くりからごう
概要1 古剣書の倶利伽羅江
作風
『日本刀大百科事典』によると、
刃長九寸三分(約28.2センチ)
平造り。
差し表に、太い樋のなかに真の倶利伽羅を浮き彫りにする。
裏は不明。
刃文はもと直刃、上に行くに従い、大きく乱五の目乱れとなり、玉を焼く。
鋩子は尖り火炎風になる。
裏の刃文は不明。
茎はうぶ、目釘孔一個。
銘「江」と一字銘
つまり郷義弘の作。
出典は『長谷川忠右衛門刀絵図』という古剣書だそうだが、この本は国立国会図書館デジタルコレクションにもない。というか長谷川忠右衛門関係の本が一冊もない。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:クリカラごう【倶利迦羅江】
ページ数:2巻P182
概要2 明智光秀の倶利伽羅江
銘文、表記、呼び方等
「倶利伽羅江」
「倶利迦羅郷」
「俱利伽羅鄕」
「くりからの吉廣江」
「倶利伽羅の吉廣江」
もともと「江」はよく「郷」表記だったり「義弘」表記だったり分散しやすい上に、「倶利伽羅」の表記揺れによっても検索に引っかからないことが多い。
略歴
南北朝時代の越中国の刀工・郷義弘の作と言われる。
『川角太閤記』によると、もとは越前国の朝倉氏所有。
越前の国が破られた時に朝倉の腰物奉行が持ち出したものを、明智光秀がひそかに聞き出し入手した。
本能寺の変後、明智光秀は豊臣秀吉に攻め込まれる。
居城である坂本城の守りを女婿または従兄弟とも言われる重臣・明智秀満(明智左馬助光春、三宅弥平次)に任せて山崎の戦いへと向かった。
『川角太閤記』によると、
坂本城が秀吉の軍に包囲された時、秀満は城内の宝物を堀直政に渡したという。
その中に倶利伽羅江がないのを見て取って堀直政が尋ねると、秀満は
「光秀命もろともと內々秘藏被仕候間我等腰に指日向守にしでの山にて相渡可申ためたり」
と、答えた。
倶利伽羅江はその言葉通り失われ、焼け跡を探しても見つからなかったが、後に古井戸から発見された。
早くも腐ってその形も判らず、人々は倶利伽羅江ではないかと推測していたという。
もとは朝倉氏所有
『川角太閤記』によると、もとは越前国の朝倉氏所有。
1573年(天正元年)、明智光秀が入手し、秘蔵していた
『川角太閤記』によると、
越前の国が破られた時に朝倉の腰物奉行が持ち出したものを、明智光秀がひそかに聞き出し入手した。
朝倉氏が滅びたのは1573年(天正1)の一乗谷城の戦いとなる。
1582年(天正10)、坂本城陥落の際、明智秀満の自害に伴って失われる
本能寺の変後、明智光秀は豊臣秀吉に攻め込まれる。
居城である坂本城の守りを女婿または従兄弟とも言われる重臣・明智秀満(明智左馬助光春、三宅弥平次)に任せて山崎の戦いへと向かった。
『川角太閤記』によると、
坂本城が秀吉の軍に包囲された時、秀満(明智左馬助光春、三宅弥平次)は天下の名物たる城内の宝物を失わせないために敵方である堀直政(堀監物)に渡したという。
(この時引き渡された名刀には「不動国行」や二字国俊、「薬研藤四郎」などがある。ただし薬研藤四郎は本能寺の変で焼失の可能性が高く誤記と考えられる)
その中に倶利伽羅江がないのを見て取って堀直政(堀監物)が尋ねると、秀満(明智左馬助光春、三宅弥平次)は
「光秀命もろともと內々秘藏被仕候間我等腰に指日向守にしでの山にて相渡可申ためたり」
(主たる光秀が秘蔵するほど大切にしていた刀なので私が腰に差して死出の山にてお渡しします)
と、答えた。
秀満は明智光秀の妻子や自分の妻を殺すと、自らも腹を切り火を放って自害した。
倶利伽羅江はその言葉通り失われ、焼け跡を探しても見つからなかったが、後に古井戸から発見された。
早くも腐ってその形も判らず、人々は倶利伽羅江ではないかと推測していたという。
『川角太閤記 上 (公民文庫 ; 第9・10冊) 』
著者:共同出版株式会社編輯局 編 発行年:1909年(明治42) 出版者:共同出版
目次:巻之一
ページ数:69~72 コマ数:38~40
日向守殿内々御秘藏被成候しんの倶利伽羅の吉廣江の御脇指はいかにと尋申候處に、彌平次返事には右の道具は上樣より日向守拜領被仕候御道具なり、秘藏の吉廣江の脇ざしは、久太郞殿其外の大名衆如御存越前の國破候時に、朝倉殿御物奉行は、だにさして出候を後に日向守ひそかに聞出し、是をもとめ被置候相渡可申候得ども、光秀命もろともと內々秘藏被仕候間我等腰に指日向守にしでの山にて相渡可申ためたり
(中略)
彌半次しんの倶利伽羅のきり物の有之。吉廣江言葉をたがへす其時失にけり
(中略)
後に燒たる跡の灰をさがし見せけるに、殘りの刀脇さし其外道具の形はありけれども吉廣江の脇指なかりけり、後にふる井戶より取出し候へども、はやくさり其形も不見分定めて吉廣江にてあるかと人々推量計と聞え申候、松永殿頸とひらぐもの釜不見と、此脇指のおさめ樣よく似たりと人々申あへると承候事
調査所感
・古剣書の倶利伽羅江と明智光秀の倶利伽羅江は同一物か
『日本刀大百科事典』の倶利伽羅江の項で光秀関連の説明がなく、他の刀剣本では逆に古剣書への言及がなかったので一応別に概要立てましたが、同じものかもしれません。
『川角太閤記』だと脇差表記ですが、この頃の資料だと今の短刀が脇差表記されていることはよくありますし。
ネット上ですでにこの刀の情報を出しているところは同じものだと判断しているようです。
・この記事はフライングで出しています
古参からとうらぶはもともと逆輸入をしないと説明されていたと聞くんですが、10周年記念のリアルイベントで逆輸入男士の実装が確定したので名前が判明している男士の研究史を調べ始めています。
実際に実装された男士の設定に不明点やこちらの捉え方と何か違う点があれば再調査します。
・読みやすい文献としては『英雄と佩刀」辺りがお勧め
明智秀満、明智左馬之助光春という人が落城の際に名宝を失わせないために敵である堀監物に渡したというエピソードは刀剣関係だとちょこちょこ出てくるエピソードですね。
『川角太閤記』を直接読むのは大変だという方は高瀬羽皐氏の『英雄と佩刀』が刀剣を中心としつつその辺りの歴史・物語背景を解説してくれているので程よいと思います。
『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912年(大正1) 出版者:崇山房
目次:明智の倶利迦羅郷
ページ数:219~223 コマ数:121~123
・明智光秀の倶利伽羅江は小説や絵の題材になっている
デジコレだと「倶利迦羅郷」で検索した際に松居松葉の小説や、岩佐又兵衛の絵の解説本らしきものが出てきたので、おそらく『川角太閤記』の内容から名刀として創作の中でよく知られていた時代があるのだと思われます。
参考文献
『川角太閤記 上 (公民文庫 ; 第9・10冊) 』
著者:共同出版株式会社編輯局 編 発行年:1909年(明治42) 出版者:共同出版
目次:巻之一
ページ数:69~72 コマ数:38~40
『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912年(大正1) 出版者:崇山房
目次:明智の倶利迦羅郷
ページ数:219~223 コマ数:121~123
『大日本刀剣史 中卷』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:越前朝倉の俱利伽羅鄕
ページ数:308 コマ数:164
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:クリカラごう【倶利迦羅江】
ページ数:2巻P182