石切丸

いしきりまる

概要

「太刀 銘有成(再刃)」

平安時代の刀工・河内の有成作。

約二尺五寸一分の「太刀」。

1939年(昭和14)2月22日、重要美術品認定。

重要美術品認定当時は個人蔵だったが、現在は「石切剣箭神社」蔵。
「石切剣箭神社」は「でんぼ(腫物)の神様」(腫物を治してくれる)として親しまれている。

同名の太刀として源義平(悪源太義平)の名刀石切が有名。
有成作の刀は希少なので「石切剣箭神社」の太刀と関連付けて考えられることもあるが、両者が同一であるという確証はない。

作者について

ネット上で「石切剣箭命神社由来によると」という一文が見受けられるので、おそらく三条小鍛冶宗近説の出典は神社が出している説明ではないだろうか。

石切剣箭命神社として情報を載せているいくつかのページで、宝刀として太刀石切丸、小刀小狐丸が共に三条小鍛冶宗近の作とされているところがあった。

古剣書と呼ばれるたぐいの本においては、「河内の有成」を「三条宗近」と同人であるとしているものがある。
この説を採る場合は、銘が「有成」であっても「三条宗近」作と両立するが、そもそも平安時代の刀工の作品は少なく、古剣書の記述の信憑性もなく、詳細は不明であることが多い。
有成に関しては、三条宗近の子や弟子とするものもある。

『刀剣之新研究』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1929年(昭和4) 出版者:太陽堂書店
目次:第四章 古刀沿革の改說と掟の變遷 一 幾內五ケ國
ページ数:306、307 コマ数:176

「石切剣箭神社」そのものの名前の由来について

「石切丸」の由来というより、「石切剣箭神社」の名前そのものの由来については下記の本で説明されている。
ただし伝承の説明ではなく、伝承の「考察」に近い文体であるので確証はないのかもしれない。

『河内石切剣箭命神社由来』
著者:渡辺霞亭 発行年:1926年(大正15) 出版者:石切剣箭神社
ページ数:12 コマ数:9

今蹴揚石と云いつて居るのは其由来を持つた石であるといふ事である。石切の石についての因縁がかうした傳説から出たやうであるが。石切とは石をも切り得る利劔であるのを語つたものであらうと思ふ。多神宮注進状裏書にも「石切劔は猶蠅斫劔と謂ふが如き耶」と記してある。

「蠅斫劔(はばきり)」とは「天羽々斬(あめのはばきり)」のことで、著者は石切剣箭神社の名前の由来が長髄彦をはじめとした記紀神話の出来事に関連していると考察している。
石上神宮には記紀神話の様々な宝剣が収められているので、石上神宮に入りきらなかったものを石切剣箭神社に納めたという考察のようである。

1939年(昭和14)2月22日、重要美術品認定

昭和14年(1939年)2月22日、重要美術品認定。
原田耕三氏名義。

「太刀 銘有成(再刃)」

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録
ページ数:4 コマ数:19

『重要美術品等認定物件目録』
著者:文部省教化局 編纂 発行年:1943年(昭和18) 出版者:内閣印刷局
目次:東京府
ページ数:190 コマ数:101

『官報 1939年02月22日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1939年(昭和14) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第三百三十七号 昭和十四年二月二十二日
ページ数:705 コマ数:7

現在は「石切剣箭神社」蔵

重要美術品認定時は個人蔵だったらしい「石切丸」は現在「石切剣箭神社」の御神宝とされている。
「石切剣箭神社」のサイトによると、例年秋に宝物館の一般公開があるようだ。

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:名物刀剣 08 石切丸
ページ数:9

参考:「石切剣箭神社」のサイト

刃長

刃長二尺五寸一分。

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録
ページ数:4 コマ数:19

刃長76.1センチ。
反り約2.5センチ。

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:名物刀剣 08 石切丸
ページ数:9

源義平(悪源太義平)の佩刀「石切」(『平治物語』)と同名

河内の有成は古剣書において後白河法皇の御剣ならびに悪源太義平の佩刀を作った刀工として知られる。

『日本刀大百科事典』では、刀工も刀号も同じだから、同一物で、義平が法皇から拝領したものであろう、と推測している。

しかし作者に関しては通説(『能阿弥本』『鍛冶銘集』『宇都宮銘盡』)の有成だけではなく、古剣書(『文明十六年銘盡』)によっては相州の善行、あるいは“あおみどり”や“咲栗(えみぐり)”の作者・藤源次とする異説もあるらしい。

『日本刀大百科事典』では石切剣箭神社の石切丸には言及されていないが、悪源太義平の名刀「石切り」に関する項目がある。

最近の概説書を読むと石切丸の項目で「確証はないがこの悪源太の刀と石切剣箭神社の石切丸が同一のものかもしれない」という旨の記述があるので、とりあえず『平治物語』の悪源太義平の「名刀石切」の話も簡単に押さえておきたいと思う。

『保元物語平治物語 (新訳国文叢書 ; 第2編) 』
著者:須田正雄 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:文洋社書店
目次:一四 源氏勢揃へ ページ数:82 コマ数:50
目次:二八 悪源太誅せらる ページ数:104 コマ数:61

『保元物語・平治物語 (精解国語漢文叢書) 』
著者:光学館編輯部 編 発行年:1939年(昭和14)出版者:光学館
目次:一四 悪源太誅戮
ページ数:178 コマ数:100

原典ではないだろうが江戸時代の刀剣書に悪源太義平の石切の作者が有成と伝えられている形跡、後白河法皇の刀が石切と伝えられている形跡は『本朝鍛冶考』で確認できる。

『本朝鍛冶考 18巻』
著者:鎌田魚妙 撰 発行年:1851(嘉永4) 出版者:近江屋平助、河内屋徳兵衛
目次:([1][70]) コマ数:65
目次:([3][81]) コマ数:73
目次:([3][81]) コマ数:75

源義平の刀は四尺の大太刀?

石切剣箭神社の刀は二尺五寸一分で太刀に分類されるようだが、悪源太義平の刀の方が「四尺の大太刀」らしい。

刀剣の概説書では義平の刀は「四尺の大太刀」と書かれているが、この出典が何故か不明である。
先行研究者も幾人か四尺の大太刀として人口に膾炙しているが出典は不明としている。

四尺ではないが、「大太刀」と書かれた資料は明治の琵琶歌の本が検索に引っかかった。

『新体琵琶歌 続編』
著者:田尻稲次郎 発行年:1905~1906年(明治38~39) 出版者:光融館
目次:重盛 初段 保元平治の乱
ページ数:19 コマ数:14

『温折録 : 琵琶新曲』
著者:田尻稲次郎 発行年:1906年(明治39) 出版者:光融館
目次:第六巻 重盛 初段 保元平治
ページ数:57 コマ数:35

他にも同名の刀がある

 因州鳥取藩士・河田景与の刀

河田景与はもと因州鳥取藩士、のちに子爵を授けられた。

戊辰の役に参謀として奥州に出征、その帰途、信州において求めた濃州和泉守兼定の作。
同郷の刀匠・宮本包則が、こんな大乱れの刀は折れる懸念がある、と評したので、剣道の達人だった河田は憤然として、庭の春日灯籠の笠を切り割ったが、いささかの損傷もなかった。
そして武士の差料を折れる、と言われては承知できぬ、覚悟せよ、と迫った。
河田夫人の取りなしで、ようやく包則は首が飛ばずに済んだ。
その後、京都府知事・槇村正直が譲りうけ、磨り上げて短冊銘にし、中心に銀象嵌で石斫丸の由来を誌した。

『日本刀大百科事典』によるとこの話の出典は「刀の研究」という雑誌。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:いしきりまる【石斫丸】
ページ数:1巻P76

土州住田口秀弘の作

土州住田口秀弘の作に、「石切丸」と添え銘したものがある。

『日本刀大百科事典』によるとこの話の出典は『昭和刀剣名物帳』。
2024年現在はまだ国立国会図書館限定送信なので読めない。そのうちデータ送信になるのを待とう。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:いしきりまる【石斫丸】
ページ数:1巻P76

調査所感

あ行の刀は個人的に刀剣の情報をまとめ始めた当初に出して色々と調査もまとめ方も未熟だったので他の刀の調査を終えた約一年後にこうしてもう一度チェックしているのだが、石切丸はそれでもまだまとめるのに苦労する刀である。

ここでは「刀剣乱舞」のキャラクターである石切丸を中心として話をまとめたいのだが、その石切丸は腫物関連の発言をしたり「石切剣箭神社」との関わりをガンガンに押し出してくるのだが、その一方で刀種の分類が「大太刀」である。

「石切剣箭神社」の御神宝は約二尺五寸一分という一般的な長さの「太刀」であり、「大太刀」ではない。

そして「石切」あるいは「石切丸」という名の刀で一般的に「大太刀」とされるのは、同名の源義平(通称は悪源太義平、ただしこの悪は悪人という意味ではなく「強い」「猛々しい」という意味らしい)の「名刀石切」の方である。

源義平の刀は明治の琵琶歌の本では「石切丸」「大太刀」と書かれているので、「大太刀の石切丸」はやはり「源義平の石切」の持つ属性だと考えられる。

「石切剣箭神社」の「太刀」が『平治物語』の「源義平の石切」と同一であるという確証はない。

しかし、「刀剣乱舞」の「石切丸」は、抜丸との回想120の存在から考えても、どうも「石切剣箭神社の御神宝の太刀」と「源義平の大太刀」が混ざった存在だと考えられる。

参考文献

石切剣箭神社所有の太刀関連

『官報 1939年02月22日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1939年(昭和14) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第三百三十七号 昭和十四年二月二十二日
ページ数:705 コマ数:7

『重要美術品等認定物件目録』
著者:文部省教化局 編纂 発行年:1943年(昭和18) 出版者:内閣印刷局
目次:東京府
ページ数:190 コマ数:101

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録
ページ数:4 コマ数:19

源義平(悪源太義平)の佩刀「石切」関連

『本朝鍛冶考 18巻』
著者:鎌田魚妙 撰 発行年:1851(嘉永4) 出版者:近江屋平助、河内屋徳兵衛
目次:([1][70]) コマ数:65
目次:([3][81]) コマ数:73
目次:([3][81]) コマ数:75

『新体琵琶歌 続編』
著者:田尻稲次郎 発行年:1905~1906年(明治38~39) 出版者:光融館
目次:重盛 初段 保元平治の乱
ページ数:19 コマ数:14

『温折録 : 琵琶新曲』
著者:田尻稲次郎 発行年:1906年(明治39) 出版者:光融館
目次:第六巻 重盛 初段 保元平治
ページ数:57 コマ数:35

『保元物語平治物語 (新訳国文叢書 ; 第2編) 』
著者:須田正雄 編 発行年:1914年(大正3) 出版者:文洋社書店
目次:一四 源氏勢揃へ ページ数:82 コマ数:50
目次:二八 悪源太誅せらる ページ数:104 コマ数:61

『日本刀剣の研究 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:文献に表はれた名剣名刀譚 源秋水編
ページ数:108 コマ数:64

『保元物語・平治物語 (精解国語漢文叢書) 』
著者:光学館編輯部 編 発行年:1939年(昭和14)出版者:光学館
目次:一四 悪源太誅戮
ページ数:178 コマ数:100

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:いしきり【石切り】
ページ数:1巻P76

概説書

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:名物刀剣 08 石切丸
ページ数:9

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の物語を読む 石切丸
ページ数:59

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第一章 平安時代≫ 山城国三条 宗近 石切丸
ページ数:33

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第4章 大太刀 石切丸
ページ数:94、95

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:三条宗近作の刀 石切丸
ページ数:78、79

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:鬼・妖を切った刀 石切丸
ページ数:30、31

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:石切丸
ページ数:41