日向正宗

ひゅうがまさむね

概要

「短刀 無銘正宗(名物日向正宗)」

『享保名物帳』所載、鎌倉時代の相州正宗作の短刀。

来歴のほとんどは『享保名物帳』によって説明される。
ただし、『享保名物帳』は異本が多いためか詳細がほとんど載っていない本もある。

もと石田三成所持、その頃は「堅田正宗」と呼ばれていたらしい。

石田光成は「堅田正宗」を妹婿と言われる福原長堯(直高)に与えた。

福原長堯は関ヶ原の戦いで、大垣城の守将だったが、寄せ手の一人、水野勝成から降伏するよう説得されて条件通りに出家した。
しかし家康には許されず、自刃する結末となった。

「堅田正宗」はこの時水野勝成の手に入ったため、以後「大垣正宗」と呼ばれるようになったとも言われる。

その後、水野勝成は借金のかたに「大垣正宗」を紀州徳川家の頼宣に渡したらしい。

1652年(承応2)12月、頼宣から、嗣子・光貞に与えられた。

そして1698年(元禄11)5月以降、水野勝成の官名「日向守」にちなんで「日向正宗」と呼ばれるようになったという。

以後は昭和まで紀州徳川家に伝来したが、1927年(昭和2)の売立で紀州徳川家を出る。

この頃はどうやら山本悌二郎氏の所有となり、晩年に手放されたらしい。

1935年(昭和10)8月5日、重要美術品認定の時は三井家に入っていたらしく、この頃から三井高公男爵名義である。

1941年(昭和16)7月3日、国宝(旧国宝)指定。
1952年(昭和27)11月22日、国宝(新国宝)指定。

三井家は三井文庫を設立し、同家の美術品を収蔵した「三井記念美術館」を運営している。

「日向正宗」は現在も「三井記念美術館」の所蔵である。

もと石田三成所持、堅田正宗と呼ばれていた

『享保名物帳』によると、
もと石田三成所持。初めは「堅田正宗」と呼ばれていた。

『日本刀大百科事典』では
堅田正宗と呼ばれたのは、関ヶ原の役で石田三成にくみし、断絶した江州堅田二万石の領主・堅田広澄より贈られたものだったからであろう。
と、推測している。

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:第二 細說 (上) 名物牒
ページ数:16、17 コマ数:11

日向 堅田 正宗(一本日向大垣とも) 無銘長さ八寸二分半(一本長さ八寸三分)

裏(一本表あり)護摩箸石田治部少輔所持関ケ原之時大垣より水野日向守ふんとりにせらるるに依つて大垣とも申也日州より借金之方に紀伊大納言殿へ参関ケ原之時分福原右馬介大垣之城主也此人治部方にてや碇と不知護摩箸は光徳好にて出来脇差之目四拾貳匁八分(一本四十八匁八分)有之由光甫被申也享保四亥十一月名物帳仕立上に付紀州御屋敷へ四郎三郎より尋に遣承応二午十二月南龍院殿より清渓院殿へ被進元禄十一寅五月三郎兵衛へ吟味に遣前は堅田と唱へ候得共夫より日向と申候由也

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:五郎入道正宗の部
ページ数:38、39 コマ数:34

表護摩箸、石田治部少輔所持関ケ原のとき、水野日向守大坂にて分捕せらるるにより、大阪とも申すなり日州より借金の形に紀伊大納言殿へ参る、承応二年十二月南龍院殿より清渓院殿へ進せらる、初め堅田と申し夫より日向と申す由なり。

石田三成から福原長堯へ与えられる

『享保名物帳』によると、
石田光成はこれを妹婿と言われる福原長堯(直高)に与えた。

1600年(慶長5)、関ケ原の戦いで、福原長堯を攻めた水野勝成の手に渡った

福原長堯は関ヶ原の役で、大垣城の守将だったが、関ヶ原の敗戦をきいて、味方に裏切りが出るとともに、寄せ手の水野勝成から、勝成の父・忠重を殺した加賀井重望の子が城中にいる。
それを渡してくれたら、長堯の生命を保証する、と申し入れて来た。

それを信じて、長堯は開城し、法体となり、伊勢の朝熊野に退いた。
しかし、水野勝成は助命を家康に願い出たが許されず、長堯は自殺させられた。

『享保名物帳』によると、
「堅田正宗」こと日向正宗はこの時、水野勝成の手に入った。
大垣城攻めでの分捕り品なので、以後、「大垣正宗」と呼ばれた。

借金のかたとして、水野勝成から紀州徳川家に渡される

『享保名物帳』によると、
いつごろのことか、借金のかたとして、水野勝成はこれを紀州徳川家に渡した。

次の項目で藩祖の頼宣が息子に与えているので、1600年以降1652年までの間、頼宣の時代の出来事のようである。

1652年(承応2)12月、徳川頼宣から、嗣子・光貞に与えられる

『享保名物帳』によると、
1719年(享保4)に『名物帳』が出来たので紀州徳川家へ本阿弥四郎三郎が問い合わせたところ、承応2年(1652)12月、徳川頼宣は嗣子・光貞へ与えたと回答されたという。

1698年(元禄11)5月以降、「日向正宗」と呼ばれるようになった

『享保名物帳』によると、
1698年(元禄11)5月、本阿弥三郎兵衛のもとへ行った(研ぎか鑑定に出したという話だと思われる)。
そして紀州徳川家では、その時から水野日向守勝成の官名に因み、日向正宗と呼ぶことになったという。

ここまでの主に『享保名物帳』による内容は『日本刀大百科事典』では同時に『名物扣』も出典としている。
『名物扣』は国立国会図書館デジタルコレクションでも読めないので、今回は主に『刀剣名物牒』の記述を参考にした。

以後、紀州徳川家伝来

以後、同家に伝来していた。

1927年(昭和2)の売立で、紀州徳川家から三井男爵家へ入るというが

『日本刀大百科事典』によると、
昭和2年、紀州徳川家の売り立てで、2768円で落札され、三井男爵家に入る。

ただし、後述の別の資料からするとこの時期の所有者として山本悌二郎氏が入るかもしれない。

他の所有者

『日本刀大百科事典』では紀州徳川家の売立時に直接三井家が購入したような文面だが、下記の本・雑誌には一時期「山本悌二郎」氏の所有であったと書かれている。

山本悌二郎氏に関しては中央刀剣会の会頭であったらしく、我々が知る中央刀剣会発行の書籍の刊行などに尽力されたらしい。

どこから入手したかに触れている文面がないので確定はできないが、晩年に手放したことには触れられている。
これらの本の内容からすると紀州徳川家の売立から三井家に入るまでに(昭和2年の売立から昭和10年の三井家による重要美術品認定の間まで)どこかで山本悌二郎氏が所有していて、晩年に手放したところを三井家が入手したと考えるのが自然だと思われる。

『山本悌二郎先生』(データ送信)
著者:山本修之助 発行年:1965年(昭和40) 出版者:山本悌二郎先生顕彰会
目次:中央刀剣会会頭となる
ページ数:117、118 コマ数:63、64

『僕の見たる山本悌二郎先生』(データ送信)
著者:伊坂誠之進 発行年:1939年(昭和14) 出版者:伊坂誠之進
目次:第十 趣味の人山本先生 (4) 刀劍
ページ数:71 コマ数:39

「有終 17(10)(203)」(雑誌・データ送信)
著者:海軍有終会 [編] 発行年:1930年10月(昭和5) 出版者:海軍有終会
目次:詞苑 (三)三成遺骨の発掘と日向正宗の短刀
ページ数:128、129 コマ数:77

1935年(昭和10)8月5日、重要美術品認定

昭和10年(1935)8月5日、重要美術品認定。
三井高公男爵名義。

「短刀 無銘 名物日向正宗」

『官報 1935年08月05日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1935年(昭和10) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百六十九号
ページ数:146 コマ数:2

1941年(昭和16)7月3日、国宝(旧国宝)指定

昭和16年(1941)7月3日、国宝(旧国宝)指定。
三井高公男爵名義。

「短刀 無銘 名物日向正宗」

『官報 1941年07月03日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1941年(昭和16) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第七百二十三号 昭和十六年七月三日
ページ数:73 コマ数:5

1952年(昭和27)11月22日、国宝(新国宝)指定

昭和27年(1952)11月22日、国宝(新国宝)指定。
三井八郎右衛門(高公改名)氏名義。

「短刀 無銘正宗(名物日向正宗)」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(雑誌・データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:12、210 コマ数:16、117

現在も三井文庫所有、「三井記念美術館」蔵

所有者は公益財団法人三井文庫。
保管施設は「三井記念美術館」。

「国指定文化財等データベース」より

三井グループで知られる三井家は江戸時代に「越後屋」を開店し、明治以降も三井銀行や三井物産を設立した大財閥。

三井記念美術館は三井家の各家の美術品の他、親戚筋である鷹司家からも寄贈を受けた美術品を所蔵している。

「三井記念美術館」のWEBページより

作風

刃長は八寸三分(約25.07センチ)25ともいうが、現在は八寸一分五厘(約24.7センチ)。
平造り、真の棟、無反り。

差し裏にある護摩箸は、『享保名物帳』によると本阿弥光徳が彫らせた追刻。

地鉄は板目肌に、地沸え厚くつく。
刃文は直刃調の小乱れに、大乱れが五か所まじる。
鋩子は小丸、深く返る。
棟焼きが多い。

茎はうぶ、目釘孔3個。
無銘。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:ひゅうがまさむね【日向正宗】
ページ数:4巻P256、257

調査所感

・名物帳は異本が多い

『享保名物帳』出典の内容はいつもは割と『詳註刀剣名物帳』にお世話になっているんですが、今回の日向くんは異本によって随分内容が異なるタイプみたいなので一種類だけだとほとんどわからないで終わるおそれがありますね。

『詳註刀剣名物帳』は高瀬羽皐氏の手元にある本の情報だけなので、大垣が大坂になっているのは間違いだとすでに高瀬羽皐氏の注記部分で訂正されていますが、それを含めても割と簡素な記述ですね。

『刀剣名物牒』は中央刀剣会の発行で、酔剣先生がたまに「中央刀剣会本」として出しているのは多分この辺だと思います。
『享保名物帳』の複数の写本の記述を載せていますが、いちいちどの写本だとかの説明はないです。

引用部分の「一本~~」となっている部分がそうで、「一つの本にはこういうふうに書いてます」という意味です。大垣の号とか刃長とか彫物があるのが裏とか表とかバージョン違いが多いこと多いこと。
他の刀は大体ここまで違わないんで日向正宗がちょっと珍しいタイプなのかなと思います。

記述が少ないバージョンだと福原長堯が完全にスルーされてしまいますね……。

・戦国一の自由人と呼ばれる水野勝成

大垣城の戦いで福原長堯から分捕ったとされる水野勝成は軽く調べると戦国一の自由人だとか出てくる人です。
「日向守」は明智光秀が名乗っていたためその後誰も使いたがらなかったそうですが、水野勝成は平気でその名をもらって名乗ったと。
この部分が「日向正宗」の号になったと思うと興味深い。

刀は持ち主の歴史も重要ですが、このページでは持ち主に関しては基本やらない方針です。あまりに大変すぎるので。

ただ、水野勝成と福原長堯に関しては言い回しで結構印象が変わるので持ち主の歴史が気になる場合はちゃんと調べたほうが良いと思います。

『日本刀大百科事典』の説明だけだと助命の約束を水野勝成が守らなかったみたいな印象を受けますが、現在の情報を軽く検索してみると水野勝成は約束を守ってちゃんと助命嘆願したけど家康が許さなかったので結局自刃になってしまったよ、という話のようです。

・紀州徳川家から三井家に入るまで

『日本刀大百科事典』だと紀州徳川家から三井家が直接購入したように思えるんですが、他の資料読むと多分山本悌二郎氏の手に一度わたっていると思います。

酔剣先生、『日本刀物語 続』などで日向正宗や徳善院貞宗をつり金切りと同じ四国西条の松平家伝来って書いちゃってるから、今回は普通に酔剣先生が間違えている可能性の方が高いかなと。

年齢的に1920年(大正9)年生まれの酔剣先生が1927年(昭和2)の売立の話を直接知るのは難しいと思います。
いや酔剣先生の刀剣学者としての活動時期めっちゃ早いけど(源清磨の墓立てたのどう計算しても10代)、さすがに7歳は無理だろ。誰かから聞いたか資料か何かを見たかで、それらの出典の話はしていないから伝聞でちょっとうろ覚えの可能性が。

山本悌二郎氏は1937年没なので、晩年にあたるその数年前に手放して三井家に入ったなら1935年に重要美術品認定が出ているので時期的にもちょうどよいと思われます。

『日本刀物語 続』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1969年(昭和44) 出版者:雄山閣
目次:つり金切り来国行
ページ数:155 コマ数:89

・「大垣」の号で検索をかける時は同名異物に注意

日向正宗が水野時代に「大垣正宗」だったことはいいとして、他にも「大垣正宗」と呼ばれる刀があります。

知らずに検索すると混ざってしまうのでちょっと注意を。

日向正宗で検索して情報集まるだろうし上に項目作るほどでもないかなーと思ったのですが、一時期の刀剣書だと水野勝成佩刀のこの日向正宗を普通に「大垣正宗」と呼んでいるものもあるみたいなので(『刀剣談』とか『剣話録』とか明治の本に多い?)、知っておいた方がいいかなと。

参考サイト

「国指定文化財等データベース」
「三井記念美術館」

参考文献

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第七門 古代の名匠 正宗の有無
ページ数:197 コマ数:123

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:四 相州物(上)
ページ数:35 コマ数:27

『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第三 正宗 正宗の有無論
ページ数:73 コマ数:48

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:五郎入道正宗の部
ページ数:38、39 コマ数:34

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:354 コマ数:198
(1コマずれる可能性有)

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:第二 細說 (上) 名物牒
ページ数:16、17 コマ数:11

『刀剣之新研究』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1929年(昭和4) 出版者:太陽堂書店
目次:第五章 國々の見付及新古刀の變化其他
ページ数:617 コマ数:331

「有終 17(10)(203)」(雑誌・データ送信)
著者:海軍有終会 [編] 発行年:1930年10月(昭和5) 出版者:海軍有終会
目次:詞苑 (三)三成遺骨の発掘と日向正宗の短刀
ページ数:128、129 コマ数:77

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ヒウガ・タカタマサムネ【日向・堅田正宗】
ページ数:392 コマ数:207

『僕の見たる山本悌二郎先生』(データ送信)
著者:伊坂誠之進 発行年:1939年(昭和14) 出版者:伊坂誠之進
目次:第十 趣味の人山本先生 (4) 刀劍
ページ数:71 コマ数:39

『大日本刀剣史 中卷』(データ送信)
著者:原田道寛 著 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:諸家所藏の名物正宗
ページ数:430、441 コマ数:230

『山本二峰先生小傳』(データ送信)
発行年:1941年(昭和16) 出版者:二峰先生小傳編纂會
目次:二峰先生の餘技と趣味
ページ数:137、138 コマ数:84、85

『官報 1941年07月03日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1941年(昭和16) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第七百二十三号 昭和十六年七月三日
ページ数:73 コマ数:5

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部
ページ数:4541 コマ数:102

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:古刀の部 解説
コマ数:57、180

『正宗とその一門』(データ送信)
著者:本間順治、佐藤貫一編 発行年:1961年(昭和36) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:17 国宝 短刀 無銘 正宗(日向正宗) 1口 三井八郎右衛門氏蔵
ページ数:34、35 コマ数:80、81

『日本古刀史 改訂増補版』(データ送信)
著者:本間順治 著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三、 鎌倉時代
ページ数:55 コマ数:63

『山本悌二郎先生』(データ送信)
著者:山本修之助 発行年:1965年(昭和40) 出版者:山本悌二郎先生顕彰会
目次:中央刀剣会会頭となる
ページ数:117、118 コマ数:63、64

『日本刀全集 第1巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:名物と国宝 辻本直男
ページ数:112、113 コマ数:60

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) [本編]』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:図版
コマ数:220、221

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) 解説』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品
ページ数:82 コマ数:98

『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:図版
ページ数:54 コマ数:41

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(雑誌・データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:12、210 コマ数:16、117

『埋忠銘鑑』(データ送信)
著者:本阿弥光博 解説 発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣
目次:(ヘ) 掘出し(売買のこと)
コマ数:36

『国宝 : 原色版 第9 (鎌倉 第3)』(データ送信)
著者:毎日新聞社「国宝」委員会事務局 編 発行年:1969(昭和44) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品 ページ数:図版42 コマ数:54
目次:解説 ページ数:139 コマ数:143

『原色日本の美術.21』(データ送信)
著者:尾崎元春、佐藤寒山 発行年:1970年(昭和45) 出版者:小学館
目次:図版115 ページ数:112 コマ数:118
目次:図版解説Ⅳ ページ数:138 コマ数:144
目次:一、日本刀概説 ページ数:230 コマ数:236

「刀剣と歴史 (465)」(雑誌・データ送信)
発行年:1972年1月(昭和47) 出版者:日本刀剣保存会
目次:品川大会の集い / 恩田繁
ページ数:63 コマ数:38

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:ひゅうがまさむね【日向正宗】
ページ数:4巻P256、257

概説書

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:日向正宗
ページ数:71

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の物語を読む 日向正宗
ページ数:56

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 相模国鎌倉 正宗 日向正宗
ページ数:188、189

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第7章 短刀 日向正宗
ページ数:173

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:大名・将軍が所持した刀 日向正宗
ページ数:188、189

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:名刀の物語 日向正宗
ページ数:228、229