愛染国俊

あいぜんくにとし

概要

「短刀 銘国俊(名物愛染国俊)」

『享保名物帳』所載。鎌倉時代の刀工・来派の国俊(二字国俊)作の短刀。
二字国俊の作は太刀が多く、短刀は珍しい。おそらく愛染国俊一振りしか発見されていないという。
さらに号の由来となっている愛染明王の彫刻も珍しいものだと言われる。

来歴は『享保名物帳』によると豊臣秀吉から森忠政が拝領とあるが、秀吉所持に確証はない。

『森家先代実録』など森家側の記録によると徳川家康から拝領とされている。
しかしその場合、天正年代に採られたと目される押形ですでに森忠政の刀となっているという謎が残る。

森忠政所持のその後は、『享保名物帳』も『森家先代実録』も森忠政の遺物として将軍家に献上したことが一致する。

更にその後、1644年(寛永21・正保1)2月12日、3代将軍・家光から前田家へ嫁いだ養女・大姫が産んだ初孫(後の前田綱紀)へ与えられた。

以後は前田家伝来。

1933年(昭和8)7月25日、重要美術品認定。
1935年(昭和10)4月30日、国宝(旧国宝)指定。

その後、前田家を出て個人蔵になる。

現在は大阪府の「ブレストシーブ」所蔵。

豊臣秀吉所持、と言われる

『享保名物帳』によると、元豊臣秀吉所持。

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会 編
目次:(中) 同右 愛染国俊
ページ数:31 コマ数:18

松平加賀守殿
愛染国俊 二字銘 長さ九寸五分代金百枚
秀吉公之御物也森美作守殿拝領其後為遺物上る家光公より加州御家へ被下綱紀公初めて御目見之時拝領共其刻利常卿より御譲り共申傳候表剣裏棒樋並に添樋中心表に愛染之彫物有之

『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史(高瀬羽皐、高瀬真卿) 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:宗近、国永、国俊、国次、長谷部、信国、了戒、当麻、包永の部 愛染国俊
ページ数:95、96 コマ数:62、63

松平加賀守殿(前田侯爵家)
愛染国俊 長弐尺五寸九分半 代三千貫

秀吉公の御物なり森美作守殿拝領其後御遺物として家光公より加州御家へ下さる利綱公御目見の時拝領と云表裏棒樋並添樋忠表に愛染の彫物あり。

豊臣秀吉所持には、確証がない?

『日本刀大百科事典』
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:あいぜんくにとし【愛染国俊】
ページ数:1巻P4

本阿弥家の『名物控』には、将軍秀忠より忠政拝領となっているが、それでは押形との年代が合わないことになるので『享保名物帳』編集のときに秀吉より拝領と改めたものであろう。

『日本刀大百科事典』ではこのように説明している。

『本阿弥光温押形』採取の年代に関する検討

『日本刀大百科事典』によると、

『本阿弥光温押形』以外にも『本阿弥光柴押形』というもので「森右近殿有之」と書かれていることを説明している。
『本阿弥光瑳押形』には、「作州侍従ドノ所持」とあるらしい。

その上で押形採取の年代を分析している。

『寛政重修諸家譜』によれば、
森忠政が右近大夫に任じられたのは天正13(1585)年10月6日。
侍従に任じられたのは天正15(1587)年2月6日。

なので『本阿弥光温押形』は天正13年10月より天正15年2月の間、
『本阿弥光瑳押形』はそれ以後に採ったことになるらしい。

『継平押形 : 附・本阿弥光徳同光温押形集』
著者:羽沢文庫 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:羽沢文庫
ページ数:194、195 コマ数:202、203

森忠政が拝領する

愛染国俊の来歴に関して、森忠政(森蘭丸の弟・千丸こと濃州金山城主・森忠政)が拝領した、所持していたという史料はあるがその経緯には諸説がある。

『享保名物帳』通り豊臣秀吉所持で、かつ森家側の記録(『寛政重修諸家譜』『森家先代実録』)通りに徳川家康から森忠政が拝領とすると、どこかで秀吉から家康へ渡っていることになる。

『享保名物帳』による秀吉から森忠政が拝領した説

『享保名物帳』によると、
豊臣秀吉より、森忠政に与えられた。

しかし上述の通り、この説の場合豊臣秀吉所持に確証がないらしい。

『寛政重修諸家譜』による徳川家康から大坂夏の陣の戦功により拝領した説

『寛政重修諸家譜』によると、

元和元年の役こと1615年の大坂夏の陣の敵首206級を討取る戦功を挙げたため、翌年1616年(元和2)に徳川家康から靑木肩衝の茶壺、銀つくりの銕炮二挺とともに愛染国俊を賜ったという。

『寛政重脩諸家譜 第1輯』
発行年:1922年(大正11) 出版者:国民図書
目次:巻第百二十六 清和源氏(義隆流) 森 忠政
ページ数:759 コマ数:389

十九年大坂御陣のとき、仰をうけたまはりて天滿口をせむ。元和元年の役には仙波口に陣し、しばしば力戰して敵首二百六級をうちとる。二年東照宮より愛染國俊の御脇差をたまはり、そののち靑木肩衝の茶壺、また銀つくりの銕炮二挺をたまふ。

『森家先代実録』による徳川家康から備中国の代わりに拝領した説

作州拝領後(ただし大阪の陣以後の注釈付き)、備中国も与えられる約束をしていたが、津山城普請間もなかったため、無かったこととなり、その代わりに愛染国俊と靑木肩衝の茶壺をもらったという経緯になっている。

『岡山県史 第25巻 (津山藩文書)』(データ送信)
発行年:1981年(昭和56) 出版者:岡山県
目次:森家先代実録巻第五
ページ数:52 コマ数:66

1634年(寛永11)、森忠政が卒すると遺物として3代将軍・家光に献上した

『享保名物帳』によると、
森忠政が寛永11(1634)年に卒すると、その遺物として3代将軍・徳川家光に献上した。

『森家先代実録』にも、忠政の遺物を将軍家へ献上したという記述がある。

『岡山県史 第25巻 (津山藩文書)』(データ送信)
発行年:1981年(昭和56) 出版者:岡山県
目次:森家先代実録巻第六
ページ数:89 コマ数:84

1644年(寛永21・正保1)2月12日、徳川家光から前田家へ嫁いだ養女・大姫が産んだ初孫(後の前田綱紀)へ

『加賀藩史料』『徳川実紀』によると、

大姫が産んだ初孫・犬千代丸ことのちの加賀藩4代藩主・前田綱紀を伴って正保元年(1644)2月12日、初登営したとき、3代将軍・徳川家光は2歳の赤ん坊に愛染国俊を授けた。

『加賀藩史料 第3編』
発行年:1929~1942(昭和4~17) 出版者:石黒文吉
目次:正保元年 二月十二日。前田光高夫人、綱紀を携へて徳川家光に謁す。
ページ数:94 コマ数:51

『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻五十六 (正保元年正月−三月)
ページ数:736 コマ数:379

〇十二日大姫の御方犬千代丸をともなひてまうのぼり給ふ。犬千代丸誕生の後はじめてまうのぼりければ。愛染国俊の御刀をたまはり。

1654年(承応3)1月12日、綱紀が11歳で任官の際に祖父・前田利常から贈られる

承応3年正月12日、犬千代(前田綱紀)は11歳で加賀守四位少将に任官される。
その祝いの席で祖父・前田利常から「太郎作正宗」と共に贈られた。

『加賀藩史料 第3編』
発行年:1929~1942(昭和4~17) 出版者:石黒文吉
目次:〔三壺記〕犬千代様御任官之事
ページ数:409、410 コマ数:208、209

其時太郎作正宗の御腰物・愛染国俊の御脇差を、岡田将監披露にて御頂戴あそばさるる。

以後は前田家伝来

『日本刀大百科事典』によると、

以後前田家に伝来し、同家の記録にも「御拝領名物 愛染国俊 銘有 九寸五分 百枚代付」とある、という。

『日本刀大百科事典』が出典とする『御太刀并千貫以上之御刀脇刺』は国立国会図書館デジタルコレクションにはない。

東京国立博物館デジタルライブラリーが公開している江戸時代の写本、「前田家名物並御指料御刀脇指」の14コマ目に愛染国俊らしき名前があり、金100枚になっている。

『前田家名物並御指料御刀脇指』(東京国立博物館デジタルライブラリー)
時代:江戸末 写本
コマ数:14

1933年(昭和8)7月25日、重要美術品認定

昭和8年(1933)7月25日、重要美術品認定。
前田利為侯爵名義。

「短刀 銘 国俊(名物愛染国俊)」

『官報 1933年07月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百七十四号 昭和八年七月二十五日
ページ数:656 コマ数:5

1935年(昭和10)4月30日、国宝(旧国宝)指定

昭和10年(1935)4月30日、国宝(旧国宝)指定。現在は重要文化財。
前田利為侯爵名義。

「短刀 銘国俊 名物愛染国俊」

『官報 1935年04月30日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1935年(昭和10) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第百七十二号 昭和十年四月三十日
ページ数:863 コマ数:3

1943年(昭和18)5月15日、前田利為侯爵から前田利建侯爵へ変更

1943年に前田家の中で所有者変更があったらしい。

『官報 1943年05月15日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1943年(昭和18) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第六百十七号 昭和十八年五月十五日
ページ数:375 コマ数:14

戦後、前田家を出て、個人蔵へ

1958年の『日本古刀史』では渡辺昇氏蔵。

『日本古刀史』(データ送信)
著者:本間順治 発行年:1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三、鎌倉時代 郷義弘 作例
ページ数:61 コマ数:66

1958年の『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』では渡辺巌氏蔵。

「短刀 銘国俊(名物愛染国俊)」

『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』(データ送信)
発行年:1958年(昭和33) 出版者:文化財保護委員会
目次:千葉県
ページ数:169 コマ数:93

1968年の『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』では大野達氏蔵。

「短刀 銘国俊(名物愛染国俊)」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:千葉県
ページ数:189 コマ数:106

現在は大阪府の「ブレストシーブ」所蔵

「国指定文化財等データベース」によると、
現在の所有者は大阪府の「株式会社ブレストシーブ」。

作風

刃長は九寸五分(約28.8cm)、ただし現在はすこし研ぎ減っている。
平造り。差し表に素剣、裏に棒樋に添え樋をかく。
地肌は板目。
刃文は互の目乱れ。
鋩子は乱れ込み、先尖って少し返る。
茎は目釘孔二つ。

「国俊」と二字銘のうえに、愛染明王の像を刻む。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:あいぜんくにとし【愛染国俊】
ページ数:1巻P4

調査所感

・二字国俊には珍しい短刀、愛染明王の彫物も珍しい

愛染くんは来国俊の代表作の一振りで、刀工の説明が必要な本には大体名前が載っている。
二字国俊と来国俊の違いはそれらの周辺情報を読んでいくうちに大体わかると思われる。
刀工は同名が多いので、銘文だけだと区別がつかないことがあるんですが、来派の国俊に関しては「国俊」と二文字の銘だけを刻んだ刀工と「来国俊」と刻んだ刀工は別人だと区別されています。

愛染国俊は「二字国俊」の作品、蛍丸国俊は「来国俊」の作品とされています。

・来歴の始まりが不透明(しかしよくある)

資料に矛盾が多くて諸説がいくつかある状態なのでこーれーは、ちょっと色々信用ならないかもしれない。

『享保名物帳』による秀吉から拝領は確証なし。
本阿弥家の『名物扣』によると秀忠より拝領になっているが、本阿弥家の方でも時代が合わないのに気づいて調整した様子がある。
そして森家の方の記録『森家先代実録』などでは家康から拝領。
ただし、天正年代に採られたと考えられる押形ではすでに森忠政所持。

『森家先代実録』の中ですでに一説によると、みたいな注記がついていることを考えるとこれ、森家側の記録あやふやになってそうだなとも思います。

資料はあるものの資料の信頼性が低くて、結局確定しているのは森忠政が所持していた辺りぐらいですかね。

ただ他の刀剣も100振り以上の来歴を調べた結果、こういうことはよくあるかどうかでいえば、「よくあることです」という結論です。

刀剣に限らず歴史関係を見ても、戦国時代やそれ以前のことってそんなはっきり同時代史料残ってはおらず、『寛政重修諸家譜』も作る側は正確な歴史を記そうと大分頑張ったらしいですが「寛政(1789~1801年)」年間に製作したものですから大名家であっても戦国時代のご先祖様のエピソードの細かいことに関しては多分記憶や記録が曖昧だったりします。

確定できそうなのは森忠政が所持していた、ということ辺りでしょうかね。誰からもらったのかは実は定かではない、と。

・正保元年2月か、寛永21年2月か

審神者の先行研究に少し触れておきたい。

将軍家光が前田家に嫁いだ養女の大姫の生まれたばかりの赤子に愛染国俊を贈った年、「正保元年『2月』って間違いでは?」という指摘がある。

正保は1644年の12月始まりなので2月が存在しない、という話なのだろうが、これに関しては、おそらく上記でコマ数を紹介した『加賀藩史料. 第3編』の記述をもとにした情報だからと思われる。
この史料では正保元年の前年は「寛永二十年」となっているので、寛永21年11月までは寛永表記すべきところを単に1644年をまるまる正保元年扱いしているだけだと思われる。

・「愛染国俊」が登場する小説がある

紀伊の頼宣が神君家康から拝領した短刀・愛染国俊……という小説があるようです。
刀剣たち、我々の知らないところでいろんな作品に出演している。
実際の愛染くんと来歴全然違うみたいですが……。

他の刀もたまに歌舞伎だの講談だの小説だの色々な創作に出演していますが、愛染くんもその一振りであったか……。

『お役者坊主』(データ送信)
著者:沙羅双樹 発行年:1955年(昭和30) 出版者:同光社

参考サイト

「国指定文化財等データベース」
「株式会社ブレストシーブ」

参考文献

『前田家名物並御指料御刀脇指』(東京国立博物館デジタルライブラリー)
時代:江戸末 写本
コマ数:14

『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻五十六 (正保元年正月−三月)
ページ数:736 コマ数:379

『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史(高瀬羽皐、高瀬真卿) 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:宗近、国永、国俊、国次、長谷部、信国、了戒、当麻、包永の部 愛染国俊
ページ数:95、96 コマ数:62、63

『寛政重脩諸家譜 第1輯』
発行年:1922年(大正11) 出版者:国民図書
目次:巻第百二十六 清和源氏(義隆流) 森 忠政
ページ数:759 コマ数:389

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:339 コマ数:190(もしくは189)

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会 編
目次:(中) 同右 愛染国俊
ページ数:31 コマ数:18

『継平押形 : 附・本阿弥光徳同光温押形集』
著者:羽沢文庫 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:羽沢文庫
ページ数:194、195 コマ数:202、203

「刀剣と歴史 (213)」(雑誌・データ送信)
発行年:1928年9月(昭和3) 出版者:日本刀剣保存会
目次:掘り出し帖(六) / 本堂蟹歩
ページ数:37 コマ数:23

『加賀藩史料 第3編』
発行年:1929~1942(昭和4~17) 出版者:石黒文吉
目次:正保元年 二月十二日。前田光高夫人、綱紀を携へて徳川家光に謁す。
ページ数:94 コマ数:51
目次:〔三壺記〕犬千代様御任官之事
ページ数:409、410 コマ数:208、209

『新刀古刀大鑑 上卷』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本刀剣学会
目次:古刀之部 第一編 畿内 第一章 山城國
ページ数:54、55 コマ数:194

『三壷聞書』
著者:山田四郎右衛門 著, 日置謙 校 発行年:1931年(昭和6) 出版者:石川県図書館協会
目次:卷之二十一 犬千代様御任官の事
ページ数:311 コマ数:165

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:アイゼンクニトシ【愛染国俊】
ページ数:1 コマ数:11

『国宝刀剣図譜 古刀の部 山城』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:岩波書店
目次:〔古刀の部〕 山城
コマ数:89、90

『東京帝室博物館復興開館陳列目録 第6』
著者:東京帝室博物館 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:東京帝室博物館
ページ数:110 コマ数:59

『日本刀の近代的研究』(データ送信)
著者:小泉久雄 発行年:1933年(昭和8) 出版者:小泉久雄
目次:第十一章 各流派竝各刀工の特徴 古刀の部 畿内
ページ数:86 コマ数:64

『官報 1933年07月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百七十四号 昭和八年七月二十五日
ページ数:656 コマ数:5

『官報 1935年04月30日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1935年(昭和10) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第百七十二号 昭和十年四月三十日
ページ数:863 コマ数:3

『国宝略説 昭和9年度』
著者:文部省宗教局 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:文部省宗教局
目次:刀剣
ページ数:170、171 コマ数:98

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第一 古刀の部
ページ数:354~359 コマ数:52~54

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録
ページ数:12 コマ数:23

『山城物刀剣図譜』
著者:恩賜京都博物館 編 発行年:1946年(昭和21) 出版者:京都印書館
目次:国俊
ページ数:27 コマ数:54

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:解説
コマ数:169

『指定文化財総合目録 〔昭和33年版 第2〕』(データ送信)
発行年:1958年(昭和33) 出版者:文化財保護委員会
目次:千葉県
ページ数:169 コマ数:93

「Museum (109)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1960年4月(昭和35) 出版者:東京国立博物館
目次:二字国俊 / 佐藤貫一
ページ数:19~21 コマ数:11、12

『入門日本刀 (リビングライブラリー) 』(データ送信)
著者:清水澄 発行年:1963年(昭和38) 出版者:徳間書店
目次:古刀期の主な刀匠 国俊
ページ数:119、120 コマ数:63、64

「刀剣と歴史 (429)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年1月(昭和41) 出版者:日本刀剣保存会
目次:山城物の作風 / 吉川賢太郎
ページ数:12、13 コマ数:9

『日本刀全集 第1巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:名物と国宝 辻本直男
ページ数:80、81 コマ数:44

『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣出版
目次:山城・摂津・和泉・河内国 概説 山城国
ページ数:8 コマ数:61

『日本刀全集 第5巻』(データ送信)
著者:加島新、藤代松雄、池田末松、高橋信一郎(監修:本間順治、佐藤貫一) 発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀I 加島進
ページ数:18~20 コマ数:17、18

『日本刀の鑑定と鑑賞』(データ送信)
著者 常石英明 発行年:1967年(昭和42) 出版者:金園社
目次:名物の刀剣
ページ数:250 コマ数:154

『日本刀全集 第9巻』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:徳間書店
目次:新刀・新々刀
ページ数:178 コマ数:93

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:千葉県
ページ数:189 コマ数:106

『日本刀講座 第10巻 新版』(データ送信)
発行年:1970年(昭和45) 出版者:雄山閣出版
目次:新版日本刀講座<研究総括編> 目次
ページ数:図―23 コマ数:26

『岡山県史 第25巻 (津山藩文書)』(データ送信)
発行年:1981年(昭和56) 出版者:岡山県
目次:森家先代実録巻第五 ページ数:52 コマ数:66
目次:森家先代実録巻第六 ページ数:89 コマ数:84
目次:森家先代実録巻第十二 ページ数:300 コマ数:190

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:24 弘安の二字国俊
ページ数:149

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:あいぜんくにとし【愛染国俊】
ページ数:1巻P4

『短刀図鑑 増補改訂版』(紙本)
著者:鈴木嘉定/光芸出版編集部 発行年:2017年(平成29) 出版者:光芸出版
(『短刀』1969年(昭和44)の増補改訂版)
目次:短刀図鑑 鎌倉時代 銘 国俊(名物愛染国俊)
ページ数:32、33

概説書

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 山城国来 国俊 愛染国俊
ページ数:128

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第7章 短刀 愛染国俊
ページ数:168

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:大名・将軍が所持した刀 愛染国俊
ページ数:168、169

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:神仏・霊力にまつわる名刀 愛染国俊
ページ数:104、105

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:愛染国俊
ページ数:80