無頼の桜梅と後家兼光

このタイトルですが主に舞台の考察です

新たに実装された刀剣男士・後家兼光を中心とした考察ですが、ほぼ舞台の話です。
実装から一週間たっていますのでこんな考察探す奴はそろそろみんな入手しただろ、と容赦なく回想全文載せていきます。

これまでの原作ゲーム・舞台・花丸という原作基準に派生作品を主体とした一連の考察の引き続きで、初見の方には何がなんだかわからないと思います。

斬ると食うと、呪いの話(付舞台考)
斬ると食うと、呪いの話(付舞台考)2
斬って食って呪ったのでもう常に舞台の最悪を想定をしていく(蛇足)
慈伝再考、あるいは派生作品から見る山姥切の三毒
花丸 雪の巻考
舞台と花丸の総合的な考察

1.梅の刀、実装

前回の舞台予想で「梅」の花の重要性を取り上げました。
これを基に、次の原作ゲームの実装キャラを予想できないかと実は水面下でいろいろ考えておりました。

孫六兼元の時点で「枝葉」への慮りなどかなり舞台寄り、それも長義の心情に寄せた内容の回想が実装された。
その次の出来事、小烏丸の極修行では、綺伝で頻出した「鬼と蛇」の概念まで持ち出されている。

原作ゲームはもうあと大典太さんの次くらいに長義くんの極が来るのはほぼ確。
原作ゲームと舞台のシナリオが連動しているなら今が一番「山姥切」の物語要素を拾っている段階であると言える。

舞台の対大侵寇編は内容的に、原作ゲームだと山姥切長義の極と同じものではないか?

だとしたら慶応甲府予想とその先の対大侵寇相当話予想の内容から、原作ゲームとの連動部分を推測して原作ゲームの実装男士を予想することはできないだろうか。

舞台は「花」がかなり重要なワードになっている。
慶応甲府の新選組はおそらく「梅」。

近藤勇を守ることを願うだろう沖田総司のように、愛する者を守りたいという性質を全面に押し出してくる。

舞台のシナリオで考えると、以前の考察で便宜上「魁」と名付けた敵の性質と連動して、元陣営に敵対的である。

つまり、舞台の主人公である国広の対抗馬として、長義にとっての国広の立場を奪うように出てくる可能性がある、国広の半身と呼べる存在。

この条件で考えるなら……

次はきっと堀川派の「梅」の刀! そう、「布袋国広」だな!!

(布+足利学校打という学習要素+本体に「夢香梅里多」の文字)

2023年12月19日、「後家兼光」実装!

って思いっきりハズレてんじゃねーか!!(いつものことです)

梅は梅でも兼光の刃文! 兼光の梅! 長義の桜!
そっかー! そっちかー!

やはり先のことを予想するのはなかなか難しい。

梅は確かに梅なんですけど兼光の刀はまあまず実装される予定だったろうしそれだけじゃな……と一度は思ったんですが。

「大切なものを守りたいんだ」

……あれ?

ごっちん、このキャラ、割と舞台予想から算出した条件にニアピンしてない?

――近藤勇を守ることを願うだろう沖田総司のように、愛する者を守りたいという性質を全面に押し出してくる。

兼光の刃文を梅、長義の刃文を桜に例えることがある。

兼光は長船派の光忠の直系で、長義は少し離れるのだが、この二刀工はむしろこの二者で「相伝備前」という作風の代表工として名高い。

つまり、刀工的に長義の「対」は誰かと言えば兼光一択です。待ってました!

国広の対抗馬というのはまあともかく、国広と別の意味で長義と正しく一対の関係性の刀ではある。

そこのところを踏まえて、今回は後家兼光の登場からここ最近の原作ゲームの見えざるシナリオ傾向と舞台のシナリオ傾向に関して、少し分析を開始したいと思います。

蛇足ですが。

完全な私事で恐縮ですが、このたび推しが増えました!!(CV福山潤の文字を見た時点で)

ごっちんわりと味わい深いというか、長船派的な繋がりの意味で長義くん味があり、さらに「愛への見解」が対になっている感もあり、何かのついでや他のキャラとの関係性などではなく純粋に長義くんのキャラ造形に惹かれる人には刺さるキャラだと思います。

愛への見解、愛することのスタンスに関しては割とたまに二次創作で見るような極端に理想化された長義くん味があると思います。

言ってしまえば、長義と表裏の関係になっている関係。

今回後家兼光と比較して思いましたが、原作ゲームの長義くんはやはりバランスの取れた理知的なキャラで、むやみやたらと他人を甘やかすタイプではなく、あくまで上から目線で余裕があればもてあたしてくれるだけというスタンスのようです。

いっぽう自称「愛の戦士」である後家兼光は、自分より上杉の子に与えてね♪ というキャラです。

長義の与える対象は広範囲なれど与え方は自分が持っている分だけと限られている。
兼光は自分を顧みずに与えたいというタイプだが、対象は上杉家の刀と限定されている。

なるほど、これは綺麗な一対。

と、いうわけで今回は原作ゲームに新たに実装された後家兼光の諸事情周辺から主に原作ゲームと舞台の連動性を見ていきたいと思います。

2.回想141における「難儀」考

回想其の141 『無頼の桜梅』

長義「備前の刀が来たと思えば、なるほど、兼光の刀か」
兼光「キミは……、長義(ながよし)の。さすが、華やかで……うん、強き良き刀だ」
長義「長船の主流派であるあなたに、そのように面と向かって言われてしまうとね」
兼光「急にごめんね。備前長船の中で同じく相州伝の流行りを取り込んだ刀に声を掛けられたから、ついはしゃいでしまった。おつうにも、一言多いってよく言われるけど」
長義「いや、こちらの言い方も悪かったね」
兼光「そんなことないよ。兼光が相伝備前の始まりのように扱われることも、刀工の系譜も、それに正宗十哲の括りだって、後世の人による憶測や分類の結果でしかない、とも言える」
兼光「ただ、ボクが今感じたことは、それそのまま本当だなって」
長義「刀工として後に出てきた長義(ながよし)も、相州伝に美を見出した先達にそのように言われたら喜ぶだろう」
兼光「よかった。ボクは後家兼光。どうぞよろしく」
長義「山姥切長義だ。そうか、上杉……いや、直江兼続の刀か。それはまた難儀だな」
兼光「……え?」
長義「すまない。俺も一言多かったようだ」

刀工としての長義は二振りとも今回「ながよし」で呼んでいます。

もともと長義と書いて「ちょうぎ」と読ませるのは刀剣研究の世界で「平安城長吉」と呼び分けるための慣習的なものですので、おそらく刀工本人は「ながよし」と呼ばれていただろうという事情的には妥当ですね。

彼が作った刀は慣習的に「ちょうぎ」と呼ぶので、山姥切長義は「やまんばぎりちょうぎ」。

で、ここの長義くんの言ってた「難儀」の意味について考えてみたんだけど。

文脈的に直江を指してることと、ごっちんが刀帳で直江兼続の兜から「愛」を強調していることを考えると難儀なのは「愛」では?

長義くんの反応、上杉を思い浮かべて一瞬動揺して、いや違う、来歴的に強調されるべきは直江兼続の刀だってとこまで考えて思考を立て直そうとして失敗して思わずぽろっと口走った内容が直江兼続の刀か難儀だな、って感じ。

だからこれ、失言ではあるけどそれ故に普段隠してる長義くんの本心だと思う。

何故、直江兼続の刀だと「難儀」なのか?

文脈的に間違いなく人物由来だけど、歴史関連じゃない気がするのよね、これ。
元主がいろんな意味でやべー刀いっぱいいるのに特に直江兼続だけ注目することはありえない。

だとしたら性質。

元主の要素に由来して特徴づけられた後家兼光の性質は……愛の戦士??

「ボクは後家兼光。直江兼続とその奥方であるお船さまを元主とする愛の戦士! なーんて。そうそう、直江の兜の前立てのあーれ。愛宕権現からとか、愛染明王からとか色々言われてるね。そして、直江もお船さまも上杉家への不滅の愛のもと、厳しい状況を生き抜いた方々だった。
……おやー? やっぱりボクたち上杉最推しの愛の戦士かもしれない。大切なものを守るために戦いたいんだ」

(後家兼光 刀帳説明)

うーん、まぁ確かにごっちんのボイス聞いてると遠征部隊が帰ってきたからごはんにしようとか大切なものを守りたいんだとか愛だね、愛。

そして愛というキーワードで思い浮かべるのがもう一振り、御前。

監査官の考察で前から言ってるけど、御前と長義の違いは「愛」って言葉を使うかどうかだと思う……

同じ監査官でありながら何故長義くんの方はその言葉を使わないのかの理由が今回の、「難儀」ではないかと思う。

孫六兼元と御前の回想138の時点で明かされたけど、御前のやわらかな言葉選び「慮り」を兼元が否定した先で御前が選びなおした言葉が「持てる者こそ与えなくては」。

つまり兼元と長義の姿勢は同じだと。

兼元が「慮り」という表現を否定するように、長義は「愛」という表現を否定しているのではないか。

監査官としての御前が特命調査で加州に愛を説いていたように、長義も多分、刀剣男士の顕現傾向との関連性としての愛の作用について知識があるから、ごっちんとの回想でぽろっと失言したのでは?

男士は元主の影響を強く受ける、愛を掲げた直江兼続の刀であるごっちんはもろその影響を受けてそういう性格になる。

――愛こそは、我らを縛る鎖よ。

ネクタイを留める飾りが鎖状になっていることも気になりますが、何より気になるのは最初の顕現台詞。

「ボクは後家兼光。キミが新しい主? 戦う条件はお腹いっぱいに食べさせること。あ、ボクじゃなくて、上杉の刀に」

自分よりも、他の誰かに与えて。与えたい。
ボイス関連も

「遠征部隊が戻ってきたようだから ごはんの準備かな?」
「新しい仲間が増えるんだ ならお赤飯だな」

とまぁ、やたらとご飯を食べさせようとしてきます。

畑当番の台詞で「お米の国の刀、だからね」「その昔田畑を作っても作っても減らされてしまうお家がありまして」などともいう通り、直江兼続の刀なので米作りに関係する要素があります。

直江兼続は開墾を奨励し、新田開発に力を入れて、豊臣時代はもちろん関ケ原後に大幅に減封された後も物凄い成果を上げているんですよね。表高30万石に対して内高51万石とか。

直江兼続に関しては前述の愛の兜の話もあるし、上杉景勝の臣下だけどほぼ二頭体制だったとか(だから主君・上杉景勝の刀である姫鶴とも気の置けない間柄なのだと考えられる)、元主の性質がかなり重要な男士だと思われますのでざっと確認したほうがいいと思われます。

舞台中心の考察でここ最近ずっとやっていますが、「食う」ことと「斬る」ことは同じ意味であり、「物語を食らう」ことに直結していると考えられます。

後家兼光は元主の直江兼続を介した性質から、己よりも他の物(上杉の刀)に物語を与えすぎてしまうと言う意味で難儀なのだと考えられます。

愛は難儀。

だから、長義はその表現を使わない。

一方で、「与える」「与えたい」という概念は長義自身にも深くかかわってきます。

「持てる者こそ与えなくては」

御前と孫六兼元の回想138で話題になった「枝葉への慮り」からの言い換え。
自分の持っているものを知るためにこそ、その物語を語った相手を知ろうとする孫六兼元。

それを一文字則宗は「枝葉への慮り」と介し、兼元の言い分を聞いて「持てる者こそ与えなくては」と言い直す。

「与える」「与えたい」という概念はやはり愛以外の何物でもないでしょう。
けれど、それが決して良いだけのこととは限らない。

ごっちんの与えたがり(やたらとご飯を食べさせようとする)を見ているとわかりやすい。
自分はいいからあの子に与えてね、という感覚はともすれば危ういと言えましょう。

長義くんの言う通り、直江兼続の刀たる後家兼光はなかなか難儀な刀だと思います。

そして長義自身の場合は愛故に与えるのではなく持っているから与えるのだと高慢で包み隠すから一見わかりにくい。

原作ゲームの長義はやはりかなりバランスがとれていて、与えるにしても与えすぎることはないと思います。
けれどもてあたの台詞が示す通り、与えたいという意志自体は強く持っているので、切っ掛けがあればバランスが崩れやすいとも見える。

そこは常に考慮に入れておきたいと思います。

愛とは、「難儀」なものであることを。

3.「猫の呪い」と「虎アレルギー」

「祝いか、呪いか、一言多い、か」

ごっちんの「猫(虎)アレルギー」は南泉の「猫の呪い」の対極だと思う。

斬って(食った)物語に内側から浸食されるのが呪いだとすると、
アレルギーは色々あるけど摂取した成分への免疫反応で、

・体に入った成分を異物と認識
・それ以上摂取できない
・同じものを摂取し続けると発症
・自分の体の防御機構が、自分自身を攻撃する

などの特徴がある。

この回想で虎と猫の相似から憧れと現実の話をしているってのがめっちゃ重要だなって。

回想其の142 『あこがれとげんじつ』

後家「その昔。この国の人は、虎の絵をたくさん描いた。見たこともないのに」
五虎退「でも、猫はいましたよ」
後家「なぜ、猫と虎が似ているとわかるのか。見たことがないのに」
五虎退「ええっと……」
後家「かの謙信公の幼名は虎千代……、虎とはいかなる動物か……」
五虎退「あ、あの、ごっちんさん???」
後家「純粋に気になることに……意識を飛ばしてたんだけど……へ、へ、へくしょん」
五虎退「わ、わわ!」
後家「虎くんに近寄ると、さっきから鼻がむずむずしてっへ、へっくしょん、へくしょーん……ずび、なんだこれは」
五虎退「ごごごごめんなさい!!!」

……憶測は物語への憧れ。

摂取し続けると防御機構であるはずの免疫が、自分自身の体に不利な反応を引き起こすためにそれ以上摂取できない。

でもごっちん自身はごはんだのお赤飯だの割と「食わせ」てくるキャラなんだ……

前回の孫六兼元の時も回想4つは話題に流れがあるように感じましたが、今回の後家兼光の回想もこうして眺めてみると3つとも繋がりがあるように感じます。やべえなそのうち全員の回想見直さないと。

姫鶴との会話から「一言多い」をやり、長義との会話で「憶測もそれそのまま本当」をやり、五虎退との会話で「見たこともない虎」へのあこがれの話をしながらくしゃみをする。

虎はあこがれ。
猫はげんじつ。

現実に身近にいる猫を見て、見たことのない虎に関して憶測することは、あこがれを意味する。

かなり重要な話題なのでこれまでの「猫」や「虎」に関するあれこれを多分見直さなければなりませんねこれ。

……「虎」と言えば虎徹。

蜂須賀は公式Twitterの紹介で

虎徹の真刀である彼は弟を可愛がるが、贋作である兄を蔑む。
しかし本心では兄の実力や無骨さに惹かれている一面も。

なんですっけ? これはもしかして「あこがれ」なのだろうか……。

虎に徹する虎徹は、理想を突き通した刀工とその刀たち。

だから蜂須賀はああなるのか。
虎への理想を追い求め、一方で憶測という不確かな偽物への拒絶反応として、贋作である長曽祢さんを蔑む。
しかしその根底にはやはり、真作とは別の形で理想を追い求める物語である兄への憧れが尽きない……。

とうらぶ的に虎が憧れのメタファーだとするとこれまで虎が出てきた場面の解釈が結構変わってきますよね。

舞台の慈伝や花丸の雪の巻で必ず「南泉(猫の呪い)」と「五虎退(虎への憧れ)」がセットだったことが物凄く意味を持ってくる。

花丸の解釈ストレートにやべえな。
全部猫の呪いのせいにする南泉(現実への忌避)。
虎を探して可愛がる五虎退(憧ればかりを追っている)。

慈伝の方は、
眠りながら早く呪いを解かねーとと零す南泉(現実に打ち勝たねばと考えながらまだ夢を見ている)。
三日月の心であるどんぐりを探す五虎退(憧れ、理想はなくしたもの、ここにないものでありそれを探す)。

うーん、花丸はわかりやすいけど慈伝は話のどこの段階で意味をとるかでちょっと解釈が……。

いやでも、どっちも多分入れ子式二部構成でそれぞれの話の主役の性質に関わってくるんだよな。

ということは猫は花丸だと安定、舞台だと国広。
虎は花丸だと清光、舞台だと長義。

ただ舞台は配役固定じゃなく三日月の入れ替わりで長義が入ってきて更に長義・国広がバトンタッチで逆転する構造だから多分固定できないよなこれ。
舞台は長義・国広の間に割って入るのが南泉、どんぐりという三日月の心を見つけるのが五虎退という意味でもちょっとここの解釈もうちょい真剣にやる必要あるな……。

今ざっくりまとめるなら花丸はどちらかというと現実より理想を追う性質が強い(時間遡行軍的本丸)というこれまでの考察の繰り返しになりますが、舞台は現実(史実)と憧れ(憶測、創作)の狭間で揺れ動く感じになる……気がする。

花丸は今回まだ「雪の巻」ぐらいしかまともに見ていないのでこの辺分析するにはもうちょい情報取得する必要ががが。

とりあえず今回の成果。

猫は現実。
虎は憧れ。

4.刀剣男士と模倣の話

回想其の140 『葦辺の鶴雀』

姫鶴「ごっちん、あんまし暇とか言わない方がいいよ」
後家「うん? どうした?」
姫鶴「上杉ではそれでいいけど、ごっちんは長船ぶらざーずでしょ。しゃきっとしな」
後家「どーした、おつう。そーゆうなにらしくーとかべきとか、一番だるいって口だろ?」
姫鶴「……は? だから、一言多いんだわ」
後家「直江の癖、みたいなものだよね。仕方ない」
姫鶴「……うざ、反面教師にしな。っても、刀が人を教師にするってうけるけど」
後家「そーかな。現に刀剣男士はこうやって人の形を模している訳だから、人に倣い、習ってるってことになるんじゃない?」
姫鶴「それこそ、人身御供代わりの、刀身御供ってこと」
後家「笑えねー」
姫鶴「笑うとこじゃないし」
後家「……」
姫鶴「……」
後家「……ふ」
姫鶴「……はは」
後家「慣れた?」
姫鶴「そーゆーこと、聞く?」
後家「ごめん」
姫鶴「……ん」

順番的には本来こっちの考察から先にやるべきなんでしょうがこっちが一番難しいなと。

しかしこの回想、重要な意味を持ちすぎている。

今回の実装キャラを予想する時に「布袋国広」を持ち出した理由は推測のベースに舞台のシナリオを使ったからで、舞台の主人公が国広だから正直国広の要素に寄せすぎちゃったかなと思いました。

山姥切国広の最大の特徴は「写し」。

布袋国広が来るなら布要素と足利学校打ちという前提から学習要素があるのでそろそろ山姥切国広の「模倣(学習・写し)」と対になって三振りとも同じ「天正十八年」銘を持つ長義とも関係が深いキャラが来るかなと。

実際に来たのは後家兼光だったのでさくっと外したと思ったのですが、そこでまさかのこの回想。

「人の形を模している訳だから、人に倣い、習ってるってことになるんじゃない?」

模す(写す)ことは、「倣い」、「習う」。

模倣要素何もない君がこの要素の開陳すんの?! って感じですが現にようやくとうらぶは「写し」に何の性質を振っているのかの解説が来ました。

「倣う」は「真似をする」。
「習う」は「学習する」。

ぐらいの意味でとればいいかな。

国広の写し要素が仏教的なメタファーだとどういう意味で使っているのかを考えた時に道元の『正法眼蔵』が引っかかってきましたのでこれではないかと思うんですが、私もまだあんまりよくわかってないので今回はちょっとこの辺の話は割愛します。

そして回想140のもう一つの重要なワードは「人身御供」と「刀身御供」。

単純に漢字だけ見れば人身と刀身が互換関係にある。

ここまでは舞台など明らかに人の物語と刀剣男士の物語がぐるんぐるん逆転して互換されているので納得はいきます。

問題は人身御供の解釈ですよね。

「人身御供」に「刀身御供」。

「人身御供」と言えば生贄ですが……何のための生贄かと考えると正直よくわからない気も。

ううううううん。

話の流れを整理すると、この話題は次の長義との「無頼の桜梅」と同じく、「一言多いのは直江の癖」という「後家兼光の性質」から始まっています。

直江兼続の刀が一言多いのは、メタファーとしてはやはり愛故に憶測を働かせすぎてしまうということなのか?
史実由来でも直江状(直江兼続が徳川家康を怒らせたとされる書状)の件があるので直江の刀が一言多いと言われると何となく納得してしまいそうにはなるんですが。

とりあえずそうした「直江兼続の刀である後家兼光の性質」を、姫鶴は元主をむしろ反面教師として正せ、と言う。

刀が人を真似するのはおかしい。
一方、後家くんは刀が人を真似するのもそうおかしくはないという。

それに対する姫鶴の返答がこれか。

「それこそ、人身御供代わりの、刀身御供ってこと」

刀が人を真似することを当たり前だと思っていては、人身御供ならぬ刀身御供、すなわち「生贄」になってしまうよ、という話だと思われる。

そうかそういう流れか……。

要するに「葦辺の鶴雀」は「無頼の桜梅」と合わせて、長義も姫鶴も後家兼光のスタンスに警告しているんだなと。

これも逆か。
この回想から順番に見ていくべきかと思ったけど、全ての根源にある「虎アレルギー(虎への憧れ)」の話を最初に見て、長義の警告、愛を信じる後家兼光の性質は「難儀」であることを理解してから、最後に姫鶴の忠告、人を真似るな、愛に流されるな、そうしないとお前自身が「刀身御供」、つまり生贄になってしまうよ、だと……。

自称「愛の戦士」だと冗談をとばすほど愛に対して肯定的な刀を実装して、回想でその危うさを描く。
全ての根底に在るのは虎。まだ見ぬ物語への憶測や憧れ。

研究史の話からすれば、長義の「山姥切」も国広由来の憶測で根拠がないわけですが、姫鶴一文字のあの研師の夢に出てきた姫が……という伝説もこれ根拠ないんですよね。特にこの伝説を記した史料ない。いつからか知らないけどいつの間にかそういう話になっていた創作だと考えられる。

つまり、研究史の性質的にそもそも長義と姫鶴のスタンスがちょっと似ているんだと思われる。

そして両方ともある意味で後家兼光と対になっている。

姫鶴の考察これまで完全に手付かずなんですが、刀剣の研究史的にもキャラ造形的にも姫の兄貴は山鳥毛のお頭と対の造形で表裏だと感じます。

山鳥毛も姫鶴も上杉の刀で「鳥」が象徴的。
山鳥毛は一文字を重視し、姫鶴は逆に一文字とは距離を置きたい。

そして山鳥毛の左腕に日光一文字(名前から般若(智慧)要素が強い)。
対する姫鶴の右腕が後家兼光(愛(慈悲)要素が強い)なのだと思われる。

山鳥毛の左腕は姫鶴が刀帳説明で「無理」って言ってた「道誉一文字」ではないか? と予想されていますが……「道」の「誉」も般若・智慧寄りの名前だろうか。老荘思想が「道」なんだよね。

舞台と花丸の総合考察で「女性」要素は「陰」であり、その「陰」こそ「愛(慈悲)」ではないかという結論になりましたが、そこから考えると「姫」と「後家」は両方名前から女性要素が強い「陰」属性の強い刀に思えます。

山鳥毛周辺が般若(陽)寄りだとすると姫鶴周辺は慈悲(陰)寄りになるんだろうか。

どうもこの辺、三位一体と表裏の関係性があるように思えます……が、全体像を見ようにもなんかどんどん構造が複雑化してきてよくわからない!(オイラの知力の限界)

今回の回想3つを見て思ったのは、ごこちゃんはひとまず置いておくとしても上杉家の主従としての姫鶴一文字と後家兼光、相伝備前の長船としての長義・兼光が明らかに対になっているという構図ですよね。

こういう表裏の対関係が各所に設置されているというか、必ず誰かと緊密な対になる要素で繋いで各キャラを造形していると思われます。網目模様っぽいのか? だからたまにこの子のこの要素なんで……? が出てくるのだと。

後家兼光は研究史的には太閤遺物で直江兼続の刀になり、その後お船の方から上杉家へ献上というのが戦国時代を中心に見た来歴で、あとは幕末の上杉家の去就と土佐山内家への繋がりの関係で山内家に……って感じですがデジコレの研究書だとあまり取り扱われていない刀なので特筆するような情報はあまりなく、大体所蔵元である静嘉堂文庫美術館のサイトで把握できると思います。

物語の多い刀という感じでもないんですが、ごっちんとしては自分より上杉の刀に食べさせてあげてねと言うわけで……。

名前の「後家」という女性(陰)要素が示す「愛」と「憧れ」、そこから生まれる「憶測」の重要性。
その理屈に大きな役割を果たしているのがおそらく姫鶴との回想の主題、

模倣(写し、真似、学習)要素と人身御供(生贄、身代わり)

うううううん。舞台のシナリオから「梅」の刀を考えて、国広の対抗馬である仮称「魁」の性質からこの辺を予想したのは手段としてあながち間違ってない気がしました。

これ要するに舞台で言うところの「禺伝」と「単独行」辺りの話題にかなり近接した要素じゃないか?
(まだどっちも見てねえ)

ということは、舞台のシナリオと原作ゲームのシナリオはやはり密接な相関性があって、おそらく同じ理屈で違う物語を描いているのだと思われる。

その読解に必要なのが、各刀剣男士の比喩(メタファー)の理解という結論になる。

模倣する、真似することの肯定は愛。

しかし虎、憧れへの行き過ぎた憶測はアレルギーを引き起こし、体の免疫・防御機能が自分で自分を攻撃するという症状を引き起こす。

愛は難儀、だから、あまり真似るな、追うな、与えようとするな。

それは自分で自分を滅ぼしてしまうから……。

…………なんかこう、まとめるとどんどん舞台の国広の要素に近づいてきている気がします。だからこそ最初の梅の刀の予想と実際に実装された男士に共通性があるんでしょうが。

今回の後家兼光と山姥切国広、特に舞台の山姥切国広というのは要するに間に山姥切長義を挟んだ上で対照的な造形と読み取ることもできます。

後家兼光も極国広も、愛故に自分を対象に与えすぎてしまう危うさがあって、それが虎アレルギー。

すなわち、憧れ(憶測)を追いすぎたその姿勢により、免疫が自分自身を攻撃する結果を引き起こしてしまう、という話ではないかと。

うううううん。

やっぱりこれ、原作ゲームと舞台その他派生のメタファーの構造もっと丁寧に見ないとダメですね。

5.影は本体を離れない

と、いうわけで原作と派生のメタファー照合作業、まずは一番わかりやすいところから行きたいと思います。

「影」に関する話。

敵側で「影」と呼ばれているのはまず、天保江戸の窪田清音など。水心子や清磨が敵の性質をそう判断しています。
そして舞台の国広の分身、「朧なる山姥切国広」「山姥切国広の影」と呼ばれる存在。

更には言葉を言葉通り正確に繋ぐなら、無双のボスである「面影」も「影」として考えていいかもしれません。
確かに「面影」の敵と味方への分離具合は、舞台の三日月と「鵺(時鳥)」との関係性や、国広と「朧なる山姥切国広」の関係性を思わせます。

私が今把握しているのはこのぐらいですね。

ここまではあくまで敵としての「影」の性質の話でしたが、味方側の刀剣男士にも「影」という単語を口にする子がいます。

回想其の94 『兄の影として 波』

千代金丸「治金丸。北谷菜切から聞いたぞ」
治金丸「何の話かな、だい兄」
千代金丸「……俺の影として動いていると」
治金丸「まいったなあ……」
千代金丸「そういうことは、しなくていい」
治金丸「オレがだい兄の影であるのは、今始まったことじゃない。これがオレのなんくるないさ、だよ」
千代金丸「なんくるないさとは、返せないよ」
治金丸「背負うことがオレの生き方だよ。そして、オレはそれを望んでいる」
千代金丸「……治金丸」

ちがちゃんは自らを兄である千代金丸の「影」と称しています。

琉球三宝剣は入れ替わり疑惑があるとはいえ、特に治金丸が千代金丸の影だと呼ばれるような歴史はありません。

それを言うなら治金丸と北谷菜切の逸話だって混在していますし、この話は来歴から考えると完全に納得はできず、とうらぶ独自のテーマ性の方が強い会話だと思います。

治金丸が千代金丸の影として動いているのは治金丸の言通り、治金丸自身の望みなんでしょう。

「背負うことがオレの生き方だよ。そして、オレはそれを望んでいる」

そういうことはしなくていいと言っているのに勝手に背負われている千代金丸はむしろ悲しそうなのが特徴ですね。

そしてこれを踏まえた上で、治金丸の「影」話の続きとしてこちらを見ていきます。

回想其の118 『風浪』

笹貫「はは、……こうも簡単に背後を取られるとは思わなかった」
治金丸「…………」
笹貫「それで、オレを斬りに?」
治金丸「いいや。オレは影だ。影が勝手に決めることはない」
笹貫「そっか。ひとまず安心した。この身体というものでやってみたいこともあるからさ、そう簡単には手放したくなくて」
治金丸「ああ、それは主のものだ。オレたちはこれを使い、力を合わせてやらねばならないことがある」
笹貫「お、歴史を守るって~あれだな?」
治金丸「そうだ。どんなに苦しい歴史であろうとも。お前がどこの刀であろうとも」
笹貫「……背負うねぇ」
治金丸「お前に言われることじゃない」
笹貫「あー……わるかった。いや、どうにも凝り固まったのが身近に居て……つい」
治金丸「お前が主のもとで同じ目的のために力を尽くす限り、影はただ影のまま」
笹貫「…………。……背負うことで得た形とも言えるのか。この身体、一筋縄ではいかないってことだな」

治金丸と笹貫のぎすぎすトーク!

……この回想、発生条件の方といい、琉球三宝の次に同じ夏の連隊戦で笹貫が来たことといい、三位一体の琉球三宝に対し、笹貫こそその表裏の物語って気がしますね。ある意味この四振りでセットか。

ここで治金丸が「影」というものの性質を考える上でめちゃくちゃ重要なことを言っている。

「オレは影だ。影が勝手に決めることはない」
「お前が主のもとで同じ目的のために力を尽くす限り、影はただ影のまま」

……舞台の「朧」の発生周辺事情を考えた時の解答これでは?

本体が理性をしっかり保てている時は、「影」は無害。
その「影」が勝手に動く時は、本体がバランスを崩した時。

「影」である限り、あくまで本体の付属品で、回想94から考えても「影」自身がそれを背負うことを望んでいる。

……舞台の「朧」に関して言えば、あれは山姥切国広本体とはとても言い難いが、それでもその内面は国広自身からそう離れてはいないと考えられる。

舞台の国広が三日月を取り戻したいのは当然だから。
けれど、いくらその願いを持っていても、山姥切国広という刀の在り方を考えた時、そのために歴史改変を実行するとは考えづらい。

「影」はあくまで「影」。
けれど「影」であるからこそ、本体の思考を反映する。

天保江戸の敵や花丸の安定の夢などもこの条件に合致すると思われるんですよね。

そして重要なのが以前にやった、謡曲「山姥」の中に挿入されている『伊勢物語』芥川の一幕。

そもそも鬼の発生原理は、現実でその選択肢をとらなかったこと。

在原業平は二条の后を攫わなかった。
だからこそ、史実とは逆に鬼が女を食ってしまった「芥川」の物語が発生し、ただの名前のない「昔、男ありけり」になる。

ここ最近の考察では「鬼」と「影」をほぼ同一の物として扱って来たんですが、こうして「影」の性質がはっきりしてきて、そして舞台の「鬼」こと仮称「魁」と予想した敵が何をやらかすかを考えた場合、こういう予想になります。

「影」は本体を離れない。

「鬼」は本体を離れて、本体の欲望を歪んだ形で叶える。

蔵の中に最初から鬼がいたとする『伊勢物語』「芥川」では、鬼は一口で女を食ってしまう。

男はその時になって、かつて追手を振り切り逃げるのに必死で女の問いに答えてやらなかったことを後悔しながら、あの時に一緒に死んでしまえば良かったと悔しがる……。

あれ、この配役だと結局は影じゃなくて国広の方が鬼じゃね???

多分、『伊勢物語』を「なぞらない」んだろうね。

女を攫う男、仮称「魁」国広はこれまで本体である国広が答えなかった長義の「じゃあなんと呼べばいい?」に答えるんだろう。綺伝のガラシャ様が地蔵くんに自分を姉上と呼ばせることに成功したように。

そして芥川の男の願いを叶える。共に死んでしまえば良かったという願いを。

後に遺されるのは、長義を斬って鬼となった国広だけ……。

まぁいいかそれは。どうせ私の脳内の適当な予想だ。
実際のシナリオがどうなるかなんてわからんわからん。お前は今回見事に実装男士予想外しただろう! って感じですしおすし。

原作ゲームの「影」の話に戻ろう。

回想118の雰囲気からすると舞台との照合から考えた場合可能性の一つとして、治金丸は「影」、そして笹貫はそれこそ「鬼」。

つまり七星剣以降、第二節からここまでに実装された男士は敵に回ったときの性質が「鬼」と同義であることが考えられないだろうか。

刀剣男士を実装時期で考えた場合。

第一節前半 サービス開始からいる男士~特命調査開始前(千代金丸あたりまで)
第一節後半 特命調査開始・山姥切長義実装~対大侵寇まで(福島光忠かその次の七星剣まで)

第二節前半 稲葉江から今回の後家兼光、あるいは次の男士くらいまで
第二節後半 次かその次の男士くらいから、特命調査の逆順復刻と連動

この構成で、刀剣男士の台詞や性質から繋ぐ原作ゲームのシナリオは舞台や花丸の入れ子式二部構成と完全に連動しているのではないだろうかと推測する。

6.星の鬼、「魁」と「先鋒」

上で「影」と「鬼」(仮称「魁」)の話題から、原作ゲームの第一節と第二節の構成に関して推測した。

第二節後半戦開始を予想する理由の一つは、今年10月に慶応甲府の復刻が来た事による、特命調査がこれまでと逆の順番で復刻する可能性である。

では、刀剣男士の分類を「稲葉江から後家兼光まで」としたもう一つの理由は何故か。

次の男士も入るかもしれないとは思うし、お前上の予想第一節と第二節の間の七星剣の扱い適当じゃない? って感じではあるんですが。

……多分、第二節の前半の実装男士は「稲葉江から後家兼光まで」で、第一節の後半は「山姥切長義から福島光忠まで」だったんだと思う。そしてその間の「七星剣」がやっぱり重要だったんだと。

舞台の敵の性質を予想した時に言葉遊びから、

「月の龍」こと「朧」の次だから「星の鬼」で「魁」

と推測した理由に関係があります。

原作ゲームではすでに「星」が実装されている。
対大侵寇防人作戦の報酬、「七星剣」が。

舞台の第2部は要するに原作ゲームの第一節後半と完全に同じで(特命調査から対大侵寇まで)、その先の第二節は要するに舞台の第3部と予想する、今の国広と長義の物語の流れが対大侵寇相当の話により決着を迎えた以後の話と同じ構成なのではないか。

維伝以降の舞台を見ると、本丸の刀たちは敵の性質を「鵺のよう」と分析している。
さらにこの「鵺」こそは、「山姥切国広の影」と連動、性質的に同じものだと考えられる。

原作ゲームの第一節後半実装の男士、つまり山姥切長義~福島光忠までの刀の性質は「影」寄り。

舞台の維伝から次の慶応甲府までの敵の性質と連動しているのではないか?

そして原作ゲームの第二節前半実装の男士、稲葉江から後家兼光までの刀の性質は「鬼(仮称・魁)」寄り。

維伝以降の舞台が「鵺」=「朧(月の龍)」の性質を説明しているように、舞台の第3部でその性質を説明される敵「鬼」と同じなのではないか?

舞台だと「鵺」と「朧」は素直にイコールで繋いじゃって良さそうなんだけど、他はまだ保留にしたい。

仮につなぐとしたら「鵺」の対応に「蟒」を予想したけどこれがイコールで「魁(星の鬼)」かは……いややっぱわかんねーわ保留(オイ)。

酒豪の異名、「蟒」が相手を呑みこむ理由が「愛おしい」からだとしたらまあ同じようなものかもしれないけど。

確度の高そうな話はどちらかというとこっちかなと。

特命調査 天保江戸 其の80 『江戸藩邸上屋敷 最終戦勝利』

水心子「歴史を捻じ曲げようとする輩がいれば、それに抵抗して元に戻そうとする力が発生する」
蜂須賀「……そして、その先鋒を担うのが俺たち刀剣男士」
水心子「ああ。刀剣男士の誇りはここに」

「先鋒」を別の言葉で表現するなら天保江戸回想76、77でも使われている「先触れ」や、あるいは「魁(さきがけ)」になるだろう。

天保江戸は「影」だけではなく実は「先鋒(魁)」と二種類の敵の性質を説明している可能性があって、その場合、その敵はもはや刀剣男士と同質クラスだと言っていいと思われる。

我々は現実的に同じ言葉を使っていても意味が通じないと言う経験をよくするので両者の会話が通じていない時、同じ言葉でも意味が違うかのように捉えがちである。

しかし、言語本来のルールからすれば、同じ言葉を使ったときは同じ意味を両者が思い浮かべなければならない。
言葉とはそういうものである。

リンゴと言われたらAさんもBさんもリンゴを思い浮かべてもらわなければ会話が成り立たない。
リンゴと言われたら別のものを思い浮かべてしまうと言うのは、言語が通じていない状況である。

また、例え言葉が違っても、同じ意味の言葉を聞いた場合も当然、同じものを思い浮かべねばならない。

「先鋒」の言い換えは「魁」。

つまり――舞台で「朧」の次に出てくる山姥切国広の分身は、もはや本体である国広自身と「区別がつかない」。

山姥切国広そのものである。

これが要するに歴史を変えようとするものの正体だろう。

「先鋒」と「魁」が同じものを意味する言葉だということを考えると、その結論にしかならない。

ということは、上で引用した天保江戸回想、水心子と蜂須賀の会話の意味は

「歴史を捻じ曲げようとする輩」がいれば、それに抵抗して元に戻そうとする力が発生する。
その先鋒を担う(魁)のは、刀剣男士。

……という、なんとも救いがたいことになる。

舞台を見ていても、歴史を変えようとするもの、歴史を捻じ曲げようとするものとは我々自身のことだなと思う。

そして多分それは、原作ゲームの時点で国広が修行先で自分が山姥を斬った逸話を持っていると知っても長義のことを考えるあまりにその結論から目を逸らしたことと同じなのだろうと考えられる。

ただし、だからといってそれが完全に間違っているとは決して言いきれない。

国広が本物の山姥切は自分! 本科は偽物! とか言い出したらキャラ崩壊……もとい、それはそれで、これまで語られた歴史を安易に否定することになり、別の意味で歴史を捻じ曲げようとすることにならないか? と思う。

これは要するに長義実装以来、我々プレイヤー側でも本当に正しい答らしきものが出せない葛藤と同じではないか。

主に長義くん実装時の騒動のせいで現状ではどちらかというと国広が山姥を斬った逸話は否定されがちだが、本来ならその話は、山姥切国広の逸話が失われずに見つかったことや、国広が偽物ではない証明ということでむしろ喜ばれ、歓迎されるべき話ではないのか。

山姥切国広の逸話を否定するのことは正しいことなのか?

一方で、では国広自身が躊躇ったように、山姥切長義の逸話を否定することはどうだろうか。

長義が山姥を斬った刀、国広はその号を写したという話は今でも普通に話されている。これを安易に否定する、あまつさえなかったことにするのは、これもまた自分たちの積み上げた過去の安易な否定にあたるだろう。

山姥切長義の逸話を否定するのは正しいことなのか?

お互いの陣営から見て、相手の方が歴史を変えようとしている敵! と判断している……つまりあくまでも「解釈」の範囲の問題であって、見ている歴史はむしろ同じものだと考えられるのではないか。

とうらぶはSFなので実は織田信長が本能寺の変で死んだ歴史と死ななかった歴史があって……みたいな仮定をする意見も見かけるが、この描写からすると決してそうではない。

全ての陣営が見ているのは同じ一つの歴史であり、しかし心の数だけその歴史を不幸だと、悲劇だと思う解釈、幸福だと、唯一無二だと思う解釈が存在するだけだと考えられる。

敵の性質が「星」の「鬼」こと「魁」=「先鋒(刀剣男士)」と、こちらの性質に近づいてきたということは、ついにこの問題に挑む時が来た、ということだと思われる。

そして更に言葉遊びの視点から見てみると、おそらく

山姥切長義と福島光忠
稲葉江と後家兼光

この組み合わせがそれぞれお互いに「桜梅」を通して繋がっている気がする。

7.始まりと終わりの花、頼むもの無き桜と梅

「無頼の桜梅」の「無頼」はどうやらならず者とか南北朝ヤンキー的な意味ではなく、

「頼みにするところがないこと」

という意味のようである。回想141の雰囲気からすると。

「桜」と「梅」は刀工・長義と刀工・兼光の作品の刃文の表現ではあるが、他に何の意味があるのかも考えなければならない。

それが舞台で龍馬を「梅」、ガラシャを「桜」に例えることを印象づけている演出の意図だろう。

「桜と梅」はいざ検索かけてみると、割とセットで語られる花のようである。桜や梅に関する文化に対しての論文が引っかかる。

日本では昔は「梅」が好まれていて、「花」と言えばもともとは「梅」に象徴されていた。
それが後に「桜」の方が好まれるようになっていった。

この形跡は和歌の主題の移り変わりなどからも読み取れ、主に花見の文化の歴史と共に語られるようである。

また、こんな話もある。そういえば私も民俗学方面の考察をしていた時に内容自体は何度も触れられているのを見かけたのだが。

サクラの「サ」が穀霊、お米の神様を現し、「クラ」はその坐を示す。
つまり桜は穀霊と言う「神の依り代」となる花である。

そして桜の花の咲く時期は、農作物の種をまく時期の目安になるとして、農業と関連が深い。

……この辺りを考えると、春の花として「桜」と立場を交換した「梅の刀」である後家兼光が、直江兼続の米作りの功績を通じて農業に関連深い刀として実装されたことと関係あるのではないか。

原作ゲームの第一節は対大侵寇防人作戦の報酬である「七星剣」を一つの区切りとして、第二節は次の刀から始まっている。

稲葉江。

稲――お米、農業に関連の深い名前。
そして農業と「桜」は関連している。

稲葉江と後家兼光は共に農業関連要素を持つ。

稲葉江から後家兼光までの流れは、「桜」の語源を通じて穀霊・農業の種まきに始まり、立場を交替した「梅」の刀が再び米要素を持ってきたことによる「収穫」を意味する円環ではないのか。

「桜」は始まり、春の「種まき」に通じる。
「梅」は終わり、秋に実った稲穂の「収穫」を意味する。

こう考えると一気に構図としてはわかりやすくなる。
ただし、冬・春の花であり実ができるのは梅雨・夏である梅をそんな直で秋に本当に繋いでいいのかはわからない。

実際に稲葉江と後家兼光の要素を並べるとピンとくる形と言うことは、後家兼光の存在自体がこの構図を完成させているのかもしれない。

桜梅という始まりと終わり。

梅の方の根拠が不明なので、どちらかというととうらぶのシナリオの印象から結果論で導き出している結論になる。

このように考えた場合、後家兼光までが第二節前半の刀で、次に実装される刀はすでに第二節後半の始まりとなる。

その刀はおそらく対大侵寇のように物語の一区切りを意味する「七星剣」ポジションではないかと考えられる。

ただ、ちょっとずつ要素がずれ込んでいる気もするので、他のタイミングの同じポジションの刀も見ないとなんとも言えない面もある。

と、言うわけで、第二節前半の「稲葉江から後家兼光まで」と比較して、第一節後半の「山姥切長義から福島光忠まで」を考えたいと思う。

8.福島光忠と後家兼光

物語のスタートとしての稲葉江と山姥切長義の比較はある意味一瞬で終わる。

上で出したように、「桜」と「稲」こと農業の種まきに密接な関係があるので、少なくとも「稲葉江と山姥切長義」を同じように何らかの「始まり」の位置に置くことに違和感はないと思われる。

山姥切長義も実装当時はなかなか謎多き刀だったと思われるが、稲葉江も現時点でも回想の数が少なく、実態が見えづらい。

これもある意味特命調査のトップバッター、北条氏政と会えなかった聚楽第の刀である山姥切長義の情報が他の特命調査刀より少ないことと同じ構造ではないだろうか。

問題は「福島光忠と後家兼光」という組み合わせである。

来歴上の接点(どちらも一時期岩崎弥之助氏の所有になったと思われるが確定ではない)は一度置いておいて、言葉遊びの方面から考えたい。

福ちゃんこと福島光忠はどういうポジションなのだろう。
とうらぶにおける別の「福島」からざっと考えたいと思われる。

とうらぶにはすでに何人か「福島」がいる。

刀剣男士の福島光忠、浦島虎徹の声優・福島潤、

そして舞台の「刀装軽歩兵の福島」さんである!

誰だよ!? って言われそうだがあの人である、あの人。

舞台の「夢語刀宴会」で「名前鬼」のルール説明に登場した刀装兵さんたちのうちの一人だ。

講談師さんの説明による、「名前鬼」のルール、ここで例に挙がった名前は「鬼」側が「福島」で、タッチをしに行くが相手が他のものの名前を呼んだので「横山」に「鬼」が交替し、「福島」さんは新たに「鬼」となった「横山」さんにやられてしまうのである。

台詞だけメモっておいて実際の記憶がうろ覚えなのだがまあこんなところだろう。狙われた人の名前誰だっけ……?

鬼だった「福島」
狙われた対象が他の名前を呼ぶ
鬼は「横山」に交替
元々鬼だった「福島」アウト

この夢語の状況は、刀剣男士と敵の関係図を端的に表現したものではないだろうか。
(狙われた人の名前だけメモってなかったのでこのポジションがわからん)

……うん、あの、ここまでで出した舞台のあの予想……予想が……

この図、なんとなく舞台の対大侵寇相当の話、長義と国広の物語の決着と同じ構図になるんじゃないか?

鬼は誰かを狙っていたけど、狙われた方が他の「名前を呼ぶ」と、鬼の立場が交替し、もともと鬼だった方がアウトになる。

しかも鬼の交代は「島」から「山」へ。

福ちゃんは対大侵寇直前、「星」こと「七星剣」より前の第一節最後に実装された刀である。

その「福島」と同じ名前の「福島」が繰り広げる「名前鬼」の構図。

後家兼光は「梅」と「収穫」。
自分より上杉家の刀に食べさせて、と自分を蔑ろにしてまで他人を優先する刀。

その兼光と対応する福島光忠の特徴とは何か。福島光忠は……

「俺は、福島光忠。この名の由来である元主、福島正則は酒の失敗が多かったからなぁ……、俺は遠慮しとくよ。んで、没落して徳川家に献上。水戸家にも少しの間はいたんだな、これが。うちの光忠ともども、まぁ、のんびりやるさ」

(刀帳説明)

備前長船派の事実上の祖といわれている刀工、光忠の作。名は、元主である福島正則が由来。
だが酒の失敗は倣いたくない。草花をアレンジして飾ったり、誰かに贈ることが好き。
燭台切光忠には、お兄ちゃんと呼ばれたい。

(公式Twitterの紹介)

福島正則由来の「酒の失敗」要素。
草花を飾って誰かに贈る、つまり物語を与える要素。
両方とも年紀銘がないのでどちらが年上かなどわからないのに、先に実装されていた燭台切光忠に「お兄ちゃんと呼ばれたい」要素。

こうして整理してみると、福ちゃんって舞台と絡む要素がやばいな。

花を贈りたいって、花がさんざん物語そのものであることを検討した後だと重要すぎる。
しかもボイス一覧見直したら福ちゃんは鍛刀終了台詞で刀剣男士を「花」扱いしてるな。

みっちゃんに対して「お兄ちゃんと呼ばれたい」要素も当然重要ですが、更に注目したいのは福島正則由来の「酒」要素。

「福島正則」は、「酒」による失敗、「日本号」を「母里但馬」に呑み取られている。

これもちょっと文章にしてみたらなかなか気になる単語が並んだと思います。

福島の「島」要素って、日本が島国であることからイコールで「国」じゃないかと思う。
そういう意味では、名前に「日本」が含まれる日本号はそのまま福ちゃんにとっての半身ではないか?

それを呑み取り、酒の失敗で失っている。

日本号自体は酒呑み槍扱いで、こっちのボイスも確認したらちょこちょこやばいのあるなやっぱり。

「うわばみと一緒に飲む時は、相手の空気に飲まれないようにしな。つられたら潰れるだけだ」
(本丸)

「ああ……消毒だよ消毒。飲むことで傷を癒してるんだよ……なんてな」
(本丸 負傷時)

「こうなると虎より大虎が怖い、なんてな」
(極 装備)

虎とうわばみは酒豪の異名なので当然出てきてもおかしくない単語ですが、「消毒」「飲むことで傷を癒す」はちょっと気に掛ける必要があるように思われます。

舞台の方で対大侵寇相当の話の敵は「蟒」だろうと予想している立場としては酒要素はやはり重要だと思います。

舞台で「酒は飲まない」の山姥切長義が原作ゲームの第一節後半実装男士のトップバッターで、長義の直前は夏の連隊戦で実装された千代金丸、そして千代金丸に対しては第一節後半に実装された治金丸が影を自称している。

おそらく「影」の物語である原作ゲーム第一節後半の最後の実装男士・福島光忠は酒の失敗で半身である日本号と一度引き離された刀。花と言う名の物語を与えることを好む刀。

後家兼光の「後家」は最初に思いつく意味は「未亡人」ですが、検索をかけると他にもこういう意味があります。

対(つい)になる物や、合わせて一つの物の、片方だけが残っていること。

福ちゃんは一度半身を失う経験をしたけどある意味では本丸で再会。

後家くんは長船派は放任主義だと言って距離をとってもう一つの物語である上杉優先。

長船派だけど主流派ではない長義くん、兼光と同じ相伝備前の刀工の子に話しかけられただけで、嬉しくてはしゃいでしまうくらいなのにね。

自分の心が求めるもう片方の物語と別れてきた、「陰」である女性要素(後家)の刀。

更に梅と福で何かあるかな思って検索かけましたが、こういう言葉があるそうです。

禅語 「梅花開五福(梅花は五福を開く)」

正月によく見かける句だそうで、松竹梅の意味と関連するそうです。

梅の花は寒さに耐えて花を咲かせる。梅はやっぱり昔からそういうイメージですよね。

さらに仏教系のサイトだと梅が咲くから春が来る、厳しい冬に春を呼ぶ、百花の「さきがけ(魁)」と表現しているところもありました。「梅」はやはり「魁」。

5枚の花弁に寿、徳、富、無病、天命をなぞらえ、世界が明るくなること、悟りを開くことを表現しているとかなんとか。

この辺りちょこちょこ気になるワードが重なってくることを考えると、とうらぶの言葉遊びは全体にわたってこんな感じで、ピンポイントな答よりはこれとこれの縁がこれとこれで……という複合的なシナリオのような気がしてきました。

刀剣男士単体からすべての意味を取ろうとするのは難しいのですが、ここでこの刀がこういう発言をしていて、その時使った言葉と同じ言葉を別の刀が使っていて、それと同じ意味のやりとりがここで交わされていて……という形で考えていくと、やはり原作ゲームの第一節後半は山姥切長義に始まり福島光忠に終わる物語で、第二節前半は稲葉江に始まり後家兼光に終わる物語として円環構造の相関性が見られると判断します。

「鬼は外、福は内」

我々は「鬼」を体の外に出し、逆に「福」を取り込まねばならない。

……そうか、花丸の「雪の巻」の冒頭が豆まきの話だったからこれやったな。
やっぱり特命調査のターンから「鬼退治」要素が入ってくるんだろうねこれ。

桜の花は散り、梅の花は咲いてまた春を知らせる。
春には稲の種をまき、苗を植え、秋になったらまたそれを収穫する。

「梅の刀」の予想から後家兼光に関して色々考えたけど、その前に今回の分析結果からすると舞台第2部の仮称として「蟒」と呼んでおく敵と表裏の存在は福ちゃんの方っぽい?

「福島なり、福ちゃんなり、好きに呼んでよ」

(名前など、どうとでも呼べばいい)

……うーん、「鵺」の性質は即で「朧」であることを考えると、やはり仮称「蟒」と仮称「魁」で同一のセットでいいんじゃないかなあ。

「主もごっちんって呼んでいいよ」

これに対応する長義くんの台詞が多分舞台の方で来るんだろうなと思います。

長義と国広の位置がある意味逆だけどそれは原作と舞台の構成の差ではないだろうか。
舞台のシナリオはもともと国広・長義の関係性のうち国広の位置に三日月を置いて、国広は長義の位置にずれて、三日月とチェンジで登場する長義くんの立ち位置はその結果本来と逆転していると思う。

さて、福ちゃん要素の「酒呑み」と鬼は外、福は内の「鬼退治」の重要性を確認したところで、今後の考察の指針として長義くんの近接要素からもう少し思考を廻らせておきたいと思います。

9.酒飲み鬼を斬る子殺し刀

……原作ゲームと舞台のシナリオが緊密に連動していると言うのなら。

梅の刀、後家兼光の登場は次の慶応甲府辺りのシナリオとリンクしていると言うのなら。

原作ゲームで「山姥切長義・極」が実装されるのと前後しておそらく実装されるだろう刀は……

「酒呑童子」という名の、「酒を呑む」という名の「鬼」を斬った刀。

「童子」、すなわち「子ども」を「斬る」という名前の刀。

最後の天下五剣「童子切安綱」はこのタイミングで来るのではないか?

「山姥切」の物語、長義と国広の関係に託されるメタファーはやはり「親殺し(子殺し)」が第一義ではないかと思う。

この要素はおそらく、他の刀では代替がきかない。
刀工ならともかく刀そのものを一対一の「親子」関係とみなすことは本歌と写しを除いてはおそらく不可能だから。

だからこそ派生における国広の出番が多く、合わせて長義も登場する。

舞台が維伝から慶応甲府までで一つの円環が完成しているように、原作ゲームの第二節前半の円環は稲(桜)の稲葉江から梅(収穫)の後家兼光でやはり完成しているように思える。

となるともう次の実装男士は第二節開始、再び「始まり」を象徴する刀となるはずだが、その前に「七星剣」ポジションの大物、この章の結論と新章のテーマを掲げる刀が来ると思われる。

第一節前半は実装タイミング的に千代金丸で、南泉(猫の呪い)が実際の終わりで千代金丸がその結論、始まりが山姥切長義(山姥の呪い)だったのではないか? と思うがこちらは今の段階だと第一節前半がちょっと混沌としすぎていて分析が難しいので保留する。

わかりやすいのはとにかく、対大侵寇防人作戦の「七星剣」。

「星」

孫六兼元の実装と後家兼光実装の間には小烏丸・極の物語、「太陽の鳥」の裏側として「鬼と蛇」の問題が含まれる。

慶応甲府は敵である「梅」の花、沖田総司をはじめとする新選組の存在があるが、本丸側の刀剣男士として重要なところは「清光」の役どころである「般若(智慧)」の「光」ではないか。

つまり、「大典太光世・極」。

まあ長義くんより前に実装されて極来てないの大典太さんだけだから長義くん極より前に大典太さん来るよね! とか言ってもそりゃそうだろとしか言いようがないんですけどね!

「大典太光世・極」あたりまでが舞台だと慶応甲府までの話で、その次に童子切が来るか、「山姥切長義・極」があるかでこの辺のテーマが前後するのではないかと思う。

他に来そうな要素としては、孫六兼元が特命調査・慶応甲府の復刻と連動していますので、慶長熊本や天保江戸が順番に来るのではないかということ。

山姥切長義は「桜」。
稲葉江は「稲」、苗や種まき。

始まりの物語を持つ刀にこういう要素があることを考えると、特命調査が順に復刻していく中でそのポジションになるだろう刀の候補は真っ先にこの名が挙げられる。

「大慶直胤」

大きな「慶び」と、まっすぐな縁の血筋、子孫の意味での「胤」と「種」を掛けるのではないか?

水心子正秀の愛弟子、師匠の水心子より上手と言われる新々刀の名工。

……ついでにこの場合、セットで「山浦真雄」(源清磨の兄)も来るのではないかと思うんだがどうだろうね。

ここまで考えたんですが、天保江戸は順番的に慶長熊本の次ではないか? と考えるとその前に歌仙関連の刀が実装されることも視野に入れておかなければならない。

この流れで歌仙関連を考えるなら、順番的に始まりより前の区切り、つまり七星剣か長義の特徴から考えて、特命調査実装時の長義というか「監査官」から考えて、「仮面」要素を含む「面の薙刀」(細川忠興所用)が来るのではないかと思う。

予想として、「童子切安綱実装」「山姥切長義・極」「面の薙刀実装」辺りで一セットになるのではないかと。

仮面は多分、仏教論理で構築されている話だと極めて重要な意味を持っているらしいアイテム。
だからあれも重要な要素があると思うんですよね。

まあ……いつものごとく仏教で何故「仮面」が重要視されているかは……わからないんですが……。
(そろそろわからないことだらけのストレスでキレそう)

「面の薙刀」は、細川幽斎の娘、忠興の妹を嫁がせた相手、一色義定を殺害するのに使ったとか言われる薙刀。
とはいえ一色義定について調べたら情報少なくねえかこれってなったので詳細はよくわからないんですが。

この時、嫁がせた忠興の妹・菊の方が復讐のために兄を刺殺しようとしたとかなんとか。

うん……その……うん……。

舞台の流れと連動してるなら「童子切(酒呑・鬼斬り・子殺し)」、「面の薙刀(夫を殺され兄へ復讐・仮面)」要素は繋がりそうだね、と。

そこでいったんすべて清算してから大慶直胤でスタートかなと。
たまに来る「巴(対になる二つの魂)」要素として大慶直胤に山浦真雄がついてくる可能性もある。

……と、言うのが今回「梅の刀」で見事に「後家兼光」を外して布袋くんを予想していたというオイラの予想です!

(つまり頼りにならないのでは?)

まあ適当な予想はさておき、やっぱりちょこちょこ舞台と原作ゲームで実装されるキャラ、極修行の内容の近接が凄い気になってきたのは確かです。

孫六兼元が「枝葉」、つまり明日の日日の葉の話してるぅ――。
小烏丸パパ上の手紙でめっちゃ「鬼と蛇」の話してるぅ――。
後家兼光が「梅」と「大切なものを守りたい」要素持ってきたぁ――。
ちょっと治金丸笹貫の回想見直したらめっちゃ「影」について話してたぁ――。

……そろそろ本当に全部やらないとダメだよねこれ。

ついでにそろそろ研究史の方出す予定ですが、享保名物の「福島光忠」は一度どこに行ったかわからないみたいな扱いになりましたが研究者がこれが「福島光忠」じゃないか? と言っている刀があるという、ややこしい研究史の刀です。

福ちゃんのこの研究史、山姥切国広が大正時代に焼失扱いになって逸話が抜け落ちたのを思い出させるんだよなこれ……。

冗談抜きで真面目に百振り以上の刀剣男士全員の要素を見直すことがシナリオ把握の一番の近道だと思います。

10.「言葉遊び」、改め「言葉本気」では?

ごっちんは福ちゃんとメタファー的に関連がありそうですが、その前にまずごっちん自身が「福」要素持っているんですよね。

CV福山潤

私が推す理由の9割くらいこれですが、CVがそもそも福山さんである、と。

……とうらぶの声優さんと役者さんに関する言葉遊び要素は、よく天下五剣が全員「水」に関係する名前だということが言われていますね。

私は正直こっちが気になっていました。

山姥切長義の

原作CVが高梨謙吾
舞台の演者が梅津瑞樹

「梨」に「梅」、どっちも食べ物だなとは思っていたけど特に梅津さん舞台の展開的にこれ完全に食われない……???

「梅」の刀、後家兼光は稲作に関連する「収穫」の刀、自分ではなく他者に食わせる「愛」。

「梨」は「桜梅桃梨」か?

これ正しくは「桜梅桃李」つまり最後は「梨」じゃなくて「李」のはずなんだけど何故か「梨」というバージョンがネットだと割と引っかかってるな。好まれる替え歌みたいな?

とはいえ声優さんや舞台の俳優さんの名前でまで言葉遊びをしているかどうかはわからな……いや多分やってるなこれ??? となったのが今回の福山さん登場でした……。

桜と対になる梅。その裏側に「福」の「山」。
山姥切長義と対になる福島光忠。山の裏の島。

「島」あるいは「嶋」という漢字は……

「山」に「鳥」と書く。

福山潤さん実装でちょっとネタとして触れる人がいた浦島くん役の福島潤さんの方もこうなってくると「鳥」の有無が気になってきますね。

虎徹の虎が意味するものは「憧れ」だろうから。

「虎(憧れ)」と「鳥(貪愛)」は近い要素かもしれない。

その「嶋」の「鳥(貪愛)」から離れた「山」である福山さん演じる後家兼光の方は、長船派に愛を求めない。
彼は上杉家に与え続ける刀である。
けれど心の奥底では同派の愛を欲しているんだろう。
長船の主流派ではない長義の刀に話しかけられてはしゃぐくらいなのだから。

声優さん、舞台やミュージカルの役者さん、それに多分絵師さんの名前も刀の物語に関連付けて設定しているような気がしてきましたよ。

その法則、よく聞くような天下五剣全員水の名前だから童子切も水とか、石田正宗だからCVも石田とかそういうシンプルな範囲で納まるような簡単なものではなく、とうらぶのメタファーの法則に則ったものではないかと考える。

だから他の四振りと実装時期が離れている天下五剣最後の一振りは水とは限らないし(物語の頭という位置が共通しているならここも水の可能性はまだあるが)、石田くんのCVはどちらにしろ石田さんが来る可能性はなかったと思われる(すでに石田くんが石だから、この場合はおそらく重ねては来ない)。

始まりは桜、山姥切長義。
その次が豊前江、「富」「前」「水・川」という要素を持った刀だから……。

三日月が鳥海さんで「鳥」と「海」で「水」の要素があることを考えると、三日月の前で刀帳番号1番の可能性がある童子切ならその前の始まり要素があるんじゃないか? 桜とか種とか。

(ただし声優さんの名前で来るとは限らない。来歴とか童子切特有の要素に桜があれば別の要素が割り当てられる)

大江山の童子切。「江」の字があるから、水の要素はすでにあると言える。

歌劇の方の長義くんは水江建太さんだからここもどちらかというと豊前江や三日月寄りだよね。

う~~~~ん。

まず三日月が原作ゲーム「鳥海」さんで、舞台の演者が「鈴木」さんだというのも引っかかる。

「鳥」と「海」はすでに悲伝でやったとして、「鈴」も多分重要。「木」も重要。

ただし何故「鈴」が重要なのかがよくわからな(略)。

ぐあああああ! メタファー要素は「これ絶対重要」「しかし意味はわからん」が増えてきてもう気になって気になってしょうがないよ! 探しても探しても答がねえ!

仏教の本も一応読み続けて基礎的な知識を得てはいますが、どうも一筋縄ではいかない。

それに今回「桜」と「梅」について調べたら日本における桜と梅の歴史、特に桜は穀霊、お米の神様の依り代であるというところから考える羽目になったので、一度日本文化と民俗学方面を見直さなきゃいけない気がしてきました……。

声優さんを名前で選んでいると言うと一見適当に感じるかもしれませんが、とうらぶに関しては適当どころかガチの言葉遊びというか、もはや言葉本気だと思います。

原作のある作品の声優を名前だけで選んだらそりゃ大変なことになるでしょうが、とうらぶはキャラクターそのものを作っているわけですからある程度そこからすでに合わせたキャラ造形をしているのではないかとすら思います。

きっとCV決めた時点で高梨ボイスが最高に似合うキャラにするぜ! とかしてるんだ……(邪推)

冗談はさておき、このように声優、俳優、絵師の名前等も言葉遊びの概念を持ち込んでいる可能性はかなりあるなと思いました。

桜じゃなかったら稲、種、あるいはその前まで遡って星かね。
三日月がキーキャラならセットは星の可能性あるな。

今回大慶直胤で「慶び」の字が出て来たけど、舞台の国広はこれじゃなかろうか。
どちらかというと始まりの種・胤とセットの要素で、原作ゲームだと前野さんは豊前江と同じで考えていいならやっぱり始まりか。

うううん。

とうらぶは終わりがある意味始まりで、梅と桜の関係はそういうものなんだよな。どちらも始まりでもあるし終わりでもある。

と、考えると「桜」の始まりに対して「梨」も「梅」も終わりを意味するのか。
「前」も「慶び」も「始まり」か。

じゃあ国広はどこかに「終わり」を持ってるのか。どれ???

……長義の刃文が桜なら、山姥切国広の刃文は「紫陽花」。
「梅」の「雨」こと「梅雨」の刃文か?

紫陽花の刃文って何? って感じですがグッズ(長財布)の紹介文章がそうなってたんで多分原作ゲームがそういう指定を入れているのではないかと思います。ここまでくるとさすがに大分話が曖昧になってきた! 刀剣書では見たことのない表現なんだけど!? と思いながら探してるけど見つからないぜ!

言葉遊びの推測をやるならもうちょっと固い根拠が欲しいんですがこの単語とこの単語がなんか結びつくなという関係性は見えても理由の方がいつも不明でそろそろお手上げです。

ただ、今回福ちゃんについて整理してやっぱり夢語の刀装軽歩兵の「福島」さんの意味はきっちり考えたほうが良いみたいだから、とにかく「名前」にまつわる要素は全部出さなきゃダメだなと……(遠い目)。

作業に終わりが見えなくなってきました。