どうよいちもんじ
概要
銘文、表記、呼び方等
「太刀 銘 一(名物道誉一文字)」
略歴
『享保名物帳』所載、鎌倉時代中期の備前福岡一文字派作の太刀。
『享保名物帳』によると、佐々木道誉旧蔵。
『日本刀大百科事典』は『享保名物帳(享保8年本)』を出典として、この刀は天文(1532)の頃、江州の朽木谷にあったという。
福永酔剣氏は、朽木谷は滋賀県高島郡朽木村のことで、ここには承久(1219~1222)の頃から、佐々木の庶流・朽木氏が居を定めていた。1528年(享禄元年)、室町幕府12代将軍・足利義晴は京都の乱を避け、朽木植綱の許に三年も滞留していた。その後も幕府の申次衆として、将軍から厚遇された名家である。
したがって、その頃、道誉一文字は、同家の所蔵だったと見える、としている。
同じく『日本刀大百科事典』によると、
江戸期になると、越前福井城主・松平忠直所持、その子・光長に伝わったが、光長が“越後騒動”で、天和元年(1681)流罪になったあと、当時の二ノ宮、つまり後西天皇の次男で、有栖川宮三世をついだ幸仁親王の蔵刀となり、1684年(貞享元年)、同家から本阿弥家にきて、百枚の折紙がついた、としている。
その後、詳細は不明だが尾張徳川家が所持していたらしい。
『登礎草紙』によると、
1698年(元禄11)、将軍綱吉が尾州綱誠邸に来ることになった。
その時の将軍への献上刀にするため、尾張徳川家は奥州南部家の名物「亀甲貞宗」の譲渡を申し込んだ。
南部家が承諾してくれたので、喜んだ尾張徳川家では、道誉一文字と綾小路行光の短刀を、返礼として贈ってきたという。
以後は昭和まで南部家伝来。
1928年(昭和3)、南部家から皇室に献上され、現在も御物になっている。
婆娑羅大名・佐々木道誉(1296~1373)の旧蔵
『享保名物帳』によると、佐々木道誉旧蔵
『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会 編
目次:第二 細說 (中) 同右 道誉一文字
ページ数:48 コマ数:27
松平伊予守殿 備前池田家
道誉一文字 長さ貳尺六寸四分代金百枚昔佐々木道誉老所持貞享元極
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:廣光、志津兼氏、一文字の部 道誉一文字
ページ数:156、157 コマ数:93
松平伊予守殿 岡山池田侯爵家
道誉一文字 長貳尺六寸四分代金百枚昔佐々木道誉老所持貞享元究
天文(1532~1555)の頃、江州の朽木谷にあった
『日本刀大百科事典』によると、
この刀は天文(1532)の頃、江州の朽木谷にあった。
出典の『享保名物帳(享保8年本)』は現在国立国会図書館デジタルコレクションにはない。
『日本刀大百科事典』では、佐々木氏の庶流が朽木氏であることを踏まえてこう述べている。
朽木谷は滋賀県高島郡朽木村のことで、ここには承久(1219~1222)の頃から、佐々木の庶流・朽木氏が居を定めていた。
享禄元年(1528)、室町幕府12代将軍・足利義晴は京都の乱を避け、朽木植綱の許に三年も滞留していた。
その後も幕府の申次衆として、将軍から厚遇された名家である。
したがって、そのころ道誉一文字は、同家の所蔵だったと見える。
その後の経過は明らかでない。
江戸期になると、越前福井城主・松平忠直(1595~1650)所持
『日本刀大百科事典』によると、
江戸期になると、越前福井城主・松平忠直所持、その子・光長(1616~1707)に伝わった。
出典は本阿弥家の『名物扣』となっているが、この史料は国立国会図書館デジタルコレクションにもない。
異説 備前岡山の池田家所持説
『享保名物帳』の引用部分でもそうなっているが当時の所有者が「松平伊代守」となっている。
刀剣研究の世界(明治~昭和辺り)ではこの部分を「岡山の池田家」と解釈しているようだが、上記の通り福永酔剣氏の『日本刀大百科事典』では池田家所持説には触れず、福井の松平氏と説明している。
2016年の川見典久氏の論文によると『名物帳』の記述で池田家は「松平大炊頭」と表記されており、「戸川志津」と「道誉一文字」の所持者は「松平伊代守」であることから、越前福井8代藩主・松平吉邦ではないかと思われると述べている。
刀剣研究の世界では「松平伊代守」を長く池田家と解釈してきたが、この「松平伊代守」は越前福井藩の松平氏を指すと考えられるようだ。
「「享保名物帳」の意義と八代将軍徳川吉宗による刀剣調査」
(『古文化研究 : 黒川古文化研究所紀要』第15巻)
著者:川見典久 発行年:2016年(平成28) 出版者:黒川古文化研究所
ページ数:71
後西天皇の次男で、有栖川宮三世をついだ幸仁親王(1656~1699)の蔵刀
『日本刀大百科事典』によると、
越後高田藩の松平光長が“越後騒動”で、天和元年(1681)流罪になったあと、当時の二ノ宮、つまり後西天皇の次男で、有栖川宮三世をついだ幸仁親王の蔵刀となった。
貞享元年(1684)、同家から本阿弥家にきて、百枚の折紙がついた。
出典は同じく『名物扣』。
尾張徳川家蔵となり、1698年(元禄11)年の「亀甲貞宗」譲渡への礼として南部家へ贈られる
『日本刀大百科事典』によると、
その後、どうした訳か、尾州徳川家に納まった。
元禄11年(1698)、将軍綱吉が尾州綱誠邸に来ることになった。
その時の将軍への献上刀にするため、奥州南部家の名物「亀甲貞宗」の譲渡を申し込んだ。
同家が承諾してくれたので、喜んだ尾州家では、「道誉一文字」と「綾小路行光」の短刀を、返礼として贈ってきた
と、いう。
この話の出典は『登曽双紙』とされる。
刀剣関係の書籍だと『登曽双紙』表記が多いが同じ内容と思われる『登曽草紙(登礎草紙)』が『岩手史叢 第2巻』に収録されている。
『岩手史叢 第2巻』(データ送信)
著者:岩手県立図書館 編 発行年:1973年(昭和48) 出版者:岩手県文化財愛護協会
目次:内史畧 前十二 ページ数:75、81 コマ数:56、59
目次:登礎草紙巻之三 ページ数:249、250 コマ数:143、144
『岩手古文書館 第3巻』(データ送信)
発行年:1990年(平成2) 出版者:岩手古文書研究会
目次:五〇 赤澤 側用人
ページ数:230~232 コマ数:125、126
以後、昭和まで南部家伝来
その後、南部家の重宝となる。
1928年(昭和3)、南部家から皇室に献上
昭和3年(1928)10月、東北大演習に行幸の際、盛岡において南部利淳伯爵が皇室(昭和天皇)に献上したという。
「刀剣と歴史 (214)」(雑誌・データ送信)
発行年:1928年10月(昭和3) 出版者:日本刀剣保存会
目次:質問、會報、雜報、「附録古今刀劍大鑑鍛冶銘寄」 南部家より献上の名刀
ページ数:57、58 コマ数:35、36
「刀剣と歴史 (543)」(雑誌・データ送信)
発行年:1985年1月(昭和60) 出版者:日本刀剣保存会
目次:日本刀にまつわる伝来と逸話 / 吉川皎園
ページ数:13、14 コマ数:11、12
現在も御物
現在も御物で、所蔵元は「宮内庁」記載が多いようですが、東京国立博物館で展示される時もあるようです。
参考:「東京国立博物館」 皇室の名宝―日本美の華 作品リスト
作風
刃長二尺六寸四分(約80.0センチ)。
地鉄は大板目肌に、丁子映り立つ。
刃文は大丁子乱れ、頭の鎬にかかる所さえある。
差し表の中程に四寸(約13.1センチ)ほど、ハバキもと一寸(約3センチ)ほどの染みがある。
茎はうぶ、目釘孔二個、ハバキもと近くに「一」と在銘。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:どうよいちもんじ【道誉一文字】
ページ数:4巻P13、14
鞘書に「尾張中納言綱誠郷より被進。」とあるらしい。
『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編 発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
ページ数:133 コマ数:144
『武将と名刀』などでは、御物でなかったならば、とうの昔に国宝に指定されているだろう、と言われている。
『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:佐々木道誉と一文字の太刀
ページ数:61~63 コマ数:35、36
調査所感
◎ 来歴の混乱があるようです
えーと、『享保名物帳』の読み間違い?(書き間違い?) 「松平伊代守」の解釈間違いで刀剣の研究書の大部分でも「岡山の池田家」所持だと思われていたみたいなんですが、どうやら「福井の松平家」が正しいようですね。
この件に関してはネット上で詳しく調べている方もいらっしゃるようですが提示されている参考資料がお高すぎて私はちょっと買えないなーという感じなので、そこまで詳しく本格的に知りたい方は頑張ってください。
有栖川宮幸仁親王が所持していて、貞享3年(1686)頃に売り払われたという近年の歴史の研究書があるらしいので、結果だけ言うなら『日本刀大百科事典』の福永酔剣先生の説明をそのまま受け入れて良さそうです。
1684年(貞享1)に本阿弥家に来て百枚の折紙がついていることは普通の『享保名物帳』の方の記述でも確認できます。
◎ 昔の刀剣の研究書は大体「岡山の池田家」所持、伝来表記なので注意
大正頃の研究書だと池田家が一時期所持していたどころか大正頃も池田家が所持していると考えている研究書がいくつかありますね。
古い研究書を読む際には注意が必要となります。少なくとも江戸時代に南部家に譲られてからは昭和まで南部家所有です。
◎ 「越後騒動」に関して
そもそも松平さんて誰よ、てかどの松平さんよ! 松平さん多すぎ! 問題の整理から。
とうらぶプレイヤーの場合は大体名前を知っている人が多いと思われる結城秀康辺りから行きましょう。
越前国北庄藩藩主・松平忠直は結城秀康の長男で、その忠直の息子が越後高田藩主・松平光長です。
松平光長の息子・綱賢が子をもたずに死去したため、越後高田藩で起きたお家騒動が「越後騒動」だそうです。
「越後騒動」で松平光長が流罪になったので、幕府は財産を没収したそうです。
この財産の中に道誉一文字もあったので、後に幕府から有栖川宮幸仁親王の手に渡ったという感じらしいですね。あー、話をまとめるとそういうことみたいなんですができれば資料見たいねこれ。
松平光長は晩年になって、罪を許されます。
そして「越後騒動」の後、高田藩を継いだ松平綱国が病弱だとかで廃嫡になります。光長との不和とも言われているようです。
松平光長は従兄弟・松平直矩の三男・宣富(津山松平家の祖)を養子に迎えて後継者とします。
とりあえず私たちとうらぶプレイヤーに比較的わかりやすいところを集めるとこんな感じだと思います。
歴史に疎い身としては藩の後継者問題になんで宮様、親王と呼ばれる方が絡むのか? と思いましたが、デジコレでちょっと検索かけた結果、幸仁親王は江戸幕府5代将軍候補? だったようです。
4代将軍に子がないまま死去した際に、大老・酒井忠清が次の将軍として幸仁親王を擁立したという説が江戸時代からあると。
この大老・酒井忠清が深く関わって世間から疑われた事件二つが「越後騒動」と「幸仁親王擁立」の二つだそうです。この二つの要素はもともと深く関わっているようです。歴史って難しい。
◎ 越前の松平家からみのあれこれ
松平忠直までは「越前福井藩」ですが、その息子の松平光長は「越後高田藩」の藩主です。
これは松平忠直の乱行によって弟の忠昌が越前福井藩を継ぐことになって、忠直の息子の光長は逆にそれまで忠昌の領地であった越後高田藩を与えられたという事情があるようです。すいません、先生。話ややこしいんですが。そんなとこで雑に領地シャッフルしないでください。
しかもその後、光長は光長で高田藩から福井藩へ娘の婚姻を通して干渉したことがその後の「越後騒動」にも繋がってくるようです。
すいません、先生、話もっとややこしくなってませんか。
一方、松平忠直の息子の松平光長の時代だと将軍家は将軍家で4代将軍の亡き後、大老・酒井忠清が5代将軍に幸仁親王を推したことで5代将軍・綱吉は酒井忠清を深く恨んでいたという。
松平光長も、皇族将軍を支持したことで、5代将軍・綱吉からは恨みを買っていた。これが越後騒動の結果に影響したようです。
長々やってもキリがないのでこの辺で終わりにしておきますが、それぞれの人物に関してざっくり調べるだけでもものすごく人間関係が入り混じっています。
『日本刀大百科事典』では越前福井藩の松平忠直、その息子で越後高田藩の光長の刀だとされている道誉一文字ですが、『享保名物帳』の記述における「松平伊代守」はこのどちらでもなく越前福井8代藩主・松平吉邦ではないかと川見典久氏は指摘しています。
『享保名物帳』は本阿弥家が書いている、それも当時の人の書いた記録で、当時と言っても記録者とその情報が本当に全部一致しているかはあやしいところが結構あるので(刀が来たタイミングでメモとってるだろうから)、そこはちょっとファジーに見ておきましょうか。
つまり、『日本刀大百科事典』ではよく出典として名を出されるけど現在現物を確認できる人が少ない『名物扣』に書かれた来歴と、『享保名物帳』で当時の本阿弥さんたちがその刀の所有者だと思っている人がうっかり違っていても両立すると言えます。
『享保名物帳』の「松平伊代守」が厳密に誰かはともかく、とりあえず、岡山の池田家じゃなく福井の松平家の刀だろう、という感じで考えていいのかと。
◎ そんなわけで「越後騒動」周りの刀剣関係
結城秀康は徳川家康の息子で、その結城秀康が養子になっていたのが結城晴朝で、「御手杵」の主ですね。
結城秀康自身は「石田正宗」や「稲葉江」の主です。
結城秀康の子孫である津山松平家ゆかりの名刀が「石田正宗」「稲葉江」に加えて「童子切安綱」辺り。
越後騒動は、その津山松平家・津山藩の誕生に関わっていると。
直接的には関係ない部分もありますが、道誉くんと多少でも縁のありそうな刀多いな……。
◎ 実際どれくらい来歴に関わっている刀がいるか
・佐々木道誉時代 主君だった北条氏の刀、「鬼丸国綱」と縁があると考えられます。
・松平光長・津山松平家までの流れで「石田正宗」「稲葉江「童子切安綱」などと一緒だったようです。合流時期には差があるようですが。
・いつからか尾張徳川家所有だったので、徳美組「南泉一文字」「物吉貞宗」「鯰尾藤四郎」「後藤藤四郎」「五月雨江」「山姥切長義」とも同じ家でした。
・南部家の「亀甲貞宗」との交換なのでここはすれ違いです
・明治天皇に献上された御物なので、御物組(いっぱい)とは面識があると思われます
・東京国立博物館で展示されることがあるということなので、東博の面々(いっぱい)とも面識があると思われます
縁のある刀多いな。
とりあえず近年の所蔵を除いても「結城秀康の子孫(津山松平家周辺)」絡みと「尾張徳川家」関係は一時所蔵を同じくする刀ですね。
逆に昔の刀剣書だと備前岡山池田家ゆかりと解釈されていたものが否定されるっぽいので、池田家ゆかりの大包平、毛利藤四郎とは昔からの付き合いではありません。
とはいえこの二振りとは東京国立博物館で展示されるときに顔を合わせてるだろうけども。
追記:
実装されて回想相手を見た感じ、これを追加する必要があるかなと
・楠木正成の刀(小竜景光)
・京極家の刀(京極正宗、にっかり青江)
佐々木道誉と楠木正成は結構セットで語られるようですね。
そして佐々木道誉こと京極高氏は京極家の源流なので、回想相手に京極君がいますし、自動的ににっかり青江も縁者に含めちゃっていいかなと。
小竜くんも京極くんも御物時代にどうせ一緒になるから上の文章でも最初から含まれてはいるんですけど、回想の相手からすると来歴のこの辺りからすでに特筆すべき存在みたいだなと。実際の回想見たらまた印象変わるかもしれませんが。
縁刀多いな。
◎ 来歴の空白部分
尾張徳川家が昔持ってたからみたいな理由で南部家に譲渡をお願いしているんですよね。
上で整理した来歴でも天文時代(1532~1555)は佐々木家関連の朽木氏が持っていたと考えても、その後、いつどうやって松平忠直に渡ったかによって色々考えられます。
歴史の知識ゼロ人間なので時系列を感じ取るために所持者の生没年を入れて文章書いてますが、生まれた時から持っているわけじゃない刀の場合はそれまでの空白で他の人の手から手に渡っている可能性の方が高いですからね。
松平忠直は結城秀康の息子ということは徳川家康の孫で、尾張徳川家も徳川家康の子孫ですから、普通にこの空白部分で行き来していてもおかしくはないな、と。
ともあれ、ここの部分は他の刀もあまりはっきりしていない部分(秀吉・家康関連の刀多すぎ問題)なので、深く突っ込まなくても別にいいか、と。
参考サイト
「東京国立博物館」 皇室の名宝―日本美の華 作品リスト
参考文献
『剣話録 下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:七 備前物
ページ数:46 コマ数:29
『日本刀』(データ送信)
著者:本阿弥光遜 発行年:1914年(大正3) 出版者:日本刀研究会
目次:第七章 刀匠の掟と其特徴
ページ数:364 コマ数:215
『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:廣光、志津兼氏、一文字の部 道誉一文字
ページ数:156、157 コマ数:93
『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇 (国学院大学叢書 ; 第1編) 』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:342 コマ数:192
(本によって1コマずれる)
『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会 編
目次:第二 細說 (中) 同右 道誉一文字
ページ数:48 コマ数:27
「刀剣と歴史 (214)」(雑誌・データ送信)
発行年:1928年10月(昭和3) 出版者:日本刀剣保存会
目次:質問、會報、雜報、「附録古今刀劍大鑑鍛冶銘寄」 南部家より献上の名刀
ページ数:57、58 コマ数:35、36
「刀剣と歴史 (217)」(雑誌・データ送信)
発行年:1929年1月(昭和4) 出版者:日本刀剣保存会
目次:說林 道譽一文字と綾小路行光 / 梅園主人
ページ数:45、46 コマ数:23、24
『諸伝通解名刀鑑別法』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1930年(昭和5) 出版者:太陽堂書店
目次:一 最も眼に觸れ易き刀(備前傳)
ページ数:108 コマ数:67
『岩手年鑑 昭和5年』(データ送信)
著者:岩手日報社 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:岩手日報社出版部
目次:特別記事 縣の物産天覧
ページ数:453 コマ数:259
『秋霜雑纂 前編』
著者:秋霜松平頼平 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
目次:図書十五條 三百六十 目利者 赤沢某
ページ数:222~223 コマ数:137
『日本刀講座 第6巻 (刀剣鑑定・古刀)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:(刀劍鑑定)播磨・美作・備前 備前国
ページ数:18 コマ数:452
『日本刀剣の研究 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:日本刀工略傳 藤原次郞
ページ数:196 コマ数:108
『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ダウヨイチモンジ【道誉一文字】
ページ数:276 コマ数:149
「好古 3(5)(25)」(雑誌・データ送信)
発行年:1940年5月(昭和15) 出版者:日本美術社
目次:古名物の刀槍(四) / 漆山又四郞
ページ数:52 コマ数:28
『日本刀襍記』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1943年(昭和18) 出版者:照文閣
目次:雜書渉獵 亀甲貞宗百五十両
ページ数:266、267 コマ数:136
『日本刀と無敵魂』
著者:武富邦茂 発行年:1943年(昭和18) 出版者:彰文館
目次:名刀の名
ページ数:152 コマ数:91
『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:圖譜目次 コマ数:97
目次:古刀の部 コマ数:195
「Museum (41)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1954年8月(昭和29) 出版者:東京国立博物館
目次:戦後刊行の刀剣書 / 辻本直男
ページ数:32 コマ数:18
『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編 発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
ページ数:133 コマ数:144
『日本古刀史 改訂増補版』(データ送信)
著者:本間順治 著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三、 鎌倉時代
ページ数:80 コマ数:76
「刀剣史料 (51)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年3月(昭和38) 出版者:南人社
目次:武将武人の愛刀熱――(三) / 向井敏彦
ページ数:12 コマ数:8
『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:佐々木道誉と一文字の太刀
ページ数:61~63 コマ数:35、36
「刀剣と歴史 (423)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年1月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名物 道誉一文字(御物)
ページ数:2 コマ数:6
「刀剣と歴史 (424)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年3月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名物帳に記された備前の名刀 / 辻本直男 ページ数:4、5 コマ数:7
目次:顧問幹事の集い / すいけん ページ数:50 コマ数:30
『名物日本刀展』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:名物日本刀展実行委員会
目次:六九 道誉一文字
コマ数:20、58
『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:福岡一文字
ページ数:180 コマ数:163
『刀華会講話 : 名刀のみどころ極めどころ 第4集 (備前国古刀編)』(データ送信)
著者:本間順治 講述, 刀剣春秋新聞社編集局 編 発行年:1968年(昭和43) 出版者:刀華会
目次:第十八講 中期一文字刀工群(福岡・片山・鎌倉一文字) 1 吉房
ページ数:46 コマ数:26
『武将とその愛刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版者:新人物往来社
目次:佐々木道誉と一文字の太刀
ページ数:91~99 コマ数:56、57
『岡山の刀剣 (岡山文庫 ; 40) 』(データ送信)
著者:小林種次 発行年:1971年(昭和46) 出版者:日本文教出版
目次:御物 太刀 銘一 名物道誉一文字
ページ数:40~43 コマ数:24、25
「Museum (254)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1972年5月(昭和47) 出版者:東京国立博物館
目次:日枝神社の刀剣 / 加島進
ページ数:19 コマ数:11
『日本刀鑑定法 上』(データ送信)
著者:本阿弥光博 発行年:1973年(昭和48) 出版者:雄山閣出版
目次:各論
ページ数:303 コマ数:174
『定本日本刀剣全史 第6巻』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1973年(昭和48) 出版者:歴史図書社
目次:第四章 武将武人などの刀剣熱愛
ページ数:313 コマ数:169
『定本日本刀剣全史 第8巻』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1973年(昭和48) 出版者:歴史図書社
目次:第四章 幕末における刀剣風俗
ページ数:271 コマ数:149
『岩手史叢 第2巻』(データ送信)
著者:岩手県立図書館 編 発行年:1973年(昭和48) 出版者:岩手県文化財愛護協会
目次:登礎草紙巻之三
ページ数:249、250 コマ数:143、144
『上道町史』(データ送信)
著者:岡崎誠 編 発行年:1973年(昭和48) 出版者:岡山市
目次:佐々木・頓宮の対立
ページ数:88 コマ数:65
『薫山刀話』(データ送信)
著者:本間順治 発行年:1974年(昭和49) 出版者:東京出版
目次:孝明天皇と明治大帝 ページ数:65 コマ数:66
目次:御物の名刀 ページ数:72 コマ数:70
『人物探訪・日本の歴史 4』(データ送信)
発行年:1975年(昭和50) 出版者:暁教育図書
目次:佐々木道誉 権謀・風流のばさら大名
ページ数:117 コマ数:121
「刀剣と歴史 (486)」(雑誌・データ送信)
発行年:1975年7月(昭和50) 出版者:日本刀剣保存会
目次:古剣書の話(四) / 福永酔剣
ページ数:45 コマ数:27
『特別展「日本の武器武具」』(データ送信)
発行年:1976年(総和51) 出版者:東京国立博物館
目次:196 御物 太刀 銘 一(道誉一文字)
コマ数:159
「文化庁月報 (10)(97)」(雑誌・データ送信)
著者:文化庁 編 発行年:1976年10月(昭和51) 出版者:ぎょうせい
目次:特別展――日本の武器・武具(東京国立博物館)
ページ数:17 コマ数:9
『今村・別役刀剣講話』(データ送信)
著者:今村長賀, 別役成義 講述 発行年:1978年(昭和53) 出版者:博友社
目次:第七回 明治三十二年一月八日 備前物の概略 今村長賀君述
ページ数:169 コマ数:88
『図説日本の古典 11』(データ送信)
発行年:1980年(昭和55) 出版者:集英社
目次:御物 23 太刀 銘一(道誉一文字)
ページ数:26 コマ数:16
「法曹 (4)(354)」(雑誌・データ送信)
発行年:1980年4月(昭和55) 出版者:法曹会
目次:岡山家裁だより(下) / 岡山家裁だより執筆委員会 美しい日本刀
ページ数:15 コマ数:11
『刀剣鑑定の一考察』(データ送信)
著者:浅川義雄 発行年:1985年(昭和60) 出版者:浅川義雄
目次:十三、日本刀の全国大会について
ページ数:77 コマ数:84
『岩手の歴史と風土 (一戸町文化財調査報告書 ; 第11集) 』(データ送信)
発行年:1985年(昭和60) 出版者:一戸町教育委員会
目次:第5講座 岩手郷土刀の歴史―日本刀史との関連と地域性について― 梅原廉
ページ数:54~56 コマ数:33、34
「刀剣と歴史 (543)」(雑誌・データ送信)
発行年:1985年1月(昭和60) 出版者:日本刀剣保存会
目次:日本刀にまつわる伝来と逸話 / 吉川皎園
ページ数:13、14 コマ数:11、12
『文化誌日本岩手県』(データ送信)
発行年:1986年(昭和61) 出版者:講談社
目次:盛岡市の主な文化財
ページ数:133 コマ数:70
「刀剣と歴史 (557)」(雑誌・データ送信)
発行年:1987年5月(昭和62) 出版者:日本刀剣保存会
目次:雑書渉猟 / 村山汎悠
ページ数:39 コマ数:24
『岩手古文書館 第3巻』(データ送信)
発行年:1990年(平成2) 出版者:岩手古文書研究会
目次:五〇 赤澤 側用人
ページ数:230~232 コマ数:125、126
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:どうよいちもんじ【道誉一文字】
ページ数:4巻P13、14
「「享保名物帳」の意義と八代将軍徳川吉宗による刀剣調査」(ネット上でPDFが読める論文)
(『古文化研究 : 黒川古文化研究所紀要』第15巻)
著者:川見典久 発行年:2016年(平成28) 出版者:黒川古文化研究所
ページ数:71
概説書
『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 佐々木道誉と一文字
ページ数:116、117
『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 備前国福岡 一文字 道誉一文字
ページ数:73
『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:御物の刀 道誉一文字
ページ数:200、201
『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:天皇家に伝わる御物 道誉一文字
ページ数:74、75