対百鬼夜行迎撃作戦2について

対百鬼夜行迎撃作戦2について考える

原作ゲームのイベントの感想&考察ですが、去年の対百鬼夜行迎撃作戦辺りからメディアミックスとの相関性をガンガン明かしている展開なので、メディアミックスの話題にもガンガン触れます。

0.リアルタイムの感想ログ

考察ってやっぱり手順が必要なものだなと。

私もリアルタイムで情報がちょっとずつ更新されるたびにTwitterにあれこれ感想書いてましたけど、他の人の感想や考察も見て、そこから「ではここはどうなっているのか」みたいに更に問いを立てていって……という作業を繰り返して情報を整理していき、納得のいく解釈に少しずつ近づいていくしかないんですよね。

というわけで全ての情報を踏まえて一度に整理することは無理なんで、まだ情報が出きっていない時点での感想から順々に載せていきます

今年の戦鬼は?

実は一つ目じゃなかったらしい今年ようやく全身図お目見えの戦鬼くんなんですが、結局どういう存在なんだろうねぇ。

対大侵寇の「混」は見た目からして七星剣持ってない? って言われてたけど、戦鬼は今のところ見た目は普通にただの「鬼」……だよね?(画像読み取りに自信なし)

「混」ちゃん撃破で七星剣ゲット! なので、イベントボス敵とイベント報酬の刀剣は少なからず関係あるとは思いますが、去年の戦鬼が九鬼くんか? と言われるとそこは違う気がする。

ただ今回は童子切が「剥落」という謎要素を持ってくるので、童子切から剥落したものが「鬼」かもしれないと考えれば九鬼=戦鬼と考えるよりはまだしっくり来る。

去年の九鬼くんは渦に飲み込まれたけれど火車切によって救出されたし、あの時我々は戦鬼を追い返したけど倒してはないんだよね。

今年できっちり戦鬼を〆て童子切ゲットなら、倒したボスと入手している刀の相関性がだいぶはっきりするので期待したい。

 

戦鬼の顔は「面」か?

戦鬼の顔がお面じゃないか? という意見を見かけたので。
そうだとするとメディアミックスでこの手の敵は

舞台の山姥(外伝)→長尾顕長に能面が憑りついたもの
活撃の辻斬り(漫画3巻)→足利義輝の死体に鬼の面が憑りついたもの

鬼・化け物に関するギミックが全部共通の可能性が更に高くなるな。

ただ舞台の山姥は面が長尾顕長に憑りつくけどそれ自体は顕長じゃなくて北条氏直の不安の具現っぽいのがポイントで。
誰が誰に被せた仮面かは作品ごとに違いそう。

あと私の画像読み取り能力だとこれお面? お面なの? というところにいまいち確信が持てない。他の審神者の考察に期待しよう。

面と言えばそういえば再演される禺伝のキービジュ。
というか綺伝でさんざん「鬼と蛇」の話をやった次の話、禺伝本丸の刀剣男士たちは他の刀の逸話をまとうとかなんとかやっていたような(うろ覚え)。

……対大侵寇と綺伝も同時期だし、来年の舞台のスケジュールも来年の対百鬼夜行とリンクしてる??

 

戦鬼くん祢々切丸説

戦鬼くん祢々さん説出てるのか。

祢々を斬った刀だけど、そもそもその「祢々」がよくわからないという刀でもある。
2018年実装組で未極ラス1なんでこのイベントのすぐ後に極が来てもおかしくないというか候補筆頭。
この後すぐ極来るならもともと童子切実装と祢々切丸極で表裏のセットだった可能性がある。

祢々さんの次に実装された白山くんも狐要素があるから気になるところ。

ところでクダ屋さんと朧月の会話で戦鬼は陽動扱いされてるから、今回はどの道戦鬼以外の隠し玉として他の敵が登場する可能性があるんですよね……。

 

今年の戦鬼との戦い終了

ようやく対百鬼夜行の続き見たけど正直よくわからんな! うむ!(輝くような笑顔)

……じゃ、いかんか。
とりあえず朧月は本当お前どの辺の何のポジションなんだよとツッコミを入れたい。3陣営?

1.朧月(月陣営)
2.ヤマタ(時の政府)
3.???(戦鬼に自分の一部を食わせた、敵ボス?)

上の3陣営に関する情報を整理できる「場面その11」が重要かと。
朧月と「月」は口振りからすると時の政府と考えは同じなので前回といい今回といい陰ながら協力するぜぐらいの立ち位置なのが今回判明した感じ?

問題は場面11の最後なんですが……。

戦鬼に自分の一部を食わせたという???さんがあのシーンと最後のシーンで同じなら最後の台詞は誰に向けての何か?(わからん)

新OPの青い水槽(標本)の中身自体の動きか、あの水槽を見ているのが???さんか? どちらにしろ一度戦鬼との接続を切って意識が戻った敵側のホームが水槽らしい。

んでもって、朧月の動きから考えて敵との接続が切れた戦鬼の死体の傍で見つけたものに童子切の剥落と名づけている。ドロップ刀剣!

倒した敵が落としたというか、倒した敵から分離した男士がやっぱりドロップ枠の刀剣っぽいことがわかったわけですが……。
その倒した戦鬼くん酒呑童子になってるぅ――。

因果がどうにもこっちの想定と逆っぽいよね。割といつも感じることですが。

童子切から剥落したものが酒呑童子なのではなく、名もなき戦鬼が戦いを経て隠し玉こと「酒呑童子」に「成って」、さらにそれもCV兄者もとい時の政府が鬼斬りの物語を強化した影に斬られた。
そこから剥がれ落ちたものが剥落。

因果が逆……? いや、むしろこれで正しいのか?

先に童子切という刀があって物語の酒呑童子が剥落したのではなく、先に「酒呑童子」という「鬼」がいて、その鬼が斬られたからこそ「童子切」という号と逸話を持つ刀が生まれた。

そう聞くとむしろこれでこそ、順番は正しい……?

酒呑童子は最初から酒呑童子だったわけではない。
???含む、他者の干渉が名もなき鬼を戦鬼とし、酒呑童子へと進化させた。
その鬼が倒された時、その鬼を斬った名前を持つ刀が生まれた。

もともと異去突入時のキャプションで乾いた肌では剥がれ落ちるだのどうだの言われてましたし、

物語とは多分、剥がれ落ちるものなんだろう。

そして言ってしまえば物語はその内容通りのことがあって語られ伝えられるものでもない。
一つの出来事の真相は案外伝わらず、外部の他者がこれこれこういう歴史だという憶測で物語を構築している例は枚挙に暇がない。
ある意味歴史というものの本質はそう。

我々がそう認識しているものの真実は対象が表立って掲げている看板通りの内容ではない。
それ自体はまあ極修行とかで死ぬほどやってきたのでいいんですが……。

朧月と月のタッグも時の政府も、そして敵の???さんも3陣営皆そういう名付けを通じた「物語付与による強化」を色々実験している感じが。

しかも???さんの口振りや戦鬼から酒呑童子への進化を考えると、その物語付与はやっぱり己の一部を「食わせる」という行為なんだよね。

強くさせたいなら食わせる。自分を食わせることもあれば、戦場でひたすら敵を食わせることもある。

そうやってそれぞれが物語を恣意的な方向へと強化していく。

う~~~ん。この内容、メディアミックスの描写なんかを通じてこれまでも大体出ていた情報、ある程度プレイヤー側も推察していた内容を原作ゲームで改めてまとめて出した形になるような気がしますが。

情報の量と深度としてはあくまでそこまでで、結局この物語を食わせ、強化した先に何があるのか不明

物語を食わせる(物語付与)による強化が、歴史を守ることに直接的に繋がるかというと疑問。

これはあくまで戦いに勝つための作戦という感じ。

そしてその勝利のための計画が、余計に歴史認識をややこしいことにしているような感じがしますが……。

むしろそういう物語なんだろうかね?

 

初見時点での簡易まとめ

えーと、とりあえず「剥落」のアンサーとしては童子切から何かが剥がれ落ちたわけではなく、むしろ戦鬼(進化して酒呑童子)から剥がれ落ちたものが我々の本丸に初の不完全な顕現の刀剣男士としてやってきたという捉え方でいいのか?

名付けの影響を考えると石田・京極の回想135の内容の肝もこれっぽい

しかしこれ、戦鬼に自分の一部を食わせた???が最重要とも言えるので、その???次第のような気も。

あと今回のイベントからすると、前回朧月が言ってた「友」はまだよくわからない。童子切って感じでもないなこれ……。

戦鬼が口にした月は三日月が連れ添ってる存在っぽいしなぁ。

刀剣男士側の存在を考えようにも、今回の内容からするとむしろ「月」「ヤマタ」「???」みたいなどっちかというと男士みたいな現場の実働部隊より上位存在っぽい存在が示唆されたので。
それがどういうものかわからないと考えがまとまらないかなと。

髭切は鬼切安綱と同一視される刀でつまり童子切と同じ安綱。
その安綱に斬られた戦鬼が成ったのが酒呑童子か。

もともと童子切と髭切(鬼切)の逸話は混ざり合ってる感じなの考えると……どう捉えればいいんだこれ。
ドロップ刀剣は斬られた敵と同じ刀か、斬った自分と同じ刀か(わからん)。

 

戦鬼は腕だけ落として撤退?

朧月が其の11で見ていた戦鬼は死体じゃなく腕の部分だけでは? という意見を見てなるほど、と。
あいついくら???の目玉が埋め込まれてるからって腕だけで元気に喋ってたんかーい。

それだと最後に「おかえり」されてるのは戦鬼の残り部分で???は水槽の中身の方になるんじゃないかな?

でもこれで来年腕取り戻しに来たらそれはもう完全に酒呑童子じゃなくて「茨木童子」の方だよな……。
戦鬼くん、来年ランクダウンしてくるのかお前……。

 

戦鬼の腕を斬った影と朧

あれ? そういえば影=朧でいいならCV兄者と朧月はもしかして同じような存在……。

戦鬼を斬ってるCV兄者は時の政府所属で鬼斬りの逸話を強化されてる存在っぽく、三日月と行動しているらしい「月」と時の政府の考えは大体同じ?

ということは朧月も「月」によって何か強化されてるのか?

 

と、いうことで初見感想を出し、他の人の考察もある程度見つつ、そろそろこっちも考察まとめに入りますか。

1.対百鬼夜行2について考える

1 戦鬼と剥落

場面11の読み取り、私は戦鬼を倒して死体から剥落ドロップかと思いましたが、他の方の意見で腕を落とされて撤退したのではないかと見て、そちらのほうが自然だなと思い直しました。

・場面11のCV兄者な影の攻撃で腕を落とされた戦鬼は撤退
・残された腕から童子切剥落が顕現(不完全)

場面11最後の「おかえり」は、撃退されて本拠地に帰ってきた戦鬼に対し、培養ポッドの中の「???」さんが言ってると見ると、場面11の全体的な流れがわかりやすくなるかなと。あれはおもに朧月と「???」のシーンのようですね。

戦鬼は戦いの中で物語を集め、「酒呑童子」に「成った」。
しかし、鬼斬りの逸話を一つの刀剣男士に集め付与して強化した存在である政府の影(CV髭切)に腕を斬り落とされた。
「腕を斬り落とされた鬼」というのは、「酒呑童子」ではなくその部下とも言われる「茨木童子」の物語である。

成ったばかりの鬼である戦鬼はそのせいで「酒呑童子」としての物語が揺らぎ、本丸部隊の攻撃を受けて撤退せざるを得なくなった。

朧月は擬似平安京フィールドに残された鬼の腕の近くへと移動し、その腕に生えた目玉から敵の大ボスらしき存在の言葉を聞く。

「俺の一部を食わせたというのに負けたのか。これはこれで良しとする」

その台詞を最後に敵の大ボスと腕との繋がりは切れたらしく、同時にそこにはまだ名のない何かが存在していた。

その何かに対し朧月は「名付が必要だ」と判断し、「剥落」と名づける。

百鬼夜行 二 其の11 『剥落』

三日月宗近 朧 「薄く剥離したそれであっても、今は重要な手掛かり」
三日月宗近 朧 「なあ、童子切安綱の剥落よ」
三日月宗近 朧 「そう震えるな。すぐに使いが連れに来るだろう」

暗転後の培養ポッドのシーンの解釈に悩みましたが、この流れだと戦鬼目線で培養液の中の人物、戦鬼に己の一部を食わせた「???」から「おかえり」と言われているシーンのような気がします。

 

2.今回ではっきりしたこと

今年のイベント内容はこれまで原作ゲームでは極修行手紙などで匂わされ、メディアミックスでははっきり言及されている「物語付与による強化」だったと思われます。

また、腕を落とされた戦鬼の物語が揺らいだので、物語を奪われると弱体化する。
基本的に物語の取り合いであることもはっきりした。
メディアミックス側を参考にすれば(花影)、刀剣男士の存在がそんな簡単に消失することはないという前提がありながら、しかし本刃の意識自体では揺らぐこともある、ぐらいの設定のようです。

……突き詰めると「これこれこういう存在であるにはこういう物語が必要」という自己認識が重要っぽいなと。

当事者にそういう意識が重要な一方で、他者によって外部から定義づけがなされている場合もある。

今回鬼の顔は顔じゃなくて「面」なのでは? と言われていましたが(体自体は祢々切丸に似ていると)、メディアミックスでは鬼の面が憑りつく描写が複数あるのでこれも原作・メディアミックス共通。

敵から物語を奪えば存在がある、何者かになれる。
それがそのまま歴史を守ると同義ではないかと。

自分が特定の物語として存続するためには戦いの中で自分を保持しなければならない。
そのために逆に別の物語を付与されて強化する必要がある。
矛盾ではあるけれど、やらねばまず生きられない。

現実の研究史も同じですが、逸話というのは実際の出来事が正しく伝わった結果というより、何か元となる断片情報があってそれを他者が外から憶測して歴史として伝えられていくもの。

観測者がその歴史記述をきちんと完成させたいという意志が強いほどいくらか確度は上がっても、絶対の真実はない。

「歴史(物語)」を完成させる外的要因(他者からの定義)と内的要因(どんな物語が必要かという自己認識)の釣り合いのために、欠落したものはその欠落を埋めるため、競合する同一存在と食らい合って己を完成させる。

これが基本なのでは。戦鬼が隠し玉になったように進化方法自体は色々ある模様。

ある存在にとってその物語が本当に「必要」か「不要」かという選択はそれぞれ分かれそうだけど、「自分はこれが必要(不要)」という意志の方ははっきりさせておかねばならないらしい。

 

3.来年の予想

場面10、11はどういう前提と状況か。
また、これまでどちらかというとメディアミックスの方で描写されてきた「物語付与」という強化の方向性。

これらを前提に考えると、来年は戦鬼が腕を取り返しに来る(茨木童子の伝説そのまま)ことがまず予想されます。

それだけではなく、「酒呑童子」の斬り落とされた腕から顕現した、我々の童子切安綱が石田くんとの回想176で「不完全な顕現」とはっきり言われていたことも、これまでの刀剣男士とは違う物語と言えます。

これまでは例えば記憶だのなんだの欠落があっても、その刀剣男士はその状態を正しい状態として存在していた。
だが「童子切安綱 剥落」は違う。

回想3つの全てで彼がまだ不完全であることを相手の刀剣男士からそれぞれの口振りで指摘されている(存在としては受け入れられているが)。
と、いうことは来年のお互いの目的は
・戦鬼(茨木童子)は「酒呑童子」になるため、腕(童子切剥落)を取り戻す
・我々の童子切剥落は、完全体になるため逆に戦鬼本体を取り込む

になるのでは?

「酒呑童子」になりたかった戦鬼は腕を落とされて欠落し、
その腕から顕現した童子切剥落は、「不完全な顕現」と言われている。

となると、どちらも己を完全体にするために行動するのならば、両者で食らい合うしかないのでは?

言ってしまえば、物語と物語の食らい合いのメカニズムはこれが基本なのかもしれない。

まぁ、敵の動きは今年と去年の動きで違うし、来年はまた来年で戦鬼に己の一部を食わせたという???さんがどう出るかってところですが。

去年の戦鬼は九鬼を取り込もうとした(物語を集める)
今年の戦鬼は???の一部を食わせられてる(特定の物語付与による強化?)

次はどういう方向だろう。

それぞれの陣営で、この戦いに勝つための作戦として、直接戦う戦士である刀剣男士や戦鬼の強化を試みている。
来年は来年で今回の食い合いによる揺らぎ・欠落の結果を受けて、別アプローチでの物語強化を行うと思われます。

敵はずっとその姿勢だからまあいいとして、対百鬼夜行迎撃作戦はずっと政府刀の物語として来ている。

不完全な顕現である「童子切安綱 剥落」を抱えた我々本丸側は、何をすればいいのでしょうね。

それとも来年こそ、本当に童子切を完全体とするために戦鬼を全て飲み込む、我々のターンに話を持っていくのか……。

それとも来年は政府の「童子切安綱 剥落」がイベント主人公する?

 

4.朧月の「友」

三日月のお友達はヤマタさんの方かなぁ? それだと去年最初の火車切との会話と、どちらかというと時の政府側のこっちに協力的なスタンスが一貫してすっきりするような気がする。

いや……回想読み返した感じ、ヤマタさんはヤマタさんで時の政府側の朧月の知り合いの一人って感じかなこれ。息災かどうかを気にしているから。

三日月にはすでにクダ屋という知り合いがいるんだからそれでおかしくない。
本丸の三日月だけでなく、朧月の方も政府のクダ屋と知り合いである。

三日月、朧月の「友」は場面其の5からすると九鬼くんが渦の中であった誰かの方っぽい?

朧月の台詞からその交友関係を含む状況を整理したい。

まずは去年の台詞を確認しよう。

異去 百鬼夜行 其の8「朧月」

???「俺は、本丸の刀剣男士ではないからな」
張番「じゃあ、いったい……」
三日月宗近 朧「そうだな。……俺の名は、三日月宗近。……朧の。……朧月、とでも呼ぶか?」
張番「……おぼろづき」
張番「朧月は、どうやってここに?」
三日月宗近 朧「……。……友、に呼ばれたのかもしれん」
張番「……友。……その友が、この奥に……?」
張番「……」
張番「……俺も」
張番「俺も、九鬼を……。友だちを助けたいんだ」

 

つまり三日月の友は

・三日月を呼んだ(かもしれない)
・異去の奥にいる(火車切の推測含む)

そして今年、朧月が九鬼に情報を聞きに行った回想も見返そう。

百鬼夜行 二 其の5「この世の果ての河」

九鬼正宗「どれくらい経ったか……、気ぃ付いたら知らん河のほとりに座っとったんじゃ。思わず胸をなでおろした。けど、よう見りゃあそこは河ん中州で、前にも後ろにもまったく対岸が見えんかったんよ」
九鬼正宗「……それで、隣にゃあ誰かが立っとった。ほいで、言うた……」
九鬼正宗「壁を越える為の船を出せ、と」
三日月宗近 朧「……壁を越える、船」
三日月宗近 朧「船を出す。そんなことが出来るのか?」
九鬼正宗「うーん、どうじゃろう。異去は可能性の墓場。あの世界の力学を知っとるもんなら、もしかしたら……」
三日月宗近 朧「壁とは」
九鬼正宗「知らん。というか、そっからはあんまり覚えとらん……」
九鬼正宗「笑われるかもしれんけど、……ぶち怖かったんじゃ」
九鬼正宗「喰われてしまう思うた。変じゃのぉ、折れるんならまだしも」
三日月宗近 朧「笑うなど。お前が戻って来られてよかった」

ストーリーの流れ、三日月の動き、去年は火車切の手助けをし、今年は九鬼に話を聞きに行った辺りから考えると、三日月の「友」はこの、九鬼が黒い渦の中で出会って「壁を越える為の船を出せ」と言った誰かではないかと思います。

引用は割愛していますが、この後の九鬼の台詞で「そいつ、刀剣男士みたいに見えたんじゃ」とも言っています。

なので、三日月の友は

「黒い渦の中、この世の果ての河で九鬼正宗が出会った、『壁を越える為の船を出せ』と言った刀剣男士」

ではないかなと思います。

だからその誰かを助けるためには、朧月は「壁を越える為の船」を出さなければならないのではないか?

しかし、肝心の「壁」の意味は朧月にもわからないという。

「壁」という言葉は小烏丸の修行手紙で「嘆きの壁」という表現が出てきたり、メディアミックスを見回すと舞台やミュージカルでちょこちょこ使われる表現なのでそろそろこの意味を気にするターンに入った気がします。

 

5.月陣営と時の政府

上で引用したやりとりの最後、九鬼に対する「お前が戻って来られてよかった」は朧月の本心のような気がする……。

朧月こと「三日月宗近 朧」が我々にとっての敵か味方か、つまり敵の政府とどういう関係かを考えたいと思います。

去年の場面14からすると朧月は「さて、月よ。参ろうか ……何をみて何を思う?」と言っていますのでどうやら「月」と同行しているようです。
なのでここは朧月と「月」の月陣営とでもしておきます。

今回のイベントで一番重要そうな情報が詰まっているのは場面11かなと。

百鬼夜行 二 其の11 『剥落』

三日月宗近 朧「次の一手に出たか」
三日月宗近 朧「効果があったということが答え。鬼を斬る物語のみを強化したということ……」
三日月宗近 朧「時の政府とて、何もせず手をこまねいていた訳ではない、ということか」
三日月宗近 朧「……ヤマタよ。息災のようでなによりだな」
三日月宗近 朧「彼奴も大侵寇を越えてのこの百鬼夜行の動き、我が月と考えは同じ」
三日月宗近 朧「さて……」

朧月は場面9の時点で戦鬼の事情と時の政府の思惑、両方を気にしています。

「状況だけを見れば、時の政府はまんまと踊らされたことになるが……」の続きが場面11のここの部分でしょう。

場面10で酒呑童子の腕を斬り落とした「影」なる刀剣男士(CV兄者)は、時の政府が「鬼を斬る物語のみを強化した」存在のようです。

特徴的に今回のイベントの特効三振り、髭切・鬼丸国綱・小烏丸の物語をそれぞれ乗せているようだと話題のようですね。
(私個人は画像からの読み取り能力が低いので戦闘ポーズが髭切に似ていることぐらいしかわからない)

こうした時の政府側の戦力強化に対する分析の後に出てきた言葉が「……ヤマタよ。息災のようでなによりだな」ということで。

この「ヤマタ」は、朧月の知り合いで時の政府側の存在だと考えられます。

そして時の政府の「ヤマタ」と、朧月と連れ立っているらしい「我が月」とは考えが同じだそうです。

どちらも大侵寇を超えて敵のさらなる襲撃への対抗策として、刀剣男士の逸話の特定要素を恣意的に強化していると考えられます。

と、いうことは。

昨年までは火車切との会話はあったものの我々にとって敵か味方かはわからなかった朧月こと「三日月宗近朧」ですが、どうやら敵ではなく、むしろ味方寄りの存在っぽいですね。

何らかの事情で袂を分かっているのかもしれませんが、少なくとも九鬼への「お前が戻って来られてよかった」の言葉や、クダ屋さんから助言を求められて応えるなど、今回のイベントではかなり協力的な姿勢が見られました。

「ヤマタ」と言われると私の知識では八岐大蛇くらいしか思いつきませんが、そこで思い出される新OP映像。

Youtubeで見られる「『刀剣乱舞ONLINE』オープニング映像「あなたと私と」始まりの五振り合唱」の1:42辺りに確かに八岐大蛇っぽいマーク出てるな。
これ時の政府ちゃんのマークってこと???

その後、更に三日月が八岐大蛇っぽい蛇と対面しているシーンもありますね。

新OP映像の意味深シーンは切り替わりが早すぎて私の腕だとスクショすらろくに撮れないんですが……。

培養ポッドもこの新OPが発表された時に最初に話題になったものなので、今回そのイベントでそれがまさにどこかにあることがはっきりした感じです。
とりあえず、とうらぶの物語には三陣営、時の政府、月陣営、大侵寇などを仕掛けてきた敵が少なくとも存在し、朧月たちの月陣営は、時の政府とは距離があるものの一応味方に近い立ち位置のように見えます。

 

6.鬼斬りの影と朧月強化の可能性

「影」として紹介された仮面と布の鬼斬りは、時の政府によって鬼を斬る逸話だけを強化した存在だとのことです。

「篠突く雨は、面をば、いたくも打つや丑三の、ここは大江か、愛宕の山か」
「閃渡る稲妻に鬼神の姿現はれたり」

このフレーズは琵琶曲の「羅生門」だそうで、琵琶曲図書館さんのサイトで紹介されていました。
渡辺綱が羅生門で鬼の腕を斬り落とすところを描いたものですが、別の琵琶曲「茨木」はその七日後に鬼が腕を取り返しに来るシーンを描いたものになるそうです。

この鬼斬り、場面のタイトルをとって「鬼狩」さんとでもしますか、「鬼狩」に関しては朧月が結構解説してくれた感じですね。

一方で、説明役に回っている朧月が割と今でも謎の存在だったりします。

本刃が本刃の説明をあまりしていませんが、舞台などを参考にすると「朧」は「影」と並立する概念のようですし、時の政府側だろう「ヤマタ」と三日月が同行しているだろう「我が月」の考えは同じという。

……ということはもしかして、朧月も「鬼狩」のように何か強化されている可能性があるんでしょうかね?

去年の時点で朧月は火車切に「三日月宗近」と呼ばれてその時点で自分の名を思い出したかのような描写だったり、「……ふむ。しかし、俺が安定しない」と言っていた。

朧月自体もやはりただ三日月から分離した存在と考えるより、何等かの意図を含んだ改造が入っていてもおかしくないなと思いました。

 

7.「童子切剥落」についてもっと考える

戦鬼が「酒呑童子」に進化して、その斬り落とされた腕からどうやら「童子切安綱 剥落」が不完全ながら顕現したらしい。

……うん、なんで???

考えられる可能性は2通りかと。

1.敵が「酒呑童子」を名乗ったので、その断片である腕から酒呑童子の逸話と結びついている刀、「童子切安綱」の物語を一部でも顕現できた。

2.戦鬼の腕に「???」なる存在の目玉が埋まっており、自分の一部を食わせたと言っていたのが重要。つまり、「???」こそが「童子切安綱」であり、その一部だからこそ落とされた腕から「童子切安綱の剥落」が回収できた。

どちらであるかで意味が変わってくるというか、2番の場合は敵側に童子切本体がいることになりますね。

メディアミックスを見る限り、刀剣男士は明確に敵として遡行軍に加わっている例がありますので、敵と味方は存在としては同じものだと推測されます。

もともと原作ゲームでも敵が刀であることなどは特命調査などから判明していましたし。
ただそれでも敵側がどういう刀たちの集団なのかははっきりしていなかった。

上の推測2番を取ると、向こうの正体も時の政府を構築している刀剣男士たち、つまり我々の本丸ともともとそう変わりない面子であると言えそうです。

原作ゲームだと検非違使ポエムの内容から検非違使側にも審神者がいるところまで判明していますし、時間遡行軍だろうが検非違使だろうが、我々が戦っている敵と我々の本質的な構成要素はマジで差がない可能性が高いです。

 

8.「戦鬼」について、内部定義(自己認識)の問題

ミュージカルの話をかなり参照します。

敵の存在、もっと言えばこちらの刀剣男士の存在も、内包する「物語」によって左右されるようです。

戦鬼が揺らいだように、例え「酒呑童子」を名乗ろうとも「茨木童子」の特徴を与えられると「酒呑童子」としての自己を保てなくなって弱体化してしまうようです。

一方で、メディアミックス、特にミュージカル「花影ゆれる研水」辺りの情報からすると、刀剣男士の存在はそんな簡単に揺らぐようなものではないようです。

しかし「花影ゆれる研水」では同時に、一期一振が己の記憶の欠落を理由に、影打と存在が入れ替わってしまう話を展開しています。

この辺とこれまでのもろもろ、そして今回のイベントから考えると、上でも一度触れましたがこういうことが言えます。

メディアミックス側を参考にすれば(花影)、刀剣男士の存在がそんな簡単に消失することはないという前提がありながら、しかし本刃の意識自体では揺らぐこともある、ぐらいの設定のようです。

……突き詰めると「これこれこういう存在であるにはこういう物語が必要」という自己認識が重要っぽいなと。

この「これこれこういう存在であるにはこういう物語が必要」という「自己認識」が重要だとすれば、花影の一期だったり原作ゲームの山姥切国広の修行手紙だったりの理由がいくつかはっきりしてくると思います。

「花影ゆれる研水」では、一期一振自身にとって理想の一期一振とはどうやら影打のカゲのように、豊臣秀吉に寄り添い常に守ろうとする存在だったようです。

だから一期は、焼けたせいで記憶がなく、秀吉に寄り添えない自分が本当に一期一振なのかと疑っている。
それがあったから影打と存在が逆転してしまった。

原作ゲームの山姥切国広は、修行で逸話なんか曖昧なものだと吹っ切れてきますが、そもそも修行に出た目的は「誰よりも強くなれば、俺は山姥切の写しとしての評価じゃなく、俺としての評価で独り立ちできる」というものでした。

強くなるには物語が必要なので、ある意味国広は長義の写しとしてではない自分だけの物語を欲していたと言い換えてもいいと思います。

しかし、花影の一期の最終的な結論は「きっと何をしても埋まることはない それが私なのです」というものであり、原作国広の修行の結末は「写しがどうの、山姥斬りの伝説がどうので悩んでいたのが、馬鹿馬鹿しくなった。俺は堀川国広が打った傑作で、今はあんたに見出されてここにいる。本当に大事なことなんて、それくらいなんだな。」というものです。

刀剣男士をはじめとしたあの世界、「刀剣乱舞」という物語の存在は、みな「物語」を得ることで強くなる。

とはいえ、無限に物語を食らえばいいというわけではなく、己にとってその物語を「不要」と判断できることもまた強さとして描かれていると思います。

突き詰めると重要なのは「要」「不要」の結果というより、その判断を下す意志そのものであり、今年の極トップバッターとして山姥切長義に問われたのも今になってみるとこの部分ではないかと思います。

山姥切長義に山姥切でいてほしいかと問われて、そこが揺らいでしまうとこの先どういう方向性で物語を集めるかも揺らいでしまいますからね。

手元の刀は〇〇である、実態はもちろん伝説とずれ込むが、しかしこの刀はまぎれもなくそう言われている、そういう名なのだから、関連するそれらの物語を集めるべきである。

という、ある意味研究史に対する当たり前の考えが、今回不完全な権限を果たした童子切剥落を抱えていく我々にとって重要なのではないでしょうかね。

我々の入手した童子切は剥落という欠片かもしれませんが、だからといって戦鬼に腕として返してやるわけにはいかんのです。
むしろ我々は、自分にとっての童子切を完全体にするために、今の彼に不足している物語を何らかの方法で集める必要がある。

その方法自体が日々の積み重ね方式なのか、次こそ戦鬼を完全に食い殺してやるわ、なのかはわかりませんが。

9.「戦鬼」について、外部定義の問題

刀剣男士の存在には自己認識も大切ですが、外部からの規定、定義付けももちろん重要です。

これに関しても大体メディアミックスで書かれていると思います。

大江山の酒呑童子に関しても実は原作ゲームではなく映画の第2弾「黎明」ですでに登場しています。
映画の設定では、平安政府という時の権力者から「鬼」として「まつろわぬもの」つまり山中に暮らす民たちが無惨に虐殺される姿が描かれています。

「鬼」とは本来化け物ではなく、その当時の国家権力にとって厄介者とされた民族・集団などを指し示す。
民俗学の基本的な考え方で、土蜘蛛と呼ばれる人々などを指すことが多いです。

戦鬼の台詞に出てきた「赤きは酒の科ぞかし」は検索かけた感じ、謡曲「大江山」出典っぽいですが、このフレーズ自体が自分の行動を酒のせいにして過ちを認めようとしないという慣用句としても使われるようです。酒飲みの言い訳の台詞だと「赤きは酒の咎」としてコトバンクの記事が出てきました。

「鬼」は、他者による外部からの定義が形作る部分が大きい。

そこを踏まえて今回暗に示されたギミックを考えたいと思います。

戦鬼の姿に関して、私は気づかなかったので他の方の考察ですが、2点ほど重要な指摘が挙がっています。

1.面(お面・仮面・能面)を被っているように見える
2.衣装や体格の感じから、「祢々切丸」に見える

1に関しては、これもメディアミックス複数で何度か示されたギミックと共通だと思います。

舞台の外伝ではとんできた山姥の能面が長尾顕長に憑りついて「山姥」となります。
活撃の漫画版3巻では、足利義輝の亡霊が鬼の面を被って辻斬りと化しています。

鬼や山姥、亡霊などの化け物の存在は、面を被せられた存在ということが共通しています。
今回のイベントからすると、このギミックも原作からメディアミックスまで全て共通だと考えて良さそうです。

ただし細部まで考えるといつでも同じ設定ではなく、足利義輝の辻斬りは死に際の本人の未練から引き起こされているように見えますが、長尾顕長が山姥に憑りつかれたのは本人ではなく北条氏直の不安から発生しているという描写です。

どのような状況でも自己認識と外部からの定義、両方の力の釣り合いによって特定の現象が発生しているように見えます。

「鬼」というものはこのように「面」を被る、被せられることによって存在するようです。

今回の戦鬼は積極的に「酒呑童子」を名乗るなど「鬼」に成りに行っていましたが、最初から本当にそうだったとは限らない。

むしろ戦鬼に「戦鬼」という「鬼」としての名を与えた存在がいるはずなので(異去 百鬼夜行 其の1「銘の衡)、その誰かが戦鬼を「鬼」にしたと言えます。

今回の件からしたら場面11の「???」さんかもしれませんが……。

「鬼」の成り立ちがそういうものだとすると、戦鬼が「面を被った祢々切丸」だというのは十分ありえることかと思います。

祢々切丸に関しては名前の「祢」の字が「父のおたまや。父親の霊廟。かたしろ。戦争に持っていく位牌。」などの意味があり、字面だけ見ると「子どもを斬る」という名前の「童子切」とある意味表裏の意味を持つ名前です。

また斬った鬼である酒呑童子の酒呑の部分が省略されている童子切とは逆に、「祢々」という怪物を斬った刀だが、その祢々がどういう存在なのかはわからない、という逸話を持つ刀でもあります。

(「祢々」に関しては『日本刀大百科事典』の福永酔剣氏が、日光方言で河童を指すので河童ではないかと推測していたりもします)

言葉遊び的な側面から見ると童子切と祢々切丸には表裏の関係性がありそうなことと、祢々切丸はそろそろ極が来てもおかしくないので、祢々切丸極が来たらこの関係性についてもっと突っ込んだことを考えていいと思います。

童子切とその前後の極や実装された刀の関係性というと、最近極めた「北谷菜切」は「子どもを斬った」逸話を持つ刀で、こちらもまた童子切の名と縁の深い関係にある刀だと言えると思います。

外的な定義付けによって「鬼」とされるものは、しかしもともとが鬼だとは限らない。

我々が入手した童子切剥落と存在を奪い合う戦鬼は、そもそもがどういう存在なのかという謎がまだ残っていると言えます。

 

10.存在の食い合いの行き着く先

戦鬼と童子切剥落は、結局どちらも確固たる己を持った存在ではないように見えます。

その両者がもしかしたら来年、己の存在をかけて物語を奪い合うのかもしれない。

とはいえそもそも、己とは何なのか。

戦鬼は面を被せられた存在であり、もともとは「鬼」と呼ばれるようなものではなかった可能性があります。

刀剣男士も政府の「鬼狩」がそうであるように、物語の付与によって特定の要素だけを強めた恣意的な存在としてある程度改造できるようです。

そういう存在同士が物語を奪い合う、そこに本質はあるのか。
それとも、「それ」こそが本質なのか。

歴史というのは結局当事者が確固たる事実を伝えている例というのはあまりなくて、むしろ断片的な資料の観測者の憶測によって作り上げられている部分が多い。

だからこそ正しい歴史などわからないと言われることもある。

だからといって正史はよくわからないと全ての人間が過去の歴史への理解をぶん投げてしまえば、いずれ皆がそれを忘れてしまう。

歴史を伝えていくにはどうあってもその断片的な資料とそこへの憶測、そこから生まれる物語が必要。

となれば「歴史を守る」という行為は、もともと自分が手にした断片を正しい歴史として記述を完成させていくために物語を集める行為に他ならない。

素体とした断片が、語られる歴史の実態とずれているなんていうのは歴史の調べ物をしていればよくあること。

戦鬼と童子切の存在の食い合いは、まずこういう前提で起きている現象のような気がします。
そしてそれでも、どちらも自分がなりたい存在に成るために、物語を積み上げていかねばならない。

「酒呑童子」を名乗った戦鬼の思惑は、「鬼」としての完成を目指すというものだと想像されます。
そして「童子切安綱 剥落」は、不完全な顕現から始まった刀剣男士としてやはり「刀剣男士」として完成を目指すでしょう。

存在を食い合うとはいえ、両者の目指すもの自体は別々です。
物語としては一つの物語を取り合っているように見えて、その結果「成ろう」と目指しているものは別。

このサイトでは私の推しが山姥切長義なので基本的に山姥切関係の考察を重ねています。

で、山姥切の二振りの関係も、この戦鬼と童子切剥落の関係と本質的には似たようなものじゃないかなと思います。

どちらの掲げる物語も本質的には人が一方的に押し付けた曖昧な逸話だけれど、それぞれが自分の物語として成りたいところを目指すしかない。

長義と国広は逸話の扱いからするとお互いに物語を食い合っているように見える関係ですが、国広の修行手紙などを見ると、刀剣男士同士である彼らに関してはその食い合いから自己認識上は脱却しても問題ない間柄にも見えます。

刀剣男士と敵の関係。
刀剣男士と刀剣男士の関係。

この辺の本質に関しても来年の対百鬼夜行迎撃作戦によってだいぶ情報が開陳されていくのかなと思います。

というわけで、今年の対百鬼夜行迎撃作戦2に関しての考察をひとまずこの辺で終わります。

今後の考察を進めるには、男士の実装と極修行の関連性から、次の極が来てからかなと思います。