その本丸は、「美しいが、高慢」
ミュージカル刀剣乱舞、「花影ゆれる砥水」の感想です。
普段は原作ゲーム最重要視、原作準拠派生作品渇望勢ですが、「花影」があまりに素晴らしすぎて狂いました。
これだ、これなんだよ俺が求めていた極楽は……!!
追記:
適当に「鬼衛門」って書いといてなんだけど「鬼右衛門」の方が正しいんだろうか。(伊右衛門のパッケージを眺めながら)
1.『光徳刀絵図』と一期一振の磨上時期について
花影を見る時は、まず本阿弥光徳の手による刀剣の押形、いわゆる光徳押形を収録した史料『光徳刀絵図』を知っているかどうかで面白さが断然変わってきます。
本阿弥家は室町将軍家の時代から刀剣の研や手入れ、鑑定を担う一族として大成してきましたが、その中でも本阿弥光徳(1556~1619)という人物は、豊臣家の名刀の数々の押形を残したことで有名です。
押形は刀剣の茎や刀身の状態を記録したもので、刀剣研究に大きく寄与します。
大昔はいちいち手で図や文字を描いていたのですが、近年はトレーシング方式です。
光徳押形の頃は当然、手で描き入れています。
光徳押形に関してはいくつか呼び方がありますが、国立国会図書館デジタルコレクションという、国立国会図書館のサイトで登録をして利用者になれば現在は誰でも家で読めるデータ送信の資料に『光徳刀絵図集成』という本がありますので、この呼び方で呼ぶのが一番わかりやすいと思います。
その『光徳刀絵図』こそ、一期一振が焼身になり焼直しの際に磨上られ額銘になる「前」と「後」、両方の押形が載っていることで一期一振の磨上時期を現代で考察する最大の手がかりとなる史料です。
結論を簡単に言うと、一期一振の磨上時期は「豊臣秀頼が大阪の陣に負けて大阪城が焼け落ちた(落城)時」です。
そしてその後半年以内に、初代越前康継(新刀の名工)の手によって再刃(火事で刃文が消えてしまった刀剣に波紋をつけなおすためにもう一度焼く作業)されたときに、磨上と額銘にしたと言われています。
一期一振は「享保名物」と呼ばれる、刀剣の中では1719年(享保4)時点ですでに名刀として有名であった中の一振りです。
享保時代に本阿弥家が刀剣好きな当時の将軍(8代将軍・徳川吉宗)に求められて制作して差出した本があります。
この本は当時すでに名高かった名刀の情報を集めたもので、『享保名物帳』と呼ばれ、名刀の来歴研究の基準となります。
ただし、『享保名物帳』と言っても刀剣の来歴や詳細を完璧に記載しているわけではなく、編纂者である本阿弥家の人々も実際に見ていない刀剣があったり、逆に実物はあっても来歴がよくわからないというものがいっぱいあります。
一期一振に関しては、『享保名物帳』の記述がかなり簡素なものであることが国立国会図書館デジタルコレクションの本、大正時代に当時の刀剣学者の高瀬羽皐氏が注釈を付けくわえながら『享保名物帳』の記述を紹介したこの本で知ることができます。
『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史(高瀬羽皐、高瀬真卿) 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:名物「焼失之部」 一期一振
ページ数:210~212 コマ数:120、121
一期一振 長二尺二寸八分 入銘
右二尺八寸余有り焼直し右の寸に磨上げ入銘になり元は二尺八寸三分有之由樋は忠まで有之。
……サイズと焼直し物であることと磨上て額銘にしたことぐらいしかわからねー!!
こういう状態ですので、一期一振が豊臣秀吉の手に入るまでの来歴とかそういうものは大分不明です。
別にこれ自体は珍しいことではないんですけど。
そこで刀剣学者が気にしているのは、いつ焼けて、いつ磨上げて額銘にしたかということです。
上の『享保名物帳』の記述をストレートに読めば焼き直した時に磨上げ入銘(額銘)にしたと読めるんですが、この頃の文章だと句読点をちゃんと入れずに内容をずらずらと並べる記述式なので別の解釈があっても不思議ではないかもしれない。
そもそも一期一振はいつ焼けたかということが、『享保名物帳』だけではわからないという問題があります。
『享保名物帳』の「焼失之部」というのは理由に拘らずその時点で一度は焼けた刀をごっちゃ煮にして書いてあるので、区別が大変なんです。
織田信長が所持していたと名高いけど本能寺の変で消失した「薬研藤四郎」も。
同じく織田信長愛刀でこちらは秀吉が回収し一度は焼き直したけどその後また大阪城落城で今度こそ焼失したと思われる「実休光忠」も。
戦国時代には無事だったけど江戸時代に入って明暦の大火(1657年)という大火事が起きてその時に焼けて後に再刃された「骨喰藤四郎」も、同じく明暦の大火でこちらは完全に焼失してしまった「包丁藤四郎」も。
みんな一律で「焼失之部」!
……もっとカテゴライズ頑張ってくれ昔の人――!!
嘆いてもしょうがないのでこれらの記述をあちこちに点在する史料の記述や刀それ自体の様子から一つの歴史として構築するために色々な努力をしているのが刀剣学者の先生たちです。
そして、一期一振に関しては『日本刀大百科事典』という名著でお馴染みの福永酔剣先生のまとめ方を参考にすると、何故大坂落城で焼けたと考えられるのか、『光徳刀絵図』の見方がわかります。
『光徳刀絵図』は、写本がいくつかあって、収録されている内容が少しずつ違うそうです。
『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳画[他] 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:凡例 コマ数:6
目次:二八 ページ数:14 コマ数:28
目次:二九 ページ数:15 コマ数:29
国立国会図書館デジタルコレクションで読める『光徳刀絵図』は、それらの写本の内容を昭和の研究者が整理して一冊の本にしたものです。
文禄3年(1594)写しの毛利本
文禄4年(1595)写しの大友本
元和元年極月(12月)11日(1615)写しの壽斎本
『日本刀大百科事典』によれば、一期一振の押形の鋩子(先っちょの部分)を比較してみると、大阪落城前に取った押形は一致するが、落城後の元和元年(1615)極月写しは、毛利本の写本であるにも関わらず、鋩子の状態が明白に違っているということです。
これは落城後、半年以内の元和元年(1615)極月写し本までに焼き直したことを証明するものとなります。
上で書いたように『享保名物帳』は大阪落城で焼けた刀と明暦の大火などで焼けた刀がごっちゃになっているのですが。
少なくとも1615年12月の『光徳刀絵図』の時点ですでに押形の状態が変わっているため、一期一振に関しては1657年の明暦の大火ではなく、鯰尾藤四郎と同じく1615年の大阪落城によって焼けたことがわかります。
そんなわけで焼けたのは大阪落城の時です。
じゃあ磨上と額銘の時期は?
これに関しては『享保名物帳』を素直に読めば一度焼けたものを再刃した時に磨上を行い、その時に吉光の貴重な銘(刀剣の茎に刻まれた製作者である刀工の名)を失わないために茎の別の場所にはめ込んだ額銘にしたと考えられます。
一応、上記写本3冊だけで考えると最初の写本から最後の写本までに間があるからその間に秀吉が自分のために磨り上げた可能性もなくはないと言えばなくはないかもしれないが。
秀吉は1598年に亡くなっていますから、1595年の大友本から秀吉死亡の間までに磨り上げてその後1615年の元和元年極月の壽斎本までその記録が一切残っていないと考えるよりは、それまでうぶ茎であったものを大阪落城で焼けたのを焼き直した際に磨上と額銘にする作業を行ったと考える方が自然です。
『光徳刀絵図』の凡例の見方も大分ややこしいですが、上記の3冊の写本以外に「慶長五年」つまり秀吉死後の1600年写しの写本もあるようですから、そこで様子が変わっていないなら一期一振はやはり秀吉が磨上たわけではなく、大阪落城の焼身をどうにかするための対処の一環で磨上を行ったことになります。
一期一振が焼けた時期はこのように細かく資料を見比べて算出する必要があるので、刀剣の研究書の中でもよく混乱しています。
古い資料では一期一振を骨喰藤四郎たちと同じく明暦の大火で焼けたと説明している本がありますが、これに関しては1615年の押形の状態から確実に間違いで、焼けた時期に関しては鯰尾藤四郎と同じく大阪落城の際で断定できます。
磨上時期に関しては別の時期と解釈できる可能性もなくはなくないが、普通に考えれば大阪落城から再刃した時でしょ、という状態です。
豊臣秀吉が一期一振を己の身長に合わせて磨上たという説を主に出しているのは昭和の刀剣学者・佐藤寒山氏です。
この寒山先生が一期一振に関して出している文章の内容が本ごとに結構ばらばらで、刀剣の状態はともかく資料を照らし合わせて突き詰める来歴の理解としてはけっこうあまいので、出典と根拠にこだわる『日本刀大百科事典』の福永酔剣氏の説の方が理解としてはスタンダードなものになります。
「花影ゆれる砥水」は「一期一振の磨上」が話の焦点の一つとなっていますので、こうした諸研究から算出される「一期一振の磨上」時期に関する理解がとても大事です。
「花影ゆれる砥水」の舞台は天正18、19年(1590、1591)の京都であるというところがものすごく重要です。
上で写本の年代を確認しましたが、一番早いものでさえ文禄3年(1594)写しの毛利本で「うぶ茎」のままなのですから、「花影」の中で一期一振が磨上げられていたら歴史が変わってしまうところです。
そうした知識が最初にあると、実は磨上られて歴史が変わってしまう瀬戸際だった一期一振の扱いに関して、光徳や一期の台詞の深みというものがわかりやすくなります。
2.本阿弥光徳と一期一振
前項で本阿弥光徳が遺した『光徳刀絵図』に一期一振の押形がうぶ茎のものと磨上たあとのものと、写本によって異なるものが載っているという話をしました。
写本というと現代の感覚では一言一句違わず同じ情報を書き写すというイメージがあるかもしれませんが、刀剣の実際の写本は版によって細かく情報が変更されたりアップデートされたりしています。
(おかげで本によって内容が違ってややこしいことにもなる……)
一期一振の押形の場合は、文禄3年(1594)写しの毛利本を元和元年(1615)の12月、約20年後に写したものにも関わらず、一期一振が焼けなおされて磨上られたことがきちんと反映されています。
ここから一つ確実に言えることがあります。
光徳さん、めっちゃ一期一振好きじゃん。
(わざわざ情報アップデートした情報を律儀に提供)
原作ゲーム考察として普通に一期一振に関して調べると、『光徳刀絵図』にも目を通すわけですから、自然とこういう感想になるわけですね。
そういう人だと知っていれば、今回の「花影」ではその光徳が一期一振を磨上させたくないばかりに影打を真打と偽って差出してしまうという行動の裏の想いもわかるというものです。
すでに言葉自体は何度も出している「磨上(すりあげ)」。
(表記は「磨り上げ」とか「摺上げ」とかいろいろ)
これは刀の持ち主が己の体格や力量に合わせて刀剣の長さを短くすることを言います。
まずはじめに、この「磨上」そのものは別段悪いことでもなんでもありません。
武人が己の実力を最大限に発揮できるように己の刀を調整するのですから、現代では美術品と言えど、もともと武器である刀にとってはその「磨上」にまつわる物語も立派な一つの歴史、一つの誉れでしょう。
ただ、「花影」の光徳が吉光の太刀、それも最高傑作であるこの「一期一振」を磨上だなんてとんでもない! という態度になったのも当然それだけの理由があります。
これに関しては一期一振を磨り上げたのが秀吉だと(多分誤解)考えている寒山先生の言葉を借りるのがそれこそ劇中の光徳さんの心情に最も近いと思われるので紹介します。
『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:22 平野藤四郎吉光
ページ数:145
今から考えれば、まことに惜しいと言うべきであるが、当時の天下人である秀吉が、自分の身丈け力量に合わせて、丁度よいように磨上げたわけであり、えらいといえばえらいと申すほかない。
(中略)
この太刀が生ぶのままで、そして焼けずに残っていたとしたら恐らく大包平や久能山の真恒に匹敵する天下の大名刀であったろうと思う。そうすれば吉光は短刀の名手で、長い太刀は下手だったなどという評はなかったであろうと思う。
大包平は明治時代から何人にもこの刀が日本一の名刀だと思うと言われている名刀中の名刀ですので、焼けず磨上られず残っていたらその大包平と同等クラスというのはとんでもない高評価です。
刀剣の研究者の目から見て、刀が焼身にならないというのは当然ですが、刀がうぶ茎であるというのも、それだけ大きな価値をもつ要素です。
特に、粟田口吉光という鎌倉時代の刀工の作品で現存するものは圧倒的に短刀が多く、昔は号の由来について、吉光は太刀をこれしか作らなかったから「一期一振」ではないかと言われていました。
そのくらい、「吉光の太刀」は珍しくて貴重なものです。
ましてや刀工が作った時そのままのうぶ茎でかつ在銘。
そんな作品が残っていれば粟田口吉光の作刀について様々なことが判明もするし、現物を以て粟田口吉光が短刀だけでなく太刀の作刀も得意中の得意であったことも証明できます。
研師・鑑定家は刀剣の研究者とほぼ同義です。
そもそも現代の研究者が分析する古剣書と呼ばれる刀剣の研究書類はそうした鑑定家が残したものが主な資料ですし。
そんな研究者肌の本阿弥光徳が、彼の時代である戦国からはすでに大分情報が失われて久しい鎌倉時代の刀工・粟田口吉光の太刀、それもかの刀工の最高傑作を磨上ると宣言されて平静でいられないっていう「花影」の設定は、すごく自然なものです。
武人である豊臣秀吉。
鑑定家(研究者)である本阿弥光徳。
劇中での一期一振に関しての二人の見解の違いは、本当に本気でどちらも間違ってはいません。二人とも完全に正しい。
両方正しいけど両立できない状況があるというだけです。
実際には秀吉は一期一振を磨上ていないのでそりゃ史実であんなやりとりはなかったでしょうが、歴史改変というテーマでIFを描く場合、あっても不思議ではない状況です。
「花影」の秀吉が一期を磨上て己の佩刀にしたいという想いは、その前提として、まず彼はかつて家臣の嘆願に従って、本当はおのれの差料としたかった鬼丸国綱を手放しているという事情もあります。
本当は鬼丸を差料としたかった。けれどそれは不吉な太刀だと言われたから皆の心情を想って手放した。
今度こそ不吉でもなんでもない名刀が手に入った。だからこそ己の差料としたい。
秀吉の考え自体は自然な流れです。
そして吉光の太刀の貴重性を知っている光徳がどうかそれだけはと異を唱えたくなるのもまた、自然なことです。
3.一期一振が豊臣秀吉の手に入った時期
「花影」で研究史の知識ないと勘違いしそうなところの一つに、一期一振が秀吉のもとに来たタイミングがありますな。
あれ、後で献上された方が影と勘違いしてる人いるけど、シナリオ的には最初に鑑定されてた方が影で、後で毛利から献上された方が本物の一期一振でしょう。
本丸の部隊は天正18年(1590)に出陣して、序盤で一期自身が「ちょうどこの頃ですな 私が京都に来たのは」とかなんとか言ってます。
『毛利秀元記』『天正十八年毛利亭御成記』をベースに天正18年に毛利家から献上された説が下敷きにあると考えられます。
一期一振は豊臣秀吉が入手する前にまず誰が持っていたのかという説が3説あります(なんでやねん)。
古刀の名刀の出所がはっきりしないこと自体はまぁよくあるんですが。
その3説のうち2説は『日本刀大百科事典』で読めますが、出典となっている資料の方はデジコレにもないので読めないのと、酔剣先生は日付関係は割ときっちり書いておいてくれる方なんですが、この2説に関しては書いていません。
朝倉説(『三好下野入道口伝』)は「越前の朝倉家にあったというが、それ以上の記述はない」と断言されています。
堺説(『名物扣』本阿弥家、元禄時代)も、本阿弥祐徳が堺で銀三十枚で買ったものを、豊臣秀吉に金十枚で召し上げられたということで、細かい年代は原典から書かれていないんじゃないかと思います。
一期一振が天正18年に豊臣秀吉の刀になった、とはっきり言い切れるのは『毛利秀元記』『天正十八年毛利亭御成記』ベース説だけで、信憑性もこれが一番高いのではないかと考えられます。
と、いうことで少なくとも「花影」は一期一振は毛利家が天正18年に献上したという話を軸に形作られています。
シナリオの読み込みとしてはもう一つ、二振りの吉光の太刀の鞘の色の違いもあります。
最初に出てきた「一期一振……の、可能性があります!」されていた刀の鞘は黒。
もう一振り、毛利が献上した太刀の鞘は赤。
えー、正直私、これまで一期に全っ然興味なくて鞘の色とかまったく気にしたことなかったんですが、「花影」で鞘の色の違いを見てから思わずゲームの一期の立ち絵確認したら、赤なんですねやっぱ。
この辺りはつまり、一期の毛利献上説まで把握していなくても、普段からゲームの中の一期が赤い鞘を持っていることがわかっていれば後から来た方が真打であり我々の知る一期一振だと気づける演出になっているのだと思います。
この順番を理解すれば、「花影」の今回の出来事がどういう経緯で引き起こされたのかも自然と整理されます。
天正18年、豊臣秀吉のもとにまず一振り目の吉光の太刀(影打)が現れる。
粟田口吉光の太刀は本当に貴重であり、一期一振が唯一の作品であると言われるくらいだから、吉光在銘の真作の太刀ならばそれは一期一振である可能性が最も高く、この時点では光徳もそう考えていた。
そこで秀吉たちから自分を「一期一振」と認識されかけた影打の刀は「影一期一振(作中の正式名称わかんないのでここでは暫定的にこう呼ぶことにします)」として、人間の姿だが、この時点ではまだ実体を持たない存在として目覚める。
そこへ本丸から本物の一期一振を含む部隊が派遣された。
遡行軍が秀吉を襲撃している場面に出くわした部隊は秀吉を守り、特に一期一振は彼の正体を知らないままでも豊臣秀吉に特に気に入られる。
存在の安定しない「影一期一振」は、本物の一期一振を襲撃し、その後から一期はしばらく寝込み、目を覚まして更に豊臣秀吉に気に入られはしたが、仲間たちからはまだ意識が朦朧としているようだと評される状態になってしまう。
そうこうしているうちに、毛利家からもう一振り、吉光の太刀(本物の一期一振自身)が届けられた。
吉光の太刀は一振りしかないと思い込んでいた秀吉たちは「写しか? 贋作か?」と疑問に思うが、光徳は真作が作られる際に予備として同時に打たれた「影打」の可能性を指摘する。
刀剣の「影打」は、もともと「影打」として作られるというより、一振りの刀を打つ際に複数同時に同じものを作っておいて、その中の一番出来が良いものを「真打」として依頼主に正式な作品として納め、残りが「影打」と呼ばれるようになる仕組みである。
その真打よりはわずかに出来が劣るかもしれないが、安定した作品を一度に作れる刀工であれば、刀剣としての出来や価値に大きな差はない可能性もある。
ただ、そういう経緯でつくられる刀なので、「影打」自体が話題の中心になるということは確かにあまりない。
同じ「吉光の太刀」であっても、「一期一振」の号を持つ「真打」はただ一振り。
本物の一期一振はただ一振りであり、残りは影打として、たとえ吉光の真作の太刀であったとしても、歴史の中において語られずに消えていく宿命。
同じ時、同じ水で打たれたとしか思えないそっくりな二振りの「吉光の太刀」を前に、「一期一振」を見極め、「真打の方を磨上ろ」と命じられた本阿弥光徳は動揺する。
と、いう話ですね。
「影打」が「刀剣男士未満・影一期一振」として実体を持たないまま活動し始めたのは、作中で「影打」の方を光徳や秀吉が「一期一振」だと認識し始めた時期とリンクしています。
「影一期一振」が一期一振を二度くらい襲撃したのは、最初に彼が秀吉のもとにいてもう少しで「一期一振」の「名」を得られそうだったところに本物が来て、自らの存在が脅かされるのを感じた、というところでしょう。
「影」がようやく自分だけの名前という物語を得ようとしたところで、本物が現れるという展開。
「花影」は単に影打が真打に成り代わるというだけの話ではなく、先にどちらがどちらの居場所を奪って、どちらがどちらの本当の名前だったのかという、どこかで死ぬほど聞いたような問題を根底に含んでいます。
どこの山姥切問題だ。
「一期一振」という号の由来には、2つの解釈があります。
一つは、最初に現れた太刀をその時点で「一期一振かもしれない」と考え、毛利家から献上された太刀を「写しか贋作か」と考えた理由ともつながる、
「粟田口吉光・唯一の太刀」
もう一つは、刀工・吉光の太刀は確かにとても珍しいけれど、実際にはもう少し太刀が存在するのが確認されているので、唯一の太刀ではないから恐らくこういう意味だろうと推測されている、
「粟田口吉光・生涯最高の傑作」
「花影」中の秀吉・光徳たちは最初は前者の「唯一の太刀」という意味で「一期一振」を捉えていたものの、よく似た太刀がもう一振り現れ、「真打」と「影打」の可能性が高まったために自然と後者「生涯最高の傑作」に意味がスライドしたことになります。
二振りある以上、どちらも唯一の太刀だという名は成立しない。
ならば――どちらが、刀工・吉光の生涯最高の傑作なのか。
一期一振と「影一期一振」はその座を争うことになり、その見極めを命じられたのが本阿弥光徳になります。
うりうり瓜売瓜二つ。
けれど――「本物」になれるのはどちらか一つ。
4.鬼丸国綱と本阿弥家
同じく本阿弥家と豊臣秀吉の関係にまつわる刀として、鬼丸国綱のことにも触れておきたいですね。
最初に思ったのは、そもそも鬼丸さんの不吉説もっと後じゃね? ってことでしょうか。
これに関しては刀剣の「研究書」レベルだと基本、鬼丸国綱が不吉の太刀扱いされるのって江戸時代に入ってからだと思うんですけどね。
百八代後水尾天皇の皇后は、2代将軍・秀忠の娘だった。
寛永3年(1626)11月13日、高仁親王が誕生した。
喜んだ3代将軍・家光は、本阿弥家に命じて寛永3年(1626)12月4日に鬼丸を献上させた。
ところが不幸にも、その親王が寛永5年(1628)6月11日夭折したので、鬼丸はまた本阿弥家に返された。
世人は、秀吉からの預かり物を献上した非や、誕生祝に本阿弥家から出した踊りの唄に、不吉の文句があったから、親王さまは亡くなったと非難した。
『詳註刀剣名物帳』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:宗近、国永、国俊、國次、長谷部、信国、了戒、当麻、包永の部
ページ数:118~121 コマ数:74~76
鬼丸国綱 在銘長貳尺五寸八分 無代
室町殿御重代の二つ銘、大傳多と同時に義昭公より秀吉公へ御渡し、然る處仔細有けるにや光徳へ御預けなり、大坂御陣の後ち光室右の旨家康公秀忠様へ奉伺候處、其儘家に永く指置候様に上意に付、京都屋敷に指置候處百八代後水尾院様御宇、皇子御誕生の時所司代より鬼丸太刀差上可然と指図有之、皇子程なく崩去なり御誕生の時御祝儀の躍りあり、本阿弥よりも躍り上る小歌不吉なり、又た鬼丸も仔細ありてこそ秀吉公家康公本阿弥へ指置しを、此度禁裡へ奉りしも不吉なり迚京童申也。
これも『享保名物帳』が出典の話ですね――って、『享保名物帳』はそもそも本阿弥家が作ってんのになんで自分たちが出した踊りの唄に不吉な文句があったからだって京都の子どもにまで言われてるわ……って書いちゃってるんだよ! 正直か!
豊臣秀吉が鬼丸国綱を本阿弥家に預けた理由は江戸時代後期の『安斉随筆』によると、「火災のおまじない」だそうです。
が、まぁ江戸時代前期じゃなく後期に戦国時代の正しい理由がわかっているのかは疑わしいので、どうやら明確な理由はわからないようです。
『日本刀大百科事典』では
しかし秀吉は、もう足利家の宝刀など眼中になかったのか、あるいは衰亡した家の刀は縁起が悪いと思ったのか、鬼丸は本阿弥光徳にお預け、二つ銘は愛宕山へ寄進、大伝多は前田利家へ贈っている。
光徳に預けたのは火災のまじないというから、聚楽第からみて光徳の家が火伏せの方角に当たっていたのであろう。
篠造り則宗を、火伏せの神として有名な愛宕神社へ奉納した事実からも、そう推測される。
と、いう感じです。
鬼丸国綱を不吉とか縁起が悪いとかいうのはそういう強固な伝説があるというよりは、なんとなく縁起が悪いかも~ぐらいの理由ですが、遅くても江戸時代頭には言われているので、鬼丸さんは天下五剣にも関わらずなんとなく不吉と思われていた時間が確かに長い刀ではあると思われます。
そんな鬼丸(縁起悪いかもしれない)国綱ですが、本阿弥家との付き合いはその分長いですね。
鬼丸国綱を本阿弥家に預けたのは豊臣秀吉ですが、政権が徳川家康に移り変わって早速処置を聞きに行ったらそのまま預けておく、とのことだったと。
3代将軍・家光の時代になると上で引用した通り、幼い親王が亡くなって本阿弥家で出した歌が悪かったんだよとなんか非難された。
(贈ったの家光なのに……)
江戸幕府が倒れて明治になった際、朝廷では本阿弥家に対し、鬼丸は朝廷の御物になったから、従来の“鬼丸の太刀”を“鬼丸の御剣”と呼ぶよう通達してきた。
では鬼丸の保管についてはどうするかと伺い出たところ、従来通りとの返事だった。
(御物なのに宮内省側が引き取らなくていいんだろうか)
そして明治14年、本阿弥家から宮内省に返還した。
『日本刀大百科事典』によると、これは本阿弥家に後継者がいなくなって、実質的に本阿弥家に、鬼丸の管理能力がなくなったからだと説明されています。
武士の世が終わり、刀剣の研ぎと鑑定を務め続けた本阿弥家もついに終わる日が来て、逆に考えれば、その時まではずっと、秀吉に預けられてからずっと、鬼丸国綱を預かっていたのが本阿弥家という家です。
鬼丸さんの逸話としては執権北条家を守護する刀として、北条時頼を苦しめる鬼を斬った逸話が有名かもしれませんが、現存する御物の鬼丸国綱が過ごした時間を考えれば、この刀は確かにずっと本阿弥家と共にあった、本阿弥家に馴染み深い刀です。
「一期一振」と「鬼丸国綱」、「花影」でこの二振りが「秀吉」と「光徳」との関係性の中心として描かれるのは、この二振りの歴史を考えればやはり非常に面白い着眼点です。
5.小竜景光と本阿弥家
本阿弥家と今回出陣した六振りの関係で見るなら忘れちゃいけないもう一振り。
本阿弥家に折紙を出してもらえなかった刀、小竜景光。
本阿弥家との関係が深かった一期・鬼丸とは逆に、本阿弥家との関係が薄いというか、出所があやしいので楠木正成の佩刀なんて信用できないと言われてしまった小竜くんですね。
今回の出陣は戦国時代の光徳で、小竜景光が本阿弥家に偽物扱いされたのは幕末なので大分時代は離れていますが、今回の「花影」での小竜の立ち回りを考えれば小竜くんは一応この辺の事情を気にしていないわけでもなかったようだと。
今回の出陣メンツは
・一期一振(享保名物・御物)
『光徳刀絵図』その他の資料から、本阿弥光徳・豊臣秀吉との縁が深い。
・鬼丸国綱(享保名物・御物)
本阿弥光徳、本阿弥家との関係が深く、豊臣・徳川両方とも関係があるし何ならその前の足利・執権北条辺りの来歴も微妙に影響している。
・へし切長谷部(享保名物・国宝)
もともと織田信長が茶坊主を棚ごと圧し切った逸話で有名かつ黒田家でも尊重された刀だが、無銘のところを「長谷部国重」と極めて金象眼銘を入れたのが本阿弥光徳。
長谷部は基本的に「へし切」呼びを嫌がる姿勢を見せていて、長谷部とお呼びくださいといっている以上、「長谷部国重」と極めた光徳になんらかの思い入れはあるかもしれない。折紙もついている。
・山姥切長義(重要文化財)
本阿弥家が折紙を出しているが、享保名物ではない。
・大般若長光(国宝)
もともと足利将軍家の刀で経緯はさておき次は三好氏の手に渡り、織田信長が入手し、姉川の戦いの救援の礼として徳川家康に贈られ、長篠の戦いで大功を挙げた奥平信昌に贈られる。
数々の資料に名が残るものすごく有名な刀なのだが、実は『享保名物帳』に載っていないので享保名物ではない。とはいえだいたいの研究書では「名物よりも有名」「名物よりも傑作」などと褒めちぎられている。
・小竜景光(国宝・もと御物)
幕末に農家から出てきて楠木正成の佩刀という触れ込みで刀屋に持ち込まれたがその来歴は怪しい、信用できないということで本阿弥家で折紙を出してもらえなかった。
目立つ来歴は「江水散花雪」のように井伊家や、試し切りの山田家との関わり、最終的に山田家から明治天皇に献上され御物となった辺りなのだが、今回の立ち回りで本阿弥家に折紙を出されなかったことを実は気にしている可能性が沸いた。
大般若さん以外は大なり小なり関わりがありますが、関わり方のベクトルは結構ばらばらの六振りで、折紙を出してもらった長義や実は享保名物ではない大般若は、しかしこの辺りの来歴を正直気にするとは考えにくい。
強いて言うなら長義に関しては豊臣秀吉が元主・北条家の仇そのものだがこの要素はラストでちらっと言及するまで本刃も大きく主張しない。
かかわり方として目立つのはメインの一期・鬼丸を除けば、やはり光徳に対し何度も一対一で接触・対話して働きかけている小竜くんだと思われます。
刀剣の物語に関しては資料の確かさも知名度も史実としての証明の強さも刀によって性質がばらばらで一概に何がいいとか悪いとか言えませんが、小竜景光の来歴はやはりこうして並べてみると結構特異なものに見えるかも。
今回は六振り全員がその刀工の傑作と言われているんじゃなかっただろうか。
刀剣書も表現統一せず結構いろいろな言葉使うので表記ばらばらですが、この一刀によってその刀工が名工であることがわかるとか、実質的に「刀工の傑作」であることは多分全員言われていますね。
小竜くんは景光の傑作として現代での評価はもちろん、江戸時代でも山田家が当時の新々刀の名工・固山宗次に写しを打たせるくらいには重視されていますが、その一方で本阿弥家には折紙を出してもらえなかったし、それを知った長州の毛利家には返却されるし、その後山田家と井伊家との取引で一度は井伊家に行くものの桜田門外の変で井伊直弼が殺害されたので御破算になり……。
来歴の複雑さとその始まりにあたる「本阿弥家に折紙を出されなかった」ことに関して意外と気にしている……かもしれない?
情報の足りない男士の内面の考察は一朝一夕ではできないのでこの感想では小竜くんの内面は大体スルーしますが、本阿弥家に認められず、他の人たちのおかげで高評価を得ることになった刀が、その本阿弥家の人間に対し何度も何度も、話のベクトルとしては自分の欲を自覚して冷静かつ公平に物を視ろと働きかける、という去就は意識の片隅に置いておきたい。
あとついでに小ネタメモ。
終盤で小竜くんと鬼丸さんが共闘した時、「キミとはなんていうか戦い慣れてる感じがするから不思議だ」と小竜くんが感じて鬼丸さんが「昔鬼退治でも一緒にしたんだろ」という台詞について。
これ、多分『嘉良木随筆』の話でしょうね。
小竜くんが鬼退治をしたというより、鬼丸さんが楠木正成の佩刀って言われてた奴だろう。
何故シチュエーション逆の理解なのかはともかく、この世の中にある無数の物語の一つのために、来歴上本来まったく関係ないはずの刀同士にも見えない縁があるとでもいうのですかね?
この本確かデジコレにあったよなと思って検索かけたけどあれ……? 本文になくない? って感じなのでもしかしたら写本のバージョン違いで求める本が収録されていない感じか。
『名刀と名将』『詳註刀剣名物帳』『大日本刀剣史』辺りの本で引用は読めるんですが記述にばらつきがあるのと書名に関してはみんな『嘉良木随筆』って書いてあるけどデジコレにあるの『嘉良喜随筆』なんだよな。ぐえー。
まあそこまで細かい話はいいや、とりあえずあの会話のネタは小竜くんが鬼退治をしたというか、鬼丸さんが楠木正成佩刀だった説の方が元ネタだと思いますという話をメモっておきます。
『刀剣一夕話』
著者:羽皐隠史 著 発行年:1915年(大正4) 出版者:嵩山房
目次:一 鬼丸、鬼切のこと
ページ数:23 コマ数:18
また「嘉良木隨筆」には足利昌山公より太閤へ三の剣を奉らる一は鬼丸と云ふ粟田口国綱の作これは楠正成の陣太刀なりとあり、これもまた信ず可らず。
6.豊臣秀吉の孤独と願いについて
今回、豊臣秀吉の描き方がすごく繊細で良かったですね。
秀吉の良い面、悪い面、それだけではない面をこんなに鮮やかに描かれるとは。
豊臣秀吉は天下人で、明確に暴君としてとんでもないことをした人でもあり、しかし決してそれだけではない。
一期一振の毛利家献上に絡む時系列整理で少し触れましたが、そもそも秀吉は、鬼丸国綱が欲しかった。自分の差料としたかった。
けれど、家臣に止められてしまった。
その刀を所持していた足利義輝の最期はあんなにも惨かった、やはり不吉だと不安がる家臣の心を慮って、自分は迷信など気にしないと言ったにもかかわらず、鬼丸を手放した。
そういう事情があるからこそ、一振り目の「吉光の太刀」こと影打が運び込まれたとき、「一期一振が欲しい」と強く宣言したのでしょう。
そして後に、その一期一振のさえも己の差料とするために磨上を望んだらまた反対される。
光徳をぼこぼこにしていたのは一見暴君そのものなんですがね……秀吉の本心がどこにあったのかを、考えれば、仕方ないとは言えなくても、ああこういう心情なんだなと……。
だって彼は、六振りの身目麗しい刀剣男士の中から、迷わず「一期一振」と「鬼丸国綱」を選んだ。
直接的に命を救ったとはいえ、一期一振に対し命だけでなく心までも救ってくれたと信頼を寄せたこと。
護衛につかせてくださいと長谷部が言い出したとき、他の刀ではなく鬼丸国綱を選んだこと。
刀に対する秀吉の、本心は表面上の言葉よりもこの行動の方に現れています。
そもそも刀なんて所詮ものだと最初に光徳を叱り飛ばした場面は、光徳さんが刀を救うために火事の建物の中に突入するという、自分の命さえ粗末にするかのような行動をとったからです。
刀よりも、命の方が大事だ。
それを「刀狂い」で刀のことになると聞く耳持たない光徳に言い聞かせるには自然と語調が強くなってしまうものでしょう。
いや、あの時「おねの御所」つまり「おね」とか「ねね」と呼ばれる「高台院の住居」って言ってたみたいだからそれ三日月宗近のこの時代の住所ー、おいおいおい光徳さんが運び出した刀の中に多分三日月いるわこれ……なので頑張ってもらってありがたくはあるんですけど……。
それでも光徳を下がらせた後、刀剣男士たちには見事な剣技だったと褒め、光徳にも見せたかったという辺り、秀吉は光徳のそういう面も含めて受け止めているのでしょう。
秀吉が一期に対して零した本音。
「近頃はそんな風に微笑んでくれるものはめっきりなくなってしまった」
この台詞、すごい孤独を感じるよね……。
相手に笑ってほしいと願うのはそんなに大それた望みだろうか。
一期のように戦闘の最中に微笑むことが出来る人はそりゃあ少ないでしょうが、そういうことではなさそうだ。
ただ、自分に対して心を許して微笑みを見せてくれるもの自体がいなくなってしまったのだと……。
物語序盤ではむしろ好々爺然とした人の好い面を見せ、表面上の癇癪のような振る舞いの中にも隠した本音が読み取れる。
秀吉は天下人として日本の頂点に一度は立ったものの、同時にそこまで上り詰めてさえ手に入らないものも多かったんでしょうね。
彼は一度は刀掛けを倒して影だろうが真打だろうが折ってしまえと命じますが、いざ光徳が本物の一期一振を極めたと差出した時は、磨上るつもりはないと笑顔で光徳を褒めた。
粟田口吉光の太刀を磨上なんて本当に酷い話だと、秀吉を鬼のように考えていた光徳が驚くほどに。
誰にだって感情の制御ができない時はある。
秀吉が怒りを見せる場面は、その言動の裏側を思えば彼の孤独を感じるシーンばかりです。
光徳と秀吉の対比として、光徳は物語冒頭から刀を愛するあまりに、「刀は人や!」と両者に区別をつけず、刀と人を同等に大事にしますが、そのせいで刀のために火に飛び込むなど危険なこともしでかします。
一方の秀吉は、明確に刀より人を上に置きます。
物と人に区別をつけ、物よりも人が大事。
だからこそただの物でしかない刀のために光徳が火に飛び込んだことを責めもするし、ただの物でしかない刀を、それでも心から欲した差料としての扱いを止められた時、傷つき、怒り、ついには光徳に手を挙げてしまった。
その結果、秀吉は光徳とは逆に、人だって物だ、お前は今はわしのやぞ! という理屈に行きつきます。
怒り、屈折した感情こそが、「人」と「物」の「境界線」をなくす。
「境界線」というテーマ自体は以前の物語からすでに何度か触れられているものでもあります。
暴君か、それとも好々爺か。
あるいはどちらも本質か。
結果的には磨上るつもりはなかったとはいえ、秀吉は一度は折るか磨上るか選べと光徳に迫り、その結果、光徳は真打の一期一振を隠し、影打を本物だと言って差出すという手段を取ってしまった。
それ故に、今度は秀吉自身が傍に在れと望んだ一期一振は「影一期一振」に入れ替わられるということになる。
しかしそんな秀吉の目を覚ましたものもまた、刀である一期一振の「神々しい輝き」。
秀吉に関しては復活した一期一振が戻ってきて遡行軍たちと戦った後、特に描写はなく終わります。
ただし、その後、一期一振と鬼丸国綱の二振りで「唐入り(文禄・慶長の役と呼ばれる朝鮮への侵略戦争)」が始まったようだなと話していることから、秀吉が立ち直ったことが婉曲的な表現で判明します。
秀吉は外国への侵略戦争を選び、鶴松亡き後、三男だけれど兄二人が夭折したため豊臣家を継ぐ唯一の後継者となる息子・秀頼を得ます。
そしてその秀頼を愛するあまりに、鶴松亡き後・豊臣の姓や関白の地位を継がせた甥・豊臣秀次を殺す「秀次事件」を引き起こす。
豊臣家が滅びた原因をこの事件とする見方も結構あります。
鬼丸さんが言った通り、あの後の豊臣家の運命は「悲惨」でしょう。
けれど、鬼丸と一期は、そんな歴史を自分たちの物語として当たり前のように語っている。
大阪城で焼身となり、磨上られ再刃されたことで記憶を失う一期一振と、
不吉な刀だと遠ざけられ、明治まで本阿弥家に預けられっぱなしになる鬼丸国綱が。
その事実を忌避することはなく、当たり前に語っている。それ自体が、その歴史への愛だと思います。
これからの豊臣家の末路は悲惨。――けれどそれが、彼らの愛し、守るべき正史。
鶴松が死んで一度は廃人のようになった豊臣秀吉。
それは確かに、どうにもならない。
しかし彼が望んだ刀、鬼丸と一期の方は、秀吉が望んだ形とは違っても、きっとずっと彼を見守っていた。
自分を安心させる笑顔をくれた「一太郎」こそが、「一期一振」という刀の化身であった。
一緒にいた「鬼衛門」は、あの時手放した鬼丸国綱だった。
その事実は、孤独な秀吉の心に届いただろうか。
(しかしここ、カゲのことまで理解していたかどうかはちょっと判断が難しいですね)
7.已己巳己(いこみき)の歌、咲かない(笑えない)影
一期一振の影打に関しては明暦の大火で焼失した刀のリストに「吉光 一振りの影」とある、これじゃないかと言われているようですね。
下記の『三壷聞書』は翻刻ですけど、この部分の字、読み取りが難しいのか同じように明暦の大火の焼失刀のリストを載せた本でも全然別の字になっちゃってる本があるので判断難しいんですよね……。
『三壷聞書』
著者:山田四郎右衛門 著, 日置謙 校 発行年:1931年(昭和6) 出版者:石川県図書館協会
目次:卷之二十二 公方様御道具焼失の事
ページ数:326 コマ数:173
まぁ、細かい話はさておき「花影」の方の「カゲ」こと「影一期一振」に関して。
一番胸に迫るシーンはやはり、秀吉からあの時のように笑ってくれ、わしを安心させてくれと求められて笑顔を作ろうとしても作れない場面ですね。
この部分の解釈は『葵咲本紀』の時点で村正がヒントをすでにくれています。
「咲」の字には別の意味があり、それが「笑う」です。
多分ミュージカル考察勢はこの辺にはとっくに触れているといますが、うちの考察で初めて触れる話題なんで言及しときますね。うちのスタンスは原作から全部論理構造共通、という結論ですし。
と、いうことで「笑う」は「咲く」です。
今回感想と言いつつこの部分は思いっきりこれまでの考察を持ち込みますが、
「花」は「物語」。
「人」だろうが「物」だろうが、おそらくどんな場面でも、「刀剣乱舞」という作品における「花」は原作ゲーム・舞台・花丸・ミュージカル・その他派生などの全てでおそらく「物語」そのものを指し示すと考えられます。
だからこそ。
物語という花として咲いていない「影一期一振」は、人の身で笑顔を作ることができなかった。
ご安心ください、ご安心ください、と繰り返し、秀吉を安心させたい心があんなにあるのに、求められている「笑顔」を、うまく作ることができない……。
不器用な笑顔を見て秀吉はもうよいと、「影一期一振」を拒絶してしまう。
已己巳己(いこみき)、已己巳己(いこみき)
已(すでに)も己(おのれ)も巳(へび)もよく似た漢字。
互いに似ているものの譬えとして使われる。
類義語の一つとして「瓜二つ」がある。
已己巳己、已己巳己、そして瓜二つ。
けれど、どんなに似ていても、二つは別の物。
けれど、どんなに似ていても、選ばれるのは一つだけ。
秀吉が求めた一期一振は、「影一期一振」ではない。
さらに光徳は「影打」を「一期一振」と呼んだけれど、それは真打を守るためであって、本当の意味で「影打」が「一期一振」だと認めたわけでは、なかった……。
だから「影一期一振」には物語が足りなくて、笑ってあげたい気持ちがあっても、うまく笑うことができない……。
咲く(笑う)ことのできない花(物語)。
刀としての善し悪しを語る以前に。
「影一期一振」、「一期一振の影打」こと「カゲ」という「物語(花)」は、そういう存在なのだと。
8.見えぬ鬼、聞こえぬ声、本阿弥光徳の幻想
いや~今回は演出が本当にすごい!
脚本家さんは「花影」の前の「江おんすていじ」の時点で御笠ノ忠次氏から浅井さやか氏に交代したけど、演出は変わっていないので、そのおかげで演出の茅野イサム氏の凄さが際立ちました……。
始まった当初は静かすぎるくらいに感じたんですけど今回は外に出ない内面の戦いが多くてそれが盛り上がる後半にかけて静かに迫力を増していく演出でこれは……この脚本に対する最高の演出……! ってなりましたね。
そんなわけでこの演出の凄さを実感する仕掛けの一つ。
本阿弥光徳、まとわりついてる遡行軍姿の「影」の台詞、ほぼ全部聞こえてない。
あ、これ今まで本物の刀どころか遡行軍(というか影)の声すら全然聞こえてなかったやつ!? って気づく瞬間の衝撃がさ。
ある程度は聞こえているから影響されたのかと思っていたら、本当に、全然、まったく聞こえていない可能性の方が高いと。
そうでなければ光徳自身が最後に自分でこう結論しないよね。
「今やったらわかります
私(あて)は私が聞きたいことを聞こえた気になっとった
思い上がりですわ」
Q.どこまで聞こえてるんだろう?
A.何も聞こえてません
あの人独り言めちゃくちゃ多いな……。
そして、「それでも」、刀剣男士って「名を呼ばれれば」顕現できちゃうんだねって。
五月雨くんが松尾芭蕉にこだわるギミックの部分、これだよね。
いや確かに松尾芭蕉は五月雨くんの元主・徳川綱吉の築いた元禄文化と関係が深い人物だけど、芭蕉が呼んだのはあくまで雨としての「五月雨」であって「五月雨江」を呼んだわけではないだろってずっと不思議がってたら――!!
たとえ相手が明確に自分を読んでいなくても、音として名を発すれば「呼んだ」にカウントされんのかよ!? って。
これまで思ってた以上に遥かに基準が「音依存」!
本阿弥光徳は、あくまでも真打である一期一振を磨上させずに「守る」つもりで身代わりとして影打を差し出した。
それは彼のエゴであり、その行為によって影打は「カゲ」として疑似的に顕現され、真打の一期一振は実体をもたない影としての立場に追いやられてしまう。
けれど、それは本当の意味で「影打」を「一期一振」として選んだというわけではないから、音だけあっていても圧倒的に物語が足りないんだろう。
判定の厳しさと緩さのバランス悪ぅ!
「歴史は大きな川の流れのようなもの 俺たち刀剣が歩む歴史もその一部 この地点の 本阿弥光徳の判断一つ その程度で 刀剣男士の存在がこうも簡単に入れ替わってしまうことは本来ありえない」
「だが実際、一期一振はあの影にとって代わられているぞ」
それも結局すべてはみんな自分の心の問題だからと……。
「鬼衛門」と呼ばれている男は、実は「鬼丸国綱」という刀の化身。
一度そう考えたからこそ、刀剣男士としての姿を取り戻した「一期一振」もまたすぐにそうとわかったはず。
心の中で想像していた一期一振の台詞と、実際に一期が口にした台詞が全然違ったんでしょうね。
一期自身は磨上まったく嫌がってないんだからそりゃそうだ。
ああ、今まで私が聞いていた、刀の声だと思ったものは――妄想だ。
光徳の恐ろしいところは、あの人鬼丸さんの正体には辿り着いたし、まだ出会っていないけど後に自分が国重の作と極める長谷部の性格はかなり正確に言い当てているんですよね。
逆に、本阿弥家と関わるのはもっと未来の幕末で、彼が出会わない小竜景光に対しては「掴めない人」だと評している。
それだけ正確に刀たちのことを理解しながら、一番守りたかった一期一振を理解できていなかった。
一番最初だけ遡行軍として出てきた敵側が発声できてた可能性もあるかなーと思ったんですが、あの永禄の変って普通に足利義輝が死ぬんだから正史通りで遡行軍介入してなくね?
あれも「影」だとすると、一期が「影」状態だった時もそうだけど「影」の声は全部人間に聞こえている様子はない。
「影一期一振」くらいまでいけば姿くらいは見えるかもしれないけど、言葉は一期が襲撃されたときも聞き取れていなかった。
一期の影状態は刀剣男士にすら鬼丸さん以外は気配を感じ取れなかったくらい存在感が薄くなってしまっていると。
「鬼」とは「影」そのものか?
光があるから影が生まれ、影は形に従い、闇は光の、光は闇の中にある。
光徳が出る場面のほとんで、遡行軍によく似た黒い「影」が彼にまとわりついている。
光徳にそれが見えていないことは明らかだ。
では見えていないだけで声だけは聞こえることがあるのかといえば、そうでもなかった。
全部全部、聞こえていないのだ。
それでも彼が刀に寄せる想いに、刀の方は引き寄せられずにはいられない。
弟子入りの名目で最初に光徳の仕事風景を見ていた小竜・長義・長谷部の三振りがまるで引き寄せられるように光徳に近寄ってその作業に見入っていたのと同じ原理じゃないの? あれ。
おそらく永禄の変の現場にいた「影」たちも同じで、彼らは怒りで境界線を見失った光徳の感情、原作ゲームで言うところの「刀に寄せる想い」に反応して一方的に話しかけていたのではないのか。
光徳が聞いていたと思われる声は全部、幻想、幻覚、妄想。
境界線を踏み外す理由は怒り。
一期一振を磨上げろという命令に怒りを覚え、秀吉を鬼と呼び、その回避のために、偽りの見極めをした。
けれど秀吉の怒りは一過性で、彼は一期一振を磨上るつもりはなかった。
それを知り、守るつもりでいた一振りの名刀をもしかしたら永久に歴史の「影」に追いやってしまったかもしれないという後悔を覚えた光徳は秀吉に真実を告げる機会を模索しはじめる。
そんな光徳の周りでは、小竜と鬼丸が独特の働きかけを見せる。
「鬼がいるのは夢の中やありません この世や」
「なんだかキミが鬼のような顔をしている」
「お前が思いたいように思えばいい」
「俺は鬼を斬る お前もお前にしかできぬ仕事をしろ」
「花影」の「鬼」に関しては、今回登場する「化物切り」たちが序盤で提起していた。
「鬼の気配を感じた気がしたのだが」
「鬼なんて伝説上の生き物だろう」
「ならば俺は何を斬ったんだろうな」
「すまない 今のは忘れてくれ」
「お前の名にある山姥も 鬼のようなものだろ」
鬼は現実の化け物じゃなく、むしろ自分の心の中にいるものなんだろう。
鬼丸さんはそういう意味で使ってるんだな、あの逸話。
長義くんに関しては「花影」の台詞見ると山姥斬った記憶なさそうだなあと思いますがその件はここでは置いときましょうか(早く極来てくれ)。
この話で出てくる「鬼」はずっと、自分の心の中に住む化け物だ。
ずっとそういう演出をされている。
光徳には実際に「影」と思われる遡行軍たちが頻繁にまとわりついている。
しかし彼には見えていない、聞こえていない。
秀吉は暴君としての道を転がり落ちる。
両目も耳も塞ぐ彼こそが、まるで鬼のよう。
「影打」は私の名前を呼べ、私の名前を呼べと叫ぶ、まるでそれに合わせたように光徳は叫ぶ、「一期一振」と。
しかし真の意味で「影打」を「一期一振」として選んだわけではない。
本阿弥光徳には刀の声は、決して聞こえていない。
そして聞こうとしてもいけなかった。
「お刀を心で見ようとしたらあかんのです」
「この目で この目だけで見極めんと」
どこからどこまでじゃなく、全部聞こえていなかった。
やはりそう考えるべきでしょうね。
……そして結局、今回の光徳の姿は、私たち自身の姿でもあるんだろう。
妄想の刀の声を聴き続け、ついには真打を磨上させないために影打を差し出した光徳。
そうと信じてもいないのに、別の手段のために別の刀の名を呼んだ光徳。
それは我々が数多ある刀剣の来歴を逸話を本体の情報を、その所有者をその研究者を刀に関わる全ての人やものをいたわらず、自分の好きな面だけ見て自分に都合のいい答が返ることだけを望むのと、何が違うのか。
今この瞬間だってきっと、我々の耳元ではきっと誰かが囁いているんだよ。
目に見えない黒い影が周囲に張り付いて、私の名前を呼べと。
9.秀次事件の根幹、鶴松の死が意味するもの
さて、そろそろ今回のハイライトに行きましょう。
最終盤の山場、鶴松毒殺計画ですね。
……ああ。
ある程度事前情報得ていたんで登場することは知っていたんですけどね。
そうか、やっぱりそうなっちゃうか。
正史を守るためには、鶴松を生かしとくわけにはいかないからね……絶対に。
鶴松……ああ、ああ、もしもあなたが、あと2年、いや、1年だけでも長生きしてくれたなら……
秀吉が後継者を諦めて関白の地位を手放す前に、淀殿の秀頼妊娠が発覚していたなら……
きっと秀次は殺されずにすんで、豊臣家が滅びることもなかったのに……!!
豊臣秀吉の息子、数え年3歳、つまり実質2歳で亡くなってしまったという豊臣鶴松。
鶴松の死は、豊臣家滅亡の引き金を引いた。
豊臣秀吉は女好きとして知られながら、子宝に恵まれなかった人物である。
天下すら手に入れた男の唯一手に入れられなかったもの。
それは公家大名どころか、世間一般のそこらの人、多くの普通の人間が当たり前に手にしているもの。
自らの実子。
その血を引く後継者。
すでに50代と当時の感覚としては高齢で、焦りを感じる年齢でもあっただろう。
せっかく天下を得たのに自らの血を引く後継者を得られず、己の生涯の成果を後に引き継がせることができない。
子どもというのは、ただそこにいるだけで自分が生きた証を残してくれるものなのかもしれない。
秀吉の一人目の息子・石松丸はかなり昔(1576年、1590年の「花影」からすると14年前)にやはり幼くして亡くなっていて、それ以来どうしても子どもが得られないままだった。
鶴松は秀吉が53歳になってから生まれた子どもで、大層可愛がられたという。
「花影」本編でも登場したエピソードとして、朝鮮からの使者が来ているにもかかわらず秀吉は中座して鶴松を伴って現れ、朝鮮の使節を怒らせたという。どう考えても親ばかが過ぎる。
そんな鶴松だが、わずか2歳で病死してしまう。
もはや自らの実子という形で後継者を得られることはないと考えた秀吉は、血のつながった甥である豊臣秀次を後継者として定め、自らが天下統一の証として手に入れた「関白」の職を継がせることにした。
しかし。
その後、鶴松の母であった淀殿がもう一人、秀吉の子を出産する。
鶴松の弟、秀吉の三人目の息子で、唯一成人するまで成長できた子どもこそが、のちの豊臣秀頼。
のちに豊臣家を継ぎ、豊臣家と共に滅ぶ。
結局は大阪の陣で23歳で死ぬことになる子。
一期一振たち、豊臣家の刀の主の一人。
秀頼が生まれた時には、すでに従兄弟である秀次が、亡くなった秀吉の実子・鶴松に代わって「関白」職を継いでしまっていた。
だから秀吉は、
――すでに「関白」職を継がせ、一度は後継者にと定めた27歳の甥を、その妻子ともども皆殺しにすることにしたのだ。
これが、世に言う「秀次事件」。
豊臣秀次は江戸時代の文献などには色々殺されるだけの理由を探して非道な殺生関白だったのではないかなどの悪評もつくられたが、現代では突然強権で殺されるだけの理由が存在しないとされている。
表向きは謀反の嫌疑となっているが、冤罪だろうと。
つまり、秀吉が甥の秀次ではなく、我が子の秀頼を後継者としたかったからという理由のために、一度継がせた「関白」の地位を取り上げるために謀反という濡れ衣を着せて殺されたと考えられている。
その殺害の規模はすさまじく、秀次の妻子のほとんどが殺された。
秀次は叔父である秀吉と違って、すでに子どもも幾人か育っていたからのようだ。
本当に酷い話として、秀次の側室になると約束をしていて、実際にはまだ寝所に侍ったことすらなかった15歳の少女がタイミング悪くその頃京に到着してしまったために、そのまま殺されたという話もある。
その不幸な少女は秀次と懇意にしていた東北の武将・最上義光の愛娘であり、伊達政宗の従姉妹でもある駒姫。東国一の美少女と評判だったともいう。
駒姫の死は、のちに最上義光が豊臣家に叛いて、関ケ原の戦いで徳川家康に積極的に味方した理由だともいう(そりゃそうだ)。
秀次事件に連座したとされる人々の情報はネットでも簡単に調べられると思うが、とにかく切腹・殉死・打ち首といった一言で言えば無理矢理「死刑」にされた人々、他にも蟄居や改易、流罪まで様々な罪状とその理不尽な罰を押し付けられた被害者の数が凄まじい。
これだけの人々が存在もしない謀反に協力したとして処刑された? なんて惨い話を……誰もがそう思うだろう。
その凄惨な「秀次事件」が。
鶴松が無事に生き延びれば、ほぼ確実に発生しないと考えられる。
鶴松の早世により一度は後継者を諦めた秀吉が、苦肉の策としてそれまで身内としてひたすら尽くしてきてくれた甥に豊臣の名と家、己の人生をかけて手に入れた天下人たる証、「関白」という地位を譲った(1591年12月)。
そのすぐ後に生まれた実子・秀頼(1593年8月誕生)。
我が子に己の地位を継がせたいと考えるのは親として当然。
けれど、一度継がせた地位を簡単に返せと言えるはずもなく、秀吉も当初は甥と実子の間でどうバランスをとるかに苦心したらしき様子も資料から窺えるともいう。
けれど、結局は、秀吉は1595年、血のつながった甥である秀次を、幼いころから子宝に恵まれなかった秀吉の実子の代わりに人質に出されるなど、天下取りにさんざん協力してくれた甥を。
我が子可愛さに、無実の罪を押し付けて殺すのだ。
その妻子、臣下。数多の人々と共に。
黄金で飾られた城である秀吉の居城・聚楽第が大阪城や江戸城と違って現代に存在しない理由でもある。
秀吉は関白の地位と共に、自らが建てた政庁である聚楽第も秀次に譲ったのだが、秀次事件のあとに聚楽第を徹底的に破却したという。
自らが殺した甥の存在した痕跡を、この世から徹底的に消そうとしたかのように。
……だから、正史を守るなら、「鶴松を確実に殺さねばならない」。
この子が生き延びれば、あまりにも大きく歴史が変わってしまう。
健康に育った場合はもとより、死ぬタイミングが数年ずれただけでも秀吉が関白の地位を秀次に譲らないまま秀頼誕生にこぎ着け、秀吉亡き後にも秀次が従兄弟の秀頼を他の忠義深い臣下と共に万全の態勢で支えることができる。
秀吉が正史通り1598年に亡くなったとしても、まだ30を迎える程度の若い秀次が老齢の徳川家康と渡り合って権力の移行を起こさずに約20年もちこたえれば、家康が死に、秀頼が無事に成人して、江戸幕府が成立しなくなる。
豊臣の天下が続くことになるだろう。
秀次事件で豊臣家の権力体制を支えていた基盤をごっそり失ったことは、豊臣家滅亡という結末の要因だとされるのだから。
鶴松が死んだから、秀次事件が引き起こされることになる。
鶴松が生きていれば、豊臣の天下が続くと考えられる。
悲惨な事件が起きず、天下分け目の戦いも起きず、正史でこの件に関わって死んだ多くの人々が生き延びることになる。
……そう、
「江水散花雪」で、吉田松陰と井伊直弼が「出会ってしまった」。
ただそれだけのことで、「安政の大獄」という大粛清が回避され、むしろ史実で何度も将軍に推されながら決して将軍になることはなく、幕府を終わらせるためだけに将軍の座についた徳川慶喜を、あっさり14代将軍にできてしまったように。
あの世界では無残に死ぬはずだった人が死なず、皆が穏やかに手を取り合い、心を一つにして平和に諸外国に対応することができて、穏やかな歴史を続けることができてしまったように。
しかしその結果もたらされたのが、「放棄された世界」という、もう一つの残酷な結末であるように。
――鶴松を殺さなければ、「江水散花雪」と同じ結末を辿ることになるのだ。
10.山姥切長義とへし切長谷部
鶴松が死ななければ、それだけで例えば駒姫のように何の罪もないのに殺される人がいなくなる。
駒姫の父親である最上義光――つまり、我々も知る「髭切」の元主は愛娘を喪って悲しむことがなくなる。
駒姫は伊達政宗の従姉妹でもあるから、「鶴丸国永」「大倶利伽羅」「燭台切光忠」「太鼓鐘貞宗」たちも無関係ではない。
秀次自身の刀として有名なものは「厚藤四郎」「太閤左文字」「富田江」それに「村正」辺りだろうか。
秀次事件でその寵臣の腹を切る厚藤四郎は、それをせずに済む。
そして、豊臣秀次の家老であった渡瀬繁詮も自刃しない。
秀吉が秀次につけた五人の家老のうち、四人は秀次を裏切った。
ただ一人、秀次を裏切らず、死ぬことを選んだ渡瀬繁詮は――「山姥切長義」「山姥切国広」の元主・長尾顕長の兄である。
……私がぱっと思いつくのはこのぐらいですが、知らないだけで他にもいろいろな刀とその主の運命が鶴松の生死で左右されるのでしょう。
豊臣家が存続すれば関ケ原の戦いも大坂の陣も当然起きませんしね。
外国との関係だって変わるかもしれない。小西行長たちキリシタン大名の去就も変わるので、キリシタンの運命も変わる。島原の乱が起きなくなる。
鶴松という幼子の肩には、それだけの命がかかっている。
だから、必ず殺さなければならない。
歴史を守ることに真摯であればあるほど、鶴松が生き残ることだけは絶対に許すことができない。
だから……その報を聞いたとき、長谷部と長義の二振りは真っ先に「殺さなければ」と考えた。
この辺りはそれこそ「江水散花雪」で南泉があまりにもあっさりと、吉田松陰と井伊直弼が出会って安政の大獄が起きなかった歴史を「本当の歴史なんかよりずっといい世界」扱いしたのとは完全に対照的です。
「江水」と「花影」の間で脚本家さんが交替してはいますが、「花影」はある程度その辺に対応して作ることまでは決まっていた、綺麗に対応させた形だと思われます。
(あの役割に南泉を当てはめること、本来ならちょうど安政の大獄辺りの時代に生まれた尾張徳川家16代義宜の差料であるはずの南泉がこの辺りの経緯をまったく知らないっていう設定にしたことはかなり違和感あるんですけどね……ただし南泉は「猫斬り」というメタファーの特殊性から代替がほぼできない男士でもあり、南泉をああいうキャラ付けにしたこと自体に意味がある可能性も抜けきれない、というかその可能性の方が高いと思われます)
鶴松を生かしておくことはどうあってもできない。誰かが殺すしかない。
その殺害役に率先して立候補したのは、長義と長谷部の優しさだ。
何の罪もない幼子を殺す。
歴史を守るという、「己の都合」、「刀の本能」の、そのためだけに。
そんな辛い役目を他の仲間に背負わせたくないから、自らがやると真っ先に飛び出そうとした。
2歳の子どもを殺すなんて誰だってできる。
けれど2歳の子どもを殺す辛さは……どれほど心が強かろうと、むしろ強いからこそ……簡単に背負えるようなものではない……。
「江水」はこうした歴史改変への見解や歴史を守る行動への遺志が部隊内でまったく統一されていないのが特徴で、あからさまに全員がばらばらの行動をとっていることが描かれていました。それを大包平が嘆く、だが隊長はそれでいいと、国広がそんな大包平を静かに諭すという構成です。
「花影」のメンバーはその綺麗な逆転で、部隊の中での意志はほぼ完璧に統一されています。
だからこれが辛い役目だなんて、わざわざそんな当たり前のことをみんな口に出さない。みんな気持ちは同じなのだから。そういう構成です。
この二作で綺麗に対の構造となっています。
何をすればいいのかわからないまま話が進んでいった「江水」と。
何をすればいいのか、あまりにも理解しすぎている「花影」と。
長義が俺がやる、俺に命じろと率先して立候補し、長谷部はならば俺も行く、命令だと告げる。
あまりに辛い役目だとわかっているからこそ、たった一振りに背負わせるなんてしない、ということですね。
長義もやはりそれがわかっているだろうから、長谷部の提案を割とあっさり受け入れます。
ここでの会話は一見淡々と、あっさりしているかのように進みます。
けれど刀剣男士たちはどの子も基本的には優しくて他人思いな性格をしていることを考えると、内面に凄まじい葛藤があるはずの場面です。
そんな強く優しい、けれどあの中では一番若い二振りを、少し年上の小竜が静かに諭します。
刀で斬ったら秀吉が起こって戦争の一つや二つじゃすまなくなるだろうと。
「「あ」」
……ってお前ら本当にただ斬りに行くつもりだったのかよ!
長義くんも長谷部くんも賢さが一周回ってポンコツぅ!!
……それはさておき、小竜が自分で毒を用意すると言い出したのも結局は優しさですよね。
罪なき幼子に毒を用意するもの、飲ませるもの、みんなでその罪を背負うしかないのです。
大般若や鬼丸がほとんど口を挟まないのは、彼らもこの決定に異論はなく、そして彼らも同じ場面が来たら、きっと同じように行動する自分を知っているからだと思います。
あまり重苦しくなりすぎないよう描いてくれてはいますが、刀剣男士たちの相手への思いやりや絆という救いがありながら、結局鶴松を殺すしか手段がないという、最も救いのない場面でもあります。
……あれだな、長谷部ってつまり、こういう子だったんだな。
私は長義くん推しなので「山姥切長義」の考察に関しては死ぬほどやっていますが、長谷部は何見ても正直端的にどういう性格なのかよくわからなかった。
数々の派生で長義くんと対応する、関連するような立ち位置なので何らかの形で似たタイプであるんだろうと思っていましたが、ようやくわかった。
長義くんが何かを認めるのに理由を欲するタイプ、つまり理由が存在しないと素直に愛していることを認められないタイプだとするのならあれだ。
長谷部は自分の行動の理由を全て「主命」に託す。
「主命」だからこうする、「主命」に叛くからこうしない。
表面上はそれが全てだ! と言い張るけれど、実際には今回見せたような熱い一面を持っている。
―― 一期一振! 聞こえるか! この長谷部の声が聞こえるか! 聞こえるだろう!?
主命が全て、主命が一番大事。
本阿弥光徳が極めたなら、豊臣秀吉を守って結果的に歴史を守っている影打ちを、自分たちは認めるべきなのかもしれない。
そう頭では公平に考えようとしていても、心に嘘をつけない。
長谷部にとっての一期は影打ではなく、今までずっと同じ本丸で一緒に戦ってきた仲間の方なのだから。
主命という理由がなければ動けない、むしろ自らの意志で主命でなくば動かん! と常に言い張っているキャラだからこそ、主命とは関係ない、主命を振り切った部分でこそ良さが浮き上がるんですね。
あの本丸の審神者はちゃんと冒頭で長谷部に頼んでいた。
「一期一振を頼みます 支えとなってあげてください」
長谷部も最初は確かに主命を意識していた面はあるだろうけれど、最後に光徳の家で刀の一期一振に呼びかけていた時点ではもはや主命だからじゃなく自分自身が一期に帰ってきてほしいからが本音でしょう。
……今まで全っ然、まったく、あまりにもわからなすぎた長谷部の解釈がようやく終わったわ。終わったというか始まったというか。
主命を振り切った時が長谷部の本領。
ただそれは主命を無視したり軽んじたりというわけではないんだよね。
長谷部が主命という題目を捨て去って、自分自身が心からそう望むから一期に戻ってきてほしいと自覚したとき、ようやく一期を支えてほしいと願った審神者の意志を本当の意味でまっとうすることになるんだと。
長義くんに関しての個人的な感想はそのうち考察の方でどうせ死ぬほど話題にするだろう細かい台詞の解釈を除けば、全体的な印象・理屈は総て「原作ゲーム及び舞台の解釈と一致」しました。
シナリオ上の理屈としては慈伝の長義くんと大体一緒だあれ。
「山姥切長義の欠点」の記事でちょっとだけ掴んだ理屈から組み立ててる山姥切長義像をほぼそのままお出しされたので「そうそうこれだよ!」って感じです。
長義くんは基本的に公正で、自分たちを特別なものだとは考えすぎず、けれど自分たちの力や存在の強さにはしっかりと自負を持ち、歴史を守ることに対しては誰よりも真摯である。
その一方で、そうした題目とは関係なしに相手を思いやる心を持っていて、憎まれ口を叩きながら何もかも自分で背負おうとするし、基本的に落ち込んだ相手は喧嘩を売って奮起させる形で立ち直らせようとする(笑)。
長義くんが長谷部のために「俺が勝ったら隊長を交替してもらおうか」ってわざと手合せを吹っ掛けた時の理屈、舞台の外伝で長谷部が国広のために俺が勝ったら近侍の座を渡せって迫った時と同じやん。あとで小夜ちゃんにもしかしてわざとって見抜かれてたやつ。今回長義くんも喧嘩を吹っ掛けた長谷部自身に「わざとか」って言われてたし。
そして同時に、慈伝で長義くんが国広相手に派手に喧嘩を吹っ掛けた理屈と同じだろう。
「俺と偽物くんとで、手合わせをして勝った方が山姥切を名乗る」って。
国広と長谷部で態度が違うのは、そりゃ国広と長谷部が違うからでしょうという。
ただ、長義くんの行動の根幹の理由は同じなんだよね。
長谷部相手にだったら言える「俺が煮詰まっていただけだ 受けてくれたことを感謝する」の台詞が国広相手には絶対出てこないだけで、手合せを仕掛ける理由自体はきっといつだって同じなんだろう……。
「花影」は他の派生と違って長義くんの初登場が国広との邂逅エピソードとはならなかったわけですが、だからといってその面を描いた別の派生と大きく印象が変わることはなく、むしろミュージカルの山姥切長義像と舞台の山姥切長義像とが綺麗に一致しました。
ここまでの原作ゲーム中心に舞台・花丸を材料として多角的に考察して得た山姥切長義の解釈はやっぱりあんまり間違っていないような気がします。
オイラようやく長義くんのことがわかってきた気がする。1%くらい!
長谷部との手合せでかかる曲がものすごく綺麗で優しくてね。
あの曲の印象がそのまま、あのシーンの解釈そのものですよね。
11.刀剣男士・一期一振の物語
「歴史は大きな川の流れのようなもの」
「俺たち刀剣が歩む歴史もその一部」
「この地点の本阿弥光徳の判断一つ」
「その程度で刀剣男士の存在がこうも簡単に入れ替わってしまうことは 本来ありえない」(「花影ゆれる砥水」)
長義くんはどの派生でもわりと頭脳派、知識・戦術担当として描かれる事が多いように思われます。
「花影」でもこの部分とかあと「統合」に関する部分など、あの世界の原則、ルールに関わる情報の開示を結構してくれています。
長義くんの発言の細かいところは他の派生との相関から世界観全体を見渡す必要があるので考察の方に回すとして。
今回は感想なので一期一振のキャラクター像を中心に。
上の台詞のように、本来なら本阿弥光徳が影打を真打だといったくらいで、刀剣男士の存在が入れ替わることはありえないようです。
では何故一期一振は入れ替わってしまったのか?
それを考えるのに必要なのはもともと「一期一振」とはどういう刀剣男士だったのか? という大前提。
「花影」はすでにリアルタイムで見た審神者たちからは当然のように「これは一期一振の極修行だ」と言われているようですね。
私もそう思います。
一期一振という刀剣男士の物語を改めて考えるなら、やはりその極修行の手紙を読み返す必要があるでしょう。
主へ
弟たちは元気にやっていますか? そうであればよいのですが。
戦いは激化していく一方。
兄として私が出来ることといえば、今より強くなることくらいしかありません。修行の足がかりとして、私にあるのは欠けた想いの残骸だけ。
ものが失われたという記録を見た結果、そこに何があったかはわかるが、
どういうものだったかが実感できない、という感覚が近いでしょう。この欠けた想いが埋まれば、私の力は完全なものになるのですかな……。
(一期一振 修行手紙一通目)
主へ
ここは大坂。
見上げれば、在りし日の城が見えます。ですが、この期に及んで、私は何一つ現実感を得ていないのです。
記憶にはあるのです。
ただ、それは他人の書いた記録を読んでいるようなもので、とても自分のこととは思えない。……それを言い出したら、刀であった私がこうして人の姿を得て、
思い出の時代を訪れているなんて、それこそ夢幻のような話ですが。
(一期一振 修行手紙二通目)
主へ
豊臣秀吉という人物は、名刀をこよなく愛し、収集した人でした。
それはきっと、刀という象徴を通して、
この日の本の武士を従えているという実感を得られたからなのでしょう。その人物が、自分の佩刀として選んだ。
そのことが、かつての私の誇りだったのでしょうな。だからこそ、かつての私は豊臣の時代が終わった後に大阪城とともに焼け落ち、
再刃された私はそれを共有できない。過去の記憶は未だ他人事のよう。
それでも共感を得られたのは、今また、名刀を集める主のもとにあるから。
おそらくは、今の主のもとにあれば、いずれ欠落を気にすることもなくなるでしょう。……そろそろ帰りますか。弟たちがたるんできている頃でしょう?
(一期一振 修行手紙三通目)
一期一振はもともと、自分の記憶がないことを気に病んでいた。
ただ、それだけ知っても具体的にどういう感情で、どういう問題があるのかはよくわからなかったんですよね。
まあ私がいち兄に1ミリも興味なかったってだけなんですが。
記憶がないことが辛い、それはそうかもしれない。
だがそれによってどんな問題が発生するかというのが具体的に想定できない。
それはただ静かに己の中の感情と向き合うことで解決していくしかないのではないかと……。
穏やかで優しく、多くの弟たちをいつも愛情深い眼差しで見つめる一期一振にならば、例え時間こそ必要としても、いずれ問題なくその答に辿り着けるのではないかと……。
そうではない、具体的な問題とはこれだ、と突き付けてきたのが今回の「花影ゆれる砥水」。
かつての主・豊臣秀吉の刀である記憶がないということは。
「きっと可愛い赤子なのでしょうけど」
「私にとっては 生かしてはおけぬ歴史の異物」(「花影ゆれる砥水」)
――元主が全身全霊をかけて愛し、守ろうとしている2歳の子どもを、一切の情なく殺せるということだ。
最低のクズ野郎ですね!!
そうなんだよ。……そうなんだな?
だから、だからずっと一期一振は自分の記憶がないことに悩んでいたんだろう。
その欠落の行き着く先が、そういうものだとわかっていたから悩み続けていた。
今剣や大和守安定のように元主のためならわかりやすく歴史を変えてしまうような行動に走る男士さえもたびたびいる本丸の中で。
自分だけは、元主の可愛い赤子だろうと、殺せるのだ。――殺せてしまうのだ!!
それが、記憶がないということなのだ。
それが、がらんどうの繕われた器、欠落しているということなのだ。
ああ……。
できればそれを埋めたかった。
かつての自分が持っていたはずの記憶。かつての自分が持っていたはずの心。
けれどダメだった。どんなに記録を見返しても、どんなに旅路を振り返っても。
共有できない。
焼け落ちる前の自分と、再刃されたあとの自分。
2歳の子どもを殺すなんて誰だってつらい。
それは当たり前だ。
それに関しては、一期一振も他の刀剣男士たちも変わらないはず。
もう少し成長した子どもなら他者と口論くらいはできるかもしれないが、2歳じゃまだ無理だ。
あまりに幼すぎて、外部事情の逆恨みならともかく本人の行動で他者から怨みを買う状況を作ることすらできない年齢。
そんな赤子を殺す正当性なんてどう理屈を捻ってもあってはならないはずで、鶴松を殺さなくてはいけなくなった時点で刀剣男士側は最低のクズになるか歴史が変わるのを享受するかの2択しかありえない。
長義や長谷部が即座に鶴松殺害を選んだあの場面、もっと葛藤してほしいという意見や感想もちょっと見かけたけどそれはありえません。
一度落ち着いて冷静になってください。
2歳の子どもを殺す正当な理由なんてありません。その状況ですでにアウトです。
あの場面はもうクズになって歴史を守るか、鶴松が生き延びるのを見過ごして放棄された世界を一つ増やすかの2択です。
そもそもこれに関してはもともとも御笠ノ氏の脚本の時点でもっと広い範囲で主張されていた要素です。
罪があろうと無かろうと、人を殺めても良い理由なんてない。
「三百年の子守唄」時点での情報(石切丸の主張)です。
罪があるから斬ってもいいという、その理由さえ本当は理屈をこねくり回して己を正当化しようとした醜い保身ではないかと。
今までのミュージカルの脚本を大事に思うなら、ここはすでにきちんと頭に入れておかなければならない大前提です。
本当はどんな命にだって、殺めても良い理由はない。
けれど、どれほどそう思っていても、刀剣男士は歴史を守るためにそれをやらねばならない。
今回の面子の中で唯一葛藤する可能性があるとしたら、それこそ一期一振の役目でした。
相手が2歳の赤子だからという一般的な理由ではなく、相手がかつての主・秀吉の愛息だからという、彼だけの物語、彼だけの歴史のために、一期一振だけはここで悩める可能性があった。
けれど。
一期一振には、その記憶こそが欠けていた。
だから、2歳の赤子を殺すという、最低の人でなしのような行為を。
本来なら、他の豊臣の刀たちなら誰より可愛く感じられるだろう赤子を、自分の中にはその気持ちがないという絶望を感じながら行う。
一見淡々と何の葛藤もなく殺しているような場面? そんなわけない。
元主との記憶があって葛藤しながら相手を殺すのと同じくらい、元主との記憶がない虚ろな自分を突き付けられながら殺すのはとても辛いことを、まざまざと見せつけられる場面です。
一期一振がずっと怖れ、悩んでいたのはこれだったのかと。
自分の欠落を受け入れるということは、自分は元主のたった2歳の子どもを無慈悲に殺せることを、受け入れるための旅路だった。
それでも受け入れねばならない。それが自分なのだから。それが自分の歴史なのだから。
それでも受け入れねばならない。そんな自分に、呼びかけてくれる仲間と、主がいるのだから!
光徳の家で、この時代の一期一振本体に向けて長谷部は叫ぶ。
影に全てを奪われて悔しくはないのか、俺は悔しいぞ! と。
何が焼け落ちようが失われようが、自分が知っている一期一振が全てだと。
あの本丸の審神者は出陣前に長谷部に頼んでいた。
一期一振を頼むと、隊長である長谷部に、一期の支えになってあげてほしいと。
「花影」のストーリーに関して、長谷部がここで呼びかけたから一期が戻ってこれたかのように受け取るのは誤解だと思います。
ここで熱く呼びかけてくれる長谷部や彼らの本丸のために、一期一振が自分で自分の欠落を受け入れて、彼らの許に戻ってくる話です。
だからまさしく、一期一振の極修行(本丸バージョン)だと思います。
一期一振の磨上時期に関しては、寒山先生が磨上たのは秀吉だろうという説を出している。
しかし、『光徳刀絵図』という史料を踏まえるなら一期は秀吉に磨上られてはいない。
磨上が行われたのは、大阪の陣で焼け身になったからだ。
今回改めて一期の極前・後の台詞を確認したんですが、ここで研究史の変遷が起きていますね。
極修行とは言えこれまで研究史を反映した大幅な変更を行っているのは山姥を斬っていない刀から俺実は山姥斬ってた! になる山姥切国広ぐらいだと思っていたんですが、よくみれば一期一振も極修行手紙の言い方一つ一つを検討してみれば、不確かな通説から現在最も史実に近い説にアップデートしてきたんですね。
私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀でございます。
(一期一振 刀帳説明)
私は、一期一振。粟田口吉光の手による最高峰の太刀でございます。
(一期一振・極 刀帳説明)
粟田口吉光が唯一作った太刀だから一期一振だろう、磨上たのは秀吉だろうという説から、粟田口吉光の太刀は複数ある、だから一期一振は、むしろ吉光の最高傑作という意味だろうという説に。
磨上に関しては原作ゲームの台詞だけからだとなんとも断定しがたいんですが、「花影」が一期はこの時期秀吉に磨上られていない説を明確に採っているので、原作からすでに極修行は大雑把な通説からより正確な史実に近い内容にアップデートされるのが基本なんだと考えられます。
一期は最初から強い、心が強い刀だよ。
だから彼は、自分で自分の弱さを乗り越えて帰ってくる。
自分は本当に一期一振なのだろうか。
本当は、秀吉やその息子を守るために常に懸命な影打の方が、一期一振という名にはふさわしい物語なのではないか。
長義が前提を確認したように、本来なら起こりえない入れ替わり。
成立してしまったのは、一期自身による自分への懐疑と、名を呼ばれて秀吉のもとへ行きたいという影打の渇望がぴったりと合致してしまったため。
優しい小竜や大般若はそんな一期一振の欠落に気づいた上で、いや君にも今だってこれが自分だと言えるものが何かあるはずだろう? といつも一期一振の思考を刺激しようとする。
弟たちがではなく、お前自身はどうなのだと。
けれどその問いに、一期一振はいつも答えられない。
何度も問われる。お前自身はどうなのだと。
一期に対し、兄ではないお前自身は何なのだという問いは舞台の方でも行われています。
天伝でも一期は秀頼にそう問われ、答えることができなかった。
天伝の方はそんな一期に対し、太閤くんが秀吉も秀頼も一期もみんな「蒼空」だという答を持ってくる話です。
あれは太閤左文字によって一期一振が答を与えられる話。
この「花影」は、一期一振が自分で自分は欠落している、だがこれが自分なのだという答を掴んでくる話。
「あなたのなかに 私はひとときの夢を見たのでしょう」
「それはがらんとした私の中の何かを埋める気がした」
「でもそれは叶わぬ夢」
「きっと何をしても埋まることはない」
「それが私なのです」
「それが刀剣男士・一期一振なのです」(「花影ゆれる砥水」)
凄くいい台詞回しだよね。優しさと強さと、それでも振り払えない切なさとで、心に刺さりすぎて見てて死にそうになる。
己の中の欠落をまっすぐに見つめ、目を逸らさない。
己を形作った残酷な歴史を、それでも正しいと信じているから。
己を形作った悲惨な正史を、それでも美しい物語と愛しているから。
その物語によって形作られた、欠落した今の己こそが一期一振だと、その名を高らかに叫ぶ。
――天下三作にして至高、粟田口吉光の太刀。今の主に顕現されこの身を受けた、
一期一振とは、我なり!!
12.ミュージカル刀剣乱舞の簡易総括、その本丸は「美しいが、高慢」
今回の話、「花影ゆれる砥水」を理解するのに大事なのは、今までの話はどういったもので、今回の話はどういったものかという連続性のある一つのストーリーの中でのこの話の立ち位置の把握ですよね。
舞台側の情報もあるとなおヨシ。
舞台側との総合的な解釈に関しては、端的に言うと公演の数、内容の対称性的にカウントするならこの話、舞台の方の「山姥切国広単独行――日本刀史――」と対になっている話じゃないかと。
おいらまだあの話見てないんだよね。去年まだ見てない話が多かったから次の公演からでいいかとスルーしちゃったけど今思えば見とけば良かったな。しかし配信待ちだとまだその前の禺伝すらこねえ。
とりあえずPVだけで判断しても、あっちは山姥切国広が極修行で日本刀史を巡りながら自分の「影」こと「朧(朧なる山姥切国広)」と対峙することは確実。
そしてミュージカルの方は一期一振の極修行と同じ理屈を持ち込みながらやはり「影」と対峙。
両方とも同じ題材と構造ですね。
「影」とは何か、「影」と入れ替わるとはどういうことか。
というのは、まぁ話が複雑になるので今回はとばして考察の方に回し(原作と舞台の考察はすでにこれ以前の記事にある)、それ以前の話として今までのミュージカルがどういう話だったか、から振り返りましょう。
端的に言うと、「花影ゆれる砥水」は今までの話と登場人物たちの「立場」が「逆」です。
これまでは「刀剣男士(刀)」側の目線で、歴史を改変しようとする時間遡行軍と戦いながら、歴史に翻弄されて「悲しい役目を背負わされた」「人間」たちを救っていく話……に、一見見えます。
しかし、この構造の理解は、本当にそうなのか。
「葵咲本紀」に登場する永見貞愛が言う。
双子にまつわる歴史は明るいものじゃないかもしれない。
だからって、不幸と決めつけるのはやめろ。
「東京心覚」に登場する平将門が言う。三日月をどなりつけてやったと。
この戦に自分は負ける。だからと言って、自分がこの世に在ったことまでなくなるわけではないと。
刀剣男士側はいつも、人間を憐れんでいる。
この人は歴史の中で悲しい役目を背負わされている、と。
――本当に?
本当に永見貞愛は不幸なのか。
本当に島原の乱のキリシタンは名もなき人々なのか。
本当に平将門は悲しい役目を背負わされているのか。
本当に吉田松陰と井伊直弼が出会って安政の大獄が起きない世界の方が、正史より良い世界なのか。
そんなことは、ない。
永見貞愛は言う。不幸だと決めつけるのはやめろ。
平将門は言う。この戦に負けたからといって、自分がこの世に在ったことまでなくなるわけではない。
「東京心覚」では、このようなやりとりもすでにきちんとされている。
名前はあるけど何故か「名もなき草」と呼ばれている(水心子と桑名の会話)。
この辺り、これまでのミュージカルのシナリオを踏まえた上で、今回の話はどうなっているか。
今回はいつもの構造と「逆」で、刀を大切に想うあまり「人」と「物」の「境界線」を踏み越えてしまった本阿弥光徳が、磨上られるという一期一振を憐れに考えて「影打」を豊臣秀吉に差し出す話となっています。
しかし、では本阿弥光徳に命がけで憐れまれた一期一振の方はどうだったのか? 磨上は辛いことだったのか?
――磨上ても佩刀したいと仰ってくれたこと、この一期一振の誇らしき物語にございます。
「人」は「刀」を憐れむあまり、真実を捻じ曲げ、本物を否定し、影こそ本物だと偽る。
けれどそれは本当は相手の為ではなく、自分の心がそうあってほしいと嘘をつかせた答。
心は醜く、けれど美しい。
物事を正しく見るためには、そのような心をまず捨てるところから始めなければならない。
……と、言うわけで。
「花影」を考えるにはこうした今までの話との逆転構図にまず着目する必要があります。
いつもは刀が人間を憐れんで人間の運命をなんとかしたいと思っていた。
でも憐れまれる人間は本当に自分をそんなに不幸だと思っていたのか?
いいえ。
今回は本阿弥家の光徳が登場したことで、刀である刀剣男士側が憐れみ対象だった。
でも憐れまれる一期一振はその運命を嫌がっていたか?
いいえ。
どちらも思い上がりなんだ。人も、刀も。
相手を愛しているからこの答が一番正しいと思いこみ、本当の相手を見失っている。
――本阿弥光徳には、刀たちの声は一切聞こえていなかった。
彼が聞いていたのは自分の幻想。己が相手にこうあってほしいと思った姿。
本当の一期一振の声ではない。
これを、わざわざ鬼丸や長谷部を出したことで、光徳はこの二振りに関してはある程度当てているのに、彼が今回一番執着していた一期の内心だけ全くつかめていなかったという形で描いている。
この愚かしさと空しさ――それこそが、今まで描かれてきたミュージカル本丸の刀剣男士たちの本質。
勝手に憐れんでいる。勝手に嘆いている。
正史通りの扱いの人々を不幸だと決めつけて。
だがそれは、自分たちの立場が絶対的に正しく幸福だとうぬぼれて相手を見下した、ただの思い上がり、すなわち。
「高慢」
そういうものだ。
今まで彼らがやってきことの逆が今回描かれている。
光徳はこれまでの話で人を憐れんでいた刀剣男士の立場。
そして一期を磨上ろと言った秀吉は、時間遡行軍の立場。
刀剣男士たちは、これまでは憐れまれる側だった人間の立場。
そして、今回あくまで黒子に徹してほぼ出番のなかった時間遡行軍サイド。
鶴松を治す薬などを用意していたとはいえ、何を考えて色々な行動をとっていたのか全貌を掴むのも難しいほどに情報のなかった時間遡行軍たちは、「名もなき人々」の立場でしょうね。
名前のある刀剣男士たちはそのまま「正史に名を残した人間」の立場。
名前のない時間遡行軍及び「影一期一振」は「正史に名を残さなかった人間」の立場。
と、いうことなんでしょうね。
光徳の行動はわかりやすいし事情をよく知らない人でも比較的感情移入しやすく書かれています。
相手を想うあまりに守ろうとして余計なことをする。
その愛が一方的過ぎて、相手の真実の姿が見えていない。
そして、いつもは時間遡行軍の立場にあたる秀吉の行動は?
ここを丁寧に見れば見るほど、彼らが何故歴史を変えようとしているのか、敵の主目的に近づけると思います。
――鬼丸国綱が欲しかった。この刀を差料としたかった。
けれど、家臣に止められたからそれを断念して、「そのような不吉な刀、二度とわしの目の前に出すな!」と放り出してしまう。
そして後には一期の磨上も光徳に反対され、怒りと狂気に駆られて光徳へその手で折るか磨上るか決めろと迫る。
やっと得た後継者・鶴松は幼くして死んでしまう。
天下を取ったほどに「力ある者」のはずなのに、どうして心から願ったものほど、彼の手には入らないのだろう。
心から望んだ鬼丸国綱。
心から望んだ一期一振。
血を分けた可愛い我が子・鶴松。
どうして失われる。どうして自分を置いていく。
ただ笑顔を見せてほしいだけなのに人は離れていく。
笑顔は物語が咲いた証。
安心できるのは一期の笑顔、けれどその一期一振こそが正史のために鶴松を殺す。
自分を守ってくれるのは「影打」からなる「影一期一振」。けれどその「カゲ」は笑うことができない。
狂おしいほどに求めては失い、暴君と化す彼から人の心は離れていく。
要は、これこそ「時間遡行軍」側の事情のメタファー(比喩)なのだと思われます。
歴史を変えたくなるのは何故か。
一つは光徳の視点、相手を憐れむあまりに結果的に歴史の本質を捻じ曲げる、いつもの刀剣男士の視点。
一つは秀吉の視点、本来得られるはずだったもの、彼自身のものであるはずのものが、いつも手に入らない苦悩、苦痛、狂気。歴史を積極的に変えようとする時間遡行軍の視点。
刀剣男士はいつもと反対側、ただ、その時その時、己の人生を懸命に生きているだけの、本当は誰かに憐れまれる必要などない、普通の人間の視点。それは総ての「影」たちも同じ。
名前のある刀剣男士も、名前のない「影一期一振」も、本来は誰かに憐れまれる必要なんてない。
歴史を変えて救わなければならないほど可哀想な存在など本当はどこにもいない。
それを「悲しい役目を背負わされている」などと解するのは、上から目線の何様だお前は的発言ですよ。
「高慢」。己は幸福、相手は不幸と決めつけて、見下している。
しかし、何故「高慢」なのか。
その答も、この作品はすでに描いてくれているじゃないか。
信康を救おうとした石切丸も、三日月が方々で暗躍していたのも、今回の本阿弥光徳も。
……みんな相手の事を愛していて、優しいからそう思うんだよ。
愛するあまりに高慢になる。愛するあまりに見下している。
正しい知識を得ず、正しく物事を見て判断せず、自分の心という、相手の事を無視した一方的な価値観を押し付けている。
この感想の最初の方であの時代での一期の登場タイミングに触れましたけど、あれ、結構間違えて見ている人多いですよね。
最初に鑑定されたのは本物の一期一振で、後から毛利家から献上された方が影打だと。
しかし史料から言えば逆。後から毛利に献上された方が、我々の知る本物の一期一振。
では史料がなければ、このことを知らなければ絶対にそれは判別できないかと言えばそうでもない。
鞘の色が黒と赤で違うから、いつもの一期一振の鞘の色は赤だと、刀剣男士としての一期をよく知り、愛している人なら多分それだけで気づいたでしょう。
では何故、最初が一期で後から来たのが影打だと思っている人の感想が今でもあちこちで検索に引っかかるほどあるのか。
――見下したんだよ、無意識のうちに。
光徳さんが最初の刀を「一期一振かもしれない」、毛利家から献上された刀は「影打かもしれない」って言ったから。
影打が真打と思われることなんてありえないと、影打を侮ったんだ。
影打だからといって価値そのものが低いわけではない。
どちらも粟田口藤四郎吉光の真作の太刀という、非常に貴重な名刀同士であることには変わりない。
素晴らしい刀であること、本編中で繰り返し繰り返し語られているのに。
本丸側の刀剣男士こそ正しくて価値があるのだと思い込んで、一期に撃破・統合されたカゲを憐れな存在と決めつけた。
今回の一期一振は、本来奪われることはあまり考えられない刀剣男士としての存在感を、あと一歩のところでカゲにひっくり返されるところまで追いつめられていたというのに。
これまでの話でも、けっして名前のあるものだけが素晴らしいものではないということは語られているんですけどね。
「花影」はEDとして刀剣男士たちが名もなき花と詠み人知らずの歌をテーマにした曲で締めくくるように、名もなき花、詠み人知らずの歌、それでも美しい物語の話でした。
桜はその名ごと美しいけれど、けれどきっと、その名で呼ばれなくても美しい。
そして歌詞の中で、その関係は「紙一重」。
一寸先、一寸隣という非常に近いところに接していることも歌っている。
そもそも刀剣男士と「影」と呼ばれる存在たちは。
名のある存在と名のない存在は。
あくまでも表裏一体の存在であって、決して絶対的な差があるわけではない。
表(=面=顔)と裏(=心(うら))は、結局は同じものが今どちらの面を見せているかの違いでしかない。
「影の一期一振」、本来は一期一振の伝説の一部として統合されているべき存在である「カゲ」。
彼は一期一振に勝てずに消えた。歴史に語られぬ存在。名もなき花。
それを憐れだと思うのは「高慢」だ。
相手を憐れむこと、それは「高慢」、自分は優れていると驕れるものの、一方的な見下し。
されど相手を憐れむこと、それは「慈悲」。
愛しているから、同情して、救いたくて、幸せになってほしくて。
その思い入れの強さが、本当に大切なことを、一周回って見落としてしまう。
今回の本阿弥光徳のように……。
だから、ミュージカル本丸の本質は、一言でこう言えるだろう。
あの本丸は――「愛(うつく)しいが、高慢」。
お察しの通り、これ本来は長義くんの考察で用意していた理屈なんですけどね。
原作ゲーム(回想141)と慈伝の長義くんの行動を照らし合わせて分析している途中でミュージカル見たらこの理屈すでにそのまんまお出しされてるじゃねーか! んもー! って書いているのがこの感想です。
先にそっちの考察記事を挙げてれば良かったんですが「花影」を先に消化したかったてへぺろ。
「葵咲本紀」では永見貞愛は、結城秀康にこうも言っていますね。
上から見下ろしていれば不幸に見えるかもしれないが、ここから上を見上げていればそっちの方がよっぽど窮屈に見えると。
永見貞愛も結城秀康の双子なので本体と影の関係ですからね、ただし一見歴史から抹殺された影は、別にそれを恨んでなんかいないと。
「葵咲本紀」で悩み苦しんでいたのは信康でも貞愛でもなく、むしろ正史で活躍するはずの結城秀康だったではないかと。
ミュージカルの物語はこの辺りがもともと中核で、話が進むごとにそのテーマが明確になっていく。
そして今回の「花影」はこれまでの話と立場が逆転して、刀剣男士側が一方的に人間に憐れまれつつも、その辺は別にそんな酷いこととも思わず一期一振を取り戻すことを誓いつつもあくまで本分である歴史を守る使命をストレートにまっとうしていくと。
この辺の流れはもともと決まっていただろうから、おそらく今まで通り御笠ノ忠次氏が書いても全体的な印象は大体変わらない話になったと思いますね。細部の印象や魅せ方は変わっても、大筋は動かないでしょう。
本公演だのなんだのという区別が正直よくわからないんですが、とりあえず「ミュージカル刀剣乱舞」は前回の「江おんすていじ」から脚本が御笠ノ忠次(伊藤栄之進)氏から浅井さやか氏に変更になっています。
しかし物語テーマは脚本家さんが変更されても一貫していて、話の進捗に合わせて今回はいつもと行動の主体が逆転したストーリーではあるものの、だからといって話の結論がこれまでミュージカルが訴えていた内容とずれたかというと、そんなことはありません。一緒です。
私はただの自分の好みとして浅井さやか氏の脚本を断然推しますが、これまでのストーリーを描かれた御笠ノ忠次氏の脚本ももちろん素晴らしいものです。
例えば「葵咲本紀」で、焼失刀としての想いを抱え、歴史から消されるってどんな気分なんだと聞く御手杵に、永見貞愛は言った。
だったらお前が覚えていろと、俺もお前のことを覚えててやると。
例えば「東京心覚」で、三日月は「歴史の中で悲しい役目を背負わされたもの」の前に現れると言った水心子に、平将門は告げる。
あやつは優しすぎる、あやつに言っておけ。
負けた者にいれこみすぎると、負けた者に引きずられるぞと。
三日月を案じる言葉をかけている。
一方的に上から目線で憐れむんじゃねーよと、憐れまれる側の人々は人々で、刀剣男士たちのそんな態度にはっきり異議を示す。
けれど、じゃあお前ら高慢で嫌な奴! とその手を拒絶するかといえばそういうわけではなく、むしろ自分たちを憐れむその心の中の不安や慈悲を想って相手のための言葉をかけている。
「花影ゆれる砥水」の一方的に憐れまれた側、一期一振はどうだった?
一期はこれまでの脚本で描かれた永見貞愛や平将門と違って、自分を憐れむ本阿弥光徳を恨んだのか?
いいや、決してそうではなかった。
長谷部のことを見送った光徳に、「もうすぐ会えますよ」と楽しそうに声をかけていたではないか。
自分の輝きに魅せられる光徳に、聞こえてもいないのに「当然ですな」とふんぞり返って微笑んでいたではないだろうか。
一度は自分のことも影打のことも刀掛けごと蹴り飛ばして乱暴な扱いをした秀吉に、磨上てでも佩刀としたいと言ってくれたことが嬉しいと、感謝を伝えていただろう。
「ミュージカル刀剣乱舞」の世界は、例え脚本家が変わっても変わらない。
御笠ノ忠次氏も浅井さやか氏も、あまりにも美しく――優しい世界を描いている。
これを以て、「花影ゆれる研水」の感想を終わりたいと思います。
13.おまけ 舞台とミュージカル、とうらぶの演劇作品それぞれの脚本家さんのこととか
舞台とミュージカルをある程度見たことで、とうらぶの派生の主軸であるいわゆる2.5次元と呼ばれる演劇作品の脚本家3人がそれぞれどういうシナリオを書くのか、ということについてもついにある程度理解したので、ある程度触れたいと思います。
ある程度ね、本当にある程度。
正直私に関しては先週までミュージカルほぼ見ていなかったのに今回古戦場のお供(騎空士ことグラブルプレイヤーの性)にミュージカルでも流し見するか、って一気に摂取した俄オブ俄だぜよ。
戯曲本や「花影」パンフレットの話も多少読んだとはいえ脚本家さんたちのことについては本当にさわり程度しか知らないので、マジでどうでもいいかなり邪推まじりの適当感想です。
キャラクター云々ではなく現実の脚本家さんたちについてどうこういうのを聞きたくないという方はここでお帰りください。
本当にどうでもいい話しかしないんで……。
とりあえず私の個人的な趣味としては、ミュージカルの交代後の脚本家さんである浅井さやか氏の脚本が好きです。
もともとこれまでも歌詞を担当されていたということで、私がミュージカルの戯曲本読んで純粋にいいなと思っていた部分も大体歌詞の方だったんで、単純に趣味として波長が合うってだけの話ではないかと思います。
話の作り方がめちゃくちゃ原作ゲーム準拠で、もともとこれまでの歌詞の部分も多分原作からもらってるメタファーをがっつり取り込んで比較的ストレートに構築している感じがしたので、その部分が好きなんだと思います。
話自体は、どちらの脚本家さんもとても素晴らしい話を書くと思います。
舞台と合わせてお三方の中で誰が一番技量が上だと思うか? だったら舞台の末満氏がやはりずば抜けているのではないかと思いますね。
ちなみに今は舞台の方は禺伝と単独行をまだ見ていない、ミュージカルの方は本筋以外の単騎とか双騎とか他にもなんか色々あるんだっけ? その辺はまだ見ていない状況でこれ書いてます。
見とけば良かった単独行、早く配信きて禺伝。
ついでに舞台もミュージカルも戯曲本出てる部分はそれで済ませちゃったんでまだ鵺たそのビジュアル知らないでこれ書いてるよてへぺろ(早く見ろや)。
とりあえずそこまで見た感じで一通りそれぞれの脚本にどういう第一印象を持ったか思い出して見ると、戯曲本で末満氏の「虚伝」を読んだ時の感想は純粋に「上手い!」だったんですよね。
良いとか悪いとか面白いじゃなく、純粋にただこの人めちゃくちゃシナリオ上手え……!! って。
そこから舞台の戯曲本四冊一気読みしてその日の内に慈伝でいざ舞台そのものを見たら戯曲本の時より当然のように情報量が多く、さらに話として慈伝はそれまでの話の集大成として圧倒的な完成度を誇るエピソードなので色々な意味で脳みそパンクして死ぬかと思いました。
まぁ、というわけで末満脚本の第一印象はとにかく「上手い」。
ミュージカルの方はそれに比べると正直あんまり惹かれるものがなかった、というのが正直なところです。
第一話の「阿津賀志山異聞」は御笠ノ脚本なわけなんですが、うーんあんまり波長が合わないのと、あと多分話の捉え方としておそらくミュージカルの方が条件は同じでも構造の理解が圧倒的に難しいのでそれもあると思います。
話の理解が進まない場合、自分の趣味と波長が合わない作品に純粋に感動するってあんまりないので。
とうらぶの2.5次元作品である舞台・ミュージカルの話をするときの大前提としてまずこれをきっちり確認しておきたいのですが。
舞台にしろミュージカルにしろ、これらの話の根本的な面白さは、原作ゲームがそもそも持っているものです。
たまに原作はなんも面白くなくて2.5次元だけが面白いみたいな極端な意見も見ますが、原作ゲーム派としては、は? ぶっ飛ばすぞコラってなりますね。原作は、大事!
とうらぶはわかりやすいシナリオがないゲームというのはそれはそうなんですが、完全になにもストーリーがないわけではなく、刀剣男士の言動と当たり前の如く彼らの歴史を構成している刀剣の来歴・研究史が自然と構築している物語は当然存在します。
でないと全ての男士は表面上の存在というだけで、何の意味も重みもないことになってしまいます。
ある意味ではその「表面上だけの存在」というのも真実ではありますが。
他者のイメージというものは、人間はそれぞれ自分の中で勝手に作り上げるだけのものであり、何がその人・物の実像であるかを真の意味で理解できるかというのはとても難しいものです。
しかしここでそんなもんないわとしてしまうのはさすがに虚無主義すぎるので、一応ちゃんと原作ゲームにはそういうものが存在するという大前提で行きましょう。
とうらぶの派生作品は演劇に限らずどれも、まず原作ゲームの酷くわかりにくいけど確かに存在する面白さがあってこそ成立するものです。
その上で、派生作品の脚本家さんたちは、どの方もその仕組みを理解・尊重してそれぞれの作品に己の個性を最大限に活かしながらきちんと反映してくださっていると感じました。
とても素晴らしいことだと思います。
……まぁ、本音をちょろっともらすとそもそも原作ゲームの解釈難しすぎだろ派生作品一周しないとやってられねーぞとうらぶぅ!! って部分もかなりありますが。
そして派生作品見るにしても一作見れば全部わかるわけでなく続き物として通して見るのは前提の上、舞台とミュージカル、舞台と花丸、みたいにできれば複数作品を掛け合わせて作品構造を理解しないといけないっていや原作ゲームを理解するために要求されるものが普通に面倒すぎるぞとうらぶぅ!! って思ってますが。
原作ゲーム派の原作ゲームに関する根本的な愚痴はさておき。
それぞれの脚本家さんたちの発言からしても舞台の末満氏がやっぱり一番わかりやすくこっちが欲している情報をポロリしてくれるタイプかなあと。
末満氏の戯曲本の後書きは、歴史上の人物の真実の姿・史実や刀剣の来歴を重視し尊重していることをストレートに伝えてくれるものなので、原作派としてもこの人が描いてくれる物語なら、一見腑に落ちないものがあったとしてもきっと何かの意味があって、総ての謎が解ければ絶対に面白いものだ、と信用させてくれる感じです。
ミュージカルの御笠ノ忠次氏に関しては、正直戯曲本の後書だけ読むとその辺に割と不安が。
戯曲本読むとかなりアグレッシブで好戦的な印象を受けます。いや、いいことではあるんですけど。
常に新しいことに挑戦してます! というスタイルなので元の原作ゲームの設定、根幹の情報、刀剣の来歴とか研究史とかそういうものを本当にこの人は大事にしてくれるのか?? という点では非常に不安を煽られます……。
新しいものに挑戦するのは決して悪いことではないですし、むしろすごく必要なことです。
ミュージカルの戯曲本はそもそも対談形式なので、話の流れが一人でコントロールできるものではありませんから、末満氏が一人で手掛けている舞台の後書と違ってどれほどシナリオに関する本心が現れているかと考えるのも難しい、という条件の違いもあります。
そういう感じで、たまに脚本家さんに関する批判を聞くこともありますが、ミュージカルの御笠ノ忠次氏のこのスタイル自体が気に入らない、という人が原作ゲーム派にいることに関しては、私も原作ゲーム重視派として正直めちゃくちゃわかります。新しいものもいいけど、原作の設定を大事にしてー! って言いたくはなります。
作者の意見は作品にこそ現れるもので、そっちを見るべきだとは思いますし、出来上がった作品自体は決して悪いものとは思わないんですが、御笠ノ脚本には正直ここは本当にこうする必要あった? と疑問を感じる部分がかなり多いです。
ただし、他の作品の考察から入った感じだとその疑問を感じる部分はとうらぶ原作の方のギミックに関係していて絶対にそうしなければいけない部分である可能性も捨てきれなくて、御笠ノ脚本への評価は非常に難しいです。
すでに感想本編で触れた例だと南泉が安政の大獄周りの知識がなくてあの歴史を否定しちゃうところとか。
あの部分な、相手が南泉一文字だというところが非常に難しいんだよね。
猫斬りのメタファーって今年の頭にようやく火車切が来るまで実質一振りだけだった上に、ミュージカルは三日月を「機能」、そして大典太さんに言わせれば「呪い」と評している以上、「呪い」というメタファーを常に背負っている貴重な猫斬りである南泉でメタファーの消化条件を絶対にクリアしなきゃいけなかったのかもしれないし。
くそっ……! やはり今はまだわからん……っ!!
原作ゲーム派としては舞台の「慈伝」時点でかなりスタンダードに魅力的な南泉一文字を描いてもらったんじゃないかって感じなので、ミュージカルの南泉にはいやお前安政の大獄で尾張徳川家の慶勝さまが隠居謹慎命じられてるでしょ!? おめーを差料にしてた16代目の義宜さまの父親だよ!! って言いたくなっちゃう。
しかし、とうらぶの派生作品に関してはおそらく原作側であるニトロプラスがそれぞれの派生のライターさんたちに絶対にクソ面倒な注文をしているだろうことは、舞台・ミュージカルどちらの戯曲本の後書からも伺えますしね。ミュージカルはどちらかというと歴史上の人物の方に細かい注文が入ってたみたいだけど。
どの脚本家さんも原作ゲームを尊重しているだろうことはわかるのですが、原作ゲームにわかりやすいシナリオがない以上、どこからがその人のオリジナル要素かわからないと一見些細な描写でも本当に必要なことなのか、そうでないのかこちら側からは知りようがないんですよね。よっぽど深い考察でもしない限り。
そこが判断できるほどにこちらがシナリオを理解できれば良かったのですが、御笠ノ脚本に関してはこれまでに撒いた伏線・布石をどういう物語として消化したかったのか正直そこが掴めないうちに脚本交替になっちゃったかなあと。
う~~~ん。難しいな。
どういう話になるんだろうなミュージカルは。
「高慢」に関してを刀剣男士側が自覚する展開にはなるだろうとは思うけど、どういう手法を使うかまったく予想できないなこれ。
まぁ舞台側がこの章の締めの対大侵寇相当の話は確実に国広と長義のガチ殺し合いでしょって予想も私がなんかそれこそ自分の心のせいで変なもの見てない? 妄想じゃないこれ? 全然違うもの見てるかもよ?? っていう可能性は否めない。むしろそんなもん予想できない方が普通。俺はちゃんと物語を心ではなく目で見れているんだろうか。
ここを知るためにはやはり一番大きな区切りとなる対大侵寇相当の話辺りまでしっかり御笠ノ脚本自体で答を提示してもらいたかったかもしれない。
くっ……! 個人的には浅井脚本の「花影」が好きすぎるからこれでいいのに、もう一つの可能性もどっちも見てみたかったというのは贅沢な話……!!
全員高レベルの脚本家という時点でとうらぶの派生作品、とくに舞台・ミュージカルのこの演劇関連に関しては常にハイクオリティで贅沢な状況だと思います。
「江おんすていじ」から脚本交替した浅井さやか氏も、御自分で演出とか全部手掛けている劇団を20年以上運営しているという大ベテランでした。
「花影」でめちゃくちゃ上手くね!? と思ったけどそりゃ上手いわけだわ。
なんだよ……結局、とうらぶ演劇の脚本家全員化け物揃いじゃねえか……。
浅井さやか氏に関しては戯曲本みたいに脚本家さんの意見・性格を知る手掛かりがなかったので「花影」だけちょっとパンフレット買って、演出の茅野イサム氏との対談を読んでみました。
先にちょっとミュージカルの演出の茅野イサム氏の方に触れておくと、ミュージカルに関してはむしろ演出の茅野氏が脚本の二人より年上で全体の手綱握っている感じでしたね。
御笠ノ忠次氏との対談の時点でそんな印象受けましたが、年齢・経歴とか合わせてもそうなんでしょうね。
で、その茅野氏はもともといずれ浅井氏にも本編の脚本を書いてもらうかもという構想自体はあったようですね。
ふむふむ。興味深い情報です。
茅野氏によれば御笠ノ忠次(伊東栄之進)氏は天性の才能を持っている人、浅井氏は茅野氏とちょっと似ているところがあって天才と呼ばれるタイプではない、という文脈でした。正確な発言を知りたい方はパンフレット買ってみてください。
なるほどねぇ。こうやって脚本家で大成してるだけでどの方も天才であることは変わりないと思いますが、あえてタイプ分けするとそうなると。
茅野氏と浅井氏が自分たちで似ているタイプと自覚しているというなら、「花影」の脚本と演出の一致具合がものすごい心地よかったのも頷けてしまうなあと思います。
浅井氏の脚本に関しては良いところは上の感想本編で書きまくったと言っていいかなと思うので、今回感想をまとめていて思ったことと、パンフレットの対談を読んでこれが弱点じゃないかと思った部分を少し。
単純に、「花影」は観ている側に要求する知識レベルが非常に高く、ものすごく「難しい」話です。
この感想なんてただの感想なのに、まさかの『光徳刀絵図』の写本の整理年代から現状で考えられる一期一振の一番正確に近い来歴の情報が必要になります。
感想の説明にそれが必要ってどういう状況だよこれ考察じゃないの? いいえ違います感想です、今回は難しい考え方をする内容は一切ありません、難しい知識が必要なだけです。
ちょっと待て、それソシャゲ原案の演劇を理解するのに求められるレベルの知識?? とは非常に思います。
「花影」は雑とかわかりやすさを重視して深い感情を描かないとかそういう意見も見かけましたけどね、とんでもない!
これは非常に高レベルなシナリオです。
しかしその分、我々観劇側に求められるレベルもこれまでの作品とは比べ物にならないほど高レベルです。
待っっっってっっ!!
わかりやすいというのならむしろ御笠ノ氏の脚本の方がわかりやすかった。観ている人に対して非常に親切だった。
歴史的知識はもちろん、刀剣の来歴なんてマニアックな知識が一切なくてもさっくり見られるし、感動もできます。
けれど「花影」は、本当の意味で感動するには一期一振を始めとする刀剣男士の来歴に関する知識がないと最低限の理解すら厳しいと思われます。
光徳さんが当時から有名でその人生で実際に鑑定した長谷部の性格は理解していたのに、小竜くんのことは掴めなかった、そして一期一振のことはあんなに熱心に見つめているのに何もわかっていなかったという事情を理解するには、この三振りのざっくりとした来歴くらいは頭に入っていなければ相当難しいし、それがなければシナリオの意味を本当に理解することはできません。
理解できなくても楽しめるという意見は当然あるでしょうし、それはそれでいいでしょう。
それにキャラクターの内面に関しては、むしろ知識ばかり重視するよりも、原作の刀剣男士・一期一振の常の言動について考え続ける愛情や、鞘の色からどちらがどちらの刀か判断して二振りの刀を公平に見る精神の方が重要と言えば重要だと思います。
私のように全部を刀剣の研究史から知識重視の根拠を求める方がどう考えても珍しいです。
ただ、そういうタイプも少数とはいえいることにはいるわけですし、一番多いのはあまり深い調査はしていないけど言われたらちゃんと理解する気はあるから、作品内である程度その辺を解説してほしいという層と、いっそ何もわからなくても全部楽しめる話がいいという層だと思います。
演劇に限らず、どのエンターテイメントもそうだと思います。
わかりやすさは非常に重要、けれど、だからといって安っぽい話では意味がない。
どんなクリエイターも苦労する部分だと思います。
個人的な意見としては、話は誰にでもわかるようにわかりやすくできるならその方がいいと思います。
どんなに本当は面白いことと言っても、人間は自分がよく知らないものはわからないのです。楽しめないのです。
だから種々の伝統芸能には解説というものが存在するわけで。
ただ、そんな層を振り落としてでも自分は自分が完璧に美しいと思えるものを作る! というクリエイターはいるわけですし、そもそもとうらぶは原作ゲームがまずそういう性質だと思うんだよね(疲)。
だから原作ゲーム派は常に考察に非常に努力・苦労させられていますし、その作業になれた原作考察ガチ勢からすれば「花影ゆれる砥水」の脚本はもはやこれ以上の神作は存在しないかもしれないレベルで大絶賛できます。
いつもの原作ゲーム考察よりは100億倍楽で面白く美しく、するすると物語が頭の中に入ってきます。
これが俺のエデンだ!(澄んだ目)
しかしこれ、浅井氏は狙ってやったのかというと、どうもパンフレットの対談読む限り違うんじゃないかなと。
原案側からのアドバイスが目から鱗って言ってるからその辺をリスペクトできちんと取り込んだ結果、これまでにないほど脚本の理解の難易度を爆上げしちゃったことに御本人が気づいてないだけじゃねーかこれ……って気がします。
本阿弥家の詳細な解説がない、
今回の中核をなす磨上げ、影打などの専門用語周辺の解説がない、
(だから知識のない人はそれぞれの行為にどういう印象を抱いていいのかわからない)
初めて登場する刀剣男士五振りのキャラクター像は、長義くん筆頭に決してわかりやすいタイプではない、
あとこの辺は今回のテーマから意図的かもしれませんが、
豊臣秀吉の人物像に対する印象を決める恣意的な道標がない、
遡行軍側の動きを隠しすぎて、任務のクリア基準が不透明、
初見どころかこれまで見てきた人にとっても解説が必要だろうと思われるのにしなかった点が多いと言えば多い。
今回は何を描きたくてどこが良いポイントなのか、とうらぶというジャンル全体をある程度考察している人じゃないと何がなんだかよくわからない、自分が何をわかっていないかどうかすらわからない、というレベルで難しかったと思います。
まぁ原作ゲーム派からするといつもいつでもまるっと全部そうなんですけどね。
あれ? 俺は……よく考えたら、なんでそんな解説ZERO前提の不親切なゲームをプレイしてるの??(自分を見失わないで)
個人的には「花影」は完璧でこれが至高ですが、末満氏や御笠ノ氏と比べた場合どうか、と言われると好みは分かれるかもしれませんね。
この辺非常にうまくやっていると思うのはやはり舞台の末満氏です。
末満氏の場合は、御自分は明らかに刀剣の来歴設定をしっかり把握して物語の中核に反映させた上で、観劇側がそんなことまったく知らなくても面白く見られる物語を創っていると思います。
あれはまさに超絶技巧、神業と言うしかありません。
舞台の考察していて思ったことですが、末満氏はループもの好きと言われているので、おそらくそのループ構造の根源が「仏教(東洋哲学)」で、「円環の弁証法」と呼ばれる仏教の哲学的理論で輪廻を中心とした圧倒的に説得力のある作劇ができる能力を元から備えているんだと思います。
御笠ノ氏は刀剣の来歴を知ってるとむしろ気になるところが多すぎて集中できない話が多いとは思いますが、その辺を知らない人は最高に盛り上がれるだろうと思うシナリオなので、商売としては大成功だと思います。
ここ二人はおそらくナチュラルな天才側で、しかも他人が何をわかっていて、何がわからなくて、何を欲しているかを理解した上で物語を組み立てる能力が卓越しているように思います。私の勝手な意見ですが。
浅井氏はまた違うタイプで、堅実な努力と勉強の上で非常に複雑で繊細な物語を組み上げる方だと思います。
とうらぶの脚本家勢は全員めちゃくちゃ頭がいいと思うんですが、浅井氏に関しては自分が努力するのが苦にならずに与えられたピースを総て活かして最大限のものを描くことが出来てしまうが故に、話が難しくなりすぎていることに自分で気づいていないんじゃないかと思います。
それ故に出来上がったものは最高に繊細な美しさを開花する至高の芸術だが、受取り手の方にもかなりの知識・理解力を要求する。
う~~~ん。いや私は「花影ゆれる砥水」は最高に美しいと思うんだけど。最高なんだけど。最高なんだけど。
ふと一度冷静になってみれば、やっぱりこの話かなり難しくないか……? と思う。
一番とっつきやすいはずの秀吉の歴史だって鶴松がどんな存在なのか知らない人も多いだろうに(私もとうらぶ始めるまでは知らなかったよ歴史なんて)、それに加えて刀剣男士のキャラをその刀の研究史を含めてある程度把握していることが求められますからね。
「三百年の子守唄」で石切丸が信康を殺したくない! って思う気持ちは誰にでもすぐに理解できますが、光徳さんが磨上を嫌がる気持ちはよくわからない人が多いでしょう。本阿弥光徳について軽く調べたくらいじゃ理解できないでしょうし。
この辺は常日頃から刀剣書を読んでいて、磨上でどのくらい元の刀の情報が失われて、それがどれだけの損失か、たとえ悪いことでなくても研究者がどれだけ惜しんでいるかという意識が自然と蓄積されている人じゃないとやはり通じないと。
とはいえ、それだからこそ「花影」は最高なんだ。本っ当に最高なんだ。
これまで原作ゲーム準拠の作品、ただの原作尊重で終わらずにストレートに原作準拠の作品って一切なかったからこれが本当に本当に本当に魂に染み入る物語なんだ……。
エンターテイメントとクリエイターって難しいですね。
私だって今回はたまたま大筋を理解できるピースが手元に揃ってたけど、自分がまったく知識のない時代・人物だったら同じようには考えられないから、今後の話についていけるか実はすでに戦々恐々としている。
やはり話の難易度というか、解釈に要求される知識レベルは下げられるぎりぎりまで下げてもらった方がこっちもありがたいし商売的にも安牌ってやつなんでしょうかね。
しかしそれでは描けない物語もあって、「花影」はまさにそういう物語だろう。
これ自体がすごい難しい問題ですよね。
まぁそんなわけで、刀剣乱舞は原作ゲームから派生作品までしっかり論理構造を共有していてどの作品も脚本家さんの努力で素晴らしいクオリティに仕上がってはいるけれど、万人を満足させる作品つくりはやはり難しい、と。
一周回って何当たり前のことを言ってるんだお前はって感じになったな!
私の結論としては、浅井さやか氏脚本の「花影ゆれる砥水」は最高に美しい作品です。
でも解釈難易度はもっと落としてもいいと思う、というところです。
とりあえず舞台とミュージカルをある程度実際に見たことで、今まであれこれいろんな評判で溢れていた脚本家への不安はまあ大分払拭されました。
どの人が書いても素晴らしい物語を出してくれると思います。
例え主旨を理解しても結局合う合わないはどこにでもありますしね。
自分が一番求めているメディアミックス作品に出合うことの難しさは、結局知識があろうとなかろうと難しいと思います。
えー、こんな蛇足までお読みいただいた方がいらっしゃったらありがとうございますというか、むしろ本当にどうでもいいタイプの感想をつらつら垂れ流してすいませんというか。
脚本家変更で評価も揺れてるように見える「花影」ですが、この感想を読んで何か参考になることがあったらさいわいです。
それではお読みいただきまして、ありがとうございました。