同床異夢――刀剣乱舞考(終)――

考察の一区切り

結論、不明

ところで考察に一区切りつけたいと色々まとめ終えましたが、結局とうらぶそのものが謎だなというか。

最初に長義くんの存在を知った時、情報を調べてもなんか曖昧でよくわかんねーなが正直な初見感想で、だからゲーム内外あらゆるところ調べ始めて、一周回って再びわかんねーなと言う結論に落ち着きました。

長義くん単体というか、もう正直とうらぶという作品そのものがそういう作りだよなと。
どういうあらすじでとかどこがメインでとか、普通の商業作品のような軸らしきものはない。ファンの間でもそれを完璧に説明できる人はいない。結局これは断片から憶測で繋ぐ「歴史」の在り方そのものだなと。

歴史全体にしろ刀剣の研究史にしろ本当の資料や史料っていうのは結局全部「断片」的なものであって、最初から綺麗に筋の通った一つのストーリーで形勢されているわけではない。あの史料やこの史料やその資料があってそこは確度が高いからと憶測で繋ぎ、逆に創作としか思えない不確かな伝説に首を捻る。

刀剣男士の在り方を調べるのは、研究史というモデルとなった刀の情報だけじゃなくて、とうらぶというジャンルそのものも全て断片的だなと。原作ゲーム(単にゲームだと無双や今後のパズルも含むから)と便宜上呼称するものの、それが絶対的原典ではなく、メディアミックスはそれぞれ独立した作品である。

憶測を踏まえつつも断片をかき集め、ある程度筋の通った一つのストーリーにすることはできるけれど。
でも結局、それが真実という保証はないし、正答は絶対に明かされない気がするぞこのジャンル……。

研究者がいくら史料の整理発掘と憶測の精度上げに血道を上げても、歴史の真実が曖昧なように。

論理構造が鏡だなとは思いましたが、他の人が今回の極に対してそう言っているのも見かけたのでやはりそう感じる人はままいるのだろう。

おかげで全ての解釈は、基本的に己自身を反映するだけのもの。他人の解釈が納得行かない時は、結局その解釈はその人本人を反映していると考えるのが無難か。

厄介なことにその断片情報に2018年の事件を含むせいで、私みたいにその後に始めた後発審神者が、余計何がなんだかわからなくなってるんだよね。物語はどんなものであってもある程度読み手の主観を反映した感想を生むけれど、途中に余計な異物が入り込んでいるせいで更に真実がわかりにくくなっている。

今までは話を聞くだけの第三者だったから色々と保留案件が多かったけれど、今回はリアルタイムで経験して当事者になったからこそわかったものもあります。

鏡は自分を映すだけ。
それが全て。

この物語は愛されないのではという不安があるなら自分がその価値や根拠を調べてこなければならないし、他人に知ってもらいたいと思う事柄は、やはり自分で出さなければならないだろう。全部自分を反映する。物語そのものに不安を感じるならば、それは物語ではなく自分の実力不足。

一方で、他人の態度に思うところがある場合も、結局その人の作品への感想はその人の鏡なんだよなあと思って相手の属性を見ることが大事よね。

何を言いたいかと言うと、これ普通に話とか通じる相手じゃねーわって奴は割といる(悪口)。

結論としては、結局自分のやりたいこととできることと相談して、自分を見定めた上で何をやるもやらないも決めることしかできないジャンルだなと。

ストーリーがないわけではないけれど、他の商業作品のように作者の提示する真実があるのを追い求めるような作品でもないと。ある意味考察自体必要ない。

最近ジャンルに入ろうと思ったよーと調べるタイプの人に提示できるような要素は、結局最初から最後まで「ない」わけだ。全部断片だけど、でもその断片こそがある意味真実。
うーん。考察勢にとってはちょっと難しすぎるスタイル。ある意味最初の直感が真実だけど、一周しないとそれも実感できない……

物語は終わりなく円環するだけ。時代が開けば言及者の顔ぶれは変わる。それに研究史の理解にも各作品ごとの考察的見解を出すにも逐一時間を必要とするから、足並みは永遠に揃わないだろうなと。

普通の作品を求めると辛いけど、唯一無二の作品を求めている人には合う。そういう作品だと思います。

 

終戦の希望

最近はちょこちょこ検索をかけては界隈ウォッチャーと化していました。

皆さん大変そうな感じであれなんですが、なんかようやく「山姥切の名で呼ばれていた時期があること自体は事実」とか「この歴史自体を可哀想とは思わない」とかそういう気風のポストが見られるようになって正直私は嬉しいです。

6年間ずっと止まってた時間がようやく動き出したんじゃないか?

意見の封殺や批判への弾圧みたいなものに押し込められてきた層もそうだけど、何より心底二振りを同情の目で見ていた層が、ようやくそれは違うって気づきだしたと言うか。

この界隈の異常なところはやはり、資料を真剣に読みこんだり色々考えたり、本来はバイアスに囚われず判断できそうな層まで、ゲーム外の出来事に対する同情でその眼を曇らせていたことだと思います。

でも、もう大丈夫でしょ。一朝一夕に意見が塗り替わるんじゃなく、ゆっくりと新しい解釈に向き合っていく。

本来ならば、6年前にやるべき作業だったというのはそうだと思います。
でもまぁ、一度思い込みをがっつり破壊されたからこそ、その否定と正しく向き合えば、自分の中の揺るがないものは、きっともっと確実となる。対百鬼夜行の時も思ったけど、ゆっくりとでも前に進んでいるよね。

推しが正しく見てもらえないのではないか、幸せではないのではないかと、いつも気を揉みすぎていた私のような心配性の皆さまも本当にお疲れさまでした。やっぱ色々なとこ見る限り心配してた人は結構多いと思う。でも、これでようやく一安心の兆しが見えたと私は思います。

まぁ理想や憎悪の押し付けという意味では今後も変わらず色々なことを言われるだろうけど、正しく物語を見ようとする層は絶対的に増えそうですよね(というか私も私できちんと物語を見るための解釈出し直し作業しないと)。

本当の答は永遠にわからないかもしれないけれど。

結局最後は本刃が、自分でみんなの思い込みの紗幕を切り裂いていった感じです。やっぱり強い刀だよ。

 

同床異夢

「刀剣乱舞」は、例えるならば「同床異夢」。

――我々は一見、みんな同じ場所にいるようにみえて、実際にはそれぞれ違う夢を見ている。

普通の作品は「異榻同夢」。
作品に対する解釈が一致するほど同じ夢を見られる。だからこそ、考察するほど他者と一体感を得られる。

「異榻同夢」の作品は、物語の主軸が明確だからこそ正しい解釈だけ追い求めればいい。

熱心なファン同士こそ解釈が一致しやすく、お互いの僅かな差異が与えてくれる気づきほど心地よい。
作品の魅力によって、老若男女はもちろん妖怪変化だろうが何だろうが自らの正体に関わらず通じ合える。

とうらぶは逆なんだよな。論理の鏡構造は、むしろ己自身を映し出す。正しい解釈を出そうと考察するほど、己と相手との差異は明確になって距離は遠ざかる。

……だから、同じ心を持つ相手ならともかく、妖怪が入りこむのは無理って作品。
いつか必ず思い出す、人間とわかり合うなんて不可能だってね。

物語の感想は、結局どの作品も「同床異夢」と「異榻同夢」要素をそれぞれ含むだろうけれど、とうらぶは「同床異夢」が特に顕著。
ファン同士の間で解釈が一致しないことを楽しめる人向きで、完全な一致があるはずだと言うタイプにはちょっと厳しい。

いくら完全な解釈というものがそもそも幻想だとしても。

イベント開始即その感想戦ができるようなソシャゲだと、前提となる知識が共通している方が有益な議論ができる。

でもとうらぶってスタートがかなりバラバラで、特に研究史の理解に個人差が大きいから、永遠にその差が埋まらなそうなんだよね。

その状況すら色々教え合えることを楽しめる人向きの作品だと思います。

言い表す言葉がずっと見つからない作品だと思ってたけど、これが私の答、かな。

物語は幻想を背負い、幻想を押し付けられるものだと思うけど、それでもやっぱり他の作品との違いは大きいなと。

 

それでは皆様、今宵もどうか良い夢を。
私と違う、あなただけの夢を。

 

2025年2月5日、「刀剣乱舞考」、終。