謙信景光

けんしんかげみつ

概要

「短刀 銘備州長船住景光 元亨三年三月日 附 小サ刀拵」

鎌倉時代の刀工・備前長船景光作の短刀。
銘に「備州長船住景光 元亨三年三月日」と切る。この銘文により1323年の作刀が明確。

表に「秩父大菩薩」の五字、裏に梵字の彫物がある。

景光の他の刀にも「秩父大菩薩」の五字と梵字が彫られた刀があり、その太刀の銘文から大河原時基の依頼で作刀され神社に奉納されたものと見られている。

上杉家に伝来し、上杉謙信が差料としていた記録があるという。

1937年(昭和12)12月24日、重要美術品認定。

戦後は上杉家を出て岡野多郎松氏の所有となる。

1952年(昭和27)7月19日、重要文化財指定。
1956年(昭和31)6月28日、国宝(新国宝)指定。

現在は「埼玉県立歴史と民俗の博物館」蔵。

1323年(元亨3)、備前長船景光作の短刀

「備州長船住景光 元亨三年三月日」の銘から長船景光の1323年(元亨3)3月の作刀とされる。

大河原時基の依頼による作刀と、秩父神社への奉納とみられる

皇室御物の中に、

表「願主武蔵国秩父郡住大河原入道沙弥蔵蓮 同右衛門尉丹治朝臣時基 於播磨国宍粟郡三方西造之」
裏「作者備前国長船住左兵衛尉景光 進士三郎景政 正中二年七月日」

という銘文の刻まれた太刀があり、表の腰もとに「秩父大菩薩」裏に「梵字」が彫られているという。

この御物の太刀は武蔵国秩父郡の豪族で、播磨国に任ぜられた丹治時基とその父沙弥蔵蓮が、備前長船の名工景光及びその一門である景政に命じて作刀させ、故郷の秩父神社に奉納したものであることが銘文から明らかである。

更にもう一振り、国宝に

表「広峰山御剣 願主 武蔵国秩父郡住大河原左衛門尉丹治時基 於播磨国宍粟郡三方西造進之」
裏「作者備前国長船住左兵衛尉景光 進士三郎景政 嘉暦四年己巳七月日」

という銘文の太刀があり、播磨国の一宮である広峰山神社に奉納したものである。

この二振りの景光、景政合作刀との関連性から、御物太刀と同じく「秩父大菩薩」と彫られた謙信景光も、秩父神社に奉納されたものと見られている。

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:上杉謙信と長光・兼光の名刀など
ページ数:73~81 コマ数:41~45

上杉謙信が差料としていた短刀

銘は「備州長船住景光 元亨三年三月日」。
刀身の表に「秩父大菩薩」の文字、裏には梵字が彫られている。

『上杉家刀剣台帳』に上杉謙信が使用していた記録があるらしい。

「刀剣と歴史 (600)」雑誌・データ送信
発行年:1994年7月(平成6) 出版者:日本刀剣保存会
目次:大河原一族ゆかりの東秩父村と三振の刀 / 刀菊山人 コマ数:34

“謙信公御差料乾十一号一文字ノ御刀ト御揃”

姫鶴一文字の指添え説

『武将と名刀』などでは謙信景光は姫鶴一文字の指添えであったとしている。

1937年(昭和12)12月24日、重要美術品認定

昭和12年(1937年)12月24日、重要美術品認定。
上杉憲章伯爵名義。

「短刀 銘備前長船住景光 元亨三年三月日 附腰刀拵」

号はなく銘文も「備州」が「備前」になっているなど間違いがあるが、もともとこの日に上杉憲章伯爵名義で上杉家伝来の名刀とみられる刀(姫鶴一文字や火車切広光など)がまとめて登録されているので、これが今でいう謙信景光だと考えられる。

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年 出版者:春陽堂
目次:目録 短刀 銘備前長船住景光 元亨三年三月日 附腰刀拵
ページ数:83 コマ数:58

『官報 1937年12月24日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1937年(昭和12) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第四百三十四号 昭和十二年十二月二十四日
ページ数:793 コマ数:5

戦後、上杉家を出る

『備山愛刀図譜』によると、終戦後に上杉家から岡野多郎松氏が譲り受けた。

『備山愛刀図譜』は備前出身で主に備前刀を愛好した岡野多郎松氏のコレクションをまとめたものであり、その頃岡野多郎松氏所蔵であった謙信景光や山鳥毛一文字も紹介されている。

『備山愛刀図譜』(データ送信)
著者:佐藤貫一 編 発行年:1958年(昭和33) 出版者:岡野多郎松
目次:一〇 国宝 短刀 有銘 備州長船住景光 号 謙信景光
ページ数:47~52 コマ数:67~72

1952年(昭和27)7月19日、重要文化財指定

昭和27年(1952)7月19日、重要文化財指定。

「短刀 銘備州長船住景光 元亨三年三月日 附 小サ刀拵」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:231 コマ数:127

1956年(昭和31)6月28日、国宝(新国宝)指定

昭和31年(1956)6月28日、国宝(新国宝)指定。
岡野美代子氏名義。

「短刀 銘備州長船住景光 元亨三年三月日 附 小サ刀拵」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:231 コマ数:127

現在は「埼玉県立歴史と民俗の博物館」所蔵

埼玉県立博物館が買い取り収蔵・公開していた。
埼玉県立博物館は2006年に埼玉県立民俗文化センターと統合して「埼玉県立歴史と民俗の博物館」になっている。

「文化庁月報 (1)(328)」(雑誌・データ送信)
著者:文化庁 編 発行年:1996年1月(平成8) 出版者:ぎょうせい
目次:後世に残そう我が県の文化財(10)埼玉県 太刀、短刀、鷲宮催馬楽神楽 / 柳正博
ページ数:26 コマ数:14

作風

刃長28.3センチ。反僅か。元幅2.6センチ。
平造、庵棟卸し急、僅かに反る。
鍛小板目よく約み、乱映り立つ。
刃文片落ち互の目を主調として小乱交り、小足、葉よく入り、匂口締りごころに冴える。
鋩子乱込み先小丸。

彫物表に秩父大菩薩の五字、裏に梵字。
茎生ぶ、反つき、先栗尻、鑢目勝手下り、目釘孔二箇。

目釘孔の下表に長銘、裏に年紀がある。

『国宝図録 第6集 解説』(データ送信)
著者:文化財保護委員会 編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:文化財保護委員会
目次:工芸の部
ページ数:92 コマ数:52

外装

室町末期の作とみられる小サ刀拵が付属している。
鞘黒漆塗、柄黒鮫着、燻韋巻(韋巻後補)。
金具の縁、鐔、小柄には赤銅魚子地に枝菊桔梗文を高彫しうつとりを施す。
目貫花束図容彫、小柄は銀地に枝菊図を高彫する。

『国宝図録 第6集 解説』(データ送信)
著者:文化財保護委員会 編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:文化財保護委員会
目次:工芸の部
ページ数:92 コマ数:52

景光の短刀の最高作

長船景光の短刀は比較的多く現存する中にあって、最も完存され、作風は典型であり、年紀を切ってある最高作と言うことが出来るという。

『国宝日本刀特別展目録 : 刀剣博物館開館記念』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:短刀 銘 備州長船住景光 元亨三年三月日 岡野多郎松氏蔵
コマ数:70、71

号の付与は昭和時代か?

昭和後半辺りからの刀剣書では上杉謙信所有にちなんで「号謙信景光」として説明されることもあるが、銘文だけで謙信景光とは呼ばれていない本も多いので、昔からこの名で呼ばれているというよりは上杉家から岡野多郎松氏が買い取った昭和頃から呼ばれていると考えられる。

『備山愛刀図譜』ではすでに「号 謙信景光」として紹介されている。

『備山愛刀図譜』(データ送信)
著者:佐藤貫一 編 発行年:1958年(昭和33) 出版者:岡野多郎松
目次:一〇 国宝 短刀 有銘 備州長船住景光 号 謙信景光
ページ数:47~52 コマ数:67~72

調査所感

・姫鶴一文字と謙信景光

謙信くんに関して、姫鶴一文字に添えて使われていたという通説に進展があったらしいですね。

『武将と名刀』など寒山先生の書いた本では謙信景光は姫鶴一文字と共に上杉謙信の差料として使用されていたと説明されています。

しかし現在、謙信景光と一緒に使われていた一文字の太刀は別の刀だという見方になっているらしい。

つるぎの屋さんのサイトで姫鶴一文字と一緒に使用されていた説が近年の研究によって誤りだと判明したことが説明されています。

『上杉家刀剣台帳』から実際に謙信景光と共に差されていた太刀は号のない別の一文字の太刀であると説明されています。
ただWikipediaの謙信景光の項を読むとこの姫鶴・謙信セット説は2018年の京のかたな展の図録でもそういう説明をされていたみたいなんで近年の研究がこの数年以内の本当に新しい研究な可能性がある。あまり最近の雑誌だとデジコレにもないので私の力じゃ探せないっすね……。

そのうちまたそういう内容の本が出るのを待ちましょうか。

・謙信景光は号なのか

いつものこれ実は号じゃないんじゃないの? 問題です。

国宝である謙信くんは割といろんな本に載っていて最近のものでも普通の刀剣書なら割と載ってると思います(逆に2015年辺りで増えたとうらぶプレイヤー狙いみたいな本だと書いてないことが多い)。

「刀剣と歴史 (597)」で一文だけ『上杉家刀剣台帳』の記述が載っていますが、そこでも号謙信とは書いてない。

本によっても「謙信景光」と紹介している本もあれば、銘文と国宝であることを載せているだけで号の説明はないものも多い。

寒山先生側はこうして謙信景光と呼んでいるのが明確ですが、一方で酔剣先生は『名刀と名将』などで謙信くんの刀そのものの紹介はしていても、謙信景光とは呼んでいません。
『日本刀大百科事典』ではそもそも謙信景光単体の項目がありません。

ただ謙信くんの場合、ずっと上杉家伝来で、上杉家から岡野多郎松氏が譲り受けて寒山先生、薫山先生が発行した本の辺りから明確に「謙信景光」と説明されるようになっています。

所有者由来の刀の号はだいたいその所有者の手を離れてからつけられるもののようなので、岡野多郎松氏が「謙信景光」ってつけた可能性はないとは言い切れない。

号に関しては割とこんな感じで、戦国や江戸の昔からそう呼ばれている記録はないが昭和の研究史の途中で誰かがそう呼んでいて現在ではそういう号であると説明されていたり、号であるかのように呼ばれているパターンが非常に多いです。
問題はそれがそもそもアリなのかナシなのか刀剣書を読んでいるだけだとわからないことの方っすね……。

そもそも素人がなんとなく号とは数百年来その刀が呼ばれている名前のように認識しているだけで、もともと刀剣の号に関しては昭和の研究者がその伝来からつけているパターンが結構ある感じです。

その基準でもともとオーケーなら謙信景光に関しては上杉謙信差料なのは間違いないようなので普通に謙信景光でしょう。

謙信くんの号に関してはそんな感じです。

参考文献

『官報 1937年12月24日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1937年(昭和12) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第四百三十四号 昭和十二年十二月二十四日
ページ数:793 コマ数:5

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録 短刀 銘備前長船住景光 元亨三年三月日 附腰刀拵
ページ数:83 コマ数:58

『備山愛刀図譜』(データ送信)
著者:佐藤貫一 編 発行年:1958年(昭和33) 出版者:岡野多郎松
目次:一〇 国宝 短刀 有銘 備州長船住景光 号 謙信景光
ページ数:47~52 コマ数:67~72

『国宝図録 第6集 解説』(データ送信)
著者:文化財保護委員会 編 発行年:1960年(昭和35) 出版者:文化財保護委員会
目次:工芸の部
ページ数:92 コマ数:52

『日本の刀剣 (日本歴史新書) 』(データ送信)
著者:佐藤貫一(佐藤寒山) 発行年:1961年(昭和36) 出版者:至文堂
目次:6 備前長船派の名工
ページ数:143、144 コマ数:83、84

『日本名刀物語』(紙本)
(中身は1962年白凰社より刊行のもの)
著者:佐藤寒山 発行年:2019年(令和1) 発行社:河出書房新社
目次:上杉景勝御手撰三十六腰
ページ数:90~101

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:上杉謙信と長光・兼光の名刀など
ページ数:73~81 コマ数:41~45

『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:上杉謙信の愛刀
ページ数:133、134 コマ数:73、74

『日本刀全集 第3巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀(山陽道・南海道・山陰道・北陸道)加島進
ページ数:185、186 コマ数:96、99

『日本刀入門 : 選び方買い方』(データ送信)
著者:柴田光男 発行年:1967年(昭和42) 出版者:光芸出版
目次:武家支配の鎌倉時代
ページ数:25 コマ数:20

『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:長船物 作風
コマ数:192

『国宝日本刀特別展目録 : 刀剣博物館開館記念』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:短刀 銘 備州長船住景光 元亨三年三月日 岡野多郎松氏蔵
コマ数:70、71

『日本刀物語 続』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1969年(昭和44) 出版者:雄山閣
目次:上杉謙信の愛刀
ページ数:133、134 コマ数:78、79

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) [本編]』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:図版
コマ数:292、293

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) 解説』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品
ページ数:89 コマ数:105

『日本刀全集 第3巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀(山陽道・南海道・山陰道・北陸道)加島進
ページ数:185、186、190 コマ数:96、97、99

『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者: 雄山閣出版
目次:長船物 作風
ページ数:239 コマ数:192

『国宝 : 原色版 第9 (鎌倉 第3)』(雑誌・データ送信)
著者:毎日新聞社「国宝」委員会事務局 編 発行年:1969(昭和44) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品 コマ数:90
目次:解説 ページ数:150 コマ数:154

『原色日本の美術 21』(データ送信)
著者:尾崎元春、佐藤寒山 発行年:1970年(昭和45) 出版者:小学館
目次:図版解説Ⅲ ページ数:117 コマ数:123
目次:図版解説Ⅳ ページ数:139 コマ数:145
目次:一、日本刀概説 ページ数:231、232 コマ数:237、238

「民衆史研究 (30)」(雑誌・データ送信)
著者:民衆史研究会 編 発行年:1986年5月 出版者:民衆史研究会
目次:【論文】 「武家の習」と在地領主制–方法としての西遷・北遷御家人研究 / 海津一朗
ページ数:74 コマ数:40

『新編埼玉県史 通史編 2 (中世)』(データ送信)
発行年:1988年(昭和63) 出版者:埼玉県
目次:第四節 美術工芸・建築 三 工芸
ページ数:1169 コマ数:615

『新編埼玉県史 資料編 9 (中世 5 金石文・奥書) 本編」(データ送信)
発行年:1989年(平成1) 出版者:埼玉県
目次:第二節 金工品(梵鐘・鰐口・懸仏・雲版・鏡・経筒・燈籠・仏具・法具・武器・武具等)
ページ数:80 コマ数:105

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:うえすぎけんしんのかたな【上杉謙信の刀】
ページ数:1巻P125

「刀剣と歴史 (597)(雑誌・データ送信)
発行年:1994年1月(平成6) 出版者:日本刀剣保存会
目次:武州入間・秩父地方にみる製鉄文化と歴史(その1) / 近江紀夫
ページ数:40、41 コマ数:25

「刀剣と歴史 (600)」(雑誌・データ送信)
発行年:1994年7月(平成6) 出版者:日本刀剣保存会
目次:大河原一族ゆかりの東秩父村と三振の刀 / 刀菊山人
ページ数:58 コマ数:34

「文化庁月報 (1)(328)」(雑誌・データ送信)
著者:文化庁 編 発行年:1996年1月(平成8) 出版者:ぎょうせい
目次:後世に残そう我が県の文化財(10)埼玉県 太刀、短刀、鷲宮催馬楽神楽 / 柳正博
ページ数:26 コマ数:14

『定本 上杉名宝集』(紙本)
著者:横山昭男、竹内道雄 監修 発行年:1996年(平成8) 出版者:郷土出版社
目次:図版解説
ページ数:216

『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 1 武将と日本刀 上杉家の刀剣 謙信景光
ページ数:31

『短刀図鑑 増補改訂版』(紙本)
著者:鈴木嘉定/光芸出版編集部 発行年:2017年(平成29) 出版者:光芸出版
(『短刀』1969年(昭和44)の増補改訂版)
目次:短刀図鑑 鎌倉時代 銘 備州長船住影光 元享三年三月日
ページ数:72、73

概説書

『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 上杉謙信が愛した刀
ページ数:156~161

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:謙信景光
ページ数:61

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 備前国長船 景光 謙信景光
ページ数:219