陸奥守吉行

むつのかみよしゆき

概要

刀工・陸奥守吉行

『日本刀大百科事典』によると、

奥州宇多郡中村(福島県相馬市)の森下播磨守吉成の次男。

通称は平助、父兄とともに、大坂に出で、住吉(住吉区)に居住、大和守吉道に師事。
業成って陸奥大掾、ついで陸奥守を受領、山岡家の養子となる。

元禄(1688)年中、土佐藩に招かれて鍛冶奉行となり、高知城の東、種﨑町に移住。
藩主・山内豊昌の愛顧により、長岡郡仁井田村(高知市)に、一町五段五歩の田地を与えられた。 そして九反田の東、鍛冶蔵(高知市城北町)において、藩の番刀を盛んに打った。

それが終了すると、藩工を解かれたとみえ、大坂に帰って没した。

出典は『新刀銘集録』(南海太郎朝尊の著書)、『古今鍛冶備考』、『土佐偉人伝』、『土州剣工録』などになっているが、国立国会図書館デジタルコレクションで簡単に確認できるものだと『土佐偉人伝』くらいである。

『土佐偉人伝』(データ送信)
著者:寺石正路 発行年:1940年(昭和15) 出版者:寺石正路
目次:第八節 美術諸藝並刀工 二十三人 源吉行
ページ数:170、171 コマ数:102

源吉行通称は山岡平助又吉作といふ摂津住吉の人なり大坂刀工初代三品大和守吉道の門人にして陸奥守吉行と称す
元禄中聘せられて土佐に来り鍛冶奉行となる東種﨑町に住し長岡郡仁井田村の田一町十代五歩を食む常に九反田の東鍛冶蔵(旧海南学校地)に於て番刀を鍛ふ其刀鋒鋭利なる南国新刀の冠たち新刀銘盡後集にいふ作は地金細かに匂あつて上手なり云々藩俗吉行の刀を佩ぶるものは人を斬りたき念を生ずといつて之を忌憚せり又以て其鋭作なりしを徴するに足るべし維新の時阪本龍馬山地元治等常に佩用せり

『古今鍛冶備考』は国立国会図書館デジタルコレクションにはないが、国文学研究資料館が画像を公開してくれている。

またデジコレ内だと『土佐紀要』が『土佐偉人伝』と似た内容を載せていた。

『土佐紀要』
発行年:1908年(明治41) 出版者:東宮殿下行啓高知県奉迎会
目次:二、土佐有名の剣工
ページ数:54、55 コマ数:60

作風

地鉄は小杢目肌、刃文は頭の丸い丁子乱れで、足よく揃う。鋩子は小丸。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:よしゆき【吉行】
ページ数:5巻P286

吉行に関する俗説、吉行の刀を帯びていると人を斬りたくなるという

『土佐偉人伝』によると、

吉行の刀を帯びていると、人を斬りたくなる、といって敬遠する人もあった。

また、『剣話録』で土佐人の別役成義氏もこの俗説に触れている。

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:十 南海道諸国
ページ数:92 コマ数:56

前に述べた吉行に付て、色々の俗説があるからワキ路ながら一寸云って置かう。土佐で昔から此吉行の刀を差料とすると、人を斬ることを勧めると云って、人々の忌嫌ふ刀である。是と云ふも、何處の某が斬った刀も吉行であった、誰の時も吉行であつと云ふことになって、段々と直段も安くなったから、私闘を以て百姓町人などが人を斬らうとする者は、第一良く切れ、値も安いものだから、此吉行を専ら用いたと云ふことで、愈々以て吉行は人を斬ることを勧めるとい云ふ俗説が盛んになり、人々忌嫌ったと言ひ伝へて居る。然るに、文久頃より世の中が騒々しくなって、殺伐が盛んになって来るに従って、彼の吉行を好んで差料とすることになり却て他の作より此吉行の方が値も高くなって来た。時勢の変遷は奇異なものである。

坂本龍馬佩刀・陸奥守吉行

戦前の認識

『日本刀大百科事典』の坂本龍馬の刀の項目から吉行に関する記述を参考にすると、

龍馬が江戸で、鈴木正雄に打たせたのも、二尺八寸二分(約85.5センチ)の大刀だった。
西郷隆盛を訪ねた時、西郷から土佐吉行の刀をもらったので、西郷の下僕・熊岡に正雄はくれて帰った。
でも、鐔は龍馬の師匠の形見だったので、後で取り返した。

龍馬が京都で暗殺されたとき、刀を抜く暇がなく、鞘ごと敵刃を受けたのは、その吉行だった。
鞘から刃にかけて三寸(約9.1センチ)ばかり削り取られた。

この刀は長船宗光・勝光合作の脇差とともに、藩命によって坂本家を継いだ甥の小野淳輔の家に伝わった。

その子・弥太郎は北海道の釧路市に移住していたが、昭和初年・火災に遭って、吉行や宗光・勝光合作刀ほか、焼け身になった。
そのうち合作刀などは、室蘭の堀井秀明が再悴し、昭和3年9月、札幌市の富田秋霜が研ぎ上げたという。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:さかもとりょうまのかたな【坂本竜馬の刀】
ページ数:2巻P306

出典が明治33~昭和20に中央刀剣会から発行されていた「刀剣会誌」という雑誌のようである。

『日本刀大百科事典』は戦前の情報を中心としているので、坂本龍馬の陸奥守吉行はもともとこのような情報が斯界で共有されていることがわかる。

戦後から現代まで更に研究が進められている。

龍馬が兄から贈ってもらった郷土の刀

坂本龍馬の差料が「陸奥守吉行」であることは上記のようにもともと有名であったが、その経緯は戦前は「西郷隆盛からもらった」とされていたようである。

この部分に関して小美濃清明氏が検討を加えていて、現在では西郷隆盛からもらったわけではなく、兄の権平から西郷隆盛を通じて届けられたのだとされている。

慶応2年12月4日、坂本龍馬は兄・坂本権平宛の手紙で家宝の甲または刀の拝領を願っている。

「此頃願上度事ハ古人も在云、国家難ニのぞむの際ニハ必、家宝の甲を分チ、又ハ宝刀をわかちなど致し候事。」

この時期はまだ龍馬の脱藩は許されていなかったため、翌年、慶応3年2月に土佐藩に赦免されてから龍馬の兄・坂本権平が西郷隆盛に坂本家の家宝である「陸奥守吉行」を託し、更に西郷隆盛から中岡慎太郎の手をわたって龍馬の許へ届けられたと推測している。

『坂本龍馬と刀剣』(紙本)
著者:小美濃清明 発行年:1995年(平成7年) 出版者:新人物往来社
目次:第八章 愛刀吉行
ページ数:121~136

「刀剣と歴史 (590)」(雑誌・データ送信)
発行年:1992年11月(平成4) 出版者:日本刀剣保存会
目次:坂本龍馬と刀剣(5) / 小美濃清明
ページ数:23~32 コマ数:16~21

八か月間の佩刀とその喜び

「陸奥守吉行」は龍馬が暗殺されるまでの僅か八か月の間しか彼の佩刀ではなかった。

しかしその頃、兄から贈られた郷土の刀である「陸奥守吉行」に関して、慶応3年6月24日の坂本権平宛の書簡に、龍馬の喜びようが残っていると言う。

「刀剣と歴史 (590)」(雑誌・データ送信)
発行年:1992年11月(平成4) 出版者:日本刀剣保存会
目次:坂本龍馬と刀剣(5) / 小美濃清明
ページ数:30 コマ数:20

然ニ先頃西郷より御送被遣(おおくりつかわされ)候吉行の刀、此頃京ニも常帯(つねにおび)仕候。京地の刀剣家にも見セ候所、皆、粟田口忠綱位の目利(めきき)仕候。此頃、毛利荒次郎、出京ニて此刀を見てしきりにほしがり、私も兄の賜(たまもの)なりとてホコリ候事ニて御座候。

粟田口忠綱は上々作、陸奥守吉行は中作。
しかし龍馬は自身が兄よりもらった「陸奥守吉行」は上々作の粟田口忠綱くらいだと京都の刀剣家に鑑定されたことを喜び、人に自慢したという。

暗殺されたときにも傍に在った刀

『南国遺事』などによると、坂本龍馬が暗殺されたときも傍に在ったのは「陸奥守吉行」の刀であった。

鞘で敵刃を受けたとされ、鞘越しに七、八寸削れていたという。

『南国遺事』
著者:寺石正路 発行年:1916年(大正5) 出版者:聚景園武内書店
目次:五 阪本中岡両雄遭難始末
ページ数:28、29、33 コマ数:32、34

『男爵安保清康自叙伝』
著者:安保清康 発行年:1919年(大正8) 出版者:安保清種
ページ数:15、16 コマ数:32、33

『坂本竜馬海援隊始末記』(データ送信)
著者:平尾道雄 発行年:1968年(昭和43) 出版者:白竜社
目次:三 近江屋の凶変
ページ数:212~218 コマ数:115~118

2016年、京都国立博物館蔵の陸奥守吉行が本物の坂本龍馬佩刀と判明

2016年5月当時に話題になり、ネット記事(J-CASTニュースや日本経済新聞など、他にも多数)がかなり残っている。それらによると、

現在京都国立博物館蔵の坂本龍馬佩刀「陸奥守吉行」は、1931年、北海道釧路市に住んでいた坂本家の子孫が、鉄でできた本体部分のみ京都国立博物館に寄贈した。
鞘や柄は火災で焼失したという。

ただ、その刀は「吉行」に特徴的な文様がない、当時使われていた刀のように反っていない、といった理由から、実物かどうかを疑問視する声もあった。
寄付の記録も同館に残されておらず、これまで「伝」を付けて展示されてきた。

しかし2015年秋、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)の文書調査で「陸奥守吉行」の寄贈記録書類が発見される。
刀が火事で焼けたために変形して反りがなくなり、研ぎ直したとの記述が見つかった。

また、京都国立博物館が最新機器で検証したところ、特徴的な文様もかすかに浮かび上がった。

こうした証拠によって、京都国立博物館蔵の「陸奥守吉行」こそ、坂本龍馬佩刀の実物であると裏付けられた。

また、2021年11月には押形の存在も判明してネット記事になった(北海道ニュースリンクなど)。

坂本龍馬佩刀の「陸奥守吉行」の押形は日本製鋼所瑞泉鍛刀所(室蘭市)にあることが分かり、白老町で開かれた仙台藩白老元陣屋資料館の特別展関連行事で存在が明らかにされたという。

日本刀を製作する瑞泉鍛刀所の初代当主を務めた堀井俊秀氏が押形を制作し、「坂本龍馬氏遺物 吉行 焼身」と書き記して記録に残していたらしい。

これも京都国立博物館蔵の「陸奥守吉行」が火災に遭ったことを示す資料である。

「刀 吉行作 坂本龍馬遺物」の来歴

2016年、2021年と京都国立博物館蔵の「陸奥守吉行」が本物の坂本龍馬佩刀であることを示す資料が見つかったため、この刀の来歴は比較的シンプルにまとめられる。

・土佐の名工・陸奥守吉行の刀はもともと坂本家の家宝
・慶応2年12月4日、坂本龍馬は兄・坂本権平宛の手紙で家宝の甲または刀の拝領を願う
・慶応3年2月に土佐藩から赦免 権平が西郷隆盛を通じて龍馬へと陸奥守吉行を送る
・慶応3年6月24日の権平宛の書簡で、龍馬はその喜びを兄に伝えている
・慶応3年11月15日、龍馬が暗殺される(近江屋事件)
・その後、坂本家に戻る
・北海道へ移住した子孫の坂本弥太郎氏のもとで、1913年(大正2)釧路大火に被災
・坂本弥太郎氏は刀の修復を札幌刀剣会の関係者に相談、研ぎ直される
・その際、瑞泉鍛刀所の初代当主を務めた堀井俊秀氏が押形を採る
・1931年(昭和6)、坂本弥太郎氏が京都国立博物館に寄贈

以後は「反りがない」「刃文が違う」などの理由で実物かどうかを疑問視されながらも京都国立博物館に所蔵されていたが、2016年に寄贈記録書類が発見されたことにより、京都国立博物館蔵の刀が本物の坂本龍馬佩刀だと確定した。

『日本刀大百科事典』の記述と照らし合わせると当初から大体の情報は出ていたが、それを客観的に証明する資料がなかったものが、90年もの時間をかけてようやく正しかったと証明されたようである。

調査所感

・情報のまとめ方について

とうらぶに関しては特定の号を持たずに刀工名で顕現している刀は在り方の形態を考え直す必要があるかなーと思ったのですが、坂本龍馬佩刀・陸奥守吉行に関してはもともと同時代の新選組の刀などに比べると話の確度が高く、刀工も確定しており、もともと土佐の名工・陸奥守吉行の刀の話とそれが龍馬の差料だった話が一緒に出てくるので、この形式でもいいかと思いました。

ちょうど南海先生や肥前くんの記事と同じような形になります。

・刀工・陸奥守吉行の刀を人を斬りたくなるという俗説

龍馬の刀と聞いて思い浮かべるには意外な属性ですが、刀工・陸奥守吉行の刀にはこの刀を持つと人が斬りたくなるという物騒な俗説があります。

土佐関係の資料は結構豊富ですし、刀工の話を調べる時に見る人も多いだろう『日本刀大百科事典』にも載っている話なので、もともと刀剣に詳しい人には結構知られているような感じもします。

実際、審神者の過去の呟きなどのログを見るとゲーム開始した2015年にはすでに言及されていますので、そこまで有名な話なら知っておいた方がいいかもしれません。

・参考文献は『坂本龍馬と刀剣』がオススメ

『坂本龍馬と刀剣』(紙本)
著者:小美濃清明 発行年:1995年(平成7年) 出版者:新人物往来社
目次:第八章 愛刀吉行
ページ数:121~136

刀剣関係の情報は様々な資料を突き合わせなければ全体像がよくわからないことが多いのですが、坂本龍馬の刀に関しては小美濃清明が大体全部やってくれてます! って感じのこの本一冊読めば、あとは最近のネット記事で補完できると思います。
この記事は「陸奥守吉行」の話しかしていませんが、当然肥前忠広の件も別の章に載っています。

大き目の図書館には置いてあると思いますが、もしないとしてもデジコレでその元となっている雑誌記事が読めます。

・平成になってから本物であることが証明された

この辺りは本当に最近の話ですが、京都国立博物館蔵の刀が本物の坂本龍馬佩刀・陸奥守吉行であることが証明されました。

参考サイト

「J-CASTニュース」
「日本経済新聞」
「北海道ニュースリンク」
「京都国立博物館」

参考文献

『土佐紀要』
発行年:1908年(明治41) 出版者:東宮殿下行啓高知県奉迎会
目次:二、土佐有名の剣工
ページ数:54、55 コマ数:60

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:十 南海道諸国
ページ数:91、92 コマ数:55、56

『南国遺事』
著者:寺石正路 発行年:1916年(大正5) 出版者:聚景園武内書店
目次:五 阪本中岡両雄遭難始末
ページ数:28、29、33 コマ数:32、34

『男爵安保清康自叙伝』
著者:安保清康 発行年:1919年(大正8) 出版者:安保清種
ページ数:15、16 コマ数:32、33

『日本刀物語』
著者:小島沐冠人 編著 発行年:1937年(昭和12) 出版者:高知読売新聞社
目次:汗血千里の駒 坂本龍馬愛用の吉行
ページ数:159~162 コマ数:87~89

『土佐偉人伝』(データ送信)
著者:寺石正路 発行年:1940年(昭和15) 出版者:寺石正路
目次:第八節 美術諸藝並刀工 二十三人 源吉行
ページ数:170、171 コマ数:102

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:坂本竜馬夫人と遺愛刀
ページ数:152~167 コマ数:84~91

「刀剣と歴史 (431)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年(昭和41)5月 出版者:日本刀剣保存会
目次:幕末志士と佩刀 / 長野桜岳
ページ数:41 コマ数:25

『坂本竜馬海援隊始末記』(データ送信)
著者:平尾道雄 発行年:1968年(昭和43) 出版者:白竜社
目次:三 近江屋の凶変
ページ数:212~218 コマ数:115~118

「刀剣と歴史 (524)」(雑誌・データ送信)
発行年:1981年11月(昭和56) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(69) / 今野繁雄
ページ数:8 コマ数:9

「刀剣と歴史 (590)」(雑誌・データ送信)
発行年:1992年11月(平成4) 出版者:日本刀剣保存会
目次:坂本龍馬と刀剣(5) / 小美濃清明
ページ数:23~32 コマ数:16~21

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:さかもとりょうまのかたな【坂本竜馬の刀】 ページ数:2巻P306
目次:よしゆき【吉行】 ページ数:5巻P286

『坂本龍馬と刀剣』(紙本)
著者:小美濃清明 発行年:1995年(平成7年) 出版者:新人物往来社
目次:第八章 愛刀吉行
ページ数:121~136

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第五章 幕末の志士 坂本龍馬の歴代愛刀
ページ数:273~275

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:陸奥守吉行
ページ数:110

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第四章 安土桃山・江戸時代≫ 摂津国大阪 吉行 陸奥守吉行
ページ数:324

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第5章 打刀 陸奥守吉行
ページ数:114、115

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 陸奥守吉行
ページ数:88

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の逸話 陸奥守吉行
ページ数:224、225

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:江戸・幕末の名刀 陸奥守吉行
ページ数:204、205

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:陸奥守吉行 ページ数:68