心伝見たので気になるポイントだけ感想
舞台の心伝は原作ゲームでもお馴染みの「特命調査 慶応甲府」を下敷きにした物語……と、言うには結構差が激しいなと。
途中までは単に原作ゲームと大分違うなとかこれ加州の特命調査っていうかもう新選組刀の特命調査じゃねーかとか、はーんみたいなやる気ない感じで見ていたんですが終盤で本来この条件なら泣かないはずの御前の例の台詞が入って、さらには沖田くんが菊一文字取出してきたあたりであれ待てよこれもしかして……となったのでその辺りを考えます。
1.慶応甲府回想其の54~56『人の与えし』の条件について
原作ゲームの慶応甲府回想54~56は
特命調査 慶応甲府 其の54 『人の与えし』
監査官「最後の戦いだ」
監査官「…………」
監査官「……作り話であろうと、その話を付け加えたかった者がいたのだ」
監査官「それが愛、なのだろうな」
監査官「もう行け」
監査官「僕は少し泣く」特命調査 慶応甲府 其の55 『人の与えし』(加州を編成している場合)
監査官「最後の戦いだ」
加州清光「わかってるって」
加州清光「……なあ、さっきの話だけど。なんで俺にしたの?」
監査官「そうだな」
監査官「だがそれでも。作り話であろうと、その話を付け加えたかった者がいたのだ」
加州清光「…………」
加州清光「……やっぱなんか、難しくない?」
監査官「あとは自分で考えろ、坊主」
監査官「もう行け」
と、言う風に加州を部隊に編成しているかどうかで変わります。
(回想56は極加州の場合)
これからするとどうやら御前こと監査官(一文字則宗)は部隊に加州がいない時は泣いて、加州がいる場合は泣いていないようです。
なんで?
これずっと疑問だったんだけど、今回心伝見たらもう一つの疑問と絡み合って答らしきものが描かれたんじゃないかと。
慶応甲府の沖田総司が持っている刀は何か。
心伝ではそれが「菊一文字」になっている。
沖田君が菊一文字を取り出す前のシーンで御前の台詞が
監査官「あの天才剣士の刀たちが部隊に編成されているのならば感傷に浸る暇はないと思っていたが やはりこの特命調査は他とは違うようだな 僕は少し泣く」
割とどのようにも受け取れるっちゃ受け取れるんですけど、原作ゲームの回想の印象と違って、心伝での御前の涙は自発的なものというより何らかに触発されて出てきたものっぽい演出だなと。
心伝の慶応甲府は他の特命調査と違う違う言われているのと、沖田くんが菊一文字取出してきたときの加州と安定がかなり驚いていること、沖田君が菊一文字を出した理由自体も特別に名刀には名刀をみたいな理由だったことを考えると、
加州を部隊に編成するかしないかでもしかして最終戦で沖田くんが使う刀って変わるのでは……?
その場合、候補としては安定になるか?(加州は池田屋で折れた後だから)
まあ一貫して「菊一文字」でも別に話としての整合性自体はとれるんですけどね。
2.斬られる救いの話
ここでも何度か言っていてまた最近別の角度からも考えていますが、とうらぶのストーリーは「斬られる事が救い」になっている場面がいくつもあるよなと。
わかりやすいのはそれこそ慶長熊本のガラシャ様。原作ゲームでも舞台でも、最後は斬られようとしている。
他にもいくつか、斬られる側が救いを欲してあえて斬られようとしているのでは? という場面が何種類かあるなと。
「斬る」ことが物語を「食う」ことはどうやら確定のようなのに。
「斬られる」側が救いを欲してあえて斬られに、食われに行っている。
この関係性のベクトルを考えると、慶応甲府の沖田くんの刀が一貫して菊一文字だとしても、「斬られることこそが救い」なので御前の思考の方向性に関わってくると思われます。
无伝の泛塵の台詞からすると大千鳥に真田十勇士の物語を食わせようとしていたように、ある程度共通要素のある、食える条件の揃った物語でないと刀剣男士の力にはならない。
つまり慶応甲府の沖田総司の刀が菊一文字(一文字則宗)だった場合、同じく沖田総司の刀である加州がいれば御前は自分の物語の一部を加州に食ってもらえるので、それが救いなのだと。
……慶応甲府回想54と55、56の正確な分岐条件これなのでは?
同時に原作ゲームの慶応甲府の回想全体がどんな話をしているのかを思い返すと、御前は加州に愛で強くなる方法を語りながら、自分の話を聞いてもらっているって体なんですよね。
特命調査 慶応甲府 其の63 『任務達成』
監査官「どうした坊主。帰還しろと言ったろう」
加州清光「なあ、あの一万両の刀って……、あんた?」
監査官「さてな」
加州清光「……もう少し、話くらい聞くけど」
監査官「十分聞いてもらった。……達者でな」
食ってもらうことが救いであると同時に、聞いてもらうことが救い。
回想63の条件として加州が極めていないといけませんが、やってることは変わらないので、慶応甲府は加州が監査官こと一文字則宗の話を聞く物語でもあるのではないかと。
……これを整理すると要するに、特命調査は始まりの五振りが自分に関連の深い相手の物語を積極的に食いに行くのが主眼のイベントなのでは?
ただし、聚楽第の山姥切国広は北条氏政には会えず、天保江戸の蜂須賀虎徹も直接自分に関わる存在と戦ってはいない。
それでも特に舞台の方なんですが、維伝で舞台審神者が鶴丸と小烏丸に陸奥守を強くするため坂本龍馬を食わせるよう指示していたことを考えると、本来の目的はそれっぽいよなと。
特命調査は始まりの五振りが相手の物語を食うための任務ではないか。
しかし慶長熊本のガラシャ様が望んだように、食われることは相手側の救いでもある。
斬られること、食われること、聞いてもらうことの救いが同列に存在している。
この件はまた別の記事でもやるとして。
舞台の特命調査に関して常に忘れちゃいけない重要事項を再び思い出しておきましょう。
舞台本丸は、山姥切国広が聚楽第に出陣していない。
山 姥 切 国 広 が 聚 楽 第 に 出 陣 し て な い
大事なことなので二度言いました!
御前が泣くか泣かないかにやっぱり加州の挙動が関わっているとしたら国広が聚楽第に出陣しなかったこともやっぱり重要な意味があること確定なんですが。
もともとそうだろうとは思ってたけども! 今回でほぼ確定に!
慈伝の長義くんの挙動に関わる部分だと思うんですよね。
聚楽第の国広は本来特命調査で長義くんが期待したほどの戦果を示していないからこそ、長義くんが自ら喧嘩を売りに(食われに)行っているというのが、慈伝の最後の一対一で長義くんの方側がむしろ積極的に斬られようとしているかのような行動の理由っぽい。
3.愛とつけたり
走馬灯は今のところ舞台独自ギミックに見える。
ただ、「走」「馬」「灯」のメタファー自体はいつも通り他の作品とも共通だと思います。
んでもって今回の話でメタファー「愛」がどういう機能を果たしているかもある程度掴めてきたような。
舞台でいうところの「つけたり」は山南敬助に影響を受けた沖田総司が明確な意図をもって行った小さな歴史改変の積み重ねですから、この場合の愛はふわっとした明るい感情ではなく明確にそういう定義になります。
その定義から御前の「愛こそは力。だが、愛こそは我らを縛る鎖……」(慶応甲府回想41)を考えると、「つけたり」という小さな歴史改変は確かに物語の一つとして刀剣男士を強くはするものの、その改変によって正史の物語を侵食していく意味で刀剣男士を呑みこむ要素とも言えます。
舞台は特に禺伝の「物語出陣」と言う要素で、創作の物語の正史に対する侵食の危険性を描いています。
(この時点で私はまだ禺伝見ていませんが物語出陣に関してはPVで軽く触れられているので)
歴史を考察するのに多少の憶測はつきもの。
史実を知りたくとも史料が足りず、どうしても断片と断片を繋ぎ合わせる憶測を持ってしか埋められない歴史もある。
ただし一時は歴史であったかもしれないその憶測も、人口に膾炙する影響が強すぎると、正史の物語をはねのけ侵食した認識を作ってしまう。
とすると、正史の要素を強く持つ存在を創作だけで語ると、対象が変容して創作に飲み込まれてしまう、ということは言えると思います。
上の斬られる(食われる)ことの救いに関わってくるのはこの部分なんじゃないでしょうかね。
多少の憶測はそれもまあ歴史の華よと言えますが、創作を完全に歴史だと思い込んで史実を何も見ていない状態はダメなのではないかと。
そして「つけたり」は一つ一つの影響は小さくともそういう創作や憶測に類する要素なので、積もり積もれば対称を「史実」から「創作」へと変容させてしまうと。
それを防ぐため、「史実」から「つけたり」を切り離す行為こそが「斬る(食らう)」なのではないでしょうかね。
だから慶応甲府の一文字則宗は、自分を食らう加州清光の登場を待ち望んでいるのではないか。
加州がいなければ一文字則宗に沖田総司の「菊一文字」の物語が付与されすぎてしまう。
則宗作の集合体としての自我をなくして完全に「菊一文字」となってしまう、と。
加州が「菊一文字」を食らってくれる場合だけ、則宗は沖田総司のことを物語の上でしか知らない刀でいられる。
沖田総司を自分の元主と信じる「菊一文字」の想いを背負って、泣く必要はない。
「愛(つけたり)」は刀剣男士を強くする力。
「愛(つけたり)」は刀剣男士を縛る鎖。
これを補強するのが最近原作ゲームの方に実装された後家兼光の存在で、回想142で示唆された「虎アレルギー」、「虎(あこがれ)」の摂取量に限界があるっぽいことがわかります。
物語を食らえば刀剣男士は強くなるけれど、そこには上限がある。
だからこそ、自分で自分を見失う前に相手に斬られたい(食われたい)存在という物がたびたび登場するのでしょう。
それは山姥切国広が聚楽第に出陣しなかった慈伝の山姥切長義であったり、
真田十勇士が豊臣家を守ろうとする世界の高台院であったり、
細川忠興が死んでしまった慶長熊本の細川ガラシャであったり、
沖田総司が菊一文字を持ち出してきた世界の一文字則宗であったりする、と。
段々この辺の思考もまとまってきました。
4.舞台における特命調査の時系列
今回舞台における特命調査の時系列に関してちょこちょこ色々な角度から言及されていたので少しまとめたいと思います。
◆ 特命調査は何度も開催されている世界
今回の心伝で、舞台の世界は何度も特命調査自体は開催されているが舞台本丸は慶応甲府へは孫六兼元が顕現してから出陣したと明かされている。
何故これまで見送ったのかの理由は明かされていない。「俺たちの本丸がこの時代に出陣するのは今回が初めて」と言われている。
あの世界の正確な特命調査の順番はわからないが、この前提によって舞台本丸が変わった動きをしている可能性を視野に入れる必要がある。
◆ 舞台本丸の時系列(特命調査参加状況)
聚楽第(慈伝、ただしダイジェスト)
文久土佐(維伝)
天保江戸(心伝で長曽祢と蜂須賀が出陣したことが明かされた)
慶長熊本(綺伝)
慶応甲府(心伝)
順番はもしかしたら変動する可能性があるが、心伝の範囲内だと普通にこの順だと思われる。
(加州が「同じような特命調査で陸奥守は坂本龍馬を 歌仙は細川ガラシャを斬った 蜂須賀だってちゃんと任務を果たした」と言っているのは単に状況で内容をまとめただけに見える)
◆ 「朧なる山姥切国広」の時系列(放棄された世界への出現)
文久土佐(維伝)
慶応甲府(心伝)
天保江戸(心伝で言及だけされている)
慶長熊本(綺伝、ここで長義により朧国広撃破のはずだが……)
心伝の朧国広の台詞により、舞台本丸の動きと朧国広の時系列が違うことが今回判明した。
5.朧なる山姥切国広の動向
朧! お前慶応甲府の時点で健在なのかよ!
というか舞台本丸側と朧の時系列が違うことが今回判明しました。
まあ本丸側と敵側って別に示し合わせて行動しているわけではないので時間を遡る以上、同じ敵と別の時代でお互いに過去と未来がずれた状態で鉢合わせするのはおかしくないんですよねー―。
……いや待って放棄された世界ってそもそもどうやって出入りしてるんだあいつら?(今更の疑問)
こっちはわざわざ政府刀を通じて時の政府が経路を開いた時だけ出陣してるのに。
まあ考えても仕方のないものは仕方ない。
明確なのは本丸側時系列と朧側時系列がずれている関係性ですね。
慶応甲府だけ順番変わってて他は同じっぽいので慶応甲府に登場した朧が綺伝で長義くんに撃破されていても一応現時点では矛盾しない。
(心伝の朧は本丸の刀剣男士と顔を合わせていないので)
ただ、敵が明確に本丸側と別時系列で動いているのが明らかになったので正直もうどの敵がどの時代に出現してもおかしくない、と。お手上げお手上げ。
構成的にこの章の半分くらいの話(綺伝)で退場してるぜ!
でもそれより後の話(心伝)でも元気に登場します!
思ったよりしぶといなこいつ……。
綺伝で長義くんに撃破された時はお前この章のラスボス(鵺)ポジじゃなかったのかよ退場はえーなオイ! と思ったらその後も元気に出てきた。朧この野郎。
以前の考察で綺伝のタイミングはミュージカルの江水散花雪も転機の一つとなる話をやっているうえに、その頃はちょうど原作ゲームで対大侵寇防人作戦の頃と重なるという結果でした。
これを踏まえると朧に関してはやはり構成上の転機(公演順)的に一区切りとなるタイミング(綺伝)で一度退場させておきながら、後の話でガンガン重要度を上げていくというテクニカルな扱い方です。
……というか、今回の登場で思ったんですが。
朧国広って悲伝の三日月の「鵺」に相当する敵だと思ってたんですが、こうもあっさり退場したと見せかけて後でまた登場! っていうムーヴからすると義伝・悲伝の「黒甲冑」の方に近いような気がする。
そもそも「黒甲冑」自体が外伝の「山姥」と並んでよくわからん二大敵なんですが。
ん? そうすると今度は「鵺」を拾った「黒甲冑」に代わって朧の奴が対大侵寇相当話で攻撃を仕掛けてくるパターンなのー?
襲撃なのか、逆に物語世界おびき寄せパターンなのかよくわかりませんが。
(よく考えたら維伝以降の舞台って普通の時代に出陣していない気がする。天伝・无伝も後で放棄された世界になる世界)
「黒甲冑」は今のところ無限沸きというほどでもないんですが、よくわからん復活をしたのは確かなのでどう出るかわからんのよね。
下手すると綺伝で倒したはずなのに今後何度も登場してはそのたび三日月を取り戻すために暗躍するのかこいつ。
正体不明敵と言えば无伝で長谷部がボコボコにされた遡行軍もいるしね。
朧国広を「黒甲冑」と同列の敵として考えると、2パターン。
1.「黒甲冑」も実は三日月関連で発生している
義伝からすると伊達政宗の妄執みたいな感じだったけどそれでも実は三日月関連なんだぜのパターン。
「黒甲冑(義伝)」「鵺(悲伝)」「鬼(无伝)」を全部同一で考える思考。
2.「黒甲冑」は人間関連なのでこの章のラストは配置が逆になる
朧国広と「鵺」のポジションを交替して、この章のラストの「鵺」は人間が生み出すタイプの敵で考える
この場合、その人間がすごい重要なんですが。
「鵺」みたいに三日月の立場踏襲で歴史を守るはずのものが歴史を変えてしまっているパターンで行くと、本丸だと人間って審神者しかいねえ! って話にしかならないんですが。
6.悩める山南
心伝、最初の5分がすでにクライマックスじゃね?
……そしてここの山南さんと沖田君の会話がまさにさー、三日月と国広みたいな関係性に見えるんですが……。
というか心伝は全体的に悲伝・无伝の三日月中心の話っぽい印象だったなと。
ターニングポイントであろう対大侵寇直前だから、もっと国広に寄るかと思ったら三日月の方だった。
冒頭のつけたりし物語による小さな歴史改変の積み重ねをする山南さんの行動がまさに三日月の行動じゃないかなと思うわけですよ。
これに関しては舞台に限らず原作ゲームの対大侵寇でもミュージカルでも三日月は表から大きく歴史を変えようとはしないが小さく小さく改変しているので、どの作品でも三日月の行動が似たような印象を受けます。
三日月とそのうち死んでしまう主という意味では足利義輝もそうなんですが、山南さんにとっては未来であるということと、近藤さんが「幕府の狗」だの沖田君は沖田君でのちのち「近藤の狗」だのやってる、つまり思考停止状態を見ると審神者の奴隷と弥助に言われた審神者と国広の関係性がちらつくんですが。
近藤さんの狗やりながら、新選組という物語のためにつけたりを加え続ける沖田君。
ただ冒頭の山南さんとのやりとりはめちゃくちゃ三日月と国広っぽく、近藤さんが審神者の位置っぽくも見えるんですが、終盤の加州と安定との戦いの時に吐き出す本音は沖田くん自身が多くの刀を従える審神者の位置っぽくもあり。
うううん、難しくなってきた。
情報が増えて考察素材が増えたのに、構図自体が大きすぎてめっちゃ難しいぜ!
これに関しては途中でまたそれぞれの立場の転換を入れるんじゃないかーと思います。
綺伝なんか見てもガラシャ様は最初から重要だけど途中の忠興の死で花から蛇に反転していますからね。地蔵くんにとっては最初から最後まで花ですが。
総じて心伝の沖田くんの心情まとめとしては
・近藤さんに命じられれば誰でも斬る、舞えと言われれば舞う
・命令とあらば誰でも斬る、でも自分がもし土方さんを斬ったら刀剣男士に斬ってほしい
・一番良かった頃の新選組で甲州勝沼に来たかった、だから時間遡行軍に我が儘を言った
・心伝の話は近藤さんに死に場所を与えるための改変
・武士としての死に場所を探してはいるが、死ぬためには戦わない、生きるために戦う
・新選組でみんなと過ごしたあの時間がずっと続けばいいのに
・あの時、近藤さんの役に立てなかった、近藤さんが処刑されたときも、五稜郭で土方さんが戦った時も、何の役にも立たなかったんだ、悔しい
・私がこんなことにならなかったら、新選組は続いていたかもしれないのに、私のせいだ
こんな感じで。
まさしく史実で語られていそうな沖田総司の後悔を詰め込みつつ三日月のようでもあり国広のようでもある心情。
そしてこの心情に深く関わっているのが冒頭で沖田くんに自分を斬らせた山南さんと言うのがね。
7.迅衝隊総督、加納鷲雄
心伝あらすじ時点では迅衝隊の総督は板垣退助ではなく御陵衛士の生き残りだった、とすごく重要そうな隠され方をしていた加納鷲雄。
史実だと大久保大和の名で投降した近藤さんの正体を見破り処刑に追い込んだ人なので、この人が迅衝隊の本来の総督である板垣退助に代わって総督をやっているということは、慶応甲府の中核要素が近藤さんの存在で、正史で近藤さんをある意味殺すはずの人物が、その役目を正しく果たすべく引っ張り出されてきたということだと思います。
……という辺りの考察をあらすじが出た時点で書いて、実際どうなるのかなーと加納鷲雄に注目して見ていたんですが。
前半はそれなりに迅衝隊の総督として重要そうなポジションっぽく描かれていたと思いますが、後半割と雑にフェードアウトしたよね……って感じでちょっと判断に困るな。
メタファーとしては重要だけれどキャラとして重要描写が一つ二つすっぽ抜けているような……。
ただ前半のキーキャラが抜けて後半もっとメイン格のキャラの動きに深まっていくのはミュージカルの方でモブ蝦夷が阿弖流為と母禮を救うために身代わりになる「陸奥一蓮」の方でも同じなんだよな。うーん。この構成でいいのかね。
予想と違ったのは、加納を始末に来るのは沖田くんじゃないかなーと思っていたけど実際に来たのは斎藤一だった辺りですかね。
斎藤さんの心情はわりと読みにくい。
ついでに孫六さんは斎藤さんを最初に見分けられなかった感じだと斎藤一の刀だという知識から来る思い入れはあっても記憶ないのかもなと思いましたがこれはまだ様子見で。
「生憎お前たちと語り合う口は持ち合わせておらん 語るならば刀で」
「山南さんや沖田さんが満足していればいい」
斎藤さん周りで重要そうなのはこんなところか。
正史で近藤さんを殺すはずの加納を殺しに来たのは派手に動き回っていた沖田くんやその行動の切っ掛けでもある山南さんじゃなくて、その二人の心情を最後まで思いやっていた斎藤一……という構図かな。
この人、正史でもまともに生き残って、しかしその後語らなかった人だからな。
その想いの捧げる先は近藤さんというよりも、新選組を続けるために、近藤さんを武士にするために命を捧げた二人。
キャラとしては割と深いんで掘り下げたら面白そうではありますが、掘り下げ過ぎたら妄想になるのでこのぐらいが限度だな。
8.心伝の大和守安定
正直まともに歴史守ってる安定を初めて見た! ってなりました。
花丸にしろミュージカルにしろ安定に関しては常に沖田くんを助けたいという気持ちからお前歴史改変しかけてるばっかじゃねーか! ってなっていたので。
原作ゲームに関しては沖田くんへの気持ちが激重なことは修行手紙から明らかですが、一応目に見えて歴史を変える行動はとっていないので、今回の安定が一番原作ゲームの安定に近かった気もします。
9.月の分離と統合
総じて今回の心伝の印象は舞台がどうのと言うより、原作ゲームの対大侵寇防人作戦の三日月の心象と印象が被るなと思いました。
つけたりという小さな改変を積み重ねるために、脱走扱いを甘んじて受ける山南さんから始まる物語。
脱走で斬られてそれでも後に影響を残して、と言う意味では舞台の三日月そのまんまな気がしますが、心情の方は対大侵寇の時の三日月を思わせるなと。
というか、そろそろ対大侵寇の三日月関係のあれこれを見返すべきなのかもしれない。
対大侵寇は三日月がいなくなること自体が月の分離だよなと。そして後で初期刀に振るわれる辺りで疑似的・一時的な統合を果たす、と。
この原作ゲームの印象と舞台の印象が統合される条件は一つ。
舞台本丸も対大侵寇相当の事件で大ピンチになる。
これ自体は凄くありそうです。でも本当に心伝の山南さんの台詞がそのまま三日月にあてはまるとなると、え? あの審神者将来的に死ぬの? ってなるよね。
というか我々(審神者)死ぬの?
……ありそう、というか。
原作側の大侵寇が本来本丸壊滅しているはずだったみたいだから、そこは全部同じなんじゃないの? って。
これまで歴史を守ってきた(ある意味改変してきた)反動で敵の襲撃、大侵寇に相当するものを受けて壊滅する。
あるいはもっと過酷な予想として。
審神者を新選組の立場と照らし合わせるなら、自分たちは「官軍」だと思っている立場から「逆賊」に転落する立場なのでは?
原作ゲームと派生でどれだけ同じかまだまだよくわからないけれど、少なくとも舞台本丸は「鵺」や「朧」のような鬼を生み出してしまっているし、ミュージカル本丸は史実で死ぬ人物を秘かに生き延びさせる明確な改変を行っている。
これが積み重なれば我々審神者自身がお前たちこそ歴史改変の元凶! って討伐される側になるのも不思議ではないというか。
特に舞台本丸は維伝や綺伝でも時の政府から目つけられてない? って話してたし。
将来的に滅びる本丸であることを知ってしまったからこその三日月や朧のあがきの可能性。
悲伝は確かに三日月にとって元主・義輝の死を見送らねばならない話であるけれど、それだけで結いの目になんてなるか? あるいはその結いの目から抜け出す方法を本当に三日月が見つけられないか? と考えると疑問と言えば疑問。
結局派生でも原作ゲームと同一ではないにしても対大侵寇相当の事件は起きるだろうし、本丸がいずれ全滅する運命は変わらず三日月はどの本丸でもその回避のために暗躍する、というのは変わらないのかもしれない。
山南さんのつけたり作戦は己の死、仲間の死、新選組という愛するものの物語の終焉に納得するための手段の一つであり、放棄された世界の中でも特に自分が定めた目標(近藤さんを武士にする)はほぼ達成されて改変側としても満足感の高い改変であった、作戦としてはレベルが高かったと見られる。
ただ、それが本当の意味での解決かと問われるとまた違う気もする。
放棄された世界は放棄された世界であり、そこで死ぬことは一つの解放ではあっても、本当の意味での救いにはなりえない……。
正史とは違う意味で自分の物語を生ききるという一つの満足感は得られるけれど……。
三日月が悲伝を繰り返し、朧がなんだかんだ暗躍しているのは、その先の答を見つけたいからではないだろうか?
10.次なる物語、というかその前に
今回の話で舞台本丸が天保江戸をおそらく慶長熊本より前にこなしていることが確定しました。
天保江戸はいずれやるでしょうが、ミュージカル側が次回過去回想ほぼ確定(陸奥一蓮のラストが回想導入で終わった)なので、ここは被せず舞台は普通に対大侵寇な気がしますね。
ここまでの考察で舞台とミュージカル、というか原作から派生まで論理構造は全部同じだと思いますが、表面上の物語は全然別の展開にして独立させているので同じタイミングで過去編はやらないんじゃないか? と思います。特命調査と本丸立ち上げ初期はまた違うと言えば違うけど。
ミュージカル側が次はこれもう対大侵寇相当だろって感じの初期刀が折れた背景説明に入る以上、舞台側もやはり次は対大侵寇相当だと思いますね。
というか、そっちを待つ前にオイラまだ禺伝見てないってことを思い出すべきだったよ(遠い目)。
ここに来て朧の元気さが予想できなかったこともあり、禺伝と単独行まだ見てないから次の話までには見たほうがいい気がするんすよね。
ミュージカル側の理屈もがっつり全体構造を考える上では参考になったなって感じなので間は埋めといた方が良さそう。
メタファーの件も色々練り練り考え直したい部分が多い……多い!
とうらぶは本当にやることがまったく終わらんなぁ。
しかし今年は本当に早ければミュージカルも舞台も対大侵寇相当の転機が来る上に原作ゲームも特命別順復刻からの10周年で絶対またなんかあるよ鬼が出なかった伏線もあるし……の騒々しい一年なので、今年を……今年を乗り切れば……!
今より情報過多でもっと大変になるかもしれない(終わらない戦い)。
追記 原作イベント回想18、19の加州の台詞
そういえば心伝、原作ゲームだとイベント回想18,19にあたる『古府中攻防戦打破』の加州の台詞ないよね。
特命調査 慶応甲府 其の18 『古府中攻防戦 打破』
監査官「さあ、戦え」
加州清光「言われなくても……」
監査官「気がすすまんか」
加州清光「なにを名乗ろうが、こっちにはばればれ。……ただ、腹は立つ」
監査官「なりかわりだろう。戦え、坊主」特命調査 慶応甲府 其の19 『古府中攻防戦 打破』
監査官「さあ、戦え」
加州清光「言われなくても……」
監査官「気がすすまんか」
加州清光「いいや。まがいものをそのままにはできない。それだけ」
監査官「そうか。では戦え、坊主」
あるとないとで大分イベントの意味変わる台詞。
舞台本丸の性質から考えて、原作ゲームに比べるとあの本丸が作り話、なりかわり、まがいもの等を否定しない、という意味だと思われる。
慶応甲府も原作ゲームと舞台で大分シナリオが違う。
これがどういう結果に繋がるかはまぁ、次回以降のお楽しみか……。
この台詞に相当する部分は42分前後が回想18、19の冒頭で45分頃には次の回想21、22に相当する台詞があるからやっぱ肝心の加州の台詞がないだけなのよね。
特命調査 慶応甲府 其の21 『古府中攻防戦 吶喊』
加州清光「取りつけばこっちのもんだってね」
監査官「よし、その調子で行け」
加州清光「加州清光、吶喊しまーす」