回想184、185について
思ったよりな~んもわからんかった
今回は記事タイトルが軽く考えるですらないんかい!
とはいえまぁ、本音です。どちらの回想も期待したほどの情報は出なかった感じですね。
ただ一点だけ気になったことがあるのでまだ考察という程ではなく疑問点をまとめるためにちょっと見てみましょうか。
まだ入手していない方にとっては当然ながらネタバレを含みますのでご注意ください。
メディアミックスの話題も頻出します。
回想184
タイトルが「本科と写し」なのでその辺何かはっきりした情報が出るかなと思って期待していたのですが、正直内容だけ見るとその辺に触れていないようです。
ただ……この内容、あくまでも「拵の本歌」である安宅切が、先に顕現している長谷部の代わりをこなせるようになると言う話で、メディアミックスの方を合わせるとかなり気にかかります。
舞台は本体の本歌である長義くんが写しの国広の代わり(お前が帰るまであの本丸は俺が守ってやる)をこなしているので、その構図は身に纏う「本科と写し」という物語の関係性によってなされるものなのではないか、という感じが強くなってまいりました。
とうらぶ中には「本科」(山姥切国広が使用)と「本歌」(山姥切長義が使用)の使い分けがありますが、今回の安宅切・長谷部の組み合わせが使用しているのはあくまで前者の「本科」です。
作中でこちらの言葉が使われている時は、本質よりも表層にまとう物語の話なのかな? と思いました。
今年頭の極で超本質主義であることがほぼ判明したようなものの長義くんが原作ゲームでは「本歌」を使う(ちなみに花丸だと「本科」表記)のも合わせて考えると、「本科」は表層、「本歌」は本質、という使い分けじゃないかなと推察します。
花丸は漫画・小説が「本科」だけど、まだテキスト化されていない舞台の脚本もこれだと「本科」表記になるんじゃないか? と思います。と言うかどうして出してくれないんだ慈伝の戯曲本……。
気になる部分をピックアップすると
・御刀様の代わりも一通りこなせるようになる
・お前の能力を疑いはしない
・……黒田家のことは話したくない、とか
・うちの正三位(※日本号のこと)に限って、御刀様の面子を潰すようなことは決してしません
・名前に反して煮え切らないところ、私は嫌いではないですから
……話題と使っているワードが全体的に回想56、57に似ているなと思います。
似ていて、かつ長義・国広の「本体の本歌・写し関係」組とは正反対だなと。
特に「面子」「ニヤけた顔」などと「顔」にまつわる話題が多いのはやはり気にかかります。この回想の中核の一つはおそらく「顔」。
回想184の後半の安宅切に対して回想56、57の長義くんの台詞で気になる所を引っ張ってくると
・俺を差し置いて『山姥切』の名で、顔を売っているんだろう?
・俺が居る以上、『山姥切』と認識されるべきは俺だ。
顔・面子にまつわる問題の話で、長義くんが国広に対して詰め寄ったのと、安宅切が長谷部に対して一歩引いたのは正反対だなと。
台詞じゃなく全体的な態度の話になりますが、安宅切が長谷部の煮え切らないところを嫌いではないのと違って、長義くんは明らかに国広の煮え切らないところが嫌いでしょうしね……(だから国広にもっと自信を持てという叱咤の方向になる)。
今回はこの辺りで。
なかなか引っかかる部分はあるものの、こう、期待したほどにはすぱっと答が出るような文言が盛り込まれていたわけではないので、他の方向からの情報を合わせて考察していかなきゃいけない感じですかね。
外見だけだと真面目が服を着て歩いてそうな安宅切が、長谷部に対してニヤニヤしたり煽ったり思った以上に愉快な性格をしているなということが判明したくらいです。
(わりと長船こんなんばっかや)
回想185
本当に何もわからない。
実休がどうのこうの言うのは、実休というか安宅切が斬ったという安宅貴康が三好氏だから、ということでいいのでしょうかね。三好実休と同じく三好一族。
ただ後半がよくわからなくなってくると言うか。
内容的には実休は不誠実で曖昧、安宅切ははっきり線を引いてやることが優しさ、というものですね。
うーん、物語は曖昧にしておく方が色々なところに想像の翼をはばたかせて縁を作れるよねーって話かとは思うんですが。
実休は焼失刀であり詳細が不明なこともあり、あの刀はもしかしたらああだったのではないか、こうだったのではないか、と憶測されることで色々縁を作れる刀、ということなのかもしれません。
一方の祐定(安宅切)は、長船も後代の刀工ですのでブランド的に個人のことはともかく、その名を名乗った祐定一門のスタイルとしてはわかりやすく、現存して伝来先も安定していたわけだから刀としての物語はかなりはっきりしている方です。
「君の期待」「刀剣男士、とは面白いもの」「今ここで守れる物語なら、なおさら」「忘れていることを教えてくれて」「長船の刀がどういう刀か、改めて知ることが出来た」
なんかこう……会話そのものは平穏なんですが示唆するものはちょっと不穏ですよね。
忘れていることは具体的には元主とのことや何かとは思いますし、長船の刀がどういう刀か、という話に関しても長船派の「ホスト」気質は審神者の「主」と対になっている要素な気はするのでその辺に補足が増えた感じはしますが、どうにもはっきりしない。
引っかかるのは刀剣男士である安宅切本刃が「刀剣男士、とは面白いものです」と言っている辺りか。
この言い方すると、刀剣男士というのはやはり彼らの本質の上から何か、「物語」というガワを被せて整えた一形態の気がしますね。
去年この時期に実装された道誉は「望郷」という言葉で刀剣男士がどこかから来た存在であることを強く意識させましたが、今回の安宅切はこう……刀剣男士という存在は、あくまで今まとっている物語に合わせた姿でしかないことを仄めかしています。
なるほど、へし切長谷部の「拵の本歌」としての性質が示すのはこういうことなのかもしれません。
まとう拵の本歌・写し関係が取り沙汰されるように、まとう物語の性質が意味するものを意識させる。
回想184の方を見ると安宅切と長義くん正反対だなと思いましたが、回想185のこのスタンス
「ただ、はっきり線引きしてやることも優しさ、かもしれません。大事の時に迷わぬ為にも」
これを考えると、身にまとう物語の曖昧さを表層的には許容しているように見えて、実際にはやはりはっきりさせることこそが良いこと、それが優しさだと考えている節がありますね。
本体の本歌と拵の本科として、その点は姿勢が共通するような気がします。
去年の道誉は姫鶴相手に線を引くことがバランスにとって大事だと求め、今年の安宅切も実休相手に線引きの優しさを説く。
ところでそれが何でタイトルの「紫紺の薔薇」なのかは「本科と写し」以上によくわかりませんでした。ぐえー。
薔薇に関わる以上、やはり去年の道誉・京極の回想ともワードの関連性がある気がします。気はするけど具体的な関連性が何かはよくわからない。
上と同じくこの回想だけ眺め続けても一朝一夕で答が出るとは思えない感じなので、一度頭を離して他の要素と合わせながら考察していく感じですね。
と、いうわけで今回は簡単にこれくらいにしておきます。

