ひげきり
概要1 源氏の重宝・髭切の物語と資料
源氏の重宝と呼ばれる太刀の「髭切」
源氏の重宝だった太刀の異名。髭切・鬚切丸とも。
現代だと「髭切」表記だが探し物をする場合は「鬚切」の方で検索に引っかかる場合がある。
号の由来に関しては『平治物語』と『剣巻』の二説あるが、どちらも資料の性質的に史実とは考え難い。
伝来についても諸説あり、直截的にこれが「髭切」だと伝える刀が伝来していない。
最上家に伝来して現在北野天満宮が所有する「太刀銘安綱(鬼切)」を「髭切」と同一視する向きもあるが、大元の「髭切」の伝承が諸説紛々な上に類似する名称の刀や類似する「鬼を切った逸話」を持つ刀との混同が考えられるため、「髭切」としての来歴の整理は困難を極める。
ここではまず最低限の情報の整理によってどれだけ「源氏の重宝・髭切」が諸説多き刀として語られているか、基本的には『日本刀大百科事典』の記述を参考に視覚的に確認するだけに留めたい。
『平治物語』による号の由来
源義家が奥州の安部氏討伐のとき、捕虜十人の首を斬った。
いずれもくち髭もろとも切り落したので、髭切りという異名をつけた。
平治(1159)の乱に敗れた源頼朝は、東国へ落ちていく途中、これを美濃の青墓の長者・大炊に預けておいた。
やがて関ヶ原で捕らえられ、髭切りのことを尋問されると、大炊のもとに預けてあると答えた。
難波経家が大炊のもとに行くと、大炊は泉水の太刀と中身をすり替えて、経家へ渡した。
京都に持ち帰り頼朝に見せると、髭切りに相違ない、と偽証した。
平清盛は大いに喜び秘蔵していたが、やがて朝廷に献上した。
その後、真の髭切りは大炊から献上したという。
しかし、『平治物語』には頼朝が関ヶ原で捕われた時、佩いていたので、さっそく取り上げた、という異説がある。
『保暦間記』には頼朝が建久元年(1190)入京した時、後白河法皇より拝領した、という異説もある。
『保元物語平治物語 (新訳国文叢書 ; 第2編) 』
著者:須田正雄 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:文洋社書店
目次:巻一 一四 源氏勢揃へ
ページ数:83 コマ数:50
『群書類従 第十六輯』
著者:塙保己一 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:経済雑誌社
目次:卷第四百五十八 保曆間記
ページ数:716 コマ数:363
『剣巻』による号の由来
多田満仲が日本の鍛冶に造らせてみたが、思いに叶うような刀を得られなかった。
筑前国三笠郡土山にきていた異国の鍛冶を、京都に呼んで造らせた。
八幡大菩薩に祈り、六十日かけて打った二振りのうち、罪人を試してみて、一刀はあご鬚もろとも切り落したので「鬚切り」、もう一刀は膝まで切り落としたので「膝丸」と命名した。
満仲の嫡子・源頼光の家来で、四天王の随一といわれた渡辺綱が、これで鬼の手を切り落としたので、「鬼丸」と改名した。
頼光はこれを三男頼基に与えていたが、頼光の甥にあたる源頼義が、奥州の安部氏討伐に赴く時、朝廷で頼基より召し上げ、頼義に賜った。
頼義より義家――為義と伝わった鬼丸は、夜になると獅子の吼えるような音を出すので、「獅子の子」と改名された。
「膝丸」は為義の婿になった熊野の別当・教真に贈られた。
為義はその代わりに、播磨鍛冶に寸分違わぬものを作らせ、柄に小烏の目貫を入れ、「小烏」と命名した。
二刀を抜いて障子に立てかけておいたところ、人も触らないのに倒れてしまった。
見ると、小烏が今まで二分(約0.6センチ)ほど長かったのに、同じ長さになっていた。
中心を脱いてみると、中心先が二分ほど切り取られていた。
これは「獅子の子」の仕業に違いない、と言うので、「獅子の子」を「友切り」と改名した。
為義から義朝に譲られ、義朝は平治の乱のとき、三男の頼朝に佩かせていた。
戦い敗れて東国へ落ちる途中、八幡大菩薩より、「友切り」という名が悪い、という示現があったので、もとの「鬚切り」という名に戻した。
父と別れた頼朝は、自分は斬られても「鬚切り」だけは平家の手に渡したくない、というので、江州草野の庄司に頼み、熱田神宮に奉納した。
成人した頼朝は治承4年(1180)、平家討伐の軍をおこすと、さっそく熱田神宮から「鬚切り」を返してもらったという1178.
しかし以上の記述は後人の創作であって、実説でないことは明白である。
『平家物語 (有朋堂文庫)』
著者:永井一孝 [校] 発行年:1927年(昭和2) 出版者:有朋堂書店
目次:劔卷
ページ数:1~32 コマ数:9~25
曽我兄弟の仇討ち
曽我兄弟の仇討ちの時、源頼朝は騒ぎを聞きつけ、髭切を抜いて出ようとしたところ、一法師丸に止められたという。
『義経記・曽我物語』
著者:武笠三 校, 塚本哲三 編 発行年:1922年(大正11) 出版者:有朋堂書店
目次:曽我物語 巻第九 十五 五郎召し捕らるる事
ページ数:712 コマ数:366
その後の伝来に関する諸説
その後の伝来については諸説がある。
『日本国中鍛冶銘文集』による頼朝のあと、安達泰盛に伝来説
頼朝のあと、安達泰盛に伝来。
泰盛が弘安8年(1285)、北条貞時に殺された時、焼け身になった。貞時はそれを行次に焼き直させたが、将軍の願いにより鎌倉の法華堂に納めたという。
『日本国中鍛冶銘文集』はいつも書いているが国立国会図書館デジタルコレクションでは読めない。
『半日閑話』による頼朝と義兄弟にあたる足利義氏に、伝えられたという説
頼朝と義兄弟にあたる足利義氏に、伝えられたという説がある。
義氏はこれを次男の泰氏に譲った。
泰氏は三河国吉良庄西尾に居城していた。
泰氏の兄長氏の子孫にあたる今川了俊が、建徳2年(1371)、鎮西探題になり九州へ下向するとき、髭切の目貫を申しうけ、以後、同家の家宝になった。
髭切は盗難にあい、現在、剣八幡宮にはない。
『白石先生紳書』によると、城内の八幡宮に髭切を奉納したので、剣八幡宮と呼ばれていた。
『今川家譜』によると奉納したのは義氏という異説もある。
『蜀山人全集 巻3』
著者:大田南畝 発行年:1908年(明治41) 出版者:吉川弘文館
目次:半日閑話 巻之二十二
ページ数:408、409 コマ数:209
『新井白石全集 第五 (国書刊行会刊行書) 』(データ送信)
発行年:1906年(明治39) 出版者:国書刊行会
目次:白石先生紳書 巻九
ページ数:749 コマ数:379
一 西尾の城中の八幡宮は髭切をいはひしなり
城内の八幡宮に髭切を奉納した部分の出典は『今川記』もあって、この本自体はすぐに見つかるが今回は該当の記述が見つけられなかったので今後の課題とする。
『今川家譜』そのものは国立国会図書館デジタルコレクションにはない。しかしよく他の本で引用はされているようである。
『南朝紀伝』『読史余論』による足利将軍家伝来説
『南朝紀伝』『読史余論』によると、足利将軍家に伝来したという説もある。
足利義教が嘉吉元年(1441)3月23日、伊勢神宮へ参拝した際、袋に入れて携行していた。
『南朝紀伝』によると、折悪しく大雨落雷があったので、髭切を忘れて行ったという。
すると、剣八幡宮から申し請けたことになるから、同社にないのは当然である。
足利将軍家における髭切について、その後の消息はまったく不明であるという。
『日本歴史文庫 〔1〕』
著者:黒川真道 編 発行年:1911~1912年(明治44~45) 出版者:集文館
目次:南朝紀伝〔一名南方紀伝〕 巻下
ページ数:299 コマ数:156
同月二十三日、将軍伊勢へ参宮。大雨降る。物の気あり。先づ輿に入らるる剣、(鬚切、袋に入る、)謬りて異なる物なり。
『読史余論』
著者:新井白石 発行年:1938年(昭和13) 出版者:
目次:卷十 室町家代々將軍の事。上
ページ数:299 コマ数:156
此月二十三日、義教伊勢参宮。大雨ふりもののけ多し。輿に入られし剣(髭切。)あやまりてことものなり。
作者については異説が多く、なかでも奥州鍛冶が圧倒的に多い
髭切の作者についても、上述の異国鍛冶や泉水のほかに、異説が多い。
これらの古剣書は翻刻が発行されていないものも多く、一般人には目にする機会もないものが多いので、ここでは史料の量的確認のために『日本刀大百科事典』を参考に文献名だけ書きだす。
『長享銘盡』など国立国会図書館デジタルコレクションで一部読めるものもある。
古剣書による髭切の作者に関する諸説
・文寿説
『長享目利書』『能阿弥本』『正和銘鑑(観智院本)』『文明十六年銘盡』『天文目利書』『鍛冶銘集』『宇都宮銘盡』『文明十年銘盡』『平治物語』
・元寿説
『古刀銘盡大全』
・行重説
『正和銘鑑(観智院本)』『文明十六年銘盡』『永徳銘盡』『天文目利書』『弘治銘盡』
・実次説
『長享目利書』 『古刀銘盡大全』『長谷川忠右衛門刀工系図』『能阿弥本』『正和銘鑑(観智院本)』『長享銘盡』『文明十六年銘盡』『日本国鍛冶惣約』『日本国中鍛冶銘文集』『永徳銘盡』『天文目利書』『鍛冶銘字考』『弘治銘盡』
・諷誦説
『正和銘鑑(観智院本)』『長享銘盡』『天文目利書』
など、奥州鍛冶が圧倒的に多い。
そのほかは、
・美濃の外藤説
『能阿弥本』『古刀銘盡伝書』(刀工鎮次本)
・備前の四郎兵衛尉説
『日本国中鍛冶銘文集』
・筑前の正応説
『筑前国続風土記』
などの名も挙げられている。
なお、『古刀銘盡大全』には、元寿は漢国の鍛冶とか、筑前国土山にいた鍜治は実次、という異説もあるという。
『米沢地名箋』による文寿が髭切を打った場所、誕生川
『米沢地名箋』によると、文寿が髭切を打ったところは、出羽国置民郡小越村小菅(山形県米沢市上小菅)の誕生川のところとする説がある。
誕生川はもと太刀打ち川と呼ばれ、落合に源を発する、その支流が、京塚において県道と交差する。そこの端を多切橋という。
『米沢地名箋』は国立国会図書館デジタルコレクションでは読めないが、『大日本刀剣史』で原田道寛氏もこの話題に触れている。
『日本刀大百科事典』では「刀剣会誌」を出典として、明治34年にはそこに文寿の碑を建てたことにも触れている。
外藤の模作説は頼朝の注文打ちか
『平治物語』には、青墓の長者は泉水の太刀と取り換えて、髭切を平家に渡した、とする説があるが、『能阿弥本』には、外藤に模作させたものを渡した、とする説がある。
これに関して『日本刀大百科事典』では、
難波経家が受け取りに来たのが真実ならば、『能阿弥本』『日本国中鍛冶銘文集』『永徳銘盡』によると経家の兄である経遠と経房は、ともに刀を作ったとされていて、経家も刀剣には明るかったはずである。
古い髭切と、今出来の外藤との区別がつかなかったはずはない。
と、検討を加えた上で、
『長享目利書』に、源頼朝が建久元年(1190)、上京の途中、外藤に刀を打たせた、という説がある。
髭切の模作説は、この頼朝の注文打ちと混同したものと見るべきである。
と、結論している。
『剣巻』による髭切の刃長
髭切は刃長二尺七寸(約81.8センチ)、と『剣巻』にある。
『日本刀大百科事典』によると、この刃長は信じがたいが、外装は柄・鞘とも円作り、つまり黄金作りだったとあるのは、信じてよかろうとしている。
概要2 髭切と同一視される「鬼切(鬼切り丸)」の概要
「鬼切」、「鬼切丸」などと呼ばれる古名剣に関しての伝承は、作者や所持者など異説が多く、現在も似たような名前の鬼切刀は複数伝来している一方、伝承の刀と一致するものの伝来について考えると難しい。
作者に関する諸説
伯耆安綱説
源頼光が鬼を切った安綱の太刀を鬼切とする説は、古剣書のうちでも室町初期以前のもの『能阿弥本』『日本国中鍛冶銘文集』『鍛冶銘集』『宇都宮銘盡』に見られるという。
古剣書には単に「鬼」とあるだけで、具体的な記述を欠くが、『太平記』には詳記されている。
『太平記』によると、
もと坂上田村麻呂が伊勢神宮に奉納したものを、源頼光がもらい、さらに渡辺綱に与えた。
渡辺綱は鬼切で妖怪の子と母を退治した。
『酒呑童子異本』によると、酒呑童子討伐のときの刀も、これだったともいう。
しかし、『相州秋広廿五ヶ国押形増補本』によると、頼光自身が鬼を斬ったとする異説もある。
その後、多田満仲がこれで信州戸隠山の鬼を切ったので、「鬼切り」という刀号がついた。
『太平記』をみると、新田義貞は討死の前、鬼切を日吉神社に奉納したことになっているにもかかわらず、討死のときも鬼切を佩用したことになっている。すると、『梅松論』にあるとおり、鎧を奉納した、とする方が正しい。
新田義貞が討死にすると、寄せ手の大将・足利高経がこれを分捕った。
足利尊氏から提出命令が来たのに、焼失した、と虚偽の報告をした。
尊氏は怒って、義貞撃滅という大功をたてたにもかかわらず、恩賞を与えなかった。それがのち高経が尊氏に叛く一因ともなった。
『太平記詳解 自9の巻至16の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:山崎攻の事付久我畷合戦の事 ページ数:9 コマ数:11
目次:新田殿湊河合戦の事 ページ数:41 コマ数:183
『太平記詳解 自25の巻至32の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:直冬上洛の事付鬼丸鬼切の事
ページ数:24、25 コマ数:143
『新釈日本文学叢書 第10巻』
著者:物集高見 監修, 物集高量 編著 発行年:1924~1925(大正12~13) 出版者:日本文学叢書刊行会
目次:梅松論
(『梅松論』は鎧奉納に関する内容だけのようなのでコマのチェックはとばします)
(……「酒呑童子異本 著者不詳 室町期」となっている資料はそもそもどういうものをさしているんだろう? 酒呑童子伝承はいっぱいあるはずなんでこの辺に関してはもう詳しい人に任せます)
その他の作者に関する諸説
・大原実盛(大原真守)説
『鉄山秘書』によると、伯耆の鉄山に伝わった伝説では、大原実盛が伯耆国日野郡俣野の鉄で作ったものという。
実盛は真守の誤記である。
・大和行平説
『能阿弥本』によると渡辺綱が京の一条戻り橋、
『如手引抄(十一冊本)』『古刀銘盡伝書(刀工鎮次本)』によると村雲の橋で鬼を切ったという。
『文明十六年銘盡』では場所を明示していない。
・河内有国説
『文明十六年銘盡』によると、渡辺綱が切ったというだけで、場所の記述はない。
・舞草雄安説
『能阿弥本』『天文目利書』によると、源義家が奥州征伐の際、院宣をうけて雄安に作らせたもので、のち足利氏の先祖・義国が相伝したという。
しかし「鬼切り」と命名の由来は記されていない。
・奥州真国説
「鬼切り」を平家の重宝としている。
『日本刀大百科事典』では源氏の誤りでなければならぬ、としている。
・奥州武里説
『本朝鍛冶考』によると、宮城郡住人竹里の作というだけで所持者など不明。
(『日本刀大百科事典』で竹里の字それぞれ違うのはどちらかが誤字?)
・奥州幡房説
『表海鍛冶伝』で、幡房を雄安同人とする説によったもの。
・奥州実次説
『日本国中鍛冶銘文集』による、「鬼切り」を「鬚切り」「膝丸」「薄緑」と同一物とし、実次の作とするもの。
『日本刀大百科事典』では『剣巻』(平家物語)に拠ったものであろう、としている。
・備前正恒説
『長享銘盡』では「鬼切丸」と呼んでいるが、由来は不明。
・築後利延説
『長享目利書』によると源頼光が酒呑童子を斬った太刀、という。
・粟田口国綱説
『長享目利書』、遠藤左衛門所持というほか不明。
・相州正宗説
『後太平記』によると、大内義長が自害のとき、大内家重代のこの刀で、杉民部大輔が介錯した。
『日本科学古典全書 第10巻 第3部』(データ送信)
著者:三枝博音 編 発行年:1942~1946年(昭和17~21) 出版者:朝日新聞社
目次:二 鐵山必要記事(鐵山秘書) 下原重仲 解說
ページ数:292 コマ数:154
一 源家重代之御重宝鬼切と申し御剣は、俣野刃鉄を用て、大原実盛鍛之しとなん、凡て俣野刃鉄は刃物に宜敷也。
『通俗日本全史 第7巻』
著者:早稲田大学編輯部 編 発行年:1912~1913年(明治45~大正2) 出版者:早稲田大学出版部
目次:後太平記 下 地部巻第三十四 大内義長長門国抜落並自害之事
ページ数:50 コマ数:38
今は何をか期せんと大内重代の正宗鬼切と云ふ太刀にて杉民部大輔介錯し、其太刀取直して其身も腹切つて付す
作者に関する諸説から見える混同問題
以上の諸説のうち「伯耆安綱作で源頼光所持」という説は、享保名物の「童子切(童子切安綱)」を指しているようである。
しかし『摂陽郡談』『摂津名所図会』によると、多田満仲を祀った兵庫県川西市の多田権現に、昔から「鬼切丸」という神宝が伝わっていた。
すると「童子切」ではないことになる。
多田の神宝に関しては、『摂陽郡談』そのものは見られなかったが、『摂津名所図会』で確認できる。
『大日本名所図会 第1輯第6編摂津名所図会 摂津名所図会. 上,下巻』
著者:大日本名所図会刊行会 編 発行年:1919年(大正8) 出版者:大日本名所図会刊行会
目次:摂津名所図会 巻六
ページ数:70 コマ数:52
なお、寛永3年(1626)11月13日後水尾天皇に第一皇子が出生されたので、将軍家光は12月4日、誕生祝いに鬼切丸を献上している。
しかしそれは本阿弥家に預けてあった「鬼丸(鬼丸国綱)」の誤りである。
(この部分『徳川実紀』だと寛永3年ですがWikipediaなど見ると現在は後水尾天皇の第一子誕生は寛永2年が正しいかも)
これらの混同問題に関しては後でもう一度触れることにする。
『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻八 (寛永三年九月八日−十二月)
ページ数:104 コマ数:59
最上家伝来の鬼切丸(「太刀銘安綱(鬼切)」)
『日本刀大百科事典』によると、
出羽の豪族・最上家にも、鬼切丸と称する太刀が伝来していた。
最上家は出羽の豪族だったが、江戸期になると五千石の旗本に衰微していた。
同家が明治2年、新政府に提出した調書によれば、多田満仲から源頼光に、さらにその正嫡・頼国に伝来していたものを、源義家が蝦夷征伐に赴くとき借りてゆき、そのまま義家の子孫に伝わった。
一時、箱根権現に奉納されていたこともあったが、それを源頼朝がもらい下げた。
そして後、最上家に伝来していたものという。
1732年(享保17)11月、8代将軍・吉宗の上覧
『甲子夜話』によると、
享保17年(1732)11月、将軍吉宗の命で上覧に供した。
それ以後は、当主が旅に出ると駕籠のまえに、「鬼切太刀」と書いた立て札をたて、刀櫃にいれ担いで行った。
ただし中身は万一の事故を慮って、模造した代剣になっていた。本物は知行地、つまり今の滋賀県八日市市大森の八幡宮に預けてあった。
『日本随筆大成 第3期 第8巻』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本随筆大成編輯部
目次:甲子夜話 巻八十九
ページ数:723 コマ数:383
明治3年には明治天皇の叡覧も賜った
その時本阿弥光品は、銘は「国綱」と読めるが、伝来どおり安綱だ、と鑑定した。
(『日本刀大百科事典』だと天覧は明治2年12月になっていたが、他の資料では大体明治3年になっているので、明治3年1月の話だと思われる)
「刀剣と歴史 (205)」(データ送信)
発行年:1928年1月(昭和3) 出版者:日本刀剣保存会
目次:鬼切丸國寳の由來 / 堀田赤城
ページ数:9~13 コマ数:9~11
『郷土史夜話 第3巻』(データ送信)
著者:川崎浩良 発行年:1954年(昭和29) 出版者: 誌趣会
目次:最上の宝刀「鬼切丸」
ページ数:3~8 コマ数:9~12
最上家を出て転々としたあとで、北野天満宮に奉納
その後、最上家を出て転々としていたので、明治13年、当時の滋賀県権令・籠手田安定の首唱で、寄付を募って購入し、京都の北野神社(現在の北野天満宮)に奉納した。
『日本刀大百科事典』によると出典は「刀剣と歴史」らしい。
この雑誌の刊行は明治43年からとなっている。
現在も北野天満宮所蔵なので、「北野天満宮」のサイトで情報が見られる。
(最上家の宝刀鬼切丸と知らずに購入した所持者たちの夢に現れたとか、なかなか面白い話も読めます)
1927年(昭和2)4月25日、国宝(旧国宝)指定
昭和2年(1927)4月25日、旧国宝指定。
北野神社名義。
現在は重要文化財。
「太刀(鬼切)銘安綱 附 太刀箱一箇」
『官報 1927年04月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百十七号 昭和二年四月二十五日
ページ数:659 コマ数:1
刃長と銘
刃長二尺七寸九分二厘(約84.6センチ)。
銘は「安綱」とあったものに、「安」の両側に縦線を加え、「国綱」に改竄している。
ここでは『日本刀大百科事典』の記述を参考にするが、最上家の鬼切丸(鬼切安綱)に関しては現存して展示などもされている関係上、刀剣書を探せばいくらでも詳しい作風は知ることができると思われる。
島津元公爵家の「鬼切り」
『日本刀大百科事典』によると、
鹿児島の島津元公爵家にも、「鬼切り」と号する伯耆安綱の太刀があった。
刃長二尺四寸八分(約75.2センチ)。
現在は重要文化財。
北里家伝来の「鬼切丸」
『日本刀大百科事典』によると、
肥後国阿蘇郡小国郷(熊本県阿蘇郡小国町)の豪族・北里家伝来の鬼切丸は「安綱」と二字在銘。
長女はそれのお守りで、次の代の長女が生まれるまで嫁に行けない掟だった。
現在はハバキ上、三寸(約9.1センチ)ほどのところから折られ、先は一尺八寸七分(約56.7センチ)の脇差になっている。
折った理由については、豊臣秀吉が島津征伐の際、石田三成を使者にして提出を求めてきた。
北里三河入道は頼光より伝来の宝刀を、草履取り上がりの秀吉ごときに渡せぬ、と叩き折ったとも、朝鮮出陣か島原の乱の際、脇差にするため磨り上げた、ともいう。後説が正しいはずである。
※島津元公爵家や北里家の鬼切に関しては出典が書いていなかったり出典自体も酔剣先生自身の書いた記事だったりするので、この辺りは酔剣先生が自分の目で見た刀の情報を載せているということかもしれない。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おにきりまる【鬼切り丸】
ページ数:1巻P230、231
概要3 鬼切安綱、童子切安綱、鬼丸国綱の混同問題
源氏の重宝「髭切」は、『剣巻』などによれば何度も号を変えている。
さらに「髭切」は渡辺綱がこの刀を使って「鬼を斬った」という逸話において知られる刀である。
そしてこの刀は現代までこれが「髭切」だとして伝来している一振りが存在しない。
そのため古来よりいたるところで伝承の混同や同一視が発生している。
このページでは髭切に関してざっくりとしか解説していないが、刀剣の研究書を読むためにはまずこれらの問題の存在について理解したほうが話がわかりやすくなると思われるので、この点を少し整理したい。
髭切と鬼切安綱との同一視、鬼切安綱への髭切の物語の仮託
最上家に伝来し、明治から北野天満宮所有の「太刀銘安綱(鬼切)」は、「髭切」と同一視されることがある。
この刀の来歴は『太平記』の「鬼切(鬼切丸)」だと説明される。
ここで一つの問題が発生する。
『剣巻』や『平治物語』の「髭切」と『太平記』の「鬼切」は同一の刀剣か?
これに関しては様々な研究者が様々な視点から検討を入れているので個々の論は面白くはあるが、結論からすれば史料がない時点で断定は難しいと言える。
『平治物語』も作者や成立年代に関する資料が少ないので難しいが、特に『剣巻』の扱いが難しい。
『剣巻』自体が一つの独立した物語であり、成立過程は明確ではない。
『平家物語』の一部であったものが次第に増補され独立していったという説もあるが、もちろん断定はできない。
内容として史実を保証するような性質のものではなく、信憑性は低い。
そしてこの『剣巻』は『平家物語』、『源平盛衰記』、『太平記』などの付録として広く読まれている。
『平家物語』(鎌倉時代)
『太平記』(室町時代)
(『源平盛衰記』は『平家物語』の異本のひとつと言われる)
『太平記』で語られるのはあくまで「鬼切」と「鬼丸」で「髭切」はないのだが、「鬼切」は『剣巻』の「髭切」と同じく源頼光から渡辺綱にわたって鬼の腕を斬ったと言われている。
一方、「鬼丸」は「髭切」の別名の一つと同じだが、『太平記』の鬼丸は来歴から判断すると現存する「鬼丸国綱」と目されるべきで、「髭切」ではない。
このような細かい整合性を見ていくと、『剣巻』の「髭切」と『太平記』の「鬼切」に関係はありそうだがあくまで断定はできない。
この場合だと、刀剣同士の混同という問題が想定されるので、判断は慎重になる必要がある。
しかし、それでも『剣巻』の「髭切」と同じく渡辺綱が鬼の手を斬ったという逸話の共通性から、『太平記』の「鬼切」を源家重代の太刀「髭切」と同一視される場合が少なくない。
鬼切と鬼丸との混同問題
上記の概要2で触れたが、『太平記』には「鬼切」と「鬼丸」が登場する。
このことから、そもそもこの「鬼切」と「鬼丸」を混同している資料が存在する。
上で紹介した、『徳川実紀』で鬼丸国綱の方を「鬼切」と呼んでいる例である。
鬼切と童子切との混同問題
こちらも概要2で触れたが、享保名物の「童子切安綱」との混同問題も考えられる。
「童子切安綱」も『太平記』の「鬼切」と同じように「伯耆安綱作で源頼光所持」と言われている。
福永酔剣氏によると、この「童子切」と「鬼切」の混同が古剣書に多く見られるという。
『日本刀大百科事典』は比較的図書館に置いてある本だと思うが、ネットで国立国会図書館デジタルコレクションの本などで知りたい場合は同じく福永酔剣氏の『日本刀物語』辺りが詳しい。
(ただしここで「鬼切」として強調されているのは北里家の鬼切の方みたいです)
『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣出版
目次:鬼切りと童子斬り
ページ数:27~52 コマ数:21~34
文学と刀剣、宝剣説話の役割や影響
酒呑童子に関する話は、かなり前からフィクションと目されているらしい。
これまで読んだ刀剣の本でも戦後はすでにその見解が主流と思われる。
(戦後の研究書の代表は主に佐藤寒山氏と福永酔剣氏の本、一方、戦前の原田道寛氏の『大日本刀剣史』などはまだ史学のチェックや考察が甘い気がする)
「鬼切」は一応『太平記』から源頼光の刀として語られているが、童子切は『享保名物帳』以前に逸話の記録がないらしく、同じ安綱の作といわれる「鬼切」に影響を受けているとも言われる。
一方で、現存する最上家伝来、現在北野天満宮所蔵の「鬼切安綱」の銘は「安綱」の字が「国綱」に改竄されているという。
これはこれで、「鬼丸」国綱に影響を受けたものと考えられる。
つまり、「鬼切安綱」「鬼丸国綱」「童子切安綱」という鬼関連の逸話を持つ三振りの刀は「源氏の重宝」や「享保名物」などの世上の評判に相互に左右されている可能性がある。
この辺りは「最上義光歴史館」のサイトで読める「歴史館だよりNo13」が面白い。
伝承の混同が想定される場合、一振り一振りの正しい来歴、逸話などを後世の人間が理解するのは非常に困難である。
史実を理解するには、断片的な記述を無理矢理つなげるよりも、繋げられない事情が判明した時点でその作業を断念するしかないだろう。
わからない、というのも一つの答である。
「鬼切」が「髭切」なのか、「鬼切」や「童子切」の逸話がどこまで本当なのかは「わからない」、あるいは「真偽はともかくこの本(『剣巻』や『太平記』など)でこう言われているよ」という表現に留めるしかない。
一方、逆に史実を誤認させる理由ともなりえる、無理矢理記述を繋げた例ともいえる文学作品、今回の話の出典ともなる『剣巻』の記述についてネット上で読めた論文をざっと確認した程度だが、『平家物語』研究の視点から興味深い説が出ていたのでそちらも簡単に考えてみたい。
『剣巻』の構成は、源氏の重代「髭切」「膝丸」、そして「髭切」の写しの「小烏」の物語と、三種の宝剣や神器の物語が重なって武家の権力の移行を演出しているのではないか? という旨が『剣巻』研究界隈でかなり提示されているらしい。
物語の記述がどんな意味を持つのかは、その作者の意図によるところが大きい。
我々が史実としての刀剣の情報を求めても、その情報を載せている『剣巻』制作の意図が、宝剣説話における権力移行の象徴として「髭切」や「膝丸」を描くことであれば、その内容が真実である必要はないというわけである。
これも絶対的に信じ込むことはできないが、「髭切」に関してはその名で現存する刀ではなく鬼を斬った逸話の方と結びついた刀に仮託されている現状である以上、その資料がどのような性質をもつものかの検討は必要であろう。
調査所感
クソめんどい(瀕死)。
兄者は『日本刀大百科事典』で読んだ時から研究史調査のラスボスになると思ってたけど実際にやってみたら、想定以上に手間取りました。
ところでこれから弟の研究史調査に入らなければならないんですが(死亡)。
・まずは全体量を確認する
髭切の研究史を理解するには、まず大前提としてどんな資料が存在するのかを視覚的に把握できたほうがいいですね。
ということで主に制作者の諸説を確認するために古剣書の名前がずらりと並びました。
概説書だと出典はよく省略されますが、そのせいでこの辺りの「資料量の視覚化」ができないのは単純に痛手です。
なんで本当のことがわからないかって?
いっぱいある資料がそれぞれ別のことを書いてるからさ!
これをまず理解するのが第一歩だと思います。
・記述の性質を検討する
資料を見たらそれがどういう性質のものかを検討していきます。
素人が一人でできるわけもないので、ここでは酔剣先生の『日本刀大百科事典』を参考にしまくっています。
・内容を整理する
私のサイトは当然私にわかりやすく作っていますが、それでも他の刀剣の研究史と比べるとやたらと階層も項目も多いことが一目瞭然だと思います。
これはもうネットを眺めているだけで頭に入るような情報量ではないので、ある程度自分の手元で自分にわかりやすいように整理する必要があると思います。
ここではあくまで簡単調査なので資料名だけでいちいち資料の性質まで突っ込んではいませんが、本当に理解したいなら文献の成立、その時代や著者などの情報を足して整理したほうがいいと思います。
・必要に応じて、他の業界の情報も持ってくる
今回は特に軍記物である『平家物語』の『剣巻』の性質が重要になるのでそこだけネットでちょっと調べたんですが、『剣巻』の構成から見る髭切・膝丸と三種宝剣の対比による源家の権力確立の過程を描くとかなかなか面白い話を知ることが出来ました。
本当の意味で歴史を理解するなら、やはり刀剣本だけでなくこうした他の分野の情報にも手を出していかないといけないんでしょうね。
・実は同名の刀はまだある
完全に別物の刀であることははっきりしていても同名の刀はまだまだあるようです。
単純に何度も改名してるから被る確率が上がってるわけですしね。
普段なら追記するかもしれませんが今回はさすがに省略します。
・我々は何を追っているのか
源氏の重宝「髭切」は一本化された来歴のある現存刀剣ではなく、伝承の中に存在するが実体のよくわからない刀剣と言える。
ただし北野天満宮蔵の「鬼切安綱」のように、髭切と同一視あるいは仮託される刀はある。あるいはこの刀をシンプルに髭切そのものだと信じる人もいるかもしれない。
ここまでの情報を頭に入れた上で、自分が今何の情報を追っているのかしっかり自覚しないとただ記述を探すだけでも面倒な刀だと思う。
・で、まだまだ資料はあるわけですが
今回まとめた情報はあくまでも「髭切」に関する情報のほんの一部!
マイナーな刀ならデジコレで拾える情報全部拾ったるわくらいの心意気でやってるけど兄者は無理だよ死ぬ!
兄者に関してはどの方向から検索してもチェックに何年かかるんだクラスの膨大な情報量ですので、あとはやりたい人だけがんばってください……。
参考文献
『群書類従 第十六輯』
著者:塙保己一 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:経済雑誌社
目次:卷第四百五十八 保曆間記
ページ数:716 コマ数:363
『太平記詳解 自9の巻至16の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:山崎攻の事付久我畷合戦の事 ページ数:9 コマ数:11
目次:新田殿湊河合戦の事 ページ数:41 コマ数:183
『太平記詳解 自25の巻至32の巻』
著者:三木五百枝, 大塚彦太郎 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:同益社
目次:直冬上洛の事付鬼丸鬼切の事
ページ数:24、25 コマ数:143
『新井白石全集 第五 (国書刊行会刊行書) 』(データ送信)
発行年:1906年(明治39) 出版者:国書刊行会
目次:白石先生紳書 巻九
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著者:大田南畝 発行年:1908年(明治41) 出版者:吉川弘文館
目次:半日閑話 巻之二十二
ページ数:408、409 コマ数:209
『日本歴史文庫 〔1〕』
著者:黒川真道 編 発行年:1911~1912年(明治44~45) 出版者:集文館
目次:南朝紀伝〔一名南方紀伝〕 巻下
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『通俗日本全史 第7巻』
著者:早稲田大学編輯部 編 発行年:1912~1913年(明治45~大正2) 出版者:早稲田大学出版部
目次:後太平記 下 地部巻第三十四 大内義長長門国抜落並自害之事
ページ数:50 コマ数:38
『保元物語平治物語 (新訳国文叢書 ; 第2編) 』
著者:須田正雄 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:文洋社書店
目次:巻一 一四 源氏勢揃へ
ページ数:83 コマ数:50
『刀剣一夕話』
著者:羽皐隠史 発行年:1915年(大正4) 出版者:嵩山房
目次:一 鬼丸、鬼切のこと
ページ数:21~25 コマ数:17~19
『大日本名所図会 第1輯第6編摂津名所図会 摂津名所図会. 上,下巻』
著者:大日本名所図会刊行会 編 発行年:1919年(大正8) 出版者:大日本名所図会刊行会
目次:摂津名所図会 巻六
ページ数:70 コマ数:52
『義経記・曽我物語』
著者:武笠三 校, 塚本哲三 編 発行年:1922年(大正11) 出版者:有朋堂書店
目次:曽我物語 巻第九 十五 五郎召し捕らるる事
ページ数:712 コマ数:366
『羽皐刀剣録』(データ送信)
著者:高瀬魁介 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:嵩山房
目次:源氏重代髭切の太刀 ページ数:11~14 コマ数:15~17
目次:源氏の髭切 ページ数:15~19 コマ数:17~19
『平家物語 (有朋堂文庫)』
著者:永井一孝 [校] 発行年:1927年(昭和2) 出版者:有朋堂書店
目次:劔卷
ページ数:1~32 コマ数:9~25
『官報 1927年04月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百十七号 昭和二年四月二十五日
ページ数:659 コマ数:1
「刀剣と歴史 (205)」(データ送信)
発行年:1928年1月(昭和3) 出版者:日本刀剣保存会
目次:鬼切丸國寳の由來 / 堀田赤城
ページ数:9~13 コマ数:9~11
『梅風帖』(データ送信)
発行年:1928年(昭和3) 出版者:北野神社
目次:二十 刀劍
コマ数:46
『日本名宝物語 第1輯』
著者:読売新聞社 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:誠文堂
目次:國寶 鬼切丸太刀 京都 北野神社所藏
ページ数:242~245 コマ数:143、144
『日本随筆大成 第3期 第8巻』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本随筆大成編輯部
目次:甲子夜話 巻八十九
ページ数:723 コマ数:383
『秋霜雑纂 前編』
著者:秋霜松平頼平 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
目次:解説七十五條 百五十 剣の巻解題 ページ数:87 コマ数:69
目次:解説七十五條 百六十七 剣の巻解題続 ページ数:99 コマ数:75
『日本刀剣の研究 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:文献に表はれた名剣名刀譚 源秋水編
ページ数:108 コマ数:64
『読史余論』
著者:新井白石 発行年:1938年(昭和13) 出版者:
目次:卷十 室町家代々將軍の事。上
ページ数:299 コマ数:156
『日本科学古典全書 第10巻 第3部』(データ送信)
著者:三枝博音 編 発行年:1942~1946年(昭和17~21) 出版者:朝日新聞社
目次:二 鐵山必要記事(鐵山秘書) 下原重仲 解說
ページ数:292 コマ数:154
『郷土史夜話 第3巻』(データ送信)
著者:川崎浩良 発行年:1954年(昭和29) 出版者: 誌趣会
目次:最上の宝刀「鬼切丸」
ページ数:3~8 コマ数:9~12
『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣出版
目次:鬼切りと童子斬り
ページ数:27~52 コマ数:21~34
『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:源氏の重宝膝丸・髭切・薄緑の太刀
ページ数:12~15 コマ数:11、12
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おにきりまる【鬼切り丸】 ページ数:1巻P230、231
目次:ひげきり【鬚(髭)切り】 ページ数:4巻P229~231
概説書
『名刀伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2004年(平成16) 出版者:新紀元社
目次:第一章 古代・平安 鬼切(髭丸)――渡辺綱――
ページ数:36~38
『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年(平成17) 出版者:光文社
目次:源平の名刀 薄緑と今剣 ページ数:62~68
目次:源平の名刀 鬼切 ページ数:49~54
目次:源平の名刀 蜘蛛切 ページ数:55~61
『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23年) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 源氏重代の剣と膝丸 ページ数:102、103
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 渡辺綱・新田義貞と鬼切国綱 ページ数:112、113
『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:鬼切
ページ数:6
『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第一章 平安時代≫ 伯耆国大原 安綱 鬼切安綱
ページ数:28、29
『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第3章 太刀 髭切
ページ数:78
『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 鬼切 ページ数:75
目次:消えた名刀たちの名鑑 髯切 ページ数:91
『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の逸話 鬼切
ページ数:236
『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:鬼・妖を切った刀 鬼切
ページ数:38
『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:髭切
ページ数:37