京極正宗

きょうごくまさむね

概要

「短刀 銘正宗(京極正宗) 」

讃州丸亀城主・京極家伝来の短刀。

鎌倉時代の名工・相州正宗の作で、無銘が多い正宗の中では貴重な在銘品。

京極家側の情報によると、豊臣秀吉より京極高次が拝領。

『日本刀大百科事典』では「樋口正宗」と同物と判断している。

将軍家の召し上げを回避するために秘蔵されていたらしく、同じく京極家伝来の名物が8代将軍・吉宗の上覧に供した時もこの刀は見せなかった。

1919年(大正8)4月27日、大正時代になってようやく京極家の名刀が華族会館に陳列されて斯界に存在を知られる。

その後、皇室に献上。

現在は皇室から国へ寄贈された宝物を管理する「皇居三の丸尚蔵館」蔵。

豊臣秀吉より京極高次が拝領

『箒のあと 下』などで読める京極家側の紹介によると、豊臣秀吉より京極高次が拝領。

京極家中興の祖・若狭守高次は豊臣秀吉の側室・松丸の兄で、この正宗も秀吉より拝領という。

『日本刀大百科事典』では、秀吉の形見として高次に贈られた「樋口正宗」とおそらく同一物であろう、という。

将軍家への召し上げを回避するために秘蔵

『日本刀大百科事典』によると、

徳川将軍家では明暦3年(1657)の江戸城炎上で、多数の名刀を失ったため、諸侯の名刀を召し上げる方針だった。
京極家ではそれを避けるため、この刀はないことにしてあった。

それを示すエピソードとして、『寛政重修家譜』をみると、享保17年(1732)、同家の名物を将軍吉宗の上覧に供えた時も、名物「にっかり青江」は出したが、京極正宗は見せなかったことがわかる。

『寛政重脩諸家譜 第2輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第四百十九 宇多源氏(佐々木支流) 京極 高矩
ページ数:173 コマ数:95

やがてたてまつりしかば、旧家にて故実を存ぜる事を感じおぼしめされ、なを伝来の重器もあらば上覧に備ふべきむねおほせをかうぶり、後奈良院宸瀚の二尊の旗に、つがりの刀、佐々木四郎高綱が生唼にかけて宇治川をわたせる轡直しの鐔、佐々木近江守信綱が壺箙を台覧に備ふ。

1919年(大正8)4月27日、京極家の名刀が華族会館に陳列

ようやく大正8年4月27日、華族会館において公開した。

京極高徳子爵に、刀剣の研究者として有名な松平頼平子爵が勧誘して京極家の名刀三振り、「京極正宗」「にっかり青江」「吉光の短刀」が当時の愛刀家の一覧に供せられたという。

犬養木堂こと犬養毅もこの時に京極家の名刀を拝見した話が残っている。

『犬養木堂伝 下巻』
著者:木堂先生伝記刊行会 編 発行年:1939年(昭和14) 出版者:東洋経済新報社
目次:犬養木堂翁の刀剣談 高橋箒庵
ページ数:196~198 コマ数:132、133

『箒のあと 下』(データ送信)
著者:高橋義雄 発行年:1936年(昭和11) 出版者:秋豊園出版部
目次:第六期 文藝 明治四十五年より大正十年まで
ページ数:390~393 コマ数:217、218

その後、皇室に献上

『日本刀大百科事典』によると、
その後、皇室に献上された。

昭和の刀剣書ではずっと、御物として宮内庁保管であるとされている。

『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編  発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:五七 御物 短刀 銘正宗
コマ数:78、79

『正宗とその一門』(データ送信)
著者:本間順治、佐藤貫一編 発行年:1961年(昭和36) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:23 御物 短刀 正宗(京極正宗) 1口 宮内庁保管
ページ数:46、47 コマ数:92、93

現在は「皇居三の丸尚蔵館」所蔵

「皇居三の丸尚蔵館」のサイトによると、現在は「皇居三の丸尚蔵館」所蔵。

平成元年(1989)6月、上皇陛下及び香淳皇后が昭和天皇まで代々皇室に受け継がれてきた御物の中から約6千点余りの絵画・書・工芸品などを国へ寄贈されたという。

「皇居三の丸尚蔵館」は、それら皇室の御物であった宝物の保存管理に万全の策を講じ、広く国民に公開するために設置された専門の建物・組織である。

「京極正宗」は2023年には「石川県立美術館」で一時期展示もされている。

作風

刃長七寸六分(約23.3センチ)。
刃区がないまでに研ぎ減っているが、板目肌に地沸えつき、地景・地符を交える。

刃文は直刃調の浅い五の目乱れで、金筋・稲妻かかる。
鋩子小丸、尖り心に返る。
茎は振り袖形となり、「正宗」と二字銘。

名物「不動正宗」とともに、在銘正宗の標本。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:きょうごくまさむね【京極正宗】
ページ数:2巻P103、104

『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編  発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:五七 御物 短刀 銘正宗
コマ数:78、79

「京極正宗」と同一物だと考えられる「樋口正宗」

『寛政重修諸家譜』によると、
豊臣秀吉の遺物として慶長3年(1598)8月、京極高次に贈られた相州正宗の短刀。

『寛政重脩諸家譜 第3輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第四百十九 宇多源氏(佐々木支流) 京極
ページ数:168 コマ数:93

『日本刀大百科事典』では「京極正宗と同一物であろう」という。

樋口はヒノクチと読むのが正しく、泉州堺の樋口屋という商人。もとは肥前長崎の商人だという。

この情報の出典は『名物扣』となっているので、いつもながら国立国会図書館デジタルコレクションでも読めない。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:ひぐちまさむね【樋口正宗】
ページ数:4巻P229

「樋口正宗」と同じ号を持つ「樋口藤四郎」の存在

『享保名物帳』焼失之部所載の粟田口吉光作の短刀があり、樋口屋の事が出てくる。

『享保名物帳』によると、
樋口屋所持の本刀を、石田三成が金十三枚で買い取り、天正(1573)ごろ豊臣秀次へ献上した。
それを京極高次が拝領し、子の忠高へ伝えた。忠高はそれを将軍家光へ献上した。

『三壺聞書』『寛明炎余類記』などによると、
明暦3年(1657)正月19日、江戸城炎上のさい焼失。

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:名物「燒失之部」
ページ数:229 コマ数:129

樋口藤四郎 長八寸 代七千貫

泉州堺樋口屋所持、石田治部少輔求めて秀次公へ上る京極高次拝領にて若狭守殿へ伝へ、家光公へ上る返り少し光心の朱判あり。

『三壷聞書』
著者:山田四郎右衛門 著, 日置謙 校 発行年:1931年(昭和6) 出版者:石川県図書館協会
目次:卷之二十二 公方様御道具焼失の事
ページ数;325 コマ数:172

『東京市史稿 市街篇第七』
著者:東京市 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:東京市
目次:今度於御城内焼失御腰物並御脇差之覚
ページ数:19 コマ数:30

「樋口正宗」と「樋口藤四郎」の関係

「樋口正宗」と「樋口藤四郎」は同じ「樋口」の号を持ち、どちらも京極家の所有となったことが伝えられていることから、『日本刀大百科事典』の福永酔剣氏はこの「樋口」は同じ泉州堺の商人・「樋口屋」の「樋口」だと考えているようである。

明治の「正宗抹殺論」と在銘の正宗

京極正宗は貴重な在銘の正宗である。

刀剣本によると正宗の在銘は、現在でも大黒正宗、不動正宗、京極正宗、本庄正宗の四振りしか発見されていないという。

しかも上の来歴からわかるとおり、8代将軍にも上覧しないほどに秘蔵されていた京極正宗の発見は大正時代に入ってからであり、明治時代の鑑定家である今村長賀氏(正宗抹殺論の提唱者)が存命中には見ることのできなかった刀である。

在銘の京極正宗は、正宗研究、正宗抹殺論への反論として、よく名前の出される刀である。

『日本刀剣の研究 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:五郞正宗は果して名工であるか 文學士 岩崎航介
ページ数:195 コマ数:107

『日本刀剣の研究 第2輯』(データ送信)
著者:雄山閣編輯局 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:正宗の實否と無銘の由來
ページ数:195 コマ数:106

調査所感

・いつから「京極正宗」と呼ばれ始めたか

皇室への献上時期にも関係してくるのですが、大正8年の華族会館での公開時は京極正宗とは呼ばれていないことは、その隣にすでに号のある「にっかり青江」と並んでいることからわかります。

デジコレで見つけた資料で言うと昭和9年には「京極正宗」としての名で書籍に登場します。

試しに「京極家の正宗」で検索をかけると大正13年の『日本趣味十種』が引っかかったので、やはり大正8年に斯界に存在を知られて発見直後は「京極家の正宗」と呼ばれるようになり、そこから昭和9年頃までには京極家を離れて皇室に献上されたため、その頃からだんだんと過去の所有者由来で「京極」を号とする「京極正宗」と呼ばれるようになったと考えられます。

つまり、昭和の頭頃から「京極正宗」と号するようになったと思います。

・「樋口正宗」から「京極正宗」へ

他に京極家伝来の正宗の短刀があるわけでもなさそうなんで、個人的には「樋口正宗」と「京極正宗」が同一であるという酔剣先生の見解に異論なしです。

刀に名前というか、号が必要になるのは主に外部に紹介する時だと思われるので、将軍にも見せないほど秘蔵されていたこの刀は最初は「樋口正宗」と呼ばれていたという認識も京極家の方で重視されなかったのかもしれません。

樋口さんが有名人ならともかく商人なので武将だの逸話だのを号として冠するタイプの刀と違ってあまり重要視されなかったとしても頷けてしまいますし……。

『寛政重修諸家譜』のにっかり青江の表記も『豊臣家御腰物帳』と同じ「につかり刀」のままですし、京極家は伝来の刀そのものはとても大切に扱っていたけれど刀剣関係の情報に関してはあまり拘らないタイプだったのかもしれません。

・「樋口正宗」について考えると気になってくる「樋口藤四郎」

「京極正宗」がかつては「樋口正宗」だったとすると、一時期共に過ごして同じ号を持っていた「樋口藤四郎」の存在が途端に気になってきます。

・同名異物?

デジコレで検索かけると『徳川実紀』に同じ「京極正宗」という記述があることがわかります。

寛永元年頃の大御所と呼ばれる人物、つまり徳川秀忠が隠居した後に紀州頼宣の邸に行ったようで、「吉平の御太刀。松前貞宗の御刀。京極正宗の御脇差」を紀州徳川家が賜ったという話になっております。

上で整理した通り、そもそも「京極正宗」という号は京極家を離れてからつけられるタイプの所有者由来の号ですし、逆に京極家が持っていた刀なら同じく京極なんとかと呼ばれていてもおかしくないので、これは同名異物ではないかと思われます。

京極家から将軍家に献上したものだとそれこそ「樋口藤四郎」がありますが明暦の大火で焼失したなら江戸城にあったはずですし、そもそも「樋口藤四郎」は秀忠から頼宣に贈られたという記録がないので違うか……?

紀州徳川家の他の刀で何回か見ていると思うんですが、頼宣と秀忠含む徳川家康とその息子たちは何故かよく同じ刀を行ったり来たり贈り合っているので記述がどこかで混乱してても正直不思議ではないなと思います。

それとも1657年の明暦の大火の前に、我々の知る京極正宗くんが1624年頃に将軍家に献上されてから紀州徳川家に行ってまた京極家に戻ってきたとでもいうのだろうか?

上でまとめた『日本刀大百科事典』の来歴もあまりしっかりした根拠ではないというか、客観的に多角的に推測を裏付ける根拠がないのではっきりとは言えませんが、今のところは我々の知る京極くんは秀吉から拝領してから大正までずっと京極家を出ていないと思われるので、同名異物じゃないか? と思っております。

『徳川実紀 第2編』
著者:成島司直 等編, 経済雑誌社 校 発行年:1904~1907年(明治37~40) 出版者:経済雑誌社
目次:巻二 (寛永元年正月−六月)
ページ数:21 コマ数:16

参考サイト

「皇居三の丸尚蔵館」

参考文献

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇 (国学院大学叢書 ; 第1編) 』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:353 コマ数:197
(本によって1コマずれる)

『日本刀剣の研究 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:五郞正宗は果して名工であるか 文學士 岩崎航介
ページ数:195 コマ数:107

『日本刀剣の研究 第2輯』(データ送信)
著者:雄山閣編輯局 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:正宗の實否と無銘の由來
ページ数:195 コマ数:106

「日本刀及日本趣味 (10月號)」(雑誌・データ送信)
発行年:1936年(昭和11) 出版者:中外新論社
目次:諸大家の正宗觀 / 三矢宮松
ページ数:49 コマ数:32

『犬養木堂伝 下巻』
著者:木堂先生伝記刊行会 編 発行年:1939年(昭和14) 出版者:東洋経済新報社
目次:犬養木堂翁の刀剣談 高橋箒庵
ページ数:196~198 コマ数:132、133

『大日本刀剣史 中卷』(データ送信)
著者:原田道寛 著 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:諸家所藏の名物正宗
ページ数:436 コマ数:228

『丸亀市史』(データ送信)
発行年:1953年(昭和28) 出版者:丸亀市史刊行頒布会
目次:第四節 丸亀四代高矩侯の世(其一)
ページ数:147 コマ数:95

『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編  発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:五七 御物 短刀 銘正宗
コマ数:78、79

『正宗とその一門』(データ送信)
著者:本間順治、佐藤貫一編 発行年:1961年(昭和36) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:23 御物 短刀 正宗(京極正宗) 1口 宮内庁保管
ページ数:46、47 コマ数:92、93

「瑞垣 (59)」(雑誌・データ送信)
著者:神宮司庁広報室 編 発行年:1963年1月(昭和38) 出版者:神宮司庁
目次:第七回全国名刀展
ページ数:57 コマ数:32

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:きょうごくまさむね【京極正宗】 ページ数:2巻P103、104
目次:ひぐちまさむね【樋口正宗】 ページ数:4巻P229