行年:1929年5月(昭和4) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名寶展覽會の優品 / 梅園
ページ数:8 コマ数:5
『刀剣一夕話』
著者:羽皐隠史 著 発行年:1915年(大正4) 出版者:嵩山房
目次:一 鬼丸、鬼切のこと
ページ数:21~25 コマ数:17~19
『古今名家珍談奇談逸話集』
著者:実業之日本社 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:実業之日本社
目次:名刀に纏はる逸話
ページ数:33、34 コマ数:31、32
『日本名宝物語 第1輯』
著者:読売新聞社 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:誠文堂
目次:御物 鬼丸御太刀 帝室御貸下
ページ数:1~3 コマ数:22、23
『刀の手引』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1933年(昭和8) 出版者:南人社
目次:鬼丸太刀
ページ数:110、111 コマ数:56
『武道全集 第5巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1935年(昭和10) 出版者:平凡社
目次:名劍鬼丸
ページ数:119~130 コマ数:71~77
『日本刀物語』
著者:小島沐冠人 編著 発行年:1937年(昭和12) 出版者:高知読売新聞社
目次:新田義貞の鬼丸
ページ数:139~144 コマ数:77~80
『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:鬼切と鬼丸
ページ数:462~476 コマ数:243~250
『日本国史插話』
著者:野村政夫 著 発行年:1940年(昭和15) 出版者:竜文舎
目次:鬼丸物語
ページ数:115~118 コマ数:64~66
『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編 発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:九 御物 太刀 銘国綱 名物鬼丸国綱
ページ数:12、13 コマ数:22、23
「刀剣史料 (41)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年(昭和35)5月 出版者:南人社
目次:刀剣鑑定歌伝(6) 中島久胤
ページ数:11、12 コマ数:7、8
『日本名刀物語』(紙本)
(中身は1962年白凰社より刊行のもの)
著者:佐藤寒山 発行年:2019年(令和1) 発行社:河出書房新社
目次:天下五剣
ページ数:102~114
『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:北条時頼と鬼丸国綱及び北条太刀
ページ数:42~47 コマ数:26~28
『名刀と名将』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:北条時頼の鬼丸
ページ数:58~83 コマ数:36~48
『日本刀物語 続』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1969年(昭和44) 出版者:雄山閣
目次:北条時頼の鬼丸 ページ数:58~83 コマ数:41~53
目次:鬼丸の外装 ページ数:65 コマ数:44
目次:本阿弥光徳押形の鬼丸国綱の図 ページ数:73 コマ数:48
目次:本阿弥光悦押形の鬼丸国綱の図 ページ数:81 コマ数:52
『未刊謡曲集 18 (古典文庫 ; 第292冊) 』(データ送信)
著者:田中允 編 発行年:1971(昭和46年) 出版者:古典文庫
目次:火鉢異本(鬼丸)・(三三)
ページ数:186~189 コマ数:97、98
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おにまる【鬼丸】
ページ数:1巻P231~233
『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 1 武将と日本刀 豊臣秀吉執心の愛刀 御物 太刀 銘 国綱(名物 鬼丸国綱)
ページ数:43
概説書
『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第一章 天下五剣・天下三槍 鬼丸国綱 北条時政
ページ数:34
『名刀伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2004年(平成16) 出版者:新紀元社
目次:第一章 古代・平安 コラム:権力者の心の闇を払った名刀「鬼丸国綱」
ページ数:39
『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年(平成17) 出版者:光文社
目次:足利将軍家の名刀 鬼丸国綱
ページ数:91
『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23年) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 北条時政と鬼丸国綱
ページ数:104、105
『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:天下五剣 鬼丸国綱
ページ数:16
『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 鬼丸国綱
ページ数:66
『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 山城国粟田口 国綱 鬼丸国綱
ページ数:64、65
『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第2章 天下五剣 鬼丸国綱
ページ数:38~41
『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:天下・神代・伝説の刀 鬼丸国綱
ページ数:46、47
『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:鬼・妖を切った刀 鬼丸国綱
ページ数:28、29