小竜景光

こりゅうかげみつ

概要

「太刀 銘備前国長船住景光 元亨二年五月日(小竜景光)」

鎌倉時代の刀工・備前長船景光作の太刀。
銘は「備前国長船住景光 元亨二年五月日」と切る。この銘文により1322年の作刀が明確。

ハバキ元に小振りの剣巻き竜の彫物があるので「小竜景光」。
磨り上げてあるため、その竜がハバキの下から覗いた格好になっているので「覗き竜景光」ともいう。

楠正成の佩刀と「伝えられる」が、幕末の発見時に刀剣商がそう言っていたというだけで確かな史料はないという。
以下の来歴はほとんど『日本刀大百科事典』を出典とした情報になる。

天保頃、大坂の刀屋が百姓家にあった楠木正成の佩刀、という触れ込みで江戸の本阿弥家に折紙をもらいに来たが、本阿弥家では折紙を出さなかった。

刀屋が帰るところ、幕府の代官・中村八太夫(覚太夫)が買い取った。

八太夫死去後の弘化3年(1846)、網屋という刀屋が買って長州の毛利家に売ったが、本阿弥家で折紙を出さなかった話を聞くと返却してきたという。

網屋はそれをさらに、幕府の御試御用、山田朝右衛門吉昌に売った。

弘化4年(1847)、朝右衛門の義兄弟・三輪徳蔵を召し抱える交換条件として、井伊直亮に召し上げられる。

しかし、井伊直亮の弟であり養子でもある井伊直弼が桜田門外の変で横死すると、三輪徳蔵は解雇され、小竜景光も山田家へ返された。

その後、明治6年(1873)に山田家から宮内省へ献上され明治天皇の御物となったという。

戦後に天皇家の宝刀の一部が国立博物館保管になったことで、御物ではなく国有となった。

1949年(昭和24)2月18日、国宝(旧国宝)指定。
1952年(昭和27)11月22日、国宝(新国宝)指定。

現在も東京国立博物館蔵。

号の由来は彫物から

ハバキ元に小振りの剣巻き竜の彫物があるので「小竜景光」。
磨り上げてあるため、その竜がハバキの下から覗いた格好になっているので「覗き竜景光」ともいう。

彫物由来の号なので大概の刀剣書ではこの説明になっている。
弘化三年(1846)の『藤岡屋日記』に「小龍の太刀」の記述があることから、1846年にはすでに小竜の号があったことが判明している。

楠木正成所持という説から、「楠公景光」と呼ばれることもある

刀剣書によっては小竜景光ではなく「楠公景光」の名で並んでいる。
ただし小竜景光が楠木正成所持であったという史料自体はなく、本当に楠木正成佩刀だったかは不明。

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第二門 御物 楠公景光
ページ数:19 コマ数:34

1322年(元亨2)、備前長船景光作の太刀

「備前国長船住景光 元亨二年五月日」の銘から長船景光の1322年(元亨2)5月の作刀とされる。

幕末の発見経緯、大坂の刀屋から幕府の代官・中村八太夫(覚太夫)が買い取る

『日本刀大百科事典』によると、

天保(1830)のころ、大坂の刀屋が、河内(大阪府)の百姓家にあった楠木正成の佩刀、という触れ込みで、江戸の本阿弥家に折紙をもらいに来たが、本阿弥家では信じ難いとして、折紙を出さなかった。

刀屋が落胆して大坂に担いで帰るところを、幕府の代官・中村八太夫(覚太夫)が、三島(静岡県三島市)まで追いかけて行って、買い取った。

『勤皇日本刀の研究』
著者:内田疎天 発行年:1942年(昭和17) 出版者:公立社
目次:第十七章 勤皇將士の佩刀に就て
ページ数:290 コマ数:161

八太夫死去後の弘化3年(1846)、網屋という刀屋が買って長州の毛利家に売ったが、本阿弥家で折紙を出さなかった話を聞くと返却

『日本刀大百科事典』によると、

八太夫死去後の弘化3年(1846)、網屋という刀屋がそれを買って、長州の毛利家に売っていたが、毛利家では本阿弥家が折紙を出さなかった話を聞くと、返却してきた。

網屋はその後、幕府の御試御用、首斬り役の山田朝右衛門吉昌に売却

『日本刀大百科事典』によると、

網屋はそれをさらに、幕府の御試御用、首斬り役の山田朝右衛門吉昌に売った。

弘化4年(1847)、朝右衛門の義兄弟・三輪徳蔵を召し抱える交換条件として、井伊直亮に召し上げられる

弘化4年(1847)、朝右衛門の義兄弟・三輪徳蔵を召し抱える交換条件として、小竜景光は時の大老・井伊直亮に召し上げられた。

井伊直亮の弟であり養子でもある井伊直弼が桜田門外の変で横死すると、三輪徳蔵は解雇され、小竜景光も山田家へ返された。

『日本刀大百科事典』ではこれらの話の出典を酔剣先生自身の著書『首斬り浅右衛門刀剣押形』としている。

つまり山田浅右衛門の押形に入手経緯が書き留めてあったということになるが、『首斬り浅右衛門刀剣押形』そのものはまだデジタルコレクションでも国立国会図書館内限定送信で読めないのでお近くの図書館などにない場合は2024年以降、この本が個人向けのデータ送信になるのを待った方が良いと思われる。

同じく酔剣先生の著書である『日本刀物語』で間接的に内容を知ることができる。
簡単に話を知りたいだけならこちらでも十分だと思われる。

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:首斬り浅右衛門
ページ数:242~258 コマ数:129~137

山田家の記録

山田浅右衛門家の記録では

中納言万里小路藤房が楠木正成に贈ったものであり、後に豊臣秀吉が徳川家康へ与えた

とされるが、『日本刀大百科事典』ではこれは信じがたいとされる。

下記の雑誌記事が『首斬り浅右衛門刀剣押形』を引用して比較的わかりやすく説明している。

「刀剣と歴史 (589)」(雑誌・データ送信)
発行年:1992年9月 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(131) / 今野繁雄(―覗き竜景光伝・石堂一族異聞―)
ページ数:17~29 コマ数:13~17

『藤岡屋日記』による小竜景光の来歴

これまでは主に首斬り浅右衛門の押形を出典としていると思われる福永酔剣先生の説明する小竜景光の来歴を中心として見てきた。

それ以外に小竜景光の来歴に触れたものとして、幕末の江戸を中心とした事件や噂などを藤岡屋由蔵が詳細に記録した編年体日記、『藤岡屋日記』がある。

『近世庶民生活史料 藤岡屋日記 第三巻 十八―二十六 弘化三年―嘉永三年六月』(紙本)
著者:鈴木棠三、小池章太郎 編 発行年:1988年(昭和63) 出版者:三一書房
目次:第拾八 弘化三丙午年 日記
ページ数:27~29

〇 弘化三年三月下旬
楠多門兵衛正成所持之小龍の太刀を井伊掃部頭直亮候求メ給事

抑此楠公所持之小龍の太刀は、十五年以前天保の始の頃、本両替町野田屋善兵衛方ゟ上野山下本阿弥平十郎方江金廿両ニて売物ニ出ける処、平十郎先祖ゟ之書留ニも楠小龍の太刀の古図も有之候得共、是ニ一向心不付居ル処へ、山の手一人の目利者、成瀬隼人正家中ニ伊賀兎毛と云者、是を嗅付て本阿弥方へ来り、是を見て召物成事を知りて、点付ニ百両ニ付けり、平十郎是を聞て野田善より廿両位ニて払度とて、見せし刀を百両ニ付られし故ニ、小龍とハ一向存ぜず、是ハ雑談ニ付しと心得、一向ニ取合ず、然処翌日野田善来りければ、兎毛可付候直段ハ雑談と思ひし故ニ咄ニも不致故、右刀を持掃りて直ニ本処御代官中村八太夫殿ハ内福ニて道具好故ニ、是へ持行き見せ候処ニ、八十両ニ直段付候ニ付、直ニ売払、中村氏の手ニ小龍の太刀入ニけり、然ル処ニ伊賀兎毛ハ屋敷へ帰りて考へ見るニ、右刀を買取らざる事如何にも残念ニて、其夜寝られず、翌朝又〃本阿弥へ来りて値段百廿両ニ付上ゲければ、平十郎肝をつぶし、是ニて本心成事を知ると雖も、最早野田善持帰りし跡故、早速両替町へ欠付けれ共間ニ不合、跡ニて中村ニ買取られし事を聞て兎毛も残念ニ思へ共、中村氏の手ニ入からハ最早出ル事なしとてあきらめて過行けり、然ル処天保末ニ中村八太夫殿死去ニて、当春ニ至り親類共相談之上ニて、先代物好ニて買込置し高金の道具を払度咄し有之候得共、先年八十両ニて買置し楠小龍の太刀、此度ハ三百五十両と直段上りし故、中〃道具屋の手ニも及ばず、伊賀兎毛も売口無之てハ買取ちからも無之、見合ける処ニ、御成道肴横丁ニ刀屋丹次郎といへる若者在、井伊家ニて楠の太刀好之由聞出し、屋敷へ懸合、右刀を三百十両にて元方直段喰切、是を借受、尤高金故ニ元〆堀田原の鯨井付添て、三月廿日頃桜田井伊家がやしきへ持出、川田半助ニ付て是を差出し候処ニ、あやにく今日直亮候御他行ニて御覧ニ入る事不叶、高金故ニ留事もならず、すごすご屋敷持出て残念ながら帰りけり、然ル処京橋網惣是を聞出し、本所へ欠付、三百十両ニて買取候処、麹町首切山田浅右衛門ハ井伊家御出入ニ候処、いささかの事ニ而屋敷不首尾ニ相成出入不致、何卒取繕致度居候処ニ、井伊家ニて楠の太刀求度思召之折から、小龍の太刀を網惣所持之由承り、早速四百両ニて是を買取、井伊家家老木俣土佐ニ付て殿江献上致度由願ひけれバ、御聴に達し、軽き者ニハ奇特之至り成とて、永代三十人扶持被下、刀代料として金四百五十両御下ゲ下されしハ古今珍しき咄なりけり。
右井伊家ニ而楠公の太刀所望の由来ハ、右家系ハ、大職冠鎌足公六代左大臣冬嗣二男内舎人藤原良郷、二代兵衛佐利世、十八代備中太夫共保、遠江国井伊谷ニ住するより家号とす、其十六代井伊彦次郎直満男肥後守直親、其男兵部少輔直政也、直政十三代直亮、正四位上中将井伊掃部頭、三十五万石、江州犬上郡彦根城。
右先祖ハ南朝無二の官軍なれば、忠義随一の楠公の太刀を尋求られなるべし。

(中略)

右楠正成所持小龍の太刀ハ、長サ二尺四寸、備前景光の作也。
備州長船左衛門尉景光造、或ハ二字ニも打也、順慶の次男次郎左衛門と号、播州宍栗三方西ニ於て造る事あり、正応・元徳年間なり、進士三郎景政兄也、上杉輝虎所持の太刀を打し小豆長光の孫なり。

長くて引用が大変なので後半の楠木正成の情報については略させてもらった。

登場人物の中で本阿弥平十郎(有名研師)や伊賀兎毛(山田家で試し切り習った人)は検索で刀剣関係者だとわかるのだが野田屋善兵衛がどういう人なのかがわからない。

井伊家の家老の木俣氏は井伊直政の家臣で楠木正成の子孫だと言われる木俣守勝氏の子孫か?

明治に東京府知事・大久保一翁の手を経て宮内省へ献上

『日本刀大百科事典』によると、

明治6年(1873)、時の東京「府」知事・大久保一翁の手を経て、宮内省へ献上された。

ここに引用されている『首斬り浅右衛門刀剣押形』によると、明治6年に大久保一翁の手を経て献上という情報の出典は、当時宮内省に勤めていた「吉川賢太郎氏の談」であり、「宮内庁の記録」にあるとのことである。

「刀剣と歴史 (589)」(雑誌・データ送信)
発行年:1992年9月 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(131) / 今野繁雄 コマ数:13~17

宮内庁の記録

ついでに先輩審神者諸氏の先行研究に触れておくと、この宮内庁の記録に直接あたって証拠となる出典を見つけている方もいるので、興味がある方は審神者の研究も検索してみると良いと思う。

……というわけで先輩審神者の研究に従って「国立公文書館デジタルアーカイブ」のサイトで「山田和水」(7代目山田朝右衛門吉利の雅号)で検索をかけてみると、確かに
件名 東京府平民山田和水楠正成ノ帯剣献納
件名 山田和水古剣献上ノ儀伺
などの資料がヒットします。

山岡鉄舟が献上説(誤伝)

『日本刀襍記』などでは山岡鉄舟が入手して献上したと言われているが、『日本刀大百科事典』では誤伝だと否定されている。

『日本刀襍記』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1943年(昭和18) 出版者:照文閣
目次:鎖夏一夕話
ページ数:215~218 コマ数:110~112

明治天皇の軍刀説(誤伝)

明治天皇が軍刀にされた説に対して、『日本刀大百科事典』では誤伝であるとはっきり否定している。

『勤皇日本刀の研究』
著者:内田疎天 発行年:1942年(昭和17) 出版者:公立社
目次:第十七章 勤皇將士の佩刀に就て
ページ数:290 コマ数:161

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:52 楠公景光
ページ数:186

戦後に御物から国有となる

戦後、御物から国有へ。
東京国立博物館へ保管替えとなった。

『日本刀全集 第1巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:名物と国宝 辻本直男 ページ数:57 コマ数:32
目次:名物と国宝 辻本直男 ページ数:148、149 コマ数:78

1949年(昭和24)2月18日、国宝(旧国宝)指定

昭和24年(1949)2月18日には国宝(旧国宝)指定されている。
国(国立博物館保管)名義。

「太刀 銘備前国長船住景光 元亨二年五月日」

『官報 1949年02月18日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1949年(昭和24) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第十六号 刀剣之部
ページ数:141 コマ数:3

1952年(昭和27)11月22日、国宝(新国宝)指定

昭和27年(1952)11月22日、国宝(新国宝)指定。
東京国立博物館名義。

「太刀 銘備前国長船住景光 元亨二年五月日(小竜景光)」

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:国
ページ数:96 コマ数:59

現在も「東京国立博物館」蔵

現在も東京国立博物館蔵。

「国指定文化財等データベース」によると、
所有者名は「独立行政法人国立文化財機構 」。
保管施設は「 東京国立博物館 」。

作風

刃長二尺四寸四分(約73.9センチ)。
佩き表には棒樋の中、ハバキ元に剣巻き竜の浮き彫り。
裏にも棒樋の中、ハバキ下に梵字を浮き彫りにする。

小板目肌美しく乱れ映りたち、五の目丁子乱れ逆がかる。
鋩子小丸。
茎に「備前国長船住景光 元亨二年五月日」と切る。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:こりゅうかげみつ【小竜景光】
ページ数:2巻P289、290

景光の最高傑作

『武将と名刀』によると、備前長船景光の最高傑作のようである。

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:楠木正成と小竜景光
ページ数:56~60 コマ数:33~35

名刀の数多い景光の中でも出来が最も優れ、他に肩をならべるものがない。

「刀剣と歴史 (555)」(雑誌・データ送信)
発行年:1987年1月(昭和62) 出版者:日本刀剣保存会
目次:坂東武者と景光の太刀について / 刀菊山人
ページ数:24、25 コマ数:17

固山宗次による写しが有名

山田家所持の時代、山田浅右衛門と交流のあった幕末の名工・固山宗次が磨り上げ後の今の姿と、磨り上げ前を想像して模作した写しの二振りを打っている。

『勤皇日本刀の研究』
著者:内田疎天 発行年:1942年(昭和17) 出版者:公立社
目次:第十七章 勤皇將士の佩刀に就て
ページ数:290 コマ数:161

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:首斬り浅右衛門
ページ数:242~258 コマ数:129~137

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:楠木正成と小竜景光
ページ数:56~60 コマ数:33~35

「刀剣と歴史 (544)」(雑誌・データ送信)
発行年:1985年3月 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(87) / 今野繁雄(――模造の上手な刀工――)
ページ数:10~15 コマ数:9~12

また、国立国会図書館デジタルコレクションで小竜景光を検索すると現代刀工が盛んに小竜景光の写しを製作している記事も引っかかる。

余談・小竜景光以外の楠木正成所持の刀

『日本刀大百科事典』によると、
大和の信貴山孫子寺には、「依宗」と在銘の太刀が、楠正成所持として伝来していた。

出典は『寺社宝物展閲目録』となっているがこの史料は国立国会図書館デジタルコレクションにはないようである。

調査所感

・来歴の大胆な見直しが入った刀

大体がデータ送信にはなりますがこの五冊辺りを順に繰り返し読んでいけばなんとなく小竜景光という刀がずっとどう伝えられてきたかざっくりと掴むことができると思います。

「日本及日本人 (1月1日號)(141)」(雑誌・データ送信)
発行年:1928年1月(昭和3) 出版者:政教社
目次:大楠公と刀剣 室津鯨太郎 コマ数:92、93

『勤皇日本刀の研究』
著者:内田疎天 発行年:1942年(昭和17) 出版者:公立社
目次:第十七章 勤皇將士の佩刀に就て コマ数:160~166

『日本刀襍記』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1943年(昭和18) 出版者:照文閣
目次:鎖夏一夕話 コマ数:110~112

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:楠木正成と小竜景光 コマ数:33~35

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:首斬り浅右衛門 コマ数:120~137

ちなみにこれも何度もやっていますが「室津鯨太郎」は川口陟氏のペンネームなので「日本及日本人 (1月1日號)(141)」の「大楠公と刀剣」という記事と『日本刀襍記』の著者は同じ人です。

川口陟氏の本だと押形由来で不明瞭なはずの来歴情報にあちこち尾びれが付きまくってなんかすげー話になっとる!?

小竜景光の来歴は刀屋の言い分であって史実として確かと言える史料は一切ありません。

戦前はそれでもそれら伝聞を重視して中納言万里小路藤房が楠木正成に贈ったものであり、後に豊臣秀吉が徳川家康へ与えた刀である……と言っていたようですが、戦後の研究書になるとその辺りの史料がないのに語ることは問題だと認識され始めたのか、山田家以前のことは「わからない」とざっくり大幅カットされています。

時期によって前提として周知されている来歴の落差が大きすぎる……!

本阿弥家が折紙を出さなかったのは確かなようですが、どういう理由だったのかは研究者の推測が多いのでしょうか。
この理由自体を書いた資料も多分ないんだと思います。

一時期御物にまでなって現代の評価も景光の最高傑作という刀ですが、来歴に関してはまあこう色々あります。
江戸以前まったくわからず山田家を通して宮内省へ献上というのは珍しいでしょうが、来歴がよくわかんない刀だけならいっぱいありますし。

・内田疎天氏に「山田美稲翁」と呼ばれているのは誰か?

『勤皇日本刀の研究』はデジコレでもインターネット公開で誰でも読める上に小竜景光の来歴に関して割と詳しい貴重な史料ですが、その来歴のニュースソースは「山田美稲翁」という人物のようです。

普通にググって出てくるのは近代日本版画家の山田美稲氏で生年は1887年らしいんですが……そうすると1881年生まれの内田疎天氏の方が年上になるから翁って呼び方をしないと思うんですよね。翁は自分より年上の老人への敬称ですよね……。

というわけで更に調べると、川口陟氏が著書で山田美稲氏は「同郷の先輩」と言っている。
川口陟氏の研究が妙に詳しい(正確とは思えないが)のは山田美稲氏が同郷で濱田元七氏とも面識があるからか。これ多分川口陟氏と内田疎天氏のニュースソース同じなんでしょうね。川口陟氏は内田疎天氏の師匠の杉原先生と仲が良さそうなんで。

土佐出身の川口陟氏の同郷、つまり土佐人で「美稲」という特徴的な名前、しかもデジコレの検索結果にも政治関連の記録っぽいものが並ぶんですけど、この人土佐勤皇党の小畑美稲じゃないの……?

すでに小竜くんについて調べている審神者も「小畑美稲?」と疑問符付きの指摘をしているのでこう考えたのは私だけではないようなんですが。ただ……

その後更に調べたところ、小畑美稲氏だとどう計算しても年代が合わない事柄があるのと、検索で出てきた官報で小畑美稲氏死後の大正元年以降もはっきり名前が載っていたので、どうやら別人のようです。美稲ってそんなポピュラーな名前なん?

有力そうな情報は、今村長賀氏が明治30年代に刀剣会を発足した時のメンバーリストに名前があることですね。マジかよ。大御所ってことじゃん。

今村長賀氏は1837年生まれなので、その前後の年齢だと考えられます。

あるいは小畑美稲の縁者の誰かが途中で改名したとかそういう可能性もありますが、結局詳細はわかりませんでした。

・1846年以前には「小竜」の号で呼ばれていたことが確定

小竜くんが『藤岡屋日記』で話題になっているのは弘化3年(1846)頃。

『藤岡屋日記』(藤岡屋こと須藤由蔵の著、1804~1868年の記録)は同時代の史料にはなりますが、元々本屋の藤岡屋が江戸の事件や噂話を書き留めたものですし、これも噂話を書き留めただけのもので信憑性はあるものの確証はない伝聞だと思われます。

話の細部はともかく、色々な人が小竜景光を楠木正成佩刀という触れ込みで買おうとしたり売り込もうとしたり色々やったので江戸で噂になった、という出来事自体は確かなんでしょう。

また、『藤岡屋日記』の存在から、この頃からこの刀が少なくとも「小龍の太刀」と呼ばれていたことははっきりしています。

(山姥切伝承研究の途中でいきなり立ち塞がった疑問が解決した)

刀剣書の方で『藤岡屋日記』の話題がほとんど出てこないのは、江戸の情報屋を頼らなくても刀剣界で当時を知っている人や当事者から話を聞いた人がいたから、ということでしょうね。

デジコレ検索だと『藤岡屋日記』のこの小龍の太刀のエピソードに触れている雑誌記事がありそうなんですが国立国会図書館内限定で読めない(残念)。

『藤岡屋日記』の方で井伊氏がそもそも藤原氏の子孫だということに触れていたのでWikipediaを軽く見てみましたが、井伊氏は確かに藤原北家の子孫を称していますが、肝心の藤原利世の名が系図史料に見えないので藤原家の後裔を否定する説もあるそうです。

藤原良郷という名で『藤岡屋日記』に出てきた藤原冬嗣の次男は検索かけて引っかかるのが「藤原良房」ですね。昔の人は何度も改名したりいくつも名前を持っているのでそういうものの一つかとも思いましたが良郷は全部良房に変換されますね……。とはいえ私の検索能力低すぎ問題があるので見つけられないだけでどこかに資料あるかもしれません。

しかし藤岡屋が井伊家のそういう系図を理解しているということは江戸時代にはこの認識が結構知られていたわけで、小竜景光はやはり「楠公の太刀」として登場してそれを求めて人々が右往左往していた……という物語があるようです。自分の刀にするためじゃなく井伊家に売り込むぜ! という理由ではあったかもしれませんが、楠公の太刀という「物語」にそれだけの訴求力があった。

来歴をがっつり保証する証拠がなくとも、そう語られて信じる人はいつの時代も一定数は当然いるということですね。
刀剣はこういう話が多いからこそどの本も「〇〇と伝えられている」表記なんでしょうね……。
具体的にそう伝えてるの誰!? みんな!! っていう……。

余談ですが、『藤岡屋日記』、ちくま学芸文庫から鈴木棠三氏の解説で『江戸巷談藤岡屋ばなし』という本とその続編の計2冊も出ていてこの本の方が比較的小さな図書館にも入っているんですが、その文庫サイズの本には小竜くんの話は 載 っ て ま せ ん 。

全152巻150冊という膨大な記録なので面白話だけをとりあげた2冊の文庫本のチョイスからは漏れたようです。
小竜くんの話について知りたい方は重く分厚く立派な装丁の三一書房の本を大きめの図書館で借りてください。ご参考までに。

参考サイト

「東京国立博物館」
「文化遺産オンライン」
「e国宝」
「国指定文化財等データベース」

参考文献

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:三十 刀剣の模造
ページ数:247 コマ数:133

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第二門 御物 楠公景光
ページ数:19 コマ数:34

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造 備前物 長船一派
ページ数:346 コマ数:193(194)

『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第二 御物 楠公景光
ページ数:20 コマ数:22

「日本及日本人 (1月1日號)(141)」(雑誌・データ送信)
発行年:1928年1月(昭和3) 出版者:政教社
目次:大楠公と刀剣 室津鯨太郎
ページ数:159~161 コマ数:92、93

『[切抜帳] 17』(データ送信・詳細不明)
著者:鈴木小春浦 [編] 出版者:鈴木小春浦
コマ数:9

『密宝楠公遺訓書』(データ送信)
著者:堀田善太郎 編著 発行年:1932年(昭和7) 出版者:楠公研究会
目次:一九、明治維新と昭和維新
ページ数:265 コマ数:163

『大日本刀剣新考』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1933年(昭和8) 出版者:岡本三郎
目次:第三編 第七章 古刀略志(第六) 山陽道 三、備前国
ページ数:605、606 コマ数:685、686

『日本刀通観』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1935年(昭和10) 出版社:岡本偉業館
目次:第二編 第三十八章 一國縱觀 備前國鍛冶考
ページ数:670 コマ数:380

『大楠公誠忠録』(データ送信)
著者:雄山閣編輯局 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:楠公の刀劍 福島靖堂
ページ数:181 コマ数:97

『日本刀物語』
著者:小島沐冠人 編著 発行年:1937年(昭和12) 出版者:高知読売新聞社
目次:楠正成の佩刀
ページ数:109~112 コマ数:62~64

『大日本刀剣史 中巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1949年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:楠正成の佩刀のぞき龍
ページ数:173~178 コマ数:96~99

『勤皇日本刀の研究』
著者:内田疎天 発行年:1942年(昭和17) 出版者:公立社
目次:第十七章 勤皇將士の佩刀に就て
ページ数:286~301 コマ数:159~166

『日本刀襍記』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1943年(昭和18) 出版者:照文閣
目次:鎖夏一夕話
ページ数:215~218 コマ数:110~112

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:古刀の部
コマ数:199、200

『国宝と史跡』(データ送信)
著者:関忠夫 等編 発行年:1953年(昭和28) 出版者:誠文堂新光社
目次:名刀探訪 佐藤貫一
ページ数:16、17 コマ数:14

『収蔵品目録 [第2] (工芸篇)』(データ送信)
発行年:1954年(昭和29) 出版者:東京国立博物館
目次:刀剣(上古刀・古刀)
ページ数:7 コマ数:136

『国宝図録 第3集』(データ送信)
著者:文化財協会 編 発行年:1955年(昭和30) 出版者:文化財協会
コマ数:52

『国宝図録 第3集 解説』(データ送信)
著者:文化財協会 編 発行年:1955年(昭和30) 出版者:文化財協会
目次:工芸の部
ページ数:36 コマ数:24

『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編  発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:一四五 国宝 太刀 銘 備前国長船住景光 元享二年五月日 号小龍景光
ページ数:158、159 コマ数:168、169

『日本古刀史』(データ送信)
著者:本間順治 発行年:1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:図版
コマ数:30

『日本の刀剣 (日本歴史新書) 』(データ送信)
著者:佐藤貫一(佐藤寒山) 発行年:1961年(昭和36) 出版者:至文堂
目次:6 備前長船派の名工
ページ数:143、144 コマ数:83、84

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:楠木正成と小竜景光
ページ数:56~60 コマ数:33~35

「刀剣と歴史 (417)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年1月(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:研磨の話 / 山田英
ページ数:39 コマ数:22

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:首斬り浅右衛門
ページ数:242~258 コマ数:129~137

『東京国立博物館年報 昭和39年度』(データ送信)
発行年:1965年(昭和40) 出版者:東京国立博物館
目次:(付)昭和39年度月別観覧人員一覧表 新収品解説目録
ページ数:51 コマ数:29

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) [本編]』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:図版
コマ数:288、289

『国宝 第5 (鎌倉時代 下) 解説』(データ送信)
著者:毎日新聞社国宝委員会 編 発行年:1966年(昭和41) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品
ページ数:89 コマ数:105

『美術道すがら』(雑誌・データ送信)
著者:浅野長武 発行年:1966年(昭和41) 出版者:講談社
目次:刀好きの英将軍
ページ数:109、110 コマ数:78、79

『日本刀全集 第1巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:名物と国宝 辻本直男 ページ数:57 コマ数:32
目次:名物と国宝 辻本直男 ページ数:148、149 コマ数:78
目次:武将と刀剣 沼田鎌次 ページ数:203 コマ数:105

『日本刀全集 第3巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀(山陽道・南海道・山陰道・北陸道)加島進
ページ数:185 コマ数:96

『日本刀入門 : 選び方買い方』(雑誌・データ送信)
著者:柴田光男 発行年:1967年(昭和42) 出版者:光芸出版
目次:武家支配の鎌倉時代
ページ数:25 コマ数:20

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:国
ページ数:96 コマ数:59

『国宝 : 原色版 第9 (鎌倉 第3)』(データ送信)
著者:毎日新聞社「国宝」委員会事務局 編 発行年:1969(昭和44) 出版者:毎日新聞社
目次:工芸品 コマ数:88
目次:解説 ページ数:149、150 コマ数:153、154

『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者: 雄山閣出版
目次:新版日本刀講座<古刀鑑定編(下)> 目次 ページ数:88、89 コマ数:57
目次:長船物 作風 ページ数:238 コマ数:192

『原色日本の美術 21』(データ送信)
著者:尾崎元春、佐藤寒山 発行年:1970年(昭和45) 出版者:小学館
目次:図版解説Ⅲ ページ数:116 コマ数:122
目次:図版解説Ⅳ ページ数:139 コマ数:145

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:52 楠公景光
ページ数:186

「Museum (262)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1973年1月(昭和48年) 出版者:東京国立博物館
目次:国立移管後の陳列品収集について / 江口正一
ページ数:20 コマ数:12

「刀剣と歴史 (498)」
発行年:1977年7月(昭和52) 出版者:日本刀剣保存会
目次:伊予の豪族大森彦七盛長 / 藤村晃堂
ページ数:57 コマ数:33

「刀剣と歴史 (499)」(雑誌・データ送信)
発行年:1977年(昭和52)9月 出版者:日本刀剣保存会
目次:日本最古の佐賀楠神社 / 服部一男
ページ数:43~52 コマ数:26~31

「刀剣と歴史 (532)」(雑誌・データ送信)
発行年:1983年3月(昭和58) 出版者:日本刀剣保存会
目次:三鈷柄剣に見る(爪)二つの形態 / 田中昭二
ページ数:15、16 コマ数:12、13

「刀剣と歴史 (544)」(雑誌・データ送信)
発行年:1985年3月(昭和60) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(87) / 今野繁雄(―模造の上手な刀工―)
ページ数:10~15 コマ数:9~12

「古美術 (80)」(雑誌・データ送信)
著者:三彩社 [編] 発行年:1986年10月(昭和61) 出版者:三彩社
目次:「日本美術名宝展」の工芸品 / 今永清二郎
ページ数:47、48 コマ数:25、26

「刀剣と歴史 (555)」(雑誌・データ送信)
発行年:1987年1月(昭和62) 出版者:日本刀剣保存会
目次:坂東武者と景光の太刀について / 刀菊山人
ページ数:24、25 コマ数:17

「刀剣と歴史 (589)」(雑誌・データ送信)
発行年:1992年9月 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(131) / 今野繁雄(―覗き竜景光伝・石堂一族異聞―)
ページ数:17~29 コマ数:13~17

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:こりゅうかげみつ【小竜景光】
ページ数:2巻P289、290

『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 1 武将と日本刀 楠木正成とのぞき龍景光
ページ数:26

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第二章 中世武士 小竜景光 楠木正成
ページ数:94

『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年(平成17) 出版者:光文社
目次:武将・大名の名刀 小竜景光
ページ数:109

『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23年) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 楠木正成と小竜景光
ページ数:106~109

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:小龍景光
ページ数:61

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の物語を読む 小龍景光
ページ数:52

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 備前国長船 景光 小竜景光
ページ数:218

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第3章 太刀 小龍景光
ページ数:74

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の逸話 小竜景光
ページ数:241

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:名刀の物語 小竜景光
ページ数:238