山姥切長義メインの短編連作集(オムニバス)
これまでは舞台は大体研究史知らなくても、長義くん周り以外はなんとかわかるんじゃないかって感じだったんですが、今回から本格的に研究史知らないと何がなんだかピンと来ないだろう内容に入ってきた気がします。
1.「あまねく」「伝える」物語
そもそも「あまねく」「刻(時)」って何さ。
「あまねく(遍く)」は「広く」「一般的に」「すべてにわたって」という意味なので、普通「時」と言う言葉には使わない表現ではないかと思います。
十口伝、内容は色々な観点で見てもとても面白い話でしたが、初見感想では一言で言い表すのが難しい話だなという印象でした。
しかし、一度全体の流れを振り返ってどうまとめるか考えた感じ、一番重要だろう部分はやはり今回の短編連作集の主役である山姥切長義がこのタイトルに繋がる言葉を口にした部分ではないかと思いなおしました。
「あまねく刻の遥かまで届くように」
劇中で展開された三つの物語は、
大典太光世とソハヤノツルキにまつわる死の物語
北谷菜切と笹貫にまつわる流れゆく時間の物語
七星剣と小烏丸にまつわる生の物語
生の物語と死の物語に関しては生も死もお互いにお互いを内包しているような感じでしたが、間に挟まる「流れゆく時間の物語」が若干異質なのが鍵かなと。
偽太陽神の言葉、「長年の時の中で刀として朽ち果てた」と。
つまり、「時間」とは、本質的には「滅ぼすもの」なんでしょう。
この世に永遠はありえないから。
琉球王国を滅ぼしたものと言うと現実的には色々な要素を挙げられますが、十口伝のテーマ的には「時間」のもたらす滅びを強調したいのかなと思いました。だから、琉球の歴史の終わりまでを圧倒的な速さで過ぎる時間として見せてみた。
「いくさ代も終て みろく代もやがて 嘆くなよ臣下 命ど宝」
逆に考えれば最後の琉球国王・尚泰王の台詞(ただし創作上の)のように国が滅びても「命こそ宝」と言う通り、命ある限り諦めてはいけない、という話だと考えられます。
刀剣男士にとっての命こそが、物語。だからどの物語が欠けても自分は自分でいられなくなるけれど、一方で、物語が伝えられる限り、存在できる。例えそこで折れてしまったとしても。だから。
鎌田「私の果たすべきことは 刀剣たちの物語を伝えていくこと」
長義「ああ 頼んだぞ 俺たちの物語を あまねく刻の遥かまで届くように」
あまねく伝えて。刻の遥か遠くまで。
人が物語を伝えていく限り、存在できる。
これが山姥切長義・極の物語と結びついている。
「あまねく」がかかっているのは「刻」というよりこの劇中で示される「伝える」の方か。
物語はやはり人が伝えるもの。原作ゲームの長義くんの極修行もかなり「人」要素に依拠した内容だったとしか言いようがないので、それも合わせて考えると、
人が刀を愛し、人が刀の物語を伝えることによって、刀剣男士は存在できる。
だからこそ刀剣男士は歴史を守る。人を守る。
と、この辺りが話の中核かなあと。
まあ話のテーマを端的に抜き出すのは読み手の個性を最も反映する部分なのでその作業は個々人でやってもらうとして、ここではざっくりとあくまで軽い考察に入りましょう。
しっかりとした考察を出す気力はないよ!
(今回調べなきゃいけないもの多すぎて面倒&沖縄の方言わからなすぎ問題)
2.架空の刀剣学者「昭和20年の鎌田魚妙」
2-1.「鎌田魚妙」という名前自体は江戸時代の刀剣学者が存在する
視聴前に公式サイトであらすじをチェックしていなかったので開始5分でスーツ姿の人物が「鎌田先生!」と呼ばれていて「???」になったマヌケはわたくしですどうも。
まずはその混乱のもと、「鎌田魚妙」という実在の人物である江戸時代の刀剣学者についておさらいしましょう。
鎌田魚妙(1727~1797)がいつ頃の人なのかに関しては、刀工・水心子正秀と面識がある、と考えるとある程度イメージが掴みやすくなるような気がします。
若かりし頃の水心子正秀が当時すでに刀剣の鑑定で知られていた鎌田魚妙に自作の刀を見せたところ「折れやすい」と指摘されたというエピソードが知られています。
『川越閑話 (川越叢書 ; 第1巻) 』(データ送信)
著者:岸伝平 発行年:1954年(昭和29) 出版者:川越叢書刊行会
目次:鎌田魚妙と水心子正秀
ページ数:48~50 コマ数:32、33
鎌田魚妙の著書として、『慶長以来 新刀弁疑』という刀剣の研究書が知られています。
刀剣の「古刀」「新刀」という分類に関して、「新刀」の定義は「慶長時代以降に打たれた刀」と一般的に言われているのはこの本の定義も一つの理由になっているようです。
新刀の定義自体はもうちょっと色々な理由があるので割愛しますが、鎌田魚妙は慶長以来、大体江戸時代が始まってから台頭してきた刀工たちの刀を「新刀」と呼んで研究を進めた人です。
刀剣の研究書を読むと鎌田魚妙の名、そしてこの『新刀弁疑』や『本朝鍛冶考』などの刀剣書の名はよく出てきます。
と、いうわけで「鎌田魚妙」という名は、もともとこの江戸時代の研究家のものです。
十口伝に登場する「昭和20年の鎌田魚妙」は、この江戸時代の研究家にあやかって同じ名をつけられたという架空のキャラクターです。
物語的によくできているとか、実際に昭和20年に実在した刀剣研究者を登場させるのは流石に無理じゃないかな(ご家族が健在)とかの事情は色々考えられますが、あの「鎌田魚妙」に関してはこうした背景をきちんと理解していないと江戸時代の「鎌田魚妙」の話と混ざってややこしくなりそうなので、とりあえずは江戸時代の「鎌田魚妙」さんについて触れておきましょう。
2-2.昭和20年は1945年(敗戦直後)という時代、刀剣接収騒動の影
劇中でも冒頭で触れられていましたが、あの時代は昭和20年。
つまり日本が第二次世界大戦で敗北した終戦直後、1945年ですね。
深い説明はされていませんでしたが、「刀剣接収騒動」に関して軽く触れられていました。
「武器となる刀剣類を引き渡せと」
戦後の日本では、実際にGHQが刀剣をただの「武器」として全部廃棄しなさいと言う命令を出しました。
その時、当時の刀剣の研究者や愛刀家たちが日本刀を歴史と文化に基づく「美術品」として残すよう訴えかけて、アメリカ側の理解者と協力してなんとか日本刀を守ったために、今私たちが美術館や博物館で鑑賞できる名刀や、個人が美術品や記念品として所持している刀が残っているという歴史があります。
これに関して知らないという方は、手間でも一度「刀剣接収騒動」で検索して背景事情を調べた方がいいと思います。
日本刀が現代に残っているのはただなんとなくそこに存在しているのではなく、一度は敗戦国に不要な危険な武器として全て処分されるはずだったところを、必死で守るために行動した人々の力があったからなのです。
さて、十口伝の時代設定の話に戻ると、時代がはっきりしているならば、現実の歴史を知っているとこの「昭和20年の鎌田魚妙」という研究者が、完全オリジナルキャラなのか、それとも誰か実在の研究者にモデルがいるかを判断できるということになります。
一応結論としては、この時代に活躍している研究者ということでポジションのモデルとして思い当たる人はいるんですが、こういう性格と行動の研究者はおそらく実在しないので、ほぼ完全に架空のキャラクターという判断でいいと思います。
2-3.昭和の有名な研究者との性格の相違
戦後の刀剣接収騒動辺りに活躍していた研究者の代表的な人物と言えば、真っ先に名が挙がるのは本間薫山・佐藤寒山両氏だと思われます。
薫山先生と寒山先生は親戚同士です。
ただ、性格の話をするなら本間薫山先生は逸話に関する興味があまりなさそうなんでまず除外していいかなと思います。
本間薫山(本間順治)氏は日本美術刀剣保存協会の二代目会長で、一般的には刀剣接収騒動の時に日本刀を守るために活動した人物として知られています。
研究書もいくつか書いていますが、鑑定家としての活動の方が有名なのかな、ある時期からは研究書関係は薫山先生と寒山先生の連名になっていますが、内容を書いているのは大体寒山先生の方です。
このお二人は、私のように山姥切長義・山姥切国広を調べている界隈の審神者ならば「山姥切国広の再発見に関わった人物」として記憶していると思います。
国広の再発見を知らせる『堀川国広とその弟子』を読むとよくわかると思いますが、山姥切国広の鑑定をしたのは本間薫山先生ですが、その内容を書き記しているのは佐藤寒山先生です。
だから、我々が知る「山姥切長義」の名と逸話を改めて創ったのは佐藤寒山先生だと言っても過言ではない。
とはいえ、今回十口伝に登場した「昭和20年の鎌田魚妙」が寒山先生っぽいかというと割と違うなって感じなので、鎌田先生のモデルは寒山先生でもなくまぁ、多分オリジナルキャラクターですね。
鎌田先生のどこが寒山先生と違うかと言えば、「研究史に対する認識がその頃の研究者より正確過ぎる」ところではないでしょうかね。
十口伝の鎌田先生の認識は山姥切国広・山姥切長義に関するものこそ当時に合わせているようですが、研究史の全体的な知識としては他の研究者の見解も取り入れている形なので、総合的には見解が新し過ぎる気がします。
寒山先生の山姥切国広に関する認識はもうちょっと緩かっただろうからこそ国広の逸話が忘れられて長義の逸話が生まれたんだろうし、ソハヤの関する意見なんかは寒山先生じゃなくて福永酔剣先生のものなので、結論的にはそういう要素を拾いつつもとうらぶ側でそれらの研究者とは明確に違う性格・人格を与えたとうらぶオリジナルキャラとなります。
寒山先生であればある意味「山姥切長義」という名前の生みの親に長義くん自身が会いに行っているという話だったかもしれませんが、どうも違うようです。
2-4.ソハヤノツルキと和泉守兼定(之定)に関する見解
ソハヤノツルキが和泉守兼定(之定、歌仙作った刀工)ではないか、という見解なのは寒山先生より年下で、こちらも昭和を代表する研究者の一人である福永酔剣先生の方です。
ネットなどで簡単に調べる限りでは刀剣の話の出典として挙げられる名前は、だいたいこの「佐藤寒山」先生か、「福永酔剣」先生のどちらかでしょう。それだけこのお二人が刀剣研究の大家だということになります。
私も基本的にはこのお二人の本から引いた情報が多いです。
ただ、あくまで著書の多さが基準なので、鑑定家としての活動に専念して研究書を出さないタイプの先生の情報は私にはよくわからないっすね。
刀剣の本を読んでいる人と、愛刀家として実際に刀剣に触れている人の前提は大分異なると思います。
「妙純傳持 ソハヤノツルキウツスナリ」の銘に関しては寒山先生は室町時代のものだといい、酔剣先生は更に「和泉守兼定(之定)」だと言っています。
寒山先生の見解だとソハヤはあくまで三池伝太光世の作品で切付名だけ後世に入ったものだということになりますが、酔剣先生の見解だとソハヤ自体が三池伝太光世の作品ではなく、それを本歌とした之定作の写しなのではないか? という説です。
酔剣先生の説をとるとソハヤに関する話の前提がまるっきりひっくり返ってしまうのですが……。
残念ながらこれに関して他の研究者が細かく突っ込んでいる資料は見たことないのでなんとも言えないっす。
とりあえずこの点からだけでも、「昭和20年の鎌田魚妙」先生は、実在の研究者をそんなにはっきりとモデルにしているとはいいがたいです。実在の研究者の見解を盛り込んで、実在しない性格を作り上げていると捉えることができます。
2-5.研究者と刀剣の物語
寒山先生と酔剣先生が刀剣研究の大家ならシンプルにお二人を混ぜたタイプの人ってことじゃダメなの? という見方もあるかもしれませんが、それも違う感じなんですよね。
研究書で刀剣の逸話を残しているので寒山先生も酔剣先生も逸話が好きな方ではあると思いますが、刀剣の物語を後世に残さなければならないという使命感を持っている、十口伝の鎌田先生の性格とは重ならないと思います。
刀剣接収騒動のこともありますが、現実の研究者が残したがっているものはやはり刀剣そのもの。
刀剣本体に関する研究の方が熱心で、逸話に執着するタイプはあまりいないかと。
酔剣先生は自分の知ってる知識は全部ずらずらっと並べるタイプですが、逆に言えばその検証も熱心にするので、十口伝の鎌田先生のように逸話の揺らぎまで積極的に肯定するタイプともまた違うんじゃないかなと。
十口伝の鎌田先生の性格というのは、「刀剣乱舞」の物語が存在することがまず大前提に見えます。
とうらぶの価値観で作られた人格なので、刀剣そのものへの執着より「逸話をどうしても後世に残さなければ」という使命感で動いています。
実際の戦後の研究者というのはとにかく刀剣接収騒動への対応に追われていて、刀剣の逸話にまで気を配れるほどの余裕はなかったんじゃないでしょうかね。
逸話に関して調べようとか残そうとかそこまでいかずとも面白い逸話を紹介しようとかそういう考えなのは、がっつり鑑定を行う実際の研究者よりも、我々のようにむしろ実際の鑑定はできず、逸話の方に興味を持って調べている素人の方がある意味熱心なのではないでしょうか……。
「昭和20年の鎌田魚妙」という存在は、あくまでも架空のキャラクターとしての刀剣研究者。
いうなれば、「刀剣の物語に対する人の愛」を具現化したような存在だなと思います。
3.死の物語、御様御用の山田浅右衛門
3-1.吉睦の辞世の句
短編連作の一つ目は、刀剣関係を調べると必ず出てくる名前、江戸の試刀家、山田浅右衛門の話。
それも有名な5代山田浅右衛門吉睦の頃ですね。
山田浅右衛門の名は代々受け継がれていますが、5代吉睦は『懐宝剣尺』や『古今鍛冶備考』などの著者として知られています。
(『古今鍛冶備考』は正確には著者の一人だとか、浅右衛門だけじゃなく朝右衛門と名乗ったとかそういう細かい話はちょっと置いておきます)
登場する刀剣男士の研究史に関してはそろそろ説明も面倒なので「刀の事情」のページを読んでもらうとして、山田さんちの話。
「蓮の露 集まれば 影やどるべし(山田浅右衛門吉睦の辞世の句)」
劇中で使われた歌は吉睦の辞世の句だそうです。
蓮は天上や人間の比喩としてよく使われますし、露は人の命が「露と消える」という表現をよくされます。
それら蓮の露として一つ一つは儚く消えていった命でも、集まればそこに「影」が宿る。
私はまだ山田家のことをよく知らないのでなんとなく察する程度ですが、山田家の歴史を知れば知るほど、この俳句の意味が染みるようになるんでしょうね。
役目として人を斬り殺し続けた、吉睦が背負う影の存在を……。
「影」は舞台では「朧」こと「朧なる山姥切国広」が「山姥切国広の影」と呼ばれている、原作ゲームだと天保江戸の敵や刀剣男士同士の回想で治金丸が自らを「影」とたびたび称しているなど、重要ワードの一つです。
まだ資料本読まずにざっとした評判だけ調べてこの文章書いてしまっていますが、山田家が死体にまつわるあれこれをやっていたのはほぼ舞台の説明通りのようですね。
山田丸こと肝を使った霊薬の話とか、フランスの死刑執行人の一族・サンソン家との比較など割と有名な話のようです。
山田家に関する本の紹介文とかでほぼ劇中の説明通りのことが書かれていますので。
そんな御様御用(おためしごよう)の山田家、それも初代以来の名人と言われた5代吉睦。
とはいえこの吉睦と大典太・ソハヤの物語に関しては考察も何もなく大体描かれているままの話じゃないですかね。
山田家はお役目として人を殺す、時には罪なき人もいたかもしれない。それでも役目だから斬る。これが刀剣男士と同じだと。
刀剣男士の役目がそういうものであること自体は、原作ゲームから舞台・ミュージカルなどのメディアミックスでもこれまでさんざん描かれていると思います。
影の声に「浅右衛門よ首を斬れ 己が首を斬るのだ お前はそれを望んでいる」と言われた時に浅右衛門が返した「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」は「諸行無常偈」として知られており、「いろは歌」はこの偈を訳したものだそうです。
雪山童子(お釈迦様の前世)が雪山で食人鬼である羅刹鬼にこの偈を聞くために自らの命・肉体を捧げようとしたというあれですね。
この真理の教えのためには自ら食われようとする姿勢の話もなんか重要な気がする。
3-2.怪異にも病にも怖れられる大典太さんの話
毎回思うんですが、とうらぶの刀剣に関する評価部分は現実の評価通りというよりは、「刀剣乱舞」の物語用に割と加工された認識ですね。
原作ゲームだと石田正宗辺りが顕著ですが、刀剣男士は基本的に「ないものねだり」だと思います。
一面で高い評価を得ていても、他の部分を見てもらえないとその部分に悩みを抱える。傍から見れば、充分に高い評価を得ている名刀であっても。
大典太さんも名刀としての評価・扱いに関してはこれ以上の刀を探す方が難しいレベルの刀ですので、その辺が顕著。
今回十口伝によって改めてちょっと疑問が浮かんだんですが、「怪異も病も俺を怖れる」という大典太さんの物語は何が中核なのかよくわからないなと。
怪異だろうが病だろうが俺は払える! ならわかるんですがね。怪異にも病にも怖れられている自分を嘆くとはどういう心境なのだろうと。基本的にいいことだろうそれは……。
その誰も触れられない大典太光世に今回触れたのが、「影」を背負って生きることを決意した山田浅右衛門吉睦。
怪異も病も俺を怖れる……逆に言えば、怪異でも病でも触れて欲しかったと言うことになるのではないか。
では「怪異」や「病」が指すものは何か。
怪異は「化け物」でとらないと難しいですが、「病」に関しては舞台でもちょこちょこメタファーが使われています。
わかりやすいところだと沖田総司の病辺りですが、地味に綺伝の歌詞で「病葉」と言う言葉が出てきたりしていますので、これはメタファー「病」でしょう。ミュージカルを探すなら秀吉の子・鶴松の死なんかも「病」関連と見ていいかと。
この感じだと「影」が多分「病」もしくは「怪異(化け物)」に近い存在なのだと思います。
「朧」や「鵺」、ミュージカルの方の一期一振の影打こと「カゲ」など、それらの化け物に近い存在は刀剣男士に敵対的姿勢を時に見せますが、一方で「鵺」が三日月を誘うように、彼らと刀剣男士はある意味で惹かれ合っている。
大典太さんは修行で豪姫の元気な姿を見て、「病」への執着を断ち切ったように見えます。
刀剣男士の極修行は、どの男士も自分の中の執着を自覚して断ち切り、今までとは別の方向性の力を認めるようなものだと思われます。
沖田君を忘れるよ! の大和守安定みたいな極は何と何を天秤にかけたのかわかりやすかったのですが、もしかして大典太さんは「病」と「豪姫」に象徴される要素の二択だったのでは。
怪異も病も俺を怖れると言う嘆きは、怪異に、病に、自分に触れて欲しかったという嘆き。
大典太は本当は「病」を欲していた。けれど、自分の霊力で救った豪姫の姿を見て、「病」を欲することをやめた。
そのように考えられます。
構造的には整理されてきましたが、メタファー「病」の意味するものが明確でないのでまだ大きな疑問が残りますね。
十口伝の吉睦関係のように、求めている評価が武器としての評価、刀としての切れ味であることの方はわかりやすく、また原作ゲーム直近の内容である山姥切長義極とも連動した内容だとは思いますが。
3-3.写しで霊刀、ソハヤの物語
ソハヤに関しては今回はそんな印象的な動きはなかったような気がします。いや俳優さんの動きとかそういう話ではなく。
ソハヤもそれなりに出番がある割にはあまり中核がはっきりしないなと。
写し要素が山姥切国広と共通するならやはりメタファー「人」に近い存在と考えられるので、吉睦の生き方と自分たち刀剣男士の在り方が同じだと判断したのが重要なところでしょうかね。
上で浅右衛門と「諸行無常偈」の話をしましたが、浅右衛門がこの偈を口にして影に食われそうになった(自ら死にそうになった)時に駆け込んで「あんたが咎人だと言うなら俺たちだってそうだ」と主張したのが今回のソハヤのハイライトな気もします。
ソハヤが江戸幕府を鎮護する刀だという来歴の下り、罪人の胴を斬って切れ味を試したという話は、『徳川実紀』だの『明良洪範』だので誰でも確認できます(研究史のページに出典載せてます)。
十口伝はこれらの来歴や逸話がぱぱっと浮かぶ方が面白く見れる気はしますが、知っていたから人より考察が進むかというとこの辺はそうでもない感じですね。
そろそろ個々の刀剣男士の造形に関してもう一段深く考察しなきゃならない段階か。
3-4.無実の「弟」
吉睦に斬られた罪人が実は濡れ衣をかけられただけの無実の男だったと、その兄のごろつきが訴えてきます。
「兄」と「弟」のメタファーは舞台でもミュージカルでもおそらく他のメディアミックスでもこれまで何度も何度も強調されてきた要素の一つです。
ミュージカルだと「静かの海のパライソ」では弟を庇って兄である名もなき少年が死にますし、「花影ゆれる砥水」でも秀吉は弟の秀長が死んでからますます暴君として手がつけられなくなっていく描写があります。
もっと前の話で「幕末天狼傳」の時に近藤さんが土方さんたちにお前たちは弟のようなものと説得していた場面があったような気が(うろ覚え)。
舞台だと天伝で一期一振が弟がいるからこそ兄でいられるという話をし、では兄ではない自分は何なのかと悩む場面があります。ミュージカルの「花影ゆれる砥水」でも共通する一期の基本テーマですが。
「兄」と「弟」の関係は、とうらぶの基軸の一つだと考えられます。
また、この無実の「弟」が斬られた原因の「夜鷹」とは、江戸時代の「売春婦」の女性のことを指します。
「まぐわった相手を殺して身ぐるみ剥ぎやがる女がいる」
さらっとエロい話をしていますが、舞台では禺伝を女性俳優オンリー舞台にするほど「女性」が鍵の一つでしょうから、多分これも何気に重要な情報なんでしょうね。
具体的にどことどう繋がるのかはまだ見えませんが、名もなき兄弟の弟と交わり、殺して身ぐるみを剥ぐ「女」の存在。
ちょっと気に留めておきましょうか。
4.流れる時間の物語、琉球への放浪
沖縄の方言難しすぎ問題により、スーパー憶測タイムが始まります。
琉球の歴史に疎い……むしろ歴史なんて全部苦手なんですけど!? という人間の色々調べながらのまとめです。
琉球の歴史に関してはそれこそ千代金丸・北谷菜切・治金丸に関して国立国会図書館デジタルコレクションをぐるぐる漁っていると何度も見る名前が出てくることがあるので、調べたい人はその辺を探すと良い資料あると思います。
4-1.「正統二年 琉球 伊是名島」の「思徳金(うみとくがね)」こと「金丸」
「金丸」だけ聞き取れたのでこの時期の「金丸」ってだーれ? って検索かけながら見てたら「尚円王」じゃねーか! ってなるあのシーン。
その後で北谷菜切たちが説明してくれますが、琉球王国の第二尚氏王統の初代国王です。
北谷菜切と笹貫が見ている凄惨な光景は、この王朝がクーデターから始まった辺りの光景のようです。
ほとんど台詞が聞き取れなかったので起きていることとニュアンスしか読み取れませんでしたが、初っ端で「尚徳王が薨去されたんで王子が後を継ぐのは当たり前」みたいなことを言っていたようなので。
自分のために今度読む本をメモしておきますが、デジコレのデータ送信にいい本がありますね。
『沖縄の歴史 6版』(データ送信)
著者:比嘉春潮 発行年:1965年(昭和40) 出版者:沖縄タイムス社
目次:三〇 金丸の出世、三一 第二尚氏興る
これによると、前王朝最後の王、尚徳王が死んだあと、その五歳の王子が後を継ぐことになりましたが、尚徳王が暴虐非道であったために、臣民や諸按司が反対し、王子を廃して金丸を王にするためのクーデターを起こしたそうです。
もともと金丸は出世して、尚徳王の父親である尚泰久王に仕えていました。
劇中で「おものぐすく」という台詞がありましたが、「グスク」は「城」のことですのでこれは「御物城」。
金丸が「御物城御鎖側官」に任ぜられ、外国貿易と那覇の行政を管理する重要な職についたことを意味しているようです。
その後、尚泰久王が死んで息子の尚徳王の時代になりました。
金丸はこの尚徳王にも仕えていましたが、尚徳王が他人を思いやらない行動を取った時にたびたび諫めていたそうです。
しかし、尚徳王は金丸の進言をなかなか聞き入れなかった。
クーデターが起きた頃の金丸は、尚徳王に見切りをつけて自分の領地の内間に引っ込んでいました。
クーデター自体は金丸の知らないところで行われ、群臣に後から推戴された形になります。
貴族廷臣はクーデターの際に我先にと逃げ出しましたが、王妃と乳母は幼い王子を抱いて城内の森に逃げましたが、兵たちが探し出して殺してしまった。
これが、笹貫と北谷菜切が見ていた、子どもが殺されるシーンの背景事情のようです。
金丸は臣下として主君の地位を奪うのは忠義ではないと王位を拒否しようと逃げ出しましたが、群臣は金丸に王になってくれと乞うてやまなかったので、最終的に王になります。
4-2.尚寧王と尚豊王(思五郎金(うみぐらぁがに))、そして島津氏の琉球入り
『沖縄の歴史 6版』(データ送信)
著者:比嘉春潮 発行年:1965年(昭和40) 出版者:沖縄タイムス社
三八 島津氏の琉球入り
三九 琉球入り直後の沖縄
上の本にこの辺の時代のことも載っていましたので再び参考に。
尚寧王って島津の琉球侵攻の頃の王様じゃーんってなるとああああってなるこの時代。
王様の代とか童名(これが北谷の言うわらびなー)はもうググってWikipediaで調べるのが楽ですね。
第7代 尚寧王
第8代 尚豊王
えーと何々、尚豊王はもともと5代国王尚元王の三男の尚久・金武王子朝公の四男で、始め「佐敷王子朝昌」と称したと。これが「さじきおうじちょうしょう」の字か。本当にこういう名前だったのかこの人。その童名が「思五郎金(うみぐらぁがに)」ですね。
彼らの時代に、琉球王国は日本に侵攻される。
1609年、琉球侵攻の総大将は樺山久高。
つまり、笹貫を所有していた樺山家の人です(樺山家は薩摩国島津家の分家)。
島津家の目的は、琉球王国が中国と行っていた貿易の利益を手に入れることだったそうです。
尚寧王は捕虜として鹿児島へ連れられ、駿府で徳川家康に謁見し、江戸で2代将軍・徳川秀忠にも謁見してから鹿児島へ戻り、ようやく琉球へ帰ったと。
北谷と笹貫が見た尚寧王がどこかへ行ってしまう光景は、日本に連れられて行くシーンでしょうね。
4-3.偽りの太陽の神と、時のもたらす滅び
時間の流れがもたらす滅びに関しては冒頭でやりましたので割愛します。
しかしその話は、おそらくこのエピソードの敵が「ティダ」という琉球神話の「太陽神」の姿をとっていた意味と繋がってくる。
「ティダ」「ティーダ」と呼ばれる琉球の「太陽の神」。
舞台では「太陽」「日」にまつわるメタファーが強調されていることを考えるとここ重要だなと。
「慈伝 日日の葉よ散るらむ」も鶯丸の台詞で「時の落葉を止めることはできない」と示した、「過ぎゆく時間」の物語で、「太陽」というメタファーが密接に関わっている。おっとぉ?
つまり「太陽」こそ、「過ぎゆく時」の象徴であり、「滅びをもたらすもの」とも言える……?
あの本丸の初期刀・山姥切国広は三日月から「煤けた太陽」と呼ばれていて、その分身たる「朧」は三日月を救うために物語を集めている。つまり滅びに抗っている。
この辺ちょっと私がまだ単独行を見れていないので話の整理があやふやですが、国広が朧と分離している時点で、朧とは主張が相容れないということになる上に、そもそも悲伝で三日月自身が国広と戦って滅びを求めているわけだから……
山姥切国広=太陽=過ぎゆく時の象徴=滅びをもたらすもの
で、イコールで繋いじゃってもそれほど違和感はないような気がします。
4-4.食事の物語
食事の場面は、舞台よりむしろこれまでミュージカルでよくあったテーマだと思いますね。
ミュージカル側「葵咲本紀」とか「静かの海のパライソ」とかでよく民草と食事の話をしていたと思います。
これまでのそうした場面は食べるものを得られない苦しみが基盤となっている演出、食物をめぐっての争いを背景にしていたのでまあなんか、不穏な比喩だなと。
敵を斬ること、物語として殺すことを刀剣男士は「食う」と表現している。
食う、食事は相手と殺し合う運命の比喩。
ただ、今回の舞台だと食事を与える行為や料理がメタファー「優」、つまり「優しさ」と結びついているようですが。
思五郎金(うみぐらぁがに)こと尚豊王が与えてくれた食事、その満腹感があったから、ニライカナイの幻を見抜けた。
北谷菜切の主張から再度「食事」、「食べ物」のメタファーについて考えよう。斬ると食うと呪いの話。
我々審神者は刀剣男士に敵という物語を殺させて食わせているわけですが、今回の舞台に置いても北谷菜切と笹貫の二振りが食べた食事が鍵。
過ぎ去る時間がもたらす圧倒的な滅び。その先の楽園、ニライカナイの幻。
それを見抜く切っ掛けが与えられた食事だと言うのなら、今まで刀剣男士の食ってきた物語こそが、流れる時間のもたらす滅びを打ち破る手立てだと。
朧(国広)がひたすら「物語をおくれ」しているのと原理自体は同じだと思います。
朧の場合は自主的な回収で、今回の北谷菜切と笹貫はあくまで人である尚豊王に与えられたということが重要なのかもしれません。
4-5.鬼と花、笹貫と北谷菜切
北谷菜切と笹貫に関してはメタファー関係の考察で何回か書いたと思うんですが、北谷菜切は回想のタイトル(其の93『兄の影として 花』)やモチーフから「花」、笹貫は治金丸との関係性や大慶との回想(其の151『鋼の先に』)で「鬼のような薩摩隼人」という表現が使われていることから「鬼」のメタファーを担当している関係だと思います。
ということでこの二振りの組み合わせは「鬼」と「花」。
天伝の真田信繁と豊臣秀頼の関係とある意味同じではないかと。
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたり鹿児島へ」
そういえばこれも鹿児島のわらべ唄か。
「北」という漢字には「逃げる」という意味があり、北谷菜切は自分の逸話を創作だとはっきり否定するタイプの男士。
そして今回劇中でも破壊台詞が出ましたけど、見たくないものから目を背けているらしい。
「逃げる」というメタファーはどうやら「友」に関係し、「朧」にも通じていることが最近なんか徐々に明らかになってきた感じですが、原作ゲームの対百鬼夜行迎撃作戦で登場した朧三日月の発言からするとこれらの要素は「鬼」とも関連がある。
天伝で秀頼と信繁の二人は己の運命から逃げられなかったわけですが、あの二人が無事に逃げられていたら辿る旅路はこのようなものだったのかもしれませんね。
「鬼」と「花」の物語の裏側は。
とはいえ、今回の「鬼」と「花」はあくまでも笹貫と北谷菜切であり、逃げると言うよりは役目を果たし戦うことを選んだ物語。
笹貫の逸話は、失敗作だと藪に捨てられても、水の中に捨てられても戻ってくるというもの。
この逸話自体はまあ創作だろうといういつものあれですが、二度捨てられても戻ってくるという要素はかなり特徴的です。
特に今回は舞台だけでなく次のミュージカルでも笹貫が出演することから、なかなか代わりのいない役割ではないかと思います。
北谷菜切と笹貫は元主のことを考えると琉球王家と琉球に侵攻した島津家分家で侵攻の総大将だった樺山家の刀という敵対関係があるんですが、少なくとも本丸の刀剣男士としての彼らの関係はここに触れるより大事なものがある。
「笹貫と一緒なら本丸に戻れるような気がするから」
一振りでは不安だけれど、二振りで支え合っているからこそ、どんなに永い時に隔てられてもきっと、帰るべき場所へと帰れる。
メタファー「鬼」に関しては三日月絡みで「月」やら、綺伝の細川夫妻が示した「鬼と蛇」やらまだ色々あるわけですが、とりあえず「鬼と花」に関してはこの二振りを基準としていいなら割と穏やかなもののようです。
5.生の物語、親鸞聖人の生涯
5-1.親鸞聖人の激動の生涯
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
(浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が詠んだと伝わる和歌)
本編でも刀剣男士たちが大体解説してくれていますが、とりあえず冒頭のこの歌は親鸞聖人が9歳の時に詠んだという伝説の歌ですね。
改めてざっくり確認すると、そもそも十口伝の小烏丸と七星剣を通して語られた親鸞周りの事情の要約がめちゃくちゃ端的にわかりやすくてあまり補足するようなこともなかったわ。純粋に脚本が凄すぎる。
法然と親鸞はみんな一度は社会・歴史の授業で仏教の偉い人として名を聞く人物ですね。
法然は浄土宗の開祖。
親鸞は浄土真宗の開祖。
親鸞は法然の弟子なんですが、師匠の法然の教えを受け継ぎつつも法然と大きく違うところを持ち、改めて浄土真宗を開いています。
法然と親鸞に共通する思想は、浄土や念仏。
「南無阿弥陀仏」つまり、「阿弥陀仏」の名を唱えれば誰でも浄土に行けるという考え方、「他力本願」の考え方です。
この考え方を理解するには、まず鎌倉時代という「末法」の世と、仏教の変遷についてちょっと押さえておく必要があります。
私の説明はかなり雑で間違っているところが多々あると思いますので興味ある方はご自分で本読んで調べてください。
我々からすると鎌倉時代は大分昔の話ですが、紀元前のインドでお釈迦様により始まった仏教的には、鎌倉時代はお釈迦様が亡くなってから大分経つ世界、「末法」と呼ばれるこの世の終わりだとされていました。
実際、この頃の日本は様々な戦が起き、武家政治が始まり、飢饉や疫病なども引き起こされ、人々の心は救いを求めていました。
法然や親鸞のように鎌倉時代の仏教関連で名を残した人々と言うのは、そういう大きな苦難に直面している世界を実際に目にしながら生まれ育ち、そこで生きたため、人々の救済というものについて真剣に考えています。
仏教のように外国から入ってきた思想や教えというのは、まずは身分の高い人たちのものであるというのが常なんですよ。
そういう思想を受け入れるにも教養が必要で、この時代の庶民にそんなものはない。もともと与えられていない。
だからある程度生まれ育ちの良い貴族以上の階級の人々がまずその思想を国に持ち込んで庶民にまで広める。
日本に仏教を広めた存在と言えば聖徳太子。七星剣の元主ですね。
親鸞は特に、その聖徳太子を厚く信仰していました。
そして同時に、自己を内省しながら人々を救うために、これまでの仏教の流れとは別の教え、法然の思想に影響を受けて師事するようになる、と。
仏教の高度な教えなどというものは、出家して修行に専念するような身分の高い人、生活に余裕のある人間しか得ることができない。
だからと言って比叡山のような場所で修行している人々にもやはり清廉潔白なタイプもいればそうではないタイプもいて、真面目な修行者で比叡山の教えに疑問を持つ僧というのはやはりいたようです。
真剣に修行しなければ救われることがないと言うのであれば、この世で例えば農業や商売など、人々が生きるための仕事をこなしている多くの一般の人々は救われないことになる。
この点に引っかかる仏教者は、それまでの仏教の教えとは別の解釈を探していく。
仏の救いとは、もっと深淵で慈悲深いものではないか。
法然や親鸞が辿り着いた答えが他力本願、「南無阿弥陀仏」と一心に念仏を唱えれば、阿弥陀仏の力によって誰でも救われる。いずれ浄土に生まれ変わることができる。
これは、仏教を信仰のベースにしてはいても、死後の救済を得られない層から支持を集めます。
しかしその流れには、当然、これまで通りの仏教の教えを信じている勢力からの反発を招き、弾圧されます。
劇中で「流罪」がどうのという話をしているのはこの辺りです。
後鳥羽上皇が熊野参詣で留守にしている間に、上皇が寵愛している官女二人が、別時念仏会への参加を切っ掛けとして出家した。
これが後鳥羽上皇の怒りにふれ、法然と親鸞を含む弟子たちが死罪・流罪となります。
法然と親鸞を含む弟子7人が流罪。
弟子の内4人は、死罪となりました。
末法の世で困窮する人々の真の救いを求めた僧侶たちの末路が流罪、一部の人々は、死罪まで。
まさしく絶望です。
私の手元の本、『仏教の思想』というシリーズなんですが、これの親鸞について解説した巻の副題は「絶望と歓喜」です。
親鸞は幼少期からずっと仏教の世界にいた人です。
小烏丸が劇中で詠んでいた歌が9歳の時のものとされているように、9歳で得度してから29歳まで比叡山でずっと修行していたと。
そこからこれも劇中で触れられていた六角堂での「百日参篭」により夢で聖徳太子のお告げを受け、その頃新たな仏教の流れを生んでいた法然上人に弟子入りすることにした。
しかし、法然に師事していた時代に、親鸞も法然と同じく処罰を受けて流罪の目に遭う。
それでも信仰は捨てず、流罪が解かれた後は、東国で布教活動に専念したと言われます。
その後は老年になってから故郷である京都に帰ったと。
親鸞の生涯は大体この4つの時期にわけられるそうです。
ずっと仏教一筋の人生だったわけですね。
その一方で親鸞は、妻帯や肉食を行っていたことも知られています。
偉いお坊さんと言えば女性には決して触れず、また食事も肉を食べないというイメージがありますが、親鸞のこれはどういうことかと。
師匠の法然とはここが大きく違うところです。
親鸞周りの事情は明らかになっていないことが多くまあいつもの「諸説あり」ではあるんですが、妻帯し、子どもがいたところまでは事実で、後半生では息子と教えに関する見解を分かち、息子を絶縁したりしています。
劇中で小烏丸が「生臭坊主とまでは言わぬが型破りではある」と評したのはこの辺り。
生臭坊主と言うと仏の教えを意識的に破って肉を食らい酒を飲み女を抱くという感じですが、親鸞はそういう放蕩って感じのあれじゃなく、どちらかというと当時のその身分の男性にしては一般的な結婚をしていたという感じです。
修行者でありながら、普通の男のように結婚し、普通の男のように肉を食って生活していた。その上で、浄土真宗の偉大な開祖となった。
ここは親鸞の特異なところではないかと思います。
素人まとめなので語句の正しさには自信がないぜ! の文章なので正しい知識をつけたい方はちゃんと御自分で調べてください。
そんなわけでそんな親鸞聖人の生涯をざっくりと思い描きながら七星剣と小烏丸の物語を見ていきます。
5-2.百日参籠、聖徳太子への信仰
比叡山を降りた親鸞は、聖徳太子の建立したとされる六角堂にて「百日参籠」という修行を行いました。
文字通り100日社寺堂に籠り、神仏に祈願するそうです。
その95日目に、救世菩薩の化身として聖徳太子が夢に現れたそうです。
そこで聖徳太子が親鸞に告げた内容が、劇中で七星剣と小烏丸が代弁したあれです。
「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」
意味は小烏丸が解説した通り、「あなたが妻を娶るならば救世菩薩である私が女性となりましょう、一生あなたと添い遂げ、命が終わる時には浄土に生まれ変わらせてあげましょう」という感じらしいですよ。
妻帯に関する内容ですね。
えー、とうらぶ上のメタファー的には色々考えたいポイントがありますが今挟むとややこしいので今回は省略。
日本の仏教において女性は穢れとかいう腹の立つ扱いですが、この救世菩薩が嫁となる云々はそれをクリアするためのあれですね。
親鸞の妻は幾人かいるとも元々妻であった女性が名を変えて生涯尽くしたとも色々言われているんですが、どちらにせよ親鸞に尽くしその歴史を書き留める役目をした女性(恵信尼)に関しては彼女の残した資料と共によく語られています。
5-3.愚禿親鸞――僧に非ず、俗に非ず――
「愚禿となろうとも 仏と共に生きてまいります」
法然上人に師事した親鸞は、上記の通り、一時期流罪となっております。
正史では法然は死罪ではなく流罪のはずなんですが、危うく死罪扱いで殺されかけたのが十口伝での時間遡行軍の改変ポイントですね。
そこから七星剣と小烏丸が親鸞を救った後に、親鸞が言った「愚禿」。
これは史実の親鸞が一時期実際に名乗っていた「愚禿親鸞」と言う言葉です。
字面は「愚かなハゲ」で、僧侶が自分を遜って言う時に使うそうです。
何故唐突に「ハゲ」の話をしているかと言えば、仏教にとって髪を剃るのが特別なことだからでしょう。
髪を剃り頭を丸めれば、見た目は立派なお坊さん。でも、中身は本当に?
見た目は立派でも、中身は全然ダメ。そういう仏教者にとっての戒めの表現として親鸞は自らこう名乗った。
流罪に関して親鸞には絶望も怒りもあった。けれど相手への非難に終始するのではなく、己を「愚禿」と称し、なおさら中身を育てねば、仏と共に生きていかねばと律することを選んだ。
妻帯し、肉を食う。仏教の教えを守っていない。けれど仏と共に生きていく。
髪を剃って立派なお坊さんの風体をしていても、それは見かけだけではないのか。
常に煩悩に振り回されている。それでも仏道の教えを信じる。
しかし彼の妻は救世菩薩が姿を変えた存在であり、死後に親鸞を浄土に導いてくれる。
十口伝で描かれている親鸞像は、どれもこうした外側の振る舞いと中身との落差の話ですね。
「煩悩を抱えながら生きようと 南無阿弥陀仏を唱えるのなら 仏は必ず救いを与える」
七星剣の言っていたこの部分が肝心。
5-4.チーム聖徳太子と七星剣の物語
聖徳太子に関しては有名なあの絵のような一人の人物が全てを成したわけではなく、現在では色々と聖徳太子像の見直しが迫られているようですね。
小烏丸が言っている「チーム聖徳太子」はその辺りの近年の研究の成果の話だろうと。
とはいえ、こういう動きは歴史上の人物に関しては珍しいものでもなく、色々なところであるようです。武蔵坊弁慶のモデルが義経に協力した複数の僧兵の話を合わせたものだと言われるように。
「聖徳太子」という「個」は、現代ではある意味で否定されている。
七星剣が赤子の幻影、「厩戸皇子」を守れず、「聖徳太子」の姿をして丙子椒林剣と自分の姿をした存在を従えた敵と戦っている部分はまあこの辺りでしょうなと。
七星剣自体が作中で「伝承寄りの刀」として説明されていること、原作ゲームの丙子椒林剣に回想其の157『太子の話』で「厩戸皇子と繋がる名と物語は、人の手によって付け加えられ、人の手によって剝がされた」と言われていることを合わせて考えると、七星剣が本来守るべき存在であるのは「厩戸皇子」なんでしょうかね。
……今、丙子椒林剣の説明文をちょっと読んで「七星剣と同じく聖徳太子佩用の伝承を持つも、巡る宇宙の中ですれ違う」であることに気づいたので、丙子椒林剣と七星剣のスタンスが立場的に逆である可能性も否めなくなってきました。
歴史にまつわる物語は生成過程で様々な情報が交じり合いドッキングしてしまう事が多く、真剣に研究した結果、もともとは別の人間の物語が繋ぎ合わさったものだと判断され、今度は解体を試みられる。
人が勝手に付け加えた物語。
人が勝手に剥がした物語。
いかに七星剣と丙子椒林剣が聖徳太子の佩用として伝承されても、それだけで厩戸皇子の物語は真実ですねと保証されるわけではない。
その物語は人の手によって剥がされる。七星剣の存在だけでは、その伝説を守り切れなかった。
厩戸皇子の伝説が耶蘇(イエス・キリスト)から来ているというのは説の一つですが、どちらかというともともとインド・中国の時点で夫人の夢に神仙が現れてお腹の子が~という伝説が多いので、そっちからではないかと考えられている感じか。
この辺はもうWikipediaでも読んでおけば何とかなるでしょ多分(雑)。
とうらぶ的には、これまでもミュージカルの今剣や花丸の大和守安定が元主に関する夢を見ている描写が随所に挟まれてきたので、今回七星剣が厩戸皇子の夢を見ているのもこの状況の一つではと考えます。
花丸の安定は清光に代わって沖田総司の池田屋出陣に持ち出される夢でしたが、今回の七星剣は刀である彼自身がのちに人の手によって剥がされた「厩戸皇子」に「名をつける」構造になっています。
意味深だ……。
もともとこれまでの考察で何度か言っていますが、舞台の「山姥切」の「名」を巡る物語は、原作ゲームだと対大侵寇防人作戦の七星剣のポジションと交換されるんじゃないかなと思います。さすがに国広が本丸に帰ってこないまま第一節完! にはならないと思うので。
本歌と写しの名と逸話を巡る物語に混乱が生じている「山姥切」、同じ名の剣が複数ある「七星剣」。
しかも対大侵寇防人作戦においては、「混」という敵は複数の七星剣が混ざり合った姿に見える。
同じ「名」を持つ複数の存在。
そして直近の山姥切長義・極に関しても、改めて山姥切の本歌と写しの物語はどちらも「人」との関わりによって左右されていることを強調してきた。
十口伝に出演したことによって、七星剣に関しては原作ゲームの対大侵寇防人作戦では描かれなかった名と厩戸皇子(聖徳太子)を巡る物語の裏側を描かれている気がします。
この辺の細かい分析はとうらぶ全体考察の時にちゃんとやる必要がありそうです。
「人」と「名」、そして、七星剣が象徴する「死」の物語。
これはちょっと一朝一夕の考察では駄目だろうなと。もうちょっと本腰入れて考える必要がある。
5-5.カラスは生と死の運び手
刀剣男士の事情や本音的なもので言うなら、七星剣より小烏丸の方がわかりづらい気がします。童子姿なのに老獪なこの父よ……。
メタファー的に刀工が「天国(あまくに)」であることや、「外敵」との戦いを強調していることが重要な気もしますが。
今回はまず七星剣とコンビで登場したこと自体が重要かなと。
これまでの考察から言って、舞台で登場するコンビ関係はかなり意味がありますよね。
上で七星剣は山姥切の二振りと表裏の存在ではないかと言う話をしましたが、それで言うと小烏丸は三日月と表裏の要素が強いんじゃないですかね。
だからこそ、悲伝で三日月の代わりに足利義輝を仏の教えによって諭す役目を果たしたのが小烏丸だったのではないか?
また、三日月と対極らしい鶴丸とは維伝でコンビとして主の密命を果たすために行動していました。
極まで見てもなかなか小烏丸自身の中核を掴むのは難しいものですが、十口伝を見た感じ直感的に大事なのは「生の物語」と題されたここで「烏もまた生と死の運び手」と説明された辺りかなと。
人の「生」と「死」は最重要キーワードで、小烏丸はそのどちらも運ぶ存在、と。
刀工の「天国」もあまくにとは読みますが、そのまま「天国(てんごく)」の比喩でしょうし。
極修行手紙も、自らを鬼か蛇に見えるだろうよと言いながら、最終的には「嘆きの先へ」と結んでいる。
……「悲しみ」が強調されている修行手紙ですね。
うん、「悲」のメタファー、悲伝の三日月と同じラインのキャラクター造形っぽいですね。
今まで小烏丸の解釈に関してあまりはっきりしなかったものが、むしろようやく考察を始められるだけの材料が揃ってきた感じか。
今回の親鸞の思想に関連すると、化身や生まれ変わりという話にも関係してくる存在なんじゃないでしょうかね。
人の魂に限らず物事は何もかも時代に合わせて変化しながら受け継がれていく。まるで生まれ変わるように。
聖徳太子の物語、厩戸皇子の物語は人の手で付け加えられ、人の手で剥がされる。
けれど親鸞聖人の生きた時代において、聖徳太子と言う存在は間違いなく心の支えとしてのちの浄土真宗の開祖・親鸞の偉業の礎となった。
その一瞬のために、彼らは聖徳太子を演じ、親鸞を導く。
阿弥陀如来が連れていくなら自分たちの出番はないと言いながら……。
6.短編連作
ソハヤと大典太は江戸幕府の守護、どちらかというと守りを託された刀でありながら江戸の死を見つめる物語となり、外敵を打ち払う小烏丸と死を刻みし七星剣、死を司る二振りは親鸞の生を見守る物語。
死と生はお互い関連があるというかまあ支え合っていると。
間に挟まる北谷菜切と笹貫の物語は、流れる時間の物語。
んー、最初はよくわからなかった十口伝の全体的な構成も、やはり一つ一つの要素をある程度追ってみてようやく外殻が掴めてきた感じですかね。
短編連作である三つの物語はどれも、刀剣男士という存在の在り方のパターンのようだと思います。
北谷菜切と笹貫の物語は、第二尚氏王統、歴史の始まりである尚円王を助けたのだからそれで良いと思ったところから始まる。
けれど二振りはその後、海の上を漂流することになり、時間の流れがもたらす滅び、潮風による錆から逃げるために逆に海へと飛び込む。
そこで尚豊王に食事を出されて、それがのちに幻のニライカナイ、偽の太陽神を見破る切っ掛けとなる。
一時与えられた食べ物は、幻などではなかった。その時間があるから、幻の天国には騙されない。
赤子の首を落とした花の刀と、二度捨てられても舞い戻った鬼の刀。二振りが手を結ぶことで必ず本丸に帰るのだと。
歴史を守る戦いは、最初だけなんとかすればよいというものではなく。
長い時間の中で刀たちも疲れ切り、死後の世界を望む。
けれど尚寧王、尚豊王と過ごした時間、彼らに与えられた食事が、その戦いを支える。
いつか還るべき場所へ還るまでは、与えられたその命が彼らの全て。
今回、一度見ただけだとどういう話かピンと来なかったのは、やはりこの短編三作を一つずつある程度「~~な話」という解釈を出してから、それを物語の最後を飾る山姥切長義の極修行と結びつける必要があるからだろうなと。
……というか、この三作、もしかして極修行のフォーマット、三通の手紙の形式と連動していないだろうか。
江戸幕府の守護を任された霊刀の二振りは、本当は己の切れ味を示すこと、怪異や病にも「触れられる」ことを望みながら役目に従って守り続ける。
彼らの物語の裏にいるのは山田浅右衛門、役目に従い殺し続けるもの。
そして殺すものである浅右衛門は、己が斬ってきたものの影、家の怨念を背負うことを選ぶ。
琉球と島津に関わる刀は、琉球王国の長い歴史を見てきた。そして漂流しながらも、帰ることを願っている。
破邪の刀と外敵を打ち滅ぼす刀は、本来は殺すもの、戦うもの。
けれど時に親鸞聖人の前で救世菩薩を演じ、人を救えと道を示す。
死を刻むものでありながら生を望む。
南無阿弥陀仏。阿弥陀如来のその名を讃えれば救われる、名前と浄土の救いの物語がそこにある。
極修行手紙は一通目で自分の内心を明かす子が多く(直近が明かさない長義くんでしたが)
二通目で自分が見た歴史への感想を書く子が多く(直近が何も書かない長義くんで以下略)
三通目で今までの結論と表面上逆になったかのような結論へと続く。
んー、極修行の考察はまだ全振り分終わってないので何とも言えない部分がありますが、この形式、やはり何か引っかかるものがありますね。
7.「願い」と「叶う」
「十口」伝で「こでん」とはこれいかに?
また色々意味がありそうですが、実際に作品を見て気になったのは「願い」という単語が頻出したところでしょうか。
「願い」が主要なキーワードの一つなら、読み方の話はひとまず置いといて「十口」は「叶」。
「口」に「十」で「叶う」の反対側の物語、つまり「願い」の物語なのかなと。
タイトルの言葉遊びは「心伝」を「しでん」と読ませてわざわざ次の「士伝」と読み方を被せてきた辺り、この一作だけ見てても全要素の解明は不可能でしょうからここで一番気になったとこだけ触れておきます。
特命調査は「維伝」と「綺伝」が糸へん、「心伝(しでん)」と「士伝(しでん)」が読み方で共通している通り、一作だけで考えるよりも複数の作品の共通点を合わせてみる必要性があると思います。
8.山姥切長義の極修行と十口伝
修行から帰ってくるところまでやるかと思ったら修行に出て終わっちゃったよーい。
とはいえこれ、ミュージカルの「花影ゆれる砥水」が一期一振の極修行と言われているのと同じく、実質山姥切長義の極修行と同じ中身なのでは……?
問題は、そもそも原作ゲームの長義くんの極修行手紙が難解で照合にかなり手間取るだろうことと。
あと個人的に重要なのは、私がまだ単独行を見ていないせいで舞台における国広の極修行がどんな感じだったのかよくわかってないところですかね!(致命的)
これはちょっと、単独行の方がまず山姥切国広の原作ゲームの極修行とどう対応してるかをチェックしないと考察が進まないなと。
あと、可能性としてあるのは、舞台では聚楽第から山姥切長義の配属までをやった慈伝の中身が、むしろ実質「山姥切国広の極修行」ではないか? ということです。
本歌と自分の間で「名」にまつわるあれこれに一度決着をつけ、「俺は俺だ」と結論する。
慈伝の中身こそが国広の極修行っぽい感じがします。
だとすると舞台で国広が巡ってきた単独行の世界はまた別のテーマだと考えられます。
……そうなると、今回の話で七星剣の物語をかなりがっつりやっていることから、今回の話の本質は原作ゲームの「対大侵寇防人作戦」の中身なのでは? と考えられます。
舞台は山姥切国広を話の中核に置いている以上、その本歌である長義との名前を巡るやりとりは決して軽い扱いにはできない。
……山姥切長義の極修行の答が一番丁寧に描かれるのは、もしかして舞台で第一節を締めくくる最後の物語、対大侵寇防人作戦相当の話なのではないだろうか。
そこでようやく国広と、そして自分自身に対する長義の本心、刀の本質に基づいた何かを見て欲しいという、極修行手紙ですら断片的にしか語られずこちらもあまり察することができない、その物語の答が得られる……?
舞台の第一節の締め、「山姥切」の物語の決着はやはり、形はどうであれ「国広の帰還」「長義の本心」という要素で構成されるんじゃないですかね。
今までと同じ結論ではあるんですが、ここで「十口伝」を介してこれが対大侵寇防人作戦の中身の理屈である可能性、「七星剣」と「山姥切」の互換の可能性について具体的な像が見えてきた感じがします。
今回の話は断片的な情報をそれぞれ完成させた上でまたその組み合わせの意図を探らなければならないので、まだ情報が頭に染み込んで考えられるようになるまでは時間がかかると思うんですよね。
単独行見たらそれとこっちを比べて同一か、あるいは逆転かと探るところから始めますかね。
とりあえず今回は表象的なデータのおさらいに留まるこのくらいで終わろうと思います。
9.太陽を斬る(追記)
昨日書いた分だとやっぱいろいろ取りこぼしてる。という訳で追記します。
笹貫と北谷菜切の物語に関して。
あれ、そういえば「太陽」のメタファーである太陽神ティーダの出番に関して言えば、割と最初から出てたってことを気にした方がいいのかなと。
第二尚氏王統の初代国王、尚円王を助けた時点でティーダに扮した遡行軍を斬って、「本当だったらとんでもない」「ばちがあたりませんように」と言っていますから、ここでまず「太陽(日)を斬る」という出来事が発生したと見た方がいいのかなと。
流れゆく時間の物語は最後だけ太陽が出てきたわけではなくて、最初から太陽との戦いだったのではないか。
そう考えると、途中で二振りが海の中に飛び込んだのは水の中。
「混」は比べるの部分に並ぶの意味があって、つまり「水の中の日日」という以前の考察結果を踏まえると、やはり対大侵寇の構造と比べたくなるんですよね。
物語の始まりに太陽を斬り、途中で流れゆく時間から逃れるために水の中に飛び込み、尚寧王と尚豊王のやりとりを見守って、最後はもう一度、幻のニライカナイを打ち破るために偽物のティーダと戦う。
舞台では「太陽」が強調されている以上、この太陽神ティーダ周りの物語はやはり重要ポイントの一つかなと。
10.「山姥切長義」と「昭和20年の鎌田魚妙」(追記)
死の物語と生の物語、そして流れゆく時間の物語。
オムニバスの内部パーツである短編三作の整理はやりましたが、逆にその連作集を貫く外殻、「山姥切長義・日光一文字」と「昭和20年の鎌田魚妙」がよくわからなかった。
おもに鎌田先生の扱いについて。
あのキャラクター像は現実の刀剣研究家にはいないタイプ、実在する誰とも性格の重ならない、架空の人物。
けれど名前自体は、実際に江戸時代に刀剣研究家として名を馳せた「鎌田魚妙」と同じ。
一体彼はどういう存在で、この物語において何の意味を持っているのか。
ようやくわかった。
あの人、長義くんと……「山姥切長義」と同じなんだ。
創作の逸話に写しである山姥切国広から写した号、「山姥切長義」と。
史実には存在しない創作の存在、江戸時代の刀剣研究家・鎌田魚妙からその名を写した「鎌田魚妙」と。
ポジションは一見寒山先生っぽいですが、情報全部合わせるとそうではない。むしろあの人は現実の寒山先生とは違う人物。つまりは架空・創作。
実在した研究者を登場させられないなら、そもそも研究者を出さなければいいし、どうしても研究者を出したいなら完全オリジナルでやればいいだけで、わざわざ江戸時代の鎌田魚妙の名を持ち出す必要はない。
なのに何故、わざわざ創作した研究者キャラにかつて実在した刀剣研究家の名をつけたのか?
なんなんだあの存在は、あの人の存在をどう捉えればいいんだ……? と、しばらく首を捻っていましたが、何のこっちゃない。
「山姥切長義」と同じ存在というわけですね。
あの世界では鎌田先生の存在自体は別に何か歴史が改変されたというわけではなく、普通に生まれて生きて、刀剣研究者になったというだけでしょう。
単に我々の世界と違う世界というだけですね。
山姥切国広が一時期焼失扱いされた我々の正史で、号を持たずに長義の傑作として存在していた「本作長義(以下58字略)」が突然「山姥切長義」の名を得たりするんですから、人間側にも似たような経緯で存在している人物がいる世界もおかしくはない、と。
あの世界では、昭和20年に「鎌田魚妙」という研究者が存在することが正史。
我々の正史と同じく、守らなければいけない歴史。
偶発的な要素を含む我々の正史で、事実誤認だろうがなんだろうが「山姥切長義」は誕生し、刀剣男士として己の役目を果たし続けている。
ならば、十口伝の世界に存在する我々にとっては創作の存在でしかない「昭和20年の鎌田魚妙」も同じ。
彼が刀剣の研究者となったその世界で、彼が果たすべき役割を果たす。
「私は数多くの刀剣の歴史を後世に伝えていかなければならない」
「口伝えてでも 未来に残したい」
「古から続く刀剣たちの物語を」
あの人は決して、「山姥切長義」と言う名の生みの親である寒山先生ではない。
けれど、あの人と「山姥切長義」の出会いはきっと素晴らしいものだ。
「私はあなたたちが大好きです」
物語のキャラクターとして、実在の研究者である寒山先生たちが登場させられないから適当に創作したというわけではないと思います。
創作された研究者に『新刀弁疑』の著者の名を与えたのにはやはり意味がある。江戸時代の鎌田魚妙はその著書によって新刀の研究者とも言われることがある以上、やはり新刀研究の大家である寒山先生を意識させる造形ではあるんですが……。
それでも彼は、寒山先生でも江戸時代の鎌田魚妙でもない、「昭和20年の鎌田魚妙」という物語としてそこに存在している。
そこにちゃんと意味があって、存在が創作だから実在の研究者よりもキャラクターとしての意味が軽いわけでも、研究者キャラとして都合のいい言葉だけを喋らされている訳でもない。
あの世界に生まれ、生きて、研究者として刀の物語を伝えていく。そういう存在であることに意味がある。
実在しない「昭和20年の鎌田魚妙」を愛し、認められるということは、事実誤認の「山姥切長義」を認め、愛するのと同じことなんだろう。
創作の物語同士、例え直接的な因果関係はなくとも、この一瞬の出会い、すれ違いは美しい物語だ。
長義君の極修行の帰還台詞では、主である我々が歴史を守る限り、彼も「山姥切」でいてくれるということでした。
鎌田先生は逆に、刀である長義くんたちから望まれる限り、昭和の世界で「鎌田魚妙」という名の研究者として生きていくんでしょう。
鎌田「私の果たすべきことは 刀剣たちの物語を伝えていくこと」
長義「ああ 頼んだぞ 俺たちの物語を あまねく刻の遥かまで届くように」
(十口伝)
「山姥切長義」が刀剣男士としてその刃を振るい、役目を果たし続けるように。
「昭和20年の鎌田魚妙」にもあの世界で、研究者としての役目を果してもらいましょう。
どうか伝えていって。あまねく刻の遥かまで。
あなたの、刀への愛を。