はんじん
概要
真田幸村の脇差、「泛塵」
真田幸村の差料であったことが『北窓瑣談』などの文献に見える脇差。
「泛塵真田左衛門帯之 宇多國次作國廣上之」
という銘文が金象嵌銘で入れてあり、宇多国次の作で堀川国広が磨上たことがわかる。
『日本刀大百科事典』では「はんじん」と読むが、『北窓瑣談』では「へんじん」とルビを振り、『刀剣刀装鑑定辞典』では「ふじん」になっている。
『南紀先賢列伝』によると、とある儒官は「チリハラヒ(ちりはらい)」と訓むと言った。
『南紀先賢列伝』『南紀徳川史』によると、江戸時代の儒学者で和歌山藩主に仕えた「伊藤蘭嵎」が所有し、その死後は伊藤蘭嵎の息子が高野山に質入れしたところを、同じ紀州の藩士・野呂介石が購入した。
宮川春暉(橘南谿)は野呂介石の友人だったらしく、彼が書いた『北窓瑣談』の文言が刀剣関係の書籍でよく引用されている。
野呂介石の晩年に、神野梅菴がこの刀を直接野呂家で見せてもらった証言が『南紀先賢列伝』に寄せられている。
以上の内容から幕末までは確かに紀州(和歌山)に伝わっていたようだが、その後の所在は不明である。
真田幸村の差料
宮川春暉の『北窓瑣談』によると、真田幸村の差料で、紀州の高野山から出たものだという。
……ちなみに『日本刀大百科事典』では出典資料を『黒甜瑣語』としているが、他の書籍ではこの部分の出典はどれも『北窓瑣談』になっているので、『北窓瑣談』が正しい出典だと思われる。
『杏林叢書 第5輯』
著者:富士川游 等編 発行年:1922~1926年(大正11~15) 出版者:吐鳳堂書店
目次:一、 北窻瑣談
ページ数:116 コマ数:65
『東西遊記・北窓瑣談 (有朋堂文庫) 』
著者:橘南谿 [著], 永井一孝 校 発行年:1927年(昭和2) 出版者:有朋堂書店
目次:北窓瑣談 後編巻之二
ページ数:147 コマ数:286
一 余が友紀伊の家中に野呂何某秘蔵の脇差有り。金の象眼銘にて、真田左衛門帯之の字あり。上に泛塵の二字、是も象眼にて入れたり真田の銘せしにや。作は宇多国次にて、一条国広あげたりといふ事も象眼にて入れたり。真田幸村は武略のみと思ひしに。泛塵の二字風流の銘なり。今どきの武夫のごときにはあらず。此脇差高野山より出て、伝来正しき宝刀なり。
伊藤蘭嵎の佩刀
『南紀先賢列伝』によると、江戸時代の儒学者で和歌山藩主に仕えた「伊藤蘭嵎」(1694~1778年)が所有していたらしい。
『南紀先賢列伝 第1編』
著者:和歌山県教育会 編 発行年:1937年(昭和12) 出版者:和歌山県教育会
目次:伊藤蘭嵎
ページ数:95、96 コマ数:55、56
翁は性また武を嗜み、毎に刀剣を愛し、蛇鞘刀の名剣及び相州綱家作の近江槍を所持し、槍は今猶之を家に秘蔵してゐる。亦嘗て眞田幸村の佩刀、泛塵と銘する名刀を所蔵した。藩主之を聞いて、侍臣をして之を求めしめられた時に、蘭嵎は臣敢へて献ぜざるにはあらざれども、一旦敵の佩刀たりしものなれば、恐らくは君家を汚さんと、申上げた。翁の没後は野呂介石、此の刀を得て鍾愛したが、今は何人の手にあるかを知らない。
梅菴神野百歳翁は、その顛末を知つてゐるといふと語つた。(神野梅菴、通稱九兵衛 百歳翁と稱し自ら百歳を期した、明示丗年頃九十六歳にて沒した。)後に梅菴が此の話を聞いて、次の如き書を周峰に寄せた。
幕末には紀州藩士・野呂介石が所有していた
同じく『南紀先賢列伝』によると、「伊藤蘭嵎」の没後は「野呂介石」という人物が所有していた。
梅菴神野百歳翁の話によると、伊藤蘭嵎の没後、長男の甚左衛門は博学多才だが人となりは放蕩だったために破産し、真田幸村の刀・泛塵だけでなく文殊重国の短刀やその他の珍器文房具などを売り払ったり質に入れたりして金に換えた。
好事家の介石野呂久一郎はその幸村の刀を買い求めた。
『南紀徳川史』によると、伊藤蘭嵎の長男が質入れした先が高野山だったため、高野山から出たという扱いになるようだ。
『南紀先賢列伝 第1編』
著者:和歌山県教育会 編 発行年:1937年(昭和12) 出版者:和歌山県教育会
目次:伊藤蘭嵎
ページ数:95 コマ数:55
蘭嵎先生没後、長男甚左衛門トイヘルハ博学多才ナレドモ、人ト爲リ放蕩ニシテ、産ヲ破リ候付、右幸村刀、并文珠重国短刀、其外珍器文房具等、売却或ハ質物ト成シ金子融通ノ節、介石野呂九一郎は好事ノ人ニテ、其幸村ノ刀ヲ買求セリ。今尚、野呂家ニ珍蔵スト承リ、僕喜悦無限、翌日、径チニ介石翁ヲ尋訪シケルニ、翁病床ニ臥シ、輔会成シ難キ旨謝絶セリ。因テ嗣子介于周輔ニ乞ウテ曰ク、僕今日来訪セシハ、書画ノ要求ニ非ズ、彼ノ眞田幸村佩刀御所持ノ由承リ及ベリ。イカデ一覧ヲ給ラント申ケレバ、周輔欣躍シテ、翁ニ其旨ヲ告ゲラレ、暫クアリテ、周輔一刀ヲ携帯シ来レリ。
其中茎ニ 泛塵○眞田左衛門帯之 宇多國次作國廣上之
右刀刄長サ壹尺六七寸、中反リ、常体、菖蒲作リ、刄文太蔓理莖(フトスゲハナカゴ)、表ニ宇多国次作国広上之ト差、裏目貫穴ノ上ニ泛塵、穴ノ下ニ真田左衛門帯之ト、草書ニテ飛動スルガ如シ。表裏共ニ金象眼甚ダ美ナリ。国次作国広上之トアルハ、堀川国広ナラン。「チリハライ」トハ泛塵ノ二字ナラン乎。年来の渇望爰ニ於テ発明セリト、介于に礼謝シケレバ、
『南紀徳川史 第6冊』(データ送信)
著者:南紀徳川史刊行会 編 発行年:1931年(昭和6) 出版者:南紀徳川史刊行会
目次:卷之五十七 南紀德川史 文學傳第一 儒學
ページ数:470 コマ数:252
一 家記に曰く蘭嵎の佩刀は真田幸村の帯たる刀の由大直刃一尺六七寸計表に泛塵真田左衛門帯之裏に宇多國次作國廣上之を金象眼にて彫入る泛塵とはチリハラヒと訓し水の流れに刃を向け水上より塵を流すに刃に当れは両断して流るると云義の由此他文殊重國の刀をも所持の所蘭嵎の子亦蘭生計に窮し両刀共高野山の方へ典物となしたるを後野呂介石購入し今に所蔵せるよし伊東弘耿記する所の泛塵刀記と云あり古の儒文のみにあらざるを見るへし
作者と特徴
『北窓瑣談』や『南紀先賢列伝』によると、茎に金象嵌の銘文が入っている。
泛塵真田左衛門帯之
宇多國次作國廣上之
この銘文から、作者が「宇多国次」であること。
「堀川国広」が磨上をしたことがわかる。
『南紀先賢列伝』によると
刄長一尺六、七寸。
中反り、常体、菖蒲作リ、刄文太蔓理莖(フトスゲハナカゴ)。
現在は所在不明
『南紀先賢列伝』によると、明治30年頃に96歳で亡くなった梅菴神野百歳翁が幕末の所有者・野呂介石が老人となった頃に直接この刀を見せてもらっている。
その頃までは野呂家にあったのが確かなようだが、それ以後の情報はまったくない。
刀剣の研究書等ではその後ずっと所在不明扱いである。
浮かぶ塵とはどういう意味か?
『南紀先賢列伝』によると、儒官は「泛塵」を「ちりはらい」と読み、「水の流れに刃を向け、水上より塵を流すに刃に当れば両断して流れる」という意味だと解釈した。
『南紀先賢列伝 第1編』
著者:和歌山県教育会 編 発行年:1937年(昭和12) 出版者:和歌山県教育会
目次:伊藤蘭嵎
ページ数:95、96 コマ数:55、56
其文字誰モ解スル事能ハズ。偶安藤家之儒官ニ宮所(徳甫)某アリ。此文字ヲ泛塵(チリハラヒ)ト読ミ、即チ水中ヘ刀ヲ建テ、刃ヲ水上ニ向ケ、又、水上ヨリ塵ヲ流シ、塵即チ、刃ニ触ルレバ、忽チ両断シテ流ルト、現ニ其利鈍ヲ試ミタル事ヲ記スト云フ。
『日本刀大百科事典』で福永酔剣氏は
泛塵は浮塵に同じで、人の生命は、空中に浮かぶ塵のように、はかないものと達観した心境の表現であろう。
と、推測している。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:はんじん【泛塵】
ページ数:4巻P219
調査所感
・意外と多い「泛塵」の読み方
『日本刀大百科事典』 はんじん
『刀剣刀装鑑定辞典』 ふじん
『北窓瑣談』 へんじん
『南紀先賢列伝』 チリハラヒ
全部違うじゃねーかどれだよ!?
とりあえずとうらぶが採用した「はんじん」読みは『日本刀大百科事典』のものですが、もともと刀剣書が泛塵の解説として採用している文章は『北窓瑣談』の引用が多いので、一般的にはこの字ではんじんとかへんじんとか塵を「じん」と読む、音読み方面なんでしょうね。
その「浮かぶ塵」という名の意味・由来は何かという話になってくると残された文献はなく、儒官にしろ酔剣先生の意見にしろ、結局は憶測するしかできないようです。
・高野山から出たという話
『北窓瑣談』では伝来正しき宝刀扱いなんですが、どうも『南紀徳川史』あたりを読むと伊藤蘭嵎の長男が質入れした先が高野山だったみたいなんで、「高野山より出て、伝来正しき宝刀」という評価は若干勘違いが入っているような気がするんですが。
真田幸村所持が銘文として判明しているという意味ではそこは確かみたいですし、質入れするぐらいだから伊藤蘭嵎の家系がもともと高野山と縁があることも考えられますが、とりあえず資料の記述に従って、高野山に質入れされたものを野呂家が買い取ったことにしておきます。
・泛塵
泛塵という銘文の意味は結局真田信繁が残さなかったので不明ということになります。
ただ、『日本刀大百科事典』で酔剣先生が推測している方向性は仏教的な「塵」の解釈だと思われます。
とうらぶ関係で仏教を調べていると「塵」の中に宇宙が含まれるとかなんとか「塵」は結構重要な意味を持つ概念なので、気になるところですね。
さて、真田信繁は一体この刀にどんな想いを込めて、「泛塵」と金象嵌銘を入れさせたのでしょうかね。
・『南紀先賢列伝』や『北窓瑣談』はデジコレで読めます
デジコレのインターネット公開分の誰でも読める本に泛塵の記述が結構ありますので、直接資料を見たほうがいいと思います。いつも言っていることですが。
泛塵に関しては伝聞の伝聞の……で、ややこしいんですが調べれば伊藤蘭嵎・野呂介石周りの人物関係や年代をもう少しは綺麗に整理できるでしょうから、詳しく調べたい方はぜひご自分でどうぞ。
参考文献
「骨董雑誌 2(4)」(雑誌・データ送信)
発行年:1897年7月(明治30) 出版者:骨董雑誌社
目次:集古百種
ページ数:42 コマ数:25
『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第五門 名士の遺愛 真田幸村の刀
ページ数:101、102 コマ数:75、76
『有朋堂文庫 〔第34〕』
著者:塚本哲三 等編 発行年:1917年(大正6) 出版者:有朋堂書店
目次:北窓瑣談 後編巻之二
ページ数:145 コマ数:287
『杏林叢書 第5輯』
著者:富士川游 等編 発行年:1922~1926年(大正11~15) 出版者:吐鳳堂書店
目次:一、 北窻瑣談
ページ数:116 コマ数:65
『東西遊記・北窓瑣談 (有朋堂文庫) 』
著者:橘南谿 [著], 永井一孝 校 発行年:1927年(昭和2) 出版者:有朋堂書店
目次:北窓瑣談 後編巻之二
ページ数:147 コマ数:286
『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第四、武将の愛刀 真田の佩刀「泛塵」
ページ数:154、155 コマ数:89
『日本随筆大成 第2期 第8巻』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:北窻瑣談
ページ数:287 コマ数:152
『秋霜雑纂 前編』
著者:秋霜松平頼平 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
目次:解説七十五條 三十二 真田幸村の脇指
ページ数:20、21 コマ数:36
『日本刀剣の研究 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:文献に表はれた名剣名刀譚 源秋水編
ページ数:121 コマ数:70
『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:フジン【泛塵】
ページ数:418 コマ数:220
『南紀先賢列伝 第1編』
著者:和歌山県教育会 編 発行年:1937年(昭和12) 出版者:和歌山県教育会
目次:伊藤蘭嵎
ページ数:95~98 コマ数:55~57
『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:木村長門守の佩刀道芝の露 ページ数:353 コマ数:187
目次:眞田傳來の名器と幸村の愛刀 ページ数:359 コマ数:190
『武具甲冑之研究』(データ送信)
著者:雄山閣編輯局 編 発行年:1941年(昭和16) 出版者:雄山閣
目次:古文書に見ゆる刀劒 野村純孝
ページ数:409 コマ数:210
『新編信濃史料叢書 第18巻 (真田家御事蹟稿)』(データ送信)
著者:信濃史料刊行会 編 発行年:1978年(昭和53) 出版者:信濃史料刊行会
目次:左衛門佐君伝記稿 巻之四 雑記
ページ数:126 コマ数:69
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:はんじん【泛塵】
ページ数:4巻P219