道誉一文字が来たので
道誉一文字ゲットしたので回想163~166に軽く触れてみよう。
切っ掛けは当然道誉くんの実装ですが、内容的には回想相手の方中心ですね。
一文字はガチのヤクザだったようですが、道誉くん、回想見る限りどちらかというとファッションヤクザのビジネスファミリーなんだよなこれ。
考察なので当たり前のように回想本文出して説明していきますので間違ってもネタバレ見たくない勢が迷い込む記事ではありませんよここは。
これまでの長義くん考察を逆に派生で長義くんと出番が重なった亀甲くんや小竜くんの考察に転用。
1.一文字一家はガチのヤクザだったようです。
道誉一文字 刀帳説明
この名は婆娑羅大名こと佐々木道誉から付けられている。が、尾張徳川家が体面を保ちたいがために差し出した太刀、というほうが通りがいいかな。鎺下に「一」の文字が我が同胞の証。裏切り者には死を
裏切り者には死を? この文脈で「裏切り者には死を」……と言うことは、ああ、そうか。すぅ――
ガチもんのヤクザだこれ――――――!!(叫)
あー、あー、あー、一文字一家の「一家」って真面目にそっちの意味なのね。
一家(家族・家庭)じゃなく。一家(ヤクザ・マフィアのファミリー)か。
いやもともとそうは言われてたけど、ヤクザじゃんこれって言われてたけどマジか。
つまりさ、……他の刀派みたいな「家族」じゃないわけよ、一文字は。
他人、あくまで他刃同士の関係。
ヤクザやマフィアはなんで組織の一員を「家族」と呼ぶか。兄貴だの叔父貴だの親父だの家族的な呼称を使うか。
それってさぁ……裏切らせないためなのよ。
これ、火車切の使う「友だち」と同じ構文だわ。
ただし火車切の言う「助けられたから友だち」と違って一文字の「家族」にはモデルがある。
それが現実のヤクザとかマフィアの「ファミリー(家族)」。
俺たちは「家族」だ。だから「家族」のようにお互い助け合おう。
「家族」を「裏切る」なんてありえない。
だから裏切ったら――わかるな?
その命で償ってもらう。――裏切り者には、死を。
わーお。でもこれの前半に近いことは確かにすでに日光が言ってたな日本号に(回想97)。
弟だと思ってるから弟のように守ると。こんな物騒な後半が隠れてるわけだ。いやこれ日光が割と天然なんだろうけど。
要は刀剣男士の認識というものは名前が先行する故に、名に内実を合わせる形式で、ただしこれはヤクザの使う「家族」という言葉のようなもの。
九鬼・火車切の「助けられたから友だち」はあんなに少年漫画的で平和な可愛らしい世界だったのに、その数か月後には道誉と姫鶴のせいで本丸が仁侠映画になっとる!?
ただし、公式が紹介に載せてた道誉の入手台詞通り、道誉くん自身は割と平和主義だよな。
君が新たなビジネスパートナーかな。俺は道誉一文字。ここいらではドーヨで通っているが、好きに呼んでくれて構わない。
どうも面倒事に巻き込まれやすい体質でねえ。だが、暴力は好まないから苦労するのさ。さて……、ビジネスの話をしようか
回想163でわざとらしく叔父さん的に姫鶴に絡みに行ったのは、「家族」という要素の強調で、逆に言えば家族である限り裏切らないんだから、道誉一文字の本心的には裏切り裏切られの関係にならないことをこの表面的で大仰な「家族ごっこ」で確認していると。
「一家(家族)」という言葉の概念で縛ることによって、まず裏切りを引き起こさせない。
本物の家族ではなく赤の他人ならぬ他刃同士である以上、「裏切り=一家の否定=死」の図式がノンストップなので。
家族の否定こそが裏切りであり、その裏切りには死を与えなければならない、と。
しかし、姫鶴の方はむしろそういう牽制が気に入らない。
姫と道誉だと道誉くんはむしろテンプレなヤクザ「らしさ」を演出する、どちらかというとファッションヤクザよなこれ。
逆に本質的に根がヤクザなのは姫鶴だよな。「詰めるか」といい「今夜、いい夢見れるといーね」といい。
夢告げの鳥って触れ込みの姫鶴にとって夢は自分のテリトリーだからね……。
これもう「月夜ばかりと思うなよ」、つまり直球で「ナメた真似すると殺す」っていうかなり強烈な脅し文句じゃねーか。
道誉の名前と上の説明が発表された段階で、暴力を好まない道誉がほんと無理ってことは姫鶴はむしろ暴力肯定派、という言及をしていた予想を見かけたけどまあその通りだよね。
理屈だけで考えるとその通りだなと私も思いますし、回想163見る限りまんまその通りだったねと。この回想で暴力的な発言してるの姫だけだぞ。
2.姫と薔薇
道誉を叔父と呼ぶのは姫鶴と京極だけど、この二振りに対する態度の違いを見るのが一番わかりやすいかなと。
ファッションヤクザである道誉が本当に、「ヤクザ一家」ではなく世間一般的な意味での「身内」「家族」としての顔を見せるのは一文字一家ではなくむしろ彼の主・京極高氏(佐々木道誉)を源流とする京極家の名を冠する、京極正宗の方だろう。
前三つの回想よりだいぶ普通の語り口になっています。
京極正宗との回想の一つ前が亀甲貞宗であることと、ミュージカルで「咲」に「笑う」という意味があるという言葉遊びのヒントが出ていることを考えるとまぁ意義深い。
「その笑顔を見られるのであれば更に、と言ったところかな」
笑うことは物語として咲くこと。
佐々木道誉(京極高氏)とその刀である道誉一文字の物語が咲き実を結んだことを証明するのは、天下一の名工・正宗の貴重な在銘品であると同時に京極の名を冠する京極正宗の笑顔であると。
(そしてスルーされるにっかり青江)。
道誉一文字と綾小路行光の価値は、二振り合わせてようやく亀甲貞宗一振り分。
そういう回想165をやったあとでのこれですよ。
一文字一家として一文字「らしさ」を大仰なまでに演じて「家族(一家)」を強調する刀剣男士の、自然体で本当の家族に見せる顔というのは京極正宗に向ける顔。
京極くんの台詞も道誉のそういう二面性を知りつつ気遣っているのは、こっちが普通の家族の距離感だよね、と。
京極くんとの回想と見比べると、やっぱり姫相手のあれこれは「一家として」作った叔父像ということでしょうね。
あくまで演技でしかないからこそ、姫鶴側が拒否すればその仮面を剥がして本音を離さざるを得ない。
ただまぁ、愛着的には姫鶴の方にもあるんでしょうけど。
「家族」という関係性そのものがそこにある情を示すのか。
「家族」という関係性の概念による名の縛りが情を生むのか。
これはまぁ、正直どっちも起こり得ることですから。
3.綾小路行光の実装がほぼ確
……道誉の台詞から「アーヤ」として本丸に来ることがほぼ確定した綾小路行光、つまり不動君の兄弟です。
ただこの刀、それこそ亀甲くんとの交換話(出典『登曽草紙(登礎草紙)』)以外の詳細ほぼ不明では?
回想165の感じだとむしろこっちのがヤクザ以上のヤクザ感ありますけどどういうキャラなんでしょうね。
金二百枚の話をしているのだから拘るのは金、すなわち折紙の価値という話か?
4.婆娑羅な刀
道誉一文字の振る舞いは全体的に「婆娑羅」だなと感じます。
それが要するに「大仰」「演技」と言いたくなる所以なんですよね。
派手好みの型破りではあるけれど、真実その道に精通しているというとちょっと違う、真実そう考えているわけではない。
婆娑羅は軽く検索する程度だとシンプルな定義が見つからないなかなか面倒くさい概念ですが、派手好みで美意識に優れ十分以上の教養を持ちながらも、この手の人々が本当の意味で雅と評されることはないよな、とも思います。
権力への反逆的な意味合いも含むようなので、回想163で姫鶴が牽制しているのもそういう意味合いかもしれませんねぇ。
道誉は入手台詞でも主たる審神者に「ビジネスパートナー」として呼びかけていますから、そのビジネスが上手くいかなければ、裏切り者には死をってことで我々もあくまで首を斬られる側ですね。
主への反逆、男士自身の重視する価値観、それとはまた別に素の自分が大切にしている存在。
一年前のごっちんもニュアンス的には結構こっち方面のキャラですが、単に上杉大事のごっちんに対し道誉は「ビジネスパートナー」という新たな定義を持ってきたなと。
5.亀甲貞宗は舞台と印象一致
回想165の亀甲くんは、舞台の亀甲くんと印象綺麗に一致したなと。
綺伝の亀甲くん、長義くんと組んで行動してたんですけど、物腰柔らかなわりにクールで自信家かつ結構スパルタンだなって印象だったので、回想165の容赦ない物言いはあーうん、そうそう、亀甲くんってこんな感じ、って納得しましたね。いやこっちが原作だろうが(セルフ突っ込み)
この感覚2年連続なんだよな……去年、回想141を見た時もこの長義くん、慈伝と印象完全一致だなって感じだったので。
つまり、末満氏は原作のニトロから詳細なキャラ設定を聞いているのは当然として、その核心が一見全然別の行動を取っていても感じ取れるほど咀嚼しての再構成が上手いんだなと思います。
綺伝の亀甲くん、キリシタン大名に取り囲まれたときに「山姥切長義くんのお手並み拝見だ」とか言いながら割と無茶ぶり(はったりの続きを考えろ)してきたので、あれは相当自分の実力に自信がなければやらない行動だよなと。
長義くんの機転にもある程度信頼を置いているとはいえ、ダメだったらまぁそれはそれで切り抜ける自信と実力はあるんでしょう。
お手並み拝見、という言い方はお前の実力を見せてみろということで、まあなんというか、長義くんに似てるんだよねこのスタンス。
長義くんが亀甲くんの無茶ぶりに当然のように応えたのであっさり話が進んだように見えますけど、あそこは二振りともかなりクレバーじゃないとできないやりとりだよなあと……。
綺伝はこの二振り阿吽の呼吸過ぎるだろう……って思いながら見ていたんですが、原作ゲームでもともと亀甲くんがこのキャラなら、むしろ似ているキャラ同士としてあえて組ませている可能性の方が高いと思います。
舞台よりミュージカルの方が顕著なんですが、基本的に似たような行動を取るキャラをセットにして描いているんですよね。
ミュージカルの戯曲本なんかを読むと加州と安定が鏡写しの行動を手合せでとっていることを描いたり。
脚本代わって「花影ゆれる砥水」の頃になっても、長義くんと長谷部が似たような行動を取る部分をシナリオパートとライブパート内の小話の両方で描いていましたし。
むしろ舞台側の綺伝もそのルールに則って、原作設定から根幹要素が似ているキャラ同士で組ませたのではないかと思います。
原作ゲームの回想165の話に戻ると、道誉一文字の方が結構喧嘩腰で仕掛けているのでこの場面で亀甲くんがクール通り越して皮肉屋な面を出すのもおかしくはないなと。
亀甲くんの言動は、ある程度刀剣関係の本を読んだ人にはまぁそれはそうその通り、としか言いようがない。
名家同士や幕府への献上といった刀剣のやりとりは箔付けを必要とする。
亀甲くんなんか特に本阿弥さんが『名物帳』に露骨に「売る」って書いてあることを研究者が指摘してたりするし。
贈答用の刀は実戦的な価値とは無関係で、しかもその評価も権威付けの面が大きく決して絶対的なものではない。
刀剣そのものの価値と人の権威付けのための演出の乖離を将軍家で長く見続けた故の達観は尤もだと思います。
6.愛するものに縛られることで強くなる
其の165 『目に見えぬ束縛』
亀甲「ぼくは、ぼく自身の世間的な価値というものには興味がないし、無銘のぼくを縛り付けてくれるものは他にある」
亀甲「貞宗は、一振り一振りが思う貞宗であればいいんだよ」
道誉「今の主にはだいぶご執心のようだが」
亀甲「ああ。ぼくは、ぼくが愛するものに縛られることで強くなる」
亀甲「けれどそれは、ぼくだけではないはずだ。悔しいけれど。それは君も感じ取っているんじゃないかな?」
道誉「さて、どうかねえ……」
後半なんか面白い話してんなというか、これは慶応甲府で御前が言ってた「愛こそは力。だが、愛こそは我らを縛る鎖……」の一つの答ですね。
御前の視点は人間側が愛で縛る、作り話を与える方の話だけれど。
亀甲貞宗の視点は、刀剣男士側の行動を示す。
御前がどういうルートでそれを知っているかはともかく、亀甲くんは誰に教えられたわけでもなく自力で辿り着いている感じか……。
う~~~ん。
極修行手紙の内容といい、まあそれ以前からのキャラといい、亀甲貞宗は誰かに縛られたい男士なんですよね。……いや、SM的な意味じゃなくて。
道誉に対して見せたように、亀甲くん割とメンタル強者だと思いますが、どうもそれ故の結論が「縛られたい」「束縛を必要とする」という方向性らしい。
亀甲くんの達観の本質というのは、つまり、世間的にどれだけ価値があると言われようと、愛されなければ何の意味もないという嘆きでもあるのだろう。
将軍家で誰誰のお守り刀として伝えられていようと、それはそういう習慣に則っただけで、特に亀甲貞宗でなければだめだったのかというとそれは疑わしい。
自分の価値に自信がなければ自分には価値がない……と卑屈になるけれど、価値の高さは亀甲貞宗の場合むしろこれでもかと保証されている。
だからこそ逆に辿り着いてしまった頂点的結論。――価値があれば、愛されるとは限らない。
同じ価値の刀であればどれでも良かったと言うのなら、それは自分自身が本当の意味で愛されているとは言わない。
価値がないから卑屈なのではなく、価値があっても手に入らないものを知っているからドライな方向に行くのだろう。
その乾いた虚しさを埋める手段が……緊縛か(オイ)。
縛られることで、愛を感じる。責められることで、世間的な価値という、同価値のものと差異のない代替可能な部分だけを求められているのではなく、今ここにいる自分自身を望まれているのだと実感できるから。
……うん、まぁ理屈はなんとなくわかった気がしますね。
原作ゲームを見てもメディアミックスなんかを見ても、まあ刀剣男士は大なり小なりそういうところがある。舞台の三日月が顕著かな。
誰かのものになりたいという感情は、自分を必要とされたいという欲求。つまりは愛されたいと同義だろう。
まぁこれはどの派生でもやっているからいいとして。
亀甲くんの方に話を戻すと、その縛られたいという欲求の対象が「主」、つまりメタファー「主」なので、この「主」の意味を埋めないと話を進めるのは難しいですね。
今回の回想を前提に極修行手紙の内容と照らし合わせて細かい要素の分析もしたいところですが、そこまで行くともう亀甲くん単体の考察じゃなくいつものメタファー関連の話になるのでまた今度で。
7.小竜景光は嘘をつく
回想其の164 『対極の好敵手』
道誉「ハッハァ! 刀剣男士として顕現すれば、宿命のライバルと相まみえることもあると聞いていたが、本当だったようだ」
小竜「佐々木道誉の刀か。楠公の刀である俺とは、ここで巡り会う宿命だったって?」
道誉「ああ。裏切り、裏切られ、禍根が渦巻いていたあの時代に、純粋に敵であり続けた」
小竜「生憎、俺は運命論者じゃないし、一人の主にこだわりは抱いていない。昔話がしたいなら、他を当たりなよ」
道誉「ダウトだ」
小竜くん興味ない勢なので来歴という素のデータ以外はまったく頭に入ってなかった民なのですが、今回の回想でそういう小竜くんに思い入れゼロ勢でも大体の性格を把握できるくらいの情報は出揃ったように感じます。
道誉が「ダウト(嘘)」と指摘したポイントを整理しましょう。
・俺は運命論者じゃない
・一人の主にこだわりは抱いていない
・昔話がしたいなら、他を当たりなよ
これが嘘なので、つまり小竜くんの本音はこの逆
・運命論者である
・一人の主(楠木正成)に拘っている
・昔話がしたい
と、言うことになりますね。
とはいえ、本丸に来たばかりで別段小竜くんと親しい仲というわけでもない道誉側の言い分だけを鵜呑みにする理由もない。
小竜くんが内心で何を考えているか、そもそも小竜景光はどういう男士であるかを極修行手紙の方から確認しましょう。
修行手紙 一通目
主へ
旅はいいねえ。
自由気ままにさすらっていると、いろんなことを思い出す。刀剣は、人から人へ、家から家へ、渡りくもの。
それは主を転々とする旅のようでもある。さて、懐かしいところに出てきてしまったな。
俺の物語の始まり、ということなのかもしれないが。
修行手紙 二通目
主へ
河内。かつての主のひとり、楠木正成――楠公のいた場所だ。
楠公は忠臣と言われているな。
だが、どれだけ忠誠を捧げても、 最期は不如意のままに果てる。
結末のわかりきった道を辿る旅。
修行手紙 三通目
主へ
誰か、報いてやることはできなかったのだろうか。
……いいや、そう思った人間が数多くいたからこそ、彼の名は今でも残っているのか。名のあるもの、名もなきもの、
その指に触れ、眼差しに触れ、心に触れ、語り継がれる。
それらすべてが片鱗となる。竜は力を得て立ち昇る。新たな主を得ての旅、か。
俺は、十分以上に報われているわけだな。
名をぞとどむる梓弓……、そろそろ旅も終わりかな。
「返らじと 兼て思へば 梓弓 亡き数にいる 名をぞとどむる(『太平記』楠木正行)」
楠木正成の息子、楠木正行が如意輪堂の壁板を過去帳として名前を書き連ね、その最後に正行が書いた歌から。
これから死ぬとわかっている戦いに赴くから、死者となる自分たちの名を書き留めておく。
小竜くんの元主・楠木正成は湊川の戦いで、その息子でこの歌の作者とされる正行は四條畷の戦いで死亡だそうです。
まぁ、つまり考察としてはあれだ。
小竜くんの本心に関しては、道誉の叔父貴の言い分が正しいだろうこれ。
小竜「生憎、俺は運命論者じゃないし、一人の主にこだわりは抱いていない。昔話がしたいなら、他を当たりなよ」
ダウト、ダウトです小竜くん!
実は運命論者で、数多の主の中でも楠木正成に特に拘っていて、本音では昔話をしたいようですね。
ここで一人の主に拘るってどうなの? とか言い出す人がいそうなので補足しておきますと、小竜くんの来歴は曖昧なものも含めて判明している範囲だとあとは幕末の試刀家・山田家と天皇家(御物時代)がおもなもので、その辺の人々はそれなりに自分の人生を生きたはず。
特に不遇な最期と言える楠木正成のことを気にするのは当然と言えば当然でしょう。
井伊直弼は暗殺されていますが、小竜くんは井伊家そのものには若干関係あるけど、厳密に言うと井伊直弼じゃなくてその兄の井伊直亮に召し上げられて、井伊直弼暗殺でまた山田家へ返却という事情が絡むので、思うこと自体はあってもおかしくはないんですが、楠木正成とは並べられないでしょうし……。
小竜くんの来歴に関してはまあ「刀の事情」の方でやっているのでそちらを見てもらうとして。
回想164の〆が
道誉「小竜景光、知己こそ宝。君は俺を無視しなかった。それが答えの全てだ」
小竜「……ははっ」
小竜「昔話は、好きじゃないんだ」
で、終わっていることを考えても、強調されているのは「本当は誰かと昔話(元主・楠木正成の話)をしたい」だと思います。
つまり、小竜くんに関しては本心を隠すを通りこして、割と堂々と嘘つくなコイツ。って感じですね。
8.昔話をする相手
小竜くんが実は運命論者であるというのは一度置いておこう。
大楠公、楠木正成に思い入れがあるのもまあ当然の事だから別にいい。
昔話はしたいんだろうけど、その相手は道誉一文字でいいのか? というと難しいな。
道誉の台詞「知己こそ宝。君は俺を無視しなかった。それが答えの全てだ」を軸に考えていいのだろうか。
今までのとうらぶの論調から行くと、結果を生む過程、思考プロセスをひっくり返した方がいいか。
知己が宝となるのは、多分そのおかげで昔話ができるほうに重きを置くのではないか。
人間だったら誰でもいいから昔話をしたいとは考えずに、信頼できる人と昔話をしたいと考えるけれど、刀剣男士は逆なんだろう。
昔話ができる。だから知己は宝。
小竜くんが道誉叔父を無視しなかったことこそが、小竜くんが本当は「昔話をできる相手」を望んでいるという本心の発露であり、それは要するに小竜景光の側からも「宿命のライバル」、道誉一文字を待ち望んでいたということに他ならない、と。
要はそれが運命論者の思考ですね。
……とりあえず回想164の成果としてはやはり、小竜くんがあまりにも堂々と嘘をついているのが同じ刀剣男士側である道誉一文字から指摘された、という事実が大きいかな。
人間は割と頭の中で考えていることと言動が一致しない生き物なので台詞をそのまま受け入れるんじゃなく平素の態度や行動を加味して相手の本心を推測しなければいけないもので、物語を読むうえでもそこは同じなんですが、最近それができない人が増えているとかなんとかで。
とうらぶに関しては特に相手の発言をそのまま受け入れるべきとする層が結構強硬ですが、物語読みとしてはそれっておかしいんですよね……。
問題はとうらぶそのものが普通の物語の作り方をしているかどうか? がまず不透明なので考察をしている人が非常に少なくて混沌としているところなんですが、最近は大侵寇のおかげで区切りが見えて、百鬼夜行のおかげで方向性が示されてきたので思考が進む感があります。
と、いうわけで小竜くんが自分の本心に関してはっきりと「嘘をついている」と示されたことが回想164においては大事です。
小竜くんの内面の複雑な部分の整理なんかはまぁ、小竜くんを推してる人々にでも任せましょう。
(小竜くんにとっての楠公の存在とかまったく考えたことなかったのでやっぱ自分は小竜くんに1ミリも興味ないんだなと今回実感した勢)
9.刀派の束縛
今回道誉の刀帳台詞で一文字が思った以上にガチヤクザ! ってことがわかりましたが、これはやはり現実の一文字と呼ばれる刀工集団の形態を反映していると思います。
当然以前からそうだと言われていたものですが、その内実についてもう一段掘り下げて考えられそうです。
一文字のキャラ付けがヤクザやマフィアと呼ばれる組織をモデルにしているのは、彼らが「家族」という「名目」で己の在り方を縛る存在だからでしょう。
事実としての「家族(血縁)」だから情があることを前提にそのような行動をする、のではなく。
「家族(名目)」の盟約を結んだからこそ、血縁のような行動を取る。そこに情があるかないかは実は関係ないので、「裏切り」は即「家族の否定」として敵対行動認定され粛清されます。
裏切っても家族だろうという考えは実際の血縁を始めとした絆から家族になる関係にのみ適用される考えで、裏切らせないための盟約の言い換えに「家族」という言葉を使うヤクザ相手だと、裏切ったら即敵になり殺し合うしかないのです。
最近の展開、その考察がずっとこの方向ですが、刀剣男士の関係はひたすらこのパターンであることが判明しつつあります。
友だちだから助けるのではなく、「助けられたから、友だち」
愛したから家族となるのではなく、「家族」だから、「愛している」と演じる。
花影での長義くんの歌を聞いた時から微妙に気になっていたんですが、今回道誉実装によって追加された一連の回想を見ると、刀剣男士の刀派に関する考えの根底には「銘」の切り方がありそうですよね。
一文字派とは、刀の茎に刀工が自分の名前を切る代わりに、ただひと文字、「一」の字のみを切る刀工群。
刀工一人一人の個を消して、「一文字」という集団となることでブランドイメージを確保することを優先した刀派です。
これだと御前が引退枠になるのもわかるというか、祖の則宗は「一」の字切ってないですからね(則宗は二字銘)。
福岡一文字派の祖・則宗は御番鍛冶として「一」の字を切る許可を得た。
と言っても本人は一を切ったわけじゃなく、則宗の子孫・門下たちが則宗のブランドイメージを維持するために「一」のみを切る「一文字派」となることを選んだと。
この考えだと江の方はまぁそりゃアイドルになりもするか……と。
江は郷義弘という一人の刀工の刀なので本来なら兄弟のはずですが、江の刀剣男士は自分たちを兄弟と考えている節はあまりない。
現状においては江は無銘であり本阿弥の極によってのみ成立している。
同じ江として括られていても本当のところちょっと疑わしい部分もあれば、後から鑑定区分を変えているところもあるので確かな兄弟扱いは難しい。
その上で、「江と化け物は見たことがない」と言われる刀派なので、自分たちが本当の兄弟であるかどうかに言及する前にまず、自分たちの存在を大衆に誇示・周知するためのアイドル活動。
……うーん、富田江実装で、篭手切江のそういう思惑が開陳されたのが4月、そして今回は道誉実装で一文字の一文字らしさに言及。
去年は石田正宗と京極正宗が実装で、特に石田君は正宗の在り方を案じている。
「正宗は人の為に」(石田正宗ログインボイス)
「私たちはここに在る。もう、誰にも否定はさせない」(回想135)
内容的に第二節に入ってから、刀派に関する情報がかなり明かされる流れに入っているのではないかと思います。
亀甲くんは正宗の弟子・養子の貞宗。
貞宗派に関する亀甲くんの考えは回想165で示された通り。
「貞宗は、一振り一振りが思う貞宗であればいいんだよ」
正宗に関しては、以前の考察で書いたような気がするんですが、「人の為」という文言が「偽物」=「人の為の物」の言葉遊びの一部なので、第二節の展開と連動するギミックの一部ではないかと思われます。
となるとここで亀甲くんが貞宗について言及しているのも、この回想だけに終わらず今後の展開の鍵になると思われます。
一文字、江、正宗、貞宗とここまで銘をはっきり切らない刀派を見てきましたが、古刀の中でも彼らと対照的な刀派が他でもない長船派です。
長船は光忠とか祖に近いと二字銘(名前のみ)ですが、後代になると名前に加えて居住地や作成年月をはっきり切る刀派です。刀の情報を知りたい側からするとめっちゃありがてえ!! ってなる。
小竜くん謙信くん兄弟なんか制作年月まではっきりわかるぜ!
もちろん無銘も磨上無銘もいっぱいありますが、その作品には切っていなくても同じ刀工が他の作品に情報を切っていれば色々わかるわけで。
そんな長船は、言葉遊びとしてはホスト(主人)。
長船は、自分自身が「主」。客をもてなす、その家の主人の立場。
ミュージカルの「花影ゆれる砥水」が大般若、小竜、長義と長船が三振りも出ているのであのあたりで一度長船派に関して考えたような気がするんですが、結論としてはここ三振りとも基本的な考え方似ているなと。
そして今回小竜くんが割と堂々と嘘をつくタイプであることが判明しましたが、この辺もなんか覚えあるよね。
心の奥底で相手をどれほど大切に思っていても、決してそれを口には出さない。
……はい、国広に対する長義くんですね……。
小竜くん?? 小竜くん??!
花影で小竜くんは長義くんに対して「難儀」と言葉をかけていましたが、お前もだいぶ難儀じゃねーか! と判明したのが今回の回想164だと思います。
そんでもって大般若さんも八丁くんとの回想125を見る限り、元主に関して大して執着がないように語るタイプですね。
ただ、大般若さんの場合は相手が奥平信昌なのでそもそも心配する必要があまりないというか。回想125に関してはあれが本心でも違和感はない。
花影でも一期相手に助言していますが、一期自身はそれでも理解していなかったのに大般若さん自身は俺もお節介が過ぎると言っているあたり、長船派は他者を気に掛けずにいられない性格の割に、あまりはっきりと回答を与えてはくれないんですよね。
そうだね、長義くんも国広にお前もう要求をはっきり言ってやれよっていうくらい本音を言わないよね……。
全体的に長船の刀たちのスタンスは似ていると思います。
それでもやはり個々の刀で事情の違う部分が、その刀の個性として反映されて別々の物語を作り上げている。
三振りだけ見ても大般若さんは割と安定感があって、小竜くんと長義くんの方が似ていますが、それは後者二振りの相手の方の事情を反映している。
回想125の大般若さん見る限り、これがごっちんこと後家兼光の言う長船派の放任主義って感じはするよね。
回想其の125 『惟有黒鉄而已』
大般若「ようし! それじゃあ俺は、信長公があっという間に完勝してしまうと困るから、これから武田軍を応援しに行こうかな」
八丁「……へ、元の主が最前で命張ってるのに?」
大般若「なあに、あの方はこんなところでは終わらないし、苦労して大成してくれないと面白くないだろう?」
命張ってようがなんだろうがまあ生き残るのも大成するのもわかってるからね。大丈夫大丈夫放っておくか! と。
相手側の事情が安定していれば本来このくらい放置するのが長船派ってことなのかもしれん。
それぞれの刀派の特徴的なものの分析が進んできました。
10.銘の行方
銘をしっかり切る長船の一派は、「個を殺して一家を演じる一文字」とは逆に、「個を尊重するが故の放任主義」ではないかと思います。
今回の流れで思いましたが、刀剣の銘、その切り方がなんかこう、もともと感じていたよりめちゃくちゃ意味があるみたいだなと。
京極くんが実装されたことからその気配はありましたけどね。正宗の実力を示すには自分、つまりこの世に四振りしかない在銘の正宗が必要。
在銘がそこまでクローズアップされるのか、と思いましたが、その後に江とお化けは見たことがない、からのアイドル活動の話となり、今回は一文字一家の一文字らしさの話。銘に関しては亀甲くんも言及して貞宗の在り方について述べている。
ここまでのこの話題で特筆すべきことが一つありますが、全部古刀の話です。
新刀、そして新々刀が含まれていません。
……銘の切り方という刀剣のスタイルの変遷に絡む話がこれだけされるってことは、これもとうらぶのシナリオ構造の筋道を示すギミック要素の一つじゃないか?
無銘が基本の正宗は「人の為に」、そして
「私たちはここに在る。もう、誰にも否定はさせない」」
正宗の弟子の貞宗は「一振り一振りが思う貞宗であればいいんだよ」。
更に刀工の個を殺して一家を築く一文字と、刀工の個を主張して放任主義の長船。
銘の切り方、すなわちその刀(己)がどの刀工の刀か、いつどこで生まれどんな事情のある刀かを示すものがあるか、ないかという問題。
それがないものは疑われる。存在を否定される。けれど名(銘)がなくとも存在はそこにある。
……刀剣男士の物語は、まずそこから始まるのではないか。
「名」とは何か、「名」の何が大事で、何を持って自分たちは在るのか。
別に名前があることが全てでもないのに。
……そうだよな、刀剣の話は最初はここから始まったんだよな。名前を知って、どういう刀か調べて、けれど全てが真実というわけではなくて、全てに価値があるわけでもなくて、迷って疑って、それでも進んでいく。
時代が進む。物語が進む。
新刀時代になると、今度は名刀にその刀工の名前が刻まれていることが当たり前になる。
打たれた年月がはっきりとわかる山姥切国広。
截断銘にて切れ味を保証されている蜂須賀虎徹。
肥前忠広、加州清光、大和守安定、陸奥守吉行なんかもまあ銘があるのは当たり前だから存在ははっきりある。正宗や江のように存在を疑われることはもはやこの時代の刀にはありえない。
では名前に関する問題はないのか?
――贋作。
銘が刻まれているのが当たり前になった時代の刀も、贋作には悩まされる。名前を消される、書き換えられる、あるいは最初からご丁寧にも模作を作り上げてまで贋作となす。
また、肥前忠広と陸奥守吉行のように、持ち主の問題はこの時代でもやはり横たわっている。
時代が新刀になると、銘の問題ははっきりと「にせもの」との戦いになる。
その影響か、長曽祢虎徹などはちょこちょこ自分の名の切り方を変えている。
更に時代が進む。物語が変わる。
新々刀の時代を見よう。
太平の世に今や刀剣の価値は堕した。大阪新刀は美しいが鉄が弱く製法のせいか折れやすい。
これでは駄目だと立ち上がる新々刀の祖・水心子正秀。
彼は復古刀の精神でもって、強き古刀の作り方を復活させ、しかもそれを幅広く弟子をとり広めて一大勢力を築き上げる。
水心子正秀や源清麿は銘として刻む名を自発的にかなり変えている。
一方で、大慶直胤のように、旅先で打った刀にその地名を刻印するなど、この時代の刀の銘はかなり情報量が多い。
……うーん。
この流れ、敵と自分たちの存在の在り方への言及そのまんまな気がするよねー。
物語の初め、最初は名前を巡る戦い。これは本丸においては「山姥切」の本歌と写しとの関係に象徴される。
最初は名前がないところから始まって、あとから同じ名前のものの真偽問題という性質を持つ。
在り方についても、一振り一振りという個からできているものもあれば、個であることを放棄して集合し一家を形成するものがある。
各刀派における刀剣の銘の切り方、その変遷事情と付きまとう問題からシナリオ構造を組み上げていると思う。
んでもって銘の切り方の変遷がこれだけ刀剣男士とその敵の本質問題に連動する要素を持っているってことは、別のものも多分関係あるな。
大慶が話してた「鋼の強さ」も多分関係してくると思うんだよねこれ。
備前がなんで刀剣の一大産地かというと、鉄なんですよね。
昔は鉄の産地でそのまま刀を作っていたから、刀工の出身地・居住地がめちゃくちゃ重要。
しかし社会は移り変わり、やがて刀工が旅をしたり移動するようになる。
新刀まで話が進むと堀川国広が旅先で刀を打ったことは有名、というかその一つが山姥切国広だろ。という時代になり。
同じく新刀時代の越前康継は外国の鉄である南蛮鉄を使った刀を作っていたりする。
もはや鉄の産地で直接そこの鉄を使って刀を打つのではなく、鉄を調達して刀を打つ時代になる。
新々刀の時代まで行くと、水心子正秀はよく「卸し鉄」がどうのこうのという話をしていて、つまりより強い刀を作るためにより強い鉄はどうやって作るか、加工するかの研究を深めている。
刀の製法も当然工夫しつくして、清麿を含む江戸三作の刀工三人はとにかく刀の強度、折れない刀を作るのに苦労した。
新々刀時代は鉄が弱くて、せっかく打った刀がすぐに折れてしまうエピソードが色々残されているってことでもあります。
……大慶の回想でこの辺強調されていたのはどういう意図かと思っていたんですけど、やっぱ関係ありそうだよねこれ。
うん、回想等で描かれている出来事は多分全部何か意味があるんだろうとは思っていたけど、銘の切り方や鉄の扱いの変遷も全部古代から現代まで大まかな流れを書き出して整理して刀剣男士の性質として整理してそれを並べてシナリオに仕立て直しているいるんでしょうね。
ワー頭が痛くなってくるー。
今ざっくり書き出してみましたが私の書いた内容は初歩の初歩もいいところで適当も適当ですからね。
適当なことしかわからんながら、大慶周り辺りからなんかこの辺、女性向けソシャゲの内容としてはなんかもうびっくりするぐらい本格的に刀剣の製法メインの話をがっつりやるなとは思っていたんですが……多分、その知識が物語の本筋を理解するのに必要なんでしょうね……。
刀の話だから持ち主の歴史の一般常識だけ覚えておけば大丈夫☆ なんていうわかりやすい物語じゃないわけだとうらぶは……。
敵が何故そういう行動をとるのか、の答は本丸の男士たちの行動にある。
彼ら自身も敵と同じ刀、というか「朧」のように、彼ら自身から離れた「影」が敵の正体の一つだと言うのなら、向こうとこちらの考えていることは大して変わらない。
銘の切り方、鉄の強さ、持ち主の命運、世間的な価値。
刀剣にまつわるそれら全ての要素を抜き出し、整理し、交えて組み立てる。
刀剣たちの歴史の物語を描くために。
んあー(そろそろ脳みそパンクしてきた)。
11.一文字と長船
銘をしっかり切る長船の一派は、「個を殺して一家を演じる一文字」とは逆に、「個を尊重するが故の放任主義」ではないかと思います(二度目)。
前から気になってたけどなーんか、長船と一文字が対になってる気がするよね。
今回、ついに一文字一家の右腕が来るのか!? と目されていた道誉がちょっと大方の予想と違ったポジションだったことで、じゃあお頭の右翼誰よ!? と言う謎が再び浮上しました。
別に右翼が荒波一文字だろうと千鳥一文字だろうと今荒波一文字だろうと浅井一文字だろうと日光助実あたりだろうと我々に不都合はないはずなんですが、他の人の反応見てるとこの刀の予想が強い?
長篠一文字。
……そうなると、長篠の戦いの褒賞で奥平信昌に与えられた刀で……つまり、大般若さんと同じ伝来先です。
道誉は右腕ではなかったわけですが、小竜くんと好敵手と書いてトリックスターと読ませる仲なのは回想を見た通り。
ここで長篠一文字が来たら今度は大般若さんと縁の強い一文字ということで。大般若さんは来歴的にはもはやなんでもかんでも関わりがある感じですが。
小豆長光と山鳥毛、姫鶴一文字と後家兼光、南泉一文字と山姥切長義、小竜景光と道誉一文字。
一文字と長船に関しては積極的に縁のあるもの同士をあえて比較的に置いている感はあるので、長篠と大般若さんの組み合わせは割とありそうだなと。
上の組み合わせだと一番違和感あるのは南泉と長義くんの組み合わせですが(来歴重視ならむしろ日光と長義くんの組み合わせが優先)、これはまあ呪い要素を優先した結果だよなと。
道誉一文字は「一文字らしい一文字」のようですが、じゃあ小竜くんはどうか。
文面での言及はありませんが、言葉遊び的には長船派がホスト(主人)扱いされているのを考えると、「主を探して西へ東へ」の小竜くんはあの中だと独特の立場だと思います。
一文字一家から距離を置きたい姫と、放任主義の長船派から離れるごっちん。
呪われ組の南泉と長義くん。
小豆と山鳥毛は正直よくわからない。
詳細はまだ不明な点が多いですが、一文字と長船の対照関係はちょっと注目したいかもしれない。
12.回想同士の関連性
一つ前の実装男士である雲生さんと秋田くんの回想162が「翼をもとめて」で、二振りが鳥のように(飛行機で)空を飛ぶのには、異国の言葉を覚える必要があるっていう話をしているんですよね。
その次が一家の刀たちを大体「鳥」と言い表す一文字一家の刀で、しかも道誉一文字はやたら英語(横文字)を使いたがる、と。
これ、関連性自体は明確にありますね。
だからどう繋がるかというと難しいですけど。
今までの考察からすると、雲生・秋田の話の単純に「次」の展開が今回の回想4つによる、一文字一家・婆娑羅的な概念の話になるってことのような気がしますが。
雲生さんの前は対百鬼夜行迎撃作戦の九鬼くんで一区切りついている気がするので、この次の実装刀剣関連を注視することにしましょう。
13.望郷――不如帰去――
残った謎は「線の外」がどうのこうの、「バランス」がどうのこうのですかね。
これらの単語が具体的に何を示したいのかがまだわからない。
道誉叔父は「バランス」のために「一文字らしさ」を演じ、姫鶴にもそのために接触しますが、姫鶴はそれを跳ね除ける。
ここの核心、なんかよくわかんねーな。
道誉は姫鶴にどうしてほしくて、それがどうやってバランスを保つ流れだったんだこれ。
信じるということは、弱点にもなり得る
我々は線の外に居る。
だからこそ、何事も、バランスが大事だと知っている。
ビジネスにおいても、この世界においても
ってことは、
・「線」とは何か
・線の「外」とはどういう意味か
・バランスとは何のバランス、あるいは何と何のバランスか
その前提として、信じることが弱点にもなりうる、つまりは基本は信じることの肯定という確認が入るわけですよね。うーん。つまり、
信じることは前提、でも信じるということは、弱点にもなり得る。
じゃあバランスというのは、信じ過ぎないようにということですね。
それで姫鶴に会いに行った、ということは道誉の要求は、姫鶴に一家から距離を取れという勧告か?
雛がどうのという以上、姫鶴はもともと派閥として道誉寄りっぽい。
道誉の働きかけとして、叔父ムーヴを発揮してもともと近い姫鶴を取り込むことで山鳥毛・日光という当代の中核要素から引き離しに行った感じがするな。
説得にあまり熱心でないのは、一文字一家から離れるのはもともとの姫鶴のスタンスと一致していて結論に問題がないからか。
姫鶴の意に沿わないことをさせようとしたら本気で絞められるでしょうけど、逆に道誉側ももうちょっと説得に粘るでしょうし。
姫鶴は脅し文句できっちり釘を刺し返しているけれど、現状だと道誉の方針自体には異論がない、ということか。
ただしそれも道誉の決断が本丸に仇なさない限り、という前提なので、道誉は状況次第では本丸の敵に回る。まぁ刀剣男士の敵対は地蔵くんとか朧とか色々前例があるからいいとして。
姫鶴は道誉のどこから本丸へ仇なす部分を危惧したのかもうちょっと考える必要があるか。
ビジネスと言うか、回想163のこの場合の前提は「世界」の方にかかっている気がするんですよね。
世界のバランスを取るために、線の外にいる一文字だから、信じ過ぎないように姫鶴に勧告する。
道誉の言い分を整理するとこんな感じか。で、姫鶴の返答が。
「まあいいけど」だから、信じ過ぎないこと、一文字一家から距離を取るという勧告自体には従う。
姫鶴自身は本丸を気に入っているので、自分の目が黒いうちは道誉に余計なことはさせない。
と、言うことは道誉は世界の為なら本丸を見捨てるタイプって話ですかね。
なんか物騒な話になってきましたね。
姫鶴の行動は単にそれをさせないってだけの話か……。
う~~~ん、この話の流れな……類似したものを探すと舞台の悲伝になっちゃうな。
世界と本丸の天秤になった時、舞台の審神者は世界を選んで三日月を見捨てたことになる。
とうらぶの世界観はバランスのくずれが世界そのものの均衡を崩して崩壊につながるよーって話っぽいことは放棄された世界とかミュージカルで水心子くんが見ていた荒廃した未来とか端々で示されていましたが、そこに繋がる流れですかね。
その兆候はない……いや、もしかして「朧(三日月)」か……? まあどちらにしろ今の時点で本丸側からはわかりやすく見えてはいないはず。
とりあえず道誉は兆候が見えない段階から先々を危惧して、まずバランスを崩さないように手を打つタイプっぽいですね。
ただそれは割と理性が勝ちすぎる判断で、必要となれば本丸も切り捨てるってことではないかと。
姫鶴はその判断、線の外のものゆえ、必要となれば切り捨てる「一文字らしさ」を嫌っている。
一文字一家の「家族」とは、名前重視の実質的な同盟関係。
「家族」の役目を果たせないものには裏切り者の烙印を押して粛清する、ヤクザやマフィアの論理。
それが重苦しい。
「線の外」の「一文字」として生きるより、上杉家のように自分がそこに居たい「家」を守るために行動する。それが姫鶴の本心か。
道誉は役割の方を重視すると。
あー、この話の流れだと次で小竜くんと佐々木道誉が裏切り者って話をしているのが自然な流れに見えるな。
佐々木道誉は佐々木道誉で、自分の家のために主君であった北条高時を裏切り、北条時行と敵対し……という道を選んでいる。もとは後醍醐天皇に従っていたはずだけど、足利尊氏が後醍醐天皇と決裂したので、足利尊氏に従って後醍醐天皇を裏切った。
でも、室町幕府の成立後、足利尊氏が死んでからは幕府内における守護大名の抗争を調停したってあるな。なるほど、この辺の動きが全部道誉叔父のバランサーとしての行動に反映されているわけか。
裏切りを繰り返そうと、泥臭く足掻いたからこそ、京極家が続いた。
彼を素直に叔父様と慕う、京極正宗の笑顔が、彼にとって咲いた物語。
京極君との回想166、『婆娑羅の深層』はそのまま佐々木道誉の根幹であり、その気性を引き継ぐ道誉くんの深層ってことでもあるんだろう。
一家の姫鶴に釘を刺しに行くところから始まり、小竜くんと元主同士の敵対姿勢を明確にし、亀甲くんと価値・演出・シンボルといった外装・表面的な話を婆娑羅らしくしたところで、佐々木道誉を源流とする京極家の京極正宗のところに戻って本音――婆娑羅の深層を吐露する。
回想其の166 『婆娑羅の深層』
京極「だって、京極ではなく、あちらの……、お仕事の顔をしていらっしゃるもの」
道誉「薔薇はなにもかも、お見通しのようだ」
道誉「しかし、往生際の悪い泥臭いド根性こそ、我ら京極の根。それは忘れてはいない。望郷は心の内に留めるのみでいいのさ」
京極「そう。では、たまにお庭でお茶をしましょう。それくらいはいいでしょう?」
望郷とはなんでしょうね。彼らの帰りたい場所とは?
……いや、そうだな。わかるよ。
回想79で山鳥毛は「……この巣は、想像していた以上に貴重な場なのかもしれないな』と言う。
今回の回想166でも京極くんは「ここでの暮らしは楽しくて、時があっという間」と語る。
無限の歌が重なる歌集たる本丸という物語はそれ自体が夢みたいなものなんだろう。
素晴らしい出会いや会えると思っていなかった相手との再会が果たせる幻想の遊園地だ。
でもどんなに楽しい場所だって、本当の「家」……彼らが本来在るべき物語には敵うはずがない。
「不如帰去」(帰り去くに如かず= 何よりも帰るのがいちばん)
「不如帰」の名は中国の故事に因む。ホトトギスとなった元人間の王は己の国が滅ぼされた時に嘆き悲しみ血を吐いた。何よりも、帰るのが一番だと。
本丸という幻想を維持するためのバランサー。
でも心の内には望郷の念がある。
帰りたい。自分の国、本当の物語に。
……あー……。
道誉側のリスクはわからんが、少なくとも「山姥切」に関しては両方を成立させるために我々は「号のない長義」を無視したり、国広を山姥を斬っていない「偽物」とすることでようやく「山姥切長義」と「山姥切国広」を両立させるという無茶をさせているわけですからね。
我々の本丸では舞台の三日月刀解みたいなことが起こらない理由だと思うんだよね。
国広が長義のためにある意味自分で自分が山姥を斬った逸話を捨てていたり、道誉が「バランス」を取るために、先んじて婆娑羅らしく振舞ったり。
本丸を成立させるために、刀剣男士たちがある程度自分たちで調整してくれているってことでしょう。
姫鶴から本丸に対する裏切りを危惧されている道誉のように、刀剣男士ごとにその忠誠心や立ち回りはばらばらでしょうけど。
本丸はとても楽しい場所。多分、そこに嘘はない。
けれどその物語を成立させるのにも誰かの努力が必要で、何かが犠牲にされていて。
刀剣男士たちの本音は望郷――「帰りたい」なんだろう。
なるほどねー。
常に自分のやりたいように、自分らしく生きられた方が当然いいだろうけれど、そもそも現実だってそんな簡単ではない。
佐々木道誉は己の家を発展、存続させるために婆娑羅大名として裏切りを繰り返しながらのし上がっていった。
その刀である道誉一文字も、己の元主に近い行動を取る。
「名」という要素が重視されているから、元主の名を冠した刀はやはりその元主の性質をかなり引き継いでいる。
今回の総括として、追加された回想四つは、刀剣男士としての道誉一文字のキャラクターを説明すると同時に、とうらぶがどういう話なのかという大筋の一部を明かしつつ、色々な要素の重ね合わせも見せていて、これまでに比べるとかなり話が分かりやすかった気がします。
オイラに佐々木道誉の知識ZEROな割にはなんとなく流れはつかめて来たぜ。
刀剣男士の来歴ととうらぶの物語自体が持つギミック(おもに言葉遊び)だと後者が優先されるようなので、これまでちょっと色々保留なところがありましたが、今回は四つとも実装された刀剣男士自身の来歴との関連性が強い割にギミックの存在もしっかり感じられるものだったなと思います。
今後の課題は今回の考察で得られた可能性、刀剣の銘の切り方や使用する鉄の変化という刀剣そのものの変遷の歴史自体がシナリオの中核である可能性の追求ですかね。
もう考えるまでもなく面倒くさい上に細かいところはよくわからないのでとりあえず続報待ちで。
道誉一文字が一応宣言通り暴力嫌いで、ある意味平和主義なんだろうということはわかった。
今のところはそれで十分か。
追加ごとの回想の組み合わせはやはり特定の物事を一気に説明している流れだろうから、これまでの回想の見直しがやはり必要ですね。
七星剣と丙子椒林剣の聖徳太子ガチトークの裏として包丁くんと人妻にモテモテトークしていることの意味を説明せよ(難題)。
道のりは……長いな。
とりあえず今回はこの辺で終わります。