無頼の梅、無頼の桜
いつぞやのTwitterログをまとめたもの。以前の回想141再考のすぐ後にまとめる予定が軽く数ヶ月放置してましたてへへ。なのであの記事を踏まえた内容になります。
これの続きで葦辺の鶴雀考察もまとめようと思っていましたが長くなりそうなので結局記事を分けました。
1.「無頼の桜梅」の「無頼」について
おいら阿呆なので自分で出した考察にダメージを受けるターンがやってきたんですけどもー。
……「無頼の桜梅」は要するに「無頼の梅」と「無頼の桜」なんだよな。
桜梅コンビで無頼なわけじゃなくて。
梅と桜が、結局お互いがお互いの求めるものではなかったからこその無頼。
頼みにするところのないもの
長義くんは史実だろうが逸話だろうが、刀の本質以外のものは全て否定したい派だろう。
だから回想141でごっちんに話しかけた時、それなりに興味はあったんだと思われる。
ごっちんは「長船ってわりと放任主義だから、ボクも上杉の刀って意識がつい強くなっちゃってさ」、つまり本音では同派に構われたい
どっちも心の奥底で刀工の話、長義や兼光の刀である自分を見てほしいという部分が共通している。
しかし一方で、長義くんが逸話や元主の影響まで否定したい派なのに対し、ごっちんは憶測を肯定し、元主を愛する。その部分は正反対となる。
「それはまた難儀だな」「……え?」のやりとりでその差が露呈
同じ相伝備前の刀として、一瞬は確かに通じ合ったんだろう。
特にごっちんの方は「備前長船の中で同じく相州伝の流行りを取り込んだ刀に声を掛けられたから、ついはしゃいでしまった」と喜びを露にしている。
でも最終的に二振りのスタンスは噛み合わないことがわかってしまった。
だから、
「無頼」、頼みにするものは、この相手ではないことがわかってしまった。桜も梅も所詮は別々の花、同じものにはなれない。
……うん。これが一番しっくり来る解釈だなあの回想は。あー(泣いてる)。
ごっちんはまだいいとして(最初から姫鶴がいるから)、長義くんが本当に逢いたいのは誰なんだろうね
長義くんの性格的にそんなふうに対になる相手を求めるかどうかは置いておくとして。
……個人的には、それだけが知りたい。
長義くんの本当に探している相手、同じ価値観の相手と会えたなら、それで幸せになれそうなら。
見てるこっちは他に何もいらないのに。
2.回想141は何故関ケ原が舞台なのか?
「無頼の桜梅」について以前の考察を踏まえてもうちょっと考えよう。
回想141の舞台は何故関ケ原なのか?
回想の舞台に関しては一つやるならついでに他のものも同じ理屈で説明できるかの多角的なチェックが必要なのであんまり舞台設定気にしたくはなかったんですが……。
あの回想の舞台が関ケ原であることを考えると……「一言多い」はもしかして「争いを発生させる、誘発する」という意味か?
だから、難儀だと。
だから、自分が一言多いと判断した時に長義くんは謝ったと。あー。
直江兼続が一言多いと思われるエピソードはいくつかあるけれど、おそらく有名なものは直江状の件と、伊達政宗に嫌味を言ったとかその辺り。
ただし伊達政宗とは仲が悪かったとはいえそれでそんなヤベー事になったという話は聞かない。
問題があるとしたら関ケ原の戦いを引き起こした直江状の方かと。
回想141は関ケ原の戦いを横目に交わされている会話だとしたら、直江兼続の刀と知った時点で長義くんは直江状の方を連想した。
そしてそれが関ケ原の戦いのきっかけとも言われていることに思い至り、咄嗟に「難儀だな」という言葉が口をついた。
だとすると「一言多い」の意味は「争いを引き起こすもの」。
そして自分もまた「一言多かったようだ」と。
長義くんもごっちんも両方が「一言多い」のだと判断している。
つまり、どちらも「争いを引き起こす」ものだと。
奇しくも直江兼続の直江状が引き起こした関ケ原の戦い。
山姥切国広の元主・石原甚五左衛門(?)と渥美平八郎がいる関ケ原の戦い。
来歴や刀工の特徴、逸話に憶測、それらの物語は確かに人の愛である。けれど同時に愛は呪いでもある。
ごっちんの本丸ボイス、「祝いか呪いか一言多いか」
祝いであり呪いであるものは、争いを生むものと同義であるということか。
それを彼らの一番の逸話が今まさに発生した瞬間、関ケ原の戦いを背景として話している。
物語は語られねば存在しない。山姥切伝承は、石原から渥美に語られた瞬間に逸話となったとも言える。
彼らの逸話が生まれたその場所で、それ故に争いを引き起こす性質について、彼らの意見はどちらも真実ではありながらも個の感覚としては食い違う。だからお互いは頼みにならないが……
「無頼」という言葉には、確かに「頼みにするところのない」という意味がある。
けれど現代ではどちらかと言うと別の意味の方が一般的だろう。
無頼漢や、無頼な輩の「無頼」。
すなわち、無法な行いをすること、暴力などに訴えるごろつきを指す言葉。
細かくはもっと色々な意味があるとはいえ基本はこれ
つまり「無頼の桜梅」とは、桜と梅がそれぞれ似ているけれど違うものとしてお互いを頼みにすることはできないと発覚する物語であると同時に、彼らは「無頼」、争いを引き起こす物であることも示している物語なのではないか。
桜も梅も与えられた愛が「一言多い」性質となりそうさせる。祝いであり呪い。
うーん、よく考えられたタイトル。
ダブルミーニングと言うよりは、言葉自体の歴史もこれらすべてを語る上での物語のひとつなんだろうなと。
この世に頼みにするものがない存在というのは確かにどこか寂しくもあるが、同時に無法者の無頼漢として争いを生む存在でもある。
桜も梅も、そういうものだと
ごっちんは愛を肯定しすぎる、長義くんは愛を全て否定したい素振りが見える。
しかし結局は、逸話の源となる「人の愛情」などと言うものは、良い事だけでも悪い事だけでも語れない。
その両方の側面を持つ、祝いでもあり、呪いでもあるものなんだと。
関ケ原が舞台たる理由を突き詰めるとこんなとこか。
3.地域指定回想の読み方について
上で何故回想141の舞台は関ケ原なんだろうとか言ってますが、落ち着いて考えたらこれ逆では?
地域指定回想は、その「戦場」「合戦」に必ず関係のある内容である。
……普通に考えたらこっちだわな。
とうらぶくんがあまりにも普通が通用しなくてこれなんで地域指定なの? って回想が多いからずっとその部分の判断は保留にしていたんですが。
関ケ原に関する回想だけでも、明らかに関ケ原の戦いに関連しているもの(回想27、48、52、113)とちょっと曖昧なもの(回想76)、一見関係があるのかわからないもの(回想98、116)などなどありますね。
回想141は最後の関係がわからないものに分類していたんですが、上で考察した通りあの内容はやはり長義くんとごっちんが今まさに戦場になっている関ケ原にいるからこそ、長義くんはその戦いを引き起こした直江兼続の逸話の一つ、直江状の件を差して「難儀」と評したと単純に考えた方があの場面の解釈としてはしっくりくると思います。
今まで保留していた他の回想も別に関ケ原の戦いと関連付けて考えても基本的に無理はなさそうです。
また、合戦場も特命調査も単にその地域に出掛けているだけではなく、特定の戦いの歴史を巡って同じ戦に何度も介入しているっぽいですよね。
だとしたらやはり結論は上の通り。
地域指定回想に関しては、刀剣男士がその戦場にいるからこそその戦に関する話をしているという観点で全体的に見直した方が良さそうです。
というかそのうち全回想についてざっくり順番に内容を追って疑問点をまとめたり回想同士の共通項やメディアミックスとの関連性を整理しないとならないでしょうねぇ。
課題が山積みです。

